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第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2015.09.03 (Thu)

【SPECIAL】BOJラインvol.30〜ベンドラメ礼生選手〜

リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.30~東海大学・ベンドラメ礼生選手~


vendrame05.jpg 選手の指名でリレー形式にインタビューをつなぐ「BOJライン」。第29回の筑波大・坂東 拓選手からバトンを渡され、今年度のトップバッターとなるのは、東海大・ベンドラメ礼生選手です。

 延岡学園高時代には、1998年の能代工高以来となる『高校3冠』の偉業を達成。その後東海大でも、入学当初から即戦力として活躍を見せてきました。抜群の瞬発力を誇り、一瞬の隙を突いてスティールやリバウンドに飛び込んだかと思えば、ドライブやアウトサイドシュートで得点を量産することもできる選手。これまで何度となくチームに勝利を引き寄せてきたクラッチプレイヤーです。

 しかしそんなベンドラメ選手も、ここまで順風満帆に進んできたわけではありません。中学生の頃にはジュニアオールスターにも選ばれず、高1の夏はメンバー落ちして他の同級生にも遅れをとっていました。それでも地道に努力を重ね、チャンスをしっかりとモノにして実力を開花させたその過去は、きっと多くのバスケットボールプレイヤーにとって励みになることでしょう。

 またプライベートのこと、延岡学園の仲間とのエピソード、さらにはベンドラメ選手の持ち味であるディフェンスについても詳しくお話を伺いました。記念すべき30回目のBOJライン、どうぞお楽しみください。


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意外にも“どんくさかった”小学生時代

vendrame04.jpgBOJ(以下B):BOJライン、第30回はベンドラメ選手です。よろしくお願いします。坂東選手からの紹介ですが、ベンドラメ選手から見て坂東選手はどんな人ですか?
「面白い人ですね。あそこまで、よくしゃべるなぁって(笑)。合宿なんかに行くと、食堂とかでもひたすらしゃべるので、最初はビックリしました」

B:坂東選手もベンドラメ選手のことを「うるさい」と言っていました(笑)。「うるさいからコオロギと呼んでいる」とのことでしたが。(※第29回BOJライン参照
「意味分かんないです(笑)。なんかいきなり呼ばれたんですよね。でも絶対坂東さんの方が騒がしいですから」

B:(笑)。いつから仲良くなったんですか?
「大学2年のときのスプリングキャンプで一緒になって、それから話すようになりました。それまではずっと、坂東さんってめちゃくちゃクールな人なのかなと思っていたんですよ。試合中の表情とかもクールじゃないですか。でも話してみたら…止まらない(笑)。意外でしたね」

B:確かに坂東選手はポーカーフェイスな印象もありますが、面白い人ですよね。それでは本題に入りたいと思います。まず生い立ちから伺いたいのですが、ベンドラメ選手はブラジル人のお父さんを持つハーフですよね。生まれは日本ですか?
「日本です。ずっと日本で育ちました。ブラジルには3歳のときに一度だけ行ったことがあるんですが、小さかったので全く覚えていないです」

B:お父さんはどうして日本に来たんですか?
「確か、ヨーロッパかどこかで母と知り合って、それで日本に来たらしいですね」

B:そうなんですね。ベンドラメという名字は、ポルトガル語で何か意味があるのでしょうか?
「意味あるんですかね…普通にブラジルの名字じゃないですか? 日本で言う『佐藤』みたいな(笑)」

B:名前と言えば、礼に生きるで「礼生」というのは良い名前ですね。
「ありがとうございます。確か、人に感謝しながら生きなさい、ということでつけられたんだと思います」

B:ベンドラメ選手は、外国語も話せるんですか?
「いや、日本語だけです(笑)」

B:でもお父さんは英会話の先生だと聞きましたが…。
「そうなんです。僕が小さい頃、父から英語を教わる流れになったんですけど、僕、全面拒否したんですよ。そのときは、英語の大切さを知らなかったんです。今になって後悔しています(苦笑)」

B:語学はあった方がいいスキルですからね。ベンドラメ選手は福岡出身ですよね?
「はい。福岡の筑紫野というところです。太宰府天満宮の近くですね」

B:バスケットを始めたきっかけは何だったんですか?
「小学校3年生のときに、学童で、保護者同伴のボーリング大会があったんですよ。そこでたまたま同じレーンになった友だちのお母さんが、僕の母にミニバスを勧めたことがきっかけですね。今でもその友だちのお母さんに会うと、『今のあなたがいるのは私のお陰よ』って、めっちゃ言われます(笑)」

vendrame25.jpgB:そのボーリング大会が人生を変えたわけですね(笑)。
「はい。もともと僕、小さい頃、友だちと遊んでいてしょっちゅうケガしていたんですよ。転んだり、周りが見えていなくて頭をぶつけたり…かなりどんくさかったんです。それで友だちのお母さんが『何かスポーツでもやらせてみれば?』ってことで、バスケを勧めてくれたんですよね」

B:今のベンドラメ選手を見ていると、どんくさい様子がまったく想像できないのですが…。運動神経は良くなかったんですか?
「全然良くないですね。保育園の頃から、かけっこはいつも最後の方でした。僕、足が遅いんです」

B:そうなんですか!? あれだけコート上で素早いのに…。
「今でも速くないですよ。大学に入って50メートル走を計ったら、7秒ジャストでした。6秒台はたぶん今まで1回しかいったことないですね」

B:それは意外です。瞬発的なクイックネスと、足の速さはあまり関係ないんですね。ベンドラメ選手は兄弟はいるんですか?
「妹が一人います。今高校3年生ですね。妹もバスケをやっていたんですけど、今は辞めちゃいました」


ハイレベルだった地元・福岡での戦い

vendrame23.jpgB:ミニバスはどんなチームだったんですか?
「ミニバスは全員小さかったので、ポジション関係なく、全員が1対1を仕掛けるようなチームでしたね。練習も、1対1とかドリブルとか走るメニューが多かったです」

B:バスケを始めてから、“どんくさかった”というのは変わったのでしょうか?
「そうですね、たぶん(笑)。3年生の途中でバスケを始めて、4年生のときにはスタメンで出させてもらえるようになって、そこからは主力でやっていました」

B:小学生のときは、ベンドラメ選手はどんなプレースタイルだったんですか?
「1対1のチームでしたし、ガンガン攻めるタイプでしたね。リングしか見てなかったです。何点取ったかとかは気にしてなかったので分からないですけど、シュートを決めるのは好きでしたね」

B:全国ミニバス大会は不出場ですよね。最高成績はどれくらいでしたか?
「僕の代は、確か県で3位だったかな? 県2位以上にならないと九州大会には出られないので、ギリギリで九州大会に行けなかったです」

B:そこから、筑紫野中学校に進みましたが。
「吉木のミニバスの人たちがみんな筑紫野中に進むということで、僕の家はちょっと遠かったんですけど、そこに通うことにしました。それで、中学校って、普通いろんな小学校から人が集まると思うんですけど、僕のときのバスケ部は吉木ミニバスの人たちしかいなかったんです。だから小学校と変わらないメンバーでしたね」

B:練習はハードでしたか?
「かなりバスケ漬けでした。部活が終わってから一回学校を出て、また夜7時くらいから体育館に戻って、そこで吉木ミニバスの監督が外部コーチとして来て練習していたんです。休みもありましたけど、ほぼ毎日バスケでしたね」

B:中学校は強かったんですか?
「いや、そんなに強くなかったです。僕らの地区は、筑紫地区大会、中部地区大会、県大会…という風に勝ち進むと行けるんですけど、僕らの中学は筑紫地区が3位で、中部地区大会が確か2回戦敗退くらいでした」

vendrame10.jpgB:福岡はバスケットが盛んで、ミニバスや中学のレベルも高いですよね。県大会までも険しい道のりだったと。
「そうです。福岡はチームもいっぱいあるし、強いですよね。筑紫地区の大会は、準決勝で鵤 誠司(青山学院大→現NBL広島)のいるチームに負けて終わりました」

B:鵤選手と同じ地区だったんですか。それはハイレベルですね。
「誠司のことは小学生のときから知っていました。小学生のときに地区の選抜チームみたいなのがあって、そこで一緒になったんです。その頃は正直、たいしたことないなと思っていたんですけど(笑)、中学校でいきなりうまくなって、あいつヤバいなと思いましたね」

B:選抜と言えば、ベンドラメ選手は、中学生のときにジュニアオールスターには選ばれていないんですね。
「はい。1次選考会には行ったんですけど、普通に選ばれませんでした。でも、『あ、選ばれないか~、まぁそうだよな~』ってくらいで、特に悔しくはなかったですね。福岡は、ほんとすごい人たちがいっぱいいるので」

B:その頃、身長はどれくらいだったんですか?
「ちっちゃかったです。たぶん、170ないくらいですね。中3で、引退してから一気に10センチくらい伸びたんですよ。高1のときには180くらいになりました」


全国区の強豪校で味わった苦労

vendrame08.jpgB:それは急激に伸びましたね。とある九州の高校の先生に、ベンドラメ選手が小さかったので、プレイヤーとして将来性がどれくらいあるのか、そのときは判断できなかったと聞いたことがあります。伸びて良かったです。話が少しズレますが、筑紫野中学校は、ベンドラメ選手が卒業した後、2010年に全中で準優勝していますよね。
「そうなんです。僕らの2個下の学年なんですけど、彼らも小学生の頃からずっと一緒にやってきたメンバーなんですよ。小学生のときはみんな普通にめっちゃ小さかったし下手でしたが、中学生になって全中で準優勝までして、すごいなぁと思いました。自分もうれしかったですね」

B:その頃の筑紫野中のメンバーで、今大学でプレーしている選手というと誰がいますか?
「能代工から専修大に行って今2年生の、砥綿(#26)がそうですね。あいつ、小学生のときに僕の家の隣に引っ越して来たんですよ。僕が103号室で彼が102号室だったんです。それで最初、裏庭で(砥綿)啓伍と姉ちゃんが遊んでいたところを、僕が遊びに誘って、それから外でバスケして遊ぶようになったんです。それであいつもバスケを始めたんですよね」

B:そうだったんですか。ベンドラメ選手の家の隣に引っ越してこなければ、砥綿選手はバスケットボールを始めていなかったんですね。
「そうですね。本当に偶然でした。そこから全中で活躍して能代に行って専修に進んで…。そこまで行くなんて、引っ越してきたときは思いもしなかったです(笑)。自分も結構うれしいですね。あとは大濠にいった帯刀滉暉(関西学院大#19)って監督の息子だった選手とかも、関西で頑張っているみたいです」

B:小学校、中学校と、幼なじみのメンバーでやってきたわけですね。
「そうですね。良い意味で上下関係もないので、その頃のチームメイトはみんな年下でも呼び捨てだしタメ口です。夏休みとかは、練習がない日もみんなで外のゴールでバスケしたり、練習の後にみんなで駄菓子屋に行ったり、すごく仲が良かったですね」

B:その後、どうして宮崎県の延岡高校に進学したんですか?
「どうせやるなら強い高校でバスケしたいなという気持ちがあって、いろいろな高校に練習見学に行きました。いくつかの学校から声を掛けてもらったんですけど、延岡なら全国にも出られるし良いなと思って。それに延岡の練習って雰囲気がすごく良くて楽しそうだったし、北郷先生もすごく良い先生で。とにかくうまくなりたかったので、この学校ならうまくなれるかもと思って決めました」

B:県外に出ることに抵抗はありませんでしたか?
「いや、なかったですね。福岡県内の高校だと、福岡第一と大濠がいて、なかなか全国大会に出るのも難しいじゃないですか。そこの2校からは声が掛からなかったし、もし声が掛かっても人数が多いから試合は出られないかもしれないなと思っていたんです。その点、延岡は人数も少なかったので、チャンスが回ってくるかなと思いました」

vendrame07.jpgB:それでも、延岡学園には全国から選手が集まりますし、留学生もいますよね。そうした環境は驚きではなかったですか?
「そうですね。そのとき留学生も初めて見ましたし、永吉さん(現NBL東芝神奈川)や川元さんもいて、『あんなデカい人たちがいるんだ』って衝撃でした。シュートに行っても全部ブロックされるし、『え、これどうやってシュート打てば良いの?』って思いましたね(苦笑)。それに、中3で引退した頃は身長が170くらいだったので、延岡ではきっとポイントガードをやるんだろうなと思っていたんです。それで中3で初めて延岡の練習に参加したとき、もう岡本飛竜(拓殖大#0)や寺原が練習に参加していて、それを見て『やばい。俺ガードだったら3年間試合出られないぞ』と思ったのはよく覚えています。でも引退してから身長が一気に伸びて、高校に入学する頃には気付いたら180くらいあったので、『あ、これ2番ポジションでもいけるかも』ってちょっと思いましたね」

B:まさかそんな急激に身長が伸びるとは、延岡学園の北郷先生も予想していなかったでしょうね。
「そうですね。中3のときは、延岡の先輩たちにも『来るたびに背がでかくなるね』って言われていました(笑)」

B:入学して、1年生のインターハイは、メンバー入りしていませんね。
「はい。あのときは、1年生が5人もメンバーに入っていたんです。それでメンバーに入れなかった僕とあと2人の計3人で、県予選のときからビデオカメラの仕事、荷物番の仕事、ベンチ裏の仕事をやらなければいけなくて…。主な仕事が3つあったので、ひたすらその3人でローテーションしながらやっていました。それは大変でしたね」

B:ベンドラメ選手にもそんな苦労があったんですね。
「試合のビデオを撮りながら、他の1年生が5人で試合に出ているときもあって、ずっと『いいなぁ』と思いながら見ていましたね」


転機となったオールジャパン九州予選

vendrame01.jpgB:その頃、他の1年生に比べて何が劣っていたと自分では思いますか?
「いやでも、やっぱり下手くそでしたよ。試合に出られるレベルじゃなかったんだと思います。だから1年生の頃は、(岡本)飛竜とひたすら自主練していたイメージがありますね。延岡って、体育館の自由が利くんです。だからオフの日でも、朝から夜までずーっと体育館にいましたね。ひたすらバスケバスケで、飛竜と1対1をしたり、シューティングしたり、ウエイトしたり。まぁ、ほかにやることがなかったのもありますけど(笑)」

B:そうだったんですね。延岡学園の周りには何もないとよく話に聞きます(笑)。
「それはもう、めちゃくちゃ田舎ですよ。一番近くのコンビニまで、自転車で15分くらいかかりますから。遊ぶところもないですし、バスケしてウエイトして、汗かいたまま近くの川に飛び込む、みたいな生活を送っていました(笑)」

B:以前このリレーインタビュー(※第5回BOJライン)で、永吉選手(現NBL東芝神奈川)は「延学の周りにはジャスコしかない」と言っていました(笑)。
「本当にそうです。むしろ、ジャスコ行くにも40分くらいかかるので、なかなか行けないですよ。行く前に(行くぞという)メンタル作らないと行けないので。よっぽどのことがないと、ジャスコまで行かないです」

B:(笑)。話を戻しますが、1年生のウインターカップで念願のメンバー入りを果たしたわけですね。
「そうです。ただ公式戦では、ウインターカップより前にオールジャパンの九州予選があって、そこで初めてベンチに入ることができました。そのときに自分、1回戦は良いところが全然出せなくて、『もっと思い切り行け』と言われたんです。それで2回戦で福岡第一と当たったんですが、出るからには全力で思い切りやろうと思って臨んだら、結構調子が良くて。結局試合は接戦で負けてしまったんですけど、あの試合があったからウインターカップでもメンバーに入れたんだと思います」

B:その試合でチャンスをモノにしたわけですね。
「はい。正直、いきなりポンと試合に出されて『ここで俺!?』みたいな緊張はあったんですけどね(苦笑)。でもあの福岡第一戦でチャンスをつかめたから、今の自分があるくらいに思っていますね。それくらい、僕にとって貴重な試合でした。相手が福岡第一だったこともあって、全国レベルで戦えるんだという自信もつきましたし、意味のある試合でしたね」

B:ウインターカップでは、シックスマンとして出番を得ましたね。初めての全国大会はいかがでしたか?
「ベスト8までは試合に出ても普通にやれたんですけど、ベスト8に入って初めて東京体育館のメインコートに立ったら、めちゃくちゃアガってしまいました。アップの段階から緊張しっぱなしで、『これは試合出たらヤバいぞ』と思っていて。いざ試合に出たら、ディフェンスでもどうも体がうまく機能しないし、オフェンスではシュートを打ったら全然違うところにボールがとんでいって、バックボードの端っこにぶつかったんですよ(苦笑)。それで最後まで自分のプレーが出せずに、試合も逆転で負けてしまいました。あのときはめちゃくちゃ悔しかったですね。1年生でしたけど、勝手に『自分のせいで負けた』って責任を感じて。『あそこで自分が相手に決められなければ』とか『あそこであんなシュート打たなければ』みたいに、すっごい悔やみましたね」


ベスト16で終わった2年生チーム

vendrame26.jpgB:初の全国大会は苦い思い出になってしまったんですね。それから2年生になって、チームの本格的な主力となりましたよね。
「そうですね。自分たちの1個上の先輩たちは人数が少なかったし、自分たちの代は、尚学館中から上がってきた岩田(拓殖大#29)みたいに中学から6年計画で育てられた宮崎県の選手が結構いたんですよ。それもあって、一応2年生からチームの主力として試合に出るようになりました。2年生のときの1年間があったから、経験を積めて、チームとしても格段にレベルアップできたと思います」

B:高2の沖縄インターハイの思い出はありますか?
「インターハイ前の九州大会で福岡第一を倒したので、『俺ら2年生だけど強くね?』って、ちょっと調子に乗っちゃったんです(苦笑)。それで沖縄インターハイはみんな自信満々で臨んで、そうしたらまさかの八王子に負けたんですよね。それでベスト16敗退。あれは正直予想外で…。八王子のこと、全く警戒してなかったんですよ。でも3Pラインのはるか後ろから、ポンポン打ってくるじゃないですか。あんなところから打つなんて知らなくて、『何してんだコイツ』って思っていたら、それがバスバス決まって(苦笑)。負けたあと、『え、本当に負けたの?』って感じで、信じられなかったですね」

B:八王子は勢いそのままに、決勝も1点差で明成を下して優勝したんですよね。あの年は、国体もウインターカップも“本命不在”と言われ、実力の拮抗した年でした。
「そうですね。本当にどこが勝ってもおかしくなかった年だったんですけど、確か僕らは、国体もウインターカップもベスト16で…。ウインターカップでは、1回戦でケビンさん(14年度東海大卒・現NBL東芝神奈川)がいた盛岡市立に当たったんですよ。そこで一時20点差付けられたのを逆転で勝つことができて、それで勢いに乗れて次の光泉にも勝って、3回戦ではザックさんのいた東海大三と当たったんです。そこでも勢いに乗って、出だしで10点差くらいリードしたんですけど、ザックさんにうちのエリマン(14年度関東学院大卒)とバンバ(拓殖大#24)が完璧に抑えられて…。ザックさんは、結構衝撃でしたね。向こうのディフェンスがすごくて、負けてしまいました」

B:それから新チームになって高校3年生になりましたが、メンツは前の年とほぼ変わらないメンバーですよね。
「2年間ほぼ同じメンバーでやっていたので、高3の頃には、自然と息が合うというか、コンビネーションプレーでは他のチームに比べても飛び抜けて良かったんじゃないかなと思います。特に僕と寺原と岩田の合わせのプレーは、やっていてすごく楽しかったですね。誰かがドライブに行けば絶対に誰かが合わせに入るので。あのときのチームがあるから、僕は今でも合わせのプレーが結構好きなんです。一人で切れ崩すよりも合わせで崩せたときの方がうれしいし、積極的にやりたいなと思いますね」

vendrame21.jpgB:あの頃の延岡学園は、冷静で、相手のディフェンスのことも仲間のことも、よく見えている印象を受けました。
「そうですね。ドライブする前のポジションを見て、ドライブすればだいたいこの辺に合わせが飛び込んでくるなというのが自分たちの頭の中にイメージとしてあるんです。それがみんな一致していたから、来て欲しいところに来てくれるし、勘でパスを出してもそれが通る。あれはすごく楽しかったですね」

B:まずインターハイで、悲願の優勝を手にしましたね。
「去年からやってきたメンバーだっだし、大会前から結構自信はありました。やれるだけのことはやってきたかなと。始まってみれば、どの試合もあまり接戦になることなく、順調に勝ち上がれたので良かったです。決勝も3Qでみんなめちゃくちゃシュートが入って、確か3Qだけで40点取ったんですよね。そこで突き放すことができたので、あのときに優勝を確信しました」

B:ベンドラメ選手はインターハイ通して平均29得点と、大活躍でした。
「え、平均ですか? そんな取っていたなんて知りませんでした(笑)。高校のときは、あまり得点を取るってイメージはなかったんですけどね」

B:合わせのプレーから自然に得点を重ねたんでしょうね。インターハイは福岡大附大濠にも福岡第一にも勝って優勝していますよね。個人的に、地元の福岡に対して、ライバル意識みたいなものはあったのでしょうか?
「いや、それはあまりなかったです。九州大会でも試合して勝っていたので、自分たちの実力を出し切れば問題ないなと思っていました」

vendrame27.jpgB:あとは、ソウ・シェリフ選手(近畿大#22)がいた沼津中央とも、当時“因縁の対決”と言われていましたよね。
「そうですね。新チームになって最初のカップ戦が、能代カップだったんですけど、そこでいきなり沼津中央に負けたんですよ。あのときは『あれ? 今年うちは強いはずなのに!』って思いました(苦笑)。あの試合、バンバが2Qで4回くらいファウルして3Q丸々出なかったんです。その上、僕と寺原も確か5ファウルで退場して、それで1桁差で負けてしまいました。その試合が、1日目の1番最初の試合だったので、その後の試合も全然みんな気持ちが乗りませんでしたね。そしたら北郷先生にスタメン5人だけ呼ばれて、かなり怒られて、喝を入れられました。バンバも結構怒られて。そこからちょっと気持ちが切り替わったかなと思います」

B:敗戦を糧にしたんですね。
「はい。沼津中央戦のビデオは何回も見たし、ソウ中心のチームだったので、なんとかファウルをせずにソウを抑えるにはどうしたらいいか、話し合って結構練習して。ソウは手も長いし跳ぶので、ボールを上に上げられたらどうしようもないんですよ。抑えたらファウルになるし。そこは大変でしたけど、能代カップがあったから、インターハイのときはうまく攻略できたかなと思います」


3冠を後押しした最強の“セカンドチーム”

vendrame22.jpgB:その後、国体もウインターカップも圧倒的な強さで優勝して、3冠を成し遂げましたね。ほぼ全ての試合で点差をつけて、本当に強かったなと。
「ウインターカップは、唯一競ったのが前橋育英戦でしたね。前半同点だったので。でもそのときも、気持ちに焦りはなくて、自分たちの力を出せば離れるだろうというか、負ける気は全くしなかったです。自分たちの自信が、良い意味で余裕につながったので、試合が接戦になっても『まだここでは負けない』という意識で、いつも通りにプレーできました」

B:強かったと言えど、1年間気を緩まずに戦い続けるのは難しいと思うのですが、どうしてそれができたのでしょうか。
「やっぱり北郷先生の教えがあったからだと思います。どんなに勝っていても、常に厳しい方だったので、油断することは一切なかったですね。自分たちの中でも、自信はあっても過信にはならなかったというか。それに、自分が対戦するのに一番嫌なチームはどこかと聞かれたら、延学のセカンドチームなんです。チーム内での競争が激しかったから、強くなれたんだと思います」

B:チーム内で切磋琢磨していたんですね。
「手の内を知られているというのもあるんですけど、全国の他のチームよりも、延学のセカンドチームの方がやりにくかったし、一番強いなと感じていましたね。たまに日曜日とかに、スタメンチーム対セカンドチームでフルゲームをやることがあったんですけど、本当にそれも気が抜けない試合でした。岡本(拓殖大#0)とか、今天理にいる田中駿也(#25)とか、厄介な相手ばかりだったので。セカンドチームに負けたときに、悔しくて『もう一回やらせてください』って北郷先生にお願いしたこともありました。毎日の練習で、すごく強いチーム相手に試合をしている感覚でしたね」

B:控えの選手たちがいてこその、3冠だったんですね。永吉選手もリレーインタビューで言っていたのですが、あのときの3年生は割と真面目なイメージがあります。
「バスケットに対しては、すごく真面目だったと思います。真面目というか、バスケットが大好きなやつばかりでした。自主練もみんな当たり前にしていたし。普段の生活は、基本おちゃらけている感じでしたけどね(笑)」


意外なきっかけで憧れの東海大へ

vendrame18.jpgB:ではここから大学の話を伺いたいと思います。まずどうして東海大に進学することになったのですか?
「東海に興味を持ったのは、まず、ユニフォームに金色を使っていて…」

B:そこですか!?(笑)
「いやもちろんそれだけじゃないですよ! 最終的には、東海のバスケットを見て好きになって、ここに行きたいなと思ったんです。けど、最初のきっかけは、ユニフォームを見てカッコいいな〜って(笑)。あのユニフォームが着たいなと思って、東海の試合を見るようになりました。それで東海に行きたいなと思うようになって、北郷先生にもそれは伝えていたんです。そうしたら能代カップを陸さん(東海大監督)が見に来ていて、たまたま夜、北郷先生と陸さんが居酒屋で遭遇したらしいんです。そこで僕のことを話してくれて、陸さんにも声をかけてもらいました」

B:そうだったんですね。きっかけがユニフォームだったとは驚きました。
「はい。でもいざ入学してみたら、ちょうど僕が入学するときにユニフォーム変わっちゃったんですけどね(笑)」

B:(笑)。背番号はどうして0番なんですか?
「高校のときに、番号何がいい?と聞かれて、名前が礼生だから、レオ…レイ…0番がいいかなって。名前からとって、0番にしました」

vendrame15.jpgB:入学して、東海大の最初の印象はいかがでしたか?
「最初に練習に参加したとき、まだ引退したミツさん(満原/2011年度東海大卒・現NBL日立東京)が練習に参加していたんです。それでミツさん、ガタイがやばくて、ぶつかり合いをしても吹っ飛ばされて、『俺、こんなところでバスケできるのかな?』と思いました(苦笑)。それは結構ビックリしましたね」

B:でも1年生のときから、試合には使われていましたよね。
「そうですね。幸い、陸さんが使ってくれて。でもあの頃は、不安しかなかったです。大学に入学してから、ポイントガードにコンバートしたので」

B:ポイントガードは、今まで全く経験がなかったんですか?
「本格的なガードというガードは、初めてですね。いつも2番とかだったので。東海はフォーメーションが多いので、1番ポジションがボールをキープしなきゃいけない時間帯が多いんですよ。それがまず初めてのことでした。今まではボールをもらったらとにかくリングに向かっていたんですけど、1番はそれじゃダメなので、結構苦労しましたね」

写真下:まだ顔があどけない1年の頃。トーナメントはベンチスタートでも仕事を果たし、陸川監督の信頼を得る存在だった。


つらい出来事が重なった大学1年時

vendrame14.jpgB:1年生の春で一番何を覚えているかといったら、トーナメント決勝のラストです。残り1分、小林選手(13年度青学大卒・現bj滋賀)にスティールされてしまったんですよね…。
「そうですね。トーナメントのときは、拓殖戦で出してもらって結構うまくいって、そこから結構試合に出させてもらったんです。それで決勝でもああいう風に出番が来て、緊張も少しありましたけど、別に硬くなっていたわけではありませんでした。でも、4Qの大事な場面で、小林さんにああいう風にスティールされて…。あれは一生忘れられないというか、トラウマですね。ずっと頭の中から消えないと思います」

B:あの場面は、何がどうなってああいう風にカットされたんですか?
「ピックを使おうとして、それをフェイクにして逆を突いたんですけど止められて、ロールターンしてもう一回ピックを使おうとしたら、そのロールターンのところでカットされたんです。ロールしてボールが残っているところを、きれいに持っていかれました。とにかくその瞬間は、『やばい!やってしまった!』という心境でしたね」

B:だいぶ落ち込んでいたと思いますし、インタビューでも口が重かったのを覚えています。
「東海って、僕より優秀な、ポイントガードらしいポイントガードがたくさんいたじゃないですか。そんな人たちを前に、1年生の僕が出て、あんなミスをしてしまって…。それはめちゃくちゃヘコみました。自分の力の無さを感じましたね。でも3年経って思うのは、あそこで成功していたら今はないなと。図々しいかもしれないですけど、あの失敗があったから、インカレは自分もうまくプレーできたんじゃないかと思っています」

vendrame17.jpgB:インカレの前、リーグ戦でも苦労していましたよね。
「1年のリーグ戦は…本当に泣きそうなくらい辛い時期がありましたね。リーグ戦の途中でスタメンになって、それが正直ものすごくプレッシャーでした。4年生でキャプテンだった狩野さん(2013年度卒・現NBDL東京エクセレンス)の替わりに、僕が入ることになったので。でもそこで不安を見せたら、他の先輩方に失礼だなと思って、思い切りやろうと決めていたんです。けど、ちょうどそんな時期に、練習中、和田直樹さん(2013年度東海大卒・現三井住友銀行)が僕の足を踏んでケガしてしまったんです。そのときは僕、頭が真っ白になりました。『やばい、リーグ期間中なのにケガさせてしまった』って…」

B:その話は、インカレで優勝した後のインタビューでも話していましたね。相当ショックな出来事だったんだなと。
「はい。直樹さんがめちゃくちゃ悔しがっているのを見て、自分はなんてことをしてしまったんだと思いました。しかもその頃、ちょうどリーグ戦で全勝中だったときに、大東文化大に負けたんですよ。それも結構、自分の責任で…。僕が岸本さん(12年度卒・現bj沖縄)にファウルをしなければ、同点のまま延長だったんです。ファウルで止めろとはいわれていたんですけど、シュートファウルになってしまって、フリースローを決められて勝ち越されて、しかも最後のオフェンスも、僕のパスミスで終わってしまいました。あれはキツかったですね」

vendrame16.jpgB:いろいろとショックな出来事が同じ時期に重なったんですね。
「その時期はもう、メンタルがやばかったです。よく分からないですけど、練習が終わった後にシューティングしていたら、知らない間に涙が出てきて…。狩野さんが、『お前なんで泣いとう〜?』みたいにめっちゃ笑顔で聞いてきて、『いや、よく分かんないっす!』って、泣いたこともありましたね(苦笑)」

B:そうだったんですか。そんなつらい時期を乗り越えての、インカレだったんですね。インカレは素晴らしい活躍でした。
「チームの代表で出させてもらっているので、恥じないようなプレーをしようと思っていましたし、不安はたくさんあったんですけど、先輩たちがフォローしてくれて、気持ち良くプレーすることができました。狩野さんや大貴さんもパスを出せば決めてくれる感じだったので、アシスト王にもなれたんだと思います。先輩たちが引っ張ってくれました」

B:優勝したときは、本当にうれしそうでしたね。
「めちゃくちゃ嬉しかったです。すごくホッとしました。直樹さんのこともありましたし。直樹さんはそんなこと全く僕に言わなかったですけど、自分の中ではずっと『ケガさせてしまった』という負い目があったので。直樹さんのためにも、絶対に勝たなければいけないという気持ちでした」

写真上中下:1年のインカレ決勝にて。勝利した後、思い切りの笑顔になり、そのあと涙あふれる表情になった。


学年が上がるにつれて増す影響力と責任感

vendrame11.jpgB:翌年、2年生のときは、勝ち方を知って、自信を持ってプレーしている印象でした。
「主力から狩野さんが抜けたんですが、あまりメンバーも変わらなくて、自信はありました。トーナメントで負けてしまったんですけど、そこでさらに気を引き締めて、気持ちが強くなった感じがあります」

B:ポイントガードというポジションには、2年目、3年目と慣れていった感じでしょうか?
「そうですね。試合を重ねて、自信もついてきたと思います。それに東海は控えに良いガードがたくさんいるので、常に危機感を持ってプレーすることができましたね。特に3年目は藤永さん(2014年度卒・現NBDLアースフレンズ東京Z)、飯島さんたちがいる中でスタメンで出させてもらっていたので、軽い気持ちでは試合に出られないなという思いはいつもありました」

B:陸川監督はベンドラメ選手に対してターンオーバーが課題だといつも言っていましたが、それも2年目、3年目と減ってきましたよね?
「そうですね。でもガードとしてはまだまだ全然未熟ですし、とっさの状況判断がまだまだできない場面があるので、それは今でも課題です」

B:3年生のときは、最後の最後で筑波大に優勝をさらわれましたね。
「あのときは、正直『勝てる』と思っていました。それにたぶん、プレーオフで筑波を勢いづけちゃったんじゃないかなと思います。自分自身、リーグの最後に足を捻ってしまって、プレーオフの青学戦は出ずに、筑波戦に臨んで。そうしたら今までにないくらい絶不調で、ボールは手につかないし、シュートは入る気がしないし…初心者みたいなプレーばかりしてしまいましたね。ギリギリ勝てたんですけど、あの試合で筑波は自信をつけてしまったのかなって。それがマズかったですね」

B:筑波大は東海大への対策でゾーンもいろいろ練習していたようですが。
「相手がゾーンをやってくるという予測はあったんですが、いざその状況になったら、見事にハマってしまいました。1回うまく攻められなかったら、それがそのまま続いて負の連鎖にハマって…。自分もファウルトラブルになってしまって、思うように試合をコントロールできず、すごく反省しています。筑波の試合も何回もビデオを見たんですが、なんでそこでファウルするんだよって自分で思うファウルもあったし、冷静になれなかった自分には悔やみましたね。いろいろ勉強になった試合でした」

vendrame09.jpgB:今年はいよいよ最終学年ですね。1年生の頃から試合に出てきたベンドラメ選手ですが、今年何か心境に変化はありましたか?
「キャプテンになって特に変わったということは無いですけど、やっぱり一番上の学年になって、自分のプレーがチームにどれだけ影響するか、というのは考えるようになりましたね。それだけ最上級生って、影響力のある選手だと思うので。プレーの質だったり正確性だったりは、もっと求めていかなきゃいけないなと思います」

B:トーナメントを見ていても、声はよく出るようになりましたよね。
「声を出すことは意識していますね。去年の藤永さんとかを見ていても、キャプテンが声を出すことってすごくチームに必要だと思ったので。悪い流れの中でも、自分のことばかりになってはいけなくて、チーム全体のことを見なければいけない、というのは意識していますね」

B:春はスタメンに2年生が2人入っていましたし、より下級生を引っ張る役目も大事になりますね。
「はい。特に2年生は今まであまり経験がなくて、いきなり試合に出ることになった感じですし。それぞれすごく良いものは持っているんですけど、経験がない分、力の出し方などまだまだなところはたくさんあると思います。僕自身、不安もありましたけど、でも控えに3年生がいてくれたので、そこは支えられましたね。3年生は、これからの東海を引っ張っていく選手たちだし、結構期待しています。失敗しても良いから思い切り行け、というのは、3年生以下の後輩たちには言っています」

B:今年の3年生はだいぶ頼もしいですよね。
「そうですね。サイズはあまりなくても、良い選手が集まっているので。自分がベンチに戻ったときも、ガードは伊藤(#35)や寺園(#4)がいるので、安心して任せられますね」

vendrame12.jpgB:先ほど、延岡学園でもセカンドチームの存在が大きかったと仰っていましたが、東海大も層が厚くてチーム内の争いが激しいですよね。
「そうですね。言ったら東海大は、他のチームではスタメン張ってもおかしくないような選手たちが、控えにいる。それは、僕の1年生のときからずっとです。チーム内でレベルの高い争いができるのは、本当に良い環境だなと思いますね」

B:この先、リーグ戦やインカレに向けては、どんなところがカギになるでしょうか?
「チームとして、どれだけ成長できるかだと思います。リーグやインカレではケガ人も帰ってくるだろうし、さらにまた競争が激しくなってくると思うので、スタメンもまだどうなるか分かりません。今後も互いに競い合ってやっていきたいなと思いますね。春に、橋本晃佑(#21)と中山(#13)がいない中で優勝できたというのは自信になったんですけど、かといって、『2人が戻ってくるから余裕で勝てるっしょ』みたいなスタンスでいたら、去年のインカレみたいに負けてしまうと思います。そこは気を引き締めて、全勝できるように、チーム全体で戦っていきたいですね。特にリーグ戦を通して2年生のやつらが、成長して自信をつけてくれればいいなと思います」


ディフェンスのポイントは“目”

vendrame19.jpgB:ベンドラメ選手と言えば『ディフェンス』のイメージがあります。守るコツなどを教えてもらいたいのですが。
「パスカットとかは、基本的にパスをするボールマンのことを結構観察します。普通、速攻とかでボールを運んできた人って、周りを見て誰がノーマークか一度確認してから、パスを出すじゃないですか。だから、パッサーがどこを見ているのか目を見ますね。当然僕のことも警戒して見るんですけど、パスをするときに目線が切れるときがあるので、その目線が切れた瞬間に飛び出してカットを狙います。まぁ、ギャンブルっちゃギャンブルですね。慣れると結構カットしやすくなるので、そこは常に狙っています。最近はみんなにバレてきて、思った方にパスしてくれないんですけど(笑)」

B:一度、インカレ決勝で比江島選手がベンドラメ選手をきれいに抜いたとき、『礼生は目を見てディフェンスするから、目でフェイクをした』と言っていましたね。
「あぁ、あれはきれいに抜かれましたね。比江島さんがロールターンしたときに、こっち行くだろうなと思って勘で動いたところを、読まれて、逆を突かれて抜かれました。そういうこともあります(笑)」

vendrame02.jpgB:予測してパスカットする技術は、どこで身に付けたんですか?
「うーん…たぶん、ミニバスから高校まで、結構ゾーンディフェンスが多かったんですよ。ミニバスのときもゾーンプレスを仕掛けていたし、高校のときも3年生のときは基本ゾーンでした。ゾーンディフェンスって、“人”よりも“ポジション”を守る感じじゃないですか。そうなったときに、結構思い切って飛び出せるんですよね。自分が失敗しても、仲間がフォローしてくれますし、ゾーンプレスでダブルチームを仕掛けたら、そこからのパスをカットしやすいので。そこで予測というか、勘みたいなものは結構磨かれたんじゃないかなと思います」

B:なるほど。ではここからはバスケット以外のことを伺いたいと思います。自分はどんな性格だと思いますか?
「うーん、基本的には、明るいと思います」

B:拓殖大の岡本選手にベンドラメ選手のことを聞いたら、話が噛み合ないと言っていました(笑)。何か聞いても、的外れな答えが返ってくると。
「それはたぶん、わざと噛み合わせてないだけです(笑)。基本的に、あいつに何か言われたら、最初は全然関係ないことをテキトーに言い返すので。そのときの、あいつの反応が面白いんです。飛竜とは1年生のときから相部屋で、お互い気を遣わない仲なので、そうなるんだと思います(笑)」

B:仲がいいからこそなんですね。あと、慶應大の黒木選手からは高校時代、天井の電球を外したと思ったら、熱くなっている部分を太ももにくっつけられてびっくりしたという謎のエピソードを聞きました(笑)。
「(笑)。いや、たまたま電球を触ったら『アチッ』ってなったので、(黒木)亮にイタズラしようかなと(笑)。亮って、リアクションが本当に面白いんですよ。ほかにも、僕と飛竜で亮の部屋に隠れて脅かしたり、アイツの布団一式をこっそり僕らの部屋に移動したり。そうすると亮が、毎回良いリアクションしていいツッコミを入れてくれるんです。それで毎日、お腹が痛くなるくらい笑っていましたね」

vendrame03.jpgB:愛すべき存在ですね(笑)。
「そうです。彼、優しいんですよ。僕と飛竜のふざけに、毎回付き合ってくれる(笑)。何してもちゃんと100%で反応を返してくれるので、良いヤツですね。すごい寮生活は楽しかったです」

B:そうなんですね。話を戻しますが、ベンドラメ選手は普段、休みの日は何しているんですか?
「うーん…特に何も…。趣味、見つけたいんですけどね…。出掛けたり、部屋でゴロゴロしたり、あとは基本的に、寮の誰かの部屋にいます」

B:意外と寂しがりやなんでしょうか?
「うーん、でも一人でいるのはつまらないじゃないですか。だから基本、今野(#20)か頓宮(#45)の部屋にいますね(笑)。いつも部屋に戻って一通りグダグダして、リラックスし終わったら、また誰かの部屋に行く感じです。夜に小島(#1)とコンビニに行っておにぎりとか買って、今野の部屋に押し掛けて食べたり。結構普段はグータラな生活かもしれません。バスケットに対する姿勢を、私生活でも出せたらいいのになと、自分でも思うんですけどね(笑)」

B:オンとオフが別なんですね(笑)。では、次に回す人を指名していただけますか?
「ここまで結構話にも出てきたので、岡本飛竜でお願いします」

B:岡本選手は、ベンドラメ選手から見てどんな人ですか?
「飛竜は、高校時代よく泣いていましたね。めっちゃ泣き虫です。あいつ、中学生の頃にJr.NBAに選ばれていたじゃないですか。そのとき、飛竜は背番号が1番が良かったらしくて、でも1番を希望した人が3人くらいいたんです。それでジャンケンして彼は1番になれなかったんですけど、『1番がいい!』みたいにごねて、泣いたらしいです(笑)。それで他の人が1番を譲って、その途端、泣き止んだらしいですね」

B:微笑ましいエピソードですね(笑)。
「それで喜んでベッドの上で飛び跳ねていたら、頭を天井にぶつけて、また泣く、みたいな(笑)。そういうやつです。高校のときも、うまくプレーがいかないとすぐ泣いていました。とにかく、すっごく負けず嫌いですね」

B:なるほど。そのあたりの話も聞いてみましょう。それでは次回は岡本飛竜選手にお話を伺います。ベンドラメ選手、どうもありがとうございました。


◆#0ベンドラメ礼生(べんどらめ れお)
筑紫野中→延岡学園高→東海大
183cm/79kg
・2011 インターハイ優勝(高3)
・2011 国体優勝(高3)
・2011 ウインターカップ優勝(高3)
・2012 トーナメント準優勝
・2012 新人戦優勝(新人王)
・2012 リーグ戦準優勝
・2012 インカレ優勝(アシスト王)
・2013 トーナメント準優勝
・2013 新人戦優勝(優秀選手賞)
・2013 李相佰盃日本代表
・2013 リーグ戦優勝
・2013 東アジア競技大会日本代表
・2013 インカレ優勝
・2014 トーナメント優勝(優秀選手賞)
・2014 李相佰盃日本代表
・2014 日本学生選抜(三菱電機カップ)
・2014 関東学生選抜
・2014 日本代表国際親善試合日本代表(ヤングジャパン)
・2014 リーグ戦優勝(優秀選手賞)
・2014 インカレ準優勝(優秀選手賞)
・2015 トーナメント優勝(最優秀選手賞)
・2015 ユニバーシアード日本代表


(2015.5.30インタビュー)
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています。


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