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第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2015.02.27 (Fri)

【SPECIAL】BOJラインvol.27〜笹山貴哉選手〜

リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.27~筑波大学・笹山貴哉選手~


sasayama17.jpg 選手の指名でリレー形式にインタビューをつなぐ「BOJライン」。第26回の青山学院大・高橋貴大選手からバトンを渡されたのは、筑波大・笹山貴哉選手です。

 筑波大で下級生の頃から頼れる司令塔として活躍してきた笹山選手。これまで小学校、中学校、高校と全国大会に出場してきたキャリアの持ち主です。自分の代での全国制覇には長く手が届かずにいましたが、昨年、悲願のインカレ優勝。チームを61年ぶりの全国制覇に導き、華々しい結果を残して大学4年間を締めくくりました。現在はNBLの三菱電機名古屋にアーリーエントリーし、新たな世界で挑戦を始めています。

 そんな笹山選手のこれまでの歩みを振り返るとともに、今まであまり明かされなかったプライベートなお話もたっぷりとお伺いしました。笹山選手の意外な一面も見えてきた27回目のBOJライン、どうぞお楽しみください。


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ミニバス時代は「自分の全盛期だった」

sasayama18.jpgBOJ(以下B):BOJライン、第27回は筑波大・笹山選手です。よろしくお願いします。高橋貴大選手からの紹介ですが、一緒にごはんを食べているときにリレーインタビューを回すことが決まったそうですね(笑)。
「はい。貴大と、アキ(東海大#8藤永)と慎之介(拓殖大#14大垣)と4人でごはんを食べに行ったんです。そこで『次、誰に回す?』って話になって、僕に決まりました(笑)」

B:高橋選手とはいつから知り合いなんですか?
「高校生のときに、U-18で初めて一緒になりましたね。でも中学生の頃から、全中の試合を見て知ってはいたんです。アイツは化け物みたいだったし優勝もしていたので、U-18のときの最初の印象も『うおー、あの高橋貴大だ』みたいな。でも喋ってみたら、ああいう感じじゃないですか(笑)。それですぐに打ち解けましたね。すごく良いやつで、仲良くしています」

B:笹山選手から見て高橋選手はどんなキャラですか?
「おもしろいですね。でもふざけているように見えて、バスケに対してすごく真面目です。二人で一緒に話をしてても、ふざけるんですけど、でも結局最後はバスケの話をしている。面白いんですけど、根は真面目ですね」

B:以前、部屋で一緒にAKB48を踊ったというお話を聞きました。
「(笑)。それ、めっちゃなつかしい! U-18のアジア選手権のときにすごく流行っていて、二人で踊るパートがあったんですけど、それを部屋で踊りました(笑)」

B:それは見てみたかったです(笑)。では本題に入りますが、バスケットはいつから始めたんですか?
「一応、幼稚園ですかね。父親がミニバスの監督だったので、幼稚園の頃から父親にくっついて体育館に行っていたんです。それで、ミニバスに入部したのは小学校1年生くらいかな。自分が入部したときは確かすごく人数が少なくて、小学1年生の頃から試合にも出させてもらいました。自分はあまり記憶がないですけど、親からは『ただ立っていただけ』とか『ただコートを往復していただけだった』と言われます(笑)。とりあえず最初は、ボールのところに走って行く、みたいな感じでしたね」

B:お父さんはご自身もプレーされていたんですか?
「高校まではプレーしていたみたいですね。父とはよく一緒にバスケの話もします。長年指導者としてやってきているので。父親が指導者だったということは、自分にとってもすごく大きかったと思います。練習もかなりハードで、夏の日の練習なんかは地獄でしたけど(苦笑)、ミニバスは自分の原点になっています」

sasayama13.jpgB:監督としてのお父さんは、恐かったですか?
「結構恐かったです。…いや、『結構』どころじゃないな(笑)。いつも派手に怒られていました。ミニバスの練習のときは『監督』で、それが終われば『お父さん』という関係じゃないですか。小学校低学年のときは、その切り替えが難しくて、いろいろ大変でした。でも小学校4年生とか5年生くらいになって、だんだんそこの区別も切り替えられるようになりましたね」

B:全ミニ(全国ミニバス大会)にも出ているんですよね。
「一応自分が小学校6年生のときに出場しました。すぐ負けてしまったんですけどね。でも『東京に行って代々木体育館のコートに立ちたい』というのが一つの大きな目標だったので、それを叶えてコートに立てたというのは本当に感動したし、うれしかったです。今だと、普通にリーグ戦とかインカレで代々木第二を使うじゃないですか。だから親にも『今、当たり前にそこ(代々木第二)で試合やっているのがすごいよね』と言われます」

B:代々木第二体育館はバスケの聖地とも言われますしね。全ミニのときは、緊張しましたか?
「めっちゃ緊張しました。『うわー、これが代々木か!』って。特に自分は三重の田舎育ちだし、余計に感動しましたね。東京だと中学生とか高校生もたまに代々木第二で試合するし、試合も観に行くじゃないですか。自分はそういうことがないので、代々木は特別な場所でした」

B:全ミニで自分のプレーは発揮できましたか?
「緊張はしたんですけど、試合が始まったら意外と緊張も取れて、普通にプレーできましたね。やっぱり全国のレベルは高くて、試合は負けてしまったんですけど」

B:その頃はどんなプレイヤーだったんですか?
「ミニバスのときは、シューターみたいな感じです。リアルに小学生のときは、自分の全盛期かってくらいシュートが入りました(笑)」

sasayama01.jpgB:今でもシュートの確率は良いと思いますが、小学生のときが全盛期だったんですか(笑)。
「はい。本当に全盛期でしたよ。家の庭にリングがあったので、常にシュートを打っていたんです。ミニバスのときは外す気がしなかったというか、我ながら、マジでシュート入りました(笑)」

B:家でシューティングしていたんですね。
「小学生の頃の自分は、完全にバスケ少年だったんです。友だちともあまり遊ばず、常に家でひたすらバスケしていました。今思うと、小学生なんだからもう少し遊んどけば良かったなと思いますけどね(笑)。シューティングはかなりしたと思います。しかもミニバスのリングの高さよりも、家のリングの方がわざと少しだけ高めに設定されていたんです。そっちの方がシュートのアーチが高くなるらしくて」

B:笹山選手のアーチの高いシュートはそこから生まれたんですね。ではその頃はパスよりもシュートが得意だったんですか?
「パスもしていましたけど、そこまで強く意識はしていなかったと思います。シュートの方が好きでしたね」

B:話が少しズレますが、全ミニと言えば、一昨年の大会で弟さん(笹山陸)が選手宣誓をしたそうですね。
「そうなんですよ。びっくりしましたね。みんなから『弟、すごいね』って言われます。まぁ、実際すごいですよね。自分が弟の年齢だった頃より断然上手いですから。しかも今、すごい身長も伸びて、僕より大きくなったんですよ。この前実家に帰ったときに、目線が僕よりちょっと上になっていたので、やばいと思いました。今中2なんですけど、たぶん180cmはあると思います。足のサイズも大きくて29cmくらいあって。もう全てにおいて抜かされましたね(笑)。あ、でも、弟はかなりメンタルが弱いんです。まぁ僕が言えることじゃないですけど(苦笑)。そこはこれから強くなってもらいたいですね」

B:弟さんと一緒にバスケをすることはあるんですか?
「しますね。教育実習で地元に帰ったんですけど、そのときも部活が終わったあと毎日ずっと一対一をやっていました。特訓してあげようと思って。最初の方はボコボコにしたんですけど、最後のほうはスピードにもついてこられるようになって、やっぱりすごいなあと思いました。伸び盛りなのがうらやましかったです(笑)」

B:弟さんは8歳下ですよね。それだけ歳が離れていると、かわいい弟でしょうね。
「かわいいですよ! めっちゃかわいい。でも今、反抗期なんです。去年くらいまでは、絡んだらなんかワーワー反応してくれたんですけど、今とか全然相手にしてくれないので、寂しいです(苦笑)」

B:(笑)。ほかに兄弟はいるんですか?
「真ん中に大学2年の妹がいます。妹も岡山の環太平洋大でバスケしていますね」



全中で衝撃を受け「この世界でやりたい」

sasayama00.jpgB:バスケ一家なんですね。話を戻しますが、小学校を卒業して、地元の白子中に進学しましたね。どんなチームだったんですか?
「白子中は、ミニバスのメンバーでそのまま上がった感じでした。でも自分が中1のときは、3年生主体のチームだったんですけど、自分だけ試合に絡んでいて、ほかの1年生はみんな外を走ったりしていたんですよ。自分はそれが、本当に嫌で…。今思えば、試合に出させてもらってありがたいと思うんですけど、そのときはずっと憂鬱でした。それで1年生のときは思うようにプレーできなくて、あまり良い思い出がないですね」

B:中2のときはいかがでしたか?
「中2のときに、たまたま洛南高校出身の高柳(賢)先生という人が赴任してきて、監督が変わったんです。それで練習も結構変わりましたね。中1のときは確か練習も5対5だけで終わるみたいな日もあったんですけど、中2になってからは基礎的なことも練習するようになりました。それで中体連(大会)でも、延長まで持ち込んで勝って、県大会まで進んだんです。県大会では2回戦で、毎回優勝している強豪チームと当たって負けてしまったんですけど…。でも、その相手にすごく良い試合したんですよ。前半からずっとリードし続けて、でも終盤で逆転されて、最後に3年生の先輩がシュートを打ったんです。それが僕らとしては絶対ファウルだと思ったんですけど、笛が鳴らなくて、それでそのまま終わってしまいました。あれは悔しかったですね」

B:強豪チームと互角の戦いができるくらい力を付けていたんですね。それで中3のときは、全中に出場できましたが。
「中学のときの全盛期は、中3でしたね(笑)。県大会も普通に勝つことができて、東海大会に出たんですけど、結構くじ運も良くて勝ち上がることができました。それで準決勝で、愛知の明豊中と対戦したんですよ。そこに、寛大(藤枝明誠→中京大)という小さいけどめっちゃ上手い選手がいて。そいつも同じサウスポーだったんですけど、最後は寛大と僕とで3Pの打ち合いになりました。僕が決めたらアイツも決めて、アイツが決めたら僕も決め返すみたいな感じでしたね」

B:それは熱い戦いですね。
「はい。その試合は、めちゃくちゃ楽しかったです。未だに忘れられない試合ですね。東海大会はかなり調子が良くて、準決勝と決勝でも3Pが1試合8本とか9本とか入ったんですよ。打てば入るような感覚でした。完全に全盛期でしたね…(笑)」

B:そのときもシューターのようなポジションだったんですか?
「いや、でもそのときは、自分がチームの中で一番身長が高かったんですよ。すごく小さいチームだったので、175cmの自分が一番大きくて。だからシューターというわけでもなかったと思います」

B:そんなに小さいチームでも東海大会で優勝できたのはすごいですね。
「でも、本当に一人一人役割がハッキリしていました。173cmくらいでもめっちゃ中で身体を張ってくれるヤツとか。だから全中にも行けたんだと思います」

B:全中の思い出はありますか?
「予選リーグで東北学院中、清水中と同じグループだったんですけど、僕らは最初の東北学院戦に懸けていたんですよ。とりあえずまず1勝できれば、決勝トーナメント進出も大きく近付くじゃないですか。でもすごく良い試合はしたんですけど、1点差で負けてしまって…。東北学院中に、冨永(東北学院高→玉川大)ってやつがいたんですけど、彼はマジでやばかったです。スピードがめちゃくちゃ速くて、マッチアップして衝撃を受けました。しかも同じ左利きだし、速いし、パスも上手いしシュートも入るし、こいつはやばいなと思いましたね。それで1点差で負けてしまったのは悔しかったです」

sasayama02.jpgB:続く清水中との試合はどうだったんですか?
「やっぱり最初の試合で負けて、気持ち的にどこか落ちてしまって…。出だしが悪くて、そのままズルズル行ってしまって負けましたね。それで結局1勝もできないまま全中は終わりました。自分は今までアンダーカテゴリーとか全く選ばれなかったので、ジュニアオールスターや全ミニは別として、そのとき初めてちゃんと全国のレベルを目の当たりにしたんですよ。やっぱり全国は世界が違うなと思いましたね」

B:他に印象に残っている選手はいますか?
「対戦はしていないですけど、全中で初めて(高橋)貴大とか、田渡凌とか、(前川)ジェシィ(関東学院大#3)とかを見て、やばいなと思いました。ジェシィは、よく分からないですけど、そのとき確かシュートを右手で打ったり左手で打ったりしていたんですよ。それを見てすげー!って思ったのはよく覚えています。あとは、アマースィ(花田アマースィ真平)も、1on1がえげつなかったですね」

B:いろいろな選手たちに衝撃を受けたわけですね。
「はい。化け物みたいなやつがたくさんいました。初めてああやって全国の世界を見て、そこで初めて自分もあの世界に行きたいなと思いましたね。この人たちと一緒にやりたいなと」

B:ジュニアオールスターにも選ばれていますが、そこでの思い出はありますか?
「ジュニアオールスターでは、予選で広島に勝って群馬に負けたんですけど、負けたのは自分のせいですね。中学生のときはかなりビビりで、接戦になると、びくびくしてしまう自分がいて。自分が一応キャプテンをやらせてもらったので、勝負どころになるとボールが来るじゃないですか。でもここ一番ってときにシュートを決めきれなかったり、ほかの人に任せてしまったりして…。反省しかないです。もう、そんな頃から、メンタルの弱さは自分の課題だったんですよね(苦笑)。分かってはいるんですけど、どうしてもビビってしまうところがあって、それは今もじゃないですか。そこはもう、一生自分につきまとっていく課題なんじゃないかなって最近思います(苦笑)」



偉大な先輩たちを目の当たりにした高校時代

sasayama05.jpgB:中学を卒業後、洛南高校にはどういう経緯で進むことになったんですか?
「全中とかジュニアオールスターで全国の世界を知って、もっと上でやりたいなと思ったのと、監督が洛南高校出身だったこともあり、洛南に進むことになりました」

B:洛南高校に入って、最初はいかがでしたか?
「よく覚えているのは、一番始め、中3のときに1回練習に参加させてもらったんですけど、そのときに高3だった辻さん(現NBL東芝神奈川)がいたんですよ。辻さんは、なんて言えばいいんですかね…最初見たとき、『この人、人間なのかな』って思いました(笑)。それくらいシュートが入るので、衝撃以上のものを感じましたね。練習の中のゲームとかでも全く外さなくて、人間ってあんなにシュートが入るものなのかと思いました」

B:それはさすがですね。
「あと、そのときに先輩たちからいろいろ話を聞いたら、『比江島さん(現NBLアイシン三河)もヤバいよ』って言うんですよ。ただ、みんな口を揃えて、『でも比江島さんは練習ではそれを出さないから』って言うんです(笑)。その意味が最初はよく分からなかったんですけど、入学して公式戦を見て、初めて分かりましたね。比江島さんは、やっぱり練習中と試合とじゃ全然違うんです(笑)。練習ではひょうひょうとプレーしている感じなんですけど、試合になると真面目になるというか、スイッチが入るんですよね。それはすごいなと思いました」

B:それはよくわかります(笑)。1年生のときは、冬のウインターカップからメンバー入りしたそうですね。
「そうですね。それまではメンバーに入ることも全くなかったんですけど、初めてウインターカップでベンチに入れてもらいました。それで、優勝を味わうことができて…。あれは、あの場にいないと味わえないものだと思うし、本当にありがたいなと思いました。試合に出ていないのに、勝ってうれしくて鳥肌が立ったのは初めての経験でしたね。決勝は、本当に思い出深いです」

B:2008年のウインターカップ決勝は、展開的にも白熱した試合でしたよね。
「そうですね。出だしで福岡第一にかなりやられて、でも粘って食らい付いて、最後に比江島さんのあの際どいスクープショットが入って…。ああいうのを決めちゃうところが、持っていますよね、あの人(笑)。よく覚えているのは、確かあのシュートが入ったとき、相手がタイムアウトを取ったんですけど、そのときベンチに戻ってきた比江島さんがちょっと泣いていたんですよ。それを見て、みんなつられて涙が出てきて…。それは思い出深いです。本当にすごい優勝を味わうことができました」

B:比江島選手たちが卒業して、2年生のときはどんな年でしたか?
「2年生になって少しずつ試合に絡めるようになったんですけど、あまりうまくいかなくて…。1年生の頃とは違って、求められるレベルも高くなったし、ガードが崩れるとチームも崩れるんだということを、身をもって感じた年でした。そこでガードの大切さというか、しっかりしなきゃいけないという思いは芽生えましたね。高2のときはBチームに落とされた時期もあったし、かなり悩んだ年でした」

sasayama07.jpgB:Bチームに落とされたんですか。
「はい。高1とか高2のときには結構Bに落ちましたね。洛南は、1個のミスでBチームに落ちることもあったし、誰がどう転ぶか分からないというか…。だから練習の緊張感がすごいんですよ。そういう緊張感の中で練習できたことも、勉強になりましたね。高3では確か落とされなかったとは思うんですが、高2のときはいろいろうまくいかなくて、Bに落ちて、本当にバスケが辞めたくなりました。自分に足りないものが何かとか、めちゃくちゃ悩みましたね。今までで一番悩んだかもしれないです。うまくいかないときって、自然と全部うまくいかないんですよね。自分が頑張って改善しようと思ったことが、逆に悪い方に転がってしまったりして…。あのときは辛かったです」

B:その年は国体で優勝を果たしましたが、笹山選手は決勝もプレータイムがありませんでしたね。試合に出られない悔しさはあったのでしょうか。
「試合に出たい気持ちはありましたけど、正直、『この場面で試合に出て、一体自分に何ができるんだろう…』と弱気なことを思う自分もいました。というのも、準決勝の千葉戦、小林さんがファウルトラブルになったことで自分がつなぎ役として試合に出たんですけど、そこで相手にかなり追い上げられてしまったんです。最後は小林さんのブザービーターで勝ったんですけど、自分の力不足をかなり痛感した試合でした。決勝も、ベンチから交代で出るのは塩谷さんとか河上さんとかみんな3年生で、結局最後は3年生5人がずっと試合に出る形だったんですよね。だから、本当に3年生は偉大だなと。自分は本当にまだまだだと思い知らされました」

B:そんなことを感じた優勝だったんですね。
「そうですね。あの年って、前の年にウインターカップ3連覇とかして、結構プレッシャーみたいなものもあったと思うし、その中で3年生の先輩たちも、いろいろ悩んでいたと思うんです。それでも国体で優勝という結果を残せて、本当に3年生はすごいなと思います。自分は全然それを支えられなかったですし、ただついていくだけでしたね」

B:高校2年の頃は、自分に自信もなかったと。
「全っ然、自信なかったです。自信って、みんなどうやったらつくんだろうと悩むくらい、自信なかったですね…(苦笑)」



世界レベルを体感したU-18日本代表

sasayama06.jpgB:偉大な先輩たちが卒業して、自分の代になった高3のときはどんな年でしたか?
「そこはもう覚悟してやらなきゃいけないと思って、高3になったんですが…逆にみんなを引っ張らなきゃ、という気持ちが空回りして、自分が攻めすぎて先生に怒られることが多かったです。先生から、『お前はガードだぞ』と、練習でも試合でもよく言われましたね。それはあの頃、ずっと頭にありました。攻めすぎないというか、攻めるタイミングを見極めて攻めなきゃいけないなと。3年生になってそういうところが求められるようになって、難しかったですね。いろいろ悩みながらプレーしていました」

B:インターハイは、初戦の前橋育英戦で1点差の末に敗れましたが。
「はい。あのときは、自分たち的に結構良いブロックに入ったと思っていて、先を見過ぎていたというか…。それで足元をすくわれて、ほんとダメでしたね。いやもう、本当にあそこ勝っていればなぁ…。今でも悔しいです。あの年のインターハイ、波乱も結構起きましたよね。北陸が京北に負けて、京北が明成に負けて、結局ノーシードの八王子が明成に勝って優勝をさらいましたし。どこが勝ってもおかしくなかったですね」

B:開催地が沖縄でしたが、観光はしたんですか?
「一応、美ら海水族館に行きました。でもまさか初戦で負けると思ってなかったですし、心が全くそんな気分じゃなかったです(苦笑)」

B:そうでしたか(苦笑)。高3になってから、高2の頃と比べて自信をつけることはできましたか?
「うーん…まぁスタメンで試合に出るようになってプレータイムも伸びて、経験も増えたし、落ち着きは少し出てきたかなと思います。自分の中でも、試合を重ねるうちに、攻めるポイントだったり周りにやらせるポイントだったりが、少しずつですけど掴めてきた感覚はありました」

sasayama12.jpgB:高3のときはU-18日本代表にも選ばれてアジア選手権などにも出場しましたが、他国と戦った経験も大きいのでは?
「それは大きかったです。初めて世界と戦ったのが、春に行われたドイツの大会(アルバート・シュバイツァートーナメント)でした。まぁそこでは、コテンパンにやられたんですけどね。ドイツとか『本当に同じ高校生かよ!』って思うくらいの差を感じて…。それに自分たち、大会のエキシビションゲームみたいなやつで、オーストラリアと対戦したんですよ。そこが結局優勝したんですけど、自分たち80点差くらいつけられて負けて…。世界のレベルは本当にやばいなと思いました。スペイン対オーストラリアの決勝も、自分たちは観に行ったんですけど、プレーが完成されているというか、とにかくすごかったですね。これから先、こういう人たちが同年代にいるのかと思うと、正直ちょっと恐くなりました。もう、ものすごかったとしか言えないです(苦笑)」

B:秋のアジア選手権は振り返ってどうでしたか?
「アジア選手権では、ヘッドコーチが明成の佐藤久夫先生に変わって、ドイツとはメンバーも少し変わったしバスケットも変わりました。久夫先生は、日本人らしい泥臭く頑張るバスケットをやろうと言う方で、自分もそういうスタイルが結構合っていたと思います。それにそこで初めて、(安藤)誓哉とプレーしたんです。アジア選手権ではずっとスタメンで一緒に2ガードとして使ってもらったんですけど、あいつは本当にすごかったですね。ガードだけど、パスを回すだけではないというか、相手を見ながら攻めるし、シュートもすごく入ったので」

B:初戦のインド戦で、安藤選手は38得点だったそうですね。3Pが10/12で入ったとか。
「はい。初戦は特にすごかったですね。海外との1試合目って、みんな普通は緊張するじゃないですか。その中で誓哉は、シュートも全然落とさないし、集中が凄まじかったです。正直自分は、とりあえずドライブで崩してあいつにパスしとけば点決めてくれる、みたいな感じだった覚えがあります(笑)」

B:佐藤久夫先生にはどんなことを教わりましたか?
「気持ちの部分が大きいですね。慎之介もこのリレーインタビューで、久夫先生が『気持ちだけじゃ何もできないけど、気持ちがなければ何もできない』と言っていた話をしていたじゃないですか。本当にまさしくその通りで、それは今でも心に残っています。久夫先生がすごいのは、それをただ言われて『なるほどな』と感じたわけではなくて、バスケをしながらそれを身に染みて感じたんですよ。それは本当に久夫先生の偉大なところだなと思います」

sasayama23.jpgB:それを感じたエピソードなどはありますか?
「例えば、体育館でルーズボールにダイブする練習をしたんです。床に転がりまくって、JAPANの真っ白いTシャツが、みんな真っ黒になったりとか。そういうひたむきさがないと勝てないよということを、身をもって教えてもらったのは、自分の財産ですね」

B:アジア選手権から帰ってきたら、すぐにウインターカップ予選、そしてウインターカップだったわけですね。代表メンバーにとっては強行スケジュールでしたが。
「はい。でもアジア選手権で洛南から3人抜けていたんですけど、自分たちが抜けている間に国体があって、そこで準優勝することができたんです。だからそんなに悪い状況ではなかったと思います。インターハイでの悔しさもあったし、ウインターカップこそ結果を出そうという感じで臨んで…。でも2回戦で、京北に負けてしまったんですよね」

B:京北は強かったですか。
「強かったですね。ただ僕らも、前半で10点くらいリードしていたんですよ。でもやっぱり京北は底力がすごかったというか、最後にガツンとやられた感じでした。皆川(明治大#51)とか田渡凌もすごかったし、それに最後、寺島ってやつにめっちゃ良いところでシュートを決められたんですよ。それで向こうも勢いづいて…。あの試合は難しかったですね。前半できすぎてしまった分、相手に追い上げられることが恐いなと思ったんですけど、案の定、後半そういう流れになって。それを止められなかったのは自分の責任ですね」



PGとしてのスキルを磨いた高校3年間

sasayama09.jpgB:悔しい引退にはなりましたが、洛南高校の3年間で学んだことはやはり大きいですか?
「いやもう、洛南に行かなかったら、絶対に今自分はここにいないです。吉田先生(洛南監督)のバスケットって、卒業して4年経った今でも自分に染み付いているし、今もやることなんですよ。卒業してから、そのすごさがあらためて分かりました。すごい学校だったなと思います」

B:今大学界でも、コートに洛南出身の選手が2、3人いると、スムーズに洛南の動きをしますよね。
「そうですね。パスをしたら走る、パスランで相手を崩すのが洛南の基本なんですけど、それってバスケットの基本じゃないですか。自然とそれは身に付いているので、動きを止めないでみんなやるし、洛南じゃない人たちもそれにつられて、動くようになる部分があると思います。極めれば、パスランだけでもバスケットができるというのは、洛南で学んだことですね」

B:洛南では、キャッチやパスを出すときの足の使い方なども細かく練習するそうですね。
「そうですね。パスをしながら1歩を踏み出す練習とか、そういう細かなことも結構やります。3年間、耳にタコができるくらい言われるので、意識しなくても体が勝手に動くようになりますね」

B:今の笹山選手のポイントガードとしての動きも、洛南高校で学んだことが大きいのですか?
「はい。ちゃんとしたポイントガードというポジションについたのは、洛南からなので。それまでは自分で攻めることがほとんどだったんですけど、初めて周りを生かす立場に立ったのが高校1年のときでした。そのときは佐藤将斗さんとか小林遥太さんがいて、練習からそういう人たちと一緒にプレーできたことは本当に良い勉強になりましたね。毎回毎回、『あ、そういうプレーもあるんだ』って発見があったし、いろいろアドバイスもしてもらって、特に最初の1年間で本当にいろいろなものを学んだと思います」

sasayama16.jpgB:話が逸れますが、洛南高校時代、慶應の伊藤選手(#4)とは寮で同じ部屋だったそうですね。
「そうなんですよ。1年生のときは違ったんですけど、2・3年生はずっと一緒の部屋でした。4人部屋で、僕と良太と、陸上部のやつと体操部のやつで同じ部屋でした。だから良太とは常に一緒にいましたね。朝起きて一緒だし、学校でもクラスが一緒だし、部活も一緒だし、部屋に戻ってきても一緒じゃないですか(笑)。ほぼ365日24時間ずっと一緒でした」

B:伊藤選手は、笹山選手には全然敵わないと言っていました。
「いやいやいやいや! あいつはマジでやばかったですよ。中学生のときに、1試合80点とったことあるらしくて。オフェンスマシーンって感じで、1対1とか本当に強かったですね。ディフェンスもうまいし。3年生になって、あいつがシックスマンとかで試合に出るようになったら、めっちゃ試合の流れも良くなるし、あのときは本当にベンチから出る(平野)哲郎(早稲田大#27)とか良太に助けられました」

B:今年は慶應が1部に上がってきたことで、リーグ戦で対決が叶いましたね。
「そうですね。早稲田が2部に落ちてしまったので、慶應が上がってこないと洛南が誰もいなかったんですよ。最後の年に誰もいないのは嫌だったので、伊藤とか大元(慶應大#10)とか上がってきてくれたのは嬉しかったです」

写真下:4年ぶりにリーグ戦で対戦した笹山、伊藤の両選手。1勝1敗の結果だった。



ミスを恐れず思い切りプレーしていた下級生時代

sasayama04.jpgB:洛南を卒業して筑波大にはどういう経緯で進んだんですか?
「正直自分、大学ではバスケはもういいかなと思っていたんです。ウインターカップが終わって燃え尽きたというか、高校の時点で、思う存分バスケはやりきったかなと自分の中では思っていて」

B:そうだったんですか。それはどうして?
「高校3年間が、想像以上に濃い3年間だったんですよ。アンダーの代表に選ばれるとか、あそこまでバスケをやらせてもらえるとは全く思っていなかったんです。それで、得るものも大きかったんですけど、それと同時に自分の限界も感じて、正直自分はこれくらいなのかなって、見切りをつけてしまったんです。でも親にそのことを相談したときに、自分のやれるところまでやってみるのもいいんじゃないかと言われて。それは結構長い間、話し合いましたね。それで、やってみるかと思って、もともと指導者になりたい気持ちもあったし、筑波に行くことになりました。今は本当に、大学でもバスケを続けて良かったなと思いますけどね」

B:笹山選手が大学1年生のとき、「ポイントガードってやりがいがあって楽しいです!」と目を輝かせて言っていたことが印象に残っているので、まさかその前に燃え尽きていたとは意外でした。
「そうですよね(笑)。燃え尽きた気持ちで筑波に入ったんですけど、でも1年生のときに、たまたま西村さん(2013年度筑波大主将)がケガしていて、(田渡)修人(現NBLリンク栃木)さんの控えが自分しかいない状況だったじゃないですか。それで試合に出させてもらって、しかも怖いもの無しで思い切りよくプレーしたことが良い方向に転んで。それで新人戦とかも結果を残せて楽しかったし、気付いたらまたバスケに対して本気で取り組んでいましたね」

B:新人戦では東海大に1点差で勝利しましたし。
「あの試合はやばかったですよね。みんな、優勝したかのように喜んで(笑)。あのときって、東海と青学が2強と言われていたので、そこに勝てたのはめちゃくちゃ嬉しかったです」

sasayama11.jpgB:あのときの筑波大の新人戦チームは、高さがない中でもトランジションがうまくハマりましたよね。
「そうですね。武藤さん(現NBDL豊田通商ファイティングイーグルス名古屋)とか池田さん(現関東実業団・富士通)とか、みんなそういうタイプのプレイヤーだったというか。いて欲しいと思うところにみんないてくれて、ぴったりと噛み合いましたね」

B:笹山選手も、1年生にしてアシスト王でした。
「あぁ、そういえばそうですね(笑)。なんかなつかしいです。1年生の頃はアシスト王とかも狙おうと意識した部分があったかもしれませんが、今ではそんなこと全く考えないですね。今ではもう、チームが勝てれば本当にそれだけでいいです。1年生のときは本当に何も考えてなかったし、試合でも思いついたことをやっていたと思います(笑)」

B:笹山選手は1年生の頃から、見ている人を驚かせるようなパスを通したりしていましたね。
「自分結構、ギャンブルなパスも出してしまうんですよね。パスを通すスペースができるのは一瞬なので、ナイスパスとパスミスって、紙一重じゃないですか。それで高校のときは、結構ギャンブルなパスでミスをして怒られていたんです。だから高校時代は、いろいろ考えながら割と慎重にプレーしていて。でも大学に上がって気持ち的にもリフレッシュして、大学1、2年のときは、正直ミスを恐れずにギャンブルなパスをバンバン出していました。ミスしても先輩たちが補ってくれるから、自分でもそんなに気にしてなかったです。それがたまたま良い方向に転びましたね。でも3、4年になって、安全性とか正確性もより求められるようになりました。やっぱりナイスパスを出すことも大事ですけど、自分のパスミスでチームを崩すのは上級生としてあったらいけないことじゃないですか。だからそういうパスを出せそうなシチュエーションになっても、ぐっと躊躇してしまうところがありますね。そこは難しいところです」

B:そういうパスを出すときのコツはありますか? 見るべきところとか。
「うーん…チームメイトを見るというよりは、スペースを見てパスを出す感じです。例えば速攻のときも、だいたいパスを出せる空いたスペースが限られているので、そこに飛び込んでくるだろう、というタイミングでパスを投げる。パスカットされないためにも、空間に投げなきゃいけないですから。でも仲間がそこに走り込んでくれないとミスになるし、タイミングが早すぎても遅すぎてもミスになるので、難しいです。ただ、そういうスペースに飛び込むのが得意な人もいるんですよね」

sasayama20.jpgB:得意な選手というと、例えば誰でしょう?
「去年だったら、池田さんがそうです。初めてプレーしたときから、声を掛けなくても、ただアイコンタクトや動きだけでパッとプレーが合ったんですよ。そういう選手は龍さん(池田)が初めてかもしれないです。普通は、ずっと一緒にやっていく中でできるようになったり、『裏!』とか声を掛けたりするものなんですけど。(田渡)修人さんも、『アイツはそういうのがマジでうまいから、どんどん思いきってパスを出して大丈夫だよ』と言ってくれていました」

B:1年生の頃は、田渡選手の控えや、2ガードで一緒に出る形が多かったですよね。
「大学1年のときは、修人さんにすごく助けてもらいましたね。あの人、全てのことをマルチにこなすじゃないですか。自分が攻めれば裏方に回ってくれるし、自分が守りに集中しているときは攻めてくれるし、フォローしてもらって良い関係でやれることができたのは大きかったです。西村さんもいたし、下級生の頃は思いきってやるだけでしたね」

写真上:1年の新人戦。ルーキーながら周囲にしっかり指示を出す姿も。



思い出したくない過去のインカレ

sasayama09.jpgB:田渡選手が抜けて、2年生の頃からほぼチームのメインガードとしてやってきたわけですが、2年生のときのことを振り返っていかがでしたか?
「あのときは絶対的な司令塔だった修人さんが抜けて、筑波のガードもレベルが落ちるんじゃないかという見方もあったと思います。それは仕方ないことだと思ったんですけど、自分としてはそういう評価を裏切りたいという気持ちがありました。だから2年目は、結構、自分の中でも頑張った年というか…自分を変えたくて、必死にやってきた1年でしたね」

B:そうだったんですか。あの年は“団結”をテーマに掲げて、好成績を残しましたよね。笹山選手も下級生ながら活躍を見せました。
「いやでも、自分はメンタルがマジで弱いので…。本当に。そのときは星野さん(現NBL千葉ジェッツ)とか4年生がいてくれて、チームを引っ張ってくれた感じでした。仲も良くて学年関係なく何でも言い合える関係になったし、あの年は本当に“団結”というテーマでチームが作れたと思います。ああやって、自分から何かをチームに発信したのも、1年生の頃にはなかったことです。それはそういう環境を作ってくれた4年生のおかげですね」

B:関係ありませんが、2年生頃から、笹山選手の試合中の表情が険しくなったように思うのですが(苦笑)。
「それは結構みんなにも言われます(笑)。眉間にしわ寄せてるよって。自分ではそんなつもりないんですけどね。やらなきゃって、必死な気持ちが顔に出るんですかね」

sasayama08.jpgB:2年生のときは、インカレの近畿大戦で…。
「あああぁ…(質問の途中で頭を抱える)」

B:今でもダメージは大きいようですね…。
「もう、あれは本当に一生忘れないです。いや、でも思い出すと眠れなくなるので、思い出したくないんですけど、今また思い出してしまいました。うわー…。あれはきついですね。後悔しかない。今思い出してもダメです。気持ちが落ちますね」

B:思い出したくないところ申し訳ないですが、少し聞かせてください。最後のプレーは、誰が攻めるという狙いはあったんでしょうか。
「あのとき、誰が攻めるとか決まってなかったんですけど、なんとなく自分の中で、最後にシュートを打つのは4年生だろうと思っていたんですよ。それでガードなのでボールを運んで、ピックしたら、スイッチしてソウ(近畿大#23)が外に出てきて。それで『ミスマッチだ!』と思って、インサイドの(砂川)貴哉さんを探したんです。そうしたら貴哉さんがインサイドにいなくて、それで本当にパニックになって…それで、打ってしまいました。もう、あそこでもっとセットプレーを決めておけば良かったとか、確実にドライブを仕掛けてアシストするとかすればよかったとか…後悔しかないですね。本当に4年生に申し訳なかったです」

B:負けた後、4年生は笹山選手より逆にサバサバとしていましたよね。
「それが逆に辛かったです。星野さんとか4年生はみんな『お前のせいじゃないから』とか優しく声をかけてくれて。いや、でも完全に俺のせいじゃないですか。2年生であんなことして、本当に取り返しのつかないことをしたなと思います。本当に4年生のために頑張ろうと思っていたのに、自分のせいで負けて、申し訳なくて、悔しくて…。次の日、あんなに試合に行きたくなかったことは、後にも先にもないと思います」

B:翌日の順位決定戦では、一目見て笹山選手の顔がいつもと違うことに驚きました。顔面蒼白で、表情もありませんでしたし。
「そうですね。完全に魂が抜けていました。土曜日の試合は全然覚えてないんです(苦笑)。日曜日の5位決定戦でオーバータイムになった専修戦は覚えていますけど」

B:最終日の5位決定戦は、白熱した好ゲームでしたね。
「はい。砂川さん、持っていましたね(笑)。あとは、宇都さん(14年度選手大卒・現NBLトヨタ東京)が本当に止められなかった。確か46点くらい取られましたよね? でもあの年のインカレから、ランキングの集計がなぜかベスト4のチームだけになったじゃないですか。ベスト8までだったら、ダントツで宇都さんが得点王したよね」

sasayama14.jpgB:そうでしたね。では翌年、3年生のときは、どんな一年でしたか? 正直、上位に入れる力があるのに、どこかもったいなかったような印象があるのですが…。
「そうですね。おっしゃるとおり、あと一歩って試合がいっぱいありました。リーグ戦も、最初の方で明治と大東に負けて出だしが悪かったことが痛かったです。そうだ、明治の試合は、残り10秒くらいで自分がいらないファウルをしたせいで負けたんですよね。うわー、なんか掘り返すといろいろあるなぁ…(苦笑)」

B:悔しい思いをたくさんしてきたんですね。3年生のインカレでは、明治大に逆転負けでした。
「それもですね(苦笑)。どんだけ自分のせいで負けてんだ…。いつもベスト4の壁を破れずにいたので、絶対にそこは越えたいと思って臨んだんですけどね」

B:立ち上がりから、前半の気迫はすさまじかったです。
「気合いはかなり入っていました。相手が、高校の頃からよく知っている(安藤)誓哉だったこともあったし、たまたま出だしからシュートも入って、ああいう展開になって。でも1Qで自分たちができすぎなくらい点数を取ったんですけど、2Qはお互い互角の展開だったんですよ。だから前半を終えて結構リードはしていたんですけど、それは全部1Qで作った点差。それで3Qで一気に追い付かれて…」

B:確か3Qの出だしが悪かったですよね。
「最悪の出だしでしたね。たぶん後半の入りで目さん(14年度明治大卒・現東京サンレーヴス)に2本連続で3Pを決められて、そこで向こうも息を吹き返した感じでしたね。そのときに、自分たちが焦って守りに入ってしまったのはありました。そこでもっと、何かできたんじゃないかなって。みんなに声は掛けていたんですけど、もっと大きい声でガツンと一言みんなを引き締めれば良かったとか、もっとああすれば良かったとか、終わってからいろいろ思いました。みんな焦って、みんながみんな頑張ろうとして、まわりが見えなくなっていたんですよね。そこで自分がみんなを冷静にできなかったのは、終わってからすごく反省しました」

写真中:最後のシュートを外し、泣きながら下を向く笹山を、当時の主将だった星野が引き上げる。



負ける気がしなかった最後のインカレ

sasayama24.jpgB:あの年は特に、なかなか良い流れが40分間持たないという感じがありました。
「そうなんですよね。それが筑波の悪いクセですよね。どこかで切れちゃうというか…。出だし良いと後半悪いし、出だし悪いと後半が良い。すぐに立ち直れない、というところもあるし…。変なところで真面目なんですかね? もっとパッと切り替えられればいいんですけど。まぁでもそれは、自分のせいかもしれないですね。自分がまさにそういうタイプなので」

B:いつまでも覚えているタイプですか?
「結構引きずってしまいますね。なんか、常に悩んでいます(笑)。どうしたらこのメンタルは治るんですかね…。まぁむしろ、ここまでこの弱いメンタルでやってこられた自分が驚きですね」

B:でも、あまりメンタルが弱いようにも見えませんが?
「いやでも、表にはあまり出さなくても、すぐネガティブな方に行くんですよ。結構すぐ落ち込みます。でも4年生になってからは、自分がそうなるとチームも絶対崩れるので、絶対それは見せないようにしていますね。今とか特に、(杉浦)佑成と(馬場)雄大は、結構落ちるんですよ。試合中とか、うまくいかないと気持ちが落ちてそれがプレーに影響することがある。だからあいつらには常に声掛けなきゃと思っています。今年は、自分が常に上を向いてなきゃいけないなと」

sasayama21.jpgB:それは4年生として大事な仕事ですよね。
「はい。それに今は、坂東(#14)がすごく良い存在ですね。バカになってムードメイカーにもなってくれるし、真面目なこともちゃんと言ってくれるし。自分もすごく助けられています。あと4年生は山田(#10)もいるし、越智(#12)もいるし。越智は、プレー以外のこととかもしっかり後輩に言ってくれるんですよ。トレーニングや練習への取り組みのこととか、日常生活のこととかを指摘してくれる存在なんです。去年まではいつもトレーナーの岩本さんとかが指摘してくれていたんですけど、今年は選手からそういうことを言ってくれるので、すごく良いチームだと思います」

B:今年は、春のトーナメントは準優勝という結果でした。
「あれは本当に、1年生をはじめ、みんなに勝たせてもらったと言うか…自分は何もしてないです。トーナメントは、忘れたい(苦笑)。4年になって初めての公式戦で、絶対勝ちたいって気持ちもあったんですけど、それで逆に気負いすぎたというか…。自分がやらなきゃ、という気持ちを強く出しすぎてしまいました。日筑でも似たような状況になって、そこで気付いて周りにやらせようとなったんですけど、でもやっぱり自分がやってやろうという気持ちが空回りして全然ダメだったんです。だからその反省も踏まえて、今はコントロールしながらって感じですね。周りも良いメンバーに恵まれているし、任せられる部分が多くあるので、そこはしっかり任せたいなと。それに結果論なんですけど、自分が得点を取りにいくとあまり良いリズムにならないような気がするんですよ。自分がシュート入って点数を稼いでいるときに、不思議と負ける試合が今まで多くて。だからあまりそうならない方がいいのかなと思います」

B:そういう春を終えて、そしてリーグでは波はありましたが、見事インカレ優勝に輝きました。優勝を決めたあと、実感などは出てきましたか?
「実感はまだあまりないです。終わったときは本当になくて、今はいろんな表彰を受ける中で出てきましたが。試合の録画を見ると勝ったんだなとは思いますが」

sasayama22.jpgB:ここまでのインタビューでは、自分はメンタルが弱いという話を何度もしてきましたが。
「正直なところ、一人で抱え込みすぎていた部分が多いからですね。でもインカレが始まるまでにミーティングなんかを重ねて、みんなが思っていることや自分の思っていることをぶつけあって、そうやって話していくうちに周りを頼るようになったというか。自信、チームとしての自信がつきました。インカレに入っても自信しかなかったです。いつもはちょっとどこか大丈夫かな、という気持ちがあったんですが、インカレが始まってどの試合も苦しい場面があったんですけど、負ける気はしなかったです。焦る部分もなくて、大丈夫だなと感じてやっていました。やってきたことをやれば絶対に大丈夫だと思っていたので、それがそのまま出せました」

B:越智選手や山田選手は話し合うようになったのがとても良かったと言っていました。逆に考えると去年まで何故そういう形はなかったんだろうという気もしますが。
「去年までは本当にそういう話し合いはなかったです。悪くなっていく中で、『こういうことがあるから悪くなっているのは、みんな言わなくてもわかっているだろう』っていう部分がありました。今回、それを本当にわかっているのか、というのを自分たちにわからせてくれたのがコーチの町田さんです。わかっているだろう、言わなくてもできるだろうとみんなが思っていることを、本当に追求して話し合っているかということを強く言ってくれたんです。実際、自分の役割やチームの目標、みんなが同じ方向に向いているのかといったところで曖昧な部分がありました。そこで話し合って方向性が見えて、チームがガラッと変わりました。それがすごく大きかったです」

B:それはどの時期ですか?
「リーグの最後を2連敗して、プレーオフまでの1週間ですね。そこですごく変わりました。それにあのプレーオフで東海に対してもう少しで勝てそうだという戦いができたということで、すごくチームとしても自信がついていたと思います」

B:まとまり部分でいうと、星野選手がキャプテンだったときはみんなで団結してまとまろう、という状況でよくなりましたが、今年はそれとはまた違う一体感なんでしょうか?
「今年はここまでやってきたことがある中で、それを基本としてやっていた感じです。星野さんの次の年が『挑戦』というテーマ、そして自分たちは『覚悟』というテーマを掲げました。今年はみんなが元々まとまっていたので、そこまで団結にはこだわらないでやっていました。ただ、みんな仲が良くて、そうすると指摘しにくかったり、きついことも言いたくないですよね。そこが足りなかった部分でした。それをミーティングを重ねる中で指摘しあえるようになったし、下級生も上級生に意見を言うようにもなっていったんです」

B:ここ数年の流れでまとまりはできていて、でも厳しさがなかった。そこをリーグ戦で反省できたことでインカレの充実につながったんですね。
「シーズンが始まってから、あの舞台であの相手に勝つことを想像、イメージしてきました。インカレのインタビューでも言ったんですけど、決勝が始まる前に雄大(馬場)とあまり決勝という感じがしない、という話もしていて。特別な思いはあったけれど、今までやってきたことを変える必要もないし、今まで通りやろうというのがすごく強かったです」

sasayama27.jpgB:負けた試合を夢に見ることがあると言っていましたが、勝ってからは?
「今はないですね。ここだけの話ですが、インカレが始まる1週間くらい前に夢を見たんです。インカレの決勝の夢。今思うとすごいですね」

B:すごいですね。正夢になりましたね。
「そうなんです。今回の優勝で過去の自分を越えられました。すごく良かったなと思います。でも、まだこれから先があるのでここから頑張っていきます」

写真上から2枚目:インカレ決勝、肩を組むベンチメンバーたち。右から越智、石亀、山田、小松、村越、寺部。一体感が見て取れる。



プライベートは一人で行動する派

B:期待しています。ではここから、バスケット以外のお話を伺いたいと思います。自分の性格はどんな性格ですか?
「性格ですか? なんか自分で解説するの恥ずかしいですね(笑)。えーっと、バスケではネガティブですけど、普段はそんな暗くはないと思います。結構みんなにちょっかいかけたいタイプ。いつも後輩とかにちょっかい出して、ウザがられます」

B:(笑)。オフの日は何をしているんですか?
「遊びに行くときは行きますけど、でもめちゃくちゃアウトドア派というわけではないですね。家でのんびり掃除したり、買い物も割と一人で行ったりすることが多いです。一人で、自分の好きなように行動できるのって良いじゃないですか。みんなと遊ぶのも好きですが、一人でいる時間も好きですね」

B:あまりプライベートが想像できないタイプですよね。
「よく言われます。よく『プライベートを明かさないよね』とか『秘密主義だよね』とか言われるんですけど、自分ではそんなつもりないんですよ。明かさないというか、話す機会がない(笑)。筑波って、遠いですしね。遠すぎて、筑波からあまり出ないですから」

sasayama19.jpgB:出身地・三重県の自慢はありますか?
「松坂牛とか伊勢エビとかがあるし、赤福とか。食べ物は結構ありますね。名所で言えば、やっぱり伊勢神宮かな。自分は地元が鈴鹿なので、伊勢は遠いんですけどね」

B:鈴鹿ですか。レースが有名ですが、行くことはあるんですか?
「いや、行かないですね…。めっちゃ近くて、5分から10分くらいで行ける距離なんですけど。家にいても音が聞こえます。でも当たり前すぎて、行かないですね」

B:三重出身といえば西村文男選手(現NBL千葉)や伊藤大司選手(現NBLトヨタ東京)らもそうですよね。
「そうですね。あの二人は創徳中で、あのときは全中で準優勝していますよね。あとは桜井良太さん(現NBLレバンガ北海道)とか、今青学にいる安藤(#9)とかも三重出身ですね」

B:では最後に、リレーインタビューを次に回す人をお願いします。
「明治の中東にします。高校のときから、あいつも光泉高校だったので近畿でよく戦っていて、ずっと仲が良いんですよ」

B:それで卒業後同じチームになるのは楽しみですね。それでは次回は、明治大の中東泰斗選手にお話を伺います。笹山選手、どうもありがとうございました。

写真下:Tシャツに書いた文字は「覚悟」。まさに覚悟を実現した1年の締めくくりになった。


◆#21笹山貴哉
白子中→洛南高→筑波大
4年・PG・主将
179cm/78kg
・2004 全ミニ出場
・2007 ジュニアオールスター三重県代表
・2007 全中出場(中3)
・2008 ウインターカップ優勝(高1)
・2009 国体優勝(高2)
・2010 インターハイ出場(高3)
・2010 ウインターカップ出場(高3)
・2010 U-18 アジア選手権日本代表
・2011 新人戦3位(アシスト王:35本)
・2012 新人戦準優勝(アシスト王:36本)
・2013 トーナメント4位(アシスト王)
・2014 トーナメント準優勝(敢闘賞)
・2014 リーグ戦 優秀選手賞
・2014 インカレ優勝
・2014 インカレ 最優秀選手賞(MVP)


(2014.8.26、12.13インタビュー)
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています。


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