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第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2015.11.10 (Tue)

【SPECIAL】BOJラインvol.31〜岡本飛竜選手〜

リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.31~拓殖大学・岡本飛竜選手~


151109okamoto00.jpg 選手の指名でリレー形式にインタビューをつなぐ「BOJライン」。第30回の東海大・ベンドラメ礼生選手からバトンを渡されたのは、拓殖大・岡本飛竜選手です。

 延岡学園時代にはシックスマンとして高校3冠に貢献し、拓殖大では今年キャプテンとしてチームを支える岡本選手。池内監督からも主将として絶対的な信頼を寄せられ、今年はリーグ戦も2位という結果を出し、3位の壁を突破。あと少しで優勝というところまでチームも成長しました。主将としてメンバーをしっかりまとめたのみならず、コートでは激しいディフェンスや巧みなボールハンドリングが生み出す1対1など、プレーでも存分に見せてくれました。

 自ら高い目標を持ち、中学生の頃から自分の力で道を切り拓いてきた岡本選手。その歩みの裏には、バスケットボールに対する人一倍の熱意、誰にも負けない努力の日々がありました。また、仲の良い他チームの選手とのエピソードや岡本選手の意外な素顔など、今回も多岐にわたる話題をたっぷりと伺っています。

 31回目のBOJライン、どうぞお楽しみください。


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「とりあえず」で始めたバスケットに夢中に

151109okamoto18.jpgBOJ(以下B):BOJライン、第31回は拓殖大学の岡本飛竜選手です。よろしくお願いします。ベンドラメ選手からの紹介ですが、岡本選手から見て彼はどんな人ですか?
「礼生は本当にすごいなと思うところがたくさんあります。あいつ、延岡学園に入ってきたときは結構無名の選手だったのに、それがどんどんうまくなって、今や世代を代表するスター選手じゃないですか。それはやっぱり、ひたむきな気持ちとか、『うまくなりたい』って貪欲な気持ちがあるからだと思います。今でも変わらず謙虚な気持ちを持っているので、そういうところはすごく尊敬していますね」

B:バスケットボールに対してすごく熱いですよね。性格的には岡本選手から見てどんな人ですか?
「かなり人見知りですけど、仲良くなるとちょっとクレイジーというか…(笑)。よく分からない返しをされて、会話が成立しないです(笑)」

B:その話を事前に聞いていたのでベンドラメ選手に尋ねてみたんですが、彼はわざと会話を成り立たせないと言っていました(笑)。仲が良いからこそそういう反応なんですね。第一印象はどんな感じでしたか?
「延岡に同じ1年生で入ってきたときは、ヒョロヒョロで、身長も小さくて僕よりちょっと大きいくらいでした。まさか今こんなふうになるとは正直思わなかったですね」

B:元チームメイトから見ても驚きの成長を遂げたんですね。それでは本題に入りますが、岡本選手がバスケットを始めたのはいつ頃ですか?
「小学校1年生のときです。本当は野球がやりたかったんですけど、野球は3年生からしか入れなかったんです。それでお姉ちゃんがバスケをやっていたので、とりあえず野球をやるまで入ろうと思って始めました。そしたら、ハマってしまいましたね」

B:お姉さんもバスケをやられていたんですね。
「はい。今は辞めてしまいましたが、高校まではやっていました」

B:出身は鳥取県ですよね。鳥取出身の選手というと、他に誰がいますか?
「プロで言えば、山本エドワードさん(08年度大東文化大卒・現bj島根)が鳥取出身ですね。僕は鳥取の米子市出身なのですが、同じ市内の先輩なんです」

B:ミニバスはどんなチームでしたか?
「僕が下級生の頃は県2位くらいになって、結構強かったんです。でも僕らの代は県大会にギリギリ出られるか、というチームでしたね。練習は週2回で、そんなにガツガツやる感じではなく、楽しくやるチームでした」

B:小学生の頃、身長はどのくらいでしたか?
「それが、小学校1年生のときは学年で1番大きかったんですよ! でも、めっちゃ早く身長が止まってしまって…(苦笑)。6年生になる頃にはもう周りの人たちの方が大きかったので、自分はずっとガードをやっていました。みんなにどんどん抜かれていきましたね」

151109okamoto02.jpgB:それは悲しいですね…。
「はい。でも慣れちゃって、あまり違和感はなかったです(笑)」

B:そこから東山中学校に進みましたが。
「はい。地元の、普通の中学です。ミニバスのみんなもみんなそこに進む感じでしたね」

B:練習は厳しかったんですか?
「いや、本当に普通ですね。強豪校のような厳しさは全くなかったと思います。練習もそんなに多くありませんでしたし。でもそのかわり、毎日夜に社会人バスケの練習に参加させてもらっていたんです。そこで大人の方たちにいろいろ教えてもらえたのは、かなり自分の中で大きかったです」

B:社会人バスケの練習に行っていたんですか。きっかけは何だったんですか?
「中学校1年生か2年生くらいのときに、知り合いから『部活じゃ物足りなかったら来いよ』と誘ってもらったんです。それがきっかけでしたね。本当に週7日、毎日行っていました(笑)」

B:部活に加えて、そうした場で上達したんですね。中学時代の最高成績はどのくらいでしたか?
「自分の代の総体で、県3位になりました。あと1つ勝てば中国大会に出られたんですけど、そこには届かず、負けて引退しましたね」


Jr. NBAで味わった貴重な経験と大きな衝撃

151109okamoto04.jpgB:岡本選手は中学1年、2年生のときに2年連続でJr. NBA(※)に選ばれていますよね。その経緯を教えていただけますか?
「自分が中1のときが日本で初めてのJr. NBAだったので、まだ何も分からなかったんですけど、とりあえず応募して受けてみようと。今振り返っても、あれは大きな転機だったと思います」

※Jr. NBAとは、NBAが2001年から社会貢献活動の一環として開催している育成プログラム。日本では株式会社ジャパンエナジー(現在のJX日鉱日石エネルギー株式会社)の特別共催で「Jr. NBA日本チーム JOMO CHALLENGE」として2006年から3年連続で開催され、中学1~2年生の男子を対象にバスケットボールの指導、アメリカ遠征などを実施した。

B:いろいろな経験が積めたんですね。
「はい。そもそもJr. NBAのテストを受けるまでは僕、水泳や塾も習っていて、それと両立しながらバスケをやっていたんです。でも親から、『(Jr. NBAのテストを)受けるならちゃんと、本気で受けなさい』と言われて、習い事を全部辞めてバスケに集中しました。そこからかなり、バスケに没頭するようになりましたね」

B:そうだったんですか。Jr. NBAの選考はどのように進むのですか?
「応募して、まず書類選考があるんです。自分は身長も小さいし、目立った成績もなかったので、書類で落とされるかなと思ったんですが、なぜか通って。そのあとセレクションを2、3回くらいやって、トライアウトでJOMOの指導者の方がピックするという感じで。そこで運良く最終メンバーに残ることができました」

B:全国区の選手たちに混じってプレーしてみて、どんなことを感じましたか?
「月バスで見た選手もたくさんいて、でもプレーは実際見たことなかったので、本当に一緒にバスケができてワクワクしたし、楽しかったですね」

B:アメリカ遠征も経験したんですよね。
「それは本当に衝撃でした。特に中1で行ったときの相手がめちゃくちゃ強くて、目の前でダンクされたり、ラインのはるか後ろからスリー決められたり…。同じ中学生とは思えなかったです。本当に言葉にならないほどの衝撃でした」

B:Jr. NBAで得たものは、どんなことでしょうか?
「本当にいろいろな経験ができてたくさんのことを学んだんですけど、一番大きかったのは、指導者の方たちに出会えたことです。大山妙子さんとか、萩原美樹子さんとか、楠田香穂里コーチとか…。今でも面倒を見てくれていて、試合に応援に来てくださったり、ご飯に連れて行ってくれたり。いつもいろんなアドバイスをくれるので、本当に感謝しています」

151109okamoto13.jpgB:現在日本体育大で活躍する加藤慧選手(#34)も、Jr. NBAに選ばれていましたね。加藤選手も同じ鳥取出身ですよね?
「そうです。だから今も、あいつの活躍にはすごく刺激を受けています。今でもたまに一緒にバスケしますし。他にもJr. NBAに選ばれていた人が今、大学で結構活躍しているんですよね。1個下の代ですが、満田(筑波大#2)とか寺部(筑波大#76)とか。あとはbjの福岡にいる古賀雷とかもそうです。本当に大きな刺激を受けたし、あの経験は大きかったなと思います」

写真下:日本体育大・加藤選手は昨年からメキメキと頭角を現し、何本ものクラッチシュートでチームを勝ちに導いた、2部を代表する選手。


「自分から売り込んで」強豪・延岡学園へ

151109okamoto09.jpgB:ではここからは高校のお話を伺います。まずどうして延岡学園に進んだのですか?
「自分はJr. NBAに選ばれたと言っても、全国的に全くの無名選手だったので、もちろん有名な高校から声が掛かるわけがなく…。それでも強い高校に行きたいと思っていたので、自分から売り込んだんです。知り合いを通じて連絡を取って、いくつか高校の練習に参加させてもらって。その中に延岡学園があって、たまたま練習でも結構良いプレーが出せて、北郷先生に誘ってもらったのがきっかけですね。ほかの高校とも迷っていたのですが、北郷先生の人柄だったり延岡の先輩たちの優しさだったりを感じて、ここしかないと思って決めました」

B:Jr. NBAに応募したり、自ら強豪校に売り込んだりと、中学生の頃から自分の手で道を切り拓いてきたんですね。その原動力はどこにあるんでしょうか?
「とにかく、挑戦したいという思いは強くありました。自分がどこまで通用するのか、チャレンジしてみて、それを肌で感じてみたいなと。特に鳥取は、バスケもあまり盛んではないし、トップレベルに触れられる機会も少ないじゃないですか。だからそういう高いレベルに飢えていたのかもしれないです」

B:小さい頃から、トップレベルでプレーしたいという夢はあったのですか?
「それはもちろんありました。トップでやりたいと思っていて、そのためにはやっぱり自分で売り込んでいくしかないだろうと考えていました」

B:延岡学園に入学してみて、いかがでしたか?
「練習中から、レベルの高さはすごく感じました。でもそれもまた楽しかったですね。先輩たちも面白い人ばかりで、本当に延岡に入って良かったなと思いました」

B:同学年は、のちに3冠を果たすメンバーになりますね。
「北郷先生も、自分たちの代には入学した頃からかなり期待してくれていました。だから自分たちも、1年生の頃から『9冠』(3年連続3冠)を目標にしていたんです。それは叶いませんでしたが、最後の年に3冠できたことはうれしかったです」

B:1年目から、経験を積ませる意味で1年生も少し試合に出ていましたよね。
「そうですね。永吉さん(13年度青学大卒・現NBL東芝神奈川)たちが3年生で3年生主体のチームでしたが、僕ら1年生も結構ベンチに入れてもらえたんです。『うわー、月バスで見た世界だ!』って自分は思っていましたね(笑)」


ひたすら自主練に励んだ我慢の時期

151109okamoto07.jpgB:1年生のときで、印象に残っている試合はありますか?
「高校に入って最初の遠征が能代カップだったんですが、なぜか調子が良くて、たまたま出番をもらったときに20点くらい取れたんです。それはかなり自分にとっても自信になりました。でもそこで評価してもらったのに、その後の練習で全然うまくいかなくて…。結局1年生のときも2年生のときも、主力としてはほぼ試合に出られなかったので、難しさは感じましたね」

B:我慢の時期が続いたんですね。
「はい。1、2年の試合に出られないときは、(ベンドラメ)礼生と(黒木)亮(慶應大#7)と体育館に残ってひたすら自主練していたんです。でも、あの2人が2年生になってどんどん試合に絡むようになったのに、自分はなかなか出られないままで。それは悔しかったですね」

B:かなり自主練をしていたという話は、まわりの選手からもよく聞きます。
「延学の体育館は結構自由が利くので、練習が終わったら寮に戻って30分で夜ごはんを食べて、すぐ体育館に戻って練習。それを毎日やっていました。朝は、早いときは5時くらいから行っていましたね。とにかく体育館を使える限り練習しようと思っていたので。でも自主練で追い込みすぎて、次の日の練習で疲れから動きのキレが悪くなったりして…先輩たちから『やり過ぎじゃないか』『もっと体を休めろ』と言われることもありました。でもそこは先輩に反抗して休まず練習していました(苦笑)」

B:かなりの“練習の虫”ですね。それは昔からですか?
「うーん、でも特に高校に入ってからですね。試合に出られなかったので、悔しい気持ちとか焦りもありましたし、自主練の必要性は感じていました。特に1年生の能代カップで良い活躍ができた分、それ以降思うようにできない自分が、昔の自分より劣っているんじゃないかとか考えてしまって…。自主練しないと不安になるというか、自分は下手くそな分、練習しなきゃ周りに追い付けないと思っていました」

B:なかなか試合に出られない時期は、自分で何が足りなかったと思いますか?
「単純に実力不足な部分はありました。ただ今思うと、自主練のし過ぎで、肝心の練習でキレのある動きができていなかったのかも知れませんね(苦笑)」


“打倒・スタメン”の思いで切磋琢磨

151109okamoto03.jpgB:高校3年になって、シックスマンで出場機会を得るようになりましたね。
「高3になったら、だんだん自分の持ち味も出せるようになってきたかなと。でも高3のときは、それ以上にスタメン5人が本当に強かったと思います。自分はシックスマンだったので、練習のスクリメージでも常にスタメンを相手にして戦うんですけど、毎回お互いに負けられないという感じで楽しかったですね」

B:ベンドラメ選手も『全国の他のチームよりも、延学のセカンドチームの方がやりにくかった』と言っていました。
「僕たちセカンドメンバーは、礼生たちスタメンをどうやったら倒せるのか常に考えていましたから。それこそ全国のほかのチームのことより、礼生たちに勝つためにはどうすればいいのか意識して練習していました」

B:チーム内での切磋琢磨が3冠につながったんですね。そういえば、かつてこのBOJラインに永吉選手が登場したとき(BOJラインvol.5)、岡本選手たちが高校3年生だったのですが、『今の代は真面目だし3冠も期待できる』と話していました。
「そうなんですか。期待してもらっていたんですね。僕、永吉さん大好きなんですよ。あの人の良いところは、私生活では2個下の僕たちがいじっても大丈夫なくらい優しいのに、コートの中では本当に厳しい。ダメなときはちゃんと叱ってくれたし、そういうところはすごく尊敬しています」

B:良い先輩だったんですね。
「はい。、それに面白い先輩でしたし。永吉さんとのエピソードでよく覚えている話があるんですけど、僕が1年生のときに永吉さんの洗濯係をしていて、あるとき柔軟剤を入れ忘れちゃったんですよ。それでヤバいと思って、洗濯が終わった練習着に上から柔軟剤をかけて、手で刷り込ませたんです。それを洗濯終わりましたって言って永吉さんに渡したら、『お、今日のは良い匂いだな〜』って言われて(笑)。今だから言えますけど、そのときは言えなかったです」

B:(笑)。話を戻しますが、岡本選手はシックスマンとして、どんなことを考えてコートに出ていたんですか?
「自分はディフェンスを頑張って、相手を嫌がらせることが仕事だと思っていました。スタメン5人のディフェンスもすごいんですけど、控えから出る自分はそれ以上に頑張らなきゃいけないなと。ベンチから出る僕が相手にダメージを与えて、そこでたたみ掛けられるように意識していました」

151109okamoto06.jpgB:延岡学園で一番学んだことは何ですか?
「北郷先生の指導を受けられたことが一番大きかったですね。北郷先生って結構プレー面ではフリーランスで自由にやらせてくれるんですけど、気持ちの面でちょっとでも手を抜いたら絶対に怒られるんです。厳しいときはめちゃくちゃ厳しいんですけど、やりたいようにやらせてくれる部分もたくさんありました。例えば、高校だとトリッキーなプレーを嫌う指導者の方も多いと思うんですけど、北郷先生の場合全然オッケーで、むしろ『ああいうときは股を通すんだよ』とか教えてもらうくらい。それが自分のプレースタイルにも合っていたと思いますし、バスケの楽しさみたいなものも学びましたね」

B:延岡学園では寮生活ですよね。それはいかがでしたか?
「寮生活はすごく楽しかったです。2人部屋なんですけど、1年生のときは礼生と、2年生のときは亮と、3年生のときは佐藤友弘という1個下のやつと一緒でした。礼生と一緒に、いつも亮を驚かせていましたね(笑)。あいつ反応がすごく面白いんです」

B:全国大会で対戦して印象に残っている選手はいますか?
「うーん…。スタメンが強すぎて、他チームのことよりもスタメンのことを意識していたんですよね…(笑)。あ、田渡凌(現Dominican University)とは対戦したかったんですけど、京北とは3年間で一度も試合しなかったんです。それは残念でした」

B:富樫勇樹選手(NBL千葉)も同い年ですよね。
「彼はほんとにやばいですね。前から面識はあったんですけど、最近日本に帰ってときに、初めて一緒にバスケしたんですよ。もう、ほんと衝撃を受けました。マッチアップしていて、目の前から消えちゃう感じ。あれはすごい刺激になりました」


大学進学後も、ぶれない姿勢

151109okamoto26.jpgB:ではここから大学の話を伺います。まず拓殖大に進んだ経緯を教えてください。
「延学って、結構拓大に進む先輩が多かったんです。永井オーティスさん(10年度拓殖大卒)とか。それで北郷先生からも『お前のスタイルは拓大に合っているんじゃないか』と言われ、取ってもらえることになりました」

B:実際大学に入って、スタイルに合っているなと感じますか?
「そうですね。拓大のバスケットは、ちょっと延学のスタイルに似ているところがあるので。もちろん大学は体の当たりも強いし技術のレベルも高いですけど、違和感はあまりなかったです」

B:同じ延岡学園から、岩田選手(#29)も一緒に進学しましたね。7年目のチームメイトになるわけですが、岩田選手は岡本選手から見てどんな人ですか?
「岩田は、愛されキャラです(笑)。いじられキャラというか、結構天然というか。あとはプレースタイルも、リバウンドとか泥臭いところを頑張るタイプだと思うんですけど、小学生のときからああいうプレースタイルらしいです」

B:小学生の頃から仕事人タイプなんですね。話を戻しますが、池内監督はもともとシューターですよね。シュートに関して教わることも多いのでは?
「そうですね。シュートはすごく教えてもらいました。たまにマンツーマンで教わることもあって。外のシュートは自分の苦手な部分でもあったので、そこは本当にありがたかったです。今でも気にかけていろいろ言ってくれるので、うれしいですね」

151109okamoto12.jpgB:岡本選手は大学に上がっても、自主練などに一生懸命取り組む姿勢は変わらないですね。
「それはやっぱり延学時代と一緒で、試合になかなか出られないからこそ、地道に練習を一生懸命やることが大事かなと。拓大もかなり体育館の自由が利いて、わりといつでも使えるんです。だからひたすら自主練に励むのみでした」

B:大学では特に他チームの選手とも刺激し合っているようですが。
「そうですね。特に延学出身で同じガードの礼生と寺園(東海大#4)とは、あるときから練習内容や方法をやり取りするようになって、今はよく今日やったワークアウトの動画をLINEで送り合ったり、『こういうメニューがあるよ』って教え合ったりしています。大学が別々になってからは、そうやって情報交換していますね」

写真:1年生のときの新人戦。坊主頭で少しあどけなさが残る雰囲気だったが、タフなディフェンスを見せて会場を沸かせるシーンもあった。


「誰にも負けたくない」4年目に懸ける思い

151109okamoto24.jpgB:上級生になるにつれ、徐々に出番も増えていきましたが。
「だんだん自分のプレースタイルを認めてもらえるようになったのかなと思いますが、でも全然自分の目指すところには届いていません。例えば、ディフェンスをガツガツ当たるのは、絶対に自分のぶらしちゃいけない点なんですけど、ディフェンスで頑張る分、オフェンスがうまくいかなくなってしまうことが多くて。だからもっと足腰を強くして、しっかりジャンプシュートを決められるようにならなければいけないし、スピードも落としたらダメ。オフェンスもディフェンスも、100%の力を出せるようになりたいと思っています。そこが正直、礼生との差なのかなと思うので」

B:今年はキャプテンを務めますが、キャプテンにはどういう経緯で?
「下級生の頃から学年のキャプテンというのがあるんですけど、うちの代は岩田だったので最初は岩田の予定だったんです。でも自分がズバズバ言うタイプだったこともあり、まわりの人が推薦してくれて。それで僕がやることになったんですが、岩田と赤石(#99)も副キャプテンとして支えてくれています」

B:キャプテンは大変ですか?
「いや、全然大変じゃないです。僕は結構ズバズバ言いたいことを言ってしまうんですけど、みんな素直に聞いてくれるし、まわりの人たちもフォローしてくれるので。そういう面ではすごくチームメイトに恵まれたなと感じます」

B:今年のチームは本当にそれぞれの役割を果たすいいチームですね。
「そうですね。今年僕がキャプテンになってから、気持ちの面でもミーティングを結構やってきました。何がありがたいかって、それにみんな付いて来てくれたことですね。素直で真面目なやつが多いので、ありがたいです。悪い部分もちゃんと言えば分かってくれるので。応援席のメンバーとかも声を出してくれるし、そういうのは嬉しいですね」

151109okamoto20.jpgB:リーグ戦は2位で終えました。特に東海大との戦いはとても見応えがありました。1戦目では延長戦で勝ち、2戦目は悔しい内容でしたね。
「1戦目は本当にみんなよくやったなと思います。2戦目は向こうも気持ちの面でガッツリ当たってくるのは分かっていたんですけど、ルーズボールひとつにしても、そこで負けたのかなという感じです。あの試合は相手の勢いに飲まれましたね。向こうはどんどんフレッシュな交代要員が出てきて、それに対応できませんでした。そういう部分で振り回されたなと思います」

B:とはいえ2位というのはここ最近では最高位ですね。※2000年以来
「でも池内さんには優勝できる力があったのに、と言われました。上をまだ目指していかないといけないなと思います。ただ、リーグとしては2敗という状態はこれまで自分は経験したことないですし、勝っていく中で天狗にならずに、ダメなところを確認して試合をしながらどうやって修正していくかということは勉強になりましたね」

B:確かに、印象的だったのは、調子が今ひとつな試合も勝てていたことです。去年ならずるずると負けてしまうようなことも多かったと思いますが、ダメな時も建て直せていたのは強さのひとつだったと思います。
「ダメな日もありましたね。でもとにかく池内さんがポジティブな言葉をかけ続けていてくれました。『お前たちは絶対に逆転できるから』って。本来は自分がそういう言葉をかけないといけないんですけど、池内さんにそこに乗っからせてもらえました。自分としてはネガティブにならないように、みんなが上を向いてプレーできるように姿勢や声かけ、プレー含めて気を付けていました」

B:昨年とは本当に違う印象ですが、何が大きく変わったのでしょう。
「ミーティングのこともそうですが、プレー面で言えば練習前もみんなかなり自主練をするようになりました。これまでなら自主練をしているのは限られた選手で、それ以外のメンバーは時間ギリギリまで来なかったりしたんですが、自主練をする人がかなり増えたんです。意識の面は高くなったと思います。練習前は授業後なので使えるのは30分くらいですが、その短い時間でもやるし、練習後もずっとやっていますね。みんながチームに貢献したいという気持ちだったり、あいつがやってるなら俺もやろう、って自然とそういう風になっていきました」

151109okamoto21.jpgB:チームの自主性が向上したり、自分やみんなの気持ちもついてきて、という部分が今年良くなった部分なんですね。それは去年あまりいい状態ではなかったというチームから、思い描いた姿になったと言えますか?
「なっていますね、完璧に。あとはチームとしてももっと自主練もそうだし、もっとハードワークはできるんじゃないかと思っています」

B:それはインカレも楽しみですね。話は変わりますが、岡本選手と言えばディフェンダーのイメージがあります。それはいつからなんですか?
「高校時代からかなと思います。延学時代、なかなか試合に出られなくて、出られたとしても短いプレイングタイムだったので、そこで自分をアピールするためにはディフェンスでしっかり止めることが一番かなと。それが自然に自分のプレースタイルになった感じです。それに北郷先生にディフェンス面でいろいろ教わったことも大きかったですね。腰を落として、まずは態度とか気持ちとか、勢いで相手をひるませる。そういうディフェンスの基本を教わりました」

B:そうだったんですね。あとはディフェンスに加えて、トリッキーで魅せられる選手だなと。お手本にしている選手などいるんですか?
「うーん、やっぱりNBAのネイト・ロビンソン(ペリカンズ)ですかね。あのサイズ(172㎝)でも、1プレーで流れを変えたり、体を張ったりするところがすごいなと。目指すところですね」

151109okamoto25.jpgB:岡本選手は、SOMECITYでも活躍されていますね。出場のきっかけは何だったんですか?
「最初に出させてもらったのは、NIGHT COLLEGEでした。もともと僕は大学選抜チームの候補にも挙がっていなかったんですが、大垣さん(14年度卒・現富士通)が『飛竜出したらどうですか』って推薦してくれたらしくて。池内さんも理解があるので了解をもらって、それで出させてもらえることになりました」

B:出場してみて、どんなことを感じましたか?
「本当に楽しかったですね。お客さんの盛り上がりもすごいし、洋楽も好きなのでああいう雰囲気はサイコーです。1対1で相手を打ち負かしてやろう、という分かりやすい勝負が、燃えるんですよね。出ている人もバスケに熱い人ばかりで、マッチアップしていて楽しいです」

B:大学バスケとはまた違った雰囲気ですよね。でも観客もかなり印象的だったらしく、 SOMECITYをよく見ている人から「岡本飛竜ってどんな選手!?」とよく尋ねられたましたよ(笑)。
「プレー的にも、求められるものが違うので、その戸惑いは少しありましたね。大学ではとにかくディフェンスからですが、SOMECITYではオフェンス重視なので。それは舞台によって自分の仕事も変わってくるのかなと思いますが、最初は難しかったです」


「オフの前日は死ぬほど追い込む」

151109okamoto27.jpgB:ではここからはバスケ以外のお話を伺います。自分の性格はどんな性格だと思いますか?
「よく人から言われるのは、ぶれないねと。決めたことはやり通すし、悪魔のささやきがあっても断る(笑)。そこは自分の良いところかなと思います」

B:オフの日は何をしているんですか?
「うーん…それこそ、礼生と一緒に代々木でバスケしたり…」

B:オフの日もやっぱりバスケなんですね(笑)。
「オンとオフの切り替えが下手くそなんだと思います(笑)。あとは自分の中で、オフの前日は死ぬほど追い込むって決めているんです。だからオフの日は体が筋肉痛や疲れでバキバキになっているので、普通に休養しますね」

B:地元の鳥取自慢はありますか?
「鳥取の自慢…。えー!? なんだろう。難しいですね(笑)」

B:地元に帰っても、砂丘には行きませんか?
「行きませんね(笑)。まぁ、鳥取は人が温かいと思います。地元に帰ると、みんな『頑張ってるね』とか『月バス見たよ』とか言ってくれて、応援してくれるので。そういうのも、頑張らなきゃって自分のモチベーションになりますね。まだたいした結果も残せてないので、早く胸を張って帰れるような成績を残したいと思っています」

B:地元の人たちの優しさがうれしいですね。では鳥取名物でなくても良いので、岡本選手の好きな食べ物は何ですか?
「モツ鍋ですね。自分、結構自炊が好きなんですよ。高校のときはやっていなかったんですけど、鍋が大好きで、大学で作るようになりました。4年間で鍋は結構作っています。時間があるときは、八王子においしい精肉店があるので、そこでモツを買ってモツ鍋を作りますね。味噌味が好きです」

B:わざわざ精肉店にモツまで買いに行くとは本格的ですね。それは一度食べてみたいです(笑)。では、次にインタビューを回す人を紹介してもらえますか?
「国士館大の原修太でお願いします」

151109okamoto19.jpgB:原選手とはいつから仲良くなったのですか? 下級生の頃は国士館大も2部だったのであまり関わりがないですよね。
「ちゃんと仲良くなったのは、一緒にSOMECITYに出たときからですかね。それからよく話すようになって、オフの日に一緒にワークアウトもしました」

B:岡本選手から見て原選手はどんな人ですか?
「謙虚ですね。あいつも礼生に似ていて、高校まで無名の選手でしたけど、今1部で活躍しているしヤングジャパンとかにも選ばれて、すごいじゃないですか。でもそれを全然鼻にかけず。バスケに対しても熱いし、尊敬しています」

B:そうなんですね。では次回は国士館大の原修太選手にお話を伺います。岡本選手、どうもありがとうございました。

写真下:Tシャツに書いた言葉は「Stay Hungry」。どこまでやってもまだまだ、と常に更に上を見据える岡本選手らしい一言。


◆#1岡本飛竜(おかもと ひりゅう)
東山中→延岡学園高→拓殖大
170cm/67kg
・2007 ジュニアオールスター鳥取県代表
・2008 ジュニアオールスター鳥取県代表
・2011 インターハイ優勝(高3)
・2011 国体優勝(高3)
・2011 ウインターカップ優勝(高3)
・2013 トーナメント3位
・2013 新人戦3位
・2014 トーナメント3位
・2014 リーグ2位(プレーオフ4位)



(2015.8.30、11.1インタビュー)
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています。


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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

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