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2009.12.31 (Thu)
【2009インカレ・コラム】Piece of Redshark・日本大
4年生を筆頭に全員が欠かせない存在だった
レッドシャークス戴冠への道のり
関東1部リーグで14年ぶりの優勝に続き、6年ぶりにインカレを制した日本大。常に優勝候補ではあった。だがあと1歩、何かが足りない―ずっとそんな状態だった。
その何かは、最上級生の4年間での成長、怪我からの復帰とそれを支えたスタッフかもしれない。司令塔のスタイルチェンジ、ディフェンス王が5人の動きをつなげたことかもしれない。もしくは強い思いが秘められた応援の力、そしてルーキーの加入かもしれない。
ただし、その何1つ欠けても、誰1人欠けても日本大の優勝はなかった。
まさに“チーム日大”でつかんだ優勝だった。
写真:フジテレビ「すぽると!」のクルーも参加した集合写真撮影のあと、4年生と川島監督で1枚。
2Q残り5分で17-37。準決勝の日本大は追い込まれていた。堅守を誇る東海大のゾーンに中を封じられ、準々決勝で負傷した#31上江田に代わって#1種市が入ったアウトサイドも単発。司令塔の#9篠山からさばけるところがない。それらはこれまでの日本大の“負けパターン”とも言えた。せっかくこの日から登録を外れたメンバーも応援に駆けつけたというのに、関東王者陥落か―。しかし、ここからメンバーは驚異的な追い上げを開始した。
ディフェンスで我慢してマイボールとすると、#4栗原の速攻や篠山の1on1などにつなげてじわじわと差を詰め、ベンチスタートの#24熊や#14森川も奮闘してチームをもり上げる。そして同点に持ち込んだ勝負の4Qでは、#21中村のアシストから種市、栗原の3Pが決まって大逆転勝利を収めてみせた。前半とは一転、この形が出ると日本大は強い。単なる“1勝”以上に、チームに勢いと自信、そして希望をもたらす大きな勝利だった。
#21中村(写真右)は感極まったように言った。「前半は焦ってしまっていたんですが、交代したメンバーがつないでくれて、だんだん冷静に見えるようになりました。あと、会場全体をいい雰囲気にしてくれた応援の力が大きいです。4Qのプレーは、応援してくれる皆、スタッフの方たちの声掛けもあって自然に出てきたもの。本当に…チームで勝ったなと思います」
その“チーム”の一員として、この展開をベンチから見守っていた#6一色(写真左)もまた、思わず涙ぐんでいた。
「本当にすごく嬉しくて、出ちゃいました。上江田が怪我をしてしまったんですが、その代わりに怪我から復帰した種市が頑張ってくれた。ここに来るまで4年のメンバーは栗原も中村も皆怪我に悩まされて、自分も春手術してと全然揃うことができない中で、こういう状況を跳ね返して決勝の場に立てるんだというのが本当に嬉しかったんです」
スタンドもベンチもコートも、ぐっとまとまることができたこの試合。この勢いがあれば一気に頂点まで駆け上がってもおかしくない―。そんなオーラのようなものまで感じられた幕切れだったが、しかし、準決勝を充実の内容で勝ち上がったのは慶應大も同じだった。
監督の一言が布石になったルーキーの3P2本
慶應大との決勝はやはり、引き締まったものとなった。日本大は準決勝の終盤に続き、中村がアシストに自らの得点にと活躍して先行するが、慶應大もここぞの集中力、そしてあきらめない気持ちの強さは群を抜いている。2Q開始直後には10点差をつけたものの、4点差までじりじりと迫られ、準決勝とは逆に追われる恐ろしさが感じられた。
だが、この雰囲気を打開してみせた選手がいた。ルーキーガードの#3石川海斗だ。
実は石川は大会中に腰の状態が悪化し、準決勝はDNPだった。これまで短いプレータイムでもアクセントとなってきただけに起用の可否が注目されたが、川島監督は試合前に石川を出して篠山を少し休ませる、と2人に告げたという。篠山によると「監督さんはそういうことをあまり言わない」そうだが、この一言で石川は準備しておくことができた。
「最初から“今日は出るぞ”と聞いていたので、自分でも腰を冷やさないようにしていて、その分の心配はしていなかったです。ただ、昨日出ていないので、シュートタッチがどうかなというのとドリブルが手につくかの方が心配でした」
しかしそれは杞憂に終わる。26-22から32-22、点差を2桁に押し戻す連続3Pを沈めて、篠山にバトンタッチしてみせた。その大きさは、ベンチで迎えた4年生たちの表情がよく表していた。
高校では3年間全国のトップレベルで活躍していたとはいえ、大学ではまだルーキー。なぜこの大舞台でこれほど大きなシュートを決められたのか。
「自分には基本どの試合も関係なくて、緊張もしないんです。むしろ今の1・2年は新人戦で楽しくやったメンバーなので、“楽しまなきゃ決勝がもったいない”くらいに思っていました。ただ、自分の中で、他を落としてもいいから1本目を決めたいというのは強くありました」
その1本目があの3Pだったのだ。
とはいえ、2本目も決めてみせたところにやはり大物ぶりが感じられる。
「終わってから二ノ宮さん(慶應大#16※)と話したんですが、“あそこで2本決めるのはきついよ”と言われました」と笑うが、もしかしたら本能的に勝負際を見極めていたのかもしれない。
なぜなら、石川が日本大に来た理由は「優勝したいから」だったからだ。「普通に考えれば優勝できないメンバーじゃない。乗っている時は本当に強いと思います。自分にとって“優勝”というのはあと一歩という時が多かったんですが、高校までと大学とは違うので、優勝したいんです」
そんな思いを込めて石川が“乗らせた”日本大はこの後、スティールやルーズボールから加点していき、結局4点からは詰めさせなかった。逆に栗原のブザービーターで13点のアドバンテージを得て折り返すことに成功。優勝はあと少しで手に入るところまで来ていた。
※2人は東京都出身。ミニバスで対戦したこともあるという旧知の仲。
成長の証としてキャプテンが見せた“献身”
もちろん後半も慶應大の猛追を受けたが、日本大はその度に突き放した。先鋒になったのは#4栗原。ディフェンスはもちろん、長い手足を生かした気迫の飛び込みリバウンド、そして持ち味である走力で貴重な2点を積み重ねていった。
圧巻は3Q終盤のバスケットカウントでの3Pだ。ベンチの目の前からシュートを放った後倒れこんだ栗原に、ベンチにいたメンバーが集まってハイタッチを求めた(写真)。点差を9から一気に13に持ち込んだだけでなく、日本大の大黒柱であり、大学界屈指のオールラウンダーであることを示した1プレーだった。
だが、3年前の春に日本大にやってきたとき、「自分はここでやっていけるのかと思った」という。高校では3年時にインターハイ16年ぶり出場、ウインターカップは初出場を果たしたがいずれも1回戦で姿を消している。もちろん、1選手としての能力の高さを買われたわけだが、最初はそう思うのは無理もなかった。
そこで支えになったのは同級生の存在だ。栗原の代は、「皆能力は高いと言われても、高校ではたいした実績は残していないメンバーだった」(一色)というが、だからこそ腐らず努力を重ねられたと言える。それぞれ怪我がなければ本当はもう少し早く開花していたかもしれないが、怪我をも乗り越えたことで精神的に一回り大きくなった。
怪我あけながらキャプテンとして戻ってきた今シーズンの栗原の存在感は素晴らしかった。身体を張って守り、あきらめずに走るその姿は“献身”そのもの。栗原らしいキャプテンの形であり、4年目だからこそ見せられた成長の跡と言えた。
本物の司令塔へのステップアップ
栗原の活躍でリードを保って3Qを終えられたなら、4Qにとどめを刺したのは3年生の#9篠山だ。攻めてはピック&ロールからのバスケットカウント、守っては慶應大の得意とするルーズボールを気迫で取り返すなどしてみせた(写真)。
この強気なプレーと同じく、いつも言葉には力があった。だが、優勝記者会見で口にした一言は普段のそれとは程遠い静かな口調だった。
「今までは、トップからピックして全部自分が決めればいいと思っていた」
この2年間、篠山は“日本大のガードとしての篠山”の方向性を明確にし切れずに来た。高校では、全員が組み立て全員が攻める3ガードもしくは4ガードスタイルだった。ただ、それは選手同士の絶妙なコンビネーションによる、あの4人だからできたもの。日本大のバスケットはカラーがガラリと違った。1ガード3フォワードのような形でガードに掛かるゲームメイクの負担が重い。そこで日本大のハーフコートを篠山が学ぶか、篠山のよさを生かして日本大のスピードを引き出すか…。
だが、3年になって答えが見えてきた。篠山のスピードについていける#15熊澤の成長や石川の加入も大きかったが、周りを固める4年生たちは「何でも思うことがあったら言ってくれ」と後輩ガードを信頼した。その結果、「もっと走ろう」とチームの意識は一致。そして篠山はその信頼に応えない選手ではなかった。
「自分の球離れがいいときの方がチームの調子もいいとわかってきたので、リーグ後半からインカレにかけては自分がボールを持っている時間を短くするよう心掛けました」
春はまだ「5人の絡みと言う意味で時間が足りていない」と言っていた篠山。リーグ14戦を経てインカレでぴたりとはまった“5人の絡み”は、1人の持つ力を1以上、5人が集まったときはそれ以上の力を引き出した。もちろんその1人である篠山の良さも削られていない。司令塔のスタイルチェンジの成功により、日本大はシーズンの最後に最高の形に到達した。
復活したエースがもたらしたもの
決勝残り3分半、13点差で慶應大が最後のタイムアウトを取った。その直後のプレーは篠山のフリースロー。レーンに立つ篠山に近づいていった4年生の#1種市がしたことは、篠山の口元に手をやっての“笑え”というジェスチャーだった。
準決勝の東海大戦でも、フリースローを落とし後ろを向いた篠山に対して、笑顔で“肩の力を抜け”というジェスチャーをする場面があった(写真)。
この笑顔。ギリギリの戦いをしている中で、日本大にはこの笑顔が吉と出た。
種市はそのアグレッシブなプレイゆえに怪我に悩まされ、4年間の半分はリハビリに費やしてきた。
優勝会見では、「夏のリーグ前に怪我をしたときは、正直プレイヤーを引退してマネージャーになることも考えた」と明かした。人一倍苦悩はあったはずだ。しかし、いやだからこそ、コートに戻ってくれば本当に楽しそうにプレーした。シュートを決めてはベンチを指し、決められなくても苦笑い。この種市のキャラクターは周囲に安心感を与え、周りのメンバーからいらない気負いを取り去った。
思い返せば、明治大に敗れてベスト16に終わった春のトーナメントで、種市ははっきりとこう言った。
「リーグ、インカレは優勝します」
まさにこの言葉を実現させたというわけだ。
リーグで種市の不在をカバーした3年生の#15熊澤は、種市が戻ってくれば自分はベンチスタートになるにも関わらず、準決勝後に種市にこう言った。「やっぱり種市さんがいないとだめなんですよ」
実は熊澤も今年の春は腕を怪我してしまい、種市とはすれ違いだった。インカレの準決勝・決勝が今シーズン唯一長時間ともにプレーしたゲームだったが、「上江田さんがケガをしてしまってというきっかけは残念なんですが、種市さんと一緒にプレーできて、種市さんは点を取れるし、走れるし、やっぱり日大のエースだなと思いました。最後に一緒に出られてよかったです」とこの時間を噛み締めていた。
復活したエース。彼が最後に未知の戦いを乗り切る力をチームにもたらしてくれた。この種市はもちろん、怪我に苦しんだ他のメンバーも最後の大会に間に合わせてくれたスタッフには頭が上がらない。
無名の努力家が得たディフェンス王の称号
ラスト3分間、決死のファウルゲームを仕掛けた慶應大に対し、チームファウルフリースローをきっちり決めたのは#15熊澤だった。先ほどの熊澤から種市への思いに対して、種市は熊澤をどう見ていたかというと、こちらもやはり特別な思いがあった。
「自分が怪我をしたら次誰だろうと思ったとき、やっぱり熊じゃないと納得しません。1番マジメだし、ディフェンスも頑張るし、走ってくれるので、安心して観ていられる。さぼったり走らなかったりということがないんです」
熊澤も4年生と同じように、高校までの実績は決してあるとは言えない。だが、4年生と同じく、4年生が感心するほどの努力を重ねてきた。かつ、それをコートでもきちんと表すことができ、熊澤がいると安定すると誰もが思っていた。
だからこそ、決勝後の表彰式で、スティール・ブロックショット・テイクチャージ数をもとに選出されるディフェンス王として熊澤の名前が呼ばれたとき、日本大のメンバーだけでなく会場もわっと沸いた。
「日大は皆が皆平均的に頑張るので、ほとんど個人賞がないチームなんです。その中で自分が選ばれたときは…“え、自分?”と不思議な気持ちでしたね。決勝で監督やガードの(#9篠山)竜青に要求されたことに少しでも応えられたから、そういった評価を頂けたのかな。自分の役割の1つであるディフェンスが評価された、周りの人も見てくれているんだなというのがわかったというだけでも本当に嬉しいことです」
春の怪我から復帰した初夏、患部の左手は思うように動かず、全くバスケットがやれない状況だったという。そこからリハビリとトレーニングを積み、屈強な身体をさらに鍛えた。だからこそのエースキラーぶりであり、それを受けての称号。誰よりもバスケットの神様が熊澤の努力を見ていた。
「あと5点」を応援で埋めてみせた唯一無二の存在
そして、忘れてはいけないのが2年生の#37渡部だ。優勝を決めた後、リーグと同じくコートで手拍子をしながら全員で円を描いていったが、4年生たちをして「あれは渡部さんの仕切りです!」と言わしめた。
「僕じゃなくて4年生がすごいんですよ、こんなに出しゃばっても許してもらえるんですから」と渡部は言うが、彼には今シーズン、期するものがあった。
6月の新人戦で青学大に及ばず準優勝に終わったとき、「あの5点が詰められなかった」と振り返った。追い上げても追い上げても突き放された、あの5点。そこをチームとして埋められれば絶対に行けると言い残した。リーグ優勝を果たし、インカレも準々決勝まで来てその5点が埋められたか問うと、答えは「まだ100%埋められているわけじゃない」だった。
「でも、確実にあと2点、あと1点までは来ています。あと1点はふとした瞬間に埋まるので、そこは難しいんですが…あとの1点は、もしかしたら応援かもしれないですよ」といたずらっぽく笑って見せた。
その1点の手ごたえがあったのは、早くも翌日の準決勝だった。中村や一色が試合後に涙ぐんだあの東海大戦だ。
「自分の中では準決勝が1番大きかったです。試合が終わったあと4年生が嬉しくて泣いていて、これは来たなと思いました。あれがあったから決勝でも皆出だしから調子よくできていたと思いますし、最後まで日大として一体になれていました」
この応援には3つの効果があった。まず、会場も巻き込んで一体感を作り出すこと。そして、ベンチから出て行くメンバーがリラックスしてプレーできること。準決勝で中村の不調をカバーした熊や、森川の奮闘は、ベンチで応援する中で自然と気持ちを作れていたことがベースになっているはずだ。そして、3つ目はプレーする選手たちが常に自分を支えてくれる存在を意識できること。中村をはじめ、「応援のおかげで勝てた」「声援が大きかった」と口々に言っていた。
渡部は言う。「自分が自分がじゃなくて、皆がお互いに感謝してやれたので、いい結果になったと思います」。終わってみれば、それさえできればこのチームは持てる力を発揮し、頂点をつかめると知っていたかのようだった。
渡部は高校時代からそのリーダーシップ、アウトサイドシュートにこそ定評はあった。だが、まさか応援で雰囲気をここまで作り上げるとは、どのチームにとっても誤算だったろう。ここまでできるのは渡部以外にはいなかった。この影響力をコートで発揮されたら、今度はまさに脅威と言える。
「今回は試合には出ていないですが、色々な面で貢献できたかなとは思います。次はコートに立てるよう頑張ります!」
チーム日大の底力
これらの全てが相乗効果となってつかんだ優勝。特に苦しんだ3年間とそれを乗り越えたこの1年間をなぞるようだった準決勝・決勝。言ってみれば“チーム日大”の底力だった。最後にそれぞれその1ピースである、一色と上江田の話を紹介したい。
学年が上がるにつれベンチから観ることが多くなった一色はそれでも、「試合に出られなくても、出たやつらを頑張って応援していました。特に今年は一緒に頑張ってきた4年間を分かち合っている仲間なので、本当に勝って終わりたかったからやれることをやったつもりです」
その“やれること”というのは、逆に言えば一色にしかできないことだった。
「試合に出ていない他のメンバーのことや試合の後に下級生と話したことをなどスタートのメンバーに伝えるだとか、人と人の間に立って色々やれるのは自分しかいないと思って頑張りました。それで結果が出て、日大が1番強いというのを証明できたので本当によかったです。僕らの代は高校までの実績はないメンバーでしたが、うまくそこに竜青の経験だとか自分たちの足りないところが埋まって、もちろん僕らも受け入れてやれたので、本当にいいチームだなと思います」
一色はオールジャパンにはエントリーしないという。「最後にいい形で終われて、本当に嬉しいです」
そして上江田は、これまで4年生が怪我に苦しんでいるとき、コートでずっと奮闘してきたが、最後の最後でまさかの欠場となってしまった。だが逆に、どんなことをしてあげたらコートでプレーしている選手たちの気持ちが軽くなるかを1番身をもってわかっているのも上江田だった。
「途中怪我で試合に出られなくなったときに“自分は何ができるかな”と考えた結果、ベンチで声を出したり、みんなが戻ってきた時に自分のセカンダリーを身体を冷やさないように貸したりという裏方の仕事をやることで、チームの皆と闘えたと思います」
キャプテンの栗原は「試合に出ている選手だけじゃなくて、ベンチも応援団もスタッフも結束したから優勝できたと思う」と口にした。もちろんその結束はどのチームにもあるものだが、コートに立つ4年生が多く、そしてそれぞれが4年間のうちに様々なハードルを乗り越えてきたからこそ、日本大は大一番でその結束をどのチームよりも強めることに成功した。決勝で対戦した慶應大の監督、選手はそれを“4年生の充実感”と表現したが、確かに目に見えない、だが確かにある力がインカレでの日本大にはあった。
様々なピースが寄り集まって、最高のチーム・Red Sharksを作り出した彼らの今シーズンを、種市の言葉で締めたい。
「皆に支えられて今、この場にいられることが、超幸せです」
レッドシャークス戴冠への道のり

その何かは、最上級生の4年間での成長、怪我からの復帰とそれを支えたスタッフかもしれない。司令塔のスタイルチェンジ、ディフェンス王が5人の動きをつなげたことかもしれない。もしくは強い思いが秘められた応援の力、そしてルーキーの加入かもしれない。
ただし、その何1つ欠けても、誰1人欠けても日本大の優勝はなかった。
まさに“チーム日大”でつかんだ優勝だった。
写真:フジテレビ「すぽると!」のクルーも参加した集合写真撮影のあと、4年生と川島監督で1枚。
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準決勝から始まっていた日大優勝のシナリオ
ディフェンスで我慢してマイボールとすると、#4栗原の速攻や篠山の1on1などにつなげてじわじわと差を詰め、ベンチスタートの#24熊や#14森川も奮闘してチームをもり上げる。そして同点に持ち込んだ勝負の4Qでは、#21中村のアシストから種市、栗原の3Pが決まって大逆転勝利を収めてみせた。前半とは一転、この形が出ると日本大は強い。単なる“1勝”以上に、チームに勢いと自信、そして希望をもたらす大きな勝利だった。
#21中村(写真右)は感極まったように言った。「前半は焦ってしまっていたんですが、交代したメンバーがつないでくれて、だんだん冷静に見えるようになりました。あと、会場全体をいい雰囲気にしてくれた応援の力が大きいです。4Qのプレーは、応援してくれる皆、スタッフの方たちの声掛けもあって自然に出てきたもの。本当に…チームで勝ったなと思います」
その“チーム”の一員として、この展開をベンチから見守っていた#6一色(写真左)もまた、思わず涙ぐんでいた。
「本当にすごく嬉しくて、出ちゃいました。上江田が怪我をしてしまったんですが、その代わりに怪我から復帰した種市が頑張ってくれた。ここに来るまで4年のメンバーは栗原も中村も皆怪我に悩まされて、自分も春手術してと全然揃うことができない中で、こういう状況を跳ね返して決勝の場に立てるんだというのが本当に嬉しかったんです」
スタンドもベンチもコートも、ぐっとまとまることができたこの試合。この勢いがあれば一気に頂点まで駆け上がってもおかしくない―。そんなオーラのようなものまで感じられた幕切れだったが、しかし、準決勝を充実の内容で勝ち上がったのは慶應大も同じだった。
監督の一言が布石になったルーキーの3P2本

だが、この雰囲気を打開してみせた選手がいた。ルーキーガードの#3石川海斗だ。
実は石川は大会中に腰の状態が悪化し、準決勝はDNPだった。これまで短いプレータイムでもアクセントとなってきただけに起用の可否が注目されたが、川島監督は試合前に石川を出して篠山を少し休ませる、と2人に告げたという。篠山によると「監督さんはそういうことをあまり言わない」そうだが、この一言で石川は準備しておくことができた。
「最初から“今日は出るぞ”と聞いていたので、自分でも腰を冷やさないようにしていて、その分の心配はしていなかったです。ただ、昨日出ていないので、シュートタッチがどうかなというのとドリブルが手につくかの方が心配でした」
しかしそれは杞憂に終わる。26-22から32-22、点差を2桁に押し戻す連続3Pを沈めて、篠山にバトンタッチしてみせた。その大きさは、ベンチで迎えた4年生たちの表情がよく表していた。
高校では3年間全国のトップレベルで活躍していたとはいえ、大学ではまだルーキー。なぜこの大舞台でこれほど大きなシュートを決められたのか。
「自分には基本どの試合も関係なくて、緊張もしないんです。むしろ今の1・2年は新人戦で楽しくやったメンバーなので、“楽しまなきゃ決勝がもったいない”くらいに思っていました。ただ、自分の中で、他を落としてもいいから1本目を決めたいというのは強くありました」
その1本目があの3Pだったのだ。
とはいえ、2本目も決めてみせたところにやはり大物ぶりが感じられる。
「終わってから二ノ宮さん(慶應大#16※)と話したんですが、“あそこで2本決めるのはきついよ”と言われました」と笑うが、もしかしたら本能的に勝負際を見極めていたのかもしれない。
なぜなら、石川が日本大に来た理由は「優勝したいから」だったからだ。「普通に考えれば優勝できないメンバーじゃない。乗っている時は本当に強いと思います。自分にとって“優勝”というのはあと一歩という時が多かったんですが、高校までと大学とは違うので、優勝したいんです」
そんな思いを込めて石川が“乗らせた”日本大はこの後、スティールやルーズボールから加点していき、結局4点からは詰めさせなかった。逆に栗原のブザービーターで13点のアドバンテージを得て折り返すことに成功。優勝はあと少しで手に入るところまで来ていた。
※2人は東京都出身。ミニバスで対戦したこともあるという旧知の仲。
成長の証としてキャプテンが見せた“献身”

圧巻は3Q終盤のバスケットカウントでの3Pだ。ベンチの目の前からシュートを放った後倒れこんだ栗原に、ベンチにいたメンバーが集まってハイタッチを求めた(写真)。点差を9から一気に13に持ち込んだだけでなく、日本大の大黒柱であり、大学界屈指のオールラウンダーであることを示した1プレーだった。
だが、3年前の春に日本大にやってきたとき、「自分はここでやっていけるのかと思った」という。高校では3年時にインターハイ16年ぶり出場、ウインターカップは初出場を果たしたがいずれも1回戦で姿を消している。もちろん、1選手としての能力の高さを買われたわけだが、最初はそう思うのは無理もなかった。
そこで支えになったのは同級生の存在だ。栗原の代は、「皆能力は高いと言われても、高校ではたいした実績は残していないメンバーだった」(一色)というが、だからこそ腐らず努力を重ねられたと言える。それぞれ怪我がなければ本当はもう少し早く開花していたかもしれないが、怪我をも乗り越えたことで精神的に一回り大きくなった。
怪我あけながらキャプテンとして戻ってきた今シーズンの栗原の存在感は素晴らしかった。身体を張って守り、あきらめずに走るその姿は“献身”そのもの。栗原らしいキャプテンの形であり、4年目だからこそ見せられた成長の跡と言えた。
本物の司令塔へのステップアップ

この強気なプレーと同じく、いつも言葉には力があった。だが、優勝記者会見で口にした一言は普段のそれとは程遠い静かな口調だった。
「今までは、トップからピックして全部自分が決めればいいと思っていた」
この2年間、篠山は“日本大のガードとしての篠山”の方向性を明確にし切れずに来た。高校では、全員が組み立て全員が攻める3ガードもしくは4ガードスタイルだった。ただ、それは選手同士の絶妙なコンビネーションによる、あの4人だからできたもの。日本大のバスケットはカラーがガラリと違った。1ガード3フォワードのような形でガードに掛かるゲームメイクの負担が重い。そこで日本大のハーフコートを篠山が学ぶか、篠山のよさを生かして日本大のスピードを引き出すか…。
だが、3年になって答えが見えてきた。篠山のスピードについていける#15熊澤の成長や石川の加入も大きかったが、周りを固める4年生たちは「何でも思うことがあったら言ってくれ」と後輩ガードを信頼した。その結果、「もっと走ろう」とチームの意識は一致。そして篠山はその信頼に応えない選手ではなかった。
「自分の球離れがいいときの方がチームの調子もいいとわかってきたので、リーグ後半からインカレにかけては自分がボールを持っている時間を短くするよう心掛けました」
春はまだ「5人の絡みと言う意味で時間が足りていない」と言っていた篠山。リーグ14戦を経てインカレでぴたりとはまった“5人の絡み”は、1人の持つ力を1以上、5人が集まったときはそれ以上の力を引き出した。もちろんその1人である篠山の良さも削られていない。司令塔のスタイルチェンジの成功により、日本大はシーズンの最後に最高の形に到達した。
復活したエースがもたらしたもの

準決勝の東海大戦でも、フリースローを落とし後ろを向いた篠山に対して、笑顔で“肩の力を抜け”というジェスチャーをする場面があった(写真)。
この笑顔。ギリギリの戦いをしている中で、日本大にはこの笑顔が吉と出た。
種市はそのアグレッシブなプレイゆえに怪我に悩まされ、4年間の半分はリハビリに費やしてきた。
優勝会見では、「夏のリーグ前に怪我をしたときは、正直プレイヤーを引退してマネージャーになることも考えた」と明かした。人一倍苦悩はあったはずだ。しかし、いやだからこそ、コートに戻ってくれば本当に楽しそうにプレーした。シュートを決めてはベンチを指し、決められなくても苦笑い。この種市のキャラクターは周囲に安心感を与え、周りのメンバーからいらない気負いを取り去った。
思い返せば、明治大に敗れてベスト16に終わった春のトーナメントで、種市ははっきりとこう言った。
「リーグ、インカレは優勝します」
まさにこの言葉を実現させたというわけだ。
リーグで種市の不在をカバーした3年生の#15熊澤は、種市が戻ってくれば自分はベンチスタートになるにも関わらず、準決勝後に種市にこう言った。「やっぱり種市さんがいないとだめなんですよ」
実は熊澤も今年の春は腕を怪我してしまい、種市とはすれ違いだった。インカレの準決勝・決勝が今シーズン唯一長時間ともにプレーしたゲームだったが、「上江田さんがケガをしてしまってというきっかけは残念なんですが、種市さんと一緒にプレーできて、種市さんは点を取れるし、走れるし、やっぱり日大のエースだなと思いました。最後に一緒に出られてよかったです」とこの時間を噛み締めていた。
復活したエース。彼が最後に未知の戦いを乗り切る力をチームにもたらしてくれた。この種市はもちろん、怪我に苦しんだ他のメンバーも最後の大会に間に合わせてくれたスタッフには頭が上がらない。
無名の努力家が得たディフェンス王の称号

「自分が怪我をしたら次誰だろうと思ったとき、やっぱり熊じゃないと納得しません。1番マジメだし、ディフェンスも頑張るし、走ってくれるので、安心して観ていられる。さぼったり走らなかったりということがないんです」
熊澤も4年生と同じように、高校までの実績は決してあるとは言えない。だが、4年生と同じく、4年生が感心するほどの努力を重ねてきた。かつ、それをコートでもきちんと表すことができ、熊澤がいると安定すると誰もが思っていた。
だからこそ、決勝後の表彰式で、スティール・ブロックショット・テイクチャージ数をもとに選出されるディフェンス王として熊澤の名前が呼ばれたとき、日本大のメンバーだけでなく会場もわっと沸いた。
「日大は皆が皆平均的に頑張るので、ほとんど個人賞がないチームなんです。その中で自分が選ばれたときは…“え、自分?”と不思議な気持ちでしたね。決勝で監督やガードの(#9篠山)竜青に要求されたことに少しでも応えられたから、そういった評価を頂けたのかな。自分の役割の1つであるディフェンスが評価された、周りの人も見てくれているんだなというのがわかったというだけでも本当に嬉しいことです」
春の怪我から復帰した初夏、患部の左手は思うように動かず、全くバスケットがやれない状況だったという。そこからリハビリとトレーニングを積み、屈強な身体をさらに鍛えた。だからこそのエースキラーぶりであり、それを受けての称号。誰よりもバスケットの神様が熊澤の努力を見ていた。
「あと5点」を応援で埋めてみせた唯一無二の存在

「僕じゃなくて4年生がすごいんですよ、こんなに出しゃばっても許してもらえるんですから」と渡部は言うが、彼には今シーズン、期するものがあった。
6月の新人戦で青学大に及ばず準優勝に終わったとき、「あの5点が詰められなかった」と振り返った。追い上げても追い上げても突き放された、あの5点。そこをチームとして埋められれば絶対に行けると言い残した。リーグ優勝を果たし、インカレも準々決勝まで来てその5点が埋められたか問うと、答えは「まだ100%埋められているわけじゃない」だった。
「でも、確実にあと2点、あと1点までは来ています。あと1点はふとした瞬間に埋まるので、そこは難しいんですが…あとの1点は、もしかしたら応援かもしれないですよ」といたずらっぽく笑って見せた。
その1点の手ごたえがあったのは、早くも翌日の準決勝だった。中村や一色が試合後に涙ぐんだあの東海大戦だ。
「自分の中では準決勝が1番大きかったです。試合が終わったあと4年生が嬉しくて泣いていて、これは来たなと思いました。あれがあったから決勝でも皆出だしから調子よくできていたと思いますし、最後まで日大として一体になれていました」
この応援には3つの効果があった。まず、会場も巻き込んで一体感を作り出すこと。そして、ベンチから出て行くメンバーがリラックスしてプレーできること。準決勝で中村の不調をカバーした熊や、森川の奮闘は、ベンチで応援する中で自然と気持ちを作れていたことがベースになっているはずだ。そして、3つ目はプレーする選手たちが常に自分を支えてくれる存在を意識できること。中村をはじめ、「応援のおかげで勝てた」「声援が大きかった」と口々に言っていた。
渡部は言う。「自分が自分がじゃなくて、皆がお互いに感謝してやれたので、いい結果になったと思います」。終わってみれば、それさえできればこのチームは持てる力を発揮し、頂点をつかめると知っていたかのようだった。
渡部は高校時代からそのリーダーシップ、アウトサイドシュートにこそ定評はあった。だが、まさか応援で雰囲気をここまで作り上げるとは、どのチームにとっても誤算だったろう。ここまでできるのは渡部以外にはいなかった。この影響力をコートで発揮されたら、今度はまさに脅威と言える。
「今回は試合には出ていないですが、色々な面で貢献できたかなとは思います。次はコートに立てるよう頑張ります!」
チーム日大の底力

学年が上がるにつれベンチから観ることが多くなった一色はそれでも、「試合に出られなくても、出たやつらを頑張って応援していました。特に今年は一緒に頑張ってきた4年間を分かち合っている仲間なので、本当に勝って終わりたかったからやれることをやったつもりです」
その“やれること”というのは、逆に言えば一色にしかできないことだった。
「試合に出ていない他のメンバーのことや試合の後に下級生と話したことをなどスタートのメンバーに伝えるだとか、人と人の間に立って色々やれるのは自分しかいないと思って頑張りました。それで結果が出て、日大が1番強いというのを証明できたので本当によかったです。僕らの代は高校までの実績はないメンバーでしたが、うまくそこに竜青の経験だとか自分たちの足りないところが埋まって、もちろん僕らも受け入れてやれたので、本当にいいチームだなと思います」
一色はオールジャパンにはエントリーしないという。「最後にいい形で終われて、本当に嬉しいです」
そして上江田は、これまで4年生が怪我に苦しんでいるとき、コートでずっと奮闘してきたが、最後の最後でまさかの欠場となってしまった。だが逆に、どんなことをしてあげたらコートでプレーしている選手たちの気持ちが軽くなるかを1番身をもってわかっているのも上江田だった。
「途中怪我で試合に出られなくなったときに“自分は何ができるかな”と考えた結果、ベンチで声を出したり、みんなが戻ってきた時に自分のセカンダリーを身体を冷やさないように貸したりという裏方の仕事をやることで、チームの皆と闘えたと思います」
キャプテンの栗原は「試合に出ている選手だけじゃなくて、ベンチも応援団もスタッフも結束したから優勝できたと思う」と口にした。もちろんその結束はどのチームにもあるものだが、コートに立つ4年生が多く、そしてそれぞれが4年間のうちに様々なハードルを乗り越えてきたからこそ、日本大は大一番でその結束をどのチームよりも強めることに成功した。決勝で対戦した慶應大の監督、選手はそれを“4年生の充実感”と表現したが、確かに目に見えない、だが確かにある力がインカレでの日本大にはあった。
様々なピースが寄り集まって、最高のチーム・Red Sharksを作り出した彼らの今シーズンを、種市の言葉で締めたい。
「皆に支えられて今、この場にいられることが、超幸せです」
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