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第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2008.12.24 (Wed)

【2008インカレ・コラム】旋風の裏側と結末・国士舘大

”優勝したい” 等身大の主将の言葉から始まった快進撃
77人のチームが1つとなってつかんだ準優勝の重みとは


081207kokusitop「トーナメントでも、リーグでも、全部、優勝したい」

新チームとなって最初のミーティングで、キャプテンを任された寺嶋徹がこう口にしたとき、77人いるメンバーは半信半疑だったという。無理もなかった。国士舘大は今シーズンこそ2部に所属していたが、毎年入替戦を戦い、文字通り2部と3部を行ったり来たりしていたチームだった。しかし、この“優勝”という言葉は不思議とメンバーの心に残った。寺嶋や副キャプテンの立花大介、シックスマンを務めた吉満俊孝にとっては、かつてそれだけを目指して努力し、そして目前で絶たれたものであり、その他の大勢のメンバーにとっては、憧れ、それでも遠く届かず1度はあきらめたものである。
もう1度、夢の舞台へ―。
今年、国士舘大の快進撃が観る者に力を与えたのは、3部からスタートした選手たちが力を合わせて、誰もが不可能と思っていたことを自分たちの手で可能にしていったからではないだろうか。
彼らが準優勝という実を結ぶまで。その裏側には、選手一人ひとりの努力、そして種を蒔き育ててきた人の存在があった。

写真:今年は、集合写真撮影の際も応援のメンバーはコートに入れなかったため、登録メンバーが逆にスタンドに寄った。応援に来てくれた友人のカメラに向かってポーズ。

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飛躍へのプロローグは
アップダウンを乗り越えた2人の再起

「あいつは何かもらいましたか?優秀選手賞はあいつの方がいいんじゃないかと思ったんですけど…」
あいつ、とは寺嶋徹のことだ。寺嶋が敢闘賞を受賞したことを確認して初めて、先の言葉を発した立花大介は「じゃあ、よかった。嬉しいです」と自身の優秀選手賞を喜んだ。この2人の存在なくして、国士舘大の躍進は語れない。

081207kokusirookie北陸高で夏と冬に全国準優勝まで上り詰めた2人は、当時3部Aの国士舘大へ進学した。入学当初、立花は「他の高校のヤツやバスケット関係者に『なんで国士舘なの?』ってよく言われた」という。そのときは、「自分はなんでとか考えたことがなかったし、国士舘で別にいいんやないかなぁって思ってた」。確かに、2人のルーキーシーズンにチームは2部昇格を決めた。だが、まもなくその意味を思い知らされることになる。

国士舘大は、2部~3部のチームとしてはサイズや能力のある選手が揃っていた。その一方で、“勝ちきれない”という下部リーグ特有の弱みも持っていた。トーナメントも、新人戦も、上位リーグのチームを相手にいいゲームはする。2部リーグでも上位校から勝ち星をあげた。しかし、肝心なところでは先手を取られて詰めきれない。結局3部との入替戦に回ると、この試合でもビハインドを負い、2点足りずに1年での降格が決まった。

2年のときに3部に落ちるということは、もう1部でプレーすることはかなわない、1年で2部に返り咲けなければインカレも望めないということを意味する。その事実を突きつけられ、今やチームの大黒柱である寺嶋でさえ「今年いっぱいで辞める」と負けた直後は口にした。立花も、「あの時はもうバスケは辞めようって思いました。もう無理だな、このチームじゃ勝てないって」

だが、2人はコートに戻ってきた。「でも…」と2人は続ける。
「でも、もう1回考えたときに、立花がいるし、来年馬隆(※北陸高の後輩)も入ってくる。それに下級生主体のチームだったので、もう1回頑張ろうと思って3年目に入りました」(寺嶋)
「でも、入替戦のあと2ヶ月くらいのオフが明けて体育館に行ったら、やる気が出たんです。何だか自然と。練習は嫌いなんですよ?“試合だけやりたい”みたいな(笑)。たぶん…バスケットが好きなんだと思う。それに寺嶋がいたから。一緒にやっていなかったら、腐っていたと思います」(立花)

“立花がいるから”、“寺嶋がいたから”。互いの存在がなければここで終わっていた。2人が再びスタート地点に立ったところから、全ては始まった。

写真:2005トーナメント。寺嶋と立花は大学最初の大会でも慶應大と対戦した。


追い風となった「15連勝で昇格」
国士舘大の“魂”を支えに

そしてもう1つ、寺嶋・立花ら2部を経験した主力がそのまま残った昨シーズンを、3部ながら2008年のチームの土台と言えるところまで持っていこうと尽力した存在も忘れてはならない。

081207kokusi2007まずは、何と言っても当時の4年生たちだ。エースでムードメイカーの柴田政勝は、「相手がどこでも、誰が出ても、点差が何点でも、相手の心が折れるまでやる」と言い切った。この柴田の姿勢がチームに浸透して、スロースタートぶりは相変わらずも最後に勝ち切れるようになったことは大きかった。リーグは取りこぼしなく14戦全勝。2・3部入替戦でも会心のゲームで公約の“15連勝で昇格”を決めた。

持っている力をコートで出せた要因を、キャプテンを務めた小松秀平(現bj新潟アルビレックス)は「うちは人数がホントに多くて、全員がコートに立てるわけじゃない。でも毎回一生懸命応援してくれた。ただその期待を裏切らないためにやっただけ」と表現した。選手と、応援に回ったメンバーとの信頼。それは国士舘大の“魂”だった。

今や国士舘大名物となった“わっしょい!”応援は、寺嶋や立花が1年生だったときの4年生、佐藤剛が始めたものだ。ベンチに入れなかったメンバーも応援という形で試合に参加する、チームで戦うスタイルを佐藤たちとともに作ってきた2007年の4年生たち。彼らはチームを2部にあげただけでなく、この原点とも言えるスタイルも取り戻して寺嶋たちの代にバトンタッチした。

そして、2部で苦しかったときも、3部で快勝したときも、スタッフは変わらずチームを支え続けた。中でも池田陽人コーチは、先述の佐藤剛の代が1年生だったときの4年生で、チームとの関わりが深い。大学卒業後はトレーナーとしてチームを支え、寺嶋たちが入学した年に正式にスタッフとなった。さらに2006年のシーズン後、選手の身体だけでなく心もケアするべくコーチにしてほしいと申し出た。「先生と学生の間のクッションになろうと」

081207ikeda小倉一訓監督は勝つために、時に選手に厳しい言葉も浴びせる。そこで池田コーチがフォローしてバランスを取ることで、チームはさらに安定感を増した。

もちろんそれは試合のときに限らない。特に寺嶋や立花たちとは彼らの入学時から共に歩み、根気強い対話を重ねることで、彼らの精神面での成長に少なくない影響を与えた。

どん底から、先輩やスタッフの支えで後は爆発するだけ、というところまで環境が整った。

写真上:2007リーグ最終戦。柴田の3Pに“わっしょい”が起こった。
写真下:インカレ決勝、交代となった吉本に声を掛ける池田コーチ。監督と選手双方の考えを理解する貴重な存在だ。



「もう1回ちゃんとバスケをしよう」
キャプテンの目覚めを合図に、満を持しての爆発

最後に待たれたのは、選手自身の成熟だった。特に寺嶋の精神的成長とともに、チームも強くなっていったと言える。寺嶋といえば、高校3年のときのインターハイ決勝で、頭部を負傷しながら包帯でぐるぐる巻きにして奮闘した姿が多くの人の記憶に残っているだろう。だが、最初からキャプテンになるべき条件を全て満たしていたわけではなかった。

081207kokusicap「よく気持ちが強い、って言われますけどそんなことないんです。結構流されやすいし、大学に入ったばかりの頃はすぐ人のせいにしたり言い訳したりして、真面目にバスケをしていなかった。でも、それで1年が終わって振り返ったときに充実感がなかった。おもしろくねぇなぁと思って、だったらもう1回ちゃんとバスケをやってみようかなと思ったんです。何がきっかけというよりはふとそう思った」

それでも、2・3年時を振り返ると、「真剣に取り組み始めたあとも、なんだろうな、うまく先生の言葉が理解できなかったり、一生懸命やるんですけど気持ちの波はありました」。落ち着いたと思えたのは「3年間でいろいろなことを学んで、4年目でやっと」というように助走期間は長かった。

だが逆に言えば、そんな誰にでもある“弱さ”も持っていたこと、それがメンバーの心に訴えかけた部分もあったのではないだろうか。その寺嶋が、新チーム始動と同時に「優勝」という言葉を口にし、取り組みも変えた。「あの発言に伴う努力を、徹さんは毎日していました」と3年生の吉満俊孝も振り返る。

「いつも体育館にいるんですよ。僕が体育館に行くと必ず徹さんがいて、今日は早めに行こうかな…と思っていつもよりちょっと早めに行くと、徹さんがもっと早く来ているっていうのがしばらく続きました(笑)。それで自然についていくようになったし、皆も次第にそうなった。それがきっかけだと思います。徹さんが自ら率先してやってくれたことが、形になって表れた」

081207kokusimeijiそしてもう1つ、メンバーの気持ちを強くさせるものがあった。“これまでの国士舘と同じにはならない”という決意だ。この2年間は無駄ではなかったと証明できれば、先輩やスタッフへの恩返しにもなる。結果、国士舘大は現在の主力メンバーにとって2度目の2部リーグで、何度もビハインドを跳ね返し、接戦を制した。「国士舘がすごい」。インカレを前に、2部リーグ以外にもこの評判が広がるほどのパフォーマンスを見せられたのは、選手一人ひとりが成長したからだった。

しかし、インカレ出場は5年ぶりであり、現在のメンバーはリーグのように生かすべき経験を持たなかった。そもそもチームとしても、過去14回出場のうち1度もベスト8に残ったことはない。選手の成長だけでは、未知の道を行くにはまだ少し足りなかった。ここで発揮されたのは、“77人”の力だった。

写真上:2008リーグ。学年が上がるごとに寺嶋の顔つきが変わり、今年は笑顔も封印。だが、インカレではガッツポーズがでた。「最後だから、体全体で表現したいと思って」。
写真下:2008リーグ明治大戦1戦目終了直後。吉満は「徹さんはあれだけ練習していたから絶対決めてくれると思って、とりあえず徹さんの元に走りました(笑)」という言葉とおり1番に抱きついた。



未知の扉を開けたのは「信じる力」
国士舘大が観客を味方につけた瞬間

先輩の誰も立ったことのないインカレベスト8をかけた2回戦の相手・関東5位の法政大戦は、「さすがの国士舘でも…」という下馬評が多かった。それを覆せたのは、国士舘大のメンバーが“信じて”いたからだ。吉満は言う。「常に徹さんは“優勝したい”と言っていました。3部だったチームがそんなことを言うのはおこがましいかもしれないですが、皆それを信じてついてきた、それが大きかったと思います。夢は叶うじゃないですけど…」

たとえ本当にベスト8に残る力、1部チームにも勝つ力があったとしても、それを自分達で信じられなければ実現はできない。この試合で国士舘大は、最大17点のリードを後半一気に詰められ逆転されても“いつかうちに流れが来れば爆発できる”と切らさず続けた。それは、「優勝したい」と始めに言った寺嶋だけでなく、コートの5人だけでなく、ベンチにいるメンバーだけでもなく、今や77人全員が信じていたからできたことだった。

77人だったから、準々決勝・日本大との死闘も乗り越えられた。それでも、続く準決勝の相手がトーナメント・1部リーグの覇者でこの大会も第1シードの青学大に決まると、観る者の心には再び「さすがの国士館でも…」という思いがよぎっただろう。

081207kokusihoseiだが、試合が始まってみると1Qをついていき、2Qには逆転。すると、不思議なことが起こった。
寺嶋がルーズボールに飛び込み、それを受けた立花が“このボールは決める”と言わんばかりにクラッチを入れて青学大のセンター・荒尾をよけねじ込むと、会場から大きな歓声が上がったのだ。
「全然注目されなかったチームをお客さんが観て、それで声を出して拍手してくれた。本当に嬉しかったです」(立花)

それは、ビハインドでも自分たちを信じてついていき、ここぞという場面では同じく自信を持って決める国士舘大の姿に、“自分も信じてみたい”という気持ちを呼び起こされたからではないだろうか。これまでの積み重ねにさらに観客の後押しも加わったことで、国士舘大は一気に決勝まで駆け上った。

写真:立花は法政大戦勝利の後、真っ先にベンチのメンバーに駆け寄った。


「この場に連れて来てくれて感謝」
決勝前夜、それぞれの思い

怒涛の4連戦から一転、決勝までの1日は、選手にとっては休息、そしてこれまでチームを支えてきた者にとっては決勝進出の余韻をかみしめる時間となった。

「こんな場所に立てるなんて、学生たちに感謝の一言です。この6年で1番、チームに気持ちが入っている。決勝はとにかくうちらしく楽しく、魂を込めてやるだけ」とは池田コーチ。また、決勝進出の瞬間をスタンドで共有したOBの柴田は「後輩ながらすごい。あいつらと一緒にやったっていうのは、誇りです!」と満面の笑みを見せた。

本当は、現メンバーに加えて柴田や小松もいた昨年のチームも、インカレの舞台に立ってみたかっただろう。「でもこうしてインカレに連れてきてくれたから、去年3部でも一生懸命やったかいがあったってことで、いいんですよ。それに俺は今年も一緒に練習してきたチームの一員として、皆の力でインカレに行けたと思っています」

バスケットを続けるために現在も母校でトレーニングしている柴田から見ると、「かみ合ったときは強い。でもちょっとでも歯車が狂うと、失礼ながら弱い」というチームだった。「だって、練習では俺があいつらのことやっつけられるんですよ?逆に、試合であいつらは“あ、1部でもここでミスするんだ”とか思ったと思います。それだけ、国士舘の練習の質を皆で上げられたってことじゃないかな」

その手ごたえがあるから、次の試合が決勝であっても変わらず信じていた。「去年、“3部全勝優勝で2部昇格”も約束通り果たしましたよね。だから決勝も絶対勝ちます。やってくれます、あいつらが」。その言葉は、全ての卒業生やBチームのメンバーの気持ちを代弁したものといえた。

一方の“あいつら”は、いつもと変わらずに前日練習を終えた。「何も特別なことはしなかったです。だってここまでこられたことが正直すごいですから」(寺嶋)。
1日空くことで本当に恐れるべきは、勢いが止まることより考える時間ができて“明日シュートが入らなかったらどうしよう”といった不安が入り込むことだったが、「それはなかったです」と吉満は振り返った。「明日も楽しもうじゃないですけど、“明日入ればいいな”みたいな感じでシューティングしました」

精神的にも、チームの雰囲気としても、いい状態で決勝には臨めていた。だが、選手の身体もまた、正直だった。


最後に見せた涙の意味と、
もう1つの銀メダル

慶應大との決勝は、競ることができたのは1Qまでだった。この要因として、国士舘大のメンバーは一様に「慶應はリーグで対戦していて、うちのことをわかっていた」と振り返った。また、3Q開始2分で10点差から3点差まで迫り、得意の逆転かと思われたが、追い越す前に10点差まで押し戻された。

味方ばかりに思えた代々木のコートだったが、2つの“敵”が最後に現れた。

081207tachibanalast「決勝は追いついたとき完全に体力がなくなりました」と池田コーチ。1つ目の敵は“疲労”だった。
「あそこで踏ん張れなかった。オフェンスのリズムはよかったんですけど、その後戻れなかった。足が動かなくて…シュートを打ってもつりそうでした」(寺嶋)
「1日空いて大丈夫かなと思ったんですが、朝起きたらまだ全身痛かった。これまでの試合でふっとばされ続けてましたし…それは言い訳でしかないんですけど。今日はずっと、ずーっと息があがっていた」(立花)

そして何より、決勝独特の“雰囲気”は国士舘大から思い切りの良さを奪った。国士舘大にとって、それらは致命傷と言えた。なんとか15点ビハインドで3Qを終えたが、4Q開始3分で10連続得点を許し25点差。3Pを打っていくもうまくはいかず、残り5分の時点で勝敗はほぼ決まってしまった。

だが、“2人”には、15秒もあれば十分だった。

ラスト15秒、30点差がついていたが、寺嶋はファールゲームに出た。なぜか?
「最後は徹が俺に攻めさせたかったらしいです。自分がガンガン攻めるのを後ろから見ていると楽しいって(笑)。それで攻めさせてもらいました。まあ、外しましたけど…」(立花)
盟友が演出してくれた最後のドライブは、鮮やかに抜けたものの少し弱かった。ボールがリングに跳ね返されたのを見て、立花は「あー」と大きな声を上げた。

そして、間もなく響いた終了のブザーを聞くと、ユニフォームで顔を覆った。

納得がいかずに泣いているのではなかった。泣いているけれど、笑っていた。ともに戦い抜いた慶應大のメンバーにも手を差し出す。ベンチに戻り、うつむいていると馬が声を掛けにきたが、うんうん、とうなずく立花の顔はやはり笑っていた。

「馬は自分が落ち込んで泣いているんだと思って『すごいじゃん、俺ら2位だよ?泣かなくていいよ、胸張っていこう!』と言ってきたんです。でも、あれは嬉し涙ですよ。こんな素晴らしいメンバーと最後まで真剣にできて、よかったって。もちろんちょっと悔しかったですけど、悔いは残ってません。これで証明できましたよね?国士舘でよかったって。対戦した青学や日大のきれいなバスケットに比べたらうちのバスケットはでたらめですけど(苦笑)、だから、やってて楽しかった。自分たちが楽しくやれたんで、それでいいんです。あとはあいつのおかげ。全部あいつがやってくれました。あいつがキャプテンで良かったって思ってます。皆もそう思ってます」

寺嶋も吹っ切れたように笑って言った。
081207kokusikanto「悔し涙というより、終わった、楽しかったって気持ちです。やりきった感がありました。全部、出し切りました。これが今の国士舘の現実だし、僕の実力です。今年は、2度とこんなにバスケットに取り組むのは無理だってくらい追い込んだんですよ。もうこれ以上うまくならない(苦笑)。むしろ周りのやつの方が自分より全然うまいです。馬隆もいたし、吉満もいたし、吉本もいたし…立花ともずっと一緒にやってきましたし、やっぱりあいつがいたからここまで来られたと思います」


夢はかなわなかった。だが、残したものがある。まず、勝てる試合を落としていたチームの姿はもうどこにもなく、粘ってきっちり勝ち切るばかりか格上に爆発力で上回れるほどのチームになった。そして、準優勝の証として盾とプレート、そしてベンチ登録メンバー分の銀メダルが贈られた。寺嶋と立花は、表彰式で盾とプレートをそれぞれ受け取ると、応援席に向かって高々と掲げた。77人で得たものだからだ。

では、メダルはというと、今は、14人の登録メンバーと、別の14人の選手とスタッフの元にある。チームは後日、スタンドで応援していた4年生と4年間チームを支えたスタッフ14人のために、銀のメダルを14個用意したのだ。デザインは登録メンバーのものとは異なり、満員の観客の前ででもなかったが、小倉監督にメダルをかけてもらった4年生1人1人の表情は、77人のチームを形作る一人ひとりへの何よりの“贈り物”だったかもしれない。

写真上:泣き笑いだった立花。それは充実の「嬉し涙」だった。
写真下:寺嶋が敢闘賞に選ばれたときのスタンドのリアクション。これだけで多くのことを物語っている。
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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

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