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第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2008.12.21 (Sun)

【2008インカレ・インタビュー】「まだ優勝の先が見える」進化の途中・慶應義塾大

最後までベストであるか考え続けることが
プレイヤーとして最も必要な精神

081207suzukia3.jpgネームバリューのある全国区の選手に注目が集まりがちな世界で、慶應大には無名でも努力の結果頭角を現す選手が必ずいる。主将の鈴木はその一人だ。

スポーツ推薦がなく、全国経験の豊富なエリート選手をどれだけ欲しても多く揃えるのは不可能な慶應大のリクルートシステムは、年ごとに成績の波となって現れているのを否めない部分もある。その代わり切磋琢磨することで無名選手を大学界で伸ばしていくのもまた事実である。2004年の石田剛規や2006年の加藤将裕、そして今年の田上和佳といった面々がそうして慶應大の核と成長してきた。

高校まで全国に一歩及ばなかった鈴木惇志という無名選手は、4年目にチームを日本一に導くまでになる。「僕以外の4人」という言葉が、彼の飛躍の大きなキーワードである。

※鈴木選手、青砥選手、田上選手、小林選手、二ノ宮選手のインタビューは「続きを読む」へ。

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「ベストの5人のうちの1人ではない」
心の声と戦い続けて得たMVPの称号


◆#4鈴木惇志(4年・主将・F)

慶應大にとって“特別な存在”だった
国士舘大との再戦

081207suzukiatsushi1準決勝の日、国士舘大と戦うのは「嫌だな」と苦笑混じりに言い残して帰った鈴木だが、それは勢いに乗った国士舘大を敬遠したからではない。
「やはり春とリーグのチャンピオンを倒してインカレの頂点に立ちたかったというだけです。青学を倒してこその日本一という印象はありますよね。でも勝ってきてくれたのが国士舘で良かったとも思います」。
国士舘大で良かったというのはもちろん、リーグ初戦での因縁があるからだ。「最悪の試合」と言い、何度も反省を繰り返したあの戦いがあってこそ、今の慶應大がある。
「今年、慶應にとって国士舘は特別な存在だったと思うんです。あのリーグの1戦目がなければ僕もチームもここまで成長することはなかったと思うし、僕自身もすごく国士舘のファンでもある(笑)。そういう意味で特別だったから、そこと決勝をやるのもありなのかなとは思いました」。
しかし試合は後半一気に慶應大が突き放す結果となった。慶應大はリーグでは接戦をした相手より既に何歩も先を歩いていた。

慶應大も春は「格上相手でも互角に戦い、相手を脅かす」という国士舘大と似たような特性を持っていた。しかし粘れるが及ばない、という欠点は入れ替え戦、インカレを勝ち進む間に変わっていく。試合を重ねるごとに伸び盛りのチームが壁を飛び越えるのがありありと見て取れた。鈴木は勢いのほかにもうひと粘りできなかった国士舘大との違いは、そうした成長が“実力”としてついたことだと客観的に評価する。「(コートに出ている)自分以外の4人や祐典(酒井)を含めた5人は1部と互角の力がある」と夏の延世大との戦いでも言っていたが、これは突然開花したものではなく、昨年この主力たちがコートに立つようになってから段階的に身につけてきた実力であり、これが決勝でもものを言った。
「強くなりました。このインカレで最後のピースがはまった感じがします。今まではどこか惜しいチームだったのが、完全な形として見えてきた」。


「あと少し」から芽生えたバスケットを続ける決意
081207suzukia2.jpgいつも全国一歩手前で終わっていたプレイヤー、それが鈴木惇志だ。宮城県で文武両道の有数名門校・仙台二高時代もそうだった。
「小学生からバスケをやっていて、いつも全国の手前で負けていた。バスケをもっと極めたいと思ったのは、高校時代の東北大会で北向(現bj埼玉)たちの能代に接戦をしたことです。ちょうど仙台高校の最強時代が終わって、もしかしたら全国へ行けるかも、という頃。その最後の試合がとても惜しくて、もっとやれるという気持ちが出てきました」。
仙台二高は惜しくも全国へ出ることはなかった。国体選手に選ばれるが、ミニ国体と呼ばれる予選で敗退。本戦への出場も阻まれる。しかしこの年2冠を達成した能代との戦いで芽生えたバスケへの欲求は絶ちがたかった。「両親は国立大に行って欲しいという希望だったけど、学業でもバスケでも高いところを考えたら慶應が一番合致した」と志を決めた鈴木だが、1年目はAO入試の壁に阻まれた。翌年は猛勉強をして一般で合格。晴れて慶應大バスケ部の一員となる。

「昔は1on1ばかりでしたね」と昔を振り返って苦笑する。確かに下級生の頃は洗練されているとは言い難く、勢いでプレーしている部分は否めなかった。それでも1年目からコートに立つ機会をもらった。2年目は小林の入学によって、3年目は田上の成長によって出番は減る。だが2部降格に直面したとき「自分がもっとプレーで貢献できていれば」と後悔と反省に苛まれた。しかし上級生になるにつれてコートの上で声を出し、下級生への指示が目立つようになったのは確かだ。一つ上の代からも「惇志はよくやってくれている」と年齢的には同じである鈴木が自覚を増していくのに頼もしさを感じる声が出ていた。そして4年目、鈴木は1部復帰の使命を持って主将という重い責任を担うことになった。「今までいなかった明るいキャプテンです。練習の雰囲気が悪くても、自然に彼の性格から笑いが生まれてそこに僕らが乗っかって盛り上がる。彼は最高のキャプテンです」と同じ4年の白井が言ったが、その明るさの裏で常に余人に知られざる葛藤と戦っていたことも事実だ。


常にベストかどうかを求め続ける姿勢
アイデンティティを支えた欠落感

081207suzukia4.jpg特にプレー面でのプレッシャーは大きかった。小林、田上、岩下、二ノ宮、酒井というラインナップに割り込む自分がどういう位置にいるか、常に意味を考えさせられた。コートに出ている「僕以外の4人」はそこから出てきた言葉だ。
「“祐典を出していればもっといいチームでは?”という心の声と常に戦っていたと思います。実際にも祐典を出した方が強いのではという声は絶対にあったと思うし、見ている人も相手チームだってそう思ったかもしれない。だからこそそれに負けたくはなかった」。
欠如への恐怖が鈴木を追い込み、また奮い立たせる最大の理由となった。そうした気持ちは試合にも表れ、流れを変えるプレーを連発するようになっていく。
「プレータイムが増えたから上手くなったというのはあると思います。でもなぜここまでできたのかというと、自分がいわゆるベストの5人の中の1人じゃなかったからだと思います。祐典を出していればいい状況なのに、そこにあえて僕が出る理由は何だろうと常に考えていました。だから自分がちょっと活躍したぐらいで満足する訳にはいかなかったし、もっと存在感を出してチームを引っ張っていかなければと常にどこか満足してはいけない状況にあった。そこからスタートしたのが結果的に良かったんだと思います」。
とは言うものの、スタメンとして鈴木がいなければチームはここまでまとまりを持って優勝することは不可能だっただろう。そこは自信にならないのだろうか?
「優勝した今は半々。まだ祐典の方がいい時間帯もあるし、自分の方が必要とされているときもある。でも評価されても気持ちは変わらないですね。自分がそこで満足してしまったらもう成長はない。選手として終わってしまいます。現役の時間は残りわずかですが、常にこの5人に割り込むにふさわしい選手でいようと根底で思っていなければいけないと感じています」。
優勝してもなお、鈴木は「自分以外の4人」と「4人の中に入る自分」について考え続けている。

鈴木はインカレMVPを受賞しながら学生で現役を引退するという、おそらくあまり過去に例のないプレイヤーとなる。しかし残された少ない時間、最後の最後まで考え続けるだろう。「自分はベストの5人と言える中の一人だろうか」、「祐典の方がいいと言われないだろうか」。決して満足せず、最後まで追求を続ける。

彼よりもバスケットがうまい選手はいくらでもおり、そうしたプレイヤーがこれからもキャリアの中で華々しい活躍をしていくだろう。しかし、この学生バスケットという枠の中で鈴木が最大限努力し、発揮したものを我々は忘れてはならない。
アスリートとして最も必要な「最後までベストを追求する」という精神。このインカレでは多くの選手が最終的についた順位に最後は自分で納得した。あるいはさせられて「良かった」「これでいい」とインカレを締めくくった。しかし本当に求めなければいけないのはこうした満足の言葉ではないはずだ。
鈴木だけは優勝してもなお納得せず、考え続ける。その姿勢こそが彼がMVPにふさわしいと示している。


「もっと泥をくれ」
4年生として見せたもの

081207aoto.jpg◆#6青砥宗一(慶應義塾大・4年・F)

リーグ戦で白鴎大と競り合いとなった試合、静まりかえった会場で青砥が叫んだ。
「絶対勝つ!」
一瞬応援団も観客も唖然とした雰囲気になるが、それは負けそうな空気を断ち切ったからという以上に、普段は試合の場でこうしたパフォーマンスをするタイプではない青砥がそう叫んだからでもあっただろう。それ以降、毎試合青砥は叫ぶようになる。自分やチームに言い聞かせるように。いつしか「絶対勝つ」は慶應になくてはならないフレーズとなり、さらにインカレではシュートが入ると必ずベンチの皆にハイタッチしていく青砥の姿が加わった。
「正直、自分がコートに立つ時間は短いので、コート外でできることは全部やろうと思っていました。たまにノリがいまいちでやりづらい感もありましたけど(苦笑)」。
そうは言うが、どちらかというと冷静に試合を見がちな慶應大ベンチで青砥の存在は、一筋の明るさであり、チームを盛り上げていくために必要不可欠なものだった。

全中優勝の経験を持って慶應に来た青砥だが、入学早々ケガで1年を棒に振った。復帰後もインサイドでの力強いプレーはあるが、高さの足りない面でどうしても出番は減りがちになる。そうした状況に葛藤はあったはずだが、それでも寡黙に自分を貫いてきた。しかしこの青砥の決意の叫びは最終学年として何をすべきか、彼自身が考えた結果でもある。

二回戦での早稲田戦、大差がついて控えメインとなったとき、ミスが続いて佐々木HCも「もう主力6人で戦う」と厳しく言ったという。しかしその後も青砥をたびたびコートで見る機会はあった。「佐々木先生の愛に感謝します」と言い、決勝の4Qには104点目も入れ、チームから誰よりも大きな声援を浴びた。
「それは日々の努力の賜物ですね。本当に練習から大切だと思っていたので、毎日試合のつもりで、最高のパフォーマンスを出せるようにやってきました。そういう姿を後輩が見てくれて、試合に出たときにああして応援してくれるのにつながったんじゃないかなと思います。あとはやっぱり、1人で戦っているわけではなくて、チーム全員の思いを背負ってコートに立とうと思っていました」。

081207doro.jpg新しく登場した“もっと泥をくれ”という応援ボードは、そんな青砥への全員からの声援だった。
「自分はプレイスタイルが泥臭いんですけど、こういう特殊な状況下だと必ずチームに泥臭さが足りなくなるんですよ。そういうとき、“もっと泥をくれ”と。皆が持っている泥をちょっとずつもらえば僕が勇気を持ってコートに立てるので。あれは白井を筆頭に4年が作ってくれたものです」。
スタメンとして大きく脚光を浴びることにはならなかったが、それでもこうして皆に信頼され、“泥”をもらって力にした慶應での4年間を悔いなく締めくくる。
「感無量ですね。4年生でタッグを組んでやってきて、それに後輩がついてきてくれたので、チーム一丸でつかみとったすばらしい勝利だと思います。“我が生涯一片の悔いなし”という感じです。1年のときに怪我したり色々ありましたけど、別にもう悔いはないし、本当に後悔も全然ないし、慶應が一番自分に合っていたかなって。バスケだけじゃなくて学校の面を合わせてもそう思います」。



田上と小林、3年生の進化
◆#11田上和佳(3年・F)&#9小林大祐(3年・F)

努力を実力に変えて担った
慶應大躍進の一翼

081207tano.jpg今期、めざましい成長を遂げた一人が田上だ。高校時代は福岡の名門進学校へ進み、バスケとは縁遠くなるかと思われたが、いいチームメイトに恵まれて選手として可能性を広げる。全国大会出場は叶わなかったが国体選手に選抜され、ミニバス時代からの幼なじみ、小林とともに慶應大へとやってきた。

1年目は春先の故障で出遅れ、2年目もやはり春は腰を痛めて動けなかった。秋からは出番を得るが、チームが入れ替え戦へと落ちていく中で思うような働きができず、「チーム内の悪い状態や雰囲気を打開できなかった」と自分を責め、小林が一人で抱え込んでいたときには「幼なじみの自分にどうして言ってくれないんだ」と叱りもした。そんな田上は今や慶應大になくてはならない存在となった。

「全国大会とかあまり経験してなくて、チームのスタメンの中で自分の役割とかを意思に疑問を持ってしまった時期があったので、そこを乗り越えて結果を残したことは良かったです」。
田上もまた、高校時代は国体しか経験していないという、どこか足りない不安と戦っていた。真面目な性格は人一倍、体育館にいる時間も長い。全国での結果という「自信」がない彼にはただひたすら自分で自分を納得させる練習時間が必要だった。体力的にも劣ることを痛感し、春のオフは積極的にトレーニングにも励む。それと同時に同じようなキャリアの鈴木を気遣うところも見せている。リーグ戦では「自分もあまり調子がよくなかったのに、田上が声をかけてくれて、それで心が軽くなったのもあります」と鈴木も頼れる後輩に信頼を寄せた。春からチームを作る上で似たような不安と戦う2人は意思疎通を大事にしてきたが、この成果は大きかった。また、チーム全体を考えるメンタルだけではなくプレーでも国士舘大戦で32点を入れるなど、「自分がやらなくては」と責任感を見せていく。

インカレではより存在感が大きくなった。シュートの精度のみならず、速い展開にも常に走って得点に絡み、決勝ではリバウンドでも魅せ、「Mr.everything」の名に恥じない活躍で国士舘大を寄せ付けなかった。
「ゲーム中に感じたのは、感覚的なものなんですけど今までの国士舘にちょっと苦手意識を持っていたんじゃないかなと。そういったのを感じたときに『ここで流れに乗っていこう』としっかり走って、シュートも弱気にならず打っていったので、それがああいう結果につながったと思います」。
そこには1年をかけて不安を実力に変えてきた自信がある。
「自分たちのプレーを通してこられました。淡々と勝って日本一になったんですが、終わってみれば勝つべくして勝ったというか冷静に勝ったなと感じます。日本一の喜びというより、みんなでやって勝って良かったなという方が大きいです」。
それでも、まだ優勝という結果に安住しない気持ちもあるのが田上らしい。
「記者会見で大祐も言っていたんですが、まだまだ先がありそうなチームというか、まだ足りないとか詰めが甘い部分があって荒削りというか。まだまだ洗練されていくし、付加価値がついていくんじゃないかなという印象です。まだ頑張って成長したいと思います」。
応援ボードでも賞賛された“努力の才能の持ち主”は、まだここからの成長を誓う。


「ここまで来たらもっと上を見たい」
真のエースへの変貌はここからまだ問われる

081207kobayashid1.jpg「まだ先がある」という小林もまた、この1年で大きく変わった選手だ。1年のときはゴールデン世代とともに決勝のコートに立った。しかし2年目は苦労の連続だった。2部降格、インカレベスト16と昨年は成績も低迷。エースと期待され、自分ではやっているつもりでもチームの方針ともかみ合わない時期は精神的にも追いつめられた。自分一人を責め続けて殻に閉じこもり、頑なな1年だった。「どこか甘えていた。自分が子どもでした」と言えるようになったのは今年の春。顔つきは別人のようになっていた。また、スタンドプレーが目立った昨年とインカレではプレーも大きく違い、引っぱりながらも要所を締めるプレイヤーとなった。
「それはお互いの助け合いですよね。僕がダメならタノ(田上)がやってくれるし、ニノ(二ノ宮)がダメなら僕や達(岩下)がリバウンドを取ってまたチャンスを作ってくれる。お互いの長所の出し合いというか助け合いが結構うまくいったと思います。春から1対1の練習をしてきて、そこに自信があったからいざとなったら1対1でやればいいという気持ちでいたのが良かったかもしれません。そこは佐々木先生のプランも良かったんじゃないかと思います」。
チーム力の向上とメンタルの成長が昨年にはなかった助け合いを生み、その結果チーム全体をさらに飛躍させ、優勝を手にした。

「個人的には優勝してなかったので、結果が欲しいというのと、どんな気分なのかなと。学生のチャンピオンはどんな気分なのと、味わってみたい思いがありました。でも実際優勝してみると『優勝したんだ』という漠然とした思いで、自分でもよく分からないです。勝負の内容云々というより、このチームで先がまだ見ていけることを感じていたのかもしれません」。
常に結果を求めてきた小林。「結果に納得しなければ先に進めない」と早慶戦のときには言ったが、まだこの優勝は彼には把握しきれていないようだ。しかし、納得して進むべき先はインカレ以前にもう彼の中にあった。実は、入れ替え戦後のインタビューで小林はインカレのことを語るよりも先に「オールジャパンでJBLに勝ちたい」と言った。彼にとってインカレを制すことは切実すぎるほどの望みではなく、1部昇格を成し遂げたあとは2年前に日立を倒した興奮が彼に新たな欲求を生み出していた。
「僕的にはインカレよりその方が楽しみだなあと思ってました。本当に楽しみ。ここまで来たら上を見たいし、人として当然ですよね。みんなは休憩だという気分かもしれないですけど、僕はそれをさせないです」。
常に先を見ていることはプレイヤーにとって必要な要素だ。偉大な先輩とともに戦うのではなく、這い上がって自分たちで得たチーム力で今度はどれだけ戦えるのか。オールジャパンは社会人1位を倒さなければJBLにはたどり着けない組み合わせ。甘くはないブロックだ。小林の新たな「結果」を求める時間はインカレを越えてまだ続く。



得点王からアシスト王へ
自らに満足しない姿勢の前に広がる可能性

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◆#16二ノ宮康平(慶應義塾大・2年・G)

インカレを見て二ノ宮がインターハイ得点王の称号を持っていることを想像するのは少し難しい。高校時代は典型的な点取り屋だった。サイズはないが、アウトサイドのみならずゴール下へのドライブもふわりと軽く、当時ダンクもできたという跳躍が見る者を魅了する。しかし大学へ進学し、求められたのは1番というポジション。ステージが上がればよく見られるこのコンバートだが、失敗する選手は少なくない。自由で足かせのない点取り屋からチームを動かす抑制のきいたプレイヤーに変貌するには、多大な自己改革が必要だ。二ノ宮は元々自己主張の強いタイプではなかったが、どういった選手に育つかが見物でもあった。

昨年の春は自分のリズムを作れずにいた。「途中から出るのは難しい」とこぼしたが、これまでのキャリアで常にスタメン、フル出場に近い活躍を続けてきた二ノ宮はポイント出場で自分を生かす術を知らなかった。リーグ戦では途中からスタメンになるがまだチームも自分も未熟で、フル出場でも悪戦苦闘の連続だった。試合をコントロールすることを考えすぎ、自分のタイミングでシュートが打てなくなる。また、打つべき場面でもパスを出すといった場面が散見された。トランジションも目指すところには遠かった。だが、二ノ宮は常に自分に課題を出し続けるタイプであり、人に指摘される以上に自分の問題点を意識していた。彼はインタビューのたびに「修正」と口癖のように言い続けた。

名実ともにスタメンガードとなった今年。佐々木HCが「二ノ宮がちょっと悩んでいるかな」と言った春先はオフェンスでリズムを崩していた。特にアウトサイドの不調が見えたが、その代わりトーナメントではディフェンスでの貢献が目立ち、スティールから速攻に走る場面は少なくなかった。
「今大会、オフェンスは全然調子がよくなくて、全試合ダメで自分でも納得いっていません。でもディフェンスは気持ちで頑張れるのでやろうと思ってました」。
できる部分での貢献を考えた春だったが、ガードとしての立ち位置はより明確になっていく。
「去年とはだいぶ違いますね。意識することも。志村さん(現bj仙台)が練習に来てくれたときに『いかにフォワード2人に気持ちよくプレーさせるかが重要になってくる。そしたら自分も気持ちよくできるようになるから』とか、いろいろと教えてもらいました」。
この偉大な先輩との練習は二ノ宮には刺激になったようだった。どういうときどんな選手を使うべきか、バスケットを始めたときから司令塔として生きてきた志村の考えが二ノ宮に伝えられ、またプレーでも教えられた。「トランジションの早さにびっくりした」と、自分が意識してきた以上のスピードを身体で知ることになる。こうした経験値が「去年より落ち着いてできているし、周りも見えています」という感覚となり、「ガードである自分がなんとかしないといけない」、「自分はガードとしてもっと選手を動かしたいです」と、司令塔である自分を意識した言葉が以前に増して出てくるようになる。

081207nino1.jpgインカレではそうした経験が花開いた感があった。これまで時折ワンテンポのズレがあったトランジションは見違えるように速くなり、相手ガードへのディフェンスも執拗でルーズボールへは誰よりも速く反応した。「立花さんとやりたかった」と強い相手との戦いをはっきりと口に出して望み、インカレ決勝でその相手とまみえた。立花はリーグ戦では抑えた部分もあるが、やられた相手だ。
「本当に速いし、すごく攻める意欲があってそういうところは見習わなきゃと思います。あと4年生としての自覚をすごく感じました」。
その立花との戦いは、二ノ宮だけではなくチーム全員でのディフェンスで彼を止めることになる。立花は外では二ノ宮、中では岩下の高さに攻め込みきれず、決勝は持ち味を発揮するには至らなかった。
「3Pが当たったら怖いなとは思っていたんですけど、相手がやりたいことはほぼわかっていました。ガードを抑えたり、3Pを簡単に打たせないディフェンス、こっちが切り替えを早くするということが重要でした。そこはみんな共通理解してできたので、結果的に大差で勝てたんだと思います」。
国士舘大とは3度目の対戦という以前に勝つ自信のようなものが慶應大にはあった。
「個人的には春の時点から、もしかしたらいけるんじゃないかと思っていました。それが確信に変わってきたのはリーグ終盤。筑波との第2戦目で僕はちょっといい感じだなと思って。『もしかしたら』と確信が一緒になった感じですね。惇志(鈴木)さんが引っ張ってくれていいチームになれたので優勝できたと思います。でもまだまだ成長過程のチームだと思うので、これから2連覇、3連覇とやっていきたいという気持ちも新たに芽生えました」。
その鈴木もまた特に二ノ宮を評価した。「彼はこのインカレでほぼ完璧に近いプレイヤーになった。その上まだこれから2年もある。これからの伸びを考えてもすごいですね」。
ガードとして一回り成長したことを示すように、二ノ宮は狙っていたというアシスト王の称号を手にする。空いたところではいつも通り狙ったが、それ以上にパスを供給する姿がインカレでは目立った。
「アシスト王が獲れたのは、シュートを決めてくれる周りがいたからのことであって、みんなには感謝してます。これからはもっと周りを生かせるようにしていきたいです」。
成長を続ける司令塔は、得た称号を喜びつつも最後まで変わらなかった。
「もっと周りを生かせるように」
二ノ宮がガードとしての自分に満足しない限り、進化は続いていくだろう。

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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

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