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2011.11.01 (Tue)
【SPECIAL】BOJラインvol.5~永吉佑也選手~
リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.5~青山学院大学・永吉佑也選手~
選手の交流の輪をたどってインタビューをつなげる「BOJライン」。東海大学・田中大貴選手からバトンを渡されたのは、青山学院大学・永吉佑也選手です。
昨年ルーキーイヤーから青学大の4冠達成という偉業に大きく貢献。永吉選手の加入でハーフコートバスケットが安定したことは、青学大の強さを増した大きな鍵となりました。2年生となった今、コートでますますの存在感を発揮し、今リーグ戦でも連覇を達成しました。
鹿児島で育った永吉選手は、大らかで人懐っこく、天真爛漫とも言える魅力的な人柄を持つ選手。そんな一面が垣間見える第5回BOJライン、どうぞお楽しみ下さい。
BOJ(以下B):第5回は青山学院大学・永吉佑也選手です。よろしくお願いします。田中選手からの指名です。
「この企画(BOJライン)読んでたんですけど、大貴は天傑(青山学院大学#88張本)に回すと思ったんですよね。なんで自分なんですかね?」
B:迷った末に『永吉は面白いから』ということでした。
「いやいやいや! 全然面白い事しゃべれないですから! 全然天傑の方が面白いですよ。まぁ自分は(天傑に)回さないですけど(笑)」
B:(笑)。田中選手とはいつから仲が良いんですか?
「高校の時です。あれ? 中学だったかな? あいつ小浜中ですもんね。そうそう、中学だった気がします。あれ? でも高校かな? 中学の時は名前を知ってただけかも…。あ、多分高校からですね。そう、高校の時に……いや違う、中学の時だ! 絶対中学! 思い出しました。中学からです」
B:間違いないですね?(笑)。中学生の頃に出会ったんですね。
「そうです。エンデバー(※1)があったんですよ。それでたまたま晩飯の時に前に座ってて。その時、“コイツちっちゃいな~ガードかな~”って思ったんですね。でも次の日練習で会ったら案外大きくて!あいつ足長いから、座ってるとちっちゃく見えるんですよ。スタイルいいですよね」
B:確かに(笑)。田中選手は自分の事を、“人見知りで、仲良くならないと自分を出せない”と言っていたんですが、永吉選手から見て田中選手の印象は?
「たぶん自分にもまだ本性出してないんじゃないかな(笑)。あ、でもちょっとずつ出してくれてるかもしれないです。ユニバの時は同じ部屋だったので、ちょくちょく(自分を)出してる感じでしたね。おぉ、カメラが…」(インタビュー中の写真撮影にしばし戸惑う)
B:どうぞ気にせずに(笑)。
「めっちゃ気になります(苦笑)。なんか目の前から撮られると恥ずかしいなぁ…。こう見るとカメラすごい迫力ありますね」
B:(笑)。では本題に入りたいと思います。バスケを始めたのはいつ頃ですか?
「小学校3年生です。お父さんがバスケをやってたので、その影響ですね。でも本当は保育園の頃からずっとバスケやりたかったんですよ。でも親から部活はもう少し小学校に慣れてからにしなさいって言われてて、小学校3年生の春からミニバスのチームに入団しました」
B:お父さんもバスケをやっていたんですね。身長はどのくらいですか?
「そんなに大きくないですよ。178cmとかかな?小さくはないけど、まぁまぁくらいです。でもお母さんが大きいんですよね。174cmくらいあります」
B:その身長はやはり遺伝なんですね。『保育園の頃からバスケがやりたかった』というのはどうしてですか?
「やっぱりお父さんがクラブチームか何かでやってるのを小さい時に見に行って、“やべー! 面白い!”って思ったんです。あとバスケットの服が家にたくさんあったので、そういうのを見てかっこいいなって。そういう単純な理由ですけど、小さい頃からすごくやりたかったんですよね」
B:ミニバスの頃から身長は大きかったんですか?
「大きかったですよ。あと、めっちゃ太ってましたね。ユニフォームがキツすぎてインナーみたいだってよく言われてました。背中でユニフォームがひっかかって降りてこないから、友達に『後ろ下げてー!』って着るのを手伝ってもらうくらい(笑)。もう本当にデブでしたね。小学生の頃は、練習前にとりあえずお腹が空くから近くの肉屋さんに行って、ヒレカツとかチキンとかフライドポテトとか、そういうのを食べてから練習に行ってました」
B:練習中に気持ち悪くなりそうに思いますが(笑)。
「いや、案外大丈夫ですよ? あ、それで身長の話でしたよね。身長は、小学校卒業の時には174cmくらいありました。一学年で7~10cmくらい順調に伸びてましたね」
B:ミニバスは強かったんですか?
「うーん、九州大会は出ました。九州のシステムって鹿児島県の1位が全国大会に行って、2位と3位が九州大会に出るんですよ。九州大会は各県2枠ずつなので。それでうちは鹿児島の3位になって、ギリギリ九州大会に出られた感じですね」
B:九州大会はどうでしたか?
「九州大会に出て、一番最初にあたったのが福岡の長丘中だったんです。で、なんか俺と似てる奴がいる! って思ったら、それが二宮(早稲田大#90)でした。もうあいつ俺とそっくりで、けどちょっと俺より上手くて(笑)。全然歯が立たなかったですね。2Q、3Qで自分は2点しか取れなくて…ボロ負けでした。その後の順位決定戦も全然ダメでしたね。ミニバスの頃のことはあんまり覚えてないんですけど、二宮だけは印象に残ってます」
初めて自分自身を変えた“夏のダイエット作戦”
B:ではここからは中学校の頃の話を伺いたいと思います。部活などで印象に残っているエピソードはありますか?
「中学校は先生も厳しかったし練習もキツかったですね。でもハードに練習してたのになぜか体に変化はあんまり無くて、相変わらずデブだったんですよ。でも夏休み前に先生に怒られたことがきっかけで、その日を境にダイエットを始めたんです。幼いなりに、ご飯食べる量を決めたりして。それで、どうやったら痩せられるやろかと思ってさらに考えて、“腹が減ったらとりあえず牛乳を飲もう”って決めたんです。今考えたら普通に牛乳も太ると思うんですけど、その頃は牛乳って体に良さそうだし、あんまりおいしくないし、痩せるかなぁと(笑)。そしたら、走り込みとか練習の効果もあって、夏の間に10kgくらい痩せたんですよね。それは印象に残ってる思い出です。中学生の時は身長もかなり伸びて3年間で20cmくらい伸びたんですが、今思うとあの時の牛乳のおかげかもしれないです(笑)」
B:それが伸びる秘訣ですか(笑)。
「そうですね(笑)。『なんでそんなに身長伸びたの?』って色んな人によく聞かれるんですよ。上手く説明できませんが、子供の頃に食生活とか色々ちゃんとした生活してるといいのかも。まぁとにかく、中学で思い出に残ってるエピソードと言ったらそれですね。自分を変えた最初の出来事が、怒られて中1の夏で痩せたことでした。怒られてというか、“怒ってもらえた”ですよね。感謝してます」
B:話は変わりますが、鹿児島はジュニアオールスターで準優勝を成し遂げてますよね。
「そうですね。自分らの代で準優勝したことはすごく印象に残ってます。あの時に、自分も全国で戦えるんだなって少し手応えを掴みました。決勝は福岡とだったんですけど、やっぱり二宮もいるし、木屋瀬中の園(白鴎大#35)とか玉井(早稲田大#8)もいたし、占部(鹿屋体育大#13)とか…まぁとにかく福岡の連中は、そりゃあもうやっかいでしたよ」
B:福岡の小学生、中学生は上手い子が多いですよね。
「上手いです、ほんとに。違いますよね。やっぱり都会はすごいなぁって思いますもん」
B:そういう印象ですか(笑)。
「そうですよ。九州の中で福岡ってすごい都会ですから。鹿児島の人から見たら、“福岡ってやっぱり都会だから上手いやつ多いんだろうな~”って印象なんですよ。人口多いし。それにあそこって大濠(福岡大大濠高校)とかあるじゃないですか。そういうのを小さい頃から見てると、強くなれるのかなって。比江島さん(※福岡出身)とかもきっとそうですよ」
B:なるほど。では中学卒業後は延岡学園に進みしたが、選んだ理由は?
「最初は鹿児島の高校に行く気満々だったんです。でもジュニアオールスターで準優勝してから色んな高校に注目してもらえるようになって、ある日学校の先生から、県外から色々話が来てるよって言われて。聞いたら、バスケでは夢のような名だたる有名高校ばかりだったんですよ。それで実は、自分の中ではずっとずっと能代に行きたいって憧れがあったんです。高校の名門と言ったら能代というイメージがあったし、結構特別で。でも…、ちょっと遠いなって」
B:確かに(苦笑)。
「はい。あとちょっと寒いし…。一回能代の練習行かせてもらったんですけど、すっごい良い高校で。だから能代に行きたい気持ちはあったんですけどね。でも延学も、練習に行かせてもらったらすっごい雰囲気が良かったんですよ。みんな仲良くて、上下関係も無いし。本当にもう“田舎者の集まり!”みたいな感じで和気あいあいとしてるんですね(笑)。そういう雰囲気に惹かれました。鹿児島の人って、薩摩の土地の特徴として結構上下関係を重んじる部分があるんですが、宮崎にはそういうのもなくて新鮮でした。それで、ジュニアオールスターで同じチームだった川元とか横瀬(関東学院大#81)とかと一緒に練習行ったんですけど、3人で“ここしかなくね!?”って話して。ジュニアオールスターでせっかく一緒に上目指したんだし、もう一回一緒に上を目指そうって話になって、延学を選びました」
“バスケットを楽しむ”という原点回帰
B:高校2年の時にはインターハイで優勝しましたね。
「あの時は、前年ウィンターカップで初戦負けだったし、他にも1年の時は苦しい試合をいっぱいしてきたんです。その苦しさを糧にしてみんなで頑張ったから、獲れた優勝かなと思いますね。前の年も割と下級生主体のチームだったので、学年が1個上に上がっても変わらずやりやすかったし、メンバーがあまり変わらない分、高2のインターハイは割りと他のチームより完成度が高かったと思います」
B:3年間で一番印象に残っている試合は?
「高3のインターハイですね。ほんと悔しかったなぁ、あれは…。インターハイの決勝は、自分の不甲斐ないプレーで負けたようなものですから。だいぶ落ち込みました。もうバスケットしたくないって思ったし。でもそこでやっぱりチームの雰囲気に救われたというか、“バスケットを楽しむ”という原点にもう一回戻れたから、もう一度頑張れたんだと思います」
B:チームのおかげで立ち直れたんですね。
「そうですね。延学って、周りに何もないんですよ。あって、ジャスコとか(笑)。田舎の典型的な高校という感じで、コンビニ行くのも自転車で遠いし、遊ぶ場所なんて全然無いんです。だから部活以外の時間も、暇があったらシューティングとか1対1、2対2、5対5とかやってましたね。みんな本当にバスケットを楽しんでて、遊びでもバスケしてたので、そういう部分が良かったんだと思います」
B:延岡学園にはセネガル人留学生がいますよね。彼らからどんな影響を受けましたか?
「やっぱり毎日練習で自分のことを打ちのめしてくれるというのは、自分の成長にもなったと思いますね」
B:セネガル人留学生は遠い国から来ている分、メンタルの強い選手も多い印象を受けるんですが。
「パプ(10年度関東学院大主将・現bj横浜)は特にすごかったですね。中学校3年生で練習に行った時に、当時高3だったパプにすっごい吹っ飛ばされました(苦笑)。相手が誰であろうと、あの人は本当に真剣にやる人なんですよ! 絶対に手を抜かない。そこは本当に尊敬してますね」
B:パプ選手は本当に気持ちの強い選手ですよね。
「そうですね、考え方もしっかりしてますし。例えばOBとして試合の応援に来てくれたら、たくさんアドバイスしてくれるんです。それはすごく納得出来る部分が多くて。色々話してくれましたね」
B:では、部員との思い出はありますか?
「そうですね…。田舎で遊ぶ所も無いので、寮で鍋をすることが自分たちの中ですごい一大イベントだったんですよ。ジャスコ行って色々ガッツリ買って…とにかく鍋は楽しかったです。まぁ後は結構自分の代とか一個上はやんちゃな学年だったので、書けないような下らないことも(笑)。あ、でも今年優勝したメンバーいるじゃないですか。あいつらはすごい真面目になったらしいんですよ。そこが優勝の秘訣なんでしょうね。だから今年のウィンターは期待してます」
尊敬する先輩の穴を埋め「チームの活力の源に」
B:ここからは大学の話を伺いたいんですが、なぜ青山学院大学を選んだんですか?
「高校の時は、あんまり関東の大学バスケットは見たことなかったんですよね。でも部員の中ですごいバスケマニアなやつがいて、北岡って今拓大のマネージャーやってるやつなんですけど、そいつが試合のDVDを手に入れて自分たちも見たりはしてたかな? あとはBOJさんもチェックしてましたよ!」
B:おぉ、それはどうもありがとうございます。
「まぁそれで、優勝したい、上手くなりたいと思って青学に決めました。長谷川さんに誘われたこともあったし。あ、長谷川さんで思い出したんですが、月バスの付録の冊子で、選手のプレーを解析するコーナーあるじゃないですか。インターハイで優勝した時に、あれで僕のプレーを確か長谷川さんが解析してたんですよね。それを読んだら、プレー云々よりも『この選手は、明るくて性格が良いんですよ!』って書いてあって(笑)。自分的にもプレーの解析を期待してたので、僕の部分だけ書かれてることが主に性格の話でちょっと“えー!?”ってなりました(笑)。最初の長谷川さんのイメージはそれですね」
B:そうだったんですか(笑)。では、何もないという延岡学園から、都会に来て最初はどうでしたか?
「いやーウキウキしてましたよ! 電車で通学したり、買い物にもちょっと電車乗って出かけるぞ、みたいな。東京って色んなところで電車使えるじゃないですか。鹿児島、宮崎だったらそんなの無いですもん。大体チャリンコかな。結構良かったですね…、電車は」
B:(笑)。この2年間で印象に残っている思い出はありますか?
「うーん、思い出というか、とにかく1年生の頃は本当にきつかったですね。特に練習以外のことが。準備、片付け、ペナルティーがもう…」
B:ペナルティーと言えば、マルチ(※2)のクリアには苦心してるようですね。
「いや、僕もたまにはクリア出来るんですよ! コンディションというか、走り込む時期とかの後だといけるんです。でもちょっと日を置いちゃうと『あれ?』みたいな…(苦笑)。でも吉本さん(コーチ)のお蔭で、大学に入ってだいぶ体力つきました」
B:青学大に入学してから、数々の優勝を成し遂げてますが、比江島選手(青学大#56)は勝ち続けると気持ちの面で難しい部分もあると言っていました。永吉選手はどうですか?
「難しいですね。それはうちのチームみんな悩んでる事だと思います。…でも、そんな時こそ楽しまないといけないですよね、本当に。例えば、一つの良いプレーに対してベンチも含めて盛り上がるとか、そういうのがうちのチームはあまりないので、そういうのももう少しあっていいのかなと思います。もっと楽しめる雰囲気が作れればなと思いますね」
B:橋本選手(10年度主将・現JBLアイシン)のような気持ちを表に出す選手が抜けてしまったことも大きいのでは?
「それはありますね。竜馬さんはすごくチームの引き締め役というか、引っ張ってくれる人だったので。だから自分も、今こそチームの活力の源になりたいと思ってます。練習中から声を出してみんなを乗せていきたいです。2年生とか関係なく、先頭に立って盛り上げられるようになりたいですね」
B:畠山選手だったり張本選手だったり、青学大の今の2年生は“先輩たちに負けないぞ!”というガッツがありますよね。
「そうですね。それはすごいあります。下から盛り上げようっていうのは2年生の中でもよく話してて、みんな自覚あるし、頑張ってますね」
B:では、ユニバなど青学以外のバスケットはどうですか? 永吉選手のように日本にはあまり体格負けするような選手がいない場合、他の国と戦って初めて見えてくるものもあると思いますが。
「そうですね。やっぱり新しい発見があったりして楽しいです。パワーで負ける分、技術でカバーしなきゃいけないんだってユニバで感じましたね。あと、ユニバのスタッフって今回は陸さん(東海大・陸川監督)と古田さん(元JBLトヨタ)だったんですが、2人とも自分と同じポジションで以前日本代表として活躍していた選手なので、すごく色んなことを教えてもらえました。それで成長出来たかなと思います」
B:なるほど。では自分自身どんな性格だと思いますか?
「自分は一人っ子なんですけど、それが結構性格に出てるのかな? って思いますね。マイペースなんです。一人で行動するのも割と好きだし。あと、熱しやすく冷めやすいんですよ。例えば、試合中ファウルとかでカッと熱くなったりしても、みんなに言われるとすぐ“ハッ”て正気に戻ります。でもまたすぐカッとなって、すぐ“ハッ”ってなって…(笑)。自分でも波がありすぎると思いますね。でも嫌な事とかすぐ忘れちゃいます。あんまり過去にこだわらないというか、たまにはこだわりますけど大体忘れますね」
B:気持ちの切り替えが上手ということにしましょう(笑)。冒頭で、幼い頃からバスケットに憧れていたという話がありましたが、今現在の永吉選手にとってバスケットとは?
「自分にとってバスケットは、もう生活というか人生というか…そんな感じですね。自分の存在意義です。自分からバスケットを取ったら何も残らないですよ。まぁ本当はそんな人間になっちゃだめだと思うんですけどね(苦笑)。他のいろんな分野にチャレンジしたいって気持ちもあるし。でも今は、バスケットが全てです」
B:では残りのシーズンへの意気込みを。
「なんだろう…勝つっていうとありきたりだからな…(苦笑)。こう、もっと質の高いゲームをしたいですね。ディフェンスももっとハードにやって、それに対応してくる相手にさらにうちが対応して、どんどんレベルアップする感じで。それでインカレでもしっかり優勝して、さらにレベルアップした末に、オールジャパンでJBLを倒したいなと思います」
B:では次に誰にインタビューを回しましょう。
「あぁ! やばい、誰にしよう…。じゃあ石川海斗でどうですか?よし、石川海斗にしましょう。U-18とか李相伯で一緒にやって、仲良いんですよ。一緒にプレーしててすごくやりやすいんですよね。あ、でもガードとして一番やりやすいのは海斗さんですけど、選手として一番尊敬してるガードはやっぱり竜馬さんです。そこは区別しといてください(笑)」
B:やっぱり橋本選手が大好きなんですね(笑)。
「大好きです(笑)。もう尊敬。まぁあんまり竜馬さんの前では言わないですけどね(笑)」
B:石川選手に何を聞いたら面白いですか?
「とりあえずバスケットに対して熱いですよね。あ、あの人って体力が無限なんですよ。高校の時に、それこそ20mシャトルランがあって、みんな150くらいでバテちゃって…あ、自分は150なんて全然行けないですけど(苦笑)。でも彼だけ一人でずーっと走ってるんですよ。『あれ?みんなもう終わったの?』みたいな。170くらいまで走って、終わった後も疲れてなさそうなんです。息とかあんまり切れてないし。やばいですね。その体力はどこから来るのか聞きたいです」
B:それはすごいですね。では次回は日本大学・石川海斗選手にお願いしたいと思います。永吉選手、ありがとうございました。
写真上:李相佰杯にて。2m越えの多い韓国チーム相手に苦戦もしたが1戦目では見事な逆転勝利を収めた。
写真中:Tシャツに書いてくれたのは「人生すべてが勉強」という言葉。
写真下:コメントを書き込む際、軽く書き損じて思わず頭を下げて自己嫌悪に。
◆#25永吉佑也(ながよし ゆうや)
青山学院大学・2年・C
199cm/107kg
※1 日本バスケットボール協会が2002年に始めた一貫指導プログラム。
※2 青学大の代表的な練習メニューの一つ。ノルマのあるシャトルラン。
(2011.10.9インタビュー)
vol.5~青山学院大学・永吉佑也選手~
選手の交流の輪をたどってインタビューをつなげる「BOJライン」。東海大学・田中大貴選手からバトンを渡されたのは、青山学院大学・永吉佑也選手です。
昨年ルーキーイヤーから青学大の4冠達成という偉業に大きく貢献。永吉選手の加入でハーフコートバスケットが安定したことは、青学大の強さを増した大きな鍵となりました。2年生となった今、コートでますますの存在感を発揮し、今リーグ戦でも連覇を達成しました。
鹿児島で育った永吉選手は、大らかで人懐っこく、天真爛漫とも言える魅力的な人柄を持つ選手。そんな一面が垣間見える第5回BOJライン、どうぞお楽しみ下さい。
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小さい頃から憧れだったバスケットボールBOJ(以下B):第5回は青山学院大学・永吉佑也選手です。よろしくお願いします。田中選手からの指名です。
「この企画(BOJライン)読んでたんですけど、大貴は天傑(青山学院大学#88張本)に回すと思ったんですよね。なんで自分なんですかね?」
B:迷った末に『永吉は面白いから』ということでした。
「いやいやいや! 全然面白い事しゃべれないですから! 全然天傑の方が面白いですよ。まぁ自分は(天傑に)回さないですけど(笑)」
B:(笑)。田中選手とはいつから仲が良いんですか?
「高校の時です。あれ? 中学だったかな? あいつ小浜中ですもんね。そうそう、中学だった気がします。あれ? でも高校かな? 中学の時は名前を知ってただけかも…。あ、多分高校からですね。そう、高校の時に……いや違う、中学の時だ! 絶対中学! 思い出しました。中学からです」
B:間違いないですね?(笑)。中学生の頃に出会ったんですね。
「そうです。エンデバー(※1)があったんですよ。それでたまたま晩飯の時に前に座ってて。その時、“コイツちっちゃいな~ガードかな~”って思ったんですね。でも次の日練習で会ったら案外大きくて!あいつ足長いから、座ってるとちっちゃく見えるんですよ。スタイルいいですよね」
B:確かに(笑)。田中選手は自分の事を、“人見知りで、仲良くならないと自分を出せない”と言っていたんですが、永吉選手から見て田中選手の印象は?
「たぶん自分にもまだ本性出してないんじゃないかな(笑)。あ、でもちょっとずつ出してくれてるかもしれないです。ユニバの時は同じ部屋だったので、ちょくちょく(自分を)出してる感じでしたね。おぉ、カメラが…」(インタビュー中の写真撮影にしばし戸惑う)
B:どうぞ気にせずに(笑)。
「めっちゃ気になります(苦笑)。なんか目の前から撮られると恥ずかしいなぁ…。こう見るとカメラすごい迫力ありますね」
B:(笑)。では本題に入りたいと思います。バスケを始めたのはいつ頃ですか?
「小学校3年生です。お父さんがバスケをやってたので、その影響ですね。でも本当は保育園の頃からずっとバスケやりたかったんですよ。でも親から部活はもう少し小学校に慣れてからにしなさいって言われてて、小学校3年生の春からミニバスのチームに入団しました」
B:お父さんもバスケをやっていたんですね。身長はどのくらいですか?
「そんなに大きくないですよ。178cmとかかな?小さくはないけど、まぁまぁくらいです。でもお母さんが大きいんですよね。174cmくらいあります」
B:その身長はやはり遺伝なんですね。『保育園の頃からバスケがやりたかった』というのはどうしてですか?
「やっぱりお父さんがクラブチームか何かでやってるのを小さい時に見に行って、“やべー! 面白い!”って思ったんです。あとバスケットの服が家にたくさんあったので、そういうのを見てかっこいいなって。そういう単純な理由ですけど、小さい頃からすごくやりたかったんですよね」
B:ミニバスの頃から身長は大きかったんですか?
「大きかったですよ。あと、めっちゃ太ってましたね。ユニフォームがキツすぎてインナーみたいだってよく言われてました。背中でユニフォームがひっかかって降りてこないから、友達に『後ろ下げてー!』って着るのを手伝ってもらうくらい(笑)。もう本当にデブでしたね。小学生の頃は、練習前にとりあえずお腹が空くから近くの肉屋さんに行って、ヒレカツとかチキンとかフライドポテトとか、そういうのを食べてから練習に行ってました」
B:練習中に気持ち悪くなりそうに思いますが(笑)。
「いや、案外大丈夫ですよ? あ、それで身長の話でしたよね。身長は、小学校卒業の時には174cmくらいありました。一学年で7~10cmくらい順調に伸びてましたね」
B:ミニバスは強かったんですか?
「うーん、九州大会は出ました。九州のシステムって鹿児島県の1位が全国大会に行って、2位と3位が九州大会に出るんですよ。九州大会は各県2枠ずつなので。それでうちは鹿児島の3位になって、ギリギリ九州大会に出られた感じですね」
B:九州大会はどうでしたか?
「九州大会に出て、一番最初にあたったのが福岡の長丘中だったんです。で、なんか俺と似てる奴がいる! って思ったら、それが二宮(早稲田大#90)でした。もうあいつ俺とそっくりで、けどちょっと俺より上手くて(笑)。全然歯が立たなかったですね。2Q、3Qで自分は2点しか取れなくて…ボロ負けでした。その後の順位決定戦も全然ダメでしたね。ミニバスの頃のことはあんまり覚えてないんですけど、二宮だけは印象に残ってます」
初めて自分自身を変えた“夏のダイエット作戦”
B:ではここからは中学校の頃の話を伺いたいと思います。部活などで印象に残っているエピソードはありますか?
「中学校は先生も厳しかったし練習もキツかったですね。でもハードに練習してたのになぜか体に変化はあんまり無くて、相変わらずデブだったんですよ。でも夏休み前に先生に怒られたことがきっかけで、その日を境にダイエットを始めたんです。幼いなりに、ご飯食べる量を決めたりして。それで、どうやったら痩せられるやろかと思ってさらに考えて、“腹が減ったらとりあえず牛乳を飲もう”って決めたんです。今考えたら普通に牛乳も太ると思うんですけど、その頃は牛乳って体に良さそうだし、あんまりおいしくないし、痩せるかなぁと(笑)。そしたら、走り込みとか練習の効果もあって、夏の間に10kgくらい痩せたんですよね。それは印象に残ってる思い出です。中学生の時は身長もかなり伸びて3年間で20cmくらい伸びたんですが、今思うとあの時の牛乳のおかげかもしれないです(笑)」
B:それが伸びる秘訣ですか(笑)。
「そうですね(笑)。『なんでそんなに身長伸びたの?』って色んな人によく聞かれるんですよ。上手く説明できませんが、子供の頃に食生活とか色々ちゃんとした生活してるといいのかも。まぁとにかく、中学で思い出に残ってるエピソードと言ったらそれですね。自分を変えた最初の出来事が、怒られて中1の夏で痩せたことでした。怒られてというか、“怒ってもらえた”ですよね。感謝してます」
B:話は変わりますが、鹿児島はジュニアオールスターで準優勝を成し遂げてますよね。
「そうですね。自分らの代で準優勝したことはすごく印象に残ってます。あの時に、自分も全国で戦えるんだなって少し手応えを掴みました。決勝は福岡とだったんですけど、やっぱり二宮もいるし、木屋瀬中の園(白鴎大#35)とか玉井(早稲田大#8)もいたし、占部(鹿屋体育大#13)とか…まぁとにかく福岡の連中は、そりゃあもうやっかいでしたよ」
B:福岡の小学生、中学生は上手い子が多いですよね。
「上手いです、ほんとに。違いますよね。やっぱり都会はすごいなぁって思いますもん」
B:そういう印象ですか(笑)。
「そうですよ。九州の中で福岡ってすごい都会ですから。鹿児島の人から見たら、“福岡ってやっぱり都会だから上手いやつ多いんだろうな~”って印象なんですよ。人口多いし。それにあそこって大濠(福岡大大濠高校)とかあるじゃないですか。そういうのを小さい頃から見てると、強くなれるのかなって。比江島さん(※福岡出身)とかもきっとそうですよ」
B:なるほど。では中学卒業後は延岡学園に進みしたが、選んだ理由は?
「最初は鹿児島の高校に行く気満々だったんです。でもジュニアオールスターで準優勝してから色んな高校に注目してもらえるようになって、ある日学校の先生から、県外から色々話が来てるよって言われて。聞いたら、バスケでは夢のような名だたる有名高校ばかりだったんですよ。それで実は、自分の中ではずっとずっと能代に行きたいって憧れがあったんです。高校の名門と言ったら能代というイメージがあったし、結構特別で。でも…、ちょっと遠いなって」
B:確かに(苦笑)。
「はい。あとちょっと寒いし…。一回能代の練習行かせてもらったんですけど、すっごい良い高校で。だから能代に行きたい気持ちはあったんですけどね。でも延学も、練習に行かせてもらったらすっごい雰囲気が良かったんですよ。みんな仲良くて、上下関係も無いし。本当にもう“田舎者の集まり!”みたいな感じで和気あいあいとしてるんですね(笑)。そういう雰囲気に惹かれました。鹿児島の人って、薩摩の土地の特徴として結構上下関係を重んじる部分があるんですが、宮崎にはそういうのもなくて新鮮でした。それで、ジュニアオールスターで同じチームだった川元とか横瀬(関東学院大#81)とかと一緒に練習行ったんですけど、3人で“ここしかなくね!?”って話して。ジュニアオールスターでせっかく一緒に上目指したんだし、もう一回一緒に上を目指そうって話になって、延学を選びました」
“バスケットを楽しむ”という原点回帰
B:高校2年の時にはインターハイで優勝しましたね。
「あの時は、前年ウィンターカップで初戦負けだったし、他にも1年の時は苦しい試合をいっぱいしてきたんです。その苦しさを糧にしてみんなで頑張ったから、獲れた優勝かなと思いますね。前の年も割と下級生主体のチームだったので、学年が1個上に上がっても変わらずやりやすかったし、メンバーがあまり変わらない分、高2のインターハイは割りと他のチームより完成度が高かったと思います」
B:3年間で一番印象に残っている試合は?
「高3のインターハイですね。ほんと悔しかったなぁ、あれは…。インターハイの決勝は、自分の不甲斐ないプレーで負けたようなものですから。だいぶ落ち込みました。もうバスケットしたくないって思ったし。でもそこでやっぱりチームの雰囲気に救われたというか、“バスケットを楽しむ”という原点にもう一回戻れたから、もう一度頑張れたんだと思います」
B:チームのおかげで立ち直れたんですね。
「そうですね。延学って、周りに何もないんですよ。あって、ジャスコとか(笑)。田舎の典型的な高校という感じで、コンビニ行くのも自転車で遠いし、遊ぶ場所なんて全然無いんです。だから部活以外の時間も、暇があったらシューティングとか1対1、2対2、5対5とかやってましたね。みんな本当にバスケットを楽しんでて、遊びでもバスケしてたので、そういう部分が良かったんだと思います」
B:延岡学園にはセネガル人留学生がいますよね。彼らからどんな影響を受けましたか?
「やっぱり毎日練習で自分のことを打ちのめしてくれるというのは、自分の成長にもなったと思いますね」
B:セネガル人留学生は遠い国から来ている分、メンタルの強い選手も多い印象を受けるんですが。
「パプ(10年度関東学院大主将・現bj横浜)は特にすごかったですね。中学校3年生で練習に行った時に、当時高3だったパプにすっごい吹っ飛ばされました(苦笑)。相手が誰であろうと、あの人は本当に真剣にやる人なんですよ! 絶対に手を抜かない。そこは本当に尊敬してますね」
B:パプ選手は本当に気持ちの強い選手ですよね。
「そうですね、考え方もしっかりしてますし。例えばOBとして試合の応援に来てくれたら、たくさんアドバイスしてくれるんです。それはすごく納得出来る部分が多くて。色々話してくれましたね」
B:では、部員との思い出はありますか?
「そうですね…。田舎で遊ぶ所も無いので、寮で鍋をすることが自分たちの中ですごい一大イベントだったんですよ。ジャスコ行って色々ガッツリ買って…とにかく鍋は楽しかったです。まぁ後は結構自分の代とか一個上はやんちゃな学年だったので、書けないような下らないことも(笑)。あ、でも今年優勝したメンバーいるじゃないですか。あいつらはすごい真面目になったらしいんですよ。そこが優勝の秘訣なんでしょうね。だから今年のウィンターは期待してます」
尊敬する先輩の穴を埋め「チームの活力の源に」
B:ここからは大学の話を伺いたいんですが、なぜ青山学院大学を選んだんですか?
「高校の時は、あんまり関東の大学バスケットは見たことなかったんですよね。でも部員の中ですごいバスケマニアなやつがいて、北岡って今拓大のマネージャーやってるやつなんですけど、そいつが試合のDVDを手に入れて自分たちも見たりはしてたかな? あとはBOJさんもチェックしてましたよ!」
B:おぉ、それはどうもありがとうございます。
「まぁそれで、優勝したい、上手くなりたいと思って青学に決めました。長谷川さんに誘われたこともあったし。あ、長谷川さんで思い出したんですが、月バスの付録の冊子で、選手のプレーを解析するコーナーあるじゃないですか。インターハイで優勝した時に、あれで僕のプレーを確か長谷川さんが解析してたんですよね。それを読んだら、プレー云々よりも『この選手は、明るくて性格が良いんですよ!』って書いてあって(笑)。自分的にもプレーの解析を期待してたので、僕の部分だけ書かれてることが主に性格の話でちょっと“えー!?”ってなりました(笑)。最初の長谷川さんのイメージはそれですね」
B:そうだったんですか(笑)。では、何もないという延岡学園から、都会に来て最初はどうでしたか?
「いやーウキウキしてましたよ! 電車で通学したり、買い物にもちょっと電車乗って出かけるぞ、みたいな。東京って色んなところで電車使えるじゃないですか。鹿児島、宮崎だったらそんなの無いですもん。大体チャリンコかな。結構良かったですね…、電車は」
B:(笑)。この2年間で印象に残っている思い出はありますか?
「うーん、思い出というか、とにかく1年生の頃は本当にきつかったですね。特に練習以外のことが。準備、片付け、ペナルティーがもう…」
B:ペナルティーと言えば、マルチ(※2)のクリアには苦心してるようですね。
「いや、僕もたまにはクリア出来るんですよ! コンディションというか、走り込む時期とかの後だといけるんです。でもちょっと日を置いちゃうと『あれ?』みたいな…(苦笑)。でも吉本さん(コーチ)のお蔭で、大学に入ってだいぶ体力つきました」
B:青学大に入学してから、数々の優勝を成し遂げてますが、比江島選手(青学大#56)は勝ち続けると気持ちの面で難しい部分もあると言っていました。永吉選手はどうですか?
「難しいですね。それはうちのチームみんな悩んでる事だと思います。…でも、そんな時こそ楽しまないといけないですよね、本当に。例えば、一つの良いプレーに対してベンチも含めて盛り上がるとか、そういうのがうちのチームはあまりないので、そういうのももう少しあっていいのかなと思います。もっと楽しめる雰囲気が作れればなと思いますね」
B:橋本選手(10年度主将・現JBLアイシン)のような気持ちを表に出す選手が抜けてしまったことも大きいのでは?
「それはありますね。竜馬さんはすごくチームの引き締め役というか、引っ張ってくれる人だったので。だから自分も、今こそチームの活力の源になりたいと思ってます。練習中から声を出してみんなを乗せていきたいです。2年生とか関係なく、先頭に立って盛り上げられるようになりたいですね」
B:畠山選手だったり張本選手だったり、青学大の今の2年生は“先輩たちに負けないぞ!”というガッツがありますよね。
「そうですね。それはすごいあります。下から盛り上げようっていうのは2年生の中でもよく話してて、みんな自覚あるし、頑張ってますね」
B:では、ユニバなど青学以外のバスケットはどうですか? 永吉選手のように日本にはあまり体格負けするような選手がいない場合、他の国と戦って初めて見えてくるものもあると思いますが。
「そうですね。やっぱり新しい発見があったりして楽しいです。パワーで負ける分、技術でカバーしなきゃいけないんだってユニバで感じましたね。あと、ユニバのスタッフって今回は陸さん(東海大・陸川監督)と古田さん(元JBLトヨタ)だったんですが、2人とも自分と同じポジションで以前日本代表として活躍していた選手なので、すごく色んなことを教えてもらえました。それで成長出来たかなと思います」
B:なるほど。では自分自身どんな性格だと思いますか?
「自分は一人っ子なんですけど、それが結構性格に出てるのかな? って思いますね。マイペースなんです。一人で行動するのも割と好きだし。あと、熱しやすく冷めやすいんですよ。例えば、試合中ファウルとかでカッと熱くなったりしても、みんなに言われるとすぐ“ハッ”て正気に戻ります。でもまたすぐカッとなって、すぐ“ハッ”ってなって…(笑)。自分でも波がありすぎると思いますね。でも嫌な事とかすぐ忘れちゃいます。あんまり過去にこだわらないというか、たまにはこだわりますけど大体忘れますね」
B:気持ちの切り替えが上手ということにしましょう(笑)。冒頭で、幼い頃からバスケットに憧れていたという話がありましたが、今現在の永吉選手にとってバスケットとは?
「自分にとってバスケットは、もう生活というか人生というか…そんな感じですね。自分の存在意義です。自分からバスケットを取ったら何も残らないですよ。まぁ本当はそんな人間になっちゃだめだと思うんですけどね(苦笑)。他のいろんな分野にチャレンジしたいって気持ちもあるし。でも今は、バスケットが全てです」
B:では残りのシーズンへの意気込みを。
「なんだろう…勝つっていうとありきたりだからな…(苦笑)。こう、もっと質の高いゲームをしたいですね。ディフェンスももっとハードにやって、それに対応してくる相手にさらにうちが対応して、どんどんレベルアップする感じで。それでインカレでもしっかり優勝して、さらにレベルアップした末に、オールジャパンでJBLを倒したいなと思います」
B:では次に誰にインタビューを回しましょう。
「あぁ! やばい、誰にしよう…。じゃあ石川海斗でどうですか?よし、石川海斗にしましょう。U-18とか李相伯で一緒にやって、仲良いんですよ。一緒にプレーしててすごくやりやすいんですよね。あ、でもガードとして一番やりやすいのは海斗さんですけど、選手として一番尊敬してるガードはやっぱり竜馬さんです。そこは区別しといてください(笑)」
B:やっぱり橋本選手が大好きなんですね(笑)。
「大好きです(笑)。もう尊敬。まぁあんまり竜馬さんの前では言わないですけどね(笑)」
B:石川選手に何を聞いたら面白いですか?
「とりあえずバスケットに対して熱いですよね。あ、あの人って体力が無限なんですよ。高校の時に、それこそ20mシャトルランがあって、みんな150くらいでバテちゃって…あ、自分は150なんて全然行けないですけど(苦笑)。でも彼だけ一人でずーっと走ってるんですよ。『あれ?みんなもう終わったの?』みたいな。170くらいまで走って、終わった後も疲れてなさそうなんです。息とかあんまり切れてないし。やばいですね。その体力はどこから来るのか聞きたいです」
B:それはすごいですね。では次回は日本大学・石川海斗選手にお願いしたいと思います。永吉選手、ありがとうございました。
写真上:李相佰杯にて。2m越えの多い韓国チーム相手に苦戦もしたが1戦目では見事な逆転勝利を収めた。
写真中:Tシャツに書いてくれたのは「人生すべてが勉強」という言葉。
写真下:コメントを書き込む際、軽く書き損じて思わず頭を下げて自己嫌悪に。
◆#25永吉佑也(ながよし ゆうや)
青山学院大学・2年・C
199cm/107kg
※1 日本バスケットボール協会が2002年に始めた一貫指導プログラム。
※2 青学大の代表的な練習メニューの一つ。ノルマのあるシャトルラン。
(2011.10.9インタビュー)
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