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2014.11.04 (Tue)

【SPECIAL】BOJラインvol.25〜藤永佳昭選手〜

リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.25~東海大学・藤永佳昭選手~

141104fujinaga5.jpg リレー形式で次にインタビューする選手を指名していく「BOJライン」。第24回の拓殖大・大垣慎之介選手から指名を受けたのは東海大学・藤永佳昭選手です。

 熱い気持ちを持ったプレイヤーで、激しいディフェンスや粘り強いルーズボールも持ち味。ガードとしてゲームコントロールをしながら、要所でのオフェンスも光ります。今季はキャプテンに就任し、層が厚いチームの中で自分が前に出るのではなく、周りを立てながら必要なプレーを心がけている様子も見えます。高校、大学と長い間怪我に苦しんでも来ましたが、それも糧に変えてきた辛抱強い選手でもあり、その一方で自分の感情に素直でそれぞれの瞬間にさまざまな思いの詰まった涙も見せてきました。初の3冠に挑む今年の東海大。つい先日まで行われたリーグ戦では、2か月に及ぶ長い戦いを経て2冠を達成しました。藤永選手は最も印象に残った選手として、ファン投票でMIPに選出されています。

 北陸高校でのウインターカップ初制覇や、大学に入ってからの新人戦やインカレでの優勝の裏側についても興味深い話をお聞きしました。第25回目のBOJライン、どうぞお楽しみください。


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シュートの上手さに、小1からミニバスチームに参加

141104fujinaga6.jpgBOJ(以下B):大垣選手が藤永選手のことが大好きだから、ということで回ってきました。
「僕も大好きです(笑)。一緒にいて楽しいし、よく遊びます。中学のときから仲が良くて、近畿エンデバーが出会ったきっかけです。そのときのメンバーで今関東にいるのは大垣だけですね。だから長い付き合いですね」

B:当時、大垣選手と試合をしたことは?
「あります。僕が兵庫であいつが京都で、近畿大会の選抜の予選で戦って僕が勝ちました。ほかにそのときは奈良に谷口(中央大#5)と中東(明治大#12)、大阪には田野(同志社大#0)がいました。一つ上なら、奈良に藤高さん(現NBL日立サンロッカーズ東京)、滋賀に塩谷さん(現ホシザキ)がいましたね」

B:バスケットを始めたきっかけは、お父さんがコーチだったからですか?
「そうですね、父親は高校の教師でバスケットを指導しています。最初のきっかけは3つ上の姉です。ミニバスが4年生から始められるってことだったんですけど、姉が4年で僕が1年の頃に練習について行ったんです。それで、体育館の端っこでシュートを打ってたんですけど、普通にシュートも届いていたんですよね。父親が高校の教師だから、小さい頃から高校のリングで打っていたのもあって、ミニバスのリングが自分にしてみると低くて感じて、それで滅茶苦茶入ったんです。それを見ていたコーチがもうチームに入っていいよ、と言ってくれて。試合も出させてもらいました」

B:強いミニバスだったんですか?
「いや、全然弱いです(笑)。僕が小6のときようやく市で2位になって、県大会に初めて出て、1回戦で負けました。それで、兵庫のミニバスの県選抜に選ばれて、尼崎出身の野本(青山学院大#7)と一緒になりました」

B:それで中学に上がる訳ですが、中学は途中で地元から北陸の方へ転校しているんですよね?
「そうです。ちょっとややこしいんですが、中学は神戸の星陵台中に行っていましたが、中2で一度北陸高校に練習に行かせてもらっているんです。父親と仲のいい宮崎先生という方がいらっしゃるんですが、兵庫の教員チームで北陸の久井先生と一緒にやっていた方なんです。父親も兵庫教員チームでやってはいたけど、久井先生とは所属した年がかぶっていません。でも、宮崎先生は父親と久井先生の両方と仲が良くて、宮崎先生を通じて北陸の練習に行ってみるかという話になったんです。ちょうど北陸には竜青さん(現NBL東芝ブレイブサンダース神奈川・篠山)、朝飛さん(現NBLレバンガ北海道・多嶋)がいる、すごく強いときでした」

141104fujinaga7.jpgB:それは刺激になりますね。
「それで、早いうちに転校の話も出たんですが、自分のチームを放り出していくのは嫌だったので、結局は中3の夏に大会が終わって、部活を引退してから福井に転校しました。だから進明中の選手としては活動していません。いた時期が短いので、卒業式も思い出がなくて全然泣けなかったですね(笑)。でも転校した翌日が体育祭で、いきなりアンカーを走れと言われたんですよね。『バスケットですごいんだから足は早いだろ』みたいに思われてて(笑)。まあ遅くはなかったですけど、初日からまさかの展開でした。方言も分からなくて。『はよしねま』って言われて『死ね?』ってどういうこと?みたいな。早くしろ、って意味で、語尾に『ま』をつけるのがあっちの方言なんですけど、最初は分からなかったです。そんな福井生活のスタートでした」

B:地元の星陵台中学は強かったんですか?
「自分の代は強くなかったですね。一つ上は神戸市で3位でした。僕らの代はタメが3人に、一つ下の学年は野球の経験しかなくてあまりバスケはできない子が多くて、僕が1試合に5、60点を取っていました。昔は点取り屋だったんです。でもみんな付いてきてくれたんで、地元での部活を全うする気持ちは強かったですね」

B:兵庫のジュニアオールスターチームでは、中2のときに皆川選手(明治大#51)と対戦しているんですね。
「そうです。決勝トーナメントの1回戦で終わってしまいましたけど。前半は勝っていて、後半にやられてしまいました。皆川はそのときからめちゃデカかった記憶があります」


「頂点まであと少し」に苦労した高校時代

141104fujinaga1.jpgB:こうして早めに福井に移って高校は北陸高校に進学した訳ですが、当時も部員数は多かったのでしょうか? どういう風にチームは分けられるんでしょう。
「50人くらいはいたと思います。毎回練習の最後にゲームがあるんですけど、それをやって10人、10人、10人という風にだいたい4チームぐらいに分かれるんです。それが上からA・B・C・Dチームですね。それで上達すると入れ換えがあったりしました。上下の力の差はあるのでいきなり下から上に入る、なんてことはないですけど、似たような実力の場合は上に行くか下に行くか、そこが競争になりますね」

B:地元の中学では自分が一番上手い状態でしたが、北陸に入ってみてどうでしたか?
「みんな上手かったです。先輩も上手だし、一つ上に占部さん(現・曙ブレーキ)がいて、尊敬していたし北陸に行った理由もそこが大きかったので、すごく刺激はありました。ガードとしてすごくいいところに進学できたなと思いました」

B:北陸はガードの宝庫のようなところですしね。
「ガードは本当にいっぱいいましたね」

B:最初はほとんど試合には出ていないんですね。野本選手や坂東選手(筑波大#14)の方は出ていた感じですか。
「あいつらは代表にも入っていたし、経験も多いし、コーチも育てたい気持ちがあったと思います」

B:それで1年のウインターカップからはメンバーに入れた。
「そうなんです。僕と田野はそこからでした。出番は初戦や2回戦のちょっとだけですが」

B:2年生では本格的に試合に絡んでインターハイベスト4。
「明成とベスト4がけで当たって、その試合は良かったですよ。その前の年も明成にインターハイで勝っているけど、どっちも接戦でした。2年のときは2年生4人と1年の刘(日本大#24)で30分くらい出ていて、明成に勝ってめちゃくちゃ嬉しかったです。占部さんがキャプテンでしっかりまとめてくれていて、マネージャーも八木さんという桐蔭横浜に行った人なんですけど、しっかりしていて、とにかく3年生が大人で、チームをまとめてくれていました。Bチームのメンバーじゃない応援団も一つになっていて、それが勝てた要因です。実力的には明成の方が上だったと思うんです。畠山さん(現bj大阪)、(安藤)誓哉(明治大→NBL CANADAハリファックス・レインメン)、高田歳也(現新生紙パルプ商事)とか。彼らは前の年にウインターカップで優勝しているので、僕らがあそこで勝てたのはチームワークのおかげだと思います」

B:その次の国体は選ばれなかったんですか?
「怪我をしていました。高校は怪我が多かったですね。ウインターカップは間に合いましたけど、まだ痛かったので、要所要所で出る感じでしたね」

141104fujinaga20.jpgB:この年はウインターもベスト4に入っている訳ですが、次は優勝を狙えるという感覚は出てきていましたか?
「僕らの代になったら絶対に優勝をしたいし、周りにも期待されていたし、しなければと思っていました。このときは京北に1点差で勝ってベスト4になったんですが、次の相手が福岡第一だったんです。でも相手の方が強いのかな、という気持ちが心のどこかにあったりして、その弱気で負けていました。そういう部分が優勝に届いてなかった理由だと思います」

B:あと一歩という時期ですね。そして高校3年になってキャプテンになりました。でもインターハイと国体は結果を残せなかったんですね。ともにベスト16。
「全然でしたね(笑)。ひどかったですよ。チームがバラバラでした。それなりにみんな攻めることができるし、経験もあるので、全員が攻めて攻めてという状態でまとまりがなくて。でもどこかに『勝てる』という余裕もあって。夏は京北に負けてベスト16だったんですが、3Qは僅差で終えて4Qに入ったんです。でもどこかで『勝ったな』って思っていたんですよね。今考えれば本当に甘いんですけど。若かったと思います。向こうには田渡凌と慶次郎(早稲田大#34池田)と皆川、ジェシィ(関東学院大#3前川)がいたんですが、最後に10点離されてしまいました。完全に慢心、過信ですね。それにそういう負け方をしたこともなかったのでわからなかったんですよね」

B:その悪さや反省点を国体では修正できなかったんですか?
「国体でもまだチームとしては全然できていませんでした。コーチもいろいろ対策してくれて、ミーティングなんかもしましたけど、なかなか先が見えない状態でした。あのときはキャプテンとして一番メンタルもやられていたし、辛かったときですね。もちろん自分だけじゃなくて、3年生は誰も同じような気持ちだったと思うんですけど。でも苦しいときに自分以外の3年がいつも支えてくれて、それがデカかったです。久井先生にミーティングをするように言われて話し合うんですが、まず坂東が久井先生のマネをしだして真剣なミーティングにならずに、みんな爆笑し始めるんです。話はするけれども、最後は笑いながら帰ろうか、ってなる。辛かったけれどみんなのおかげで暗くならなかった。でもそれが良かったんですよね」

141104fujinaga12.jpgB:坂東選手はプレーだとあまり表情の変わらない、クールなイメージがありますが、だいぶ違いますね。
「あいつは面白キャラですよ(笑)。それで、そういう坂東を見て野本がめちゃくちゃ笑うんです」

写真下:関東大学バスケットボール連名90周年記念で行われたビクトリア大との試合。ベンチでは坂東選手らが中心になって大いにチームを盛り上げていた。


勝てない時代を経て掴んだウインターカップの栄冠

141104fujinaga15.jpgB:(笑)。藤永選手は大学でも北陸の仲間とよくいますが、どこでそんなに強い絆になったんでしょうか。
「国体が終わってもまだいろいろ問題や課題もあって、それがウインターカップの1か月前あたりに解決されたんです。そこから段々良くなっていきました。Bチームの選手は僕らが軽いミスをしても怒るし、その分僕らも責任感を持って練習から一つひとつのプレーをするようになりました。メンバー外の3年生がすごくまとまってくれて、僕らのプレー以外で何か問題が起こってもその3年生たちが対応して処理してくれたし、僕らも今までそんなことをしたことなかったんですが、試合前に応援席に向かって『応援をお願いします』と言って試合に入りました。お互いが必要なことを自覚して、僕らも感謝してやれるようになったのが良かったですね。あとは久井先生の奥さんがいろいろ手助けしてくれたのも大きかったです」

B:キャプテンとして心がけていたことは?
「僕は人に結構言うんですけど、その分自分もしっかりやらなければという気持ちでした。そして人に言うからには、自分の行動にも気を付けていました。でも実際はみんな個性豊かなんであまりまとまってくれないんですよ(笑)。僕自身がまとめたというより、最後は勝手にまとまった気がします。キャプテンとしては声を出すとか練習中に盛り上げるとかはいつもやっていましたが、特にそれ以外で何かしたというのはないですね」

B:ウインターカップはノーシードだったんですよね。
「そうですね。強敵の多い山で、一回戦はインターハイを優勝している八王子だし、むちゃくちゃしんどかったです。でもシナリオ通りというか、インターハイで負けた京北に準決勝で当たって、国体で負けた福岡(第一)に決勝で当たったんです。これは何かあるな、と思っていたら優勝しました」

141104fujinaga9.jpgB:野本選手も「これは運命や」と言っていました
「でもすごく良かった大会のようですけど、裏はいろんなことがありました。うち、大会の遠征では朝に散歩があるんですよ。朝7時くらいから宿舎の周辺を散歩して、ストレッチメニューなんかをこなす昔からの伝統なんです。八王子戦の朝はいきなり(野本)健吾がお腹が痛いと言い出して。久井先生が心配して病院に行ったんですけど、単なる緊張でした(笑)。それで準優勝のときに今度は僕が朝お腹が痛くなって、動けなくて散歩に行けなかったっていう(笑)」

B:それだけ快進撃してシナリオ通りと言うくらいなのに緊張ですか?(笑)
「そう、緊張なんです。逆に書いたように進んでいたのでこれは勝たなければまずい、というプレッシャーがあったんだと思います。でも試合になったらそんなことは気にならなくて、今まで支えてくれた人に感謝して試合に臨んでいました。印象に残っているのは、決勝の前なんですが、久井先生って試合前はいつも作戦ボードに最初のプレーの指示を書くんです。いつもは作戦なんですが、決勝のとき『みんなのために頑張れ』って書いたんです。そのときは『うわぁ!』って。多分みんな思ったと思うんですよ。久井先生が作戦ボードに作戦以外の文字、しかもメッセージめいたことを書いたのは初めてだったので」

141104fujinaga8.jpgB:久井先生も気持ちの勝負だと思ったのでしょうか。陸川監督はいつも作戦ボードに印象的なフレーズを書いていますよね。
「そうなんです。久井先生のときはすっごく特別なことなんだと思ったし、感動してそれで盛り上がったんですけど、どうも東海では当たり前だったみたいです(笑)」

B:(笑)。ウインターカップの中で一番印象に残ったのは?
「やはり決勝ですね。あれはみんなが良くて。ただ、前半で一気に離したんですけど、離れすぎてるのは嫌だなとちょっと思いました。でも後半追い上げられても乗り切りました。8回目の決勝進出で、初優勝。久井先生自身も自分の現役時代に悔しい負けがあったので、そういう思いも詰め込んだ優勝でした」

B:それは本当に忘れられない思い出ですね。ちょっと話が逸れますが、北陸は全国大会で早めに負けることがあっても、最終日まで残って見ていますよね。
「帰れないんですよね。ホテルも決勝まで取ってあるので。だからベスト16で負けた沖縄インターハイ(2010)も苦痛でしたよ(苦笑)。でもこれも思い出なんですが、負けた翌日の6時半から僕らは外を走ってたんです。そうしたら、沖縄って外にも結構コートがあるんですけど、同じように負けていた山形南はもうそこで既に結構ガチな朝練してて、『こいつらすげえ!』って(笑)。貴大(青山学院大#5高橋)や今野駿(東海大#20)とかがいましたけど汗だくでした(笑)」

141104fujinaga16.jpgB:お互い負けたのに朝練しているんですね。辛いですね(苦笑)。
「本当に。だから大会に行くとなかなか帰れないんですけど、優勝した年はオールジャパンに出ていないので、勝って終わってパッと帰れたのは良かったです(笑)。でも実はオールジャパン予選決勝で新潟教員チームに1点か2点差で負けたんですよ。その頃から良くなり始めていたんですよね」

B:オールジャパンには出られなかったけれど、ウインターカップ優勝の兆しがオールジャパン予選にあったんですね。高校全体の話に戻ると、中学までは点取り屋でしたが、高校ではディフェンスが持ち味と言われていたように思います。その転換点は?
「高校に入るとディフェンスできる人が使われるイメージがあったからですかね。北陸は竜青さんや朝飛さんを見ていたのでディフェンスのイメージが強くあったんです。ディフェンスのフットワークも一生懸命やっていました。チームとしてガードのディフェンスがどうあるべきかは大学に入って教わりました。『ディフェンスの強度はガードが決める。ガードが頑張ったらみんな頑張る。ガードの姿を見て後ろの選手がディフェンスをするんだ』、っていう陸さんの教えがあって、チームに必要なディフェンスの意味を実感しました」


怪我の時期に我慢を学んだ下級生時代

141105FUJINAGA28.jpgB:大学は東海大学に進学しました。最初から希望があったんですか?
「関西に戻るか関東に行くか迷いもあって、なかなか決められなかったんです。そこで選択肢がなくなってきたときに、コーチに『東海は?』って言われたときにすごくいいイメージがあったんです。そこで行きたい、と言ったらすぐに陸さんに連絡を取ってくれて、それで『是非』という返事で決まりました。是非、と言ってもらえて良かったです」

B:では東海の試合は見たことはなかった?
「大学はインカレの決勝で青学と慶應が戦った試合(2010)なんかは見ましたね。あとは大阪インカレ(2009)では東海も見ました。東海はチーム力はあるし、入ってから北陸と似た感じもありました。入って良かったなと思ってます」

B:でも1年のときは怪我がありましたね。
「1年のときはほぼバスケしてないですね。体育館の端っこでずっとリハビリをしていました。いろんな先輩から『3、4年が勝負だから』と言われてリハビリを淡々と。我慢の時期でした」

B:耐えていた時期ですね。2年の最初に「あともうちょっとでできるから」と言っていたのを思い出します。
「でも怪我をしたことで学んだこともたくさんあります。ほかを見られる時間もあったし、我慢することも覚えたし、自分に大きい意味のある時間でもありました」

B:怪我から学んだことが多いんですね。でも3年生の頃から動きは見違えるように良くなりましたね。ディフェンスもオフェンスもすごく好調でした。
「怪我も治って、コンディション的には全然良くなりました。実は元々足の骨に弱いところがあるんです。それがなぜ良くなったかといったら、大学で体の使い方とか、体の固さとか姿勢を修正したら悪かったところに負担が行かなくなったんです。筋肉がついたのも大きいです」

141104fujinaga23.jpgB:トレーニングの重要さを感じるエピソードですね。それで2年から試合に絡んでいく。
「怪我からは2年のトーナメントの1週間か2週間前に復帰しました。でもそのとき直樹さん(和田・現三井住友銀行)が怪我をしてしまってどうする、となったんです。それで僕は怪我明けで何もしていないのに、いきなり練習試合に出されました。でもそこでいいプレーができたので、トーナメントも出るということになったんです。でも復帰したばかりだったので控えでお願いします、という形で20分ぐらいの出場時間でした。礼生(ベンドラメ)がまだ1番の経験が足りない状態で、時間を分けあっていましたが、礼生も1年なのにばんばんやってくれて、あのときは2位になれるとは正直思ってなかったです。でも思ったより早くケビン(#9)とザック(#10)がインサイドで伸びてくれてのも大きかったです。大貴さん(田中大貴・現NBLトヨタ自動車アルバルク東京)もいたし、そこに狩野さん(現NBDL東京エクセレンス)がキャプテンでしっかりしていてくれたのが2位という結果になったと思います」

B:2年の新人戦はキャプテンでしたが、肉離れがありましたね。
「多分悪いところをかばったせいかなと思います。準優勝の青学戦でやってしまったんですが、最後の残り十何秒という場面でドライブに行ったとき、足がピキッとしたんです。正直『終わったな』って思いました(笑)。決勝の筑波戦はアップもできない感じでした」

141105FUJIBAGA29.jpgB:決勝では少し出ましたがほぼベンチで、タイムアップ前に泣いていましたよね。
「あのときはメンツもいいし、キャプテンだし絶対に優勝しなければと思っていて。決勝の前半に流れが悪いときにコーチに『流れを変えて欲しい、少しでいいので頼む』と言われて出たんです。でも前半は5点負けて終わってしまいました。3Qで一気に20点とか突き放したんですけど、途中で10点離れたときにコーチに『僕をもう使わないでください』と言ったんです。今の自分の足の状態だったら小島(東海大#1)とか他のメンバーを使った方がいいから、と。そう言ったら陸さんが『分かった』と言って頭をポンポンってしてくれたんですけど、そこでブワッと感情が昂って抑えきれなくなってしまって。まだ3Qなのにベンチの端っこで泣いてました。1年生とかが『なんで泣いてるんですか?』ってすごい心配していましたけど(笑)。それに優勝が久しぶりだったのも泣けた理由です」

B:泣き出すのが早いなと思ったんですけど、悔しさとか、プレッシャーとか、いろいろな気持ちあったんですね。
「そうなんですよ。それが真相です(笑)」

写真中:新人戦決勝で。
写真下:決勝の試合途中、ベンチの端(右)で泣きそうな顔をしていた。


みんなの気持ちを変えたインカレ決勝前の出来事

141104fujinaga2.jpgB:新人戦は優勝しましたが、あの頃全体チームになると青山学院が強くて、あともう一歩が足りなくて勝てない状況でしたよね。それはどう思っていましたか?
「高校の話と似ているんですけど、心のどこかで青学に勝てないという気持ちがみんなにあったと思います。インカレまでは。でもインカレの決勝の試合前のミーティングで、コーチがそのことについて話したんです。ある詩を読んでくれたんですけど、その内容が今の自分たちの気持ちをグサッと突く図星の内容だったんですよね。みんなやっぱりどこかで思っていたんです。また準優勝で終わるのかなって。曖昧ですけど『少しでも負けると思ったらあなたは勝てない。勝つと思ったら勝てる』みたいな、そんな内容でしたけど、あそこでみんなハッとしましたね。そのミーティングでの話は本当に大きかったです。大貴さんも試合が終わったあとに、『その話を聞いたから勝てた』と言っていました」

B:久井先生のメッセージのように、気持ちの重要さを感じる話ですね。
「その詩を読んで、コーチは『お前たちの力は青学と五分に来ているから、今までやってきたことを信じてやりなさい』と言ってくれました。そうして試合に入ったら、最初からもう一気にいくことができたんです。ディフェンスもすごかったし、コーチにも何も言われませんでした。後で『すごい集中力だったから何も言わなくて良かった』と。タイムアウトでも何も言わなくて、『んー、行こう!』ってそれだけ」

B:あれは本当に勢いを感じるすごい試合でしたね。藤永選手も出番は少なかったけれど、いいプレーでした。
「間をつなぐぐらいでしたね。でも出してもらっていい経験をさせてもらいました」

B:でも大会の序盤戦からいつもの東海と違うな、という感じでした。勢いがあるというだけではなく、空気感が違う気がしました。
「そうですよね。何なんですかね、あれ(笑)。でもそれがあって以来、去年、今年にかけて本当に良くなったと思います」

141104fujinaga31.jpgB:一つ大きな壁を越えて、雰囲気は変わった気はします。もちろん前から強くていいチームと言われてきた訳ですが、勝てるチームになりましたね。今年はそんな中でキャプテンになって春トーナメントは初優勝して3冠も狙える状態です。期待も大きいですがプレッシャーはありますか?
「プレッシャーを感じずと言ったら変ですけど、一つひとつやることをやっていくだけです。僕らがプレッシャーを感じることはないとコーチには言われているので、ちゃんと練習していいチームの状態を作っていけばいい結果につながると思います。でも春のままだったらリーグもインカレもアジャストされて勝てないと思うから、個人が伸びる必要もあるしチームのオフェンスも工夫することがあるし、同じことだけではやっていけないと思います。NBLを倒すという目標を持って毎日やっているので、そこが最終目標です。コーチも天皇杯優勝を目標に掲げているのでそこに向けて無理だと思わず、毎日練習するだけです」

B:ここまで東海大で影響を受けた人はいますか?
「1年の頃の4年生の森田さん(現葵企業)ですかね。バスケ以外は適当なところがあるんですけど、バスケットは賢くていろいろ教えてもらいました。それが生きているかな。大貴さんは意識の高さで見習う部分があったし、あとはやっぱり直樹さんですね。3年のとき、一緒に出ていた時間帯はすごくやりやすかったし、自分も後輩と出るときはこうしてあげよう、という面で勉強になりました」

B:藤永選手は気持ちの熱さがコートでも見えるタイプですが、チームに対しては?
「チームは意識しますけど、意外と練習や試合前は結構しゃべらないんです。それは昔も今もそうですね」

141104fujinaga3.jpgB:でも李相伯杯などでは藤永選手が一生懸命で、みんなを盛り上げて、というような話も聞こえてきていましたが。
「チームと選抜では立ち位置も違うからだと思います。チームだとみんなのことを考えつつも試合に集中する真剣さがあって、皆もそれぞれ言わなくても集中している。選抜はみんなで分け合う形になるし、ベンチもまとまらないといけない。でもそういうときはだいたい坂東が『ベンチ』と言って集めて円陣を組みます。ほんといいキャラですよ、あいつ(笑)」

B:では、ガードとして一番大事なことはなんでしょうか。
「チームを落ち着かせることかな。勝たせるガードにならないと。ボールを回してるだけではダメだし、点が止まっているときは自分で点を取れないとダメだし、最近はそういうのを本当に意識しています」

B:春のインタビューで、去年までは試合で慌てていたと聞いてちょっとびっくりしましたが。
「落ち着いている風に見せていましたね。焦るというよりはフォーメーションを迷っていました。去年はコーチがフォーメーションのサインを出すかも、とベンチを見すぎていたのが原因の一つかもしれません。今年も指示を出していたりしますが、聞こえないときもあるので自分の判断でやっていることもあります。今年は本当によく周りを見て自然にプレーできていますね」

写真中:今季、東海大として初のトーナメント制覇を成し遂げた。
写真下:リーグ戦MIPの発表に驚き顔の藤永選手。周りの野本選手や高橋選手、笹山選手は満面の笑み。


寮や仲間と過ごすオフタイム

141104fujinaga17.jpgB:では最後に、プライベートな話を少し。オフの日は何をしていますか?
「遊びにいくときは新宿や渋谷に出ることはありますが、如何せん遠いので。何もなければ部屋にいてみんなで映画を見たり、ゲームをしたり、寝不足なときは寝たりとかですね。お金がなくて出かけないときは静かに田舎で暮らしています(笑)」

B:狩野選手や古川選手(現NBLリンク栃木ブレックス)なんかは普段の生活からストイックで有名でしたけど。
「狩野さんの節制はすごかったですね。寮の部屋が近くだとうるさくしちゃいけない、って気を遣っていました(笑)。自分も早く寝るし不規則ではないですけど、あそこまでではないです。関西人なのでわりと適当なところはあります(笑)」

B:普段はあまり関西っていう感じでもないですけどね。ではそろそろ次に回す人をお願いします。
「流れ的に高橋貴大ですね。大垣が『あいつに回したって』、と言ってきたので(笑)。あいつは面白いので面白いことをいっぱい言ってくれると思います。何を聞いても多分面白いです。一発芸もいっぱい持ってるんで」

B:高橋選手といつ出会ったんですか?
「昔から知ってはいましたが、絡むようになったのは大学に入ってからですね。あいつも大垣もU-18ですが、僕は候補には入ったけど怪我で行けなかったので、高校時代は絡むタイミングがなくて。大学で一緒にご飯に行くようになってから距離が縮まりました。2、3年あたりから大垣も含めて仲良くなって、よく3人で集まったりしています」

141104fujinaga18.jpgB:では次回は青山学院大の高橋選手にお願いしようと思います。最後に、今年は出身地のオススメを聞いているのですが、神戸のいいところを教えてもらえますか?
「いろいろありますよ。神戸は住みやすいし、いいところです。僕は垂水区の出身なので三宮も近いし、便利なところでした。『神戸ルミナリエ』のイルミネーションはめちゃくちゃきれいです。見に行った方がいいです。あと、美味しいものが多いです。特に洋菓子店は有名なところがいっぱいあってどれもおすすめです。神戸プリンとかバームクーヘンとか、あとフィナンシェ!めちゃしっとりしてて美味しいんです。今度買ってくるんでぜひ!」

B:ちょっとしたスイーツ番長ですね(笑)。では買ってきてくれるのを楽しみにしています。藤永選手、ありがとうございました。

写真上:Tシャツに書いた言葉は「感謝」。
写真下:仲良しの大垣選手も一緒にそれぞれのサインを指さしてツーショット。


◆#8藤永佳昭(ふじなが よしあき)
星陵台中→進明中→北陸高→東海大
4年・G
173cm/74kg
・2008 インターハイベスト4
・2008 ウインターカップベスト8
・2009 インターハイベスト4
・2009 ウインターカップベスト4
・2010 ウインターカップ優勝(アシスト3位)
・2012 新人戦優勝
・2012 インカレ優勝
・2013 リーグ・インカレ優勝
・2014 トーナメント初優勝
・2014 学生選抜代表
・2014 李相伯杯、日本学生選抜(VSビクトリア大)代表
・2014 関東大学リーグMIP


(2014.7.2/9.7インタビュー)
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています。


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