2016年12月 / 11月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫01月


第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2015.03.31 (Tue)

【SPECIAL】BOJラインvol.29〜坂東拓選手〜

リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.29~筑波大学・坂東 拓選手~


150331bando02.jpg 選手の指名でリレー形式にインタビューをつなぐ「BOJライン」。第28回の明治大・中東泰斗選手からバトンを渡され、今年度のラストを飾るのは、筑波大・坂東 拓選手です。

 全国ミニバス大会では準優勝を成し遂げ、全中では1試合53得点をマークするなど、子どものころからバスケット界の第一線を走ってきた坂東選手。そんな彼の活躍の裏には、苦しみながらケガを乗り越えた経験や、幼少期の独特のシューティング練習など、知られざる取り組みがありました。また今回のインタビューでは、高校3年時のウインターカップ優勝、大学4年時のインカレ優勝の裏話も、たっぷりと語ってもらいました。

 坂東選手は、まわりの選手たちが口を揃えて「面白い」と評するムードメイカー。その人柄も、お話の端々から窺えるインタビューとなっています。29回目のBOJライン、どうぞお楽しみください。


[続きを読む]

基礎を学び全国を経験したミニバス時代

150331bando01.jpgBOJ(以下B):BOJライン、第29回は筑波大・坂東選手です。よろしくお願いします。中東選手からの紹介ですが、大学に入ってから仲良くなったんですよね?
「高校のときは、一言、二言くらいしか話していないと思います。大学3年のときのユニバーシアードに一緒に選ばれて、そこから仲良くなりました」

B:坂東選手から見て彼はどんな人ですか?
「いいやつですね。僕、あいつのことめちゃくちゃ好きですよ。気を遣えるし、意外と面倒見が良いですし。同い年でも、超えちゃいけない一線を分かっているというか、付き合うときの距離感が良い感じですね。そういう気遣いとか優しさがあるのは、あいつの良いところかなと思います」

B:では本題に入りますが、バスケットボールはいつから始めたんですか?
「小学校3年生です。まわりの友だちがみんなバスケ部に入ったので、じゃあ自分も、という感じでチームに入りました」

B:兄弟はいますか?
「下に弟が2人いて、3人兄弟です。年齢は2つ下と3つ下ですね。みんなバスケをやっているので、子どもの頃はよく一緒にシュート勝負とかして遊びました。1対1だと年上だから勝てちゃうので」

B:ミニバスはどんなチームでしたか?
「香川の円座というチームだったんですが、とりあえず、みんな身長が大きかったです。僕も小6で168cmくらいあったんですけど、僕より大きい人がほかに2人いました。別に人を集めていたわけではないのに、たまたま大きい選手が集まったんです。それで全ミニも出られて、準優勝できました」

B:円座ミニバスといえば、今年も全国大会に出る強豪チームですね。練習は大変でしたか?
「いや、週3くらいだったと思います。そんな毎日何時間もやっていたわけではないですね。でも、指導者の方が本当に素晴らしい先生でした。土井京子さんという女性の方なんですが、もともと昔、選手として全日本にも選ばれたことがある人みたいで。練習は基礎的なものがメインで、それプラス、オフェンスとか細かいところまで教えてくれました。香川県でナンバー1の指導者だと僕は思っています。その先生から、バスケットの基礎を教わりました」

B:その先生の教えがあって、全国にも出られたんですね。全ミニの決勝はどこに負けたんですか?
「花田アマースィ真平のいる、福岡のチーム(国分ミニバスクラブ)に負けました。彼は、マジで最強でしたね。身をもって体感しました。あいつの1on1は、本当に止められなかったです。確か42-40で負けたんですけど、彼に30点取られました」

150331bando07.jpgB:ほかに印象に残っている思い出はありますか?
「予選では、長野のチームと島根のチームと対戦しました。長野には山内大輔(愛知学泉大#14)って、明成高校に行ったやつがいましたね。そいつは長野のスーパースターで、うまかったです」

B:全国での戦いは緊張しましたか?
「僕、小学校5年生のときも全ミニに出たんですよ。そのときはめっちゃ緊張しましたね。でも小6のときはあまり緊張もしなかったし、予選も大差で勝てて、正直『これ、いけんじゃね?』って思ったんです。ただ、決勝だけはものすごく緊張しました。それで花田アマースィも異次元みたいな上手さだったし、やっぱりそんな簡単には優勝できませんでしたね」

B:小学生の頃から背が高かったと言いますが、ご両親も大きいんですか?
「いや、大きくないです。父親が172cmで母親が158cmなので、なんで伸びたのか謎ですね。たぶん、食べ物の好き嫌いがなかかったからかな。うちの父親は、スパゲッティとハンバーグしか食べないので(笑)」

 
膝のケガとリハビリの末の肉体改造

150331bando13.jpgB:小学校を卒業後、香東中学校に進みましたね。
「香東中には、ミニバスのメンバーでそのまま上がる感じでした。中学は、僕がいた円座小学校とは別に、2つの小学校も合わさったんですけど、その2つの小学校にはバスケ部がなかったんです。だから他の小学校出身の人はほとんどいなくて、ほぼ円座とメンバーも変わりませんでした。それで全中に出られて、ベスト16でした」

B:中学校はどんなチームだったんですか?
「全体的に結構みんなうまかったと思います。それで僕が中3のときは、190cmのセンターと僕とガードの3人が基本的には試合を組み立てて、あとの2人がそこに合わせたり打てるときはシュートを打ったり。バランス良く点を取ろうと思えば取れるチームでした。でも自分が点を取るポジションだったので、ガードからウイングの僕にパスして、僕が攻める形が多かったですね」

B:それで、全中での一試合53得点という活躍が生まれたわけですね。その試合のことを振り返ってもらえますか?
「あの試合は予選リーグの1試合目で、めっちゃ緊張していたんですよ。香東中として初めての全国大会でしたし、相手は千葉の強豪、塩浜中。前評判的にも、関東ベスト4のチーム相手に、僕らみたいな四国のポッと出の初出場チームが勝てるわけないと思われていたと思います。でもそれで逆に、気負いなく戦えたのかなと。緊張してアップではシュートの調子も悪かったのに、試合が始まって1本シュートを打ったら、めちゃくちゃ調子が良かったんです。それに僕、中2で膝をケガしてその年のジュニアオールスターには出られなかったので、相手チームからも全くスカウティングされていなくて。それで結構ディフェンスにも離されていたので、調子良くシュートを打つことができました。4Qの残り5分くらいでベンチに下がったんですけど、そのときはまさかそんな点数を取っているとは思わなかったですね」

B:試合の途中で交代したのにその記録なんですか。それはすごいですね。
「後から試合のビデオを見たら我ながらヤバいなと思ったんですけど(笑)、やっているときは本当に集中していて、20点か30点くらいかなと思っていました。53点と聞いて、ちょっとびっくりしましたね」

B:その試合、3Pを9本決めていますが、その頃からシューター的なポジションだったのでしょうか?
「そうですね。でも僕、中学2年で膝をケガするまで、ずっと4番ポジションだったんです。身長がチームで2番目に大きかったので。でもケガしてから、筋トレをめっちゃするようになり、もともとヒョロヒョロだったのが目に見えてガッと筋肉がつきました。それで復帰したら、3Pがジャンピングシュートではなくジャンプシュートで打てるようになっていたんです。ワンハンドでもめっちゃシュートが軽くて、それはびっくりしました。それで県大会とかでも結構3Pを打つようになって、自然と4番から3番ポジションになった感じです。だから自分ではポジションをコンバートした感覚はないんですよね。自然とそうなりました」

B:中2のいつ頃にケガしたんですか?
「中2の12月26日にケガしました。忘れもしない、最悪のクリスマスプレゼントでしたね。もー、最っ悪。医者から『別にそんな深刻な話じゃないよ。バスケット辞めちゃえばいいんだから』って言われたんですよ。いやいやそれが深刻なんだっつーのって(笑)。前十字靭帯を、完全断裂ではなかったんですけど、損傷して、最初『半年かかる』と言われたんです。でも結果的には、4か月で治りましたけど」

150331bando05.jpgB:それはすごい回復力ですね。リハビリを頑張ったんですね。
「めっちゃ頑張りました。毎日、全身筋肉痛でしたから。リハビリテーションセンターみたいなのに通っていたんですけど、そこのトレーナーが鬼スパルタだったんですよ。ライザップかなってくらいに(笑)。それにトレーニングのことだけでなく、食事のこともアドバイスされたんです。『肉をもし食べるなら、絶対鶏肉の方がいいよ』とか。もうリハビリの域を超えてますよね(笑)。普通に体作りでした。中学生なので、器具とかはほとんど使わず自重でやる筋トレだったんですけど、それまでそんな筋トレで追い込んだこともなかったですし、みるみる筋肉はつきました。落ちた筋肉を元に戻すどころか、それ以上になって復帰できましたね」

B:大学での4年間を見ていると、あまりケガしている印象はありませんが。
「でも高2のときも、反対の膝の半月板をケガしたんですよ。ただ、大学の4年間ではほとんどケガしなかったですね。ケガの後とかは膝のサポーターもつけていたんですけど、大学ではつけなくなりました。だから大学で初めて会った人とかには、『お前、本当にケガしないよな』って言われます。いや、実は両膝やってるよ?って感じなんですけどね(笑)。まぁケガした当時は辛かったですけど、今思えば中学校のときも高校のときもケガして本当に良かったなと思います。筋トレや体作りの大事さが、身に染みて分かりました」

 
後になって気付いたまわりの支え

150331bando19.jpgB:話を戻しますが、中2の12月にケガして4か月で復帰して、全中ではそこまで不安もなくプレーできたんですか?
「そうですね。サポーターはつけていましたが、そこまで不安はありませんでした。あまりガンガンドライブで攻めるようなタイプではなくなって、3年生のときはシューターっぽくなっていたので、接触も少ないプレースタイルでしたし」

B:全中では、予選は突破しましたが決勝トーナメントの1回戦で東北学院中に敗れましたね。
「あの試合は、勝てた試合だなと思ったんですけどね…。何となくチームとして調子が上がらず、負けてしまいました。ただ、東北学院の冨永はヤバかったですね。めっちゃうまかったです」

B:笹山選手も同じように言っていました。あとは、予選で地元・山形2位で出場した陵東中とも対戦していますね。
「あの試合は苦しかったですね。山形のホームの応援が凄まじくて。そこまで強い印象はなかったんですけど、僕らなんて四国の田舎のチームなので、あんな応援の雰囲気、味わったことないんですよ。それで会場の空気に飲まれて全然うまくいかず、苦しい試合になりました。最後になんとか逆転して勝てました」

B:中学3年間で、一番学んだことは何ですか?
「学んだことというか、今思えば、すごくまわりの人たちに支えられていたなと思います。中学校のときは僕が点を取る役目でフィニッシャーだったんですけど、後から中学の頃のビデオを見返しても、まわりの人たちがリバウンドを頑張ってくれたり、スクリーンをかけてくれたり、僕がダブルチームで囲まれたときに合わせてくれたり…みんなすごく気を遣ってくれていたんです。そういう支えてくれる人たちがいたから、自分もプレーできていたんだなと、今になって実感しています。当時、中学生の頃はガキだったし、そんなことも全然分からなかったんですけどね。卒業して今になってやっと、支えてくれていた人たちのありがたみを実感しました」

150331bando26.jpgB:大人になって、まわりの働きに気づいて感謝が生まれたんですね。中学時代、試合以外で覚えているエピソードはありますか?
「いっぱいありますけどね〜。中学生のとき、坊主にしたんですよ。キャプテンの仲良いヤツが、『気合い入れるために坊主にしようぜ』って提案して。それで、普通の坊主は面白くないから、横を9ミリ、上を11ミリにして、『スラムダンク』に出てくる山王の沢北みたいな感じにしようとしたんです。でもあれ、坊主にした頃は良いんですけど、髪が伸びてくると頭が筆箱みたいになるんですよ! あれは想定外でしたね」

B:(笑)。今は、試合でも髪型が乱れないですよね?
「バッチリ固めてますからね。髪型と言えば、僕、不思議ともみあげが癖っ毛なんですよ。伸びてくるとクルってカールして、どこかの男爵みたいになります」

B:(笑)。香川県出身の選手というと、誰がいますか?
「1個下の笠井康平(青山学院大#18)は、地元が一緒です。市も一緒だったので、小学生の頃から市内の大会とか県の大会とか、しょっちゅう対戦していました。あいつは丸亀東中だったんですが、昔からうまかったですね」

B:渡米した渡邊雄太選手(ジョージワシントン大)も香川県出身ですよね。
「雄太は弟と同い年だったので、香川県のジュニアオールスターとかに弟と一緒に選ばれていました。あんなにヒョロヒョロで小さかったのに、今や日本期待の選手ですもんね。香川の星です」

B:香東中は、場所としては栄えているんですか?
「いや、びっくりするくらい田舎です。まぁ四国なんて基本、全部田舎ですけど(笑)。四国の中で、どこが栄えていると思います? 僕的には、一番都会なのが高松で、次に松山、徳島、高知の順番かなって。そういう格付けは、徳島出身の生原(筑波大#46)とよく盛り上がりますね。『やっぱ松山より高松だろ』とか『高知はでかいだけじゃね?』とか(笑)。まぁ、四国はどこも田舎なんですけど、香東中は本当にまわりに何もないです。円座駅から、電車に30分くらい乗れば街に出られるんですけど、中学生なんてそこまで出て遊ぶなんてこともないですしね」

150331bando25.jpgB:では遊ぶときは近所で?
「いや、中学は正直、遊んだ記憶がほとんどないです。勉強とバスケットしかしていませんでした。僕の家、親が結構勉強に対して厳しかったんですよ。中学生のときは、塾と進研ゼミを掛け持ちしていましたから(笑)」

B:それは大変ですね。
「部活が夜の7時くらいまであって、そのあと塾に行って10時まで勉強して、帰ってその日に出た宿題をその日中に終わらせて、進研ゼミもやって、もし早く終わったらその日の授業の復習と翌日の予習をやって、それで11時半とか12時前には寝ると。毎日そういう生活でした。だから、自分で言うのもなんですけど、当時はすごく勉強ができました。試験でも、500点満点中460点くらい取ってましたし。そのかわり、本当に中学時代は香川で遊んだ記憶がないんです。学校の近くのスーパーに行った記憶しかない(笑)。だから今『香川県ってどこで遊ぶの?』って聞かれても、全然分からないです」

B:なんとなく、坂東選手はあまり四国のイメージがないんですよね。
「そうですか。逆にドコってイメージですか?」

B:うーん、北陸高校っぽいなとは思うんですが。
「福井っぽいってことですか?いやそれまずいですよ! たぶんですけど、香川より福井の方が田舎ですから。もし福井が四国にあったら、さっきの格付けで言うとワースト1位で田舎ですからね。福井県民の人たちには申し訳ないですけど(笑)」


ギリギリで決断した北陸高校への進学

150331bando28.jpgB:北陸高校にはどういう経緯で進んだんですか?
「まず、全中の前の時期に岐阜カップっていう交歓大会があったんです。ケガから復帰して間もない頃にその大会があって、その大会では準優勝でした。決勝は姪浜中に負けて、またもや花田アマースィにやられたんですけどね(苦笑)。まぁそれで、その大会の帰り道のサービスエリアで、たまたま北陸中学校のバスと出くわしたんです。そのときに、津田監督に話し掛けられたのが、最初の出会いです」

B:偶然なんですね。
「はい。でも僕、その頃県外の高校のことなんて全然知らなくて、普通に受験して進学校に行こうと思っていたんです。高校でそんなガチでバスケやると思ってなかったので。だから『北陸高校の津田ですけど』って言われても全然分からず、『はぁ』って感じで、内心『誰だこのおっちゃん』って思っていました。でもとりあえず名刺をもらって、バスに戻って中学の先生に『さっき知らない人から名刺もらったんですけど』って相談したんです。そうしたら先生が『お前、それはすばらしく光栄なことだ。その名刺は大事に持っときなさい』と。それでその後、帰って調べたら、前年、朝飛さん(10年度東海大卒・現NBLレバンガ北海道)たちが全国優勝していたんですよね。それで『めっちゃ強い高校じゃん!』ってなって。そこから、強くてかっこいいなと思って、北陸に行きたい気持ちはありました。でも親にも反対されたし、もともと地元の高校を受験する予定だったので、その後に連絡が来ても結局断ったんですよ」

B:そうだったんですか。確かに他県に進学するというのは、なかなか大変ですが。
「はい。全中が終わって他の高校からも声がかかったんですけど、それも迷いつつ結局断りました。でも12月くらいだったかな、本当に受験直前になって、いきなり津田監督から電話がかかってきたんです。出たら、『今、高松駅にいます』と。『はい?』ってなりますよね(笑)。で、『今からお宅に伺いたいんですけど』と言われて、津田監督が家に来て、僕と両親と津田監督と4人で話し合ったんです。そこで津田監督が『ぜひともうちに来ていただきたい』と説得してくれて、親も『お前に任せる』という感じになりました。僕自身もその頃、進路に関して迷いがあったんです。今までバスケットがあったからこそ勉強も頑張れた感じだったので、このまま受験してバスケがあまり強くない学校に行っても、今までのようには勉強も頑張れないんじゃないかなと。それだったら思い切って、高校でもバスケの強いところで頑張った方がいいのかなと思いました。それで北陸高校に進むことが決まりました」

B:では津田監督の突然の訪問がなければ、今の坂東選手はなかったわけですね。
「そうですね。迷っていたときに、最後に背中を押してくれたのが津田監督でした」

B:北陸高校に入ってみて、最初はいかがでしたか?
「入って1年目は、正直何回も辞めたいと思いました。練習もキツいし、上下関係も大変だし、1年生の仕事もたくさんあるし…。僕らが1年生のときって、3年生の人数がかなり多かったのに、僕らの代が人数少なくて、仕事の役割分担もすぐ回ってくるんですよ。毎日いっぱいいっぱいで、正直めちゃめちゃキツかったです。朝も早いので、睡眠時間も短かったですし」

150331bando17.jpgB:苦労も多かったんですね。
「はい。ただ、最初の1年目が終わってみて、めっちゃ長かったなという記憶はあるんですけど、2年目、3年目になって当番とかの仕事が減ると、その頃の辛さを忘れていくんです。『あ、北陸高校ってこういう風にできているんだな』と思いましたね(笑)。よくできたシステムだなと。それに、今振り返ると辛い中でもいろいろ面白かったです。その当時は苦しくてあまり笑えなかったんですけど、今思い出せば、面白いことだらけだったなって思います。みんな意味不明でおかしいので、ツッコミどころ満載ですし」

B:例えば何かそういうエピソードはありますか?
「僕、1年生の頃は壁谷ってヤツと同じ部屋だったんですけど、そいつもなかなかの面白いヤツだったんですよ。例えば、朝5時15分くらいに寮の朝食ができるんですけど、彼はそれと同時に食べに行って、5時半くらいに部屋に戻って来て、部屋を出る6時半くらいまで学ランのまま二度寝するんです。いつも僕が6時すぎに起きる頃には、壁谷は学ランを着て、もういつでも出られる状態のまま隣で寝ていましたね(笑)。今思うと、意味分かんないなって思います。あとは同期だと、韓洋っていう195センチくらいある中国人がいたんですけど、そいつがめちゃくちゃおもしろいヤツだったんですよ。北陸って、大会前になるとお菓子は食べちゃダメとか炭酸飲料やコーヒーは飲んじゃダメっていう軽い食事制限があったんですけど、ある日、部室のゴミ箱にコーヒー牛乳の紙パックが捨ててあったんです。それで、犯人は誰だって話になったんですけど、韓洋も『俺じゃないよ』って否定していたんですね。そうしたらその後すぐ、あいつ部室のパイプ椅子の下にコーヒー牛乳のストックを溜め込んでいたことが発覚して(笑)。そこまでしてコーヒー牛乳飲みたいか?って感じだし、嘘つくなら部室に隠すなよとか、いろいろと意味不明でしたね」

B:(笑)。話を戻しますが、2年生の頃のことを振り返っていかがですか?下級生主体でも、全国の上位にも行けて手応えをつかんだ年でしたよね。
「そうですね。2年生も、個人的にはケガもしたし苦労もしたんですけど、でもあの年はものすごく、占部さん(13年度鹿屋体育大卒・現曙ブレーキ工業)の存在が大きかったです。占部さんって、下級生を乗せるのだとか、リーダーシップの取り方だとかが、めちゃくちゃ上手なんですよ。この人についていこうって、チームがまとまりましたね。この人についていって負けるんだったら悔いもないって感じだったし、私生活でもみんな慕っていました。一見、ちゃらんぽらんな感じなのに、意外にすごくチームのことを考えてて、後輩思いで、そういうところが人の心をつかむんですよね。下級生では僕や建吾(青山学院大学#7野本)や刘(日本大#8)が試合に出ていたんですけど、ミスしても声をかけてフォローしてくれるし、一緒にプレーしていてやりやすかったです」

 
不思議な巡り合わせと初心にかえり掴んだ優勝

150331bando15.jpgB:翌年、3年生のときは、期待されつつ、夏と国体は思うような結果が出ませんでしたね。
「3年生のときは、ケガにも悩まされましたね。インターハイで沖縄に現地入りしてから、太ももの肉離れをやっちゃって、ケガを押して試合に出ました。それでインターハイのときは、2試合目で京北に負けたんですけど、そのときの京北、あり得ないくらい調子が良かったんですよ。皆川 徹(明治大#51)、どうしたんだと(笑)。あいつに一体何が起きているんだと思いましたね。だってU-18の代表で一緒に海外のチームとやったときとは、別人なんですよ。あんな調子の良い皆川は見たことなかったです。ほかのやつらも、3Pの確率がめちゃくちゃ良かったですし、言い訳になっちゃいますけど、京北は本当に絶好調でした。それで国体も、インターハイのケガがあまり完治しない状態で試合に出て、それで福岡に負けました」

B:夏も国体も不完全燃焼に終わり、その分、冬こそという感じだったんですね。
「はい。ウインターカップは、最終的に勝ち上がりを見ると、インターハイで負けた京北とも当たったし、国体で負けた福岡第一とも当たったし、インターハイで優勝した八王子とも当たったし。一つ一つ、今までの借りを返しながら勝ち上がれたんですよね。神様がそういうふうに組み合わせをやってくれたのかなと思うくらい、不思議な組み合わせで、それに勝って優勝できたのは本当にうれしかったです」

B:緊張はしましたか?
「いや、緊張はしなかったです。自分、大会でも全く緊張しないんですよ。たぶんミニバスとか中学のときで、免疫がついたんだと思います。今までで一番緊張したのは全ミニの決勝ですね」

B:ウインターカップで優勝できた要因は何だったと思いますか?
「僕らスタメン5人、わりとみんな点が取れるんですが、インターハイや国体ではそれが仇になりそれぞれ『自分が自分が』という感じになってしまいました。でもウインターカップでは、良い意味で無理して行かなくなったんです。『あ、ここは建吾だな』とか『ここは自分のシュートだな』とか、試合を重ねてなんとなく分かってきて、最後はそれが出て勝てたと思います。あ、あと勝因と言えばディフェンスですね。大会の途中で、ディフェンスが急に良くなったんですよ」

150331bando12.jpgB:それはどうして?
「試合後、全体ミーティングの後にスタメン5人だけでミーティングしてたんですけど、ウインターカップの1、2回戦、スタメン5人で『今、なんか俺らの実力じゃなくね?』という話になったんです。『もっと点差開けたよね?』って。で、『何が違うんやろ。緊張でうわずってんのかな』みたいな話になり、緊張して膝が伸びているせいで、ディフェンスがうまくいかないんじゃないかという結論に至ったんです。だから、とりあえず『ディフェンスで膝を曲げよう!』という原点に戻って。そうしたら、本当にその試合の後から急にディフェンスが良くなったんですよ。初心に帰るって大事だなと思いましたね」

B:大会中に気付くことができて良かったですね。優勝までの道のりの中で、どの試合が印象に残っていますか?
「やっぱり準決勝の京北ですかね。決勝の福岡第一も強かったですけど、京北が一番苦労して勝ったイメージがあります。僕らも京北戦、かなり調子が良かったのに、それでもあの点差(83-75)ですから。やっぱり力があるなと思いました」

B:3年間を共にした同期は、坂東選手から見てどんな人たちですか?
「個性的ですね。みんながみんな、個が強くて。でも絡みやすいし、みんな面白いです」

B:坂東選手も相当面白かったと、北陸出身の他の選手たちからよく聞きますが。
「僕はまわりの人をいじりつつ、自分でも、分かってはいるんですけどワケの分からない行動をしたがるんですよ。常にウケをとりたがってしまうというか。よく、近寄り難いとか、クールキャラだと思ってたとか言われるんですけど、全くそんなことないですね」

B:藤永選手が、真面目にミーティングをしようとしても最後は必ず坂東選手が面白いことを言ってみんなを笑わせると言っていました(笑)。
「高3のときは、なかなか結果が出なかったこともあって、同期でミーティングを何十回もしたんですよ。でも佳昭(藤永)の話すことが、申し訳ないけど毎回ワンパターンなんです(笑)。『とりあえず気持ちや』『ディフェンスからしっかりやっていこう』『練習からだらけないで、アップでもしっかり声出してやっていこうぜ』『泣いても笑っても俺らの最後の集大成や。俺らが引っ張るしかないやろ』って感じで。毎回同じやん!ってなって、僕が最後は久井先生のモノマネとかに走っちゃうんです。そうすると絶対まず建吾が高笑いし始めて、それにみんなつられて爆笑して、『じゃ、明日も頑張ろ!解散!』ってなる。毎回その流れです」

B:毎回ですか(笑)。
「はい。建吾が高笑いをして、司(同志社大#0田野)も僕のネタが大好きなので僕の方を見ながら笑いをこらえてて、佳昭とマネージャーはしっかり真面目に話をする。そんな感じでした」

150331bando04.jpgB:楽しいチームですね(笑)。寮生活で、思い出に残っているエピソードはありますか?
「高2のときは僕、建吾と同じ部屋だったんですけど、あいつも面白かったですね。高2になると、朝の朝食当番があるんですよ。朝の4時55分には起きて、5時には食堂に行かないといけないんです。で、2人で朝食当番のとき、部屋が4階で、部屋を出て向かい側がすぐエレベーターだったので、朝、僕がエレベーターの中から『建吾〜起きろ〜』って呼ぶんです。僕も半分寝ながら『もう行くよ〜』って呼ぶんですけど、建吾も『う〜ん、今行く〜』って言いながら全然布団から出てこない。それでそのまま2分くらい経って、あいつ『ごめん、今日無理〜』って言うんです。結局その日は僕一人で朝食当番をやったんですけど、でも1回当番をサボると、ペナルティとして1週間やらなきゃいけないんですよね。あいつ、その日の1回起きることよりも、1週間起きる方を選んだんです(笑)。僕の呼びかけにも応えてるし、起きてるのに。意味分かんないですね」

B:(笑)。藤永選手、野本選手の話は面白いですね。もう一人の主力だった田野選手はどんな人でしたか?
「司(田野)も司で面白いやつですね。僕は割と一人で行動するのも好きなんですけど、あいつは、後輩を引き連れて『田野ファミリー』を作るんです(笑)。めっちゃゲーマーなので、いつもPSPの『モンスターハンター』とかの通信対戦を田野ファミリーでやっていました。それで、同期の小田ってやつと今村ってやつも田野ファミリーの一員だったんですけど、その2人は、同じ学年なのに司のことを『田野さん』って呼ぶんです(笑)。『田野さん、今日モンハン何時からですか?』みたいな。たぶん、ゲームがめっちゃ強いので、師弟関係ができあがってたんですね」

写真下:B-1JAPAN2014では、野本選手のこれ以外のエピソードについても話してくれた。

 
悔しい気持ちに「学年は関係ない」

150331bando06.jpgB:まだまだ北陸高時代の話がありそうですが、先へ進めましょう(笑)。筑波大へはどうして進んだんですか?
「最初は、体育の先生になれたらいいなと思って、教員免許も取れるところで考えたら、国立だし筑波が良いかなと思ったんです。そうしたら僕の祖父が、すごく筑波への進学に賛成してくれて。祖父は昔、東京教育大(現筑波大)に行きたかったらしいんですね。そういうこともあり、結構早いうちから筑波に行きたいという希望はありました。そしたらたまたま高3のときに、U-18の代表で筑波大と練習試合をしたんです。そのときU-18のヘッドコーチが久井先生だったので、久井先生が吉田先生に言ってくれて、決まった感じです」

B:高校では勉強の方はどうだったんですか?
「中学ほどは全然勉強してなかったですけど、並みくらいでした。クラスでも真ん中くらい。推薦入試は小論文と面接と実技試験だったので、小論文の勉強はしましたね。本番でも小論文はめっちゃ書けました(笑)」

B:笹山選手や山田選手のことは高校生の頃から知っていたんですか?
「知っていました。笹山はU-18もあったし、山田もU-16のときに一緒だったので、その頃から結構しゃべってました」

B:笹山選手は北陸のガード陣ともまた違うタイプだと思いますが、ああいうポイントガードと一緒にプレーするのは最初どうでしたか?
「自分的にはやりやすいです。良く覚えているのは、U-18で同じチームでプレーしたとき、ササ(笹山)がわりとトップからウイングにそのままパスをくれたんですよ。佳昭とか司は割とガンガン自分で攻めて切り崩してからパスを外に出すガードだったので、『え?一番最初にボールくれるの?あざす!』って感じでした。結構トップからもらう方が自分も一対一しやすいので、やりやすかったですね」

B:筑波大に入学してみて、いかがでしたか?
「高校で全国優勝して、正直大学ではバスケもそんな第一線でガンガンやらなくていいかなと思ったんですよ。でも入って始めてみたら、結局ガチでやってましたね。今までのバスケ人生の中でも、自分では大学4年間が一番技術的に伸びたと思います。高校生の頃はわりとディフェンスを頑張ってオフェンスはフリースタイルを貫くって感じでしたけど、筑波はそれとはまた全然違うバスケだったので」

150331bando09.jpgB:大学1年生のときは、新人戦で3位になりましたね。
「東海に勝って青学にボロ負けしたんですよね。あのときのチームって、2年生の武藤さん(13年度卒・現NBDL豊田通商)とか龍さん(池田・13年度卒・現富士通)とか直さん(西村・13年度卒・現横河電機)が、めちゃくちゃ僕ら1年に好きにプレーさせてくれてたなって。先輩たちが、縁の下の力持ちみたいな感じで、ものすごく後輩思いだったんですよ。それを受けて、僕らが2年生になったときの新人戦は、1個下の村越(#92)とか小松(#16)とか健吾(#58船橋)に、自由にやらせてあげようってなったんです。新人戦は楽しかったですね」

B:坂東選手は、1、2年生の頃からあまり下級生という感じがしなかったです。プレーもインタビューも堂々としていましたし。
「そうですかね? でも結構性格は子どもっぽいですよ。というか、鬼負けず嫌いです。チョー悔しがり。最上級生だからとか下級生だからとか、学年は関係ないんですよ。1年生とか2年生の頃から、試合に出て負けたときは、いつもめちゃくちゃ悔しいですね」

B:新人戦で結果を残しつつ、3年、4年のリーグ戦までは優勝に手が届きませんでした。今年のリーグ戦も、期待されつつもなかなか勝ち切れず、もどかしい部分があったかなと。
「そうですね。特に今シーズンのリーグ戦は、チームとしてプレースタイルにまだ少し迷いがあったと思います。最初シーズンが始まってから、慶應の佐々木先生(元HC)が練習に来てくれたりして、ブレイクを出してアーリーオフェンスを中心にやっていこうという感じだったんですよ。それでリーグ戦でも結構それを意識してやってきたんですけど、なかなかうまくいかず…。ディフェンスも基本マンツーマンで激しく当たる形だったし、スタメンは交代もそんなになかったので、リーグ戦の終盤になるにつれて体力的にキツくなって全然足が動かなくなったんです。40分間は、とても走り通せなかった。それでリーグ戦でそのことに気付いて、このままでインカレ勝ちきれるのだろうかと。先生の方針は信じてやるんですけど、やってみてそれに僕らがアジャストできるかどうかは、また別じゃないですか。だからリーグ戦が終わってから、先生とも積極的にコミュニケーションを取って、戦い方を少し変えたんです。吉田さん(HC)も町田さん(AC)も、僕らの意見を聞いてくれて。そうやってリーグ戦で気付けて、良い方向に向けたのは良かったですね」

B:具体的にどの辺でそこに気づきましたか?
「リーグ戦の始めの方でも法政に負けたのがまず最初。その後にも何回か負けたことがきっかけになりました。まわりも僕らの戦い方に対策してきて、トーナメントでは通用したことも通用しなくなるじゃないですか。相手に読まれたことで、逆に気付けて、軌道修正できたのは良かったですね」

150331bando14.jpgB:今年はそのリーグ戦で負けたことをきっかけに、チーム内でもよく話し合ってコミュニケーションが深まったそうですね。
「そうですね。ミーティングも、今まで練習後にその日の反省を言い合うことが多かったんですけど、今年は練習の前にも僕ら4年生で話し合うことがあったし、リーグ戦が終わったあと、インカレまでの短いオフにも、どういう風にインカレまで仕上げていくかとか、自分たちに何が足りないのかとか、いろいろミーティングをしました。僕らだけでなく、後輩たちの意見も聞いて。アシスタントコーチの町田さんから、『人間、言わないと伝わらないから、絶対にコミュニケーションは取ったほうがいい』と言われたんですよ。『もうインカレまで時間もないし、そんな短期間でチームを作ろうとするならなおさら言わないといけない』と。そういう風に背中を押してもらって、後輩たちに僕らが言いたいことも言って、後輩たちの意見も聞いて、それはすごく大きかったです。後輩たちがこんなにも僕らのことを考えてくれているんだ、ということに気付けましたし、それを思うと、僕ら4年生もそんな生半可な気持ちじゃやれないなという意識になりました。たくさん意見をぶつけ合ったことでチームが一つになって、良い方向に向けたなと思います」

B:町田ACからのアドバイスが効いたんですね。
「たぶん、みんな口を揃えて言うと思いますが、町田さんの存在はかなり大きかったです。あんなに若いのに人間ができている人、滅多にいないと思いますね。僕が3年生のときにチームに来られて、2年間でしたが、町田さんの存在でチームもだいぶ変わりました。僕、大学を終えたらバスケットボールの一線は退くじゃないですか。バスケ人生の締めくくりの2年間に、町田さんと吉田先生という素晴らしい指導者と一緒にやれて、本当に良かったと思います。それは本当に良い経験というか、自分の財産ですね」

150331bando29.jpgB:今年は1年生の馬場選手(#6)、杉浦選手(#17)も主力として活躍しましたが、4年生としてどう働き掛けていたんでしょうか?
「やっぱりコミュニケーションは積極的に取るようにしましたね。(馬場)雄大とは、ウエイトもずっと一緒だったんですよ。それで雄大や(杉浦)佑成がどういう風に考えているかとか、いろんな話を聞いて。あとは、僕が下級生のときにそうだったように、自由にやらせてあげたいなと思っていました。別にコントロールしようとかはなく、彼らがここでシュートを打ちたいとかの考えがあれば、そのシュートが外れても全然OKかなと。思い切って、ガンガン攻めてもらいたいと思っていました」

B:馬場選手は見ていると、たまにプレーに迷いがあるときもあったかなと思うんですが。思い切り攻めてこない日があったり。
「そうですね。あいつもあいつなりに迷ったりしていたと思います。でも、例えばリーグ戦の一番最初の試合、雄大が先制点を取ったんですけど、試合前からずっと『俺が絶対先制点取ります』と決めていて。東海との試合、プレーオフのときかな?そのときも最後の方のセットプレーで、『絶対俺が最後シュート打ちます』と決めていました。そういう風に決めていると、アイツも迷いなく打てて良いんですよね。だから今後2年、3年になっても、そういうことをもっとやっていってもいいのかなと。最上級生になれば自ずと自分がやろうと思うと思うんですけど、2年、3年のときは、周りの上級生が雄大のそういうところを理解して、いかにやらせてあげるかですよね。僕は、アイツには思いっきりやってと思います」

 
バスケットのことを「めちゃくちゃ考えた1年間」

150331bando20.jpgB:今年はチームの一人ひとり、意識が高かったそうですね。
「1年、2年、3年、4年と、年を重ねる毎に、僕もそうですが他の選手たちもスタッフ陣も、全員意識がどんどん高くなったかなと思います。段々と練習の強度も上がっていきましたし、ウエイト一つとっても、今シーズンは練習への余力を残しておこうとかサボろうとか、全員そういう意識が全くありませんでした。一年一年、そのシーズンで悔しい思いをした分が、翌シーズンに反映されていって、それで今シーズンがあったのかなと。これまで意識が低かったわけではありませんが、インカレに優勝した頃と比べると、やはり何かしら足りなかったというか、詰めの甘い部分があったのかなと思います。今年は、本当に僕ら4年生もラストイヤーに懸ける想いは並々ならぬものがあったし、町田さんも院生2年目でラストイヤーでしたし、後輩たちも僕ら4年生について来てくれました」

B:4年生として今シーズン、笹山選手が坂東選手の存在は大きいと言っていました。盛り上げ役にもなってくれるし、真面目に締めるところは締めてくれるしと。
「僕の存在は本当に大きかったですね(笑)。自分で言っちゃいますけど(笑)。特に今シーズンはそうだと思います。というのも、今シーズンは『考えすぎかな』って思うくらい、自分なりに本当にめちゃくちゃ考えたんです。まずシーズンが始まる前のオフから、後輩たちをウエイトに誘って毎日一緒にやっていましたし、今シーズンはインカレまで毎日ずっと日記を書いていたんです。例えばその日、後輩にどういうことを言われたかとか、先生がどういう方針で今日の練習をやったとか。毎日めっちゃ書いて、次の練習では何が必要かとか、後輩にはどんなことをしてあげればいいのかとかを、本当にずっと考え続けていました」

B:本当に、本気でバスケットに取り組んだ1年だったんですね。
「はい。それがやっぱり結果にも出たと思います。本当に、これ以上ないくらい、めちゃくちゃバスケのことを考えた1年間でしたね。正直東海は、まさか負けると思っていなかったと思うんですけど、僕は彼ら以上に、本気で考えてきた自信があります。例えば、インカレの東海戦も…。僕、東海戦のことめっちゃ語りたいんですけど、いいですか?(笑)」

150331bando22.jpgB:ぜひ語ってください。
「あの試合も、考えに考え抜いた末の形だったんですよ。まず、リーグ戦の東海対明治の試合。明治って、強いチームに対してロースコアに持ち込んで戦うじゃないですか。それで明治が東海に対して、ゾーンを仕掛けて、試合のテンポを遅くしていたんです。ちょっと点差が離されそうになったら塚本さん(元明治大HC)が早めにタイムアウトを取って、東海を勢いに乗せないようにして。その試合を見て、『あ、これはめっちゃ効いているな』と思ったんです。それに、うちがマンツーマンで東海と戦うと、正直下級生が多いこともあって、インサイドを突かれてザック(#10バランスキー)とかにやられることもあるだろうなと。だから、ゾーンは絶対に必要だと思っていました。で、何のゾーンがいいかなと考えたときに、東海は外からもリバウンドに飛び込んで来るしとにかくリバウンドが強いチームなので、2−3の形にして、僕とササを前線に置いて下の3人でリバウンドを取れるようにした方がいいんじゃないかと。で、その考えをまず町田さんに提案したんです。そうしたら町田さんも『あ、それいいね。吉田先生に提案してみるよ』と言ってくれて。で、吉田先生に言って、そこからゾーンの2−3の練習が始まったんです。それで、試しにプレーオフで東海に対して2−3を仕掛けてみたんですよ」

B:プレーオフの東海戦は、ゾーンが効いて追い上げたんでしたね。
「はい。さらに、東海ってクォーターが始まるときとか、ここ1本点数が欲しいときとか、絶対にまず礼生(#0ベンドラメ)がボールを運びながらディフェンスを把握して、その上で指示を出すんです。だからそれを見て、『これ、もしチェンジングディフェンスを仕掛けたら東海はどう攻めるのかな?』と思って、試しに最初は2−3と見せかけといて、東海が1パスとか2パス通したら、マンツーマンに変えたんです。そうしたらその途端、東海が全然攻められなくなったんですよ。それをプレーオフで試して、1プレーとか2プレーめっちゃ成功したんです。でも、『このままやり続けたら勝てるかもな』と思ったんですけど、ここで勝っても違うなと考えたんです。僕らが見据えていたのはインカレだったので、あえてそのディフェンスを引っ込めて。それで結局プレーオフは負けたんですけど、たぶんあのディフェンスは1プレー、2プレーしか出してないから、東海はそんなにスカウティングしていないだろうと思っていました。インカレでは絶対にそれは使おうと」

150331bando21.jpgB:プレーオフはもう少しで勝てそう、という勝負でした。敢えて自分たちの武器を引っ込めたとは。笹山選手もプレーオフのときに『自分たちのバスケットを掴みかけた』とすごく前向きでした。イメージとして言っているのではなく、具体的に手応えがあっての発言だったんですね。
「そうです。これは絶対にインカレで通用するなという手応えがありましたから。さらに、もし万が一、東海が2−3のゾーンをスカウティングしていて読まれたときはどうするかも考えて、3−2のゾーンも練習していました。僕とササに加えて、トップに雄大を置くゾーンの形。ハイポストにパスが通ったら、全部雄大がカバーに行って、外からシュートを打たれたら下の2人に加えて雄大もリバウンドに飛び込むんです。雄大のところが一番動かなきゃ機能しないゾーンなんですが、あいつめっちゃ動けるやつなので、トップからリバウンドに行っても全然間に合うんですよ。そこからすぐブレイクに走れる脚力もありますし。なので、東海に2−3が読まれたときは、それを使おうと思っていました。インカレの前にNBLのチームと練習試合をしてそれを使ったら、普通に勝てたんです。だからこれ絶対成功するなという自信があって、それでいざインカレの決勝に臨んだんです」

B:東海大は読んできましたか?
「いや、それが2−3のチェンジングを仕掛けたら、東海は全然スカウティングできてなかったんです。それで案の定、かなり効きました。それで僕らも、東海がリバウンドに強いのを知っていたから、リバウンドへの意識もめちゃくちゃ高かったし、ディフェンスでもかなり手応えがあって、それが勝因になったと思います。あの試合は、完全に、リーグ戦のときから考えてきたシナリオ通りだったんです」

B:あの決勝の裏にはそんなエピソードがあったんですね。優勝直後のインタビューでは語り切れなかった部分がたくさん聞けて良かったです。
「これだけはめっちゃ語りたかったんです。この話を、この前飯島理貴(東海大#22)にしたら、めっちゃ悔しがっていました(笑)」

150331bando24.jpgB:インカレは決勝で東海に当たることをもう前提として考えていたんですね。
「はい。でも、大東はめっちゃ強かった…。2点差で勝ちましたけど、あんなに準決勝で苦戦するとは思ってなかったですね。まず青学が負けると思ってなかったし。大東は、兒玉(#28)も山崎(#99)もめっちゃ調子良かったし、何よりゾーンプレスがめちゃくちゃ完成されてましたよ。ゾーンの練習、全然してないらしいですけど(笑)。毕(#20)も動けるし、他の4人も全員動けるじゃないですか。パスが全然通らなくて、あのゾーンプレスは脅威でしたね。しかもディフェンスのセンスがあるというか、あいつら『ここは引き際だな』とか『ここはカット出られるな』とか『この選手は当たらなくてもパスしかしないな』って判断がうまいんです。そういういやらしいところが、大東っぽいな〜と思いました(笑)」

B:先ほど大学4年間が一番技術的に伸びたとおっしゃっていましたが、坂東選手は上級生になるにつれて、シュートだけでなくプレーの幅を広げましたね。
「そうですね。高校生の頃はそんなことなかったんですが、やっぱり大学のトップレベルになると同じ2番とか3番ポジションの人たちもみんなデカいじゃないですか。そこでプレッシャーもかけられてシュートも打ちにくくなったし、シューターとしてマークも厳しくて。でも逆に、相手に完全にシューターだと思われているのなら、もっとドライブやアシストを織り交ぜていけばいいのかなと。無理にシュートにこだわる必要もないかなと思ったんです。それで3年生のときから試行錯誤してきて、結構苦しみましたけど、4年生になってようやくそうした形がうまく出せるようになったかなと思います。ただ一つ悔いが残るとしたら、1、2年のときに比べて3P以外の選択肢が増えた分、打つことに対して迷いが増えたことですね。前までは絶対に打てたシチュエーションでも、1テンポ遅れて打てないときがたまにあって、そういうときは『あーなんでだろう』と後悔しました。まぁでも結果としては優勝できたし、自分も選択肢を広げて良かったのかなと思います」
 
 
秘訣は妄想しながらのシューティング

150331bando27.jpgB:ではここからは、シュートについて詳しく伺いたいと思います。大学1年生の頃には、もうシュートが完成されていたように思いますが、その形はいつからなんですか?
「さっき、中学生のときに筋トレしてジャンピングシュートからジャンプシュートで3Pが打てるようになった話をしたじゃないですか。でも高校生になって7号ボールになったら、ボールが重くなってジャンプシュートだとちょっと厳しくなったんですよ。それで高2までは、ジャンピングに戻して打っていたんです。でも高2のインターハイで、延岡学園に負けたんですけど、そのとき川元さんとマッチアップしたんです。そうしたら川元さんが、ジャンプシュートで打っていて。それで延岡学園に負けたのがすごく悔しかったし、やっぱりジャンピングシュートだと相手にプレッシャーをかけられたときに安定しないなと思って、そこからジャンプシュートで打てるように練習しました。練習して高2のウインターカップの頃には間に合って、ジャンプシュートで打てるようになりましたね」

B:もともとシュートフォームは誰から教わったんですか?
「完全に自己流です。小学生のとき、家の庭にバスケットボールのリングがついていたので、ひたすら打っていたんですよ。たぶん、一番打っていたのは小学生のときだと思います。何本打ったか、全く分からないですね。普通、小学生って学校から帰って来たら遊びに行ったりゲームしたりするじゃないですか。僕の場合は、そうではなく、ひたすらシューティングしていました」

150331bando11.jpgB:ストイックですね。
「いや、小学生のときは、5対5のバスケットボールが好きというよりは、シュートを入れること自体が好きだったんですよ。だからまわりから『すごく努力してるね』とか言われたんですけど、僕にとってはシューティングは遊びというか、全く苦ではなかったんです。それに幼い頃から僕、シュートを打ちながら一人で妄想するのが好きだったんです(笑)。相手チームがどことか、同じチームで今誰が試合に出ているかとか、応援席の様子がどうとか、全部妄想するんです。それで何対何で負けているけど、これを決めて延長戦に入って、僕はこの試合でトータル何点取って勝つみたいな、細かい設定も全部決めて。そういう風に妄想しながらシューティングしていると、本当にあっという間に時間が経つんですよね」

B:そこまで細かく決めるんですか(笑)。一種の才能ですね。
「よく妄想の中でブザービーターを決めて、一人でガッツポーズとかしてましたね。近所の人に見られたりすると、結構恥ずかしいですけど(笑)。小さな子どもがよく戦隊もののヒーローとかになりきってポーズしたりするじゃないですか。あれと同じような感じで、完全に自分の世界に入ってシューティングしていました。それで飽きもせず打ち続けているうちに、フォームも自然と身についたのかなと思います」

B:自己流なのにすごくきれいですね。
「小学生のときは、よく姿勢がいいねと言われました。ご飯食べるときとかもめっちゃ姿勢よく食べていましたね。あとは、小学生のときにお父さんが誕生日プレゼントか何かでバスケットボールの本を買ってくれたんですよ。で、それまで何も知らずにボースハンドで打っていたんですけど、ワンハンドシュートが載っていて、『あ、こういうふうに打つんだ!』と。それを見よう見まねでやってみたら、案外リングに届くんですよ。これいいな!と思って練習したら身について、そこからシュートが前よりもっと入るようになりました。いろいろ、シュートフォームがかっこいい人を真似したり試したりもしたんですよ。でも最終的には今の形に落ち着きましたね。確率もいいし、僕的に見た目も良いので(笑)」

150331bando18.jpgB:ぶれないですよね。例えば笹山選手は、確率は高いですがフォームは独特な感じです。
「そういえば僕、大学の卒論でシュートフォームについて研究したんですよ。そうしたら、笹山のシュートフォームって本当に特殊なんです。普通の人は、2Pシュートと3Pシュートで比べると、2Pの方がゆっくり打つんですね。3Pの方が距離を出すために打つ速度が速くなるんです。でも笹山の場合は、3Pの方が動作が遅いんです。それに気付いたときは、『あれ?なにこいつ!』って思いました(笑)。一体どこでエネルギーを調整してるのかなと思ったんですけど、あいつの場合、本当に左手の手首のスナップだけで調整しているんですよ。2Pと3Pの違いが、手首のスナップの強さだけ。2Pのほうがむしろ動作が速いっていう。そんな選手、滅多にいないと思います。入るからどんなでも構わないんですけどね」

B:それは面白い研究ですね。ではここから、バスケット以外のお話を伺いたいと思います。自分はどんな性格だと思いますか?
「いや〜、めっちゃ面白いと思います」

B:自分で言い切る人は今までで初めてです(笑)。
「(笑)。面白いというか、笑いには敏感ですね。イジりもするし、イジられもする。何をすれば一番面白いか、常に追究してます」

B:香川出身なのに関西人みたいですね(笑)。
「香川で、独学ではぐくんできたんでしょうね」

B:でも、一人で行動するのも好きなんですよね?
「はい。『坂東ファミリー』は作らないですね。ある程度、ひとりの時間も必要じゃないですか。誰と一番仲良いとかあんまりなくて、みんなと仲良く、でもほど良い距離感を保ちつつ、たまに会ったら面白いこと言う、みたいなポジションですね」

150331bando08.jpgB:何か趣味はありますか?
「趣味…なんですかね…。買う買わないは別にして、服とか見るのは好きですけど。ウインドウショッピング。買い物は、普通に都内まで出ますよ。あまりこれといって趣味がないので、着るものくらいは気を遣おうかなと。趣味にお金を使わないから、バイトしていても、結構お金が貯まるんですよ。ご飯もそんなに良いもの食べたい欲とかないし。貯金するか、服買うかですね。きっと良いパパになると思います(笑)」

B:では、地元の香川自慢はありますか?
「帰ったら絶対うどんは食べますね。でも、香川の人間からしたら、あれを『讃岐うどん』だとは思わないんですよ。あれが僕らにとっては一般的なうどん。だから『讃岐だからおいしい!』っていうよりも、普通においしいなって感じです。関東で食べるうどんは、まぁまぁって感じですね」

B:他に香川の自慢はあります?
「いや、香川で遊んだことないのでマジ分かんないです。なんだろう…。大学生になってから実家に帰ると、地元の友だちと街に出たりするんですけど、そんなに栄えてないし(笑)」

B:福井の自慢でもいいですけど。
「いや、福井はもっと分かんないです(笑)。福井県民には悪いかもしれないですけど、たぶん僕、高校が福井になかったらわざわざ福井に行くことないだろうなって思います。『東尋坊』って、崖あるじゃないですか。確かに日本海はめっちゃキレイなんですけど、崖を観光の名所としてゴリ押ししていいのかとも思います(笑)」

150331bando03.jpgB:あくまで坂東選手の主観ということで…。それなら、つくば市の自慢はありますか?
「つくばは、めっちゃ良いところです。4年間住んでみて、すごく住みやすい街だなと思いますね。つくば市のキャッチコピーで、『とかいなか』ってのがあるんですよ。都会でもなく、田舎でもない『とかいなか』。それはまさにつくば市をうまく表現してるなって思いますね。なんか、栄え具合がちょうど良いんです。都会でもないけど、不自由するような田舎でもないので。就職して引っ越すんですけど、残念ですね。将来、結婚して家を建てるとしたらどこがいいかなとか考えるんですけど、つくばでいいんじゃないかと思いますもん。通勤が遠いかもしれないですけど」

B:でもつくばエクスプレスができてだいぶ便利になりましたよね。では、インタビューを次に回す人をお願いします。
「ベンドラメ礼生でお願いします。昨日電話したら『あ、いいっすよ』って言っていたので(笑)」

150422bando.jpgB:ベンドラメ選手はどんな人ですか?
「あいつ、面白くていいやつですよ。いじればツッコミ入れてくれるので。ただ、慣れるとうるさいです(笑)。先輩でもなめてるし。あんまりうるさいので、僕、あいつのこと『コオロギ』って呼んでますから。『坂東くんがコオロギって言っていましたよ』って言えば『誰がコオロギや!』って突っ込んでくれると思います(笑)」

B:(笑)。では次回は東海大・ベンドラメ礼生選手にお話を伺います。坂東選手、どうもありがとうございました。

写真2枚目:B-1JAPAN2014ではさまざまな選手がMCに登場。坂東選手もマイクで会場を盛り上げた。
写真3枚目:お気に入りの場所だというつくば駅前の中央公園にて。
写真4枚目:Tシャツに書いた言葉は「日々努力」。


◆#14坂東拓(ばんどう たく)
香東中→北陸高→筑波大
4年・SG
183cm/80kg
・2003 全ミニ出場
・2004 全ミニ準優勝
・2006 ジュニアオールスター香川県代表
・2007 全中ベスト16
・2010 インターハイベスト16(高3)
・2010 ウインターカップ優勝(高3)
・2011 新人戦3位(優秀選手賞/3P王:19本)
・2012 新人戦準優勝(3P王:16本)
・2013 トーナメント4位(優秀選手賞)
・2013 リーグ戦 5位(3P王:46本)
・2013 ユニバーシアード日本代表
・2013 東アジア競技大会日本代表
・2014 トーナメント準優勝(優秀選手賞)
・2014 リーグ戦 3位
・2014 インカレ 優勝(優秀選手賞)
・2014 李相佰杯代表
・2014 日本学生選抜(三菱電機カップ)



(2015.3.2インタビュー)
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています。
関連記事

テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

EDIT  |  23:19  |  その他の記事  |  Top↑
 | BLOGTOP |