2016年12月 / 11月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫01月


第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2009.10.28 (Wed)

【2009リーグ2部】日本体育大4年生コメント

涙と笑顔が交錯した日体大
結果は出なかったが“楽しかった”と口を揃える


091025nittai4th「笑顔で終えることができました」
引退試合となったリーグ戦最終戦の試合後、#11冨江(4年・F)が涙で目を赤くしながら言った一言だ。リーグ戦最終週の対大東大第1戦のインタビュー後、「明日は笑顔で終われるように頑張ります」と語ってくれたのだが、それを有言実行する形となった。結果は2部5位。目標だった1部昇格も、インカレ出場も果たせなかったが、彼らには笑顔があった。

2008年秋、当時2部だった筑波大との激戦の末に2部降格。これまで大学バスケット界を牽引してきた日体大の降格はあまりにも衝撃的だった。だが、観ている我々以上に選手の方がそのショックは大きかったはずだ。2009年度春、日体大がどのように今シーズンを戦っていくかが注目だった。伝統の一戦としてトーナメント前に行われる日筑戦では、筑波大に惨敗。続くトーナメントでも青学大に敗北を喫するが、「日体大が変わった」と思わせる兆しはあった。足を使った鮮やかな速攻は、青学大を終盤まで苦しめた。また「2部で終わりたくない」と、部員が共通して持っていた気持ちが彼らの原動力となって、最後まで諦めない姿勢を貫いた。

2部で終わらないために、勝たねばならないリーグ戦。だが、自分たちが思い描いていた通りにはなかなか勝つことが出来ないまま負けが続き、3部との順位決定戦か否かというところまで順位を下げてしまった。リーグ中盤までは、勝てないフラストレーションからかチームに笑顔はなかった。しかし、終盤になって明るく楽しくバスケットをする日体大が見えてきた。コートの5人に加え、ベンチの選手、そして応援団が互いに声を掛け合い、みんなで支えあう姿が出てくる。その結果、国士舘大から1つ星をあげ、さらに大東大に連勝し、順位決定戦を回避。5位まで浮上した。

5位の裏には、コートに立つ選手たちとともに、応援団の存在が欠かせなかった。
「みんな自分の試合があって疲れているのに、終わった後に駆けつけてくれました。本当にありがたいし、支えてもらっています」(#11冨江、10/24大東大戦後)
その応援団の中心となっていたのは鈴木零(4年・写真下)だ。いつも大声を張り上げ、チームメイトを鼓舞し続けた。時には次々と面白いことを言って周りを笑わせ、いい雰囲気でバスケットができるよう努めていた。そんな鈴木も、最後は笑顔で仲間と勝利を喜び合った。091025suzuki

結果は出なかった。
だが、日体大は楽しく、自分たちらしくバスケットをする姿が最後にはあった。
「楽しかった」
近年の日体大の選手からは出てこなかった言葉が、彼らからは出てきた。主将の#12堀田が春に「みんなと楽しくバスケットがしたい」という思いが実現した1年間だった。たくさんの笑顔と涙が交錯する中、2009年度の日体大に幕が下りた。


※堀田選手、冨江選手、八坂選手、宮村選手、馬場選手のコメントは「続きを読む」へ。

[続きを読む]

主将としてチームを支えた1年間
”楽しくやれてよかった”と今シーズンを振り返る

◆#12堀田尚之(日本体育大・4年・G・主将)
091025horita春先は、「日体大の主将」というものにプレッシャーを感じていたようだが、それは徐々に消えていった。理由は「みんながやってくれる」という安心感があったからだ。だから、最後はキャプテンというプレッシャーに押しつぶされること無く、チームを支えた。
リーグ戦第6週に体調不良でベンチを外れ、最終週は本来の動きとは程遠かった。
そして何よりも自分が満足のいくバスケットが出来なかった。彼にとってそれは悔いの残ることだ。
ここ数年、苦しい顔をして去っていった日体大の主将たち。だが、彼にはそんな顔はなかった。自分が最後に体調を崩してしまったという不甲斐なさの顔と、うれし涙。そしてとびきりの笑顔。様々な表情を残し、コートを去っていった。

「プレーがプレーだったので、悔いが残ります。体調が悪くて、最後の1週の練習ができていない状況だったので。今日の試合に関しては本当に悔しいんですが、シーズンを通したらみんなと仲良く、楽しくやれたのでよかったなと。最後の1年間は、4年生でキャプテンやらせてもらいました。実際、プレッシャーはそんなになかったです。それは、みんなやってくれるなって思っていたので、安心していたからです。4年間トータルしたら、丈嗣(#1馬場)が下班から上がるという頑張る選手もいました。最終的に4年生は5人とトレーナー1人ですが、最高のメンバーだと思っています。日体に入れてよかったと思っています」


シューターとして、縁の下の力持ちとして
日体大を支えたプレイヤー

◆#11冨江圭佑(日本体育大・4年・F)
091025tomie冨江の持ち味は、高確率で決まる外角シュートだ。だが、もう一つ注目すべきプレーがあった。それが、味方のフォローだ。目立ちにくい部分ではある。彼がそういったプレーをすることで、チームは好転するきっかけを掴んでいた。
日体大で過ごした4年間は、常に自分の先を歩いてきた先輩達なくしてはありえなかったと振り返った。歴代の先輩に敬意を表しながら、4年間を締めくくった。

「感無量です!本当に楽しかったです。いい4年間でした。それ以外は何も無いですね。今日は、最後に丈嗣(#1馬場)を出してやろうと思っていました。丈嗣の怪我は若干僕のせいでもあるので…(苦笑)。あとは、最後に4年生を全員出したいという気持ちがありました。全員で勝って終わりたいってなって思っていたので、試合前は、気持ちはかなり高ぶっていました。4年間を振り返ると、色んな先輩に教えてもらってきましたし、学年が上がるごとに“日体の重み”というものを知るようになっていきました。そんな中、こうしてバスケを続けてこられたのは、色んな人に支えてもらったからです。特に、先輩の言葉は成長するためには貴重なものだったし、そういうものを得ながら成長し続けられた4年間だったと思っています」


日体大の攻守の要としてチームを引っ張った
攻撃的なプレー、魅せるパスが魅力のガード

◆#3八坂啓太(日本体育大・4年・G)
091025hassakaルーキー時代から出番を得て期待されていたが、能力がありながらもなかなかコートに立つことができなかった2年間が、彼にはあった。
「不本意」と言えばそうであるが、それも今では笑って話せる。こうして吹っ切れたのは、選手、トレーナーを含めた4年生の仲間があってこそだったと、彼らに感謝の意を述べている。
4年目、彼はコートに復帰するも、周りが次々と怪我に見舞われ、思うように仲間と共にコートに立つことができなかった。だが、それもリーグ終盤になると1人、また1人とコートへ復帰し、最後は全員でコートに立つことができた。インカレ出場は叶わなかったが、最後に全員でプレーし、そして連勝を飾れたということには笑顔だった。

「怪我人が多くて、チーム全員でプレーすることがなかなかできなかったんですが、最後に3連勝という形で終われてよかったです。インカレは出られなかったのが心残りですが…。とりあえず楽しめればいいかなと思ってやっていました。自分は、練習とかでも引っ張っていくタイプではない。その分、他の4年生がみんなで引っ張っていってくれました。そういうのを考えると、4年全員がいないとダメだったと思います。選手も、トレーナーも含め、みんなのおかげがあってこそ。本当に感謝しています。4年間の中には、出られない時期もあって、『なんで使われないんだ』って思ったこともありました。でもそれは、自分の練習態度だったり、プレースタイルがチームに合わなかったから。自分のためにチームがあるのではなくて、チームのために自分がいるんですよね。だから、自分が合わせていくしかないと思いました。4年目は最後だというのもあって、我慢しながらやってきました。最後は監督も僕のこともわかってくれていたと、そう思っています」


インサイドプレイヤーでありながら、
オールラウンダーとしても器用なプレーを連発

◆#6宮村 悠(日本体育大・4年・F)
091025miyamura他のチームに比べてインサイドの高さがない日体大のゴールを守っていたのは彼である。自分より大きなセンターに対しては機動力で対抗。また、オールラウンダーとしての要素も垣間見え、相手センターを外へ引き出しては、そこからのシュートというプレーも多かった。
応援に来てくれていた下班(日体大2軍以下の呼び名)の選手たちと、笑顔で終えられたことはよかったと、この試合を持って引退という複雑な心境の中振り返った。

「下班のみんなと笑って終わることができてよかったです。勝ったら引退、負けたらあと2週間くらいバスケットができるというのは、本当に複雑な状況…(苦笑)。でも、試合前は、『最後はみんなで勝って終わろう!』という話をしていました。なので、こうして勝ってみんなで笑顔でシーズンを終えられたということは、本当によかったです。4年間を振り返って…最終的には日体に入ってきてよかったなと思っています」



4年目で才能が一気に開花
日体大の3ガードの一員として強烈な印象を残す

◆#1馬場丈嗣(日本体育大・4年・G)
091025baba春シーズン、日体大の5人の中に見慣れない「#1」のユニフォームがあった。その彼が試合の流れを自分達に呼び込んでいるプレーをしていることは、誰が見ても明らかだった。だが、この3年間、「#1」のユニフォームをコートで見たことがない。そう、彼は4年目にして下班から1軍へと上がってきた唯一の選手だったからだ。
日体大の部員は約120名。その中でこうしてコートに立つことができるのはわずか10分の1だ。下班と呼ばれる2軍以下のメンバーは、1軍のコートに立つことを夢見て日々の練習に取り組んでいる。だが、全国を経験してきたメンバーとは実力差があることは否めない。それでも、4年間諦めずに努力し、そして自らの手でユニフォームを、そしてスターターの座まで勝ち取ってみせたのが、馬場だ。
スピードに思い切りのいいプレー、気迫のあるディフェンスで、今シーズンの日体大には欠かせないプレイヤーへと変貌を遂げた。
「僕にとっては、この舞台でバスケットをするというのが夢でした」
努力は報われる。諦めずに頑張り続けることが自分の夢を叶えることに繋がる。
そんなことを教えてくれたプレイヤーだった。

「僕にとっては、この舞台でバスケットをするというのが夢でした。結果はついてこなかったけど、大学に入ってから1番頑張った1年だったし、本当にいい1年でした。昨日怪我して、本当にチームに迷惑をかけてしまったので、ベンチで声を出したり、選手を盛り上げようということを考えていました。そして、最後に1秒でも出られたらいいかなって…。最後はコートに立つことができたわけですが、涙を堪えるのに必死でした。3年間、下班でやってきて、4年目にこういう舞台に立つことができたという経験や思いをしたのは、過去を見ても僕しかいないと思います。日体に入ってきて、いい仲間にめぐり合えて本当によかったなと心から思っています」
関連記事

テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

EDIT  |  11:27  |  2009リーグ戦2部  |  Top↑
 | BLOGTOP |