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第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2008.12.07 (Sun)

【2008インカレ・コラム】Best Team特別賞受賞・慶應義塾大

A・Bチームへの分割を補い合い
一体感でつかんだ“ベストチーム”の称号

081207best.jpg60回記念大会となった今年、特別に設定された「Best Team特別賞」。印象に残った個人の選手に投票するMIP賞とは別に、チーム全体として印象に残ったところを観客に投票・評価してもらうという試みだった。

大荒れの大会だった今年、当初は一回戦で青山学院大に善戦した立命館大に票が集まった。また、関東では票を伸ばしていた東海大がベスト16で姿を消すなど予想できない展開が続いた。最後に受賞の栄冠に輝いたのは慶應義塾大。優勝とともにチームはもう一つの称号を得ることとなった。この栄誉は表舞台に立つ主将の鈴木やスタメンだけではなく、陰ひなたでチームを支え続けたBチーム主将の白井ら4年生の強い思いが結実した結果と言えるだろう。


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「ABに分かれたからといって一体感をなくしたくない」
それがチーム全体の思い

081207team.jpgチームの「一体感」はこれまでずっと慶應大のテーマだった。2004年にABに分かれていたチームを、主将の志村雄彦以下、4年全員の意見で分け隔てなく練習を一緒にするように変更する。それが大きな支えとなってこのチームはリーグ戦・インカレを制する。優勝したあと、志村たちは言った。「バスケの技術ではなくて、こういう一体感をチームに作るのが一番大変だった」と。コートに出ている選手だけで勝ち取った勝利ではない、と彼は強調した。当時14名いた4年生で試合に出ていたのはトリオと呼ばれた志村雄彦・石田剛規・辻内伸也の3名とバックアップで時折顔を出す副将の関 淳平といった程度。残りの4年生は裏方に徹した。関が優勝のコメントで「5人しかコートに立てず選手層は一番薄かったかもしれないけど、チームとしての厚みはうちが一番だった」と言ったのは裏での支えもまた、チームの「力」として大切だったことを自負した言葉だ。石田「試合以外のことは残りの4年生が全部やってくれました。本当に支えになった」と言い、今もJBLでつける背番号14はそのときの4年生14名を示す数字である。「チーム一体」となったことは、慶應大に大きな結果と自信をもたらした。それ以降、増える部員と練習の密度に悩みながらも一緒であることを大事にしてきた慶應大は、今年遂にABを分ける選択に出た。理由はもちろん1部復帰を目指し、勝つためである。このチームには今年、一体感以上にどうしても“結果”が必要だった。しかしもちろん、チームが分かれることへの危機感もあった。「ABに分かれたら“一体感”がなくなってしまうというのでは、せっかく志村さんたちがAもBも一緒にしてくれた訳で、申し訳ないという思いもありました」Bチーム主将となった4年生の白井は、これまでにない責任感を持って声を出し、チームを率いた。

これまで慶應大は関東上位の中で珍しく誰でも入部でき、なおかつ人数が多くてもABの分け隔てないバスケット部だった。一握りの全国区と残りの一般的な選手、という構図は昔から変わることはない。「関東の強い大学で、誰でも受け入れてくれるのは慶應大だけ。だからここに入りたかった」(4年・寺西)というように、地区予選止まりでも、全国で活躍してきた選手と一緒に切磋琢磨できることを目指してくる選手もいる。かつては志村雄彦「高校時代悔しい思いをしてきたやつらと、全国で勝ってきた選手が一緒になって勝つ喜びを感じられるのが慶應のいいところ」と言った。だからこそ今年、ABチームに分けたことを響かせないことが重要で、練習時間や場所といった扱いの格差ができてしまったチームをバラバラにしないよう、主将の鈴木はAチームの練習が終わった後、自分の時間の許す限りBの練習を監督した。一度白井がAチームに上がったときは、Bで同じくリーダーである松山が練習をリードし、白井もできる限り顔を出して面倒を見た。

081207NAKAMA.jpgこうした境遇に部員全員が納得したかどうかは言い切れないが、Aチームは勝つことでBチームに応えていき、Bチームが主体となった応援団もこれまで以上に気持ちを見せるようになる。リーグ戦からは応援ボードを作り、声を張り上げた。また、リーグ中盤に手首をケガした二ノ宮がテーピングを巻き始めたのをきっかけに、同じように応援団にもテープが巻かれるようになる。それはコートに立つ選手たちと同じ気持ちで応援団・控えも戦っているという意志の現れだった。上級生も下級生も垣根のない間柄は、こうして強い結束力となってチームを成長させていった。

写真上:チームMIPを受けて喜ぶ応援団。今使っているものが壊れていたため、副賞のクーラーボックスには下級生から歓喜の声があがった。
写真下:入れ替え戦のあと二ノ宮以下、手首を黒いテープで補強したテーピング仲間の面々が笑顔を見せた。もちろんこのテープはインカレでもずっと巻かれていた。



六大学リーグ優勝で見せた控えの奮闘と
最後の合宿における4年生たちの思い

081207team2.jpg慶應大はインカレ直前に行われた東京六大学リーグで初優勝する。そこで驚かされたのはスタメンとシックスマンの酒井を休ませたにもかかわらず、それ以外の選手たちの頑張りによる勝利を手に入れたことだった。主力以外の控え選手にとって貴重な試合の場となるこの大会は、年によっては格下の立教大や東大に負けることもある。しかし控え選手たちはその2校はおろか、同じ1部の法政大にも勝利する。Bチームの4年、溝口は「インカレ前にAチームの気持ちを落とさせる訳にはいかなかったから」と、頑張りの源を口にする。また、六大学のあとの合宿でもBチームは全体の橋渡しとなる。白井は最後のインカレにも、チーム全体を大事にする姿勢を貫いた。「Bチームの4年生である僕と寺西と松山と溝口は、インカレ前の合宿では4年間で最後の合宿だからAチームでやらせてもらうはずだったんです。だけど、その間Bチームを放置しておく訳にも絶対いきませんでした。だから先生にもお願いして4人はBチームで練習して、Aチームの合宿では『自分たち4年生が全部立って声かけなどをしていくので、そういう形にさせてもらえませんか』と言ったんです。そうしたら佐々木先生がその気持ちを汲んでくれました」。Bチームの4年生たちはAチームの練習に加わって自らの4年間を満足させるのではなく、あくまでチームを下から支える道を選んだ。

081207team3.jpgこうした合宿を経て始まったインカレでもチームは一つだった。天理大との接戦を制したときも、優勝を決めたあとも、主将の鈴木は真っ先に応援団の真ん中へ飛び込み、白井たちと喜びを分かち合った。白井は言う。「僕はこれまでずっとバスケットをやっきて、試合に出て活躍することが全てで応援ももちろんするけれど、それはあまり意味のないことだと思っていたんです。ベンチメンバーから外れたときも、チームのために頑張るということはあまりしてこなかった。今年は佐々木先生からも『チーム愛がすごい』と言われましたが、僕はそんな風には思ってなくて。惇志とか大祐とかみんなが頑張ってくれたので、そういう仲間のためにやりたいなという気持ちが自然に芽生えました。それがたまたまチームのためにプラスになったんだと思います」
こうした思いは観客にも伝わったのだろうか。ベストチームの投票は、最終日前まで他のチームがトップに立っていた。しかし、表彰式で読み上げられたのは慶應大の名前だった。

無理にチームを作ることはできない。また、インカレという特別の場だから発揮できたチーム力でもない。互いが互いを思いやり時間を重ねていった結果、彼らは次第に一つとなっていった。彼らが手に入れたのは単なるベストチームという称号だけではない。他の何にも代えられない確かで強固な“絆”こそ、彼らが手にした全ての人に誇れる結果だ。その絆は過去の先輩達が連綿とチームの中で大事に育んできたものであり、そしてこれからも慶應大を支えていく“核”となっていくだろう。

写真上:それぞれの選手のため、多くのボードが掲げられた。
写真下:「4年、そして白井の助けは本当に大きかった」という鈴木は天理大戦のあと真っ先にその白井や松山ら4年生のところに飛び込んだ。


志村雄彦…2004年度主将。現在bjリーグ仙台89ers所属。45年ぶりに慶應大を優勝に導いた強いキャプテンシーの持ち主。
石田剛規…2004年度副将。現在JBLトヨタ所属。辻内伸也(現在JBL2豊田通商)とともになくてはならない両ウイングとして活躍。志村とともに“トリオ”といえばこの3名を指すほどに大学界では定着していた。
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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

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