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第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2016.11.24 (Thu)

【SPECIAL】BOJラインvol.36〜渡辺竜之佑選手〜

リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.36〜専修大学・渡辺竜之佑選手〜


160911watanabe10.jpg 選手の指名でリレー形式にインタビューをつなぐ「BOJライン」。第35回の慶應義塾大・福元直人選手からバトンを渡されたのは、専修大・渡辺竜之佑選手です。

 沖縄出身で、強豪・コザ中から福岡第一高へ進学し、全国トップレベルで活躍してきた渡辺選手。U-18日本代表としてアジア選手権なども経験したキャリアを持ち、専修大に進んでからも1年生の頃から出場機会を得てきました。持ち味はなんといっても反応の速いリバウンド。大きい相手を物ともせずにボールをもぎ取り、得点とともにいつも2桁の数字を残すことから“ミスターダブル・ダブル”とも評されます。今回はそのリバウンドについても掘り下げて伺いました。

 また、闘志あふれるコート内とは別人のように、コートの外では素朴な人柄の渡辺選手。プライベートでは海が大好きだと言い、もちろん地元の沖縄自慢も教えてもらいました。そんなオフコートの一面にも注目な、36回目のBOJライン、どうぞお楽しみください。



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小学生の頃は「サッカーがやりたかった」

160911watanabe09.jpgBOJ(以下B):慶應義塾大の福元選手からの紹介で、渡辺選手にインタビューが回ってきました。
「えっ(笑)。なんで僕に…? 大濠と福岡第一のつながりですかね?」

B:国体でチームメイトだったとか。
「あ、そうですね。僕が高校2年生のときに国体チームで一緒になって、初めてちゃんと話しました。あのときは、ミニ国体(国体予選)の決勝でバンバ(拓殖大#23)たちがいた宮崎に負けて、本戦には出られませんでした」

B:渡辺選手から見て福元選手の印象は?
「とても上手な選手だなぁと。パスがうまいし、シュートも入るし。いつも県内で戦っていたので、厄介な選手だなと思っていました」

B:では本題に入ります。渡辺選手は沖縄出身ですよね?
「はい。沖縄県の宜野湾市出身です」

B:バスケを始めたのはいつですか?
「小3の頃です。2つ上の兄がやっていたので、自分もやろうかなと。それまでは、空手を少しやっていました」

B:空手とは意外です。そういえば、福元選手も空手をやっていたそうです。共通項がありましたね。
「幼稚園から1年生の終わりまでやっていました。ずっと白帯ですけど(笑)。あとはサッカーが好きだったので、遊びでずっとサッカーをやっていたんです。だから本当はサッカーがやりたかったんですけど、地元に小学生が入れるサッカークラブがなかったので、どうしようかなと思って、兄の練習についていきました」

B:ご両親はバスケ経験者ですか?
「母はやっていました。沖縄県の国体選手に選ばれていたそうです。父はバスケではなく水泳でした」

160911watanabe01.jpgB:ミニバスはどんなチームでしたか?
「すごく身長の小さいチームで、僕はその中だと結構大きい方だったので、ずっとセンターでした。ゴール下でゴリゴリやっていましたね」

B:センターだったのですか。だから力強くリバウンドが取れるのかもしれないですね。
「かもしれないですね。今につながっていると思います」

B:当時、対戦して覚えている選手はいますか?
「いや、自分たちは弱すぎてそこまで勝ち上がれなかったので…。対戦はしていませんが、日大にいた上原さん(15年度卒・現横河電機)がいるチームは、当時からめっちゃ強かったです」

B:ミニバス時代は強豪ではなかったと。
「全然です。コーチは厳しかったですけど。しかも運も悪くて、なぜかいつも第1シードのすぐ下とかになっちゃうんです。で、1回戦や2回戦で戦って、良い勝負はしても結局負ける感じでした」

 
厳しい練習で鍛えられた中学時代

160911watanabe02.jpgB:そこからコザ中に進学しましたが、並里成選手(滋賀)や松島良豪選手(北海道)らの出身校であり、強豪ですよね。どうしてコザ中に?
「兄が先に入学していたので、それについていった感じです。少し家が遠かったので、朝は父親が車で送ってくれて、帰りはバスで通っていました」

B:入学してみていかがでしたか?
「練習がかなりキツくて、最初はびっくりしました。朝6時半から、いきなり走るんですよ。朝から急にハード。慣れるまでは、朝学校行くときに『嫌だな〜』と思っていましたね(笑)」

B:全中には3年間出られませんでしたね。ただ、コザ中は渡辺選手の他にも山田選手(専修大#5)、大城選手(日本体育大#14)と、後に福岡第一を引っ張る“トリオ”がそろっていて、春の九州大会では優勝したそうですが。
「そうなんですよ。春は優勝したのに、肝心の全国決めの九州大会では、寺園選手(東海大#4)のいる尚学館に負けました。春に優勝して、チーム全体が天狗になっていましたね。それはもう全員が認めていました(笑)」

B:寺園選手のことは覚えていますか?
「覚えています。素早くて、得意のループシュートをかなり決められました。ずば抜けてうまくて、尚学館にやられたというより、寺園一人にやられた印象です」

B:コザ中は、松島良豪選手のお父さんの松島良和コーチが教えているんですよね。
「はい。とても厳しい監督で、練習中は絶対に笑わないんです。すごく緊張感のある練習でした」

160911watanabe12.jpgB:3年間で身に付いたことは?
「ディフェンスや体力ですかね。厳しい練習に対するメンタルとか。高校での練習が楽に感じたくらい、中学は練習がハードでした」

B:それはすごいですね。身長は中学生の頃はどれくらいだったのですか?
「中3のとき、170cm前後だと思います。ただ、引退してから一気に伸びました」

B:当時、ポジションはどこだったのですか?
「ミニバスまでセンターだったんですけど、中学ではいきなりポイントガードをやらされました。ただ、小学生のとき地区選抜のチームでガードをやって、優勝したことがあったので、その経験が生きたと思います。結構ドリブルも得意だったし、やってみたらできた感じでした」

B:思い切ったコンバートでしたね。中学2年の終わりにはジュニアオールスターも選ばれていますが、思い出はありますか?
「確か予選リーグで、千葉に勝って和歌山に負けたんですよ。こう言ったら失礼かもしれませんが、普通逆ですよね(笑)。まぁ得失点差で決勝トーナメントには行けたので、『まぁいっか』という感じでしたけど。全中は出られなかったので、それが初めての全国大会でしたが、レベルが高くて、すごいなぁと思いました。九州エンデバーに呼ばれたときも、『やばいな。俺こんなところにいていいのかな』と思ったんですけど、ジュニアオールスターもそんな感じでした」


コザ中トリオで強豪・福岡第一へ

160911watanabe11.jpgB:中学を卒業後、福岡第一高校に進学したのはどうしてですか?
「県内や県外から声をかけてもらっていて、ずっと決まらなかったのですが、並里さんもコザから福岡第一に行っているし、コーチにも勧められて決まりました」

B:県外に出ることに抵抗はありませんでしたか?
「ありました。兄がいた高校には練習にも参加させてもらっていたので、そこに行きたい気持ちもありました。それに、福岡第一に行っても自分なんか試合に出られないだろうと思って…」

B:コザ中のトリオは3人とも福岡第一に進学していますが、『一緒に行こう』という感じだったのですか?
「いや、3人とも決まったのはバラバラでした。山田(専修大#5)が最初に決まって、次に自分、最後が大城(日本体育大#14)でしたね」

B:入学してみて、いかがでしたか?
「中学も練習は厳しかったですけど、高校も練習時間が長くて大変でした。学校がある日は3時間くらいで普通ですけど、休みの日は朝練をやって、午前練をやって、お昼を食べて、午後練をやって…。1日中練習でした」

B:沖縄に帰りたい、と思ったことは?
「最初はありました。ホームシックになって…。でも、山田とか大城とか沖縄の人が身近にいたので、我慢できました。寮生活も最初は慣れなかったんですけど、みんな優しくて、すぐに楽しくなりましたね。僕らがいたときは上下関係があんまりなくて、鵤(広島)とか、1個上にも気安く話していました」

B:下級生の頃は、あまり試合に出られませんでしたね。
「そうですね。1年のときは下手くそで全くメンバーに入れず、2年生のときは、ちょこちょこ九州大会とかで試合に出させてもらったんですが、実力不足もあったし、1つ上の代がすごく強かったので、全然主力ではなかったです。それに僕たちの代はすごくやんちゃで(笑)、いろいろ怒られて試合に出させてもらえませんでした。だから3年生になって、やっとですね」

B:1年生のときは、沖縄インターハイでしたね。
「はい。地元で出たい気持ちはありましたけど、そんな実力は全くなかったので…。応援を全力で頑張りました(笑)」

B:2年生のときは、インターハイで準優勝しながら、ウインターカップではまさかの初戦敗退でした。
「自分はちょびっとだけ試合に出ましたが、まさか負けるとは全く思っていなかったです。出だしでリードして、逆転負けだったんですよね。でもその後で尽誠学園も決勝まで行ったので、強かったんだなと思いました」

 
高3の頃は「周囲の期待に応えられなかった」

160911watanabe04.jpgB:先輩たちが引退して、いよいよ自分たちの代になったわけですが。
「自分たちがチームの中心になって、『しっかりやらないとな』って初めて実感しました。でも、なかなか結果の出せない1年間でしたね」

B:インターハイでの思い出は?
「洛南に負けてベスト8でしたよね。僕たち、がむしゃらに頑張ってくる真面目なチームが苦手で…(笑)。その試合も、出だしが良くて『行けるだろう』と思ったんですけど、一気に追い上げられて、途中で山田もケガして、負けてしまいました。あの洛南戦を乗り越えていたら、結果は違っていたかもしれないなと思います」

B:その洛南は、決勝で延岡学園に敗れたわけですが、福岡第一はインターハイ前の九州大会で、延岡学園に快勝しているんですよね。
「はい。九州大会の決勝は、3年間で一番印象に残っている試合ですね。延岡学園には、絶対に勝ちたかったんです。2個上の本間さん(14年度日本体育大卒・現新潟)たちも、1個上の代も全国大会の決勝で負けているのを見てきましたから。その分、勝てて相当うれしかったです。僕ら、延岡学園には九州大会でも勝っているし、春のKAZU CUP(交歓大会)でも勝っているんですよ。相性的に良かったんだと思います。だからなおさら、洛南戦が悔しかったですね」

B:国体でもミニ国体で宮崎に勝利して、延岡学園の2年連続3冠を止めました。でも本戦では初戦で山形に敗れていますね。
「確かにそうですね。あのときは、『あれ?』って感じでした。僕、バスケットボール人生の中ですごくそういうことが多い気がします。強いところに勝てても、いつも『え?』ってところで負ける。山形では、鈴木(東海大#33)に30点以上取られて、やられました」

B:そして3年間を締めくくるウインターカップは、予選で負けて出られませんでした。
「はい。予選前にいろいろあって準備不足だったのもあるし、大濠の『絶対勝つぞ』って気迫がすごくて、気持ちで負けてしまいました。自分も空回りしてチャージングとかして、最後は退場してあっけなく引退。インターハイも国体もウインターカップも、思うように周りの期待に応えられなかった1年でした。最低ですね…」

B:悔しい1年間だったんですね。高校3年生のときは、U-18日本代表としてアジア選手権を経験しましたが。
「まさか自分がメンバーに入れるとは思っていなかったので、すごくびっくりしました。きっかけになったのは、U-18の代表候補の合宿で、5対5をやったとき。スタメンチームが負けていて、佐藤久夫先生から『お前、逆転してこい』と言われて、自分が出て逆転して勝つことができたんです。それを機にスタメン側に入れてもらうことになって、そのままメンバーに入っちゃいました」

160911watanabe15.jpgB:アジア選手権では4点差で敗れて4位で、惜しくも3位以上に与えられる世界選手権の出場権は得られませんでした。
「自分はあまり試合に出ていなかったんですけど、渡邊雄太(ジョージワシントン大)とか馬場(筑波大#6)がいて、成田(拓殖大#39)もシュートがすごく入って、ベンチから見ていても強かったと思います。世界選手権も行きたかったですね」

B:対戦して印象に残っている国はありますか?
「やっぱり中国は、確か2m以上ある選手が2枚いて、体も強くてすごかったです。予選リーグで対戦したときは、本当にボロボロにやられました(73‐138)。でも準決勝でもう一度当たったときは、久夫先生がダメ元でいろいろ奇策を立てたんですよ。みんなで3Pシュートを何本打とうと決めてとにかく打ちまくったり、僕がガードとして出てショットクロック残り10秒までボールをキープしてそこから攻めたり。そうやってみんなで突撃して、負けはしましたが少しは点差を縮めることができました」

B:以前、高橋選手にリレーインタビューで話を伺ったとき、JAPANのTシャツが汚れるまでルーズボールの練習をしたと聞きましたが。
「やりました、やりました。床をすべってボールを取る練習で、どんどんTシャツが汚れてくるんですよ。コートの掃除をしていました(笑)」


意外にも、リバウンドへの意識は大学から

160911watanabe05.jpgB:高校を卒業後、どうして専修大に進んだのですか?
「U-18のときに成田と同じ部屋で、國分(専修大#7)と成田が専修に行くと聞いて、『じゃあ俺も行きたい』という話をしていたんです。そうしたら成田が、『俺が言っとくわ』と言ってて。その後、成田が伝えてくれたかどうかは分からないですけど、専修から声がかかって、それで決まりました。いざ行ったら、成田はいなかったですけど(笑)」

B:まさかの成田選手がきっかけだったんですね(笑)。入学してみて、最初はいかがでしたか?
「1年生のときは、正直怯えていました(苦笑)。練習は喧嘩腰だし、すごかったですね」

B:1年生のときは、渡辺選手のリバウンドが衝撃的でした。インカレでは『日本人でリバウンド1位になりたい』と言っていましたね。※ベスト8以上の本数では2位に入ったが、この年から集計方法がベスト4以上までに変わり、記録外に。
「そうですね。自分には、そこしか見せどころがないかなって…。でも大学入るまで、自分がリバウンド強いって知らなかったんですよ」

B:そうなんですか!?(笑)
「なんか普通にリバウンドに飛び込んでいたら、周りから『なんでそんなに取れるの?』って言われて…。『あれ、もしかして俺リバウンド強いのかな?』ってそこで思ったんですけど、それまでは無意識でした。高校の頃から強かったんですかね?」

B:高校では就学生がいたから、目立たなかったのかもしれないですね。リバウンドを取るコツみたいなものが、何かあるのですか?
「いや、自分でも心当たりがないんですよね…(笑)。無意識というか、野生の本能…?」

B:よく、“落ちてくる地点を予測する”と言いますよね。
「あ、それはしていますね。考えて予測するというよりは、感覚ですけど。なんというか…シュートを打つタイミングに合わせるんですよ」

160911watanabe06.jpgB:昨年のインタビューでは、『リバウンドはシュートを打った人についていくと取れる』と言っていましたよね。そのことですか?
「そうです。シュートを打った人についていくと、不思議とどこに落ちてくるのか分かるというか、飛び込むタイミングが合うんです」

B:それは独特の感覚ですね。しかも渡辺選手は、ボールを弾いて2回、3回と跳べるのがすごいですよね。瞬発力があるのでしょうか。
「でも僕、身体能力は全然ないんですよ。体力もないし、ジャンプ力もなくて、ダンクもできませんし…」

B:リバウンドに特化した能力なんですね。話が少しずれますが、渡辺選手は毎年パンフレットなどのポジション表記がコロコロ変わりますよね。Gのときもあれば、PFのときもあって。
「えっ、本当ですか?」

B:知らなかったんですか(笑)。本当のポジションはどこなんですか?
「オールラウンダーです(笑)。ボール運んだり、インサイドやったり、自分でもよくわからないですね」

B:ポジションの枠にとらわれないんですね。話を大学の話に戻しますが、2年生のときは宇都選手(現富山)も卒業して、苦労した1年でしたね。リーグ戦の途中で渡辺選手も捻挫で、成績もどんどん落ち込んで…。
「そうですね。それで入替え戦に…。その入替え戦でも、最後の最後で捻挫して、ベンチに下がったんですよね。正直あのときは、泣きましたよ。『これで負けたら、自分のせいだな』と思いながら。とりあえず祈るしかない感じでしたが、そこで田代さん(15年度卒・現沖縄)が劇的なスリーを決めてくれて。その前のタイムアウトで、監督は『2点でいい』と言っていたんですけど、3点を決めてきたので、本当にすごいなと思いました」

B:田代選手は、集中しすぎて記憶がないそうですよ(笑)。
「本当ですか? あの1本があったから、自分たちもこうして1部でやれているので、本当に感謝しています」

160911watanabe22.jpgB:捻挫はリーグ戦でやったところと同じところですか?
「そうです。テーピングしていたんですけど、またやっちゃったんです。リバウンドのときに人の足を踏んでしまって…。リバウンドは、それが怖いですよね。ゴール下は足が密集していますから。取るときはボールとか上しか見ていないので、感覚で着地するんですけど、それで人の足を踏んでしまうと最悪です」

B:それは気を付けなければいけませんね。では、3年生のときはどんな1年でしたか?
「去年は、めっちゃ調子が良かったんですよ。楽しかったなぁ。田代さんがいる安心感もあって。田代さんは、4年生になってたぶん『自分がやらなきゃ』って感じになって、練習中もダメなときに怒るとか、チームを引き締めてくれました。それでチームの雰囲気も良かったし、リーグ戦では強いチームにも勝てて、楽しかったですね。でも田代さんもケガして、自分も白鷗戦の4Qでひざをやって…。そのときはなぜか、帯状疱疹が出て、風邪を引いて、扁桃腺もはれて…。なんか体がおかしかったんです。不幸が一気に押し寄せました(苦笑)。あれがなければ、もっと上位にいけたのになと思います」

写真下:昨年のリーグ戦は、東海大と首位を争っていた拓殖大を倒すエキサイティングな試合も見せた。
 

「4年がもっと言えるようにならなきゃいけない」

160911watanabe08.jpgB:今年は、安心感のある田代選手も抜けて、自分たちが引っ張る存在になりました。
「そうですね。宇都さんとか田代さんみたいに、周りを叱ったり、一人ひとりにアドバイスをしたり、見習って4年がやらなきゃと思っているんですけど、自分はそれが得意じゃなくて…。あんまり言えていないのが現状です。軽くは言えるんですけど、真剣に怒って相手にどうこう言えないんです」

B:普段あまりそういうことを言わない渡辺選手が言えば、効果がありそうですけどね。
「試合中は、熱くなって無意識に言っていることはあります。試合が終わったあとのミーティングとか、プライベートでは、ちゃんと話せないです(苦笑)」

B:下級生も多いですし、それは徐々にできるといいですね。
「そうですね。下級生には助けられています。自分も負けられないですね」

B:同期の山田選手とは、中学・高校・大学と、10年チームメイトですよね。仲も良いそうですが。
「中学生の頃から山田の家に泊まりに行っていましたし、ずっと仲はいいですね。腐れ縁的な感じ。あいつ、実はかなり面白いやつですよ。本人は自分がいじられ役だと認めていないですけど、僕はいつもいじっています(笑)」

160911watanabe07.jpgB:地元の沖縄自慢は何ですか?
「やっぱり海じゃないですか。海、大好きなんですよ。夏は結構行きます」

B:渡辺選手はリーグ戦が開幕するといつもすごく日に焼けていますが、それは海焼けなんですね。
「はい。関東でも、オフがあるとすぐみんなを誘って海に行きます。熱海とか大磯とか小田原とか。1年生のときは宇都さんたちと白浜海岸に行って、めっちゃキレイでしたね。ビニールの浮き輪みたいな船を買って遊びます」

B:沖縄でおすすめのビーチは?
「自分がよく行くのは、一番近いアラハビーチですね。バスケットコートもあって、とても良いです」

B:沖縄の食べ物でおすすめは?
「僕はタコライスが好きで、おすすめです。あとはタコスもめちゃくちゃ美味しいです。キングタコスってお店があるんですけど、ぜひ。あとは沖縄そばとかも、毎回地元に帰ったら食べますね」

B:では、次にインタビューを回す人を指名してください。
「誰でもいいですか? では成田で」

B:成田選手はどんな人ですか?
「うーん…のんき?(笑) ゆるい感じですね。自分と似ています(笑)。だから仲がいいのかもしれません」

B:では次回は拓殖大・成田正弘選手にお話を伺います。渡辺選手、ありがとうございました。

写真下:Tシャツへのサインは渡邉選手らしく「リバウンド」と一言を書き入れた。


◆#6渡辺竜之佑(わたなべ りゅうのすけ)
187cm/kg
コザ中→福岡第一高→専修大
・2012 インターハイベスト8(高3)
・2012 U-18日本代表
・2016 トーナメントベスト8
・2016 リーグ4位



(2016.9.11インタビュー)
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています




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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

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