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第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2008.12.15 (Mon)

【2008インカレ・インタビュー】まさかが現実へ、法政大の転落

「途絶えた夢」、失意の幕切れ
hosei4.jpg昨年のインカレ準優勝から万全を期して臨んだはずの今大会。しかし、待っていたのは受け入れがたい現実だった。

逆点に成功しお祭り騒ぎだった法政大ベンチの笑顔が、国士舘大のシュートが決まるたびに凍りついていく。試合終了のブザーが鳴ると選手たちは言葉もなく呆然としていた。目の前で起こった現実をうまく理解できない、そんな感じだ。法政大に勝った国士舘大のその後の快進撃は周知の通り。その姿は昨年の法政大の軌跡に重なるようにも見えた。皮肉にもそのきっかけをまさか法政大自らが作ることになろうとは。

※坂上選手、福田選手のインタビューは「続きを読む」へ。

◆12/3法政大VS国士舘大レポート

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順調すぎたことが危機感を希薄にし
まさかの敗戦に

hosei.jpg昨年と今年ではチームの立場は全く逆だったと言える。
昨シーズンは春からずっと結果を残せず、リーグ戦でも2部入れ替え戦を免れるのがやっと。いくら短期決戦に強かろうと誰もがインカレで法政大が活躍すると予想するのは難しかった。だがインカレでは日本大を撃破すると、東海大とのトリプルオーバータイムを制し決勝の舞台へと駆け上がった。決勝戦では青山学院大に敗れ日本一の座に輝くことはできなかった。だが、法政大の快進撃は見るものの記憶に焼きついたことは確かだろう。

そして今シーズン、出足は法政大にとって順調すぎたかもしれない。トーナメントでは準優勝、エースの神津を始め相次ぐ怪我人を抱えながら入れ替え戦に進むほどの危機感はなくリーグでは5位。もちろん当初の目標としていた「トーナメント・リーグ・インカレ3冠」には程遠いが、照準を合わせていない状態でこの結果であったことは明らかだ。各ポジションの戦力のバランス、経験は昨年と比べても上回っていた。リーグの終盤には怪我人も復帰し、六大学リーグでもいい仕上がりを見せていた。しかし歯車はすでに狂っていたのかもしれない。

「春のトーナメントは勢いで行っちゃった感じで、夏合宿とかリーグは4年生がなかなかまとまりきらなくて。お互いに言い合えない。やっぱり結果的に見ると、4年がそういうことやっているとチームは勝てない」(#75坂上慶・主将)
「去年は4年生の優勝したいという気持ちが強くて、下級生も一つになろうと頑張ってああいう結果になった。けど今年は、まとめる、ひっぱるということができなかった。高校では一つの方向に向いてやることが当り前の中でやっていたのが、大学ではそうではなかった」(#39梅津・副将)


不運といえば不運だった。シーズンを通して「危機」に直面することはなかった。つまり、チームが一つとなり、持てる力全てを出し切ることがなかったのだ。昨年の快進撃はリーグ開幕8連敗の後に初勝利をあげてから。入れ替え戦候補という危機的状況をチーム一丸となって回避すると、インカレでは更なる成長を遂げた。しかし、今期のリーグ戦では上位と下位チームが2極化。相次ぐケガ人で序盤に優勝が消えた法政大にとって、下位チームから確実に勝利をあげれば入れ替え戦は無縁だった。しかし、緊張感のある試合を経験しなかったためなのかどうか、インカレに入ってもここ一番に強い法政大の姿はなかった。

hosei2.jpgそして国士舘大相手にまさかの2回戦敗退。
4Qにリードを奪いながら、気付けば相手に16連続得点を奪われた末の逆点劇だった。「一度乗ったら止められない」。もはやこのフレーズは法政大ではなく国士舘大のものとなっていた。青山学院大の長谷川監督が国士舘大に負けた後こんなことを述べていた。「勝てるだろう、どうにかなるだろうじゃ勝てるわけがない」。地力があるだけでは勝てない。それを去年の経験から身をもって知っていたのは法政大だったのではないか。昨年の躍進の立役者である深尾(現JBL2ビッグブルー)は「自分たちの代が持っているのはひたむきさだけ」と言っていた。今年のチームにはそれがなかったということではない。だがシーズンを通してうまく表現することができなかったのは確かだ。
失意の幕切れで今シーズンを終えてしまった法政大。例年ならオールジャパンに向け新体制へと移行するが、今年はそれもできず坂上も「後輩たちが切り替われるか心配」と口にする。だが何をすべきか答えは出ているはずだ。それは梅津の言葉の中にあるように感じる。
「去年は準優勝という良い思いをした。けど、今年は苦い思いをした。どっちがいいかあいつらは分かっている。僕たちを反面教師にするといってはあれだけど、去年の良い雰囲気を思い出して一から頑張ってほしい」

来年は下級生の頃から主力としてチームを支えた神津、信平、落合が4年生となりチャンスの年だ。しかし、それは慶應義塾大、青山学院大、日本大ら多くのライバルにも言えることだ。ましてや今年の国士舘大のようにトーナメントをかき乱すようなチームが現れてきてもおかしくはない。だがこのままでは終われない。傷つけられたプライドを取り戻すためにも、来期こそ真価が問われる。



【INTERVIEW】
「法政に来て良かった」
届かなかった想いを後輩へと託す

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◆#75坂上 慶(法政大・4年・主将・G)
インカレの緒戦を終えた時、坂上はこんなことを言っていた。
「『坂上さんは一人で抱え込んで何でもかんでもやろうとしすぎだよ』って副キャプテンの梅津と神津が言ってくれたんですよ。それですごい楽になって。だから、なんて言ったらいいんだろう、本当に今まで大変で、心が楽になってっていう大会だから、僕の中でなおさら思い入れが強くて。だから絶対に優勝したいっていう気持ちがあるんで」
それだけに悔いが残る。
昨年の先輩たちが果たせなかった夢を引き継ぐはずだった。そのために自分よりもチームを優先した。2年のインカレでの活躍から、翌年は怪我でチームの快進撃を応援席から見ていた。嬉しい反面、挫折感があったかもしれない。それでもチームの勝利を考えた。
だが届かなかった。
「後輩たちには本当に頑張って欲しい」。この言葉の重みが来期の法政大の糧となって欲しい。

―この1年間で後輩にはどんなことを4年生としてキャプテンとして伝えられたと思いますか?
「他の4年生は個性豊かですから、自分で淡々とバスケするやつもいれば、おチャラけるやつもいる。その中で僕はチームをまとめてやっていかなくちゃって。いろんなカラーがあってもいいんだよっていう、そういうことは後輩に伝えることができたと思います。あとは4年がまとまりきるのに時間がかかったんですよね、ほんとに。春のトーナメントは勢いで行っちゃった感じで、夏合宿とかリーグは4年生がなかなかまとまりきらなくて。お互いに言い合えない。やっぱり結果的に見ると、4年がそういうことやっているとチームは勝てない。それはかなり後輩たちが感じていると思うんですよ。4年生がまとまってないって直接言われたこともあったし、やっぱりプレーするのは主体が下級生であっても、4年生がチームの軸としてまとまってないとチームで勝てないっていうのが後輩たちはわかったんじゃないですかね。それは逆に言えば僕らは後悔とか悔いは残るんですけど。でもインカレに向けての1ヶ月は本当に4年生も1つに、チームもまとまって。それをシーズンインの時から意識高くやっていればもっと上にいけたんじゃないかなって思うんです。後輩たちには本当に頑張って欲しいですね」

―去年のチームを越える気持ちで大会に入ったと思うのですが、この結果はチームとして受け止めがたいのでは。
「そうですね。チームの伝統的なものを考えても先輩たちには申し訳ないと思うし、後輩たちもさっき信平と神津とか『ほんとすいません、すいません』って。なんか後輩たちに『すいません』って思わせてしまうのも申し訳ないし。でも受け止めがたいと言っても負けは負けですから。後輩たちが切り替えて、いつもだったらインカレが終わって代替わりして、新しくなって、それで4年生が一応一緒に練習するっていう体制だったんですよ。だからそういう体制も取れなくなってしまって。ちょっと後輩たちがどうやって切り替えていくのか、ちょっと心配ですし。もう一言では言い表せないです、今の気持ちは」

―下級生は優勝するだけの力は持っていると思うのですが、それは今大会でも同じで、これからは何が必要だと思いますか?
「法政は本当に一つになることが重要なんですよ。本当に。それをすればすごい力を発揮するんですよ。けど、それを今年はなかなかできなかった。新キャプテン、副キャプテンってこれから決まると思うんですけど、とりあえず上級生はみんなキャプテンだっていうつもりでチームのことを一人ひとりが考えて欲しいな。誰かがやるからいいやじゃなくて、自分がやらなきゃっていう想いでやってほしいなと」

―4年間良い時もあれば悪い時もあって波が激しかったですね。
「2年のインカレでそこそこいい活躍したら、次の年にケガしちゃって。こんなんですからね。でもそれは相当いい経験になりました。法政に入って本当に勉強になって、高校だったらチームで中心選手が40分出ずっぱりでやってるじゃないですか。でも大学に来たらそんなにプレイングタイムももらえないし、自分の中で挫折感もあるわけです。自分はどうしたら試合に出られるのか、どうすればいいのかって1年生の時はすごい考えましたよ。逆に3年でケガして、チームを客観的に見られるようになって、じゃあ今自分は動けないけど、どうやったらチームに貢献できるかなって考えて。それが監督とか先輩の目に留まってキャプテンに任命されたって自分の中でそう思っているんですけど。だから自分のこともいろいろ考えたし、チームの中で自分でどう生きていくかっていうのも考えたし。法政に入って僕は1年、1年貴重な経験をさせてもらいました。個人的な話になっちゃいますけど、僕としては法政に来て良かったなと思ってます」



「絶対にこのコートに立ってやりたい」
努力でスターターを掴み取ったピュアシューター

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◆#27福田祐介(法政大・4年・G)
法政が“能力集団”といわれる所以は、高校での実績を積んだ即戦力となる選手が多く入るからだ。その法政において福田は努力の人だ。1年生の頃は佐々木、梅津といった全国区の選手がベンチ入りする中で福田はビデオ係だった。「絶対にこのコートに立ってやりたい」。その一心で努力を続けた。
最後の試合であげた21得点の全てが3Pだった。それが彼の努力の一端を物語っている。


―涙の訳は?
「絶対に泣かないと思っていたんですけど、(法政新聞の記者から)インタビューで『4年間を振り返ってどうでしたか?』って言われて、自分は1年の頃は同期のやつはエントリーされているのに、自分はビデオ係から始まったなあと思って。こういうインカレの舞台でもいつも会場の上の方でビデオ撮っていたんですよ。『絶対にこのコートに立ってやりたい』って思いながら。そういうことを思い出したら泣いてしまいました(笑)」

―再び聞いてしまいますが、4年間を振り返っていかがですか?
「1年目は必死で、このまま4年間終わりたくないって思っていて。2年目の新人戦でちょっと試合に出るようになって、ここで結果を出さないとこの先はないなと思って。だから、新人戦が最後のチャンスだと思ってしました。2年生の時に積極的にシュートを打っていったら、結構入って。その後すぐに長期の休みに入ってしまったんですけど、その後の合宿で、今のコーチの今井さんが合宿を観に来て、『なんであいつは試合に出ていないの?あいつシュート入るじゃん!』ってことを言ってくれて。その夏合宿ではじめてAチームに上がれたんですよ。その間に1年半かかったんですけど(苦笑)。でもその年のインカレはエントリーされなくて。でも、『ここで絶対に諦めないであと2年あるから必死でしがみついていこう』っていう思いを持ってまた頑張りました。そうしたら、3年の初めての大会(トーナメント)でスタートで出してもらって、3P王取れちゃって(笑)。そこまでが本当に大変でしたね。そこからは、3年のときはインカレ準優勝できたし。今年は最後だから主力も結構残ってるし、みんなにいい思いをさせてあげようって思って、インカレを目標にやってきたんですけど、ダメでした…」

―結果こそ出ませんでしたが、この4年間の頑張りは胸を張れるものだと思います。
「そうですね。こんなに頑張ったことはないくらい、4年間頑張ったので、大学バスケを頑張って来たということに関しては自分としては胸を張れると思います!」

―1つ上にお兄さんがいましたね。何か影響を受けたりしていたのでしょうか?
「兄貴は昔から天才肌で、練習とか淡々とやるだけでできちゃうことが多かったですね。すげえなと思っていましたよ。自分は練習とか頑張ったりシューティングとかしても入らなかったし。そういう面でも兄貴とは全然違いますね。だから、兄貴の影響はなかったですね。自分は自分でしたね」

―今年は4年生が多くチームに残りました。チームメイトのことをどう思いますか?
「キャプテンの坂上は、練習で自分はプレーじゃできないけど、周りから言うことはできるからって言ってくれて、難しい立場をこなしてくれた。佐々木も怪我があったけど、高校のキャリアとかもあるし、頼りになりました。梅津は下手したら俺よりシュートが上手いんじゃないかって思う時期もあって(笑)。本当にみんな個性が強かったけど、いい同期でした」

―特に坂上選手はキャプテンでありながら試合に出られないという難しいポジション。その中で自分で「坂上選手の分まで頑張ろう」という気持ちはありましたか?
「責任はものすごいありましたね。同じシューターなんで。坂上も自分のシュートが入らない時は、『俺なら入る』って見ていた時期もあったと思うんですよ。自分は高校の時もシューターって感じだったんですけど、法政に来て坂上に会った時に、『こんなにシュートの上手いやつは初めて見た』と衝撃を受けたんですよ。それからシュートのことは坂上に相談するようになりました。シュートフォームも坂上のアドバイスで高校のときとは変えたし。あいつが俺にシュートを教えてくれたんです。俺のシューティングコーチは坂上です。入らない時はとにかく坂上に相談してていう感じでやってきました」

―4年生として後輩に残せたものはありますか?
「…自分は後輩に4年生だからって、上から色々と言ってきたりしなかったんですよ。ただ、本当に気持ちよく後輩をやらせてあげたい、それで後輩たちが苦しい時は俺がやって支えるよっていう感じでやってきました。なんて言ったらわからないけど、『影から支えていました』ということを言いたいですね(笑)」

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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

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