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2014.03.04 (Tue)
【SPECIAL】BOJラインvol.21〜坂田 央選手〜
リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.21~日本大学・坂田 央選手~
選手の指名でリレー形式にインタビューをつなぐ「BOJライン」。第20回の明治大・森山翔太選手からバトンを渡されたのは、日本大・坂田 央選手です。
東京出身でバスケットの強豪・梅丘中でバスケットを始め、のびのびと、それでも着実に力をつけていった坂田選手。日大豊山高校から日本大に進学し、サイズに加えて走力を武器にして1年生の頃から出場時間を勝ち取ってきました。3年生の途中からはキャプテンにも就任し、チームの精神的支柱としてもなくてはならない存在に。4年目は2部でプレーすることとなりましたが、リーグ途中で怪我をしてからもそれを押してコートに立ち続ける姿からは、下級生を引っ張る4年生としての責任感が感じられました。
大学に入学した頃には、まさか自分がこれほど試合に出て活躍し、キャプテンまで務めるとは想像もしていなかったそうです。全国区とはいえなかった選手が強豪大学でどのように自分の道を確立していったのか、インタビューにそのヒントが隠されているかも知れません。第21回BOJライン、どうぞお楽しみください。
BOJ(以下B):BOJライン、第21回は日本大・坂田央選手です。森山選手からの紹介ですが、かなり仲が良いそうですね。
「めっちゃ仲良いですね。仲良くなったのは今年に入ってからなんですけど」
B:きっかけが何かあったんですか?
「もともと顔見知りではあったんですけど、ある日友達に呼ばれて遊びみたいな感じでバスケしに行ったんですよ。森山とか目(明治大#2)とか安藤(明治大#16)とかと。そのあとにみんなでご飯を食べに行って、そこで仲良くなりましたね」
B:坂田選手は明治大の近くに住んでいるそうですね。
「そうなんです。だから明治の人たちとは仲良くて、なにかとすぐ呼ばれます」
B:森山選手は、坂田選手の目から見てどんな人ですか?
「いやもう…あんな感じです(笑)。あのまんま。おしゃべりですよね。自分と森山がそろったら、かなりはっちゃけます」
B:森山選手に坂田選手のことを聞いたら、坂田選手のフィジカルの強さを力説していました。
「いやいや、全然ですよ(笑)。でもまぁ、ウエイトは好きですね。というか、日大って結構ウエイト好きなやつが多いんです。みんな体鍛えるのが趣味みたいな」
B:リーグ戦の間も高橋耕陽選手(日本大#14)と一緒にトレーニングしていたとか。
「そうです。耕陽とペアでやっていますね。自分が後輩に何か残すとしたら、そういうところしかないなと(苦笑)。うちは月曜がコンディショニングで火曜がオフなので、普段はどっちかで結構ガッツリやって、どっちかは一日ちゃんと休息して。それで他の日には軽めに体幹だけやるとかそういう感じでしたね」
B:ウエイトトレーニングで一番自信があるのは?
「重りを上げるのは結構得意ですね」
B:どのくらい上げるんですか?
「ベンチプレスだと、マックスが120キロです(※その後130キロにレベルアップ)。でも日大って自分よりすごいやつも結構いて。130とかあげるやつもいますね」
B:それはすごいですね。チームの中では誰がすごいんですか?
「安野(#11)とかですね。あのへんは本当にウエイトが趣味みたいな感じです。本当にすごいんですよ」
B:そうなんですか。では本題に入りますが、バスケットを始めたのはいつですか?
「中学1年の夏くらいです」
B:わりと遅めですね。
「そうですね。もともと小学校の時は3年生までサッカーをやっていて、4年生から野球を始めてずっと野球をやっていたんです。一応バスケも誘われていたんですけど、『嫌だ!おれは野球をやりたい!』って言って、バスケする気は全くなかったです(笑)」
B:そうだったんですか。小4でどうしてサッカーから野球に転向したんですか?
「自分は兄が2人いるんですけど、2人ともサッカーをやっていたんです。それで親も兄弟みんな一緒の方が楽だから『サッカーにしなさい』みたいな感じで。でも自分はずっと野球に憧れていたんです。それで親にお願いしたら『お兄ちゃんが卒業したら野球やっていいよ』と言われたので、3つ上の兄が小学校を卒業したと同時にすぐ野球を始めた感じですね」
B:そこからどうしてバスケットに?
「中学に進んでもクラブチームに入って野球を頑張ろうと思っていたんですけど、学校の先生からバスケ部に誘われて、野球のクラブチームと掛け持ちすることになったんです。それで夏くらいに先生から『どちらか選びなさい』と言われて、中学はバスケ部が強かったのでバスケにしました」
B:梅丘中学校は全中などにも出場している強豪ですよね。でも、もともとバスケをやる気はなかったと。
「はい。自分、住んでいるところが梅丘中の学区域なんですよ。普通に進む中学が梅丘中で、だから本当にたまたまですね」
B:バスケ部に誘われたということは、背も高かったのでしょうか?
「そうですね。入学当初は170cmくらいだったんですけど、そこから学年が上がるごとにどんどん伸びて、中3のときには185くらいでしたね」
B:家系的にみんな背が大きいんですか?
「いや、親もそこまで大きくないし、2番目の兄もそんなに大きくないです。でも長男は186くらいありますね。あと2歳下に妹もいるんですけど、妹も大きくて176くらいあります。今は辞めちゃいましたけど、妹も梅丘中でバスケをやっていました」
バスケットに夢中になったきっかけは、走る喜び
B:4人兄妹なんですね。バスケットを始めて最初はいかがでしたか?
「楽しかったですね。自分、走るのが好きだったので、走るスポーツがやりたかったんですよ。野球って休んでいることが多いし、しかもポジションがキャッチャーだったので全然走らなかったんです。サッカーをやっていた時も、なぜかキーパーをやることが多くて」
B:それは全然走らないですね(笑)。
「はい。だからバスケットの走るところにはすごく惹かれましたね」
B:そういえば森山選手も、坂田選手は足がすごく速いと言っていました。
「いやまぁ、人並みですけどね(笑)」
B:小学生や中学生の時から速かったんですか?
「一応、クラスの中とかでは結構速かったと思います。今も一応、チームの中では一番速い自信があります。チームの中では(笑)」
B:運動神経が良かったんでしょうか。
「いや、そんなことはないです。足は速くても、あまり器用じゃないので。ぶきっちょなんですよね。だからバスケを始めたときは、楽しかったんですけどかなり難しかったです。動きとかも大変じゃないですか」
B:梅丘中は強豪チームですし、練習も大変だったのでは?
「いやそれが、そんなに大変じゃないんですよ。毎日朝練があるくらいで、練習はいつも1対1の練習ばっかりだったし、チームのスタイル的にも自由に1対1で崩す感じで。自分と晃大(早稲田大#15木村)と、大きいのが2人いたので、ひたすら2人でハイ&ローして終わり、みたいな感じでしたね(笑)。まわりは小さかったんですけどインサイドは大きかったので、まぁなんとかやっていけました」
B:梅丘中は公立の学校ですよね。選手は集めているんですか?
「いや、先生が変わってから、なんか自然と集まってくるんですよ。別に先生が呼んでいるわけではないんですけど、評判を聞いて。その先生が来てから強くなった感じですね。晃大とかも評判を聞いて越境してきていたし」
B:東海大の島選手(2003年度卒・現NBDL黒田電気)や、仲西淳(現bj福岡)選手、大濠高校の杉浦佑成選手も梅丘中ですね。
「そうですね。仲西さんは一回練習に来てくれたのを覚えています」
奇跡がたびたび起こった全中
B:中学校3年生のときは、全中にも出ているんですよね。
「そうなんですよ…奇跡的に(笑)」
B:奇跡的だったんですか(笑)。
「はい。普通に都大会で負けるんじゃないかと。本当になんとか都大会も勝って、関東大会もくじ運が良くて勝ち進んでいった形でしたね。関東大会の全国決めでは、千葉の塩浜中と当たって、安田(日本大#37)と戦っているんです。あいつとは高校のときもミニ国体で戦っているし、いろいろ縁があるんですよね」
B:全中はいかがでしたか?
「あれも予選リーグは奇跡でしたね(笑)。その大会で準優勝した東海大四中に勝って、なぜか予選はグループ1位で通過したんです。先生からも試合後に『なんで勝ったかわからない』と言われました(笑)。それで決勝トーナメントに進んだんですけど、あっけなく1回戦敗退でしたね」
B:予選のようにはいかなかったんですね。
「はい。予選で奇跡を使い果たしてしまったので(笑)。決勝トーナメントも接戦だったんですけどね。ただ、前半ですごいリードして(41-26)、あそこでみんな『勝った』と思っちゃったんです。そうしたら後半3Pバンバン入れられて…。一気に追い上げられて、『あ、ダメだ』って弱気になっちゃいましたね(苦笑)」
B:中学からバスケットを始めて全国大会でも活躍するというのは、そんな簡単なことではないと思いますが。
「まぁ中学のときはずっと晃大に頼りっぱなしだったので。晃大が毎回30点くらい取ってくれて、自分はただ走ってリバウンドを頑張って空いたら打つだけでした。テクニックとかは全くなかったですね」
B:坂田選手は、ジュニアオールスターには選ばれていないんですね。
「そうですね。自分は上手くなかったし、あの時は確か新人戦で2回戦負けだったんですよ。春と夏は獲ったんですけど、新人戦だけ誓哉(明治大#16安藤)のいる小岩四中に負けちゃって。だから選ばれるような実力も結果もなかったです」
「自由にのびのびやっていた」高校時代
B:そこからどうして日大豊山高校に進もうと?
「自分が中学生のときは、豊山中学が強くて東京で2位だったんです。それでそのメンバーがそのまま高校に進むということだったので、じゃあ行こうかなと。山本(山本直毅)って、中学のときからひとりめっちゃ上手いやつがいて、そいつと一緒にやりたいなというのもありました」
B:日大豊山高校は入ってみてどうでしたか?
「だいぶ自由でしたね。1年生の頃から試合にも出させてもらえたし、先生も優しくて、自由にのびのびやっていました」
B:部員は何人くらいいるんですか?
「一学年20人くらいいるので、60人くらいですかね。多かったです。応援席とかかなり人数も多くてにぎやかで、すごかったですね」
B:今でも応援団は大きいメガホンで応援しているし、大人数ですよね。練習はどうだったんですか?
「練習は週に2、3回しかないんです。中高一貫校なので、中学生も練習で体育館を使うから空いてないんですよね。土日に試合があると月曜日がオフで火曜日も軽いウエイトだけ、水曜日は外を走ったり走らなかったりで、それで木・金と練習してって感じでした。よく考えたら木・金しかまともに練習してないですよね。中学、高校とあまり苦労せずに来ちゃいました(苦笑)」
B:まわりの選手から中学や高校時代の苦労話なども聞くのでは?
「聞きますね。みんなのえげつない話とかを聞くと、かわいそうで…(苦笑)。ごめんなさいという感じです。でも中学、高校と結構楽してきちゃったので、大学がキツく感じましたね」
B:高校でもプレイスタイルは変わらず?
「そうですね。センターをやっていたので、相手のセンターよりは走ろうと。それで1年生の頃はひたすら走ってワンパスで点を取っていたんです。でも2年生以降は結構ディフェンスもきつくなってきてそれだけじゃダメだと思って、考えてやるようになりました」
B:高校時代の最高成績はどのくらいだったんですか?
「自分たちの代の春に、東京都でベスト4です。あのときは、京北とか八王子とか東海大菅生とか世田谷学園が強くて…」
B:そういうチームと対戦してみてどうでした?
「いや、もうあのへんは無理ですね(苦笑)。特に京北と八王子は。自分たちの代は京北とは戦ってないんですけど、八王子は『ダメだ、勝てない』って思い知らされました。自分はサンブ(日本経済大#30)とマッチアップだったんですけど、強かったですね。京北も、池田(筑波大#35)とか目とかスターがいてめっちゃ強かったです」
B:東京はベスト8はわりと顔ぶれも変わりますが、その先のベスト4となるとここしばらくは顔ぶれが決まっている状況ですよね。
「そうなんですよ。ベスト8までは頑張れば行けるなって。でもそこからは全然崩せない。別世界ですね。自分たちがベスト4入ったのも、結構まぐれみたいな感じでしたし。京北とか八王子と同じブロックとか入ったら終わりです。新人戦とか春とかに頑張って順位あげて、京北や八王子と別のブロックに入るしかないです」
B:日大豊山がベスト4に入ったときはどこに勝ったんですか?
「世田谷学園です。ずーっと新人、春、夏って世田谷とやっていて。新人戦のときは全然戦えなくて、春の大会でやっと勝てて、それで夏に山本が復帰したのでやっと全員で戦えるなって思ったら、コロッと負けちゃって。あれ?ベスト4入れないって感じでした(笑)」
B:世田谷学園といえば、少し上の代では渡邉裕規選手(現NBLリンク栃木ブレックス)などがいましたよね。
「はい。あの時はめっちゃやばかったですね。世田谷学園とは、中学生のころからかなり練習試合をさせてもらっていたんです。梅丘中と世田谷って結構つながり強くて。だから間近で見てましたね」
B:日大豊山高校はどんなチームだったんですか?
「豊山は…さっきも言ったように本当に自由です(笑)、バスケット的にも。したいようにやろう、みたいな。ディフェンスはあまり上手くなかったので、とにかく自由に攻めようって感じでした。とりあえず自分が一番でかかったので、リバウンドとって誰かにパスして走る、って感じでしたね。みんな誰でも打ちたいときに3Pも打ってたので、自分はひたすら球拾いで(笑)。自由に、のびのびやらせてもらいました」
B:高3の時は国体の東京代表に選ばれているんですよね。ミニ国体で千葉と対戦しているそうですが。
「そうですね。国体は楽しかったです。まわりが京北とか八王子とか、ほんとすごいメンバーだったので。あのチームなら、全然自分やらなくてもいいな、って感じで、試合しててもすごいなーと思ってました(笑)」
B:それでもミニ国体(国体予選)では、坂田選手が一番点を取ったそうですが。
「そうなんですよ!意外に。あのときは、サンブがいたのでサンブがリバウンド取ってくれて、自分が走るみたいな。いつもより球拾いしないで良かったので、思ったよりたくさん点が取れました(笑)。あのとき森山とマッチアップしたんですよね。千葉で開催してたので、めっちゃアウェイで。相手の応援席、千葉ばっかりですごかったですね。東京なんて京北の応援しかいないくらいでしたから」
B:でも接戦だったんですよね。
「出だしでボコボコにされて16点くらい離されて、そこから追い上げたんですけど、負けちゃいましたね。でも楽しかったです。メンバーもほとんど話したことない人ばかりだったんですけど、話してみたら面白いなーって。そこで東京のメンバーとは仲良くなりました」
B:そのあとにウインターカップ予選だったんですよね。
「はい。ウインター予選で、菅生高校に負けて、下の順位決定戦にまわっちゃった感じですね。山田(中央大#22)に引退させられました。山田とは、中学生の時からよく試合してたんですよね。でも今はあいつ、ガタイがやばいじゃないですか。全然押し込める気がしないです」
不安もあった大学バスケットの世界
B:そこから大学にはそのまま系列校で進学した形ですか?
「そうですね。先生の勧めもあって日大に進みました」
B:入学する前年に日大はリーグ・インカレ2冠を達成していますよね。それはどう感じていました?
「やばいなと。まず同じ1年生のメンバーを見るだけでも、これはまずいと思いました。ずっと試合出られないんじゃないかとか、来るとこ間違えたなって(苦笑)。『月バス』とか見て載っているような人たちばっかりじゃないですか。明成から来た菊地(日本大#25)とかウインターで優勝してるし」
B:入ってみていかがでした?
「みんな話したことない知らない人ばっかりだったんですけど、自分の同期は結構みんな話しかけてくれて。安田とは中学・高校で試合した縁があったので、あいつとは結構しゃべるようになりました。それから他の人たちとも仲良くなりましたね」
B:1年生の時から試合には出ていましたよね。
「そうですね。ちょこちょこ。なんですかね?たぶん、リバウンドと走りを評価されたんじゃないですか。まぁ、たまたまですよ。たまたま身長があって、走れただけですね」
B:練習はいかがでした?
「自分としては高校と比べたらきつかったんですけど、みんなに聞いたら高校より全然楽だとか言ってて。あれ?これ楽なの?とは思いましたね(笑)。慣れたら大丈夫になりましたけど。ラン系がちょっときついくらいで」
B:日本大は、練習はAチームとBチームで分かれてやるんですか?
「そうですね。完全に分かれてます」
B:体育館は他の部活も使っているんですよね。
「はい。でも平日も毎回3時間は取れるので。だいたいバスケ部優先みたいな感じですね」
B:大学バスケはウエイトトレーニングが大変だという選手も多いですが、そこは問題なく?
「そうですね、好きなので(笑)。でも1、2年のときはウエイトそんなに好きじゃなかったんですよ。3年生になって海斗さん(2012年度卒・現NBL日立)とちょくちょくウエイトやるようになってから、『あれ?ウエイト好きなのかな?』って気付きました。筋肉痛っていいなと思い始めて(笑)」
B:目覚めたんですね(笑)。石川選手と一緒にウエイトをしていたんですね。
「自分が3年生のときの最初はそうですね。わいわいやっていました。海斗さんとは仲良くさせてもらって、だいたいあの人が行くところに自分が金魚のフンのようにくっついていく感じでしたね。今でもご飯とか行きますし」
B:1、2年生の頃のことを振り返っていかがですか?リーグ戦とか。
「リーグ戦ってやったことなくて、自分ちょっと苦手意識があるんですよね。なぜか1年のときから、トーナメントとインカレだけ良くてリーグがダメで。2年生の時もそれが続いて、トーナメントとインカレだけは調子良かったんですよ」
B:それはなぜなんでしょうね。
「たぶん長期戦が苦手なんでしょうね。トーナメント系だとあんまり緊張しないんですけど、リーグ戦だと緊張しちゃうんですよね。普通、逆だと思うんですけど。よく分かんないです」
B:では下級生の頃のリーグ戦は緊張していたんですね。
「はい。いっぱいいっぱいでしたね。まわりの大学見ても、すごい人だらけじゃないですか」
B:坂田選手が1年生の頃は、篠山選手(2010年度卒・現NBL東芝)もいましたし、熊澤選手(2010年度卒・現NBDLアイシンAW)を筆頭にチームとしてかなりディフェンシブだった印象があります。
「そうですね。すごかったですね。熊澤さんがやばいから、全部あの人がなんとかしてくれる感じです(笑)」
B:練習も結構ディフェンスの足を作る練習だったんですか?
「いや…?木曜日だけそういうアジリティーの練習なんですけど、普段の練習はゲームが多かったですね」
B:2年生のリーグ戦は、日本大は延長戦が多かったですよね。早稲田大とのダブルオーバータイムも熱戦でした。
「負けましたけどね(苦笑)。負けるとすげー疲れるんですよ、やっぱり。まぁ自分はあんまり出てないんですけど、ベンチにいるだけでも疲れましたね」
B:その翌週、筑波戦でもダブルオーバータイムでしたよね。緊張をほぐすためにフリースローですごく笑顔だったのを覚えています。
「あの試合、確か自分が何度もフリースロー打つことになったんですけどめっちゃ落としたんですよ。それでやばいやばいと思ってて。で、最後にファウルもらったときに、鼻が曲がっちゃったんですよね。で、ちょっと鼻血も出て鼻すすってたんですけど、海斗さんから『大丈夫。お前が打て』と言われて。うわーこれやばい、絶対決めなきゃと思って、あの時はなんとか気持ちで決めましたね」
B:プレッシャーのかかる中で決めたんですね。
「そうですね。でも1、2年生のときは自分もあんまり試合出てないし、とにかく必死で。まわりについていくだけって感じでリーグ戦も終わっちゃいましたね。本当に大変だったのは去年ですね(苦笑)」
苦労もあったシーズン途中のキャプテン就任
B:3年生のときは、まずトーナメントはベスト16で終わってしまいましたね。
「そうですね。春は全然噛み合なくて…。初戦の日体戦は結構良かったんですけど、関東学院とやったときに噛み合なくなっちゃって全然ダメでした。そこでトーナメントが終わってから徐々にチームも立て直したんですけど、そんな中で海斗さんが怪我してしまって…」
B:石川選手が長期離脱となり、どういう心境でしたか?
「やばい、と。夏、結構海斗さんいる時にチームも調子が良くて、みんな噛み合ってきてたんですよ。でもその時に、国体のチームと練習試合をして、それで怪我して。正直終わった、と思いました」
B:石川選手も調子が良いところで怪我してしまったと言っていました。
「はい。でもあの人なら、リーグの途中で帰ってくるんじゃないかとか思ったんですよ。尋常じゃない回復力で。……さすがにダメでしたね」
B:そこからキャプテンが変わったんですよね?
「最初は、海斗さんに代わって浜田さん(12年度卒)がキャプテンになりました。でも浜田さんも怪我しちゃって、リーグの4週目くらいかな?そこから自分がやるようになりましたね。4年生にトビさん(飛田・12年度卒・現NBDL東京エクセレンス)がいたんですけど、海斗さんとかから『チームを背負ったら飛田のプレーができなくなる。お前がやれ』と言われて」
B:その時期は飛田選手もあまり試合に出ていなかったんでしたね。
「そうですね。ちょっと調子を崩していたのか、それもあって」
B:キャプテンに任命されたときはどう思いました?
「やるしかないなと。しかもトビさんがあまり試合出てなくて、コートの中で3年生が一番上みたいな感じだったので。頑張らなきゃなと思いました」
B:3年のリーグ戦は苦労も多かったと思います。
「負けが続いてかなり大変でした。ただ、途中から少し開き直れたというか、負けることが怖くなくなって立ち向かえたんですよね。だから後半は徐々にチームの調子も上がって、強いチームとも結構やりあえた部分がありました」
B:入れ替え戦を振り返っていかがでした?
「1試合目を戦って、1日空いたじゃないですか。あれがまずかったですね。最初に勝ってこの勢いのまま行けるかなと思ったんですけど、やっぱり向こうも立て直してきて。それで2戦目は、自分とトビさんが調子悪くて負けて、そのまま第3戦も…。あの独特の緊張感は嫌でしたね」
B:日本大自体、入れ替え戦が久しぶりでしたよね。そういうプレッシャーはあったんですか?
「すごいプレッシャーはありました。絶対勝たなきゃいけないって感じで。結果負けてしまいましたけど。仕方ないでは済まされませんけどね……」
B:そのあと、インカレは開き直れたんですか?
「はい。開き直って、全員で。とにかくトビさんをオールジャパンに出そうよ、という感じでした。海斗さんももしかしたら戻って来られるかも知れないし、という思いもあって、開き直って戦えましたね」
B:延長戦で拓殖大に勝ってベスト8に入ったのは大きかったですよね。
「そうですね。あそこにすべてを懸けて出しました。拓大にすべてを出し切っちゃって、そのあとはほんと太刀打ちできなかったですけど(苦笑)。拓大戦は、どっちが勝つか本当に分からない試合で、なんで勝ちきれたんでしょうね。まぁトビさんも調子良かったのは大きいですね」
B:飛田選手もリーグ後半やインカレのあの試合から徐々に復調しましたよね。
「そうですね。なんかトビさん、目が悪いのにコンタクトつけてなかったんですよ(笑)。コンタクトつけなくても練習中は入っていたんですけど、リングがふたつに見える、とか言ってて。でもリーグ後半、調子が戻ってきたときが、ちょうどコンタクトをつけ始めた時期なんですよね。つけるようになってから試合でもすごくシュート入るようになりましたね」
B:そうだったんですか(笑)。チームとしては試合に出る下級生も多かったですが、キャプテンとしてまとめるのに苦労した部分はありますか?
「下級生ばかりだったので、試合中に波とかもあったかなと思います。去年は特にすごく大変でしたね。自分も3年生だし、5人中3人が1年生とかそういう感じだったので。みんな攻めるのが好きで、ガンガン行っちゃうし(苦笑)」
B:インサイドは刘選手(#24)が務めることが多かったですが、一緒にやっていて熊吉選手(11年度卒・現曙ブレーキ)とプレーの違いは感じますか?
「リバウンドは刘の方が強いし、フックとかそういうプレーも器用だと思います。でもやっぱり中の強さは熊さんの方が上ですね。パワープレイの部分。刘は最後に体でぶつかるよりはフックとかに持っていっちゃうので、そういう面かな。熊さんはポストでもぶつかっていく。でも細かいところでパスしようとするのは、ふたりとも似てるなと思います」
学年関係なく何でも言いあうチームへ
B:去年を踏まえて、キャプテン2年目の今年はいかがでした?安田選手も4年生がまとめてやっていかなきゃいけないと言っていましたが。
「そうですね。4年生もみんなでまとめようって感じで頑張っていると思うし、下級生も去年より言うことを聞いてくれるようになったし、話せば分かるって感じにはなったと思います」
B:下級生ともよくコミュニケーションをとって意見を聞いていますよね。
「そうですね。今年はより、下からでもどんどん言って良いよと言うようにしています。みんなの前で言いにくかったら、俺かヒロ(菊地)に言ってもらって、それを僕らがみんなに伝えるとか。耕陽とかは遠慮なくガツガツ言ってくれますね。あいつには、どんどん自分の意見を言えって言っているので。それがあいつのためにもなると思うし」
B:今年は高橋選手が点を取る役割に加わったことも大きいですし、菊地選手も3番にコンバートしましたよね。かなりチームが大型化したなと。
「そうですね。ヒロも、もはやシューターですよね(笑)。1、2年のときは自分とヒロが4番5番をやっていましたが、刘が入ってきてチームが大型化して、自分とヒロが4番3番みたいな。それで自分よりヒロのほうが外のシュートが入るので、こういう役割分担になりましたね。空いたら打つみたいな」
B:セットプレーは少ないんですか?
「あるんですけど、なかなか使えてないですね。ガードもひたすらインサイド、インサイドになっちゃって」
B:石川海斗選手が絶対的なガードとして存在感が大きかった分、その穴を埋めるのが大変ですね。ガード陣はまだ下級生ですし。
「それなんですよね。それにいろんなタイプのガードが代わる代わる使われるので人によって合わせやすい、合わせにくいがあって。今スタメンは4人が固定ですけど、その4人の中でもどれぞれのガードと合う合わないが違ってて」
B:難しいですね。そういえば坂田選手は、以前に『自分は合わせで活きるプレイヤーで、自分だけで切り開くのは苦手』というようなことを言っていましたよね。それでも今シーズンはだいぶ自分ひとりで切り開いていくシーンが目にがついたかなと思いますが。
「いや、まだまだですよ。ただ、2部だと4番ポジションの人が小さいので、そこのミスマッチを突いて攻めよう、みたいな感じはありますね。うちは高さがあるし、そこを生かすためにもポストプレーはずっとチームの中でもやってきたので。それがちょっと出たのかなとは思います。でも、まだまだです」
B:それでも苦しい状況で坂田選手の活躍が頼もしいなと感じる場面が今年は多かったです。
「うーん……。なんか分からないですけど、自分が調子悪いときにチームも負けちゃうんですよ。自分が普通にやっているときは勝てるんですけど、自分が調子悪いときに負ける。だから責任は感じますね」
B:リーグ戦は途中で怪我をして、その中でも出続けて大変でしたね。
「そうですね。どうしても足をかばっちゃう部分はありました。痛くて片足でジャンプできなかったりするので、リバウンド1本とるのも結構いつもより大変で」
足りなかったあと1歩。「これが実力」
B:それでもやらなきゃいけない立場ですからね。わりと重めの捻挫に見えたので、翌週から普通に試合に出ていたのには少し驚きました。
「そうですね。なんか、自然治癒したんです(笑)。ヒロはずっと足が腫れたままだったんですけど、自分は1週間経ったら腫れも引いて。野生の回復力ですかね。まぁ、腫れがひいただけで痛いんですけどね」
B:最後は、惜しくもリーグ最終戦で入れ替え戦への切符を逃す形になってしまいました。
「そうですね…。でも、これが実力なのかなという感じもあります。1巡目がたまたま良くて、2巡目が日大の本来の実力だったのかなって」
B:1巡目は接戦になってもだいたい勝ちきってきましたよね。それが2巡目ではなかなか上手くいかなかったと。
「そうですね。自分も2巡目からすごい調子悪くなってきちゃって。自分が点数を取らなきゃいけないのに、2巡目から全然取れなくて迷惑かけちゃったなって。みんなが調子良くても自分が悪くて負けたこともあったので、それはみんなに申し訳なかったなと思います」
B:最後の2試合は、4年生としての意地も伝わってくるプレーでしたが。
「そうですね。もう最後だし、思いきり悔いのないようにやろうと思って。それで最後の2試合は結構調子も良かったんですけど、そうしたら逆にみんなの調子が上がらなくて。うまくいかなかったですね」
B:最終戦は、なかなか法政大のゾーンを崩せない様子でしたね。
「そうですね。日大自体、ゾーンアタックが苦手なので。その前の東洋戦は結構崩せたんですけど、法政のゾーンがマッチアップゾーン気味ですごく攻めにくかったです。マッチアップゾーンだから本当はマンツーマンのように攻めればいいはずなのに、変に意識し過ぎて足が止まっちゃって。それがダメでしたね。試合の最初とかも、自分たちのミスから相手に持っていかれていたので。追いついて逆転したときも、自分たちでミスしてまた再逆転されて、という感じでしたし、流れの良い時にすぐミスしちゃうのが自分たちのまだまだなところでしたね」
B:キャプテンを務めたこの2年間はあらためていかがでした?
「いやー…大変でしたね。すごく。下級生は我が強い子が多くて、それをまとめるのも大変だったし。でも今年は4年生がすごく協力してくれたので、自分の中で楽になった部分もたくさんあって。特に、タカちゃん(#4小川貴之)がチームを引っ張ってくれて、自分はただバスケやるだけというか、プレーで引っ張るだけだったので。私生活とかの部分はタカちゃんたちに任せることができたので、去年に比べてすごく楽になった部分はありますね」
B:日大での4年間は、どんな4年間でしたか?
「正直最初は、こんなに4年間試合に出られるとは思わなかったし、まさか2年間キャプテンをやるなんて思いませんでした。そう考えれば、4年間すごく充実してましたね。自分なんか無名の選手ですけど、日大って無名の選手が結構這い上がってくるチームじゃないですか。自分は下級生にも上級生にも助けられてやってきましたが、少しでもそういう姿をチームに残せてたらなって。本当はもっとプレーで引っ張るというか、背中で語るじゃないですけど、もっとプレーで残せたらいいなと思っていたんですけど、それはあまりできなかったので。ただ最後の2試合とかで、同じポジションのやつとかに何か感じとってもらえたら嬉しいなと思います」
B:後輩たちはタレントも揃っているし経験も積んでいて、あとは精神面でしょうか。
「マジでメンタルですね(笑)。勝ち続けていると気が緩んじゃうところがあるので、もうちょっと危機感を持ってやってくれればなと。メンツはいいので、あとはチームプレイをもっと極めることですね。個人プレーに走るんじゃなく。そういう部分を練習して、私生活とかも大人になれば、もっと上にいけるんじゃないかなと思います」
写真上:ルーキーながらチームの得点源だった高橋とはよくコミュニケーションするシーンが目立った。
写真下:リーグ戦ではアウトサイドシューターとしても活躍した菊地。
「オフの日は引きこもる」意外な一面
B:話は変わりますが、ダンクシュートが初めてできたのはいつ頃ですか?
「高1ですかね。自分、ダンクってランニングジャンプでするものだと思っていたんですよ。で、中学生のときからずっとランニングジャンプでやっていたんですけど、全然できなくて。俺ダメだと思っていたんですけど、ある日普通にスタンディングジャンプでやってみたらできたんですよ。あれ?って(笑)。スタンディングで、しかも両手でやるダンクしか自信ないです。器用じゃないので」
B:今はどっちもできるんですか?
「いや、ランニングジャンプは微妙です(苦笑)」
B:では、自分の性格は?
「自分の性格ですか…根暗です」
B:そうなんですか(笑)。
「まぁ、人といればすごいしゃべるんですけど、でもオフの日とかは引きこもってますね。寝るのが好きなので、だいたい寝てオフが終わってます。時間があれば、ウエイトしに来て。だから、明るくはないですね。明るいのかな…?ただ、すごく仲の良い人がいるときはめっちゃはしゃぎますけどね。森山とかがいる会だと、すごくやばいです(笑)」
B:他チームで、森山選手以外に仲良いのは誰ですか?
「誓哉(明治大#16安藤)とかですね。やっぱり明治が近いし仲良いです。目とか。誓哉は、練習前とかに『今どこいんの?今から明治のカフェいかない?』とか連絡きて。それで明治じゃないのに明治の大学内にあるカフェに行ってふたりで話したりします」
B:それはかなり仲が良いですね(笑)。安藤選手も東京出身ですもんね。
「はい。だから中学の頃から知っていて。自分が中3の頃にちょっと話したことはあったんです。高校はあいつ明成(宮城)に行ったので関わりもなくなって、大学生になっても最初は全然しゃべらなくて。だから少し前に、一緒にバスケやってからですね。森山とかと一緒に。その時のメンバーとは、それから毎週のように会うくらい仲良くなりましたね」
B:では、次にインタビューをまわす人を指名してください。
「それ、めっちゃ考えたんですよ。どうしようかな〜と思って。でも決めてきました。中央の山田にします」
B:東京つながりですね。
「そうですね。自分、中学であいつを引退させて、高校で逆に引退させられているので、そういう因縁もありますね。豊山と菅生、自分たちの代はすごく仲良かったですし」
B:山田選手はどんな人ですか?
「とにかく良いやつですね。お父さん的な感じで。見た目も中身も(笑)」
B:なんの話をしたら面白いですか?
「何の話だろう…。まあなんでも面白いんじゃないですか。…あいつ、面白いのかな?」
B:そこも未知数ですか?(笑)
「いや、仲良くてめっちゃ話すんですけど、いつも一緒にふざけるというよりは、結構淡々と話し続ける感じなんですよ。真面目に話を聞いてくれるというか。まぁでもたぶん大丈夫だと思います。しゃべりやすいやつなので」
B:では次回は中央大・山田典政選手にお伺いします。坂田選手、どうもありがとうございました。
写真下:右上に「一戦一戦全力で」とコメント付きでサイン。
◆#1坂田 央(さかた あたる)
梅丘中→日大豊山高→日本大
4年・F・主将
193cm/85kg
・2006 全中出場
・2009 国体東京都代表(高3)
(2013.10.17のインタビューにリーグ戦でのコメントを追加して構成しています)
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています。
vol.21~日本大学・坂田 央選手~

東京出身でバスケットの強豪・梅丘中でバスケットを始め、のびのびと、それでも着実に力をつけていった坂田選手。日大豊山高校から日本大に進学し、サイズに加えて走力を武器にして1年生の頃から出場時間を勝ち取ってきました。3年生の途中からはキャプテンにも就任し、チームの精神的支柱としてもなくてはならない存在に。4年目は2部でプレーすることとなりましたが、リーグ途中で怪我をしてからもそれを押してコートに立ち続ける姿からは、下級生を引っ張る4年生としての責任感が感じられました。
大学に入学した頃には、まさか自分がこれほど試合に出て活躍し、キャプテンまで務めるとは想像もしていなかったそうです。全国区とはいえなかった選手が強豪大学でどのように自分の道を確立していったのか、インタビューにそのヒントが隠されているかも知れません。第21回BOJライン、どうぞお楽しみください。
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野球少年で、「バスケットする気は全くなかった」
「めっちゃ仲良いですね。仲良くなったのは今年に入ってからなんですけど」
B:きっかけが何かあったんですか?
「もともと顔見知りではあったんですけど、ある日友達に呼ばれて遊びみたいな感じでバスケしに行ったんですよ。森山とか目(明治大#2)とか安藤(明治大#16)とかと。そのあとにみんなでご飯を食べに行って、そこで仲良くなりましたね」
B:坂田選手は明治大の近くに住んでいるそうですね。
「そうなんです。だから明治の人たちとは仲良くて、なにかとすぐ呼ばれます」
B:森山選手は、坂田選手の目から見てどんな人ですか?
「いやもう…あんな感じです(笑)。あのまんま。おしゃべりですよね。自分と森山がそろったら、かなりはっちゃけます」
B:森山選手に坂田選手のことを聞いたら、坂田選手のフィジカルの強さを力説していました。
「いやいや、全然ですよ(笑)。でもまぁ、ウエイトは好きですね。というか、日大って結構ウエイト好きなやつが多いんです。みんな体鍛えるのが趣味みたいな」
B:リーグ戦の間も高橋耕陽選手(日本大#14)と一緒にトレーニングしていたとか。
「そうです。耕陽とペアでやっていますね。自分が後輩に何か残すとしたら、そういうところしかないなと(苦笑)。うちは月曜がコンディショニングで火曜がオフなので、普段はどっちかで結構ガッツリやって、どっちかは一日ちゃんと休息して。それで他の日には軽めに体幹だけやるとかそういう感じでしたね」
B:ウエイトトレーニングで一番自信があるのは?
「重りを上げるのは結構得意ですね」
B:どのくらい上げるんですか?
「ベンチプレスだと、マックスが120キロです(※その後130キロにレベルアップ)。でも日大って自分よりすごいやつも結構いて。130とかあげるやつもいますね」
B:それはすごいですね。チームの中では誰がすごいんですか?
「安野(#11)とかですね。あのへんは本当にウエイトが趣味みたいな感じです。本当にすごいんですよ」

「中学1年の夏くらいです」
B:わりと遅めですね。
「そうですね。もともと小学校の時は3年生までサッカーをやっていて、4年生から野球を始めてずっと野球をやっていたんです。一応バスケも誘われていたんですけど、『嫌だ!おれは野球をやりたい!』って言って、バスケする気は全くなかったです(笑)」
B:そうだったんですか。小4でどうしてサッカーから野球に転向したんですか?
「自分は兄が2人いるんですけど、2人ともサッカーをやっていたんです。それで親も兄弟みんな一緒の方が楽だから『サッカーにしなさい』みたいな感じで。でも自分はずっと野球に憧れていたんです。それで親にお願いしたら『お兄ちゃんが卒業したら野球やっていいよ』と言われたので、3つ上の兄が小学校を卒業したと同時にすぐ野球を始めた感じですね」
B:そこからどうしてバスケットに?
「中学に進んでもクラブチームに入って野球を頑張ろうと思っていたんですけど、学校の先生からバスケ部に誘われて、野球のクラブチームと掛け持ちすることになったんです。それで夏くらいに先生から『どちらか選びなさい』と言われて、中学はバスケ部が強かったのでバスケにしました」
B:梅丘中学校は全中などにも出場している強豪ですよね。でも、もともとバスケをやる気はなかったと。
「はい。自分、住んでいるところが梅丘中の学区域なんですよ。普通に進む中学が梅丘中で、だから本当にたまたまですね」
B:バスケ部に誘われたということは、背も高かったのでしょうか?
「そうですね。入学当初は170cmくらいだったんですけど、そこから学年が上がるごとにどんどん伸びて、中3のときには185くらいでしたね」
B:家系的にみんな背が大きいんですか?
「いや、親もそこまで大きくないし、2番目の兄もそんなに大きくないです。でも長男は186くらいありますね。あと2歳下に妹もいるんですけど、妹も大きくて176くらいあります。今は辞めちゃいましたけど、妹も梅丘中でバスケをやっていました」
バスケットに夢中になったきっかけは、走る喜び

「楽しかったですね。自分、走るのが好きだったので、走るスポーツがやりたかったんですよ。野球って休んでいることが多いし、しかもポジションがキャッチャーだったので全然走らなかったんです。サッカーをやっていた時も、なぜかキーパーをやることが多くて」
B:それは全然走らないですね(笑)。
「はい。だからバスケットの走るところにはすごく惹かれましたね」
B:そういえば森山選手も、坂田選手は足がすごく速いと言っていました。
「いやまぁ、人並みですけどね(笑)」
B:小学生や中学生の時から速かったんですか?
「一応、クラスの中とかでは結構速かったと思います。今も一応、チームの中では一番速い自信があります。チームの中では(笑)」
B:運動神経が良かったんでしょうか。
「いや、そんなことはないです。足は速くても、あまり器用じゃないので。ぶきっちょなんですよね。だからバスケを始めたときは、楽しかったんですけどかなり難しかったです。動きとかも大変じゃないですか」
B:梅丘中は強豪チームですし、練習も大変だったのでは?
「いやそれが、そんなに大変じゃないんですよ。毎日朝練があるくらいで、練習はいつも1対1の練習ばっかりだったし、チームのスタイル的にも自由に1対1で崩す感じで。自分と晃大(早稲田大#15木村)と、大きいのが2人いたので、ひたすら2人でハイ&ローして終わり、みたいな感じでしたね(笑)。まわりは小さかったんですけどインサイドは大きかったので、まぁなんとかやっていけました」
B:梅丘中は公立の学校ですよね。選手は集めているんですか?
「いや、先生が変わってから、なんか自然と集まってくるんですよ。別に先生が呼んでいるわけではないんですけど、評判を聞いて。その先生が来てから強くなった感じですね。晃大とかも評判を聞いて越境してきていたし」
B:東海大の島選手(2003年度卒・現NBDL黒田電気)や、仲西淳(現bj福岡)選手、大濠高校の杉浦佑成選手も梅丘中ですね。
「そうですね。仲西さんは一回練習に来てくれたのを覚えています」
奇跡がたびたび起こった全中

「そうなんですよ…奇跡的に(笑)」
B:奇跡的だったんですか(笑)。
「はい。普通に都大会で負けるんじゃないかと。本当になんとか都大会も勝って、関東大会もくじ運が良くて勝ち進んでいった形でしたね。関東大会の全国決めでは、千葉の塩浜中と当たって、安田(日本大#37)と戦っているんです。あいつとは高校のときもミニ国体で戦っているし、いろいろ縁があるんですよね」
B:全中はいかがでしたか?
「あれも予選リーグは奇跡でしたね(笑)。その大会で準優勝した東海大四中に勝って、なぜか予選はグループ1位で通過したんです。先生からも試合後に『なんで勝ったかわからない』と言われました(笑)。それで決勝トーナメントに進んだんですけど、あっけなく1回戦敗退でしたね」
B:予選のようにはいかなかったんですね。
「はい。予選で奇跡を使い果たしてしまったので(笑)。決勝トーナメントも接戦だったんですけどね。ただ、前半ですごいリードして(41-26)、あそこでみんな『勝った』と思っちゃったんです。そうしたら後半3Pバンバン入れられて…。一気に追い上げられて、『あ、ダメだ』って弱気になっちゃいましたね(苦笑)」
B:中学からバスケットを始めて全国大会でも活躍するというのは、そんな簡単なことではないと思いますが。
「まぁ中学のときはずっと晃大に頼りっぱなしだったので。晃大が毎回30点くらい取ってくれて、自分はただ走ってリバウンドを頑張って空いたら打つだけでした。テクニックとかは全くなかったですね」
B:坂田選手は、ジュニアオールスターには選ばれていないんですね。
「そうですね。自分は上手くなかったし、あの時は確か新人戦で2回戦負けだったんですよ。春と夏は獲ったんですけど、新人戦だけ誓哉(明治大#16安藤)のいる小岩四中に負けちゃって。だから選ばれるような実力も結果もなかったです」
「自由にのびのびやっていた」高校時代

「自分が中学生のときは、豊山中学が強くて東京で2位だったんです。それでそのメンバーがそのまま高校に進むということだったので、じゃあ行こうかなと。山本(山本直毅)って、中学のときからひとりめっちゃ上手いやつがいて、そいつと一緒にやりたいなというのもありました」
B:日大豊山高校は入ってみてどうでしたか?
「だいぶ自由でしたね。1年生の頃から試合にも出させてもらえたし、先生も優しくて、自由にのびのびやっていました」
B:部員は何人くらいいるんですか?
「一学年20人くらいいるので、60人くらいですかね。多かったです。応援席とかかなり人数も多くてにぎやかで、すごかったですね」
B:今でも応援団は大きいメガホンで応援しているし、大人数ですよね。練習はどうだったんですか?
「練習は週に2、3回しかないんです。中高一貫校なので、中学生も練習で体育館を使うから空いてないんですよね。土日に試合があると月曜日がオフで火曜日も軽いウエイトだけ、水曜日は外を走ったり走らなかったりで、それで木・金と練習してって感じでした。よく考えたら木・金しかまともに練習してないですよね。中学、高校とあまり苦労せずに来ちゃいました(苦笑)」
B:まわりの選手から中学や高校時代の苦労話なども聞くのでは?
「聞きますね。みんなのえげつない話とかを聞くと、かわいそうで…(苦笑)。ごめんなさいという感じです。でも中学、高校と結構楽してきちゃったので、大学がキツく感じましたね」
B:高校でもプレイスタイルは変わらず?
「そうですね。センターをやっていたので、相手のセンターよりは走ろうと。それで1年生の頃はひたすら走ってワンパスで点を取っていたんです。でも2年生以降は結構ディフェンスもきつくなってきてそれだけじゃダメだと思って、考えてやるようになりました」
B:高校時代の最高成績はどのくらいだったんですか?
「自分たちの代の春に、東京都でベスト4です。あのときは、京北とか八王子とか東海大菅生とか世田谷学園が強くて…」
B:そういうチームと対戦してみてどうでした?
「いや、もうあのへんは無理ですね(苦笑)。特に京北と八王子は。自分たちの代は京北とは戦ってないんですけど、八王子は『ダメだ、勝てない』って思い知らされました。自分はサンブ(日本経済大#30)とマッチアップだったんですけど、強かったですね。京北も、池田(筑波大#35)とか目とかスターがいてめっちゃ強かったです」
B:東京はベスト8はわりと顔ぶれも変わりますが、その先のベスト4となるとここしばらくは顔ぶれが決まっている状況ですよね。
「そうなんですよ。ベスト8までは頑張れば行けるなって。でもそこからは全然崩せない。別世界ですね。自分たちがベスト4入ったのも、結構まぐれみたいな感じでしたし。京北とか八王子と同じブロックとか入ったら終わりです。新人戦とか春とかに頑張って順位あげて、京北や八王子と別のブロックに入るしかないです」
B:日大豊山がベスト4に入ったときはどこに勝ったんですか?
「世田谷学園です。ずーっと新人、春、夏って世田谷とやっていて。新人戦のときは全然戦えなくて、春の大会でやっと勝てて、それで夏に山本が復帰したのでやっと全員で戦えるなって思ったら、コロッと負けちゃって。あれ?ベスト4入れないって感じでした(笑)」
B:世田谷学園といえば、少し上の代では渡邉裕規選手(現NBLリンク栃木ブレックス)などがいましたよね。
「はい。あの時はめっちゃやばかったですね。世田谷学園とは、中学生のころからかなり練習試合をさせてもらっていたんです。梅丘中と世田谷って結構つながり強くて。だから間近で見てましたね」
B:日大豊山高校はどんなチームだったんですか?
「豊山は…さっきも言ったように本当に自由です(笑)、バスケット的にも。したいようにやろう、みたいな。ディフェンスはあまり上手くなかったので、とにかく自由に攻めようって感じでした。とりあえず自分が一番でかかったので、リバウンドとって誰かにパスして走る、って感じでしたね。みんな誰でも打ちたいときに3Pも打ってたので、自分はひたすら球拾いで(笑)。自由に、のびのびやらせてもらいました」
B:高3の時は国体の東京代表に選ばれているんですよね。ミニ国体で千葉と対戦しているそうですが。
「そうですね。国体は楽しかったです。まわりが京北とか八王子とか、ほんとすごいメンバーだったので。あのチームなら、全然自分やらなくてもいいな、って感じで、試合しててもすごいなーと思ってました(笑)」
B:それでもミニ国体(国体予選)では、坂田選手が一番点を取ったそうですが。
「そうなんですよ!意外に。あのときは、サンブがいたのでサンブがリバウンド取ってくれて、自分が走るみたいな。いつもより球拾いしないで良かったので、思ったよりたくさん点が取れました(笑)。あのとき森山とマッチアップしたんですよね。千葉で開催してたので、めっちゃアウェイで。相手の応援席、千葉ばっかりですごかったですね。東京なんて京北の応援しかいないくらいでしたから」
B:でも接戦だったんですよね。
「出だしでボコボコにされて16点くらい離されて、そこから追い上げたんですけど、負けちゃいましたね。でも楽しかったです。メンバーもほとんど話したことない人ばかりだったんですけど、話してみたら面白いなーって。そこで東京のメンバーとは仲良くなりました」
B:そのあとにウインターカップ予選だったんですよね。
「はい。ウインター予選で、菅生高校に負けて、下の順位決定戦にまわっちゃった感じですね。山田(中央大#22)に引退させられました。山田とは、中学生の時からよく試合してたんですよね。でも今はあいつ、ガタイがやばいじゃないですか。全然押し込める気がしないです」
不安もあった大学バスケットの世界

「そうですね。先生の勧めもあって日大に進みました」
B:入学する前年に日大はリーグ・インカレ2冠を達成していますよね。それはどう感じていました?
「やばいなと。まず同じ1年生のメンバーを見るだけでも、これはまずいと思いました。ずっと試合出られないんじゃないかとか、来るとこ間違えたなって(苦笑)。『月バス』とか見て載っているような人たちばっかりじゃないですか。明成から来た菊地(日本大#25)とかウインターで優勝してるし」
B:入ってみていかがでした?
「みんな話したことない知らない人ばっかりだったんですけど、自分の同期は結構みんな話しかけてくれて。安田とは中学・高校で試合した縁があったので、あいつとは結構しゃべるようになりました。それから他の人たちとも仲良くなりましたね」
B:1年生の時から試合には出ていましたよね。
「そうですね。ちょこちょこ。なんですかね?たぶん、リバウンドと走りを評価されたんじゃないですか。まぁ、たまたまですよ。たまたま身長があって、走れただけですね」
B:練習はいかがでした?
「自分としては高校と比べたらきつかったんですけど、みんなに聞いたら高校より全然楽だとか言ってて。あれ?これ楽なの?とは思いましたね(笑)。慣れたら大丈夫になりましたけど。ラン系がちょっときついくらいで」
B:日本大は、練習はAチームとBチームで分かれてやるんですか?
「そうですね。完全に分かれてます」
B:体育館は他の部活も使っているんですよね。
「はい。でも平日も毎回3時間は取れるので。だいたいバスケ部優先みたいな感じですね」
B:大学バスケはウエイトトレーニングが大変だという選手も多いですが、そこは問題なく?
「そうですね、好きなので(笑)。でも1、2年のときはウエイトそんなに好きじゃなかったんですよ。3年生になって海斗さん(2012年度卒・現NBL日立)とちょくちょくウエイトやるようになってから、『あれ?ウエイト好きなのかな?』って気付きました。筋肉痛っていいなと思い始めて(笑)」
B:目覚めたんですね(笑)。石川選手と一緒にウエイトをしていたんですね。
「自分が3年生のときの最初はそうですね。わいわいやっていました。海斗さんとは仲良くさせてもらって、だいたいあの人が行くところに自分が金魚のフンのようにくっついていく感じでしたね。今でもご飯とか行きますし」
B:1、2年生の頃のことを振り返っていかがですか?リーグ戦とか。
「リーグ戦ってやったことなくて、自分ちょっと苦手意識があるんですよね。なぜか1年のときから、トーナメントとインカレだけ良くてリーグがダメで。2年生の時もそれが続いて、トーナメントとインカレだけは調子良かったんですよ」
B:それはなぜなんでしょうね。
「たぶん長期戦が苦手なんでしょうね。トーナメント系だとあんまり緊張しないんですけど、リーグ戦だと緊張しちゃうんですよね。普通、逆だと思うんですけど。よく分かんないです」
B:では下級生の頃のリーグ戦は緊張していたんですね。
「はい。いっぱいいっぱいでしたね。まわりの大学見ても、すごい人だらけじゃないですか」
B:坂田選手が1年生の頃は、篠山選手(2010年度卒・現NBL東芝)もいましたし、熊澤選手(2010年度卒・現NBDLアイシンAW)を筆頭にチームとしてかなりディフェンシブだった印象があります。
「そうですね。すごかったですね。熊澤さんがやばいから、全部あの人がなんとかしてくれる感じです(笑)」
B:練習も結構ディフェンスの足を作る練習だったんですか?
「いや…?木曜日だけそういうアジリティーの練習なんですけど、普段の練習はゲームが多かったですね」
B:2年生のリーグ戦は、日本大は延長戦が多かったですよね。早稲田大とのダブルオーバータイムも熱戦でした。
「負けましたけどね(苦笑)。負けるとすげー疲れるんですよ、やっぱり。まぁ自分はあんまり出てないんですけど、ベンチにいるだけでも疲れましたね」

「あの試合、確か自分が何度もフリースロー打つことになったんですけどめっちゃ落としたんですよ。それでやばいやばいと思ってて。で、最後にファウルもらったときに、鼻が曲がっちゃったんですよね。で、ちょっと鼻血も出て鼻すすってたんですけど、海斗さんから『大丈夫。お前が打て』と言われて。うわーこれやばい、絶対決めなきゃと思って、あの時はなんとか気持ちで決めましたね」
B:プレッシャーのかかる中で決めたんですね。
「そうですね。でも1、2年生のときは自分もあんまり試合出てないし、とにかく必死で。まわりについていくだけって感じでリーグ戦も終わっちゃいましたね。本当に大変だったのは去年ですね(苦笑)」
苦労もあったシーズン途中のキャプテン就任

「そうですね。春は全然噛み合なくて…。初戦の日体戦は結構良かったんですけど、関東学院とやったときに噛み合なくなっちゃって全然ダメでした。そこでトーナメントが終わってから徐々にチームも立て直したんですけど、そんな中で海斗さんが怪我してしまって…」
B:石川選手が長期離脱となり、どういう心境でしたか?
「やばい、と。夏、結構海斗さんいる時にチームも調子が良くて、みんな噛み合ってきてたんですよ。でもその時に、国体のチームと練習試合をして、それで怪我して。正直終わった、と思いました」
B:石川選手も調子が良いところで怪我してしまったと言っていました。
「はい。でもあの人なら、リーグの途中で帰ってくるんじゃないかとか思ったんですよ。尋常じゃない回復力で。……さすがにダメでしたね」
B:そこからキャプテンが変わったんですよね?
「最初は、海斗さんに代わって浜田さん(12年度卒)がキャプテンになりました。でも浜田さんも怪我しちゃって、リーグの4週目くらいかな?そこから自分がやるようになりましたね。4年生にトビさん(飛田・12年度卒・現NBDL東京エクセレンス)がいたんですけど、海斗さんとかから『チームを背負ったら飛田のプレーができなくなる。お前がやれ』と言われて」
B:その時期は飛田選手もあまり試合に出ていなかったんでしたね。
「そうですね。ちょっと調子を崩していたのか、それもあって」
B:キャプテンに任命されたときはどう思いました?
「やるしかないなと。しかもトビさんがあまり試合出てなくて、コートの中で3年生が一番上みたいな感じだったので。頑張らなきゃなと思いました」
B:3年のリーグ戦は苦労も多かったと思います。
「負けが続いてかなり大変でした。ただ、途中から少し開き直れたというか、負けることが怖くなくなって立ち向かえたんですよね。だから後半は徐々にチームの調子も上がって、強いチームとも結構やりあえた部分がありました」
B:入れ替え戦を振り返っていかがでした?
「1試合目を戦って、1日空いたじゃないですか。あれがまずかったですね。最初に勝ってこの勢いのまま行けるかなと思ったんですけど、やっぱり向こうも立て直してきて。それで2戦目は、自分とトビさんが調子悪くて負けて、そのまま第3戦も…。あの独特の緊張感は嫌でしたね」
B:日本大自体、入れ替え戦が久しぶりでしたよね。そういうプレッシャーはあったんですか?
「すごいプレッシャーはありました。絶対勝たなきゃいけないって感じで。結果負けてしまいましたけど。仕方ないでは済まされませんけどね……」
B:そのあと、インカレは開き直れたんですか?
「はい。開き直って、全員で。とにかくトビさんをオールジャパンに出そうよ、という感じでした。海斗さんももしかしたら戻って来られるかも知れないし、という思いもあって、開き直って戦えましたね」
B:延長戦で拓殖大に勝ってベスト8に入ったのは大きかったですよね。
「そうですね。あそこにすべてを懸けて出しました。拓大にすべてを出し切っちゃって、そのあとはほんと太刀打ちできなかったですけど(苦笑)。拓大戦は、どっちが勝つか本当に分からない試合で、なんで勝ちきれたんでしょうね。まぁトビさんも調子良かったのは大きいですね」
B:飛田選手もリーグ後半やインカレのあの試合から徐々に復調しましたよね。
「そうですね。なんかトビさん、目が悪いのにコンタクトつけてなかったんですよ(笑)。コンタクトつけなくても練習中は入っていたんですけど、リングがふたつに見える、とか言ってて。でもリーグ後半、調子が戻ってきたときが、ちょうどコンタクトをつけ始めた時期なんですよね。つけるようになってから試合でもすごくシュート入るようになりましたね」

「下級生ばかりだったので、試合中に波とかもあったかなと思います。去年は特にすごく大変でしたね。自分も3年生だし、5人中3人が1年生とかそういう感じだったので。みんな攻めるのが好きで、ガンガン行っちゃうし(苦笑)」
B:インサイドは刘選手(#24)が務めることが多かったですが、一緒にやっていて熊吉選手(11年度卒・現曙ブレーキ)とプレーの違いは感じますか?
「リバウンドは刘の方が強いし、フックとかそういうプレーも器用だと思います。でもやっぱり中の強さは熊さんの方が上ですね。パワープレイの部分。刘は最後に体でぶつかるよりはフックとかに持っていっちゃうので、そういう面かな。熊さんはポストでもぶつかっていく。でも細かいところでパスしようとするのは、ふたりとも似てるなと思います」
学年関係なく何でも言いあうチームへ

「そうですね。4年生もみんなでまとめようって感じで頑張っていると思うし、下級生も去年より言うことを聞いてくれるようになったし、話せば分かるって感じにはなったと思います」
B:下級生ともよくコミュニケーションをとって意見を聞いていますよね。
「そうですね。今年はより、下からでもどんどん言って良いよと言うようにしています。みんなの前で言いにくかったら、俺かヒロ(菊地)に言ってもらって、それを僕らがみんなに伝えるとか。耕陽とかは遠慮なくガツガツ言ってくれますね。あいつには、どんどん自分の意見を言えって言っているので。それがあいつのためにもなると思うし」
B:今年は高橋選手が点を取る役割に加わったことも大きいですし、菊地選手も3番にコンバートしましたよね。かなりチームが大型化したなと。
「そうですね。ヒロも、もはやシューターですよね(笑)。1、2年のときは自分とヒロが4番5番をやっていましたが、刘が入ってきてチームが大型化して、自分とヒロが4番3番みたいな。それで自分よりヒロのほうが外のシュートが入るので、こういう役割分担になりましたね。空いたら打つみたいな」
B:セットプレーは少ないんですか?
「あるんですけど、なかなか使えてないですね。ガードもひたすらインサイド、インサイドになっちゃって」
B:石川海斗選手が絶対的なガードとして存在感が大きかった分、その穴を埋めるのが大変ですね。ガード陣はまだ下級生ですし。
「それなんですよね。それにいろんなタイプのガードが代わる代わる使われるので人によって合わせやすい、合わせにくいがあって。今スタメンは4人が固定ですけど、その4人の中でもどれぞれのガードと合う合わないが違ってて」

「いや、まだまだですよ。ただ、2部だと4番ポジションの人が小さいので、そこのミスマッチを突いて攻めよう、みたいな感じはありますね。うちは高さがあるし、そこを生かすためにもポストプレーはずっとチームの中でもやってきたので。それがちょっと出たのかなとは思います。でも、まだまだです」
B:それでも苦しい状況で坂田選手の活躍が頼もしいなと感じる場面が今年は多かったです。
「うーん……。なんか分からないですけど、自分が調子悪いときにチームも負けちゃうんですよ。自分が普通にやっているときは勝てるんですけど、自分が調子悪いときに負ける。だから責任は感じますね」
B:リーグ戦は途中で怪我をして、その中でも出続けて大変でしたね。
「そうですね。どうしても足をかばっちゃう部分はありました。痛くて片足でジャンプできなかったりするので、リバウンド1本とるのも結構いつもより大変で」
足りなかったあと1歩。「これが実力」

「そうですね。なんか、自然治癒したんです(笑)。ヒロはずっと足が腫れたままだったんですけど、自分は1週間経ったら腫れも引いて。野生の回復力ですかね。まぁ、腫れがひいただけで痛いんですけどね」
B:最後は、惜しくもリーグ最終戦で入れ替え戦への切符を逃す形になってしまいました。
「そうですね…。でも、これが実力なのかなという感じもあります。1巡目がたまたま良くて、2巡目が日大の本来の実力だったのかなって」
B:1巡目は接戦になってもだいたい勝ちきってきましたよね。それが2巡目ではなかなか上手くいかなかったと。
「そうですね。自分も2巡目からすごい調子悪くなってきちゃって。自分が点数を取らなきゃいけないのに、2巡目から全然取れなくて迷惑かけちゃったなって。みんなが調子良くても自分が悪くて負けたこともあったので、それはみんなに申し訳なかったなと思います」
B:最後の2試合は、4年生としての意地も伝わってくるプレーでしたが。
「そうですね。もう最後だし、思いきり悔いのないようにやろうと思って。それで最後の2試合は結構調子も良かったんですけど、そうしたら逆にみんなの調子が上がらなくて。うまくいかなかったですね」
B:最終戦は、なかなか法政大のゾーンを崩せない様子でしたね。
「そうですね。日大自体、ゾーンアタックが苦手なので。その前の東洋戦は結構崩せたんですけど、法政のゾーンがマッチアップゾーン気味ですごく攻めにくかったです。マッチアップゾーンだから本当はマンツーマンのように攻めればいいはずなのに、変に意識し過ぎて足が止まっちゃって。それがダメでしたね。試合の最初とかも、自分たちのミスから相手に持っていかれていたので。追いついて逆転したときも、自分たちでミスしてまた再逆転されて、という感じでしたし、流れの良い時にすぐミスしちゃうのが自分たちのまだまだなところでしたね」
B:キャプテンを務めたこの2年間はあらためていかがでした?
「いやー…大変でしたね。すごく。下級生は我が強い子が多くて、それをまとめるのも大変だったし。でも今年は4年生がすごく協力してくれたので、自分の中で楽になった部分もたくさんあって。特に、タカちゃん(#4小川貴之)がチームを引っ張ってくれて、自分はただバスケやるだけというか、プレーで引っ張るだけだったので。私生活とかの部分はタカちゃんたちに任せることができたので、去年に比べてすごく楽になった部分はありますね」
B:日大での4年間は、どんな4年間でしたか?
「正直最初は、こんなに4年間試合に出られるとは思わなかったし、まさか2年間キャプテンをやるなんて思いませんでした。そう考えれば、4年間すごく充実してましたね。自分なんか無名の選手ですけど、日大って無名の選手が結構這い上がってくるチームじゃないですか。自分は下級生にも上級生にも助けられてやってきましたが、少しでもそういう姿をチームに残せてたらなって。本当はもっとプレーで引っ張るというか、背中で語るじゃないですけど、もっとプレーで残せたらいいなと思っていたんですけど、それはあまりできなかったので。ただ最後の2試合とかで、同じポジションのやつとかに何か感じとってもらえたら嬉しいなと思います」
B:後輩たちはタレントも揃っているし経験も積んでいて、あとは精神面でしょうか。
「マジでメンタルですね(笑)。勝ち続けていると気が緩んじゃうところがあるので、もうちょっと危機感を持ってやってくれればなと。メンツはいいので、あとはチームプレイをもっと極めることですね。個人プレーに走るんじゃなく。そういう部分を練習して、私生活とかも大人になれば、もっと上にいけるんじゃないかなと思います」
写真上:ルーキーながらチームの得点源だった高橋とはよくコミュニケーションするシーンが目立った。
写真下:リーグ戦ではアウトサイドシューターとしても活躍した菊地。
「オフの日は引きこもる」意外な一面

「高1ですかね。自分、ダンクってランニングジャンプでするものだと思っていたんですよ。で、中学生のときからずっとランニングジャンプでやっていたんですけど、全然できなくて。俺ダメだと思っていたんですけど、ある日普通にスタンディングジャンプでやってみたらできたんですよ。あれ?って(笑)。スタンディングで、しかも両手でやるダンクしか自信ないです。器用じゃないので」
B:今はどっちもできるんですか?
「いや、ランニングジャンプは微妙です(苦笑)」
B:では、自分の性格は?
「自分の性格ですか…根暗です」
B:そうなんですか(笑)。
「まぁ、人といればすごいしゃべるんですけど、でもオフの日とかは引きこもってますね。寝るのが好きなので、だいたい寝てオフが終わってます。時間があれば、ウエイトしに来て。だから、明るくはないですね。明るいのかな…?ただ、すごく仲の良い人がいるときはめっちゃはしゃぎますけどね。森山とかがいる会だと、すごくやばいです(笑)」
B:他チームで、森山選手以外に仲良いのは誰ですか?
「誓哉(明治大#16安藤)とかですね。やっぱり明治が近いし仲良いです。目とか。誓哉は、練習前とかに『今どこいんの?今から明治のカフェいかない?』とか連絡きて。それで明治じゃないのに明治の大学内にあるカフェに行ってふたりで話したりします」
B:それはかなり仲が良いですね(笑)。安藤選手も東京出身ですもんね。
「はい。だから中学の頃から知っていて。自分が中3の頃にちょっと話したことはあったんです。高校はあいつ明成(宮城)に行ったので関わりもなくなって、大学生になっても最初は全然しゃべらなくて。だから少し前に、一緒にバスケやってからですね。森山とかと一緒に。その時のメンバーとは、それから毎週のように会うくらい仲良くなりましたね」
B:では、次にインタビューをまわす人を指名してください。
「それ、めっちゃ考えたんですよ。どうしようかな〜と思って。でも決めてきました。中央の山田にします」
B:東京つながりですね。
「そうですね。自分、中学であいつを引退させて、高校で逆に引退させられているので、そういう因縁もありますね。豊山と菅生、自分たちの代はすごく仲良かったですし」

「とにかく良いやつですね。お父さん的な感じで。見た目も中身も(笑)」
B:なんの話をしたら面白いですか?
「何の話だろう…。まあなんでも面白いんじゃないですか。…あいつ、面白いのかな?」
B:そこも未知数ですか?(笑)
「いや、仲良くてめっちゃ話すんですけど、いつも一緒にふざけるというよりは、結構淡々と話し続ける感じなんですよ。真面目に話を聞いてくれるというか。まぁでもたぶん大丈夫だと思います。しゃべりやすいやつなので」
B:では次回は中央大・山田典政選手にお伺いします。坂田選手、どうもありがとうございました。
写真下:右上に「一戦一戦全力で」とコメント付きでサイン。
◆#1坂田 央(さかた あたる)
梅丘中→日大豊山高→日本大
4年・F・主将
193cm/85kg
・2006 全中出場
・2009 国体東京都代表(高3)
(2013.10.17のインタビューにリーグ戦でのコメントを追加して構成しています)
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています。
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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ
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