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第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2010.01.03 (Sun)

【2010オールジャパン】1/3 慶應義塾大VS三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ

“思い”を抱えた今期のフロントランナー
強さと表現力を追求して駆け抜けた1年が終了

慶應義塾大90(27-26,22-29,15-37,26-20)112三菱電機ダイヤモンドドルフィンズ
100103TANOUE2.jpg慶應義塾大の3回戦の相手は昨年と同じく三菱電機ダイヤモンドドルフィンズとなった。JBLでは順位的に下だがフィジカルの面では外国人選手に加え、帰化選手も使えるとあって学生が戦うには体格的に最も難しい相手の一つだ。慶應大は問題のインサイドで1Qから#岩下がファウルトラブルに追い込まれた。「そういう戦いになることは予想している。それにひっかかる我々が悪い」佐々木HC。手薄なインサイドを苦しめれば学生チームができることは知れている。そこを突かれた形になった。しかし、慶應大の強さはインサイドに頼りきりになっていない部分にある。#5小林、#16二ノ宮が序盤からシュートを沈めると、観客席からは何度も大きな歓声が上がる。だが三菱もゴール下では易々と得点を返し、1Qはなんとか慶應大が点の取り合いを1点制す形となった。2Qも慶應大は相手を簡単に逆転させない動きを見せるが、#3蒲谷らのシュートで逆転を許してしまう。しかし#9二ノ宮のゴール下に切れ込んでのレイアップや#13家治の2本のシュートで前半は1桁の差で終えた。

「3Qをしっかりできないことがこのチームと、そして来年の課題」と言う佐々木HC。1年を通じて慶應大は3Qでパフォーマンスが落ちる傾向から脱却できなかった。それが走り続けなければならないチームが抱える体力的な問題なのか、精神的なものなのかは判断しかねるが、強いチームは3Qにこそ力を発揮するのが定石でもある。インサイドでファウルに行けない苦しい部分も響いて、ディフェンスが緩んだ部分でアウトサイドを決められ、このQで一気に引き離された。1Qから続くフラストレーションのたまる笛に精神的に削られた部分もあった。それでも、最後は立て直した。4Q最後まで#5小林と#9二ノ宮らがアグレッシブに攻め続け、#4田上がバスケットカウントを獲得するレイアップを決めると観客席から大歓声が上がった。三菱電機を脅かすまでにはいたらなかったが、一時は30点に開いた差を20点にまで引き戻す。そして、慶應大のシーズン終了を告げるブザーが鳴り響き、考え続けた1年が終わりを告げた。

100103KEIO.jpg試合終了後、観客席に向かってチームが一礼した。その中で#5小林と#4田上が最後まで、そして誰よりも長く、深々と腰を折っていた。その目に光るものと苦い表情には、多くの感情が入り交じる。あと一歩足りなかったシーズン。けれど、#5小林が最後に言った。「タノ(田上)が出てきてくれて良かった」と。真面目で誠実なミニバス時代からの幼なじみは、気分屋でムラのある小林の一つの支えでもあった。一度はバスケットから遠ざかった田上が大学で開花したからこそ、彼らは2人でチームを背負うことができた。田上の成長がなければ、昨年の優勝も今年の評価もなかっただろう。それぞれは決して完璧ではなかったが、どこかで互いに寄りかかることで助け合いながらこの1年を過ごした。そして完璧ではなかったからこそ、後輩に残してしまった課題を悔いてもいた。だがそう思うのは彼らが考え続けて努力したからだ。慶應大の問い続ける姿勢は他のチームよりも深く、重い。それが「最も学生らしい」と言われる所以でもあり、バスケットだけに止まらず考え続けるからこそ人の心に何かを残す。それを改めて実感させられたシーズン最終戦となった。

写真上:#23ドーソンをかいくぐる田上。高さにひるまず、最後までゴール下へと果敢に攻め込んで行った。
写真下:試合終了時の小林の涙にはいろいろな思いが詰まっていた。

※慶應義塾大・田上選手、小林選手のインタビューは「続きを読む」へ。

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「次につながると思って最後まであがいた」
選手として人として、努力する姿を見せ続けた4年間

◆#4田上和佳(慶應義塾大・4年・主将・F)
100103TANOUE.jpg慶應大は関東1部の中では特異な存在である。実力がものを言う世界で彼らの存在は、バスケットだけに限定されない生き方を貫きながら、強さを得ていくという独自のスタイルによって形成されている。ただ強く、勝ったというだけでは慶應大としては意味がない。勝利だけに甘んじない点では最も“考える”チームと言える。思考力と表現力はトップを目指すスポーツ選手に必ず必要な能力であり、慶應大からトップリーグに進んだ選手は少ないものの、その力をしっかり持っている人間が多いのはこうしたチームカラーによるものだろう。
トーナメント優勝、そしてリーグ、インカレ準優勝は決して下を向く結果ではない。それでも悔いが残るのは、彼らが「強く」、且つ「いいチーム」という二重のハードルを越えようともがいていたからでもある。これを両立するのは相当難しく、また見渡しても実現できているチームはないと言っていい。春から田上はそれを越えようと必死だった。そのために何が必要か考え続けた1年だった。
彼は慶應大で最も努力した選手の一人だ。もう一人の努力家である二ノ宮が彼を刺激した。「能力のある彼があれほど努力しているのだから、自分がさぼれば置いて行かれる」と、練習を続けて頭角を現した。そして主将となってチームを一つにするためにも最後まであがき続けた。し続けることこそが最も難しい。力不足だったと語ったが、何よりも困難な「続ける」という姿勢だけは、後輩にも続くことを願う。


-シーズンを終えて今はどんな気持ちですか?
「長かったですね。本当にこの1年間長かったなというのと、観客席にいた応援してくれたメンバーも含めて、このチームでやれて良かったなと、幸せだったなということですね」

-今年の4年生は昨年と比べるのはいけないとは思いますが、個性も強くて、まとまるかなという心配が先に立っていましたよね。でも思った以上に一つの方向に向かっていけたのではないでしょうか?
「もちろん4年生も一人ひとりがチームの勝ちを願っているということは疑っていません。でもやっぱりもっと突き詰められたのでは、という部分がたくさんあったと思います。そういう気づきを促したりまとまりを高めようということを、いろんなポイントで自分は主将としてアクションを起こしてやってきたつもりです。その姿勢や取り組みに後悔はありませんが、後輩たちや支えてくれた人々みんなに申し訳ないという気持ちが大きいです」

-チームを作って引っ張る上で、一番難しく悩んだところはどこだったのでしょうか?
「一人ひとりがチームというものを作っている訳ですよね。特に慶應は40人以上の人間が常に一緒に行動する。そうした中で、チームが良くなる時だったり安定感が出る時は本当に一人ひとりが考えて行動して、それがチームの方針にぴったり噛み合っている状態の時だと思うんです。でも今年は一人ひとりが考えや姿勢を持ってバスケットに取り組みたいと思えるような環境だったり、下地を作り上げるのが難しかった。そこをいつも考えていたんです。4年の引っ張り方だったり、スタメンの噛み合わせだったりは全てその“下地”の積み上げだと思っています。結局その土台というのが、僕らの場合は薄かったんじゃないかと感じています」

-かつての主将はバスケット技術ではなくて、そうしたチームの形だったり雰囲気を作るのが一番難しいと言っていました。ただ、春には力を得たことと反対に、このままでは慶應大の良さが失われてしまうという心配もしていましたし、だからこそ先輩たちが作ってきた姿勢を受け継ごうとして苦しんでいるのは年間を通して伝わりました。
「佐藤健介さん('02年主将)の試合のDVDを見たんですが、一人ひとりが頑張っているというか、慶應というチームの素晴らしさというのがすごく感じられる試合をしていました。これが“慶應”なんだと。それを今年、4年生のせいで壊すというのが一番怖かった。だからいろいろあがきました。僕なりにはこの1年でその姿勢を形にすることはできなかったんですが、あがいた情けない姿を3年生以下はしっかり見てくれています。それが次につながる材料になると思って、最後まで思い切りあがいてやったので、それもいいかなと今では思っています」

-何が正しかったかという正解はないですよね。田上選手が考え続けていることを感じてはいたし、3年生の思いを聞いて重いとも感じました。佐々木HCも苦しんだ1年だったと思います。ただ、どうすればいいか全員が真剣に考えていたのは確かだと思いますが。
「佐々木先生には気苦労をかけてしまって本当に申し訳ないと思っています。あの人が決して姿勢を崩さずに引っ張っていってくれたので、僕たちは迷わずに進んでこられました。そこには本当に感謝しています」

-次に続く3年生はしっかりしていてまとまっていますよね。
「あいつらはすごくあの代でまとまっていて、努力家で自分たちに厳しくて、素晴らしい代です」

-そうした後輩に何を伝えますか?
「僕らがこの1年で感じた下地づくりに必要なことは、バスケットが楽しいという思いだと思っています。志村さん('04主将・志村雄彦・現bj仙台)も惇志さん('08主将・鈴木惇志)もバスケットを楽しむ人間だったと思います。いろんな壁を乗り越える時、困難に当たった時こそ、あの人たちは楽しんで乗り越えていく姿があった。自分の場合は壁に当たるたびに情けない姿を見せてしまった。そこが後半のチームの伸びに影響したんだと思っています。ただ、3年生は自分に厳しい分、他人にも厳しい部分がある。そこを今度はチームとしてどうあるべきかしっかり考えて欲しい。自分たちがバスケを楽しむとか、後輩がどうやったらバスケを楽しめるのかといった下地を考えた上で、厳しくやるところはしっかり締めて、楽しくさせるところはさせるというメリハリがすごく大事だと思います。楽しいという部分をどういう風に、どこで作るかが大変だと思います。みんなで楽しみつつ、厳しく突き詰めるチームになって欲しいと思います」

-真面目な選手たちですからね。
「そうですね。だからこそやって欲しい。そして僕はこれでバスケットから退きますが、このチームを見守り続けたいと思います」



「目に見えなくても“人としての勝利”を掴んで欲しい」
一人の人間として類い稀な存在感を見せたMIP

◆#5小林大祐(慶應義塾大・4年・副将・F)
100103KOBAYASHIDAISUKE.jpg1年間にリーグとインカレで2度MIP、Most Impressive Playerの称号を手にしたのは、慶應大のOBである2004年の志村雄彦以来の快挙である。スター選手がひしめいた今年の大学界で、小林はそれだけの闘争心と存在感、表現力を示した。なのに、彼はバスケット選手としての自分に重きを置かず、人気にも無頓着だ。なぜなら自分をここまで作り上げたのはバスケットではなく、バスケットを含めた全ての環境のおかげだと認識しているからである。
この先の進路を決めるまでには二転三転し、春には辞める決意もしていた。しかし最後にはバスケットの道を選び、これからも歩いていく。なぜ続ける決心をしたかと言えば、彼がバスケットという世界を自分の内面に加えることによって、人間の幅を広げられたと考えているからである。インタビューでも言っている通り、バスケットが人生なのではなく、人生の中にバスケットがあり、それが自己と他己、そして社会をつなぐ大きな架け橋となったからこその最終決断だった。仮に、バスケットだけしかなかったとしたら、彼はそこで歩みをやめてしまっただろう。
そして後輩にも「バスケットだけで終わって欲しくない」と言う。選手としてストイックに一流を目指すことは尊い。しかし広い世界を知ってなお、上を目指すことこそが人としても選手としても大きく羽ばたけるという暗黙のメッセージだ。
最後まで、彼は誰とも異なる表現を見せて大学を去る。「最も印象に残った選手」という称号にふさわしい人間として。


-引退を迎えていかがですか?
「本当に内容の濃い4年間でした。バスケット云々だけじゃなくて、学生生活、勉強、友達付き合いを含めて本当に充実した4年間でした」

-小林選手は本当に慶應に来たくてたまらなくて来た選手ですよね。
「そうです。本当に行きたかったですね。佐々木先生からお誘いをいただいたのは高2の1月とか2月ぐらいでした。そこで初めて大学という選択肢もあるんだと思いました。最初は専門学校に行こうかと考えてもいたので。でも誘ってもらって行きたかったし、必死で勉強して評定を上げて努力しました」

-受験をサポートするOBに話を聞くと、小林選手の慶應に入りたいという熱意だけは群を抜いていたと聞いています。
「絶対入りたかったですね。1度目のAOは落ちて、他の大学の誘いもあったんです。でも僕は絶対に慶應に行くと思っていたので断りました。AOに2度目落ちれば行くところもなくてどうしようもなかったんですが、運良く受かることができました」

-何が慶應の魅力だったのですか?
「関東でバスケットができるという点も魅力でしたし、すごく伝統がある大学だなというのは知っていました。家の近所にバスケではないですが慶應のOBがいて、ちょくちょく慶應はどういう学校だというのを聞いていたんです。もちろん泰滋さん('06主将・酒井泰滋・現JBL日立)の背中も活躍も見ていましたし、僕は大濠に一般生として入ったのでただバスケットをやるだけじゃなくて、何らかの試練を経てバスケットも勉強もできる場があったらいいなと。僕にはそれが一番合っているなと思ったし、一番重なったのが慶應でした。それは運命だったと思います」

-そうして入学して、思い描いていたようなイメージと同じでしたか?
「そうですね。でもまさか慶應に入ってバスケットを全国トップレベルでできるとは全く考えていませんでした。1年目で準優勝できましたが、それは僕個人にとっては本当に計算外です。先輩が偉大で、たまたまスタメンで出してもらってたまたま成績が残せました。でもそうした成績を思い描いて入ってきた訳ではないんです。バスケットよりも、大学生としてどのような人間形成ができるのかといった部分に期待を持っていました。慶應のバスケットはどうなのか実は全然分かりませんでした。決まった後に、メンバーがいないのに全国上位の結果を残していると聞いて興味を持ちましたし、不思議でした。その後に送っていただいた試合のDVDを見て慶應イズムというか、そういうものを感じることになったんですが」

-AO入試は誰でも入れませんからね。でも勉強もバスケも学生らしくやって勝っていくというのは、昔も小林選手が来てからも変わらないですね。
「そう言われて自分のことを振り返ると、文武両道という意味で小さい頃から環境は良かったかもしれません。ミニバスの先生からは“一に勉強二に勉強、三、四がなくて五にバスケット”と言われていました。その言葉がかなり頭に残っていて、勉強ありきのバスケットだなと感じていました。バスケありきの勉強じゃなくて。また、バスケット面では大濠のコーチをしていた方に指導していただいて、子どもの頃から大濠のバスケを学びました。そういう環境だったから慶應も合っていたし、大濠も含めて環境も良かったですね」

-選手としてはコートに入った瞬間のその闘争心というのは、他に類がないとも思います。どこから生まれてくるものなのですか?闘争心を持った選手が減ってきていると言われる中で、小林選手は強くそれを出せる選手ですし評価されています。
「元々負けず嫌いというのはあります。これは変な考え方かもしれませんが、他のことも頑張っているのにバスケットで負けるのはおかしい、という思いがありました。うまく言えないんですが。他のことで頑張れるのなら、バスケットでも結果を残さないと意味がないというか、そういう感情はずっとありました」

-バスケが後、という考えからああいった姿につながるのが、他の選手とは違っていて意外ですね。普段自分のことをたいしたことがない選手だと言いますが、本当にそう感じているのですか?
「僕は凡人ですよ(笑)。スポーツも苦手だったし不器用だったので、何でもこなせるという姿は一つの憧れでした。そこが勉強ありきのバスケットという考えにつながったりするんだと思います。勉強もやる、バスケもやる、というオールマイティな生き方への憧れというか。プレーでも同じです。フォワードとしてシュートを打てなくなったらどうするか。そうしたらカットインをすればいいと考えました。カットインができなくなったらどうするか。そうしたら次はポストプレーでやればいいという風に、自分の中で意味付けをしてプレーの広がりが連鎖していきました。相手が大きくなればフックを練習したし、成長して行く過程で連鎖性を大事にしたから、幅が広がって評価につながったというのはあると思います」

-確かに、1年生の時から想像もできない選手になったと思います。
「本当に環境ですよね。たまたま環境が良かったというのは大きかったと思います。元々人見知りで人付き合いはすごく苦手でした。人と話す時も目を合わさないし、億劫なタイプ。だからこそオールマイティで何でもできる人はあこがれだし、目指す人生でもありました。バスケットを始めたことで大きかったのは、“家”と“学校”に加えてもう一つ“バスケット”というコミュニティを持てたことです。バスケットをしていなければ家と学校の2つの狭い世界で終わっていたかもしれません。コミュニティが3つに広がったことで、自分を楽にアウトプットできるようになりました。特にこの4年間の大学生活は幅広くいろんなことをやれましたし、充実感のある時間でした」

-そう聞くと、すごく納得できる部分はあります。苦しんだ時期もありましたが、途中から内面が開いていくのを感じました。今年の4年生の中ではいろんな面で表現力も群を抜いていましたし、「慶應に恩返しをする」という言葉も象徴的でした。
「それは、それだけのものを慶應にもらったからですね。いろんないい思いをさせてもらいましたし、本当に慶應に来て良かったし、感謝しているからです。だから後輩たちにはやはりバスケットだけに終わらないで欲しいと思います。バスケットでいくら優れていても、それ以外に人間の成長力だったり人格形成だったり、そういった表に出ない“人間としての勝利”を味わって欲しい。それを可能にできる環境が慶應だと思いますし、たとえ見えなくても全ての人に胸を張れる“内なる勝利”を掴んで欲しい。自分がそんなえらそうなことは言えませんが(苦笑)」

-今年足りなかった部分で後輩に宿題を残してしまいました。伝えるとするならば、何が彼らに必要でしょうか。
「後輩には非常に申し訳なかったです。結果を残せる年だったのに残しきれなかったというのは。ただ、言うならばもう少しプライドを持った方がいいと思います。プライドを持つことで気持ちは驚くほど変わります。独りよがりなプライドではダメなんですが、過程を経てのプライドというか、自分のやったことに自信を持って前に進むことは大事だと思います。だからバスケットに限らずいろんなことに挑戦して欲しい。そしてアウトプットの重要性を認識して欲しいですね」

-最後に、4年間はどうでしたか。
「もう一度こういう4年間を送れと言われてもできないほどの充実感でした。そしてタノ(田上)が(主力として)出てきてくれたのが大きい。ああやって努力の人間がいて、頑張って見せてくれた。幼なじみでもあり、一番仲のいい友達でもあります。彼がいてくれて本当に助かりました。感謝しています」
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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

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