2016年12月 / 11月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫01月


第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2010.01.03 (Sun)

【2010オールジャパン】1/3 アイシンシーホースVS東海大

王者相手に懸命に挑む
最後まで見せたシーガルスらしさ

アイシンシーホース99(21-18,28-21,28-12,22-15)66東海大学
100103tokai.jpg王者アイシンシーホースに挑んだ東海大。高さとフィジカルで圧倒的に劣るが序盤からゾーンディフェンスを展開。これに学生相手ということで油断も手伝ったか、アイシンはターンオーバーを序盤から連発。東海大はこのミスを速攻につなげ、開始2分半で0-6とリードを奪う。しかし、アイシンは#7グロスの体格を活かしたプレイなどで反撃。それでも東海大は#7遥(3年・PF)のスピードを活かしたドライブや3Pで食らいつく。インサイドで主導権を握れない東海大は、点こそ結びつかなくとも、#17前村(4年・SG)がドライブで翻弄したり、アウトサイドから積極的にシュートに持ち込み速い展開を繰り出す。2Qに入ると、アイシンは#10竹内や#32桜木がインサイドで得点を奪い、早くも10点差をつける。東海大は速攻を繰り出すも、学生のレベルにはない圧倒的な高さやジャンプ力の差によって、決めきれない場面も度々となる。それでも#0満原(2年・C)のノールックパスや#5多嶋(3年・PG)、#7遥の3Pで奮闘し、会場を沸かせて見せる。中でも#17前村はルーズボールや持ち前のスピードを生かしたドライブ、アシストと果敢に攻める姿勢を見せ付ける。東海大の粘りもあり、アイシンはインサイドの得点以外で決め手を見い出せず、波に乗り切れず点差を10点で前半を終える。

力の差が如実となったのは3Q、アイシンは前半不調のアウトサイドが当たりだす。まずは#3柏木のミドルショットに、#22網野が連続3P。さらには#7グロスが内外に得点。東海大も#24古川(4年・SF)がアウトサイドやドライブで反撃するも、アイシンの攻撃を抑えきれず、点差は徐々に開き20点差となる。それでも東海大は学生らしさを失わず、最後までリバウンドやルーズボールに飛び込み、諦めの様子は見せない。最終的には33点差の大敗となったものの、シーズンを締めくくる試合として、東海大の魂を表現したすがすがしい試合に会場からは健闘を讃える拍手が巻き起こった。

写真:最後に観客席に挨拶する東海大。左から大塚、一人おいて嶋田、石井、鮫島、前村。もう一人古川を含めた6人の4年生たちは最後まで彼ららしく戦った。

※東海大・前村選手、古川選手、嶋田選手、大塚選手のインタビューは「続きを読む」へ。

[続きを読む]

「全てコートに置いてこられたのは良かった」
受け継がれる“シーガルス”の魂

◆#17前村雄大(東海大・4年・SG・主将)
100103maemura.jpgインカレ終了後に前村は「JBLのチームをぶっ潰すことが次の目標」と笑いながらも真剣に答えた。言葉面だけを読み取れば、ただの生意気な大学生の言葉でしかない。しかし、どんなに相手が格上だろうが、真剣に勝負にこだわり、自分たちのスタイルが通用するという絶対的な自信があるからこその言葉なのである。
前村はキャプテンとして“シーガルス”らしさを先頭に立って表現しようとし続けた。
“シーガルス”らしさ、それはディフェンスに手を抜かずに、ブレイクを出すといったバスケットの戦術におけるものだけでなく、諦めが悪く、泥臭く、楽しく元気に学生らしく必死に観ている者に感動を与えるようなプレイをすることである。
30点差以上の大敗でもそれを表現した。その証拠が会場からの惜しみない拍手や歓声である。最後に前村はすがすがしい表情で言った。「今は自信を持って“シーガルスらしいチームになりました”って言えますね」。


―今の気持ちは。
「4年間終わったなって感じです」

―アイシンと戦った感想は?
「王者と戦える部分っていうのは、うちの走るバスケットで。相手は速さについて行けないと思ったので、そこをやるだけだと思って練習をやってきました。そこをいい具合に走るバスケットができて前半も食らいついていけたので良かったと思います」

―アイシンとの対戦が決まった時はどんな気持ちでしたか?
「アイシンって決まった時は、強いし王者だから“うおっ”っていう気持ちだったんです。でもアイシンのビデオとか見ているとハーフコートバスケットが主だから、逆にうちに勝てる見込みがあるチームなんじゃないかなと。走ればついて来られないと思うし。アイシンに勝ったら、すごい注目されてテレビとかも来たらどうしようかなと、思いながらワクワクしていましたね(笑)」

―チームで走るバスケットが通用したという部分もありますが、個人の能力においてもスピードで通用するっていうことが自信になったのではないですか?
「はい、やっぱりまだ若いので(笑)。そういうところで勝負しないと。ああいうトップレベルでやっている選手たちとやって、個人技でも勝負できたっていうのは自信にもなるし、まだまだ頑張りたいなと思います。最初はすごい高さにブロックとかもされましたけど、抜けるし、シュートまで持ち込めるし、別にやれないこともないので、そこは自分にもすごい自信になりました。ああいう大人の人たちは経験もあって戦い方も知っていて、相手の弱いところをついてきます。ディフェンスでプレッシャーをかけても、最初はきいても、ちゃんと対応してくるし。そういうところは本当に参考になったし、いい経験になりました」

―今日は楽しんでプレイしているのが一番印象的でした。
「そうですね。やっぱり見ている人たちもいっぱいいるし、応援してくれていたので。シュート決めた後にあんなに歓声上がると、僕にやけちゃうんで(笑)。にやけていたら変だなと思ったので、笑顔作るようにはしていました!」

―インカレ終了後にJBLのチームに勝つことが目標とおっしゃっていましたが、どんな雰囲気でこの試合に臨めましたか?
「もう時間も少なかったので、コーチ陣がやることを明確にしてくれて。とことんやるだけ。このオールジャパンに向けてのテーマが“完全燃焼”ってコーチが掲げていて、一回一回の練習も燃え尽きるまで走って。多分相当走ったので、こんな走れるゲームができたんじゃないかなと思います」

―完全燃焼はできましたか?
「そうですね。完全燃焼…やっぱりアイシンに勝ちたかったので、悔いは残ります。だけどすごい東海らしさが出せたので良かったなと。最後に東海らしさが出せて、全てコートに置いてこられたのは良かった。完全燃焼できたと思います!」

―シーズンを締めくくるには最高のゲームでした。
「はい、やっぱり勝ちたかったですけど。でもこうやって戦えるっていうことを見せられたので、来年は後輩がやってくれると思います。自分も次のステップで頑張りたいと思います」

―キャプテンとして、シーズンが終わってみて、最高のチームが作れたんじゃないでしょうか?
「こういうチームになればいいなというものはあったんですけど、いろいろそれたりもあったんですけど、最終的にはすごいまとまっていたし。いろんな人からも応援してもらえたし。学生らしいというか、学生なんですけど(笑)。学生らしさっていう周りにはないものを東海が引っ張って、本当にこの1年間やってきて、最後だから思うんですけど、今は自信を持って“シーガルスらしいチームになりました”って言えますね」

―後輩にはどんな部分を受け継いでほしいですか?
「もう陸さん(陸川監督)の人柄じゃないですけど、明るく楽しく元気よくやって、諦めの悪い最後までボールを追っかけて。飛び込んでまでボールを追いかけて、泥臭い、必死に。今は恰好つけてバスケットをやる人もいるとは思うんですけど、必死になってやる姿を見て、見る人たちも元気をもらうと思うので。そういうところを受け継いでほしいと思います」


最初から最後までエースとしてやり切ったラストゲーム
また新たな挑戦に向け、ステップアップを期す

◆#24古川孝敏(東海大・4年・F)
100103furukawa.jpg自分は、自分。
古川が4年間言い続けた言葉は、時にブレないエースの宣言とも聞こえ、時に頑なに譲らない一言にも聞こえた。
いつも自分を客観的に見つめ、そして自分に課すハードルが高いゆえの言葉だった。
だからこそなかなか満足の言葉も口にしなかったが、ただ1つだけ、仲間とやり切ったことには100%納得の表情を見せた。
彼も他チームの4年生と同じように、高校時代は決して有名というわけではなく、努力してつかんだプレータイムで様々な経験を積んだ。
この4年間の先に。
まだまだ自分のことを未完成という古川が、自分のことを認めて笑顔を見せる日が楽しみだ。


―2年ぶりのJBLチームとの公式戦はいかがでしたか?
「去年はインカレで早々に負けてしまったんですが、今回はこういうチャンスをもらえて、年始のこの時期からバスケットができるのは幸せだなと思います。それともちろん、やるからには負ける気はない。たとえ1%でも可能性があるなら、そこは狙っていきたかったんですが…やっぱりちょっとレベルが違ったかなって感じがあります。でも本当に、最後まで皆走ったし。やりきったかな、と思います」

―前半ついていけていましたが、手ごたえはどうでしたか?
「出だしと3Qの入りはすごく重要なので、意識してやりました。前半を10点差で折り返せた、そこでくらいついていったというのはよかったと思います。後半は能力の差かなと。簡単にリバウンドを取られてしまって。強かったですね」

―アイシンはJBLでも断トツで1位のチームですものね。
「でも、そんなチームととできるというのは言ってみれば僕達だけなわけで、僕自身としてもいい経験をさせてもらいましたし、3年生以下の後輩達も絶対来年につながるんじゃないかなと思います。負けは負けなんですけど、本当にいい経験になりました」

―インカレからここまでというのはどのように持ってきたのですか?
「僕らの土台である“走る”ことをもう1度意識して走り込みをやったりしながら、大学生相手と同じ戦い方では絶対勝てないので相手が嫌がることを対策してきました。と言っても、JBLは走るチームではないので、走って走って、空いたら打って、リバウンドに行っての繰り返しというだけなんですが。それでも本当に残り時間3分のようなプレーを1試合続けようというイメージで臨みました。チャンスは少ないと思ったので、自分も空いたら1on1やシュートを狙おう、ミスとかそんなの一切考えないでやろうと思っていました。実際、(#17前村)雄大とかもドライブで切り込めたし、内容としてはよかったんじゃないかなと思います。できた部分は生かしていければなと。自分もこれで終わりではないので、今回得た経験を生かしてまだまだステップアップしていきたいなと思っています」

―これから同じ舞台に立つチームに、古川選手のよさを見せられましたか?
「うーん、自分の良さって…何なのかあまり考えたことがないのでよくわからないんですよ。あまりインパクトのあるプレーをするわけではないので、どうですかね(苦笑)。これからは周りがスーパースターばかりなので、4年前に大学に入ったときと同じ感じになると思います」

―当時の古川選手にとって東海大でやることは大きな挑戦だったと思います。今、この代を代表する選手になったわけですが、今後JBLでもそんな道を歩いていけそうですか?
「東海に入るときは自分に何かできるとは一切思っていなくて、ただあのすごい先輩たち(入学時、現日本代表の竹内譲次や石崎巧らが4年に在籍)と一緒にやってみて自分はどれくらいなんだろうなと挑戦したかっただけでした。ただ、その結果試合に出られたというのはすごくいい経験になりましたし、今自分がこの場にいるのはあの1年目のおかげだという思いがあります。でも逆にとらえればその時から全く変わっていないとも言えます。もちろん次のステージに行くからには自分も試合に出たいですし、全日本にも入りたいという目標はあるので、そのためにどうするをまた考えていかないといけないですね。自分はあまり考えない人間で、感覚でやってしまうところもあったので、そこは直したいなと思います。自分があのユニフォームを着てコートに立っていることを、まずは身近な目標としてやっていきたいですね」

―色々な経験をした東海での4年間を振り返るとどうですか?
「いやーもう、4年間一緒にやってきた仲間に感謝したいですし、陸さん(陸川監督)に認めてもらえたので東海に来られて1年目から使ってもらえたと思います。大学だけじゃなく4年間色々なところでお世話になった方々への感謝の気持ちを忘れないでいたい。その気持ちを証明するにはやはり上にあがって、プレーで恩返しするしかないなと思います」

―先ほど代表という言葉が出ましたが、将来代表に入ったとき、東海の皆にこういうプレーを見せられたらいいなというものはありますか?
「何かこれというより…僕は僕なので。今のプレーに厚みを付けるというのと、もっと幅を広げるということに取り組んでいきたいです。今までやってきてまだどれも完成していないので。そこをどうやっていくかは自分次第なので、自分に厳しくやっていきたいなと思います」


「4年間楽しく過ごすことができました」
ケガに泣くも、チームの盛り上げ役として引っ張った

◆#29嶋田基志(東海大・4年・C)
100103shimada.jpg「悔いは無い。ただそれだけです」
昨年1年は怪我で棒に振った。その間に、#0満原が加入。嶋田のプレイングタイムは減っていった。だが、だからといってチームに貢献できないわけではない。自分に出来ることは何かを考え、率先して行ってきた。東海大を見てきたファンの方なら分かるだろう。嶋田が、応援団から、ベンチから懸命に声を出しチームメイトを鼓舞している姿を。
コートに出れば1分でも2分でも、たとえコートに出ていなくても、チームのために取り組む。それはこの代の4年生全員が持っていた“能力”の1つだ。それをしっかり発揮できたからこその、冒頭の言葉だと言える。


―試合を終えて。
「悔いは無い。ただそれだけです。チームでやってきたことを全て出し切ったという感じでした」

―アイシンの印象は?
「フィジカルの違いや、その他で本当に及ばないところが多かったです。本当に強かったと思いますし、大学生では通用しないなと感じました」

―インカレが終わってからオールジャパンまで期間がありましたが、その間にしっかりと切り替えはできていましたか?
「はい、出来ていました。練習では走りきることを陸さんから言われていたので、それをずっとやってきていました。この練習が自分にとって最後の練習になったわけですが、とにかく後輩たちに何か残せたらいいなという思いで、今日までやってきました」

―陸川監督のもとで過ごした4年間はいかがでしたか?
「1年の時はとにかくついていくことに必死でしたね。その中でも、陸さんはすごいいい人なので、始めからついていこうという気持ちで頑張って来ました。それが正解だったと思うし、本当に楽しく4年間を過ごすことができました」

―4年間の間にはケガもありましたね。ただ、ケガをしていたときは応援団から声を出していたり、今年もベンチでチームを盛り上げる姿が印象的でした。
「そうですね。ケガしたのは残念ですけど、その分、満原(#0)がやってくれたのでよしとします!ちなみに、僕は声を出すしかないので…(笑)」

―満原選手(#0)が入学してからはプレイングタイムも減ってしまった訳ですが、自分が出たい!という気持ちもあったとは思うのですが。
「もちろんそれはありましたけど、そこは満原の方が上だと思っていますし。だから自分はベンチで盛り上げようと思っていました。満原と代わった時は、1分でも2分でも自分らしいプレーを出せるように心がけてプレーしていました」

―東海大に入学して、成長したことは何かありますか?
「プレーに対して考えるようになりました。高校の時は自分がという感じだったんですが、東海には古川(#24)とかいいシューターがいたので、彼らを生かそうと思っていました」

―では、最後に4年間を共に過ごした仲間と、後輩たちへメッセージをお願いします。
「4年生には、“4年間ありがとう”という気持ちでいっぱいです。後輩には来年、僕たちよりも上にいけるように頑張って下さいと伝えたいです」



「Aチームに上がって活躍するのは夢だった」
最後に目標を達成し、まだ先を求める

◆#46大塚裕土(東海大・4年・SF)
100103otuka.jpg東海大のBチームは独立してチーム運営を行う確固とした組織だ。神奈川県には関東学生連盟とは異なる神奈川リーグもあり、それに参加して年間を通して試合を続け、オールジャパン予選でも毎年神奈川上位に名を連ねる。選手を見渡してみれば、Aチームで通用する選手も多数いる。ただ、Aチームの椅子が限られているというだけだ。
大塚はそんなBチームから上がってきた。しかし、今年Aチームに名を連ねた6名の4年生は、春の好調な時も、リーグ戦で苦しんでいた時も、折りをみて出番を得た。それは彼らが重ねて来た努力を陸川監督が理解し、実力を信頼していたからだろう。最後に昇格した大塚も、春から与えられた出番で確実にシュートを決める場面が目立った。しかし、アウトサイドのみならず本来は3番でありもっと幅広いプレーが可能だ。それを十分見られなかったのが惜しまれるが、まだ可能性を秘めた選手として、自らの道を切り開いていってもらいたい。


-4年間を終えてどのような気持ちですか?
「インカレにかけていたので、そこで負けてしまって大学の一番大きな大会が終わりました。今は気持ち的に何も考えなくても良くなったというか。本当に日本一だけに懸けていたので、何をしたらいいのかオールジャパンでは見えにくかったんですが、JBL相手に挑戦するだけだと思っていてそうした試合ができました」

-東海はBチームにも大勢いて、もちろん4年生もAも含めて大勢いますよね。その中で最後に上がってきたのは努力があったからではないでしょうか?
「努力しているのは自分では分からないというか、実感しにくいものですよね。でも目標があったし、そのためにやるべきことをやっただけです。努力は周りの人が評価してくれるものだと思っていますし、していただけました」

-石崎巧選手(現JBL東芝)や竹内譲次選手(現JBL日立)のいた年に入学した訳ですが、当時はどんな気持ちだったのですか?
「譲次さんたちはもうすごい人たちだという、それだけでしたね」

-自分がいずれAチームにあがって、活躍するというのは?
「それはもちろんありました。本当に夢でした。まさか今年最後の年に自分がAに上がって試合に出られるとは、想像していなかったです。もちろん夢ではあったんですが」

-その中で石井選手(#27)や鮫島選手(#45)がどんどんAチームに上がっていきましたよね。彼らはそれだけの努力をしていると感じましたか?
「頑張っていましたね。でも古川(#24)のようにずば抜けたというものはなかったし、だから彼らと違って自分に何が足りないのだろうと2年や3年の時はずっと考えていましたね。3年になった時に鮫島が上がって、僕の中には実力的に似ていて自分でもありだったんじゃないかという思いはありました。でもそこで腐ってもいけないと思ったのは確かです」

-上がった理由というのは何か思い当たりますか?
「僕はシュートが好きで、長所が何かを考えた時にシュートに一番自信がありました。だからそこを更に伸ばそうと練習をしてきました。4年になる前に陸さんとも話をして、今はAチームに3番が古川しかいない状況だったし、鮫島は3番ですがアウトサイドは古川みたいに入る訳でもない。石井はシュートはあるけれど2番、ガードに近いので3番が必要だということになったのがきっかけになったと思います。Bチームでも神奈川の大会では結果を出していたので、そこだと思います」

-Aチームで1年間やった時間はどんなものでしたか?Bとは違っていた?
「Bとは全然違っていましたね!シーズン始めの3月はAでも試合に絡めたり絡めないメンバーに分かれます。自分はAの中でも下の方でした。でもある意味Aに上がってからやればいいやと考えていたので、そこまで気持ちの面では焦りもなく問題なかったです」

-でもトーナメントあたりから出番を得た時はしっかり決めていましたし、仕事をしている印象がありました。
「なぜAチームに上がったかと言えば、シュートを期待されていた訳ですよね。だからトーナメントの時はシュートを打っていただけですが、それが入っていたのが結果的に良かったと思います」

-この春から、前村選手(#17 )や#5多嶋選手(#5)がバスケットをするのが本当に楽しいと言っていました。それはここしばらくの東海からは出てきたことがなかった言葉なのでいい雰囲気なのだなと思いましたが、感じていましたか?
「4年生の仲がいいので、そこが中心になっていました。Bチームでみんなとやってきたのはもちろん楽しかったですが、Aの経験も本当に楽しかった。特に代々木の舞台でやるのは夢でしたし」

-東海での4年どんなものでしたか?
「大学生はそんなに真面目にやらないのかなと思っていたので、何も知らず入って練習などはキツかったですね。年々真面目にキツくなった感じです(苦笑)」

-次第にキツくなったんですか?
「ルールは元々あったんですが、より厳格になりました。以前はちょっとしたことなら許すということもあったんです。でも去年インカレ2回戦で負けてしまったのもあって、私生活から正すべきなのではという風にミーティングをして変わっていきましたね」

-そこが今年は生きたのでしょうか?
「春はそこが良かったと思います。リーグの時は少しダメな部分も出ましたが、勝っても負けてもインカレのために、というのはあったのでみんな負けても勝ちに執着していましたね」

-リーグからインカレの立て直しは、ベスト4ではありましたが見事でした。来年優勝を目指すために後輩たちには何を伝えますか?
「僕らの下の代はあまり横のつながりがないんですが、そこから仲良くなって騒ぎながらもチームをどうするかを考えて欲しいと思います。自分たちはもともと仲が良くて、その中で真面目に話をして下をどう盛り上げようとか考えて、広げてやってきました。みんな力はあるので、後はコミュニケーションを試合の時以外でもとって欲しいと思います」


関連記事

テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

EDIT  |  23:25  |  その他の試合  |  Top↑
 | BLOGTOP |