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2016.11.27 (Sun)
【2016インカレ】11/27 7位決定戦 関西学院大VS早稲田大
持ち味を発揮した早稲田大が7位でフィニッシュ
関西学院大は課題と収穫を得ながらの目標到達に
ベスト8入り後は、ともにこの2戦で苦しい戦いとなっている早稲田大と関西学院大。インカレ最終日の最初のゲームは、毎年定期戦を行い、勝手知ったる者同士の対戦となった。
立ち上がりこそ競り合いの展開に。#22堤(3年・PG)が2本のジャンプシュート、#23松田(4年・C)も得点を決めたのに対し、早稲田大は#27濱田(2年・F)が2本の3Pを沈めて応戦する。しかし、#18森井(3年・G)の3Pが決まると、#38宮脇(4年・C)もシュートを決めて、じわりと抜け出す。関西学院大はノーゴールが続いてしまった。2Q序盤に#26富田(2年・C)がツースローを揃えると、早くも10点差に。#23松田、#34池嶋(4年・PF)の両輪がともに得点して停滞を脱した関西学院大だが、#7石原(3年・G)が3Pを決めるなどして、早稲田大がリードを維持する構図はそのまま。前半は33−24となった。
粘りたい関西学院大。3Qは#23松田のバスケットカウントでスタートするも、#25伊藤(4年・F)も3Pを決めて早稲田大は慌てない。ロースコアながら、要所で持ち前の機動力を押し出し、関西学院大を翻弄。4Q立ち上がりには#27濱田の3Pで18点ものリードとなった。関西学院大もここから#34池嶋がアリウープを決め、#27雑崎(4年・PF)のレイアップ、#10松原(3年・SF)の3Pが続くが、早稲田大は#11河合(4年・PG)の3Pも決まって最後まで動揺しなかった。ゲームはこのまま60−49で早稲田大が勝利した。
リーグ戦と同様に、7位でインカレを終えることとなった早稲田大。今季は久々の1部の舞台でまずまずの戦績だった。サイズ面に乏しい部分は否めないが、それを十分補える機動力は、大学では随一。卒業する選手も多いが、3年生以下の選手でも今のスタイルを十分継承できるポテンシャルを持っている。継続路線が、来季以降花開くことを期待したい。
関西学院大は、ベスト8以降は慣れない舞台にやや翻弄される格好に。順位決定戦は、関西では全関でも実施される戦いだが、さすがにインカレともなると勝手が違った様子だった。だが、全く違うステージで最終日までの戦いを経験できたことは収穫であり、今後への糧となる。最後は悔しさも残った8位という結果だったが、ベスト8進出自体がチームとしては46年ぶりの快挙だった。胸を張って関西に帰り、来年以降に繋げて欲しい。
写真上:早稲田大・石原は笑顔も見える中でプレー。両チーム最多の11得点をマークした。
写真下:インカレを通じて好調だった中野もこの日は沈黙気味。上級生となる来年は、プレーの安定感を増していけるか。
・早稲田大・吉岡コーチ、河合選手、伊藤選手、佐藤選手、渋田選手、宮脇選手
・関西学院大・横澤選手、松田選手、雑崎選手、池嶋選手のインタビューは「続きを読む」へ。
「若いからこそできることもある」
◆吉岡修平コーチ(早稲田大)
―インカレは7位という結果になりました。
「この1年間、チームとして目指してきたのはやはりインカレ優勝だったので、準々決勝で白鷗に負けたあとの喪失感というのは、ものすごく辛いものがありました。何とかそこから立ち直って、今日の最後の試合を勝って終われたのはよかったです。昨日の5~8位決定戦ではあまりできませんでしたが、今日は見ての通り、皆で楽しく賑やかにやる、というこのチームの原点に戻ってできたと思います」
―ケガ人を抱えながらもチームをつくってきたこの1年間を振り返ってはいかがですか。
「リーグ戦中にもケガ人が出てしまいましたが、その度に誰かが補い、『全員でやっていく』というチームの姿勢を実現できたのではないかと思います。誰が出ても変わらないバスケットができるというのは成長の結果かなと。ただ主力は4年生が多く、3年生以下はまだ少し精神的に弱い部分があります。逆に言えばそこをしっかりやっていけば今年のチームを越えられるでしょう」
―試合後、コーチの目にも涙が見られたのは?
「去年からスタッフとしてやらせてもらって、学生時代を含めれば(早稲田大バスケット部に関わるのは)今年で6年目になります。今の4年生は彼らが1年生だった頃から全て知っているので、4年間でよく成長したなというのもありますし、今年は近年稀に見る選手層の厚さで必ず結果の残せるメンバーだったのに、それを勝たせきれなかった悔しさもあります。選手たちの成長を感じられた分、僕がその成長に追いつけなかったのかな、と白鷗に負けたあとは考えました。それでも何とかよい形で終わりたいと頑張りました」
―今後も、吉岡コーチのような若いコーチが大学バスケの指揮を執ることがあるかと思います。アドバイスがあればお願いします。
「強豪校のコーチは皆有名な方で、やはりどこか気後れする部分はあるでしょうが、若いからこそできることもたくさんあると思います。たとえば選手と一緒になって盛り上げたり、励まし合いながらできるところ。僕としてはプレーッシャーもあり負ければ自分のせいだとも感じましたが、選手と一緒にやっていて楽しかったです。それができれば、他のコーチが持つ『経験』を越えられる何かがつくれると感じたので、参考にではないですが、そういった気づきを持ってやってもらえればと思います」
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「1年間キャプテンでいられたのは皆のおかげ」
支えや後押しを毎日感じた最後のシーズン
◆#11河合祥樹(早稲田大・4年・主将・G)
キャプテンぶりを称えると、「みんなのおかげ」と少し困ったように笑った。だがやはり、そういった周囲の後押しに感謝できる人柄だからこそ皆もついていったのではないかと思わずにはいられない。河合たち4年生にとって2回目の1部リーグは、5分に近い勝敗で5位。インカレはそれ以上を目指したものの、紙一重で野望は潰えた。それでもスタッフを含めたこのメンバーで優勝を本気で狙いに行った事実が色褪せることはない。
―リーグからインカレまではどのような準備をして臨みましたか?
「今までにないくらい激しい、質が激しい練習です。皆でバチバチやり合って、優勝するぞという気概に満ちた練習が2週間できたので、勝ち上がる自信はすごくありました」
―それだけに、準々決勝・白鷗大戦は悔やまれますね。
「正直に言えば、全く切り替えできませんでした。負けた後は自分がミスしたプレーがずっと頭に浮かんで、夜寝ていても冷や汗を掻いて悪夢みたいな感じでした。あの試合は身体的にも限界まで出し切って、それでも勝てなくて、満身創痍でダメージが本当に大きかった。いつもは切り替えられるのですが、今回ばかりは思いが強すぎて、今日まで引き摺っていました」
―では、今日はチームメイトの力を借りて勝てた、という感じでしょうか。
「昨日の試合もそうだったのですが、リーグ中も、3年生以下の皆が必死に頑張っている姿が見られました。応援席のメンバーもベンチに入れなかったのに応援ですごく背中を押してくれて。どんなに気持ちが落ちていてもやらなきゃいけないと思わせてくれるチームメイトだったのが、僕には本当にありがたかったです」
―それは河合選手が主将としてそういうチームをつくってきた成果でもあるのでは?
「うーん……僕が1年間キャプテンでいられたのは、皆のおかげという気持ちが強くて。確かに同期は強く発信することはあまりなく、淡々と取り組むメンバーですが、手を抜いたりとか悪い意味で愚痴を言ったりといったことが絶対になく、全力でついてきてくれて、本当に支えられました。逆に3年生はどんどん発言して盛り上げてやってくれる活力のあるメンバーで、バスケットもうまい。そういう意味ではうまくバランスが取れました。それが、周りから見ると『キャプテンよくやっているな』と見られる、僕が『キャプテン頑張ったね』と言ってもらえるところなのかなと。本当は皆しっかりしているのでできるんですけど、キャプテンということで僕を立ててくれたんです」
―一緒にチームをつくり導いた吉岡コーチへの思いを教えてください。
「吉岡コーチが僕たちのために寝る間も惜しんで戦術を考えたり、練習内容を考えたりというのを、去年から2年間見てきました。歳が近いからこそそういうことが知れたと思います。それに続いて、プレイヤーから転じた学生コーチやスタッフもリーグ中徹夜してもスカウティングしてくれたりして。コーチや同級生、後輩が僕たちのためにやってくれていると思ったら手を抜けないし、1日でも無駄にできないという気持ちがこの1年間毎日ありました。だからこそ気持ちが入り過ぎて練習に行くのが憂鬱になることもあるくらいでしたが、そうしてやってこられたのが本当によかったです」
―河合選手にとって、早稲田での4年間はどんな経験になりましたか。
「入学した時は正直、どうしても早稲田でバスケがしたい、というわけではありませんでした。1年時はチームもリーグでたくさん負けて、頑張っていない自分もいたと思うんです。そこに対する悔いはあるのですが、4年の最後にこんなよい仲間に恵まれて、本当に支えてもらって、早稲田でバスケができてよかったと心から思います」
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悔しい想いが溢れ返る中で送った言葉は
「インカレ優勝という目標をぶらさずに頑張ってほしい」
◆#26伊藤諄哉(早稲田大・4年・F)
思い切りのいい3Pや、気迫あるディフェンスやリバウンドで何度もチームを支える活躍を見せた伊藤。その良さがインカレ準々決勝という舞台では出ず、丁寧にプレーしすぎて思うようにシュートが打てなかったという。試合を終えて仲間に挨拶しながら、長いこと涙を流していた。大事なときに結果を残してこられなかったこの4年間が、その涙の原因であり、学生最後の大会の大事な試合で力を出しきれなかった後悔が涙となって溢れていた。それでも、5年ぶりのベスト8入りは後輩たちへの大きな置き土産となったはずだ。後輩たちの良さを失わずいてほしいと願いつつ、インカレ優勝という目標を託し、最後の大学生の大会を終えた。
―お疲れさまでした。学生の最後の試合を終えた今の気持ちは?
「やりきった爽快感もあれば…そうですね。悔しい想いが…後悔しても仕方ないですが、振り返ると悔しかった想い出がいま溢れ返ってきています」
―どのようなことを一番思い出しますか?
「2年生の頃は出場チャンスもなくて、いかに監督やHCに自分を起用してもらうかを考えていました。それで、まずは身体作りして、自分の長所はシュートだと思ってシュート力も磨きました。2年生の後半からチャンスは掴み始めて、3年生のトーナメントでやっと掴んだスタートでしたが…そこで結果を残せなかった。結局、その年のリーグ戦は応援席にいたこともあって…。あの時が一番自分の中でつらかったです…でも、自分はベンチに入れてもらいましたが、ベンチじゃないところの世界も見ることができました。試合に出ている自分たちのためにどれだけの人たちが我慢しているかをすごく痛感する機会にもなりました。一人のバスケット選手だけではなく、一人の人間としてでも辛かったですが、成長できた瞬間だったと思います」
―苦しい時期を乗り越え、4年生ではベスト8まで後輩たちを連れてきましたね。
「今シーズンは少しずつチャンスをもらいました。“優勝”という目標を掲げてきた以上、(準々決勝で)白鷗大に敗れてしまったことはものすごく悔しかったですが、その中でも僕が大学に入学してから(インカレ)ベスト8の壁を破れていなかったので、今回突破できたことは、小さな喜びです。それに、今後早稲田のバスケ部が強くなるに至って小さな一歩かもしれませんが、まずは道を切り開けたことは大きな一歩だと思っています」
―ですが、やはり悔しそうな表情ですね。
「そうですね。このインカレでもう少しチームの力になれたらな、という悔しさ、申し訳なさと…後輩を勝たせてあげられなかったことですね。高校の時は達哉(東海大#35伊藤)や森井(#18)というガード陣がいて、味方に活かしてもらっていましたが、大学に入って特に上級生になってからは、後輩を活かせるようにスクリーンをかけてあげたりすることを意識してやってきました。インカレ前に後輩たちと話していて、お前たちは思い切ってプレーして、ミスは全部俺らつぐなう、と言ったにもかかわらず…結果的に後輩の足を引っ張ってしまい、4年生というか特に僕とかは後輩に支えられてしまった。その点は恥ずかしくもあり、悔しくもあります…逆に捉えれば、後輩たちの頼もしさに嬉しくもありました」
―個々の能力もある3年生が多い早稲田大です。今シーズンは他のチームにも言えることですが、下級生が多く試合に出ていると集中力の維持が難しくなります。そこを4年生がまとめていくというのは大変な部分もあったのでは?
「3年生はすごく勢いがあってやんちゃです。でも、その“やんちゃ”さは失ってほしくない。波があっても、落ちそうな時にいかに僕らが支えてあげられるか。3年生がバラバラになりそうでも、僕らがいかに繋ぎ目になってあげられるか、というのが一番重要だと思っていて、その点は1年間通して意識してきました」
―最後に、後輩たちに向けて一言お願いします
「僕らがやっていたように落ちそうな時に声を掛けるとか、つなぎ目になるというのも大事だと思いますが、今の下級生たちが持っている一番の良さは“元気がいい”ところだと思っています。だから、そこを忘れないで思い切りよくプレーしてほしいです。僕が卒業生になって、直接プレーで貢献することはできませんが、また違った形で裏からサポートしていければと思っています。現役には何も考えずに、というのはおかしいですが、今日のこのインカレの悔しさを忘れずに、インカレ優勝という目標をぶらさずに頑張っていってほしいです」
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「存在感を出さなければベンチにいる必要がない」
架け橋の役割に留まらず、一選手としての結果も追求
◆#31佐藤智也(早稲田大・4年・G)
吉岡コーチが指揮を執るようになってから見出された。ただそれも、チームのために自分が何をできるかを考え、実行してきたからこそ。旧A・Bチーム、先輩と後輩、スタッフと選手、とさまざまな人の間で架け橋となった。しかし本分は「プレイヤー」。試合に出るために武器を磨き、コートに立つ時間を増やした。この取り組みは後輩たちの手本となるばかりでなく、佐藤の卒業後のキャリアにも生きることだろう。
―学生の大会としては4年間の締め括りとなりました。「終わっちゃったな」という声も出ていたようですが。
「僕は1・2年のときはBチームだったんです。チームは1年のとき2部に落ちてしまい、2年のときは入替え戦に進めなかったのですが、試合にも出られずチームのために何もできませんでした。何かやりたいと苦しんだ2年間を経て、3年目に引き上げてもらってベンチに入って、それでも試合にはあまり出られなかったですが自分にできることをやろうと取り組くんできました。今年は副キャプテンになって、自分のプレーどうこうよりチームをどう動かしたらいいかを常に考えていて、楽しいことより大変だったことのほうが多かったなと思う一方、終わってみたら後輩にも恵まれたしいい4年間だなと思います。長かったですね。とくに4年目は就活と早慶戦が重なってしまって思うようにいかないことも多く、本当に長かったです」
―去年からベンチにいても声で存在感を発揮していましたが、それが佐藤選手の見つけた「自分にできること」だったのでしょうか。
「もとは、試合に出たかったので人と同じことをしていてもだめだと考えました。ベンチにいてもメンタル部分のケアはある程度できるんじゃないかと思って、3年になって声を出すようになりました。それをスタッフが見てくれていて。チームに活力を与えられているかは自分ではわからないですが、ずっとベンチに入れてもらえたので、それを僕の原点として、練習中もずっと声を出してきました。そうやって存在感を出さないと、試合に出ないのにベンチにいる必要はないじゃないですか。だからできることをしっかりやろう、というのはブレずにやってきました」
―その取り組みを見てもらっての副キャプテン任命だったかと思います。どうチームをまとめてきましたか?
「やはり下級生に支えられている部分が大きかったので、本当に感謝していますが、その分コントロールするのは難しかったです。とくに僕は試合に出ていなかった分、手探りな部分が多かった。それぞれ思うところはあるでしょうから、何でも話せる仲にならなければコントロールできないなと思って、プライベートでもほとんどずっとバスケ部と一緒にいました。今シーズンは縦のつながりだけでなく横のつながりももっと大事にしたほうがいいと思って、いろいろやってきました」
―それが、この試合最後にフリースローを決めたときの、ベンチ・応援席からの『佐藤さん』コールにつながったのでは。
「嬉しかったですね。ただフリースロー前のコーナーからの3Pシュート、セットプレーを作ってもらったのに決められなくて。でも決められないのが逆に僕らしいかなとも思います」
―今Bチームやプレータイムがあまりない選手へのアドバイスという意味も込めて、コートに立つために取り組んだことを教えてください。
「今日は入らなかったですが、僕はスクリーンを自分で使ってジャンプシュートというのが得意でした。周りを見てもドリブラーはたくさんいて、そこで戦っても試合に出られない。シューターはというと、うちはセットで打つタイプが多かったので、僕は自分で動いてスペースをつくってシュートを打つことにフォーカスしてずっとやってきました。それは監督陣に評価してもらえて、リーグ戦でちょこちょこ使ってもらっていたときには『まずシュートを狙え』と言われました。自分でもある程度手ごたえを感じていたので、武器を磨いてチームに足りないものを埋められれば、試合に絡めるようになるのではないかと思います」
―では、この4年間で楽しかったことと言えば?
「楽しいにも種類がいろいろあるのですが、3年のとき1部に上がったのはやはり楽しかったですね。法政との入替え戦は1戦目で2桁差をつけられてしまいましたが、そこから切り替えて2・3戦目は圧勝できた。その年からA・Bチーム一緒に練習するようになって、僕はBチームを2年間経験していたので、Aチームとの関わりにおいて架け橋的な役割を果たさねばならないと思っていました。苦労した分、1部昇格という目標が達成できたときはすごく嬉しかったです。4年生の先輩のことも慕っていましたし」
―この2年間指揮を執った吉岡コーチも、先輩に当たりますよね。
「はい、1年のときの3年生で。近い距離で何でも話を聞いてくれますし、吉岡さんがヘッドコーチになったとき僕も意見を言える立場になっていたので、指導者との距離が近いのは良いか悪いかはわかりませんが、チームのまとまりという部分ではコミュニケーションがたくさん取れて、本当によかったと思います」
―この4年間の経験は、これからの人生にどう活かせると思いますか?
「就職活動をしたとき、今までチームプレーで結果を出してきて、楽しかったけれど、その一方で試合にはあまり出られず、個人としての成績というのを残せなかったのがどこかで心残りだったと気づきました。それで、個人として成果が出る仕事をしたら楽しそうだなと金融業界を選びました。先輩や周囲とのコミュニケーションを考えて4年間やってきたつもりなので、コミュニケーションや人間関係の作り方の部分は、社会人になっても僕の武器として通用するんじゃないかと思います。もちろん周りに恵まれたというのもありますが、そこは社会人になっても大事にしたいと思っています」
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「4年生が意地を見せられず悔しい」
成長の手応えと、自信があったからこその悔しさ
◆#36澁田貴大(早稲田大・4年・G)
独特のリズムで相手ディフェンスの隙を突き、ドライブにリバウンドにと活躍。さらに今シーズンは4年生ならではの責任を背負い、しかし視野は広く持ってチームに貢献してきた。準々決勝の白鷗戦は「バスケ人生の中でもいちばん悔しい」という言葉も飛び出したが、悔しがれるのは本気で努力し、手を伸ばした者のみ。後輩たちは澁田を始め今年の4年生の悔しさを無駄にせず、来シーズンも同じように上を目指し、今度は喜んでみせてほしい。
―7位という結果を振り返って。
「一言で言うと、悔しい結果だと感じています。優勝を目標にやっていましたし、ベスト4以上に行ける自信が僕の中であったので。準々決勝の白鷗戦、5~8位決定戦の青学戦と、負けてしまった試合はどちらも相手の4年生が意地を見せたと感じていて、それに対して僕たち4年生が意地を見せられなかった。勝たせてあげられなかったというのは、この1年の中でもいちばん悔しいです。とくに白鷗戦は4年間やってきた中でも、バスケ人生でもいちばん悔しかったですね。それだけかけていました。切り替えるのが大事でしたが、1日ではなかなか切り替えられず、青学戦も4年生にやられてしまった感じです。4年間やってきた中で今年のチームがいちばん強いと自負がありましたし、やっているバスケットも良くて、4年間やってきて1番楽しかったのもこのチームでした。今日勝てたのはよかったですが、今でも悔しい気持ちは強くて、悔しいしか出てこないです」
―その紙一重の差の理由は、4年生の意地だけですか?
「うーん、今年1年を通して、練習中に少し気持ちの波があったかもしれません。それが試合にも影響して、リードしていても離しきれなかったり、追いついてももう一歩逆転まで持っていけなかったりといった詰めの甘さがありました。負けた試合は全て練習の甘さが出た。そこを1年間言い続けていたつもりですが、結局白鷗戦で粘り切れず、青学戦で逆転しきれなかったところなのかなと」
―とはいえ、4年生の力は大きかったのでは? この試合の最後にコートがオール4年生になったときも喝采が起こりました。
「今年の4年は、プレイヤーはちょうど5人で、ポジションがうまくばらばらなので一緒に出る可能性はあったものの、実際はリーグ戦も含めてそういう場面はなかなかありませんでした。4年間ともに過ごしてきた5人でコートに出たいという気持ちが強くあったので、今日はとにかく点差をつけよう、そうすれば5人で出る可能性も高くなると考えていました。自分は途中ケガもあって出られるかは際どかったですが、結果的に最後に5人で出られてよかったです」
―澁田選手個人としては、今年はどんなシーズンになりましたか。
「今年1年がいちばん成長できた、バスケット選手として技術が向上したんじゃないかと自分でも思っています。下級生のときから試合に出してもらい、責任感を持ってはいたものの、なんとなく感じるだけでした。それが今年は自分次第でチームが変わってしまうんだ、くらいの意識でやってきたので、精神面でもバスケットの技術も、自分でもびっくりするくらいうまくなったと感じています。あとは何より落ち着きました。これまではあまり周りを見られていなかったですが、今年はよく見えて、気持ちに余裕を持ってプレーできました」
―確かにリーグでも流れを変えるプレーが多々見られました。
「そこは意識していましたね。僕がいいプレーすると石原(#7)とかがベンチで盛り上がってくれる。流れが悪いときこそ盛り上げるのが大事だと思っていたので、そこは積極的に行こうと決めてやっていました」
―来年のチームは、先のお話に出てきた「甘さ」を克服できそうですか?
「やってくれないと、という感じですが、去年・一昨年も試合に出ていたメンバーが多く試合慣れしているので、普通にやればどこのチームにも勝てると思います。ただ今年から自覚を持ってやって欲しいとずっと言っていました。厳しいことを言えば、まだ少し甘えというか、自分たちならできるといった油断があると思います。本当に彼らならできるんですが、そういう気持ちを持っていてはだめだし、練習からちゃんとやってくれればと思います」
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「どんな結果でも笑顔で終わろうと思った」
チームを笑顔にさせるムードメイカー
◆#38宮脇隼人(早稲田大・4年・C)
自分ではダメだったというものの、今年のリーグではインサイドの選手ながら3Pを決めるなど、チームを多いに盛り上げるシーンがあった。宮脇が好プレーを見せるとベンチが大喝采を送るし、また、ミスをしてもみんなが笑顔になる、そんな選手だった。
2部から再び1部に戻る間に意識も、取り組みも変わった早稲田大。その結果、宮脇自身もダメだと言いながら体を大きくし、自分自身を変化させてきた。そうした上級生として見せてきた姿に、後輩たちも笑顔でついていったに違いない。
—試合を終えて、いい笑顔でしたね。
「僕は今シーズン始まって、最後は笑顔で終わろうと思っていたんです。どんなことがあっても。自分としてはぜんぜんダメだったんですけど、最後は笑顔で終わりたいなと。だから笑顔でした」
—この最後のインカレを7位で終えました。ベスト4がかかった白鷗戦などの手応えはいかがでしたか?
「チームとして最後追い上げていって、あともう一歩でした。それは試合がどうというより、練習からの詰めがあと一歩足りなかったのかなと思います。もう一回練習から突き詰めていかないといけないと思います」
—今年は河合選手(#11)が練習からもしっかりやろうと引っ張っているということでしたね。
「去年の慶次郎さん(昨年度主将・池田)の代から意識が変わり始めて、今年も河合を中心に楽しい中にも厳しさを持って練習をしてきました。この結果も河合が引っ張ってくれたおかげでもあると思います」
—その中で宮脇選手は役割を意識していましたか?
「自分は(河合を)支えられてはいないですけど、少しでも力になれたらなという思いでやっていきました。気持ち面では寄り添っているつもりでした」
—でもリーグ戦中から宮脇選手がいい活躍をするとすごくチームも盛り上がりましたよね。
「僕のキャラ的に自分が乗ればチームも乗ると思って、それを意識していました。でも気負った部分があって、自分がやらなきゃと思いすぎて、個人的にはダメだったなと思います。でも皆が盛り上がってくれたのは良かったです」
—自分としては4年間でいつのパフォーマンスが良かったなと思うことはありますか?
「どうでしょう。でも入りたてのときの方が伸び伸びはできていたかもしれないですね。あとの年は考えすぎてモヤモヤがありました。でも最後は笑顔で終わろうと思っていて、やり切れました」
—最後のシーズンは1年のときに落ちた1部リーグに帰ってきて、良いことも多かったのでは。
「日本の大学では1番高いところにあるリーグだと思うので、そこでできたことは嬉しいです。1部でできたのも慶次郎さんたちのおかげだし、先輩たちに感謝しています」
—上級生になって体つきもかなり変わりましたよね。
「去年ぐらいからウエイトもしっかりやるようになりました。入学してから15キロぐらい増えました。トレーニングの見直しなど、一から変えてきたことで、少しずつチームも自分も変わってきたと思います」
—今日はその体で関西学院大学の重量級、松田選手(#23)も止めましたものね。
「健太(松田)も中学のときから知っていて負けたくない相手でした。でもやられすぎた面もあります(笑)」
—同級生たちにはどんな思いがありますか?
「諄哉(伊藤)と河合は高校からずっと一緒にやってきました。諄哉は諄哉なりに一生懸命で、河合は引っ張ってくれました。本当に感謝しかないです。ありがとうと言いたいです」
—後輩には何を期待しますか?
「後輩はスキルも実力もある後輩もいっぱいいます。力だけなら僕らが果たせなかった日本一を果たせる力があると思います。でもまだ子どもの部分があるので、そういうところで河合のように引っ張っていける人物が出てきて、チームを作っていければ、もっと強くなれます。試合で盛り上がるだけではなくて、練習からチームを作って、戦っていって欲しいなと思います」
—ヘッドコーチの交代や2部リーグ経験など、いろんなことがあった4年間でしたが、学生の大会を終えていかがですか?
「早稲田で良かったし、早稲田だからここまでやってこられたと思います」
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「挫折してどう這い上がるか、存在価値をどう示すか」
ずっと模索し続けた自分にしかできない仕事
◆#20横澤拓海(関西学院大・4年・主将・SG)
主将としてチームメイトを牽引し、時には豊かな表情で和ませる。プレー面で黙々と仕事をこなす池嶋や松田とは、ある意味対照的な存在だ。高校まで華やかなキャリアを誇る選手と、地道な努力でのし上がった選手とが共存する関西学院大。それを、時に迷いながらもまとめ続け、重責を果たした。
最後は悔しさも募らせつつ、どこか安堵感に満ちた表情だった。役割を最後まで貫き、学生同士では最後の戦いとなる大会を、目標達成を果たして終えた。
—最後のインカレが終わりましたね。
「終わったときは、このカードで試合ができて良かったなと思いましたね。早稲田には洛南の選手が多くて、僕は東山出身で、ずっと戦ってきたので。大学でも定期戦があって、仲の良い相手なので、そこと対戦できて自分的にもすごく楽しい時間でした。でもそれは個人的に思う部分で、キャプテンとしてはやっぱり勝ちたかったです」
—ビハインドの展開でしたが、声出しの部分などは意識されていたと思います。
「そうですね。劣勢の部分で、スタメンで声を張れるのが、僕は堤(#22)だけだと思っていて、そこで僕や雑崎(#27)がよくハードにプレーをして、声を出す役割を担っています。控えから出た時は、声かけだったり、他人以上のハードなディフェンスというのを心がけています。キャプテンがやっていることで、後輩たちがその姿勢を見て、もっとやらないといけないという循環が生まれれば良いなと思っています」
—実際は、後輩たちはそれに応えてくれそうですか?
「どうでしょう(苦笑)。それはチームが勢いに乗っているとき、勝ちが続いているときは、その姿勢を見てやろうと思ってくれてると思うんですけど、しんどい時間帯にその姿勢を見てやらないといけないというのを、どの段階で思ってくれるかだと思います。できるだけ早い段階で気づいて欲しいんですけど、4年生になれば自ずと気づくと思うし、そういう姿勢が大事だということは分かると思います。今の3年生に伝わっていれば良いのかなと思います」
—今季は関西リーグ途中から独走状態でした。精神的に、逆に難しかったのではないでしょうか。
「そうですね。チームとして経験したことのないことばっかりで、そこに対して僕も未熟でした。そういう状況でどういう声かけをすれば良いのか、いざ負けた時にダメージも普段以上に大きいと思うし、そこに対しての僕自身の言動は、満足いくものではなかったと思います。そこは悔やまれます」
—キャプテンとしては、苦労が多かったという気持ちですか。
「小中高とずっとキャプテンはやっていたんですけれど、それ以上に大学のキャプテンというのはすごく難しかったです。一人ひとりが考えて動くチームを目指してきて、そこから更に、一人ひとりが考えたことに対して自信を持って行動させようと思っていました。でもその行動が間違った時に、それをただせられなかったというのが、僕の中では非常に悔やまれます。最悪なことを考えれば、キャプテンがベンチにいることでスタメンの選手には、なんでベンチの選手に言われなきゃいけないんだ、と素直に受け入れられないかもしれない。だから僕の言葉がどれだけ響いていたのかは分からないですけれど、インカレが終わってみて、別のアプローチもあったんじゃないかな、とは思います」
—高校までのコートに立ってのキャプテンとは違ったということですね。
「そうですね。ベンチでのキャプテンというのは経験したことがなくて、言いづらい部分もありました。でも言わないといけない。それが非常に難しかったです」
—それでも他の4回生に助けられた部分もあったと思います。
「そうですね。池嶋(#34)に関しては、新人戦の時にあいつがキャプテンをやっていたんですけど、プレーに集中させた方があいつのパフォーマンスが上がるということで、キャプテンという重荷を背負ってしまうとイマイチ上手くいかないということがありました。彼にはプレーの部分でやってもらおうとしていて、チームを締める部分は僕がやることになりました。4年生のプレーというところでは池嶋と松田(#23)に助けてもらいましたし、僕一人ではまかない切れないハードなディフェンスや声かけは、雑崎(#27)に非常に助けてもらいました。良い同期に恵まれたなと思います」
—池嶋選手、松田選手という強いフィジカルを誇る選手を揃えた布陣でしたが、練習で特別なことをしていたという感覚はありますか。
「例年の目標だったら、全関優勝、西日本優勝、リーグ優勝といった具合に設定していました。でも今年はリーグ優勝からインカレベスト8とだけ掲げました。全関と西日本に関しては、特に考えていなくて。ただ、インカレベスト8に入るにはリーグで1位になって、良い組み合わせのところに入ることが必要だと思っていました。これまでも目標を常にベスト8に据えていた中で、今年はそこだけを目標に練習してきただけで、特別感はなかったです」
—今季は関西リーグ優勝決定後の連敗が、正念場だったように思います。
「いつもなら流れを変えるときに僕や雑崎が出るところを、僕がケガしてしまって、堤もケガをしてしまいました。そこまでチームとして100パーセントの状態を保ってきたところで、70、80パーセントに落ち込んだことがなかったんです。そこで他の選手がカバーしようとして頑張ってくれたというのはありますけど、その70、80パーセントの状態で即座に対応できなかったのが、あの連敗になったのかなと思います」
—そこから最後に天理大に勝利し、インカレのベスト8に向かっていきました。ベスト8をかけた明治大戦は、一旦二桁の差を追う状況に追い込まれましたね。
「明治に関しては、インカレ前からデータや戦術は見ていて、彼らが崩れるパターンも分かっていたので、崩すためのハードなディフェンスをやれば僕は負けないと思っていました。それを実際にタイムアウトやハーフタイムで言って体現できたので、やばいというよりは、やることをやっていれば逆転できるという思いでやっていました。池嶋が3つやった(ファウル)瞬間はさすがにまずいかな、と思ったんですけど、それでも今までの努力はこの場にかけるためにやってきたので、雑崎が必死に4年生の意地を見せて代役をやってくれて、まかなえたかなと思います」
—大学の環境で4年間バスケを続けてきて、一番ご自身が得たと感じることは?
「挫折してからどう這い上がるか、自分の存在価値をどう示すか、それへの取り組みの部分で、自分の中では非常に大きかったと思います。1年生の時に、試合に出させてもらっていたんですが、ケガをしてしまって、新人戦で復帰したんですね。その時にどうやればチームに貢献できるのかなと考えて、自分のシュートを磨くとか、ハードなディフェンスをすることで貢献していこうとしていました。2年生で、スタメンで全関西を準優勝して、リーグ戦でまたケガをしてしまって、インカレでもコートに立てませんでした。でもそこからスタメンに戻っていって、そういった繰り返しを何回も経験しました。そうした、自分自身が何らかのトラブルでチームに貢献できなくなった時の対処法というのが、すごく身に付いたと思います。こういうことは社会に出ても、ミスをしたらどう取り返すか、という場面で活きてくると思うので、ケガでプレーできなかった期間は悔しいですけど、得たものは自分の中ではあったのかなと思います」
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「自由にやらせてもらって成長に繋がった」
欠場期間中も腐らずにフィジカル強化に繋げる
◆#23松田健太(関西学院大・4年・C)
池嶋とともに、入学以来強固なインサイドを形成してきた。ところが昨年は、リーグ直前に大きなケガを負った。ここから長期間の離脱を余儀なくされたが、欠場期間中も決してめげることなくトレーニングを怠らず、復帰に備えてきた。
満を持して戦列に戻った後は、決して長くはない期間の中で、チームの縁の下の力持ちとしての役割を全うし、どこかメンタル的に安定性を欠くチームに、大きな自信を取り戻させた。関西学院大の果たすべき目標への到達に、大きく貢献した一人だった。
—最後のインカレが終わりました。
「ベスト8に入って素直に嬉しいですけど、専修に負けてからは立ち直れずに次の日も落としてしまって、最後までその辺は変えられなかったなと思います。まだまだ成長できていないなと。そこは反省です」
—ベスト8以降で良くなかったと思うことはありますか。
「専修には全てのステータスで上を行かれていた気がします。ベスト8以降の壁はすごく分厚いなと思いましたね。その後は、実力はだいぶ専修よりは落ちていて、勝負にはなったんですけど、やっぱり勝負どころは関東は強いですね。名経相手には、勝負どころでうちがミスしてあんな結果になってしまいましたし。勝負どころでの強さがだいぶ違うなと思いましたね」
—専修大は、高校の同級生の國分選手がいました。期するものはあったのではないでしょうか。
「組み合わせを見てから大輔(専修大#7國分)と当たりたいなと思っていました。そこは対戦できて良かったですし、あいつもだいぶ上手くなっていて、しかもあいつにやられた部分もあったので、でもそこは素直に嬉しかったですね。それと最後に早稲田とやりましたけど、早稲田とは定期戦をしていて宮脇(早稲田大#38)とかも仲が良いので、最後にみんなとやれて、個人的には相手が青学よりも良かったのかなとも思います」
—このインカレを通じて感じたことは何でしょうか。
「4年目でインカレを経験してみると、早いうちからもっとインカレを経験していれば、もっと上にいけたんじゃないかな、というのが素直な気持ちです。インカレの舞台というのは空気もだいぶ違いますし、それに慣れていなかった部分もあったと思います。早いうちからインカレを経験していたかったですね。その分後輩はベスト8に入る経験ができたので、それを活かして欲しいです」
—それでも、最後の目標だったインカレのベスト8ということには満足しても良いのでは?
「満足感は、最初はすごくありました。でもやっぱりベスト4の壁、そしてその後の切り替えのなさに関しては、悔しい気持ちの方が大きいです」
—ベスト8を決めた明治大戦は、これが起きてしまうと関西学院大としては厳しいのかな、という展開でした。
「池嶋がファウルトラブルになって、リーグ戦にはないようなシチュエーションで点を取ることに困りましたけど、何とかディフェンスで食い下がって4Qまでついていって、最後の勝負どころで抜き切るというのができて、そこでチームの成長を感じました」
—普段よりも、リバウンドに対して良く跳んで反応が早かったようにも見えましたが。
「自分ではそんな感じでもないんですけど、やっぱり池嶋がいなくなるとそうなるんですかね(笑)。気にしてはいなかったですけど」
—その池嶋選手から学べたこともあると思います。
「あいつのシールの姿勢、ランニングのシールのうまさ。ああいうことをやり続ける選手が一人でもいると、だいぶ相手のファウルも込みますし、楽になります。そこはすごいなと思います。あいつが頑張っている時は、自分は上からでもパスしないと、やっている自分もきついです」
—逆に、彼に負けないと思う部分は?
「まあ、ポストプレーかな(苦笑)。池嶋は、ポストプレーはあんまり上手じゃないと思うので、その辺はこっちもポストからのパスの部分とか、そういうことは意識してやっていました」
—お二人ともフィジカル面でかなり鍛えられてきたようですが、きっかけは去年のユニバ合宿だったと聞いています。
「池嶋はだいぶ筋トレにストイックになりましたけど、自分は池嶋に刺激されたというよりは、ケガをしてちょうど良い機会だなと。一年間作り直そうと思って、やっていただけです」
—復帰した今年のリーグで強くなったという実感はありましたか。
「だいぶ楽になりましたね。やっぱり今までよりも外国人との当たりも自信は持てましたし、ポストプレーにも出ていたと思います。そこは良かったと思います」
—インカレでは要所でペイント内だけでなくミドルシュートも決まっていましたね。
「ミドルは元々嫌いではないんですよね。池嶋が結構打つので、自分は下の方に構えようとしていたんですけど。でも、特にミドルシュートをそこまで打ったという意識もしていないです。外国人につかれることが多かったので、そういう時はちょっと狙っていました」
—関西学院大という環境は、振り返っていかがでしたか。
「綾部さん(コーチ)が選手を縛らない分、迷う時がありつつも、でも自由にやらせてもらいました。やるところはやるんですけど、自由にやらせてもらっていたので、それが成長に繋がったのかなと思っています」
—高校までと大学とでは、やはり違いましたか。
「そうですね。高校ではやることを固められてやっていたので、大学ではやはり違いました」
—後輩たちに伝えたいことは。
「大喜(#22堤)、寿樹(#10松原)、司(#74中野)含め、インカレのベスト8以降の壁を知れたと思います。それを活かして練習、試合に取り組んで欲しいです。ベスト4から先の相手には、技術もフィジカルも全然足りていなかったと思うので、そこを何とかしていって欲しいと思います」
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「しんどい時でももたれ合いながら4年間やってきた」
繋ぎ役ながら僅かな時間でも存在感を発揮
◆#27雑崎 遼(関西学院大・4年・PF)
インサイドのバックアッパーながら、高い跳躍力と、献身性とが光り輝いた。出番は決して多くはない。しかしその中でも、コート上ではその責務をこなしていった。特に、ベスト8を確定させたゲームでは、池嶋のファウルトラブルを見事に埋め合わせ、チームの目標達成に寄与した。
チームメイトの信頼も厚く、誰もがその存在の大きさを認める。試合だけでなく、練習やチームマネジメントの面でも頼みになるプレーヤーだった。
—インカレを終えて思うことは。
「正直嬉しいという部分と、もっと先に行きたかったなと思う部分と、その二つですね。僕らは元々インカレベスト8を目標にしていて、あくまでもそれは達成できたんですけど、もっともっと上を目指したかった部分があります。実力不足はすごく痛感しました。でも、次にいけるチャンスは何度か見えたんで。欲を言えば、もっと上に行きたかったというのが少しありますね」
—ハイライトは明治大戦でした。池嶋選手のファウルトラブルで、普段よりプレータイムが長くなりました。
「出来とかは、その時はあんまり考えていなかったです。池嶋がファウルトラブルになって、やらなきゃいけない状況だったので。僕は今年からちょくちょく試合に出してもらえる状況になったんですけど、それでも20分出る機会はあまりなかったです。それがこんな大舞台で、しかもこんなベスト8をかけた試合でまわってきたことは、緊張はありました(苦笑)。でもそれ以上に、ここが大一番だというのは理解してたんで、やってやろうという気分で精一杯やっていったつもりです」
—ベスト8を決めた試合では、いつも以上に長いプレータイムになりましたね。
「僕は得点に固執していないんですけど、取れる時には取らなきゃいけないと思っています。数字こだわるのはもちろんなんですけど、チームを盛り上げたりとか、ディフェンスの勢いを上げることは意識しています。そういう部分で起用されているのは伝わってくるので、ゾーンが増えたときに出ることが多いんですけど、そういう時に足を動かしてトランジションを上げることは、すごく意識してやっていました。明治戦はゾーンで勢いをつけられたという感じはあったので、少しは力になれたかなとは思います」
—チームメイトから、練習やトレーニングを雑崎選手が付き合ってくれたということをよく聞きます。
「実際のところは、僕自身がトレーニング好きなので(笑)。ただ、一人でやるよりも、誰かと切磋琢磨しながらやる方が、自分としてもやる気も上がります。池嶋とかはバーベルを上げる重さが違うんですけど、自分が10キロ上がったと言うと、それに負けたくないと言って池嶋が更新していって(笑)。そういうことを繰り返しながら、今はスクワットなら170キロくらい上げられるようになりました。そうやって切磋琢磨したとは良く言われるんですけど、本当にその通りで、上手いこと持ちつ持たれつで、良いように僕が成長できたのはあいつのお陰だなとは思います。僕自身は、試合に出て活躍したと実感した部分は短かったんですけど、そう言ってもらえるのは嬉しいです」
—松田選手には長いブランク期間がありましたが、彼ともトレーニングをともにしてきたということでした。
「あいつはケガしてからウェイトは20キロ増えて、体重も10キロ以上増えて、そのパワーアップで助かった部分はすごく多かったと思います。本当に頼りになりましたね」
—その分、ご自身もパワーアップしたことになります。
「一応4年間では、自分も数字は上がっていますけど、とにかくそうやって周りに刺激をもらえる同級生がいたことは、自分がつらくても腐らずにやってこれた要因の一つだったと思います。直接は自分に言ってくれないですけど、そうやって僕がやったことのお陰だと言ってくれて、しんどい時でももたれ合いながら4年間やってこれたことが、すごく嬉しいです」
—リーグ戦以降は、夢のような期間だったと思います。
「明治勝った試合でのベスト8は本当に嬉しかったです。例年だったら細かく、全関優勝、西日本優勝といった具合に区切っていくんですけど、今年に関してはリーグ戦に優勝して、インカレのベスト8に入ることだけを目標にしていました。春は上手くいかないことも多かったんですけど、でも目標にしていたことにちゃんと手が届きました。それをものにできたというのはやってきて良かったと思いますし、ずっとバスケをやってきて良かったな、と思います」
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「自分たちが普通にやっていたら勝てない」
貴重な経験を糧に4年間を通じて成長を続ける
◆#34池嶋一輝(関西学院大・4年・PF)
卓越した跳躍力、力強いインサイドプレー、そして安定感のあるミドルシュートは、どれを取っても関西では一級品。彼がコートにいること自体が、関西学院大の戦術の一つと言っても過言ではなかろう。口で引っ張ることは本分ではないといい、プレーとその背中で引っ張っていくクールな印象のある選手。しかし涙もろい一面もあり、ファウルトラブルに苦しみながらも目標であるベスト8入りを果たしたゲーム終了後は、誰よりも、悔しさと嬉しさを交錯させ、タオルで顔を覆っていた。
8位という結果には、一抹の心残りもある。しかし、目標はここだったからこそ得られた充足感と達成感も、確かにある。もう一歩、二歩先の夢を下の世代に託し、自らは次のステージに進んでいく。
—最後は少し泣いていましたよね。
「まあまあまあ(笑)。終わったなという思いもありますし、自分自身ちょっと泣き虫なんで(笑)。そういうこともあっての涙ですね。緊張の糸が切れてもうたというのもあるし、最後はやっぱり勝ちたかったという色んな思いがありますね」
—目標は達成しましたが、ベスト8の後は3連敗となって、素直な喜びという気持ちではないのかもしれません。
「僕の中では達成感もありますし、チームの目標であるベスト8を達成できたのは良かったんですけれど、失敗したかなと思ったのは、ベスト8を目指した練習では、それ以上の結果が出ることはないな、と。それは強く感じました。後輩たちが更に上を目指していくなら、ベスト4になるなり、5位になるなら5位になるなりのチーム作りをしていって欲しいと思います。今年ベスト8に行けたということは、もう一つ上のステップにも行けると思います。もうちょっと高いハードルを超えて欲しいという意味で、後輩たちに期待したいです」
—ただ、ベスト8に入るための試合も大変でしたね。
「そうですね(苦笑)。いらんファウルトラブルやってもうて、ホンマにチームに迷惑かけたと思います」
—ベンチではどういう心境でコートを見ていましたか。
「コートに立てない間は、自分は声出すことしかできないんで、交代で出てくれた雑崎にも、堤や松原にもずっと声かけて、ベンチでずっと応援する思いでした。でもコートに出た時は、自分にできることを精一杯やろうと思っていました」
—残り7分から再びコートに戻って、そこからは池嶋選手らしいプレーが続いていましたね。
「やってやろうという気持ちと、もうファウルせんように気をつけようという気持ちと、両方でしたね」
—試合が終わった時は叫んでいましたが、ベンチに戻ると一人だけ泣いていましたよね。
「いやあ(笑)。もう嬉しさ3割、悔しさ7割の涙でしたね。ホッとしたという部分もありますけど、やっぱりそれでも不甲斐なかったな、という部分が一番大きい涙でしたね」
—インカレ全体でのご自身のプレーの出来はいかがでしたか。
「どうしても関西の時の出来と比べてしまうんで、正直あんまりできひんかったなと思うんですけど、率直にそこは全国のレベルかなと思います。自分の中では良くできた方なのかなと思います。今日の試合でもリバウンドは取れてた部分はあったと思いますし、専修はフィリップ選手(#30)のところがしんどかったですけど、日本人同士の対決であれば、リバウンドも少なからず取れている場面もありました。自分の中では満足のいった成績だったと思います」
—この4年間で、ご自身が特に力を入れてきたことは何だったのでしょうか。
「これというのは正直何個かあるんですけど、一番は練習後のシューティングと、ウェイトトレーニングだと思いますね。両方とも、2年生の時、代表合宿に呼んでもらった時に、全国で活躍している選手たちが、この選手がこんなえぐいことやってんの?みたいなトレーニングをこなしてたんで、それで自分たちが普通にやっていたら、そら勝たれへんわと思ったのが大きかったです。あそこで練習させてもらった経験があったから、ウェイトとシューティングは、そこで習ったことでプラスになることは全部取り入れようとやっていました。それが一番頑張れたことやと思います。一昨年のインカレが終わった後の1月に連れて行ってもらったのと、今年の1月とかで、計3日間の合宿に4回でしたかね。そこで意識の違いは感じました。2年生の時はふるい落としの方式やったんです。1回目でふるい落とされて、絶対次に選ばれた時は残ってやろうという思いがあったので、そこは頑張りましたね」
—実際に成長は感じますか。
「そうですね。体重も増えていますし、関西では敵なしと言われるくらいに成長できたので、自分の中では良かったと思います」
—良い練習ができたという意味では、自チームに松田選手がいることも大きかったのでは。
「松田も大きかったですし、雑崎も一緒にウェイトをやってくれて、オフシーズンは週3回くらいトレーニングしていて、練習でもやり合うことが多かったです。松田も大きいですし、雑崎の存在も大きかったと思います」
—関西学院大という環境で4年間やってきたことはいかがでしたか。
「悪くはなかったと思います。1年生の時からチームとしての雰囲気は変わっていなくて、自分たちの代になった時に、インカレに出れなかった年というのはそれなりの理由があったと思うんですけど、そこを自分たちでちゃんと見直して、良いところは引き継いで、上手くいかなかったところは自分たちで改善していこうというチーム作りをやってきたんで、この一年間のチームのやり方は悪くはなかったと思います」
—逆にこの一年間で見えてきた課題はありましたか。
「チーム全体で言えることですけど、フラストレーションの溜まった選手が、それを自分で消化し切れず、そこからチームの士気が下がってしまうということが関西リーグでも見られました。そういうことを含めたら、自分で考える力というのは、この一年間でずっとつけようと言っていたんです。リーグでも出ているには出ていたんですけど、当初に比べたらだいぶ少なくなったと思います。徐々に徐々にですけど、成果は出ているのかなと思いました」
—来年は堤選手(#22)、松原選手(#10)が核のチームになります。彼らに期待することは。
「自分たちの残した結果を上回って欲しいというのが第一ですし、チームの主軸を担ってくれるのがあの二人になってくると思います。最上級生として、できることはしっかりやっていって欲しいと思います」
—来年はご自身と松田選手がこのチームから離れていき、サイズダウンとなります。今日相手にやられたようなことを、逆に関西学院大自体がある程度やらなければなりません。
「綾部コーチから、さっきのミーティングで早稲田のようなチーム作りをしていくというような話もありました。練習も、自分たちの代よりも変わってくると思いますし、たぶん今以上にきつくなると思うんで、そこで不貞腐れたり文句を言ったりせずに頑張って欲しいです」
—先ほど代表合宿の話もありましたが、このチーム、そして関西の中でも得られたことは多かったですね。
「チーム内でもそうでしたけど、大阪学院の澤邉(#7・写真左)とか、他大学でも切磋琢磨し合える選手と出会ったので、チーム内でも雑崎や松田といった横のつながりがしっかりできたチームになったと思います。やっぱり関学で良かったと思います」
—彼らが敗れていったことも、勝ち進む中で意識として出てきませんでしたか。
「明治とやる前は、澤邉もSNS使って応援してくれたりとか、関西から個人のLINEで応援してくれる選手もいましたね。そういうことや、2日目の時点で残り1チームになってしまったので、関西の代表として頑張ろうという気持ちはありました。最後はもちろんチームのためですけど、結果として関西のためにベスト8に残れたことは良かったと思います」
関西学院大は課題と収穫を得ながらの目標到達に
ベスト8入り後は、ともにこの2戦で苦しい戦いとなっている早稲田大と関西学院大。インカレ最終日の最初のゲームは、毎年定期戦を行い、勝手知ったる者同士の対戦となった。

粘りたい関西学院大。3Qは#23松田のバスケットカウントでスタートするも、#25伊藤(4年・F)も3Pを決めて早稲田大は慌てない。ロースコアながら、要所で持ち前の機動力を押し出し、関西学院大を翻弄。4Q立ち上がりには#27濱田の3Pで18点ものリードとなった。関西学院大もここから#34池嶋がアリウープを決め、#27雑崎(4年・PF)のレイアップ、#10松原(3年・SF)の3Pが続くが、早稲田大は#11河合(4年・PG)の3Pも決まって最後まで動揺しなかった。ゲームはこのまま60−49で早稲田大が勝利した。

関西学院大は、ベスト8以降は慣れない舞台にやや翻弄される格好に。順位決定戦は、関西では全関でも実施される戦いだが、さすがにインカレともなると勝手が違った様子だった。だが、全く違うステージで最終日までの戦いを経験できたことは収穫であり、今後への糧となる。最後は悔しさも残った8位という結果だったが、ベスト8進出自体がチームとしては46年ぶりの快挙だった。胸を張って関西に帰り、来年以降に繋げて欲しい。
写真上:早稲田大・石原は笑顔も見える中でプレー。両チーム最多の11得点をマークした。
写真下:インカレを通じて好調だった中野もこの日は沈黙気味。上級生となる来年は、プレーの安定感を増していけるか。
・早稲田大・吉岡コーチ、河合選手、伊藤選手、佐藤選手、渋田選手、宮脇選手
・関西学院大・横澤選手、松田選手、雑崎選手、池嶋選手のインタビューは「続きを読む」へ。
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【INTERVIEW】「若いからこそできることもある」
◆吉岡修平コーチ(早稲田大)
―インカレは7位という結果になりました。
「この1年間、チームとして目指してきたのはやはりインカレ優勝だったので、準々決勝で白鷗に負けたあとの喪失感というのは、ものすごく辛いものがありました。何とかそこから立ち直って、今日の最後の試合を勝って終われたのはよかったです。昨日の5~8位決定戦ではあまりできませんでしたが、今日は見ての通り、皆で楽しく賑やかにやる、というこのチームの原点に戻ってできたと思います」
―ケガ人を抱えながらもチームをつくってきたこの1年間を振り返ってはいかがですか。
「リーグ戦中にもケガ人が出てしまいましたが、その度に誰かが補い、『全員でやっていく』というチームの姿勢を実現できたのではないかと思います。誰が出ても変わらないバスケットができるというのは成長の結果かなと。ただ主力は4年生が多く、3年生以下はまだ少し精神的に弱い部分があります。逆に言えばそこをしっかりやっていけば今年のチームを越えられるでしょう」
―試合後、コーチの目にも涙が見られたのは?
「去年からスタッフとしてやらせてもらって、学生時代を含めれば(早稲田大バスケット部に関わるのは)今年で6年目になります。今の4年生は彼らが1年生だった頃から全て知っているので、4年間でよく成長したなというのもありますし、今年は近年稀に見る選手層の厚さで必ず結果の残せるメンバーだったのに、それを勝たせきれなかった悔しさもあります。選手たちの成長を感じられた分、僕がその成長に追いつけなかったのかな、と白鷗に負けたあとは考えました。それでも何とかよい形で終わりたいと頑張りました」
―今後も、吉岡コーチのような若いコーチが大学バスケの指揮を執ることがあるかと思います。アドバイスがあればお願いします。
「強豪校のコーチは皆有名な方で、やはりどこか気後れする部分はあるでしょうが、若いからこそできることもたくさんあると思います。たとえば選手と一緒になって盛り上げたり、励まし合いながらできるところ。僕としてはプレーッシャーもあり負ければ自分のせいだとも感じましたが、選手と一緒にやっていて楽しかったです。それができれば、他のコーチが持つ『経験』を越えられる何かがつくれると感じたので、参考にではないですが、そういった気づきを持ってやってもらえればと思います」
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「1年間キャプテンでいられたのは皆のおかげ」
支えや後押しを毎日感じた最後のシーズン
◆#11河合祥樹(早稲田大・4年・主将・G)

―リーグからインカレまではどのような準備をして臨みましたか?
「今までにないくらい激しい、質が激しい練習です。皆でバチバチやり合って、優勝するぞという気概に満ちた練習が2週間できたので、勝ち上がる自信はすごくありました」
―それだけに、準々決勝・白鷗大戦は悔やまれますね。
「正直に言えば、全く切り替えできませんでした。負けた後は自分がミスしたプレーがずっと頭に浮かんで、夜寝ていても冷や汗を掻いて悪夢みたいな感じでした。あの試合は身体的にも限界まで出し切って、それでも勝てなくて、満身創痍でダメージが本当に大きかった。いつもは切り替えられるのですが、今回ばかりは思いが強すぎて、今日まで引き摺っていました」
―では、今日はチームメイトの力を借りて勝てた、という感じでしょうか。
「昨日の試合もそうだったのですが、リーグ中も、3年生以下の皆が必死に頑張っている姿が見られました。応援席のメンバーもベンチに入れなかったのに応援ですごく背中を押してくれて。どんなに気持ちが落ちていてもやらなきゃいけないと思わせてくれるチームメイトだったのが、僕には本当にありがたかったです」
―それは河合選手が主将としてそういうチームをつくってきた成果でもあるのでは?
「うーん……僕が1年間キャプテンでいられたのは、皆のおかげという気持ちが強くて。確かに同期は強く発信することはあまりなく、淡々と取り組むメンバーですが、手を抜いたりとか悪い意味で愚痴を言ったりといったことが絶対になく、全力でついてきてくれて、本当に支えられました。逆に3年生はどんどん発言して盛り上げてやってくれる活力のあるメンバーで、バスケットもうまい。そういう意味ではうまくバランスが取れました。それが、周りから見ると『キャプテンよくやっているな』と見られる、僕が『キャプテン頑張ったね』と言ってもらえるところなのかなと。本当は皆しっかりしているのでできるんですけど、キャプテンということで僕を立ててくれたんです」

「吉岡コーチが僕たちのために寝る間も惜しんで戦術を考えたり、練習内容を考えたりというのを、去年から2年間見てきました。歳が近いからこそそういうことが知れたと思います。それに続いて、プレイヤーから転じた学生コーチやスタッフもリーグ中徹夜してもスカウティングしてくれたりして。コーチや同級生、後輩が僕たちのためにやってくれていると思ったら手を抜けないし、1日でも無駄にできないという気持ちがこの1年間毎日ありました。だからこそ気持ちが入り過ぎて練習に行くのが憂鬱になることもあるくらいでしたが、そうしてやってこられたのが本当によかったです」
―河合選手にとって、早稲田での4年間はどんな経験になりましたか。
「入学した時は正直、どうしても早稲田でバスケがしたい、というわけではありませんでした。1年時はチームもリーグでたくさん負けて、頑張っていない自分もいたと思うんです。そこに対する悔いはあるのですが、4年の最後にこんなよい仲間に恵まれて、本当に支えてもらって、早稲田でバスケができてよかったと心から思います」
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悔しい想いが溢れ返る中で送った言葉は
「インカレ優勝という目標をぶらさずに頑張ってほしい」
◆#26伊藤諄哉(早稲田大・4年・F)

―お疲れさまでした。学生の最後の試合を終えた今の気持ちは?
「やりきった爽快感もあれば…そうですね。悔しい想いが…後悔しても仕方ないですが、振り返ると悔しかった想い出がいま溢れ返ってきています」
―どのようなことを一番思い出しますか?
「2年生の頃は出場チャンスもなくて、いかに監督やHCに自分を起用してもらうかを考えていました。それで、まずは身体作りして、自分の長所はシュートだと思ってシュート力も磨きました。2年生の後半からチャンスは掴み始めて、3年生のトーナメントでやっと掴んだスタートでしたが…そこで結果を残せなかった。結局、その年のリーグ戦は応援席にいたこともあって…。あの時が一番自分の中でつらかったです…でも、自分はベンチに入れてもらいましたが、ベンチじゃないところの世界も見ることができました。試合に出ている自分たちのためにどれだけの人たちが我慢しているかをすごく痛感する機会にもなりました。一人のバスケット選手だけではなく、一人の人間としてでも辛かったですが、成長できた瞬間だったと思います」
―苦しい時期を乗り越え、4年生ではベスト8まで後輩たちを連れてきましたね。
「今シーズンは少しずつチャンスをもらいました。“優勝”という目標を掲げてきた以上、(準々決勝で)白鷗大に敗れてしまったことはものすごく悔しかったですが、その中でも僕が大学に入学してから(インカレ)ベスト8の壁を破れていなかったので、今回突破できたことは、小さな喜びです。それに、今後早稲田のバスケ部が強くなるに至って小さな一歩かもしれませんが、まずは道を切り開けたことは大きな一歩だと思っています」

「そうですね。このインカレでもう少しチームの力になれたらな、という悔しさ、申し訳なさと…後輩を勝たせてあげられなかったことですね。高校の時は達哉(東海大#35伊藤)や森井(#18)というガード陣がいて、味方に活かしてもらっていましたが、大学に入って特に上級生になってからは、後輩を活かせるようにスクリーンをかけてあげたりすることを意識してやってきました。インカレ前に後輩たちと話していて、お前たちは思い切ってプレーして、ミスは全部俺らつぐなう、と言ったにもかかわらず…結果的に後輩の足を引っ張ってしまい、4年生というか特に僕とかは後輩に支えられてしまった。その点は恥ずかしくもあり、悔しくもあります…逆に捉えれば、後輩たちの頼もしさに嬉しくもありました」
―個々の能力もある3年生が多い早稲田大です。今シーズンは他のチームにも言えることですが、下級生が多く試合に出ていると集中力の維持が難しくなります。そこを4年生がまとめていくというのは大変な部分もあったのでは?
「3年生はすごく勢いがあってやんちゃです。でも、その“やんちゃ”さは失ってほしくない。波があっても、落ちそうな時にいかに僕らが支えてあげられるか。3年生がバラバラになりそうでも、僕らがいかに繋ぎ目になってあげられるか、というのが一番重要だと思っていて、その点は1年間通して意識してきました」
―最後に、後輩たちに向けて一言お願いします
「僕らがやっていたように落ちそうな時に声を掛けるとか、つなぎ目になるというのも大事だと思いますが、今の下級生たちが持っている一番の良さは“元気がいい”ところだと思っています。だから、そこを忘れないで思い切りよくプレーしてほしいです。僕が卒業生になって、直接プレーで貢献することはできませんが、また違った形で裏からサポートしていければと思っています。現役には何も考えずに、というのはおかしいですが、今日のこのインカレの悔しさを忘れずに、インカレ優勝という目標をぶらさずに頑張っていってほしいです」
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「存在感を出さなければベンチにいる必要がない」
架け橋の役割に留まらず、一選手としての結果も追求
◆#31佐藤智也(早稲田大・4年・G)

―学生の大会としては4年間の締め括りとなりました。「終わっちゃったな」という声も出ていたようですが。
「僕は1・2年のときはBチームだったんです。チームは1年のとき2部に落ちてしまい、2年のときは入替え戦に進めなかったのですが、試合にも出られずチームのために何もできませんでした。何かやりたいと苦しんだ2年間を経て、3年目に引き上げてもらってベンチに入って、それでも試合にはあまり出られなかったですが自分にできることをやろうと取り組くんできました。今年は副キャプテンになって、自分のプレーどうこうよりチームをどう動かしたらいいかを常に考えていて、楽しいことより大変だったことのほうが多かったなと思う一方、終わってみたら後輩にも恵まれたしいい4年間だなと思います。長かったですね。とくに4年目は就活と早慶戦が重なってしまって思うようにいかないことも多く、本当に長かったです」
―去年からベンチにいても声で存在感を発揮していましたが、それが佐藤選手の見つけた「自分にできること」だったのでしょうか。
「もとは、試合に出たかったので人と同じことをしていてもだめだと考えました。ベンチにいてもメンタル部分のケアはある程度できるんじゃないかと思って、3年になって声を出すようになりました。それをスタッフが見てくれていて。チームに活力を与えられているかは自分ではわからないですが、ずっとベンチに入れてもらえたので、それを僕の原点として、練習中もずっと声を出してきました。そうやって存在感を出さないと、試合に出ないのにベンチにいる必要はないじゃないですか。だからできることをしっかりやろう、というのはブレずにやってきました」
―その取り組みを見てもらっての副キャプテン任命だったかと思います。どうチームをまとめてきましたか?
「やはり下級生に支えられている部分が大きかったので、本当に感謝していますが、その分コントロールするのは難しかったです。とくに僕は試合に出ていなかった分、手探りな部分が多かった。それぞれ思うところはあるでしょうから、何でも話せる仲にならなければコントロールできないなと思って、プライベートでもほとんどずっとバスケ部と一緒にいました。今シーズンは縦のつながりだけでなく横のつながりももっと大事にしたほうがいいと思って、いろいろやってきました」
―それが、この試合最後にフリースローを決めたときの、ベンチ・応援席からの『佐藤さん』コールにつながったのでは。
「嬉しかったですね。ただフリースロー前のコーナーからの3Pシュート、セットプレーを作ってもらったのに決められなくて。でも決められないのが逆に僕らしいかなとも思います」
―今Bチームやプレータイムがあまりない選手へのアドバイスという意味も込めて、コートに立つために取り組んだことを教えてください。
「今日は入らなかったですが、僕はスクリーンを自分で使ってジャンプシュートというのが得意でした。周りを見てもドリブラーはたくさんいて、そこで戦っても試合に出られない。シューターはというと、うちはセットで打つタイプが多かったので、僕は自分で動いてスペースをつくってシュートを打つことにフォーカスしてずっとやってきました。それは監督陣に評価してもらえて、リーグ戦でちょこちょこ使ってもらっていたときには『まずシュートを狙え』と言われました。自分でもある程度手ごたえを感じていたので、武器を磨いてチームに足りないものを埋められれば、試合に絡めるようになるのではないかと思います」

「楽しいにも種類がいろいろあるのですが、3年のとき1部に上がったのはやはり楽しかったですね。法政との入替え戦は1戦目で2桁差をつけられてしまいましたが、そこから切り替えて2・3戦目は圧勝できた。その年からA・Bチーム一緒に練習するようになって、僕はBチームを2年間経験していたので、Aチームとの関わりにおいて架け橋的な役割を果たさねばならないと思っていました。苦労した分、1部昇格という目標が達成できたときはすごく嬉しかったです。4年生の先輩のことも慕っていましたし」
―この2年間指揮を執った吉岡コーチも、先輩に当たりますよね。
「はい、1年のときの3年生で。近い距離で何でも話を聞いてくれますし、吉岡さんがヘッドコーチになったとき僕も意見を言える立場になっていたので、指導者との距離が近いのは良いか悪いかはわかりませんが、チームのまとまりという部分ではコミュニケーションがたくさん取れて、本当によかったと思います」
―この4年間の経験は、これからの人生にどう活かせると思いますか?
「就職活動をしたとき、今までチームプレーで結果を出してきて、楽しかったけれど、その一方で試合にはあまり出られず、個人としての成績というのを残せなかったのがどこかで心残りだったと気づきました。それで、個人として成果が出る仕事をしたら楽しそうだなと金融業界を選びました。先輩や周囲とのコミュニケーションを考えて4年間やってきたつもりなので、コミュニケーションや人間関係の作り方の部分は、社会人になっても僕の武器として通用するんじゃないかと思います。もちろん周りに恵まれたというのもありますが、そこは社会人になっても大事にしたいと思っています」
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「4年生が意地を見せられず悔しい」
成長の手応えと、自信があったからこその悔しさ
◆#36澁田貴大(早稲田大・4年・G)

―7位という結果を振り返って。
「一言で言うと、悔しい結果だと感じています。優勝を目標にやっていましたし、ベスト4以上に行ける自信が僕の中であったので。準々決勝の白鷗戦、5~8位決定戦の青学戦と、負けてしまった試合はどちらも相手の4年生が意地を見せたと感じていて、それに対して僕たち4年生が意地を見せられなかった。勝たせてあげられなかったというのは、この1年の中でもいちばん悔しいです。とくに白鷗戦は4年間やってきた中でも、バスケ人生でもいちばん悔しかったですね。それだけかけていました。切り替えるのが大事でしたが、1日ではなかなか切り替えられず、青学戦も4年生にやられてしまった感じです。4年間やってきた中で今年のチームがいちばん強いと自負がありましたし、やっているバスケットも良くて、4年間やってきて1番楽しかったのもこのチームでした。今日勝てたのはよかったですが、今でも悔しい気持ちは強くて、悔しいしか出てこないです」
―その紙一重の差の理由は、4年生の意地だけですか?
「うーん、今年1年を通して、練習中に少し気持ちの波があったかもしれません。それが試合にも影響して、リードしていても離しきれなかったり、追いついてももう一歩逆転まで持っていけなかったりといった詰めの甘さがありました。負けた試合は全て練習の甘さが出た。そこを1年間言い続けていたつもりですが、結局白鷗戦で粘り切れず、青学戦で逆転しきれなかったところなのかなと」
―とはいえ、4年生の力は大きかったのでは? この試合の最後にコートがオール4年生になったときも喝采が起こりました。
「今年の4年は、プレイヤーはちょうど5人で、ポジションがうまくばらばらなので一緒に出る可能性はあったものの、実際はリーグ戦も含めてそういう場面はなかなかありませんでした。4年間ともに過ごしてきた5人でコートに出たいという気持ちが強くあったので、今日はとにかく点差をつけよう、そうすれば5人で出る可能性も高くなると考えていました。自分は途中ケガもあって出られるかは際どかったですが、結果的に最後に5人で出られてよかったです」
―澁田選手個人としては、今年はどんなシーズンになりましたか。
「今年1年がいちばん成長できた、バスケット選手として技術が向上したんじゃないかと自分でも思っています。下級生のときから試合に出してもらい、責任感を持ってはいたものの、なんとなく感じるだけでした。それが今年は自分次第でチームが変わってしまうんだ、くらいの意識でやってきたので、精神面でもバスケットの技術も、自分でもびっくりするくらいうまくなったと感じています。あとは何より落ち着きました。これまではあまり周りを見られていなかったですが、今年はよく見えて、気持ちに余裕を持ってプレーできました」

「そこは意識していましたね。僕がいいプレーすると石原(#7)とかがベンチで盛り上がってくれる。流れが悪いときこそ盛り上げるのが大事だと思っていたので、そこは積極的に行こうと決めてやっていました」
―来年のチームは、先のお話に出てきた「甘さ」を克服できそうですか?
「やってくれないと、という感じですが、去年・一昨年も試合に出ていたメンバーが多く試合慣れしているので、普通にやればどこのチームにも勝てると思います。ただ今年から自覚を持ってやって欲しいとずっと言っていました。厳しいことを言えば、まだ少し甘えというか、自分たちならできるといった油断があると思います。本当に彼らならできるんですが、そういう気持ちを持っていてはだめだし、練習からちゃんとやってくれればと思います」
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「どんな結果でも笑顔で終わろうと思った」
チームを笑顔にさせるムードメイカー
◆#38宮脇隼人(早稲田大・4年・C)

2部から再び1部に戻る間に意識も、取り組みも変わった早稲田大。その結果、宮脇自身もダメだと言いながら体を大きくし、自分自身を変化させてきた。そうした上級生として見せてきた姿に、後輩たちも笑顔でついていったに違いない。
—試合を終えて、いい笑顔でしたね。
「僕は今シーズン始まって、最後は笑顔で終わろうと思っていたんです。どんなことがあっても。自分としてはぜんぜんダメだったんですけど、最後は笑顔で終わりたいなと。だから笑顔でした」
—この最後のインカレを7位で終えました。ベスト4がかかった白鷗戦などの手応えはいかがでしたか?
「チームとして最後追い上げていって、あともう一歩でした。それは試合がどうというより、練習からの詰めがあと一歩足りなかったのかなと思います。もう一回練習から突き詰めていかないといけないと思います」
—今年は河合選手(#11)が練習からもしっかりやろうと引っ張っているということでしたね。
「去年の慶次郎さん(昨年度主将・池田)の代から意識が変わり始めて、今年も河合を中心に楽しい中にも厳しさを持って練習をしてきました。この結果も河合が引っ張ってくれたおかげでもあると思います」
—その中で宮脇選手は役割を意識していましたか?
「自分は(河合を)支えられてはいないですけど、少しでも力になれたらなという思いでやっていきました。気持ち面では寄り添っているつもりでした」
—でもリーグ戦中から宮脇選手がいい活躍をするとすごくチームも盛り上がりましたよね。
「僕のキャラ的に自分が乗ればチームも乗ると思って、それを意識していました。でも気負った部分があって、自分がやらなきゃと思いすぎて、個人的にはダメだったなと思います。でも皆が盛り上がってくれたのは良かったです」
—自分としては4年間でいつのパフォーマンスが良かったなと思うことはありますか?
「どうでしょう。でも入りたてのときの方が伸び伸びはできていたかもしれないですね。あとの年は考えすぎてモヤモヤがありました。でも最後は笑顔で終わろうと思っていて、やり切れました」
—最後のシーズンは1年のときに落ちた1部リーグに帰ってきて、良いことも多かったのでは。
「日本の大学では1番高いところにあるリーグだと思うので、そこでできたことは嬉しいです。1部でできたのも慶次郎さんたちのおかげだし、先輩たちに感謝しています」
—上級生になって体つきもかなり変わりましたよね。
「去年ぐらいからウエイトもしっかりやるようになりました。入学してから15キロぐらい増えました。トレーニングの見直しなど、一から変えてきたことで、少しずつチームも自分も変わってきたと思います」
—今日はその体で関西学院大学の重量級、松田選手(#23)も止めましたものね。
「健太(松田)も中学のときから知っていて負けたくない相手でした。でもやられすぎた面もあります(笑)」

「諄哉(伊藤)と河合は高校からずっと一緒にやってきました。諄哉は諄哉なりに一生懸命で、河合は引っ張ってくれました。本当に感謝しかないです。ありがとうと言いたいです」
—後輩には何を期待しますか?
「後輩はスキルも実力もある後輩もいっぱいいます。力だけなら僕らが果たせなかった日本一を果たせる力があると思います。でもまだ子どもの部分があるので、そういうところで河合のように引っ張っていける人物が出てきて、チームを作っていければ、もっと強くなれます。試合で盛り上がるだけではなくて、練習からチームを作って、戦っていって欲しいなと思います」
—ヘッドコーチの交代や2部リーグ経験など、いろんなことがあった4年間でしたが、学生の大会を終えていかがですか?
「早稲田で良かったし、早稲田だからここまでやってこられたと思います」
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「挫折してどう這い上がるか、存在価値をどう示すか」
ずっと模索し続けた自分にしかできない仕事
◆#20横澤拓海(関西学院大・4年・主将・SG)

最後は悔しさも募らせつつ、どこか安堵感に満ちた表情だった。役割を最後まで貫き、学生同士では最後の戦いとなる大会を、目標達成を果たして終えた。
—最後のインカレが終わりましたね。
「終わったときは、このカードで試合ができて良かったなと思いましたね。早稲田には洛南の選手が多くて、僕は東山出身で、ずっと戦ってきたので。大学でも定期戦があって、仲の良い相手なので、そこと対戦できて自分的にもすごく楽しい時間でした。でもそれは個人的に思う部分で、キャプテンとしてはやっぱり勝ちたかったです」
—ビハインドの展開でしたが、声出しの部分などは意識されていたと思います。
「そうですね。劣勢の部分で、スタメンで声を張れるのが、僕は堤(#22)だけだと思っていて、そこで僕や雑崎(#27)がよくハードにプレーをして、声を出す役割を担っています。控えから出た時は、声かけだったり、他人以上のハードなディフェンスというのを心がけています。キャプテンがやっていることで、後輩たちがその姿勢を見て、もっとやらないといけないという循環が生まれれば良いなと思っています」
—実際は、後輩たちはそれに応えてくれそうですか?
「どうでしょう(苦笑)。それはチームが勢いに乗っているとき、勝ちが続いているときは、その姿勢を見てやろうと思ってくれてると思うんですけど、しんどい時間帯にその姿勢を見てやらないといけないというのを、どの段階で思ってくれるかだと思います。できるだけ早い段階で気づいて欲しいんですけど、4年生になれば自ずと気づくと思うし、そういう姿勢が大事だということは分かると思います。今の3年生に伝わっていれば良いのかなと思います」
—今季は関西リーグ途中から独走状態でした。精神的に、逆に難しかったのではないでしょうか。
「そうですね。チームとして経験したことのないことばっかりで、そこに対して僕も未熟でした。そういう状況でどういう声かけをすれば良いのか、いざ負けた時にダメージも普段以上に大きいと思うし、そこに対しての僕自身の言動は、満足いくものではなかったと思います。そこは悔やまれます」
—キャプテンとしては、苦労が多かったという気持ちですか。
「小中高とずっとキャプテンはやっていたんですけれど、それ以上に大学のキャプテンというのはすごく難しかったです。一人ひとりが考えて動くチームを目指してきて、そこから更に、一人ひとりが考えたことに対して自信を持って行動させようと思っていました。でもその行動が間違った時に、それをただせられなかったというのが、僕の中では非常に悔やまれます。最悪なことを考えれば、キャプテンがベンチにいることでスタメンの選手には、なんでベンチの選手に言われなきゃいけないんだ、と素直に受け入れられないかもしれない。だから僕の言葉がどれだけ響いていたのかは分からないですけれど、インカレが終わってみて、別のアプローチもあったんじゃないかな、とは思います」
—高校までのコートに立ってのキャプテンとは違ったということですね。
「そうですね。ベンチでのキャプテンというのは経験したことがなくて、言いづらい部分もありました。でも言わないといけない。それが非常に難しかったです」

「そうですね。池嶋(#34)に関しては、新人戦の時にあいつがキャプテンをやっていたんですけど、プレーに集中させた方があいつのパフォーマンスが上がるということで、キャプテンという重荷を背負ってしまうとイマイチ上手くいかないということがありました。彼にはプレーの部分でやってもらおうとしていて、チームを締める部分は僕がやることになりました。4年生のプレーというところでは池嶋と松田(#23)に助けてもらいましたし、僕一人ではまかない切れないハードなディフェンスや声かけは、雑崎(#27)に非常に助けてもらいました。良い同期に恵まれたなと思います」
—池嶋選手、松田選手という強いフィジカルを誇る選手を揃えた布陣でしたが、練習で特別なことをしていたという感覚はありますか。
「例年の目標だったら、全関優勝、西日本優勝、リーグ優勝といった具合に設定していました。でも今年はリーグ優勝からインカレベスト8とだけ掲げました。全関と西日本に関しては、特に考えていなくて。ただ、インカレベスト8に入るにはリーグで1位になって、良い組み合わせのところに入ることが必要だと思っていました。これまでも目標を常にベスト8に据えていた中で、今年はそこだけを目標に練習してきただけで、特別感はなかったです」
—今季は関西リーグ優勝決定後の連敗が、正念場だったように思います。
「いつもなら流れを変えるときに僕や雑崎が出るところを、僕がケガしてしまって、堤もケガをしてしまいました。そこまでチームとして100パーセントの状態を保ってきたところで、70、80パーセントに落ち込んだことがなかったんです。そこで他の選手がカバーしようとして頑張ってくれたというのはありますけど、その70、80パーセントの状態で即座に対応できなかったのが、あの連敗になったのかなと思います」
—そこから最後に天理大に勝利し、インカレのベスト8に向かっていきました。ベスト8をかけた明治大戦は、一旦二桁の差を追う状況に追い込まれましたね。
「明治に関しては、インカレ前からデータや戦術は見ていて、彼らが崩れるパターンも分かっていたので、崩すためのハードなディフェンスをやれば僕は負けないと思っていました。それを実際にタイムアウトやハーフタイムで言って体現できたので、やばいというよりは、やることをやっていれば逆転できるという思いでやっていました。池嶋が3つやった(ファウル)瞬間はさすがにまずいかな、と思ったんですけど、それでも今までの努力はこの場にかけるためにやってきたので、雑崎が必死に4年生の意地を見せて代役をやってくれて、まかなえたかなと思います」
—大学の環境で4年間バスケを続けてきて、一番ご自身が得たと感じることは?
「挫折してからどう這い上がるか、自分の存在価値をどう示すか、それへの取り組みの部分で、自分の中では非常に大きかったと思います。1年生の時に、試合に出させてもらっていたんですが、ケガをしてしまって、新人戦で復帰したんですね。その時にどうやればチームに貢献できるのかなと考えて、自分のシュートを磨くとか、ハードなディフェンスをすることで貢献していこうとしていました。2年生で、スタメンで全関西を準優勝して、リーグ戦でまたケガをしてしまって、インカレでもコートに立てませんでした。でもそこからスタメンに戻っていって、そういった繰り返しを何回も経験しました。そうした、自分自身が何らかのトラブルでチームに貢献できなくなった時の対処法というのが、すごく身に付いたと思います。こういうことは社会に出ても、ミスをしたらどう取り返すか、という場面で活きてくると思うので、ケガでプレーできなかった期間は悔しいですけど、得たものは自分の中ではあったのかなと思います」
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「自由にやらせてもらって成長に繋がった」
欠場期間中も腐らずにフィジカル強化に繋げる
◆#23松田健太(関西学院大・4年・C)

満を持して戦列に戻った後は、決して長くはない期間の中で、チームの縁の下の力持ちとしての役割を全うし、どこかメンタル的に安定性を欠くチームに、大きな自信を取り戻させた。関西学院大の果たすべき目標への到達に、大きく貢献した一人だった。
—最後のインカレが終わりました。
「ベスト8に入って素直に嬉しいですけど、専修に負けてからは立ち直れずに次の日も落としてしまって、最後までその辺は変えられなかったなと思います。まだまだ成長できていないなと。そこは反省です」
—ベスト8以降で良くなかったと思うことはありますか。
「専修には全てのステータスで上を行かれていた気がします。ベスト8以降の壁はすごく分厚いなと思いましたね。その後は、実力はだいぶ専修よりは落ちていて、勝負にはなったんですけど、やっぱり勝負どころは関東は強いですね。名経相手には、勝負どころでうちがミスしてあんな結果になってしまいましたし。勝負どころでの強さがだいぶ違うなと思いましたね」
—専修大は、高校の同級生の國分選手がいました。期するものはあったのではないでしょうか。
「組み合わせを見てから大輔(専修大#7國分)と当たりたいなと思っていました。そこは対戦できて良かったですし、あいつもだいぶ上手くなっていて、しかもあいつにやられた部分もあったので、でもそこは素直に嬉しかったですね。それと最後に早稲田とやりましたけど、早稲田とは定期戦をしていて宮脇(早稲田大#38)とかも仲が良いので、最後にみんなとやれて、個人的には相手が青学よりも良かったのかなとも思います」
—このインカレを通じて感じたことは何でしょうか。
「4年目でインカレを経験してみると、早いうちからもっとインカレを経験していれば、もっと上にいけたんじゃないかな、というのが素直な気持ちです。インカレの舞台というのは空気もだいぶ違いますし、それに慣れていなかった部分もあったと思います。早いうちからインカレを経験していたかったですね。その分後輩はベスト8に入る経験ができたので、それを活かして欲しいです」
—それでも、最後の目標だったインカレのベスト8ということには満足しても良いのでは?
「満足感は、最初はすごくありました。でもやっぱりベスト4の壁、そしてその後の切り替えのなさに関しては、悔しい気持ちの方が大きいです」
—ベスト8を決めた明治大戦は、これが起きてしまうと関西学院大としては厳しいのかな、という展開でした。
「池嶋がファウルトラブルになって、リーグ戦にはないようなシチュエーションで点を取ることに困りましたけど、何とかディフェンスで食い下がって4Qまでついていって、最後の勝負どころで抜き切るというのができて、そこでチームの成長を感じました」
—普段よりも、リバウンドに対して良く跳んで反応が早かったようにも見えましたが。
「自分ではそんな感じでもないんですけど、やっぱり池嶋がいなくなるとそうなるんですかね(笑)。気にしてはいなかったですけど」

「あいつのシールの姿勢、ランニングのシールのうまさ。ああいうことをやり続ける選手が一人でもいると、だいぶ相手のファウルも込みますし、楽になります。そこはすごいなと思います。あいつが頑張っている時は、自分は上からでもパスしないと、やっている自分もきついです」
—逆に、彼に負けないと思う部分は?
「まあ、ポストプレーかな(苦笑)。池嶋は、ポストプレーはあんまり上手じゃないと思うので、その辺はこっちもポストからのパスの部分とか、そういうことは意識してやっていました」
—お二人ともフィジカル面でかなり鍛えられてきたようですが、きっかけは去年のユニバ合宿だったと聞いています。
「池嶋はだいぶ筋トレにストイックになりましたけど、自分は池嶋に刺激されたというよりは、ケガをしてちょうど良い機会だなと。一年間作り直そうと思って、やっていただけです」
—復帰した今年のリーグで強くなったという実感はありましたか。
「だいぶ楽になりましたね。やっぱり今までよりも外国人との当たりも自信は持てましたし、ポストプレーにも出ていたと思います。そこは良かったと思います」
—インカレでは要所でペイント内だけでなくミドルシュートも決まっていましたね。
「ミドルは元々嫌いではないんですよね。池嶋が結構打つので、自分は下の方に構えようとしていたんですけど。でも、特にミドルシュートをそこまで打ったという意識もしていないです。外国人につかれることが多かったので、そういう時はちょっと狙っていました」
—関西学院大という環境は、振り返っていかがでしたか。
「綾部さん(コーチ)が選手を縛らない分、迷う時がありつつも、でも自由にやらせてもらいました。やるところはやるんですけど、自由にやらせてもらっていたので、それが成長に繋がったのかなと思っています」
—高校までと大学とでは、やはり違いましたか。
「そうですね。高校ではやることを固められてやっていたので、大学ではやはり違いました」
—後輩たちに伝えたいことは。
「大喜(#22堤)、寿樹(#10松原)、司(#74中野)含め、インカレのベスト8以降の壁を知れたと思います。それを活かして練習、試合に取り組んで欲しいです。ベスト4から先の相手には、技術もフィジカルも全然足りていなかったと思うので、そこを何とかしていって欲しいと思います」
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「しんどい時でももたれ合いながら4年間やってきた」
繋ぎ役ながら僅かな時間でも存在感を発揮
◆#27雑崎 遼(関西学院大・4年・PF)

チームメイトの信頼も厚く、誰もがその存在の大きさを認める。試合だけでなく、練習やチームマネジメントの面でも頼みになるプレーヤーだった。
—インカレを終えて思うことは。
「正直嬉しいという部分と、もっと先に行きたかったなと思う部分と、その二つですね。僕らは元々インカレベスト8を目標にしていて、あくまでもそれは達成できたんですけど、もっともっと上を目指したかった部分があります。実力不足はすごく痛感しました。でも、次にいけるチャンスは何度か見えたんで。欲を言えば、もっと上に行きたかったというのが少しありますね」
—ハイライトは明治大戦でした。池嶋選手のファウルトラブルで、普段よりプレータイムが長くなりました。
「出来とかは、その時はあんまり考えていなかったです。池嶋がファウルトラブルになって、やらなきゃいけない状況だったので。僕は今年からちょくちょく試合に出してもらえる状況になったんですけど、それでも20分出る機会はあまりなかったです。それがこんな大舞台で、しかもこんなベスト8をかけた試合でまわってきたことは、緊張はありました(苦笑)。でもそれ以上に、ここが大一番だというのは理解してたんで、やってやろうという気分で精一杯やっていったつもりです」
—ベスト8を決めた試合では、いつも以上に長いプレータイムになりましたね。
「僕は得点に固執していないんですけど、取れる時には取らなきゃいけないと思っています。数字こだわるのはもちろんなんですけど、チームを盛り上げたりとか、ディフェンスの勢いを上げることは意識しています。そういう部分で起用されているのは伝わってくるので、ゾーンが増えたときに出ることが多いんですけど、そういう時に足を動かしてトランジションを上げることは、すごく意識してやっていました。明治戦はゾーンで勢いをつけられたという感じはあったので、少しは力になれたかなとは思います」

「実際のところは、僕自身がトレーニング好きなので(笑)。ただ、一人でやるよりも、誰かと切磋琢磨しながらやる方が、自分としてもやる気も上がります。池嶋とかはバーベルを上げる重さが違うんですけど、自分が10キロ上がったと言うと、それに負けたくないと言って池嶋が更新していって(笑)。そういうことを繰り返しながら、今はスクワットなら170キロくらい上げられるようになりました。そうやって切磋琢磨したとは良く言われるんですけど、本当にその通りで、上手いこと持ちつ持たれつで、良いように僕が成長できたのはあいつのお陰だなとは思います。僕自身は、試合に出て活躍したと実感した部分は短かったんですけど、そう言ってもらえるのは嬉しいです」
—松田選手には長いブランク期間がありましたが、彼ともトレーニングをともにしてきたということでした。
「あいつはケガしてからウェイトは20キロ増えて、体重も10キロ以上増えて、そのパワーアップで助かった部分はすごく多かったと思います。本当に頼りになりましたね」
—その分、ご自身もパワーアップしたことになります。
「一応4年間では、自分も数字は上がっていますけど、とにかくそうやって周りに刺激をもらえる同級生がいたことは、自分がつらくても腐らずにやってこれた要因の一つだったと思います。直接は自分に言ってくれないですけど、そうやって僕がやったことのお陰だと言ってくれて、しんどい時でももたれ合いながら4年間やってこれたことが、すごく嬉しいです」
—リーグ戦以降は、夢のような期間だったと思います。
「明治勝った試合でのベスト8は本当に嬉しかったです。例年だったら細かく、全関優勝、西日本優勝といった具合に区切っていくんですけど、今年に関してはリーグ戦に優勝して、インカレのベスト8に入ることだけを目標にしていました。春は上手くいかないことも多かったんですけど、でも目標にしていたことにちゃんと手が届きました。それをものにできたというのはやってきて良かったと思いますし、ずっとバスケをやってきて良かったな、と思います」
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「自分たちが普通にやっていたら勝てない」
貴重な経験を糧に4年間を通じて成長を続ける
◆#34池嶋一輝(関西学院大・4年・PF)

8位という結果には、一抹の心残りもある。しかし、目標はここだったからこそ得られた充足感と達成感も、確かにある。もう一歩、二歩先の夢を下の世代に託し、自らは次のステージに進んでいく。
—最後は少し泣いていましたよね。
「まあまあまあ(笑)。終わったなという思いもありますし、自分自身ちょっと泣き虫なんで(笑)。そういうこともあっての涙ですね。緊張の糸が切れてもうたというのもあるし、最後はやっぱり勝ちたかったという色んな思いがありますね」
—目標は達成しましたが、ベスト8の後は3連敗となって、素直な喜びという気持ちではないのかもしれません。
「僕の中では達成感もありますし、チームの目標であるベスト8を達成できたのは良かったんですけれど、失敗したかなと思ったのは、ベスト8を目指した練習では、それ以上の結果が出ることはないな、と。それは強く感じました。後輩たちが更に上を目指していくなら、ベスト4になるなり、5位になるなら5位になるなりのチーム作りをしていって欲しいと思います。今年ベスト8に行けたということは、もう一つ上のステップにも行けると思います。もうちょっと高いハードルを超えて欲しいという意味で、後輩たちに期待したいです」
—ただ、ベスト8に入るための試合も大変でしたね。
「そうですね(苦笑)。いらんファウルトラブルやってもうて、ホンマにチームに迷惑かけたと思います」
—ベンチではどういう心境でコートを見ていましたか。
「コートに立てない間は、自分は声出すことしかできないんで、交代で出てくれた雑崎にも、堤や松原にもずっと声かけて、ベンチでずっと応援する思いでした。でもコートに出た時は、自分にできることを精一杯やろうと思っていました」
—残り7分から再びコートに戻って、そこからは池嶋選手らしいプレーが続いていましたね。
「やってやろうという気持ちと、もうファウルせんように気をつけようという気持ちと、両方でしたね」
—試合が終わった時は叫んでいましたが、ベンチに戻ると一人だけ泣いていましたよね。
「いやあ(笑)。もう嬉しさ3割、悔しさ7割の涙でしたね。ホッとしたという部分もありますけど、やっぱりそれでも不甲斐なかったな、という部分が一番大きい涙でしたね」
—インカレ全体でのご自身のプレーの出来はいかがでしたか。
「どうしても関西の時の出来と比べてしまうんで、正直あんまりできひんかったなと思うんですけど、率直にそこは全国のレベルかなと思います。自分の中では良くできた方なのかなと思います。今日の試合でもリバウンドは取れてた部分はあったと思いますし、専修はフィリップ選手(#30)のところがしんどかったですけど、日本人同士の対決であれば、リバウンドも少なからず取れている場面もありました。自分の中では満足のいった成績だったと思います」
—この4年間で、ご自身が特に力を入れてきたことは何だったのでしょうか。
「これというのは正直何個かあるんですけど、一番は練習後のシューティングと、ウェイトトレーニングだと思いますね。両方とも、2年生の時、代表合宿に呼んでもらった時に、全国で活躍している選手たちが、この選手がこんなえぐいことやってんの?みたいなトレーニングをこなしてたんで、それで自分たちが普通にやっていたら、そら勝たれへんわと思ったのが大きかったです。あそこで練習させてもらった経験があったから、ウェイトとシューティングは、そこで習ったことでプラスになることは全部取り入れようとやっていました。それが一番頑張れたことやと思います。一昨年のインカレが終わった後の1月に連れて行ってもらったのと、今年の1月とかで、計3日間の合宿に4回でしたかね。そこで意識の違いは感じました。2年生の時はふるい落としの方式やったんです。1回目でふるい落とされて、絶対次に選ばれた時は残ってやろうという思いがあったので、そこは頑張りましたね」
—実際に成長は感じますか。
「そうですね。体重も増えていますし、関西では敵なしと言われるくらいに成長できたので、自分の中では良かったと思います」
—良い練習ができたという意味では、自チームに松田選手がいることも大きかったのでは。
「松田も大きかったですし、雑崎も一緒にウェイトをやってくれて、オフシーズンは週3回くらいトレーニングしていて、練習でもやり合うことが多かったです。松田も大きいですし、雑崎の存在も大きかったと思います」
—関西学院大という環境で4年間やってきたことはいかがでしたか。
「悪くはなかったと思います。1年生の時からチームとしての雰囲気は変わっていなくて、自分たちの代になった時に、インカレに出れなかった年というのはそれなりの理由があったと思うんですけど、そこを自分たちでちゃんと見直して、良いところは引き継いで、上手くいかなかったところは自分たちで改善していこうというチーム作りをやってきたんで、この一年間のチームのやり方は悪くはなかったと思います」
—逆にこの一年間で見えてきた課題はありましたか。
「チーム全体で言えることですけど、フラストレーションの溜まった選手が、それを自分で消化し切れず、そこからチームの士気が下がってしまうということが関西リーグでも見られました。そういうことを含めたら、自分で考える力というのは、この一年間でずっとつけようと言っていたんです。リーグでも出ているには出ていたんですけど、当初に比べたらだいぶ少なくなったと思います。徐々に徐々にですけど、成果は出ているのかなと思いました」
—来年は堤選手(#22)、松原選手(#10)が核のチームになります。彼らに期待することは。
「自分たちの残した結果を上回って欲しいというのが第一ですし、チームの主軸を担ってくれるのがあの二人になってくると思います。最上級生として、できることはしっかりやっていって欲しいと思います」
—来年はご自身と松田選手がこのチームから離れていき、サイズダウンとなります。今日相手にやられたようなことを、逆に関西学院大自体がある程度やらなければなりません。
「綾部コーチから、さっきのミーティングで早稲田のようなチーム作りをしていくというような話もありました。練習も、自分たちの代よりも変わってくると思いますし、たぶん今以上にきつくなると思うんで、そこで不貞腐れたり文句を言ったりせずに頑張って欲しいです」

「チーム内でもそうでしたけど、大阪学院の澤邉(#7・写真左)とか、他大学でも切磋琢磨し合える選手と出会ったので、チーム内でも雑崎や松田といった横のつながりがしっかりできたチームになったと思います。やっぱり関学で良かったと思います」
—彼らが敗れていったことも、勝ち進む中で意識として出てきませんでしたか。
「明治とやる前は、澤邉もSNS使って応援してくれたりとか、関西から個人のLINEで応援してくれる選手もいましたね。そういうことや、2日目の時点で残り1チームになってしまったので、関西の代表として頑張ろうという気持ちはありました。最後はもちろんチームのためですけど、結果として関西のためにベスト8に残れたことは良かったと思います」
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