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2011.12.08 (Thu)
【SPECIAL】BOJラインvol.6~石川海斗選手~
リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.6~日本大学・石川海斗選手~
選手同士の交流の輪を辿ってインタビューをつなぐ「BOJライン」。第5回の青山学院大学・永吉佑也選手からバトンを渡されたのは、日本大学・石川海斗選手です。
3歳からボールをさわり、ドリブルをつき始めたと言う、まさに“バスケットの申し子”とも言えるような石川選手。前回の永吉選手の話にもあるように、バスケットに対してとても熱い選手です。インタビューからは、熱い闘志と冷静さを兼ね備えるメンタリティーが伝わってきます。バスケットの魅力についても改めてお話を伺いました。BOJライン、第6回もお楽しみ下さい。
BOJ(以下B):第6回は日本大学・石川海斗選手です。よろしくお願いします。永吉選手からの紹介ですが、いつから仲が良いのですか?
「佑也とはU-18の時も一緒でしたけど、その前から結構よく喋ってましたね。延岡と明成って色んな大会で結構当たることが多かったですし、一緒の宿舎の時もあったりしたので。あと自分は延学のジャーラ(浜松大#45)と結構仲良くて、その繋がりでちょくちょく話すようになりましたね」
B:石川選手から見て、永吉選手の印象は?
「とりあえずでかいので、あれで向かってこられたら怖いですよね(笑)。でも話してみたら優しいし、接しやすいし、結構挨拶にも来てくれる可愛い後輩ですね」
B:永吉選手が、石川選手のことを「一緒にプレーしていてすごくやりやすい」と言っていました。
「そう言ってくれるんですよ。李相伯の練習で、佑也は自分と同じチームで組みたかったらしいんですけど、なかなかその機会がなくて。同じチームになった時に『やっと来ましたね!やりたかったんです』って言われましたね。そう言ってくれるのは嬉しいです」
B:では本題に入りたいと思います。バスケを始めたのはいつ頃ですか?
「自分は両親がバスケをやっていた関係で、3歳の時からですね。始めたというか、ボールをつき始めたのがそのくらいです。それで4歳の時にミニバスに入りました。なんでバスケなのかというよりは、もう他のスポーツを知る前にいきなりバスケしか無かったというか(苦笑)。物心つく前から連れて行ってもらってた場所が、親がバスケをやってるクラブチームだったんですよね。水泳もやっていたんですけど、自分的にはあまり面白くなくて辞めちゃいました」
B:ミニバスは田渡選手(筑波大#34)と同じチームですよね。強かったというお話を伺いましたが。
「そうです。(田渡)修人君が1個上にいて、だから小さい頃からずっと知ってるんですよね。ミニバスは結構強かったと思います。監督が教え方の上手な方だったので、厳しかったんですけど選手がいっぱい集まってて、関東でも優勝したり全国に行ったり。でも自分は途中で一回他のチームに移って小6の時に戻ってきたので、高学年の時はあまり修人君と一緒にやってないんですよね」
B:中学はどのような感じでしたか?
「中学校はミニバスの先輩たちが結構いっぱいいたので、みんな仲良くしてくれたし、中学に上がったというよりは自然とミニバスのチームで上がったという感じでした。1年生の時から色んな遠征に連れて行ってもらえたことが印象に残ってますね。先輩たちもみんな上手かったので、自分も負けられないなと思ってやってました」
B:ポジションはずっとガードですか?
「そうですね。でも中2まではどちらかと言えば2番という感じでしたし、中3の時はチームメイトがみんな小さかったので3番まで下りました。今の得点力もその時に身につけたのかもしれないですね」
B:全中にも出ていますよね。遠征や全国大会で印象に残っている対戦相手はいますか?
「対戦はしてないんですけど、全国大会で自分たちが試合終わった時に隣のコートに(並里)成さん(現bj沖縄)がいたんです。『なんかやばいやついるな』と思ってたら、後々結構有名な人になったのでよく覚えてますね。成さんとは結構仲良くさせてもらってて、たまに遊びに来てくれると『お前アメリカ行かないの?』とか言われます(笑)。あの人は中学の頃からドリブルがハンパなかったですね」
B:ジュニアオールスターはどうでしたか?
「あまり印象はないんですけど、誰と言うよりは岡山に負けたので岡山というチームが強かったってことは覚えてますね。あとは戦ってはいないですけど、大塚(早稲田大#6)のいる埼玉が結構勝ち残ってたので『頑張れよー』って思ってました。大塚とは小学校の時から知り合いでずっと仲良いんですよ」
B:そうだったんですか。学年もポジションも同じですし、大塚選手とは良きライバルという感じですか?
「そうですね。あっちも認めてくれていると思うし、自分も認めてるので。良いライバルでもあり良い仲間でもあります。本当に仲が良いので、会場で会ったら結構声を掛けに行きますね」
努力で前評判を覆した高校時代
B:ではここから明成高校時代のお話を伺いたいと思います。2期生ということで苦労もあったと思いますが。
「そうですね。1期生も一つ下の3期生も、U-15とか強い中学からそれなりに選手が集まっていたんですが、自分たちの代はそういう選手がいなくて。実際下級生の時から試合に出ている人も少なかったし、自分たちの代になった時に周りからも『今年の明成はヤバいんじゃないか』って言われていたんです。でもそれは自分たちもみんな気付いていることだったし、だからこそ自分たちの代が一番努力したと思いますね。いっぱい怒られてやっている時はキツかったんですけど、後から考えてみれば言われたことも合ってるなと思うし、そういった面ではすごく貴重な経験をさせてもらいました。それでU-18にも入れたし、明成に行って良かったなと思いますね」
B:悩んだ時期はありましたか?
「やっぱり高2から高3に上がる時、当時の3年生が抜けた時が一番悩みましたね。1個上に伊藤駿さん(青山学院大学#7)がいてくれたから、自分も2番ポジションみたいな感じで自由にできてたんです。でも3年生になって初めてちゃんとした1番ポジションをやることになって、(佐藤)久夫先生に求められることも多くなったし、できないことばかりで毎日怒られてその時期は結構悩んでましたね」
B:そこからどう立ち直っていったんですか?
「自分は高校の時まで、静かで声を出さない方だったんですよ。でもやっぱり自分がやりたい事を隠しててもしょうがないと思って、自分の意見を言うようになったんです。久夫先生からも『もっと自分の意見を言ってけ』っていつも言われてましたし。それで少しずつ声を出して自分でこうしたいと言うようになって、少しはチームをまとめられる様になってきて。そうしたら、久夫先生も途中でちょっと認めてくれたかなって感じたんですよね。口では絶対言わないですけど(笑)、雰囲気とかで何となく分かって。その時期は精神的にも一歩成長出来たかなと思います」
B:高3のインターハイでは、残り0秒のフリースローで北陸に敗戦しているんですよね。
「あの時は自分がファウルトラブルで、全然ゲームメイク出来なかったんです。それはめっちゃ怒られたし反省しましたね。でもあの負けがあったから、その年の国体で準優勝できたのかなと思います。北陸(福井)にも延岡(宮崎)にも勝って、あの国体が明成として初めての決勝進出だったのですごく嬉しかったですね。そういうことを振り返ればあのインターハイの負けも、良かったとは言えませんが悪いことばっかりじゃなかったなと思います」
B:明成高校はパッシングなどスタイルが徹底されていると思いますが、3年間で何を得たと思いますか?
「やっぱりパッシングゲームを覚えることで、ドリブルをしなくてもバスケットができるんだということを学べました。それにパッシングゲームって、すごく頭使うんですよ。だからこそ大学に来ても色んなバスケに対応できるのかなと思います。割と明成出身の選手って、大学でも色んな場所で対応できてるしキャプテンをやってる人も多いじゃないですか。だから一番大きいのは頭を使うバスケットを教わった事ですね。最初はきついんですけど、慣れてくると体に染みついてくるんです。もう最後の方は頭で考えるというよりは、『こうなったらこうだ』という風に体が勝手に動くんですよね。時間はかかりましたが反復練習をしていくうちにそれがみんな統一してできるようになりました。久夫先生にも『パッシングゲームが一番できてる代だ』って言ってもらえたので、本当に努力して体に染みつけたのが僕たち2期生だったのかなと思います」
B:卒業後、一つ下の3期生が全国制覇を果たしましたね。応援は行かれたんですか?
「はい、自分はベスト8からずっと応援に行ってました。久夫先生が、次の代が結果を残すのはその一つ上の先輩たちのお蔭だって言ってたんです。後輩たちは先輩たちの背中を見てるから、一個上が良い先輩たちだと次の代も結果を残せるし、悪かったら結果も出ないって。だから自分たちも良い先輩だっだのかな? ってちょっと思いましたね。久夫先生も自分たちが引退して三送会の時に、『今まで見てきた中で一番真面目な学年だった』って言ってくれて本当に嬉しかったし、後輩たちにもそういう姿は見せられたかなと思います。一個下とは一緒にやってきた時間も長かったので、優勝した時は本当に嬉しかったですね。自分たちも久夫先生を日本一にしたいとずっと思っていたので、それを後輩たちが実現してくれて良かったなと思います」
個人の活躍より、チームの勝利が優先
B:ここからは大学でのお話を伺います。大学1年生の時は新人王やリーグ優勝、インカレ優勝などたくさんの事がありましたね。石川選手にとってどんな1年間でしたか?
「1年生の時は最初トーナメントで明治に負けて、自分も出られなくてすごく悔しい思いをしたんです。そこから新人戦に向けて練習していく時期になって。新人戦のチームって、全国を経験してる選手も多くてみんな良い判断とか意見を持ってたいんですけど、新人戦の前までは下級生だからって遠慮してあまり意見も言わなかったんですよ。でも新人戦では意見を言い合ったり自分たちでフォーメーションを作ったりして、それが上手くいってああいう風に良い結果を出すことができました。そしたらその時の4年生が、新人戦の後に『俺たちもそういうバスケットがしたい。どうしたらいい?』って逆に自分たちに相談しに来てくれたんです。大学ってもっと上下関係が厳しいと思ってたんですけど、『何かあったらどんどん言ってくれ』って言ってくれて。良い先輩たちに恵まれたなと思いますね。それからは本当にやってて楽しかったし、学年関係なく言い合える関係を先輩たちが作ってくれたから、リーグもインカレも優勝出来たんだと思います。インカレで優勝した後も、種市さん(09年度卒・現JBLレバンガ北海道)が自分の部屋にわざわざ来て『マジでありがとな』って言ってくれたんですよ。普段そんなこと言う人じゃないのに(笑)。1年間、意見を言って頑張ってきて良かったなって思いましたね」
B:去年は篠山選手(10年度卒・現JBL東芝)の怪我などあってプレータイムも長かったですし、3年生になった今年はメインガードを務めることになりましたね。何を心掛けて試合に出ていますか?
「こういう舞台でプレーしていると、見てる人とか公共のメディアとかに、誰かと比較されることって多いじゃないですか。例えば大塚(早稲田大#6)とも、田渡さん(筑波大#34)とも自分はよく比較されるし。でも自分としては、個人の活躍とか個人賞みたいなタイトルよりも、チームで勝てればいいと思ってるんですよね。どのタイトルが取れなくても、チームが勝てればいいかなって。それは下級生の頃からずっと思ってて、そうやってチームをまとめられるようになりたいと思っていました。それに、勝てる試合っていつもチームで戦えている試合なんですよね。だからいかにチームで戦うかを考えてプレーしてます」
B:個人として今何か課題はありますか?
「怪我してるとかは言い訳にならないので、コンディションが悪くてもシュートの確率はもっと上げていかなきゃなと思います。あとは、攻める時と攻めない時の声をもっと自分が掛けることですかね。止める時は止める、速攻出す時は出すってもっと強弱をしっかりつけられればいいなと思います」
魅せるプレーは海外のゲームにヒントあり
B:話は変わりますが、自分はどんな性格だと思いますか?
「バスケをやっている時は結構強気で負けん気が強いと思うんですけど、バスケをやってない時は本当に静かです(笑)。オンとオフが激しいかもしれませんね。コートに入ると変わるって言われます」
B:石川選手は本当にバスケットに対して熱いですよね。石川選手が思う、バスケットの面白さとは?
「バスケットって一つひとつのプレーで変わっていくので、完璧な答えが無いじゃないですか。そういう面では難しいスポーツだと思うし、難しいからこそ、やってても見てても面白いと思うんですよね。迫力あるプレーもいっぱいあるし、そういうところが面白いですよね」
B:NBAなどバスケの試合のビデオもよく見るそうですね。
「そうですね。やっぱり世界最高峰と言ったらNBAだったりヨーロッパだったりすると思うし、自分たちの代で言ったらリッキー・ルビオ(※1)とか良い選手もいるので、そういうのを結構見たりします。悪い意味ではないんですけど、日本のガードに自分が最初から負けると思ってたら勝てないと思うし、自分が求めるガードは日本で見つけたくないんです。だから見るのは海外の選手が多いですね。多分日本人のガードって丁寧でミスをしないタイプが多いと思うんですけど、自分はどっちかといったら派手な方で、それはいつも見てるものがプレーのそういう所に出ちゃってるのかなと思います」
B:石川選手はそういう魅せるプレーが持ち味だと思いますが、見ている人に特にどこを見てもらいたいですか?
「自分の得意なプレーはスピードだから、まずはそこですね。あと自分は他の選手より小さいので、小さくてもできるんだぞってところを見てもらいたいです。それに皆が思ってもみないようなパスとか、そういう観客を魅了するプレーを見てもらいたいですね。とにかくスピードには自信があります」
B:スピードも勿論ですが、永吉選手から石川選手はすごく体力があるという話を伺いました。その持久力はどこからくるものなんですか?
「もともとあった部分もあるんですけど、中学を引退してからかなり体力は落ちたんですよ。それで明成行った時に『走れるガードじゃないと』って言われて。明成は結構走るチームだし、高校で伸びた部分が大きいと思いますね。走力を上げるとか瞬発力を上げるって練習をしてきた訳じゃないんですけど、明成ってどんなメニューも常に全力でやるので。そうやって手を抜かないプレーをずっとやってきて、自然と体力もついていったんだと思います。それに自分は子供の時から、もともと走ることが好きだったんですよ。今時の子ってテレビゲームとか好きだと思うんですけど、自分はアウトドア派で外で走ったりすることが好きだったんですよね」
B:鬼ごっこをやったら強そうですね。先ほど試合中に応援団の声が聞こえたんですが、「鬼ごっこをしたら捕まらなさそう」と言っていましたよ。
「捕まらないというか、逆にみんなが最初から乗ってこなかったんですよね。だからそういうのをやってもつまらなかったです(笑)」
B:強すぎたんですね(笑)。では次にインタビューを回す人を指名してもらえますか?
「じゃあ拓殖大の長谷川智伸に回します。同い年で仲もいいので」
B:長谷川選手に何を聞いたら面白いですか?
「やっぱりシュートのコツですかね。あいつ本当に嫌なところで決めてくるので(苦笑)。勝負強いですよね。あそこまでスリー入ると、相手としては本当に厄介です。どうしたらあんなに入るのか聞きたいですね」
B:では次回は拓殖大学・長谷川智伸選手にお願いしたいと思います。石川選手、ありがとうございました。
写真下:サインに添えたコメントは「一戦必勝」。
◆#3石川海斗(いしかわ かいと)
日本大学・3年・G
173cm/73kg
※1)スペインのプロバスケットボール選手。14歳11ヶ月24日でプロデビュー、17歳8ヶ月28日という若さでスペイン代表デビューし、北京オリンピックの決勝戦でも史上最年少スタメンを務めた。
(2011.10.22インタビュー)
vol.6~日本大学・石川海斗選手~

3歳からボールをさわり、ドリブルをつき始めたと言う、まさに“バスケットの申し子”とも言えるような石川選手。前回の永吉選手の話にもあるように、バスケットに対してとても熱い選手です。インタビューからは、熱い闘志と冷静さを兼ね備えるメンタリティーが伝わってきます。バスケットの魅力についても改めてお話を伺いました。BOJライン、第6回もお楽しみ下さい。
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物心つく前から触れ合っていたバスケット
「佑也とはU-18の時も一緒でしたけど、その前から結構よく喋ってましたね。延岡と明成って色んな大会で結構当たることが多かったですし、一緒の宿舎の時もあったりしたので。あと自分は延学のジャーラ(浜松大#45)と結構仲良くて、その繋がりでちょくちょく話すようになりましたね」
B:石川選手から見て、永吉選手の印象は?
「とりあえずでかいので、あれで向かってこられたら怖いですよね(笑)。でも話してみたら優しいし、接しやすいし、結構挨拶にも来てくれる可愛い後輩ですね」
B:永吉選手が、石川選手のことを「一緒にプレーしていてすごくやりやすい」と言っていました。
「そう言ってくれるんですよ。李相伯の練習で、佑也は自分と同じチームで組みたかったらしいんですけど、なかなかその機会がなくて。同じチームになった時に『やっと来ましたね!やりたかったんです』って言われましたね。そう言ってくれるのは嬉しいです」
B:では本題に入りたいと思います。バスケを始めたのはいつ頃ですか?
「自分は両親がバスケをやっていた関係で、3歳の時からですね。始めたというか、ボールをつき始めたのがそのくらいです。それで4歳の時にミニバスに入りました。なんでバスケなのかというよりは、もう他のスポーツを知る前にいきなりバスケしか無かったというか(苦笑)。物心つく前から連れて行ってもらってた場所が、親がバスケをやってるクラブチームだったんですよね。水泳もやっていたんですけど、自分的にはあまり面白くなくて辞めちゃいました」
B:ミニバスは田渡選手(筑波大#34)と同じチームですよね。強かったというお話を伺いましたが。
「そうです。(田渡)修人君が1個上にいて、だから小さい頃からずっと知ってるんですよね。ミニバスは結構強かったと思います。監督が教え方の上手な方だったので、厳しかったんですけど選手がいっぱい集まってて、関東でも優勝したり全国に行ったり。でも自分は途中で一回他のチームに移って小6の時に戻ってきたので、高学年の時はあまり修人君と一緒にやってないんですよね」
B:中学はどのような感じでしたか?
「中学校はミニバスの先輩たちが結構いっぱいいたので、みんな仲良くしてくれたし、中学に上がったというよりは自然とミニバスのチームで上がったという感じでした。1年生の時から色んな遠征に連れて行ってもらえたことが印象に残ってますね。先輩たちもみんな上手かったので、自分も負けられないなと思ってやってました」
B:ポジションはずっとガードですか?
「そうですね。でも中2まではどちらかと言えば2番という感じでしたし、中3の時はチームメイトがみんな小さかったので3番まで下りました。今の得点力もその時に身につけたのかもしれないですね」
B:全中にも出ていますよね。遠征や全国大会で印象に残っている対戦相手はいますか?
「対戦はしてないんですけど、全国大会で自分たちが試合終わった時に隣のコートに(並里)成さん(現bj沖縄)がいたんです。『なんかやばいやついるな』と思ってたら、後々結構有名な人になったのでよく覚えてますね。成さんとは結構仲良くさせてもらってて、たまに遊びに来てくれると『お前アメリカ行かないの?』とか言われます(笑)。あの人は中学の頃からドリブルがハンパなかったですね」
B:ジュニアオールスターはどうでしたか?
「あまり印象はないんですけど、誰と言うよりは岡山に負けたので岡山というチームが強かったってことは覚えてますね。あとは戦ってはいないですけど、大塚(早稲田大#6)のいる埼玉が結構勝ち残ってたので『頑張れよー』って思ってました。大塚とは小学校の時から知り合いでずっと仲良いんですよ」
B:そうだったんですか。学年もポジションも同じですし、大塚選手とは良きライバルという感じですか?
「そうですね。あっちも認めてくれていると思うし、自分も認めてるので。良いライバルでもあり良い仲間でもあります。本当に仲が良いので、会場で会ったら結構声を掛けに行きますね」
努力で前評判を覆した高校時代

「そうですね。1期生も一つ下の3期生も、U-15とか強い中学からそれなりに選手が集まっていたんですが、自分たちの代はそういう選手がいなくて。実際下級生の時から試合に出ている人も少なかったし、自分たちの代になった時に周りからも『今年の明成はヤバいんじゃないか』って言われていたんです。でもそれは自分たちもみんな気付いていることだったし、だからこそ自分たちの代が一番努力したと思いますね。いっぱい怒られてやっている時はキツかったんですけど、後から考えてみれば言われたことも合ってるなと思うし、そういった面ではすごく貴重な経験をさせてもらいました。それでU-18にも入れたし、明成に行って良かったなと思いますね」
B:悩んだ時期はありましたか?
「やっぱり高2から高3に上がる時、当時の3年生が抜けた時が一番悩みましたね。1個上に伊藤駿さん(青山学院大学#7)がいてくれたから、自分も2番ポジションみたいな感じで自由にできてたんです。でも3年生になって初めてちゃんとした1番ポジションをやることになって、(佐藤)久夫先生に求められることも多くなったし、できないことばかりで毎日怒られてその時期は結構悩んでましたね」
B:そこからどう立ち直っていったんですか?
「自分は高校の時まで、静かで声を出さない方だったんですよ。でもやっぱり自分がやりたい事を隠しててもしょうがないと思って、自分の意見を言うようになったんです。久夫先生からも『もっと自分の意見を言ってけ』っていつも言われてましたし。それで少しずつ声を出して自分でこうしたいと言うようになって、少しはチームをまとめられる様になってきて。そうしたら、久夫先生も途中でちょっと認めてくれたかなって感じたんですよね。口では絶対言わないですけど(笑)、雰囲気とかで何となく分かって。その時期は精神的にも一歩成長出来たかなと思います」
B:高3のインターハイでは、残り0秒のフリースローで北陸に敗戦しているんですよね。
「あの時は自分がファウルトラブルで、全然ゲームメイク出来なかったんです。それはめっちゃ怒られたし反省しましたね。でもあの負けがあったから、その年の国体で準優勝できたのかなと思います。北陸(福井)にも延岡(宮崎)にも勝って、あの国体が明成として初めての決勝進出だったのですごく嬉しかったですね。そういうことを振り返ればあのインターハイの負けも、良かったとは言えませんが悪いことばっかりじゃなかったなと思います」
B:明成高校はパッシングなどスタイルが徹底されていると思いますが、3年間で何を得たと思いますか?
「やっぱりパッシングゲームを覚えることで、ドリブルをしなくてもバスケットができるんだということを学べました。それにパッシングゲームって、すごく頭使うんですよ。だからこそ大学に来ても色んなバスケに対応できるのかなと思います。割と明成出身の選手って、大学でも色んな場所で対応できてるしキャプテンをやってる人も多いじゃないですか。だから一番大きいのは頭を使うバスケットを教わった事ですね。最初はきついんですけど、慣れてくると体に染みついてくるんです。もう最後の方は頭で考えるというよりは、『こうなったらこうだ』という風に体が勝手に動くんですよね。時間はかかりましたが反復練習をしていくうちにそれがみんな統一してできるようになりました。久夫先生にも『パッシングゲームが一番できてる代だ』って言ってもらえたので、本当に努力して体に染みつけたのが僕たち2期生だったのかなと思います」
B:卒業後、一つ下の3期生が全国制覇を果たしましたね。応援は行かれたんですか?
「はい、自分はベスト8からずっと応援に行ってました。久夫先生が、次の代が結果を残すのはその一つ上の先輩たちのお蔭だって言ってたんです。後輩たちは先輩たちの背中を見てるから、一個上が良い先輩たちだと次の代も結果を残せるし、悪かったら結果も出ないって。だから自分たちも良い先輩だっだのかな? ってちょっと思いましたね。久夫先生も自分たちが引退して三送会の時に、『今まで見てきた中で一番真面目な学年だった』って言ってくれて本当に嬉しかったし、後輩たちにもそういう姿は見せられたかなと思います。一個下とは一緒にやってきた時間も長かったので、優勝した時は本当に嬉しかったですね。自分たちも久夫先生を日本一にしたいとずっと思っていたので、それを後輩たちが実現してくれて良かったなと思います」
個人の活躍より、チームの勝利が優先

「1年生の時は最初トーナメントで明治に負けて、自分も出られなくてすごく悔しい思いをしたんです。そこから新人戦に向けて練習していく時期になって。新人戦のチームって、全国を経験してる選手も多くてみんな良い判断とか意見を持ってたいんですけど、新人戦の前までは下級生だからって遠慮してあまり意見も言わなかったんですよ。でも新人戦では意見を言い合ったり自分たちでフォーメーションを作ったりして、それが上手くいってああいう風に良い結果を出すことができました。そしたらその時の4年生が、新人戦の後に『俺たちもそういうバスケットがしたい。どうしたらいい?』って逆に自分たちに相談しに来てくれたんです。大学ってもっと上下関係が厳しいと思ってたんですけど、『何かあったらどんどん言ってくれ』って言ってくれて。良い先輩たちに恵まれたなと思いますね。それからは本当にやってて楽しかったし、学年関係なく言い合える関係を先輩たちが作ってくれたから、リーグもインカレも優勝出来たんだと思います。インカレで優勝した後も、種市さん(09年度卒・現JBLレバンガ北海道)が自分の部屋にわざわざ来て『マジでありがとな』って言ってくれたんですよ。普段そんなこと言う人じゃないのに(笑)。1年間、意見を言って頑張ってきて良かったなって思いましたね」
B:去年は篠山選手(10年度卒・現JBL東芝)の怪我などあってプレータイムも長かったですし、3年生になった今年はメインガードを務めることになりましたね。何を心掛けて試合に出ていますか?
「こういう舞台でプレーしていると、見てる人とか公共のメディアとかに、誰かと比較されることって多いじゃないですか。例えば大塚(早稲田大#6)とも、田渡さん(筑波大#34)とも自分はよく比較されるし。でも自分としては、個人の活躍とか個人賞みたいなタイトルよりも、チームで勝てればいいと思ってるんですよね。どのタイトルが取れなくても、チームが勝てればいいかなって。それは下級生の頃からずっと思ってて、そうやってチームをまとめられるようになりたいと思っていました。それに、勝てる試合っていつもチームで戦えている試合なんですよね。だからいかにチームで戦うかを考えてプレーしてます」
B:個人として今何か課題はありますか?
「怪我してるとかは言い訳にならないので、コンディションが悪くてもシュートの確率はもっと上げていかなきゃなと思います。あとは、攻める時と攻めない時の声をもっと自分が掛けることですかね。止める時は止める、速攻出す時は出すってもっと強弱をしっかりつけられればいいなと思います」
魅せるプレーは海外のゲームにヒントあり

「バスケをやっている時は結構強気で負けん気が強いと思うんですけど、バスケをやってない時は本当に静かです(笑)。オンとオフが激しいかもしれませんね。コートに入ると変わるって言われます」
B:石川選手は本当にバスケットに対して熱いですよね。石川選手が思う、バスケットの面白さとは?
「バスケットって一つひとつのプレーで変わっていくので、完璧な答えが無いじゃないですか。そういう面では難しいスポーツだと思うし、難しいからこそ、やってても見てても面白いと思うんですよね。迫力あるプレーもいっぱいあるし、そういうところが面白いですよね」
B:NBAなどバスケの試合のビデオもよく見るそうですね。
「そうですね。やっぱり世界最高峰と言ったらNBAだったりヨーロッパだったりすると思うし、自分たちの代で言ったらリッキー・ルビオ(※1)とか良い選手もいるので、そういうのを結構見たりします。悪い意味ではないんですけど、日本のガードに自分が最初から負けると思ってたら勝てないと思うし、自分が求めるガードは日本で見つけたくないんです。だから見るのは海外の選手が多いですね。多分日本人のガードって丁寧でミスをしないタイプが多いと思うんですけど、自分はどっちかといったら派手な方で、それはいつも見てるものがプレーのそういう所に出ちゃってるのかなと思います」
B:石川選手はそういう魅せるプレーが持ち味だと思いますが、見ている人に特にどこを見てもらいたいですか?
「自分の得意なプレーはスピードだから、まずはそこですね。あと自分は他の選手より小さいので、小さくてもできるんだぞってところを見てもらいたいです。それに皆が思ってもみないようなパスとか、そういう観客を魅了するプレーを見てもらいたいですね。とにかくスピードには自信があります」

「もともとあった部分もあるんですけど、中学を引退してからかなり体力は落ちたんですよ。それで明成行った時に『走れるガードじゃないと』って言われて。明成は結構走るチームだし、高校で伸びた部分が大きいと思いますね。走力を上げるとか瞬発力を上げるって練習をしてきた訳じゃないんですけど、明成ってどんなメニューも常に全力でやるので。そうやって手を抜かないプレーをずっとやってきて、自然と体力もついていったんだと思います。それに自分は子供の時から、もともと走ることが好きだったんですよ。今時の子ってテレビゲームとか好きだと思うんですけど、自分はアウトドア派で外で走ったりすることが好きだったんですよね」
B:鬼ごっこをやったら強そうですね。先ほど試合中に応援団の声が聞こえたんですが、「鬼ごっこをしたら捕まらなさそう」と言っていましたよ。
「捕まらないというか、逆にみんなが最初から乗ってこなかったんですよね。だからそういうのをやってもつまらなかったです(笑)」
B:強すぎたんですね(笑)。では次にインタビューを回す人を指名してもらえますか?
「じゃあ拓殖大の長谷川智伸に回します。同い年で仲もいいので」
B:長谷川選手に何を聞いたら面白いですか?
「やっぱりシュートのコツですかね。あいつ本当に嫌なところで決めてくるので(苦笑)。勝負強いですよね。あそこまでスリー入ると、相手としては本当に厄介です。どうしたらあんなに入るのか聞きたいですね」
B:では次回は拓殖大学・長谷川智伸選手にお願いしたいと思います。石川選手、ありがとうございました。
写真下:サインに添えたコメントは「一戦必勝」。
◆#3石川海斗(いしかわ かいと)
日本大学・3年・G
173cm/73kg
※1)スペインのプロバスケットボール選手。14歳11ヶ月24日でプロデビュー、17歳8ヶ月28日という若さでスペイン代表デビューし、北京オリンピックの決勝戦でも史上最年少スタメンを務めた。
(2011.10.22インタビュー)
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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ
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