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第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2010.01.03 (Sun)

【2010オールジャパン】1/3 日本大VSレラカムイ北海道

20点差を離されるも終盤は連続速攻で盛り返す
インカレ優勝の力を存分に発揮した日本大

レラカムイ北海道82(16-21,21-6,24-15,21-25)67日本大学
100103kumazawa.jpg1Qは一進一退の攻防となった。レラカムイは#13マラカーのインサイドと#11桜井のダンクで先行。しかし、日本大も#4栗原のバスケットカウントや#15熊澤のリバウンドシュートですかさず同点へと持ち込む。中盤になると、日本大は#9篠山のアシストから#4栗原、さらには#1種市の3Pが決まって逆転に成功。レラカムイも#13マラカーがインサイドでシュートを沈めるも、日本大#21中村が体を張って粘りを見せ、簡単にゴールは許さず。1Qは21-16で日本大がリードを奪って終了。2Qに入ると、レラカムイが高さの利を生かしてオフェンスを展開する。#44テイト、#13マラカーのインサイドで同点へと持ち込み、日本大にタイムアウトを取らせる。その後も、レラカムイは、#13マラカー、#11桜井のバスケットカウントなどでコンスタントに得点を重ねていき、28-23と逆転する。なんとか追いすがりたい日本大だが、2Q残り8分30秒の#4栗原の得点以降、約6分間無得点。その間にレラカムイは点差を広げていく。このQ、6得点しか奪えなかった日本大は37-27と10点を離されて後半を迎えることとなった。

3Q、日本大は#1種市、#4栗原が中心となって得点していくも、レラカムイの高さに阻まれ得点が伸びていかない。逆に、レラカムイはコンスタントに得点を重ね、残り4分には57-37の20点差を開く。なんとか追いすがりたい日本大は、#15熊澤が攻守でチームを引っ張り、終盤にかけては得点の奪い合いに持ち込む。だが、点差はなかなか縮まらず、61-42でレラカムイが19点リードで最終Qへ。4Qで逆転しなければ、シーズン終了。全てを懸けた4Qは、日本大が意地を見せる。司令塔を#9篠山から#3石川へとチェンジ。高さはないが、#3石川はスピード溢れるプレーでレラカムイからボールを奪い、#4栗原が速攻へと繋げる。また、この試合絶好調の#15熊澤が次々とシュートを沈めていき、着々と点差を縮め、残り7分には63-51と12点差まで詰め寄る。レラカムイも#16松井が要所で3Pを決めて日本大を追いつかせないが、終盤にかけては日本大が速い展開でレラカムイを翻弄。また、最後は連続速攻を浴びせる。しかし後一歩及ばず最終スコアは82-67。レラカムイが学生日本一である日本大を下した。

試合後に涙はなかった。やりきったという充実感と、会場からの温かい拍手が彼らを包んでいた。

写真:何度も速攻を決めた熊澤。今期日本大で最も伸びた選手と言える。

※日本大・栗原選手、種市選手、中村選手、上江田選手のインタビューは「続きを読む」へ。

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「チームに恵まれていいチームになった」
4年目で結実した想い

◆#4栗原貴宏(日本大・4年・主将・F)
100103kurihara.jpg最後まで笑ってシーズンを終えた。過去3年間は完全燃焼しきれずに不遇のシーズンだった。その日本大に今年は今までにはない結束、そして笑顔があった。
「どれがあったから、こうなったかっていうのはわからないけど、色んなことがあってよくなったんじゃないかなと思います」と栗原は言う。ルーキー時代には春のトーナメントで優勝は経験したものの、そのときの主力は当時の4年生であった。自分たちの力で新人戦優勝まで後一歩のところまで迫ったが届かなかった。栗原を始め、種市、中村と相次ぐ怪我人で戦力が揃わず満足に戦えないことは毎年のことであった。それでも腐らず、最後の今年に全てを賭けた。その結果勝ち得た栄光。苦杯を舐め続けた経験、そこから得た逆境に立ち向かう力、それが栗原の言う「色んなこと」なのかもしれない。


―試合を終えて。
「JBLっていう僕たちより明らかに格上の相手なので、僕たちは学生らしくチームの持ち味のディフェンス頑張って速い展開で楽しくやろうっていうことを心がけました。最後みんな笑顔で終われたので良かったかなと」

―試合中も“楽しもう!”っていうことをみんなで言っていましたよね。
「そうですね。どうしても相手に点を獲られると苦しくなっちゃうんですけど、そこでチームで声を出して元気を出して楽しくやれましたね」

―JBLのチーム相手ですと、高さやフィジカルでは負けてしまうのは致し方ないですが、他の部分では手応えがあったのではないですか?
「インサイドは中村なんかは外人相手に身体を張って、外人も嫌がっていたんじゃないかなと思います。僕は全然何もできなかったですけど(苦笑)。でも1、2、3番の選手は負けていなかったと思いますね、自分としては。ちゃんとついていって守れたと思います」

―今までの日本大は能力面では優れていましたが、結束力の面で結果が出てこなかったのかと思いますが、今シーズンこれだけ結束できたのはなぜでしょうか?
「リーグくらいから試合を重ねるごとに良くなっていって、その中でも自分たちのバスケットがどういうバスケットかということがわかるようになっていきました。ディフェンスから速い展開っていうのがリーグ終わりから確立できてきて。インカレにはいかにチームのスタイルの精度を上げていけるかということだったので、特別何をしたからじゃないですね。今年はいつも以上に試合中にコミュニケーションを取ったりとかしましたし。どれがあったから、こうなったかっていうのはわからないですけど、色んなことがあってよくなったんじゃないかなと思います」

―今日の試合でようやくキャプテンの重責から解放されますが、今の心境というのは?
「やっぱり他の4年生とかも支えてくれましたし、下級生は下級生で考えてくれたり。僕がキャプテンで自分でやったからこういうチームになったんじゃなくて、チームに恵まれていいチームになったと思います。キャプテンとしてはそんなにたいしたことはしてないです(笑)。チームに感謝です」

―後輩たちには2連覇を目指してほしいかと思いますが、メッセージはありますか?
「後輩たちはメンツを見ても力は個人個人あると思うので、それをいかにチーム力として発揮できるかだと思います。竜青(篠山)と熊澤は今年一年決勝とかも経験しましたし、ナベ(渡部)とかも盛り上げてくれて、来年もやってくれるかわからないですけど(笑)、とにかく頑張ってほしいだけです。力はあると思うので。腐らずに、チームが上手くいかなくて悩む時とかもあると思うんですけど、そこを乗り越えて。来年度もリーグ、インカレ、春も頑張って連覇できたらいいと思います」



「楽しまなければいいプレーは出ない」
“恩返し”の先のステージを見据えて

◆#10種市幸祐(日本大・4年・F)
100103taneichi.jpgコートではいつも楽しそうで、プレースタイルも華やか。
しかし、話す口調は意外に落ち着いている。
「自分はあまり人に相談したくないタイプなんです」
そうして種市はリハビリの苦しさやコートに立てない焦りと長い時間戦ってきた。
時には1人涙を流すこともあった。
日大の和気あいあいとした雰囲気からは、少し意外に思える。
だがそれは、互いをライバル視するプレイヤーとしてのプライドから生まれた適切な距離があるからこそだった。
もちろん、ここぞというときには4年生同士支え合い、スタッフや家族やOBからも力をもらった。
その後押しも受けて復活し臨んだ最後のインカレでは、ブランクを感じさせない勝負強さで“恩返し”を果たした。
だが、まだまだ活躍するところを見たい。今度は種市自身のためにプレーする姿を。
バスケットを続けるかは決まっていないが、続けたい意志はあるという。
いいニュースを信じて待ちたい。


―今日の試合を振り返っていかがですか?
「楽しめました。こうしてJBLチームと対戦する機会はもうないかもしれないですし、何より皆とやるのも最後なので楽しくやらないともったいないと思って臨みました」

―こういう機会はないかもしれない、とは…?
「まだバスケを続けるか決まっていないんです。続けたい気持ちはあるんですが、今終わったばかりでまだ監督さんとも話し合っていないのでなんとも。なので、今の形では最後、という感じです」

―JBLチームの印象はどうでしたか?
「やっぱり皆すごいですね。身体も違いますし、能力も違いますし、外国人選手もいて。そこにうまく対処できなくて中でだいぶやられてしまいました。途中点差が詰まったときもありましたが、大事なところで向こうは折茂さん(レラカムイ#9、日大OB)だったりが決めてくるのに対して、僕らは決めきれなかった。そこの差が大きかったです」

―これで、このメンバーでの公式戦は最後になりますが、今シーズンは充実したものにできましたか?
「そうですね、皆に支えられて…スタッフや、家族にも助けられたので、怪我もしましたけど充実できたかなと思います」

―リーグ・インカレでの優勝は、チームに帯同できなかったトレーナーさんへの恩返しという気持ちもあったのでは?
「はい、舟橋さん・(二瓶)奈津実さんは1年のときから自分のリハビリを見てくれていました。それで“4年でインカレ優勝します”とずっと言っていたんです。それが自分たちの仕事だと、自分以外の皆も言っていました。だから、恩返しはできた…かな?って感じですね。インカレは観に来てくれていたので、“ありがとうございました!優勝しました!”と伝えることが出来ました」

―そのリハビリ中は辛かったのではないでしょうか。
「確かに、皆と一緒にできる時間が少なくなってしまって。本当に辛いときはもう、泣いたりもしましたし。あまり人に相談したくないタイプなんですよ」

―日大は皆でわいわいやるイメージだったので、少し意外です。
「あ、でも栗原とは寮で一緒の部屋なので、夜遅くまで色々話しましたよ。ちょうどあいつも怪我をしていて、自分も怪我をしていてというときで、怪我をしたから分かち合えた気持ちというのもあります。それからOBの方々も連絡をくれたり、試合会場に来てくれて“絶対勝てよ!”って言ってくれたりと支えてくれました。なので、仲間っていいなぁとすごく感じました」

―また、復帰したときの種市選手は痛み止めを飲んでいるとは思えない活躍ぶりで、しかも楽しそうで全然辛かったことを見せなかったですよね。
「それはやっぱり楽しまなきゃダメですよ。ガードの(#9篠山)竜青もよく言っているんですが、楽しまなければいいプレーも出ない。もちろんちゃんとやるところはやった上でですが、楽しさは大事です」

―そんなカラーの日大で4年間できたことは、どうでしたか?
「ちょっと幸せ過ぎましたね(笑)。監督さんもよく我慢して自分を使ってくれたなと思います」

―一緒に過ごした4年生は自分にとってどんな存在になりましたか?
「いやー、何て言うんですかね…この仲間とずっとバスケットをやっていたい気持ちです。1年のときから何をするのも一緒で。1年のときはチームの仕事があってよく団体行動をしていたんですが、そこで仲良くなれました」

―1年のときは皆、4年間やっていけるか自信がなかったと言っていましたが、今年は皆頼もしい活躍ぶりでした。
「結局負けず嫌いが多いんですよ。貴ちゃん(栗原)にしろ、上江田にしろマサ(中村)にしろ一色にしろ。特にAチームのヤツらは本当に負けず嫌いで、練習中から身体をぶつけあっていました。それで練習が終わった後言われるんですよ。“お前、今日俺にやられたな”って(苦笑)。それで言い合いになって、お互い“明日は見てろよ!”ってことでまた頑張る。それで成長できたと思います」

―種市選手自身、プレー面で成長できたなと思うところはどんなところですか?
「周りをよく見るようになった部分ですかね。高校では自分が自分がでやっていたんですが、そういうのがなくなって、皆点を取れるので安心して、今は任せよう、今は自分が行こうと判断できるようになりました」

―今年の4年生のカラーは後輩にも伝えられましたか?
「たぶん…伝わってくれました。ノリの良さは日本一です」

―またプレーする姿を見たいので、最後にアピールポイントを教えてください。
「誰にも負けない1on1ですかね。あと、今日はちょっとダメだったんですけどシュートです!」



「みんながいたから自分がいる」
日本大を支え続けた縁の下の力持ち

◆#21中村将大(日本大・4年・C)
100103nakamura.jpgJBLの2m級センター相手に、ひるむことなく体を張り続けた。試合後は、“両腕が上がらない”と苦笑い。無得点に終わったものの、数字に表れない部分での彼の貢献は大きかった。
4年間、特にこの1年間は中村にとっても飛躍の年となった。これまでは、“支えられる側”だったプレイヤーが、“支える側”へと進化を遂げた。コートでは懸命にインサイドの攻防に耐え、時にはチームを鼓舞するために声を張り上げたこともあった。だが、そんな彼を褒めても返ってくる言葉はいつも「いや、みんながいたから」。
最後までその言葉は変えなかった。それが、優しい中村らしくもあった。


―学生最後の試合を終えた今、どんな気持ちですか?
「やっぱり日大はすごいなと。ルーズボールもリバウンドもがむしゃらにやって、試合を通して粘り強さが感じられました。自分は得点は0点で、最後までみんなに引っ張られる形となりましたが、できるだけ相手のセンターをイライラさせようということだけは心がけてやっていました。それは“ちょっと”はできたかなとは思います。本当に“ちょっと”ですけど」

―JBLのセンターは、学生とは比べ物にならないくらい体格もパワーも違うわけですが、マッチアップしてみていかがでしたか?
「身長は2m以上あって、動ける。当たってもびくともしなくて…。ちょっと大変でした。それでも、マークマンは自分だったので、どうにかしなくちゃいけないなと思って、必死にやっていました。オフェンスもディフェンスでも体でガンガン当たってきたのもあって、最後のほうは両腕がつっちゃって大変でした(苦笑)。今も腕が上がらないんです…」

―4年間の間には怪我をして思うようなプレーができないシーズンもありました。それでも、コートに帰ってきてまた頑張ろうと思ったのはなぜですか?
「同級生の励ましもあったし、先輩の支えがあったからです。最高の結果は残せなかったけれど、自分が1年生の時の4年生である牧さん(06年度主務)とか小野寺さん(06年度卒・黒田電機)などの歴代の先輩達が頑張る背中を見てきました。上級生になるにつれて後輩にもそういう姿を見せていかなければならないなという思いが、そうさせていたんだと思います」

―では、中村選手が後輩に残せたものはなんでしょうか?
「目立たなくても、地味にコツコツやっていればチームに貢献できるということです(笑)。数字に残らない部分でも、声を出すということも」

―一緒に4年間を過ごしてきた仲間に対して、何かメッセージはありますか?
「辛いときも楽しいときも一緒に共有してきたメンバーでした。言葉では言い表せないくらいの思いがありますね」

―今年1年間は特にそうだったと思うのですが、“自分は成長できた”と褒められるのではないですか?
「いや(笑)。成長できたと思えるのは、ダメな時期、モチベーションが上がらない時期もみんなの励ましがあったからなんです。本当に“みんながいるから自分がいる”という感じでした。4年間、本当にいろんな人の支えがあってここまで来ることができました。“日大に来てよかったな”って、心から思います」



「オールジャパンには間に合わせるから」
学生最後の試合で復帰した日本大4年生のラストピース

◆#31上江田勇樹(日本大・4年・F)
100103ueta1.jpgインカレ準々決勝、ラスト5分に負傷退場。その後、コートに立つことはなかった。ここまで怪我もあったが、それでもコンスタントにコートに立ち続けてきた彼は、最後はベンチで日本一の瞬間を見届けた。悔しさもあった。だが、「仲間を信頼していたから」と笑った。
今年の4年生は怪我が多く、なかなか全員揃ってのプレーができずにいた。だが、最後の最後には上江田も怪我を押して出場。ようやく全てのピースが揃った。日本大の4年から次々と出てくる言葉は「みんな」「仲間」というワード。上江田もまた、そのワードを使い、4年間を共に戦った選手を表現した。
彼の4年間は、1年の頃が最も印象的だったという。もがき苦しみ、何も出来なかったあの頃。しかし、今の彼にはそのような姿は無い。戻ってきた仲間と共に、最後まで笑顔でプレーしていた。


―試合を終えて。“4年間が終わったな”という気持ちはありましたか?
「今回はそれはなかったですね。“4年間が終わったな”と思ったのはインカレ優勝のときでした。あの時は本当に4年間の色々な思いがこみ上げてきました。今回は、胸を借りてどこまで自分達が通用するのかという気持ちがありました。自分は怪我をしていてもわりとやれていたと思うし、チームとしても点差もそんなに離れなかったので少し自信がついたと思います。なので、終わった今は、充実感というか。4年間終わったなというよりは、今後に繋がるバスケットができたなという気持ちです」

―レラカムイと対決して、どんなことを感じられましたか?
「大きい選手が中も外もできて、体も強い。大学生は、2・3番は小さいのでやりやすいですが、相手も大きくて動ける選手になってくると難しいなと。簡単にシュートが打てなくて、チーム全体としてもアウトサイドが全然決まらなかったので、そういうところをみんなも実際に感じることができたのがよかったのかなと思います」

―インカレでは、準々決勝の最後で怪我をしてしまって、準決勝・決勝と出場できなかったわけですが、“出たかったな”という思いはあったのではないでしょうか?怪我で出られなくてもベンチで声を出している上江田選手は印象的でした。
「あの時は、足にヒビが入っていたんです…(苦笑)。足にヒビが入ったままやるよりは、種市(#1)が出たほうがいいなと思って、出ませんでした。仲間を信頼していたからこそ、大事な試合をベンチで見ていられたというのはありますね。もちろん出たかったけど、チームの力を信じて、ベンチで4年生としてできることを一生懸命やりました」

―この試合は途中、20点が離れましたが最後は点差を詰めることができて、日大の強さが感じられました。試合中、点差が離れた場面ではどういったことをチームで話していましたか?
「始めから、僕らの調子がよくても競る試合だと思っていたので。前半終わりで同点ならOK。後半が勝負と言われていました。前半終わった時点で10点差で折り返せたので、後半も気持ちが切れることなくやれました。途中20点離れていても最後までやれたのは、前半やっていけた部分があったから。だから、またうちに流れがくることを信じて集中力を切らさずやれました」

―4年間を振り返って。
「4年間のバスケット生活を終えて思うのは、1年の頃が思い出としては一番大きいなと。始めの1年は、高校上がりで4年生には祥平さん(菊池祥平・06年度卒・東芝)とかもいて、上手くいかないことばっかりで。プレッシャーがすごくてボールももらえなかったこともありました。でも、ああしてすごい選手とバスケができたことが、4年に生きたなと思っています。今年、自分たちが楽に試合を運べたりできたのは、本当に1年生の苦い経験があったからこそだと思うんです。もちろん、今年、4年生で優勝できたことは本当にうれしいんですが、1年の全然何をやっても上手くいかない時期があったから、今があると思うので、4年間を通して一番の思い出は、やっぱり1年のときですね」

―自分が日大に入って成長できた部分は何かありますか?
「ディフェンスを抜かれても頑張って追いかけてブロックまでいくっていうのと、チームが苦しいときにどうやって盛り上げていくかというところ。(前出の)祥平さんを見て、フォワードとしてどうすればいいのかということを学びました。祥平さんは、シュートだったり、ディフェンスでブロックしたりだというところで、チームを盛り上げていっていたので、自分もそうなれるように頑張ってきました。それまで自分にそういうプレーはあまりなかったので、そういうところが変わったなと思います」

―4年間を共に過ごした選手たちについて。
「自分ら4年生は本当に仲が良かったんですよ。苦しいときもみんなで励ましあって。種市が怪我したときもみんなで声かけて。自分らの代は本当に怪我が多かったので(苦笑)、その分、怪我した人の分まで頑張ろうという部分で団結力もチームの士気も上がっていったというのはありますね」

―その中でも、上江田選手はコンスタントに出場を果たしていたわけですが、怪我で仲間がいないというのは苦しかったのではないでしょうか?
「それはありますね。4年間の中では、自分も怪我もしていたんですけど、回復が早いほうなので、どうにか試合までには間に合わせてやっていました。あとは、試合に出られない奴の分まで頑張ろうと思っていて。でも、最後は自分が怪我してしまいました…(苦笑)。インカレもやろうとは思っていたんですが、今回はちょっと違うなと思って。そうしたらヒビが入っていて…。でも、“オールジャパンには間に合わせるから”と言って、今回出ました。今もまだ痛いですけど、骨はくっついたんじゃないかなと思います」

―では最後に、来期の日本大を担う後輩達へ一言お願いします。
「4年間のうちに優勝できる経験っていうのはそうそう無いと思います。でも、優勝を経験したチームだというのは自信にも繋がる。だから、来年も篠山竜青(#9)を中心に頑張ってくれたらいいなと思います。そうすればまたいい試合ができるんじゃないかなと思うので、頑張ってほしいですね」
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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

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