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第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2008.12.17 (Wed)

【2008インカレ・コラム】5人で歩いた4年間・専修大

無名の5人が最後の年に結果を残すまで
数々の試練にも揺るがなかった“5人の絆”

081207sensyuenjinインカレ最後日の3位決定戦。タイムアップのブザーが鳴ったとき、専修大は4年生5人が揃ってコートに立っていた。飯田、能登、増川、鈴木、そして堤の5人が揃った2度目のシーズン。多くのファンが、そして誰よりも互いがこのときを待っていた。
入学したときから、5人。専修大は、高校での実績がなくとも光るものを持っている選手を集めて育ててきたが、この代も堤以外は全国的には無名と言える5人だった。堤とて高校3年時のウインターカップを逃し、入学時の話題は他大学の選手の次だった。

そんな2005年の春、5人の物語は始まった。

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#0堤啓士朗の嗅覚
081207tutumi143年前、5人は中川直之・和之兄弟(現九州電力/bjライジング福岡)や波多野和也(現bj大阪エヴェッサ)らの代と入れ替わりにソアラーズの一員となった。最初に頭角を現したのはやはり堤啓士朗。名門・福岡大大濠高のスタープレイヤーであり、高校2年のウインターカップ準決勝では、残り6秒1点ビハインドの場面で相手スローインをスティールして決勝点を決めるなど、独特の勝負強さも持っていた。その、観る者を惹きつけるプレースタイルから専修大の「ショーバスケット」(魅せるバスケ)を受け継ぐ人材と期待され、その期待に堤は1年の新人戦でいきなり応えてみせたのだ。

2連覇を狙っていた筑波大と対戦した準々決勝。専修大は1Qで10-23と大きなビハインドを負う。前半が終わって19点差、3Qが終わっても1点しか縮められなかったが、4Qに大逆転劇が待っていた。

主役となったのはもちろん堤だ。筑波大のディフェンスが緩むとインサイドを強調、4分間で1桁差に持ち込む。浮き足立った筑波大を見て今度は自らが得点し、たった7分間で18点の差を消してしまった。極めつけはその勢いに乗って4点リードで迎えたラスト1分。筑波大がパスを迷ったのを見逃さず、スティール&ボールキープして試合を決めた。試合が終わるやいなや、浅野崇史(現bj埼玉ブロンコス)や喜多川修平(現JBLアイシン)ら当時の2年生が堤の元に駆け寄った。

さらに、この翌日の準決勝でも青学大に前半で20点のリードを許すが、後半にチャージ。この1本が決まれば一気に持って行ける、という場面で堤がルーズボールに飛び込んだ。そしてフリーで前を走っていた喜多川にボールを出したが、審判は堤のファールをコール。それもあって結局、連日の大逆転はならなかったが、「それはないよ」と苦笑いする堤はもうファンの心をつかんでいた。他のどのルーキーも持ち得ない、勝負の分かれ目を嗅ぎ取る力。堤がいる4年間はきっと面白くなる―しかし、その4年間のうちたったの半分しか彼がコートに立てないと、誰が想像しただろう。

写真上:2005新人戦・筑波大戦終了直後。このときの堤の背番号は「14」だった
写真下:2006新人戦・7位決定戦。鈴木を能登、飯田がねぎらう



#28能登、#10飯田、そして#22鈴木の覚醒
5人が2年生になって迎えた新人戦。キャプテンを任された堤は、「優勝を狙っていた」という。もちろん、それはこの5人だったから出た言葉だ。「2年がちょうど5人でポジションもうまく分かれてる。チームワークもいい」。トーナメントでは全員がベンチ入りを果たし、まさに伸びざかりの5人は堤の言葉を実現すべく勝ち上がった。準々決勝の早稲田大戦も立ち上がりからリードを奪う。だが、1Q残り2分にそれは起こった。堤が着地と同時に膝を抱え、立ち上がれない。それでも再度出るつもりできつくテーピングをしたが、身体はそれを許さなかった。5人の時間は途切れ、司令塔は1年生が務めることになった。堤たちの代は、5人。誰かが欠けたら、1年生しか代わりはいなかった。

しかし、“堤の代わり”はいない。ここで彼の不在を埋めたのは残りの4人だった。

081207sinjin21年間1部でもまれた4人は確実にレベルアップしており、特に専修大にやってきた所以であるその“持ち味”をこの大会で存分に発揮した。ルーキーシーズンから堤と並んでユニフォームを勝ち取り、驚異的なオフェンスリバウンド&フックシュートで度肝を抜いた能登裕介は、この試合でも黙々とリバウンドを取りまくった。そして、鈴木正晃。堤が下がった後じりじりと詰められ、3Q終盤に1度は逆転されたが、次々とシュートを沈めて早稲田大の太田匠と決め合いを演じた。176センチと堤より小柄ながら鈴木が2番ポジションを務めるのは、その類まれな運動能力とそこから生まれる得点力ゆえ。鈴木の爆発的なオフェンス力は、この大会をきっかけに他チームに知られるところとなった。

だが、勝利には1歩及ばなかった。さらに翌日の順位決定戦も敗れて結局7位に終わる。それでも、雰囲気は悪くなかった。それは飯田貴大の存在が大きい。堤がコートを離れたあと、チームが苦しくなる度に「切り替えろ」「気にするな」と声をかけ続けた。「自分達の代では啓士朗が1番存在感があって、あいつが言うと周りが締まる。その代わりを下級生に任せるわけにはいかった。自分はプレーで何もできていないので、声を出すしかないと思っていました」

本人は謙遜するが、もちろんプレーでも貢献した。後輩の1年生7人のうちセンターは1枚だけ。全体チームで見せたきれいなフォームからのアウトサイドシュートは封印、能登とほぼ2人でインサイドを回した。それでも、「自分は跳ばなくてもいい。抑えればあとは能登が取ってくれる。あいつのリバウンドは本当にすごいんです」。飯田のどこまでも飾らない言葉は、5人の絆の強さを感じさせた。

堤は、ラスト2試合で他の4人が奮闘するのをベンチから見つめていた。またこの5人でやりたい。そんな気持ちだっただろう。試合後、負傷した足を守るため車椅子に座ってはいたが、「リーグは絶対優勝を狙う。自分たちに合ったプレーをやるだけです。自分もさっさ直して、戻ってきますよ」という言葉は力強かった。


1年半のブランク
だが、復帰には思いのほか時間がかかった。
そして堤の不在と共に、専修大の成績もしばらく沈む。その年の秋のリーグは、竹内公輔・譲次兄弟ら“ゴールデン世代”と呼ばれる代の集大成の年だったこともあってハイレベルな戦いが続き、全敗を喫する。なんとか2部降格は回避したが、雪辱を誓ったインカレは2回戦で東北学院大に敗れてベスト16に終わった。

この試合、専修大は3Qを終わって18点のビハインドを負っていた。くしくも2005年の新人戦・筑波大戦と同じ点差。しかし、チームは勝機を見つけられなかった。逆に4Qに2つのテクニカルファールを吹かれての完敗だった。

ベスト8に入れないということは、シーズンの終わりを意味する。この試合の後、飯田は目に涙を浮かべてこう言った。「自分達がやるべきことをやらなければ、勝てない」。もう、専修大は「ショーバスケット」とは言われなくなっていた。堤の言っていた“今の専修大に合ったプレー”とはどんなものなのか?兆しが見え始めたのは、5人が3年生のときのリーグ戦だった。

081207leaguenoto5人にとって3回目のシーズン、堤はリハビリに専念するため1年間ベンチ登録から外れる。その堤に代わって、1番ポジションを任されたのは鈴木だった。この新しいスタイルは、春を経てリーグで安定感を見せ始めていた。だが、さらなるアクシデントが専修大を襲う。リーグ最終週、まるで頭の上にボールが落ちてくるかのようにリバウンドをもぎ取っていた能登が負傷により戦線離脱。インサイドでコンスタントに働きチームを支えてきた存在を欠くこととなった。

能登のためにも勝ちたい。そうまとまって臨んだはずのインカレはしかし、相手は違えど前シーズンと全く同じ幕切れとなった。明治大との2回戦、厳しいファール判定に思わず異を唱えたメンバーがテクニカルファウルをもらってしまう。さらに2つのブロックショットをゴールテンディングと判定され猛抗議、チームは崩れた。連敗、ケガ、ファールトラブル…この悪循環を全て断ち切れるほどのプラスの力を持った存在、堤の復帰が心から待たれた。

写真上:2007リーグ最終週。負傷した能登をメンバーが心配そうに取り囲んだ
写真下:1つ1つ階段を上っていった増川



ラストピース・#15増川翔太郎
4年目の春。堤がいよいよ復帰した。この2年の間に、大東大の竹野明倫(現bj新潟アルビレックス)、阿部友和(現JBLレラカムイ)が強烈な印象を残し、また下級生の渡邉裕規(青学大)が台頭するなど、ガードの勢力図は変わった。ブランクのある堤の力は―?だが、不安は無用だった。いつも通り、自分らしく。変わらず堂々とプレーしてみせた。毎シーズンの戦力分析の場となる京王電鉄杯では東京大戦以外全敗に終わったが、トーナメントでは3年ぶりのベスト8。さらに秋のリーグでは能登が復帰し、2年と3ヶ月ぶりに5人が揃った。

「リーグに間に合うかどうかは正直わからなかった。でも4年生と一緒にまたプレーしたいから、なんとかリハビリを頑張って、コートに立つことができました」と能登。コートでのプレースタイルと同じく、黙々とリハビリメニューをこなした。中原雄監督からはただ、「焦るな」とだけ言われていた。「もらったリハビリメニューは色々あって、どれもきついんですけどそれを毎日やって、ウエイトも上半身を含めて身体を自分でもう1回作りました。完璧な状態にしたかったから」

081207masukawalastこうして役者の揃ったリーグは、トーナメントとオーダーを変えて3年生の藤井元気をガード、2年生の張威威をセンターとし、堤と飯田はシックスマンに回った。堤は流れが悪いときにコートに入ってリズムを変える役割、飯田はインサイドで落ち着かせる役割。では、コートで初めからリーダーシップを取ったのは誰かというと、増川翔太郎だ。実は、5人のうち増川だけ、1年春のトーナメントでメンバー登録から落ちた。高校では全く全国経験がない。それでも1つ1つ階段を上がって、今や増川がいるからこそ5人が5人らしくプレーできると言えるほどの存在になっていた。

「大学に入ったときは、3年間経験を積んで4年目で試合に出られたらいいなくらいでした。それがスタートで出してもらえてホントに嬉しかった。4年生として何かできないかと考えていた時に、スタートというポジションを与えてもらった感じがしたから」。その起用は、プレーが格段に変わったからこそだ。増川は「自主練をすれば上手くなるとかじゃない」という。「そうじゃなくて、『やるしかない』と考え方を変えました。なぜか?失敗しても許されない、試合に出ていない人の分まで頑張らなければならない立場に変わったからです。そうやって続けているうちにプレーの精度も上がってきて、自分の限界も超えることができたと思います」

この4年生の活躍が効いて、専修大は下位チームと当たるリーグ前半を全勝で折り返した。そして、5週目には青学大と全勝対決となった。専修大にとっては本当に久しぶりの頂点を争う緊張感。1戦目は20点差をつけられるも、2戦目は鈴木がファールアウトしてしまった4Q残り5分まで一進一退のゲームを演出した。これが、この5人の力。長く一人勝ち状態が続いていた青学大と競ってリーグを面白くしたばかりでなく、インカレの第3シードを獲得し、2年前の新人戦で絶たれて以来秘めてきた「優勝」も夢ではない状態まで持ってきたのだ。専修大の最後の優勝は2004年のトーナメント。2002年のインカレ、2003年のリーグに続き、4度目の優勝を狙って代々木第二に乗り込んだ。


“最後は4年でやってこい”
インカレではこれまでの不運が嘘のように、ツキも5人に味方した。1回戦で中央大が敗れたことで、関東のチームと当たることなくベスト4に進出。迎えた準決勝の相手は慶應大だった。今シーズンは慶應大が2部だったこともあり、新人戦を除けば昨年のリーグ以来の対戦。試合のポイントはただ1つ、どちらが“らしさ”を見せるかだったが、それを成功させたのは慶應大だった。ビハインドになった専修大は堤を投入するが、実は2回戦で手の指を骨折しておりドリブルも思うようにはつけない状態。さらに、久しぶりのベスト8で疲労も蓄積していた。足が動かず、前半の15点差から3Q7分には27点差まで開いてしまう。

「俺ら20点差までは大丈夫なんですけど、それ以上あいちゃうとさすがに…ダメでした」(堤)

081207sensyu420点。3年前の新人戦で跳ね返した数字だ。しかし、もはや懐かしく思えるほどそのゲームからは時間が流れていた。取り巻く状況が全て変わった今、この試合は専修大にとっては静かに時間が進み、4Qも4分を刻んだ。

このまま終わっていたなら、この5人の道もここで終わっただろう。だが中原監督は、慶應大が取ったタイムアウトの終了を告げるブザーが鳴ったあえて後に、立ち上がって5人を集めた。メッセージはただ1つ。「今年のチームは4年のチームだから、お前らがしっかりまとめてこい」。それを聞いてコートに散った5人の表情は、一瞬前とは違っていた。能登は言う。「やっぱりここまでやってきたから、俺達4年生で引っ張っていかなきゃいけないと思いました」

4年生5人が主力でやってきたのは、2部には筑波大もあるが、1部では専修大しかない。2003年にセネガル人就学生が登場したこともあり、高校生プレイヤーのスキルはここ数年で飛躍的に上がった。ポジションアップにすんなりと対応できる選手が大学界に続々と入ってきたことで、下級生でもチームの主力となる場合が増えてきた。専修大の5人はその中で、高校のときにはさほど注目されなかった自分の力を少しずつ、しかし確実に伸ばし、今ここに立っていた。専修大は毎年、そうした4年間を見てきたからこそインカレにはできる限り4年生を登録しているが、特に各ポジション1人ずつしかいない今年の4年生が5人でやることにはチームにとっても特別な意味があった。

専修大の4年生として、最後に何を見せるか。翌日の最終戦・3位決定戦はオーダーを変え、4年生5人がスタートに名を連ねた。5人にとっては2年前の新人戦以来のことだった。「最後は4年でやってこい」と中原監督は送り出した。だが、準決勝で狂った歯車を修正できなかった。
「40分楽しんでやろうと言っていたんですが、正直楽しめませんでした。気持ちの面じゃ負けないようにって決めていたんですが、どこかにやっぱり3決っていうのがあったのかなぁ。もちろん最後勝って終わりたかったですけど、何て言うかそういうの本当に俺らできないので…(苦笑)」(堤)

実は、専修大は過去3年間で3回あった3位決定戦はいずれも敗れている。だからこの結果は専修大らしいとも言えた。26点差で迎えた最後の10分間、専修大はオーダーを4年生5人に戻した。それからタイムアップまで、交代はいっさいなし。チームのポリシーを貫いた。
試合が終わると、笑みを浮かべて青学大の選手にタッチの手を差し出す飯田らの姿があった。もちろん、5人同士でもねぎらい合った。目には見えない、数字にも表れるとは限らないけれど大事なこと―5人が5人であること。そして、今まで何があっても5人を信じてやってきたこと。それだけは見せられたという納得の表情のように見えた。

写真上:準決勝、中原監督は4年生5人を集めた。



5人で歩いた4年間
081207tutumihyosyo最終順位は、4位。5人はこの結果をどう受け止めているのだろう。

「最後の最後に疲れてしまって、僕達らしいプレーをして終われなかったのでホントだめでした。すいません。この1年間は4年生が中心で、それに下級生が頑張ってついてきてくれたので最後は俺らが頑張らないといけなかった。それを勝負所で出そうと思ったんですけど、出せなかった。たぶんそれが1番の敗因だと思います」(堤)
「4位なんだなーって。結局そういうことなんだと思います。でも、優勝を目指したから4位。4位を目指していたらもっと下でしたよ。いろいろダメだったところもあったと思うんですけど、それも含めての4位なので、1年間頑張ってきた結果だと思います」(増川)
「あまり結果はよくなかったんですけど、自分の力は出し切ったと思います。学生最後の大会なので悔いは残したくなったし、点差とか関係なしで、自分の持てる力を全部出すために頑張りました。もうこれ以上のものは出せないです」(能登)

と、三者三様。スコアや内容を見れば堤の言葉が、この1年の躍進の集大成と考えれば増川の言葉が、そして1プレーヤーとして4年間でどう変わったかをありのままに見せたラストからは能登の言葉がよくわかる。では中原監督はというと、そんな5人の頑張りに合格点を与えた。特に増川と鈴木、飯田には、「堤と能登がケガいない間、チームを引っ張ってくれた」。だが、増川は「僕はそんなつもりないです」と笑った。
「僕は自分のことで精一杯だったので、練習中もガムシャラに目の前のボールを追い掛けただけ。皆も同じようにケンカ腰みたいな感じでやっているうちにチームの士気が上がったとは思いますけど…。だから、そう言ってもらえるなら監督やスタッフの皆さんに恩返しできたのかな」

一方の堤も「そんな気が利くやつはいない」と同じように笑ったあと、こう続けた。「寮でいつも一緒だから、わかるんですよ。皆知り尽くしているから、言葉をかけるよりも雰囲気でもう伝わってくる。チームワークは1番よかったと思います」

一緒にコートに立つことは少なかったが、寮ではいつも顔を合わせていた4年間。互いの間では、もう言葉のいらない5人。それを少しだけ言葉にしてもらって、5人の物語を終えたい。

081207sensyuall「本当に専修大に入ってよかったなと思います。こんなにいい仲間と出会えて、自分も使ってもらって、ここまできて。4年間は最初は長いかなと思いましたが、実際はとても短かった。3年のリーグで膝をケガしてしまって苦しい時期もありましたが、4年のリーグから復帰することができて、啓士朗も復帰して、また4年と一緒にバスケができてよかったです。この大学の4年間で、最高の仲間と最高の時間を過ごすことができました。5人はよき仲間であり、よきライバル。ケガをしていたときも、4年が活躍していたから自分も頑張らなきゃと思えました。うまく言えないけど、本当にいい仲間です」(能登)

「高校のときより俺はやりやすかったし、中原さんに色んな技術も教えてもらってまた違ったバスケットの面白さがわかりました。けど…正直もうちょっと頑張りたかった。本当はインカレでこんなもんじゃないってところをもっと見せたかったんですが、準決勝・3決はもう最悪。いいところナシで、正直悔いが残ってます。ただ、こんなに同級生と一緒に出られるのはなかったし、あっても3人とかだったので、こうして4年皆で出られたことは1番楽しかった。色んなキャラがいて、試合に一緒に出て、負けたら一緒に悔しがって勝ったら一緒に喜んで。だからこそ、もうちょっと万全な状態で最後皆の輪に入ってやりたかったです」(堤)

「充実した4年間でした。啓士朗や能登が怪我から復帰して、4年全員でバスケができて本当によかったです。この5人はいつも一緒にいてバスケするのが当たり前で。辛い時も嬉しい時も一緒に過ごしてきた最高の仲間です」(鈴木)

「4年間はめちゃくちゃ早くて、まだ4年経ったと思えません。楽しかったし、最高のチームでした。自分自身1年の時は何も考えずにやっていたし、2・3年は結果が残せず苦労しましたが、最後にこんな大勢の観客がいる前で皆でプレーできてホントよかったです。この5人はやっぱり“特別な存在”かな。一緒にいるのが当たり前というか…何て言っていいかわかりません(笑)。4年間同じ釜のメシを食って風呂入って寝て。全部を共にやってこれた最高の仲間です。啓士朗と能登がケガをしてしまって全員揃ってプレーできる時間は短かったですが、一緒にプレーしているときは本当に楽しかった。すごくやりやすかったし、自然と息が合っていました。あと…4年は5人じゃなくて6人なんです。頑張ってくれた主務の麗にはありがとうという気持ちでいっぱいです」(飯田)

「一番どん底を知ったし、自分たちの代で一番上を争う経験もできた。そう考えると1番面白い4年間だったんじゃないかなと思います。僕としては高校まで全国大会に出たことがなかったので、こんな舞台に立てたことが夢みたいですよ。僕自身なぜ専修に来られたのかわからないですが、今の自分があるのは小学校、中学校、高校と色々な先生が一生懸命教えてくれたからだと思います。そのときは結果を出せなかったですけど、大学でプレーの幅が広がったのを見てくれて『うまくなった』と言われるのが一番嬉しかった。4年間で得たものはいっぱいありますが、入る前は『どのくらい上手い人がいるんだろう』と想像もつかなかった最高の戦いの舞台を知れたこと、そしてやっぱり一緒に頑張ってきた仲間が1番大きいです。シンプルで、熱い仲間でした。チャラチャラしたイメージがあるかもしれませんが、プレー中は真剣で、1部の中でも純粋にバスケットをしているのが専修です。後輩も名前が売れていないだけで、いいやついるんですよ。もうやるのは僕たちじゃないですが、僕たちもやることをやって結果がついてきたので、下の代もやることをやれば結果は後からついてくると思います」(増川)

写真上:表彰式。堤がMIP、能登が優秀選手賞に輝くとメンバーは笑顔で称えた。
写真下:全員集合。


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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

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