2016年12月 / 11月≪ 12345678910111213141516171819202122232425262728293031≫01月


第86回全日本大学バスケットボール選手権
筑波大学が3連覇を達成 3連覇以上の達成は1999年の日本体育大以来

2014.01.18 (Sat)

【SPECIAL】BOJラインvol.20〜森山翔太選手〜

リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.20~明治大学・森山翔太選手~


moriyama1.jpg 選手の指名でリレー形式にインタビューをつなぐ「BOJライン」。第19回の早稲田大・河上宗平選手からバトンを渡され連載20回目を飾るのは、明治大・森山翔太選手です。

 千葉の雄・市立船橋高校へと進学してみるみる頭角を現し、高校時代からその抜群の身体能力を全国でも知らしめていた森山選手。明治大に進んで4年目の今年はキャプテンの役職も担い、高いコミュニケーション能力を生かしてチームのまとめ役を務めました。今シーズン35年ぶりにインカレ決勝進出を果たした明治大の大躍進を、大きく支えた存在だったと言えるでしょう。

 また類い稀なるバネを持ち、そのサイズからは想像できないダイナミックなダンクシュートも持ち味。そのダンクについてのエピソードや、森山選手が大好きだという中国や韓国のバスケット事情についても詳しくお伺いしました。第20回BOJライン、どうぞお楽しみください。

※今回の記事は、リーグ戦期間中に行った取材とインカレ後に行った取材を合わせて再構成したものです。
 

[続きを読む]

バスケットとの出会いは「これも何かの縁」
 
moriyama3.jpgBOJ(以下B):BOJライン第20回目は明治大学・森山選手です。よろしくお願いします。河上選手からの紹介ですが、仲良くなったのは大学1年生のときからだそうですね。
「そうですね。大学に入って話す機会があってそこから仲良くなりましたね。しょっちゅうではないですけど、遊んだりごはん食べに行ったりします。天傑のインタビューでも出てきましたけど、『いつメン』の4人いるじゃないですか。僕、その4人とも結構仲が良くて、勝手に自分は『準・いつメン』だと思ってます(笑)」

B:準メンバーまで出てきましたか(笑)。
「勝手に思っているだけですけどね。シックスマン的な感じです(笑)」

B:河上選手は森山選手から見てどんな人ですか?
「クールですね。顔もハンサムだし、話してみても変にバカ騒ぎするというよりはボソッと面白いことを言う感じで。仲良くなったらかなり自分のこともいじってきますけどね。かっこいいのに面白いです」

B:そうなんですね。では本題に入りますが、バスケットを始めたのはいつからですか?
「小学校4年生です。先輩に誘われたのがきっかけで。本当は野球がやりたかったんですよ。でも野球だと親の当番とかがいろいろ面倒くさいらしくて、親からバスケットの方がいいんじゃないかって(笑)。でもまわりの仲の良い友達もみんな野球をやっていましたし、バスケのない日はずっと友達と野球してました。でも小学生の時は、それこそいろんな競技をやりましたね。陸上とか水泳でもいろんな大会に出ましたし」

B:それはすごいですね。運動神経が良いのでしょうか。
「正直自信はありましたね(笑)。でも僕、球技はちょっと苦手で…。サッカーとかボール蹴ってもどこ飛んでくか分からない感じです」

B:バスケットも球技ですが…。
「そうなんですよね(笑)。これも何かの縁だと思いますけど。もし陸上やってたら結構いい選手になったんじゃないかとか勝手に思っています(笑)」

B:ミニバスはどんなチームだったんですか?
「本当に自由でした。でもまわりも運動神経の良いやつらが集まった代だと言われていて、全国は出られなかったですけど県大会は3位になったんです。市選抜とかもあってそれに選ばれると韓国に遠征に行けるんですけど、それにも選んでもらって韓国の小学生と試合したこともありましたね。韓国に誰がいたかはさすがに覚えていませんが、もしかしたら今よく定期戦で戦う高麗大とかにもその頃戦った選手がいるかも知れないです」

B:中学校は、ちはら台南中に進んだそうですね。
「そうです。千葉のかなり田舎の中学で、学校ができてから10年ちょっとのわりと新しい学校でした。地区とかでは優勝できても県大会レベルにいったらまだまだ勝てなくて、最高でベスト8くらいかな。入学した当時は身長が160cmちょいくらいだったんですけど、結構順調に伸びて中3で182cmくらいあったんです。中学生で180とかあれば結構楽にリバウンドとかも取れちゃうじゃないですか。だから中学の頃もあまり厳しく練習したイメージはないですね。本当に楽しく自由にやらせてもらっていたなと。技術とかも全然なかったし、とりあえず飛んでリバウンド取ってシュートとか。3Pも届かなかったですね」

B:ジュニアオールスターには選ばれているんですよね?
「はい。そのとき予選リーグの相手が岡山と鹿児島だったんですよ。鹿児島といったら、永吉(青学大#25)とか川元とか横瀬(関東学院大#81)とかいるチームじゃないですか。でも永吉って190cmくらいあってガタイもすごかったから、正直言うと『どうせデカいし動けないっしょ』って思って、絶対いけると思っていたんです(笑)。それに同じチームに藤岡(専修大#14)がいて、藤岡はその頃から185くらいあってバリバリ動けてダンクもできたから、藤岡なら負けないだろうと。でも試合が始まってみたら、永吉がめちゃめちゃ動けたんですよね(笑)。それで結局大差で負けました」

 
偉大な先輩たちは「スター軍団だった」

moriyama5.jpgB:高校はどうして市立船橋に進もうと?
「もともと市船って千葉の中でも一番強いし、選手もかっこいいイメージがあって憧れていたんです。でも僕は技術もなかったしジュニアオールスターのときもスタメンじゃなかったので、市船に行っても試合に出られないだろうなと思って、最初は県で2位とか3位の学校に行こうと考えていました。でもそう考えていたときに、当時の市船の廣田先生から来ないかと声がかかったんです。それって僕からしたらすごいことで。『わー!市船の名将から声かかったー!』って感じで、そりゃあ行くしかないと思って決めました」

B:入学してみていかがでした?
「いや、本当にスター軍団でしたね! 神さん、遠藤さん(11年度大東文化大卒・現リンク栃木)、星野さん(12年度筑波大主将・現千葉エクスドリームス)のビッグスリーを筆頭に。それで入学してすぐ僕は神さんの弟子みたいになって、1対1とかいっつも挑んでいました。でも100回くらいやったんですけど、たぶん全部合わせて3点くらいしか取れなかったんですよ。いつも10−0、10−0、10−0で。悔しくて何度も泣きましたね、『こんなことってあるんだ…』って(苦笑)。でもそういうすごい人たちに揉まれて、1年生のときは試合に出ていたわけじゃないですけど、常に良い環境でやらせてもらいました」

B:試合に出始めたのは高校2年生になってからですか?
「そうですね。でも2年生のときは、1個下に平良(立教大#13)とか山田(筑波大#10)とかすごく有望な1年生がたくさん入ってきて、自分たちはいらなくなるかもみたいな感じで新シーズンに入ったんです。でも2年のときに監督が近藤先生に変わって自分もチャンスをもらえるようになって、最初は1年生の方が良いみたいにまわりから評価されていたと思うんですけど、途中からは自分の方が結構試合にも絡めるようになりました。それも結構ひとつの転機でしたね」

B:先輩としての意地を見せたんですね。
「見せましたね。なんとか(笑)」

B:2年生の年で印象に残っていることは?
「2年のときは、やっぱりインターハイがすごく印象的です。北中城高校とのトリプルオーバータイム。あれで僕、岸本隆一さん(12年度大東大主将・現bj琉球キングス)の大ファンになったんです。あの人やばいと思って、試合が終わってからすぐ隆一さんのところに行って『写真撮ってください!』ってお願いしてツーショットで撮ってもらいましたね(笑)。そこから岸本さんの真似して、ちょっと遠目からスリー打つ練習とかレッグスルーの練習とかしたんですけど、結局あんな風にはなれなかったです(苦笑)」

 
自分自身の活躍で全国に広がった友達の輪

131201moriyama1.jpgB:高校3年生になって、キャプテンも務めましたが。
「最初はやりたくなかったんですよ。自分、目立ちたがりなんですけど、役職とかにつくというよりは一歩下がったところからガヤガヤ言っていたいタイプで。それでも先生からお前しかいないと言われて、同期のみんなからも推してもらって、やることになりました。でもキャプテンらしい仕事はしてないですね。後輩とかにあまり厳しく言えないので、『こうやってやればいいんじゃん?』みたいにアドバイスするくらいでした」

B:プレーで引っ張る形だったんですね。
「そうですね。高3の時は自分も主力として出られるようになりましたし。その頃やっとメインで試合に出られることになったので、できるだけ自分のことをまわりの人に知ってもらいたいと思っていたんですよ。そういう気持ちが結構自分のプレーにも良い感じで影響しましたね。例えば春にフェニックスカップという大会があって、延岡とか福岡第一とか色んな高校が集まって試合するんですけど、そのときも自分はすごく燃えていました。永吉とかに今日絶対覚えて帰ってもらおうと思って。試合は負けましたけど、試合後に永吉が『お前すげーな』って話しかけてくれて、そこから友達になりましたね。永吉も全然人見知りしないし、最初話した時はなんとなくアメリカ人みたいな人だなと思いました(笑)。なんて陽気な人なんだと。ほかにもたくさんの人が話しかけてくれたし、自分も試合のあととか結構気軽に話しかけにいくし、高校3年のときに友達は一気に増えたと思います。永吉もそうだし、藤井祐眞とか、天傑とか。結果を残せばいろんな人とつながれるし、いろんな話もできるじゃないですか。全国に友達を増やすことを目当てに、交流戦みたいな試合でもめっちゃ気合いが入っていましたね」

B:そういうモチベーションがあったんですね。高3のインターハイはいかがでしたか?
「インターハイは明成に負けたんですけど、でもこれまたポジティブだから絶対勝つ自信あったんですよ! それに、東北大会だったかで盛岡市立に負けていたので、今年の明成って強くないのかなと思って…。もともと明成ってインサイドのふたりが大きかったので警戒していたんですけど、試合が始まってみたら俊樹(青学大#32畠山)の機動力はすごいし、高田歳也(法政大#0)と安藤誓也(明治大#16)もめちゃくちゃ点取るし! ガードにやられましたね。しかもゾーンをやられて崩せなくて、外からバンバン打つしかなくなって、でも全然入らなくて…それで負けちゃいましたね」

B:明成高校はそのあとのウインターカップで優勝したチームですよね。
「そうなんです。でもその時は正直、明成よりも京北とか福岡第一とか延岡の方が強そうに見えたんですよ。自分たちは自信もあったので、正直なんで負けたんだろうと思いましたね。それは大学に入ってから安藤とも話しました。あの時負けると思ってなかったんだけど、みたいな(笑)」

B:インターハイのあとに、国体の関東予選(ミニ国体)があったんですよね。優勝を果たしたそうですが。
「そうそう、国体予選もドラマがあったんです! まず1回戦の相手がいきなり東京で。京北高校には関東大会でボコボコにやられていたし八王子高校のメンバーもいるし、ちょっと嫌なイメージがあったんです。でもすごいメンツが揃っていたんですけど、スターがいすぎて逆に噛み合わなかったみたいなんですよね。そこを僕らがうまく突けて、大会が千葉開催だったこともあってすごくホームな感じでやれたし、意外と東京はそんな苦戦せずに勝てました。それでそこから勢いに乗って、群馬を倒して、決勝は神奈川と当たったんです」

B:神奈川は梅林選手(東海大#12)などがいたチームですね。
「はい。でも確かちょうど梅林がインフルエンザかなにかで、その前の試合に出てなかったんですよ。だからまた『絶対いける!』って思って(笑)。それで案の定1Qで20点くらい離したんですけど、気が抜けたのか2Qですぐ追いつかれたんです。そこからずっとシーソーゲームになって、最後同点で残り9秒くらいでマイボールだったんですね。それで、市立柏の服部で行くと見せかけての僕、というフォーメーションを使って、残り1秒くらいで僕のところにパスが来て、3Pを打ったら…入ったんです。『はい、きたー!』って。完全にヒーローでしたね(笑)」

B:それは盛り上がりもすごかったでしょうね。
「はい。千葉のホームだったし、本当に会場の大歓声はすごかったですね。千葉って結構高校バスケは毎試合満員になるくらい人気があるので。あれは嬉しかったです。自分、いつも試合中は結構すかしてクールに気取っていたんですけど、そのときだけは『おっしゃー!』って大きくガッツポーズしました。あれは自分の中で忘れられない試合ですね」

 
敗戦から切り替えて挑んだ、思い出深い新潟国体

moriyama7.jpgB:国体の関東予選のあとに、ウインターカップ予選があったんですね。市立柏にまさかの敗退となったわけですが。
「そうなんです。国体予選の勢いのまま自分は調子も落としてなかったし、ふつうに全国も行けるなと思っていました。でもその国体予選の時、スタメンが市船4人に市立柏の服部ひとりというメンツだったんですけど、それがあまりにもハマりすぎてしまって…。チームに戻って市船4人に市船のひとりを加えたら、全然合わなくなっちゃったんですよ!近藤先生もガードを入れるとかいろいろ試されたんですけど、どうしても5人目がしっくりこなくて。そのままウインター予選に入って、最後までどこか噛み合いませんでしたね。正直、服部ひとりに負けたなって印象です」

B:試合も最後かなり接戦だったんですよね。
「はい。20点差くらい離されて、追いついて、そこからシーソーゲームだったんですけど、最後はブザービーターで服部のバスカンが決まっちゃいました。負けると思ってなかったから、そのときはショックとかそういう感情が湧かなかったです。涙も出ないし。でもそのあとすぐに国体の本戦の練習が始まったんですけど、やっぱり全然身が入らないんですよね。そのまま変な気持ちで練習していたら、そのとき国体の監督だった幕張総合の飯沼先生がそれに気付いてくれて、いろいろ話をしてくれました。『やっぱり千葉のキャプテンはお前だし、お前が引っ張っていくしかないんだ』ということを結構長い時間話してもらって、それで心を入れ替えたというか。それが結構自分の中で頭に残って良い方向に働きましたね。それで国体に入って、自分の中で勝手に国体はブレイクしたと思ってます(笑)」

B:かなり好調だったんですね。
「そうですね。そのときはたぶん大会で一番点とったんじゃないかな…?1試合目で40点くらい取ったんです。それで京都と当たったんですよね。もともと国体の前に、洛南の試合をスカウティングで見ていたんですよ。インターハイの延岡対洛南の試合。そうしたら河上宗平が、延岡のエリマン(関東学院大#10)を思いっきりブロックしてて! セネガル人をブロックする高校生なんてあんまりいないじゃないですか。『うわ、俺らこんな日本人とやんの?』って正直ビビりましたね」

B:河上選手も前回のリレーインタビューで、インターハイの延岡戦で自信をつけたと言っていました。
「そうなんですか。うわー、あれがいけなかったんだな。完全にエリマンのせいですね(笑)。まぁ実際試合してみても、彼はリバウンドの安定感とかブロックが本当にすごかったです」

B:河上選手が森山選手のことを思いっきりブロックしたと言っていましたが。
「あ、そうなんですよ! 僕が速攻に走ってほぼフリーで、『はいサンキュー』と思って普通にレイアップに行ったんです。うしろから走って来るなとは思ったんですけど、『まさかね』と思ってそのまま普通に行って。そうしたら、河上がうしろからブロックに飛んできて思いっきりボードにバーン! ってぶつけたんです。それはよく覚えていますね。きれいにやられました(苦笑)」

B:お互い印象に残っているシーンなんですね。
「しかもそのあと面白かったのが、そのボードにぶつかったボールをチームメイトの安田(日本大#37)が拾ったんですけど、河上のブロックがあまりにもすごすぎて、びっくりしてボールをポーンってどこかに投げちゃったんです(笑)。それで相手ボールになるという珍プレーもありましたね」

B:安田選手も慌ててしまったんですね(笑)。
「あいつ、すごい天然というか、どっか抜けているところがあるんですよ。お、安田今日シュート調子良いなーと思ってたら、なぜか急にバンクシュートばっかり打ち始めたり。あとは遠征のバス移動とかでみんなでゲームしてて、安田だけ車酔いになって先生に怒られたりもありましたね。そういうかわいいやつです(笑)」

moriyama01.jpgB:(笑)。ちなみに同じくチームメイトだった藤岡選手はどんなキャラクターだったんですか?
「藤岡は、今は絶対やらないですけどめっちゃギャグとか変顔とかやるやつだったんですよ。『なんかやってよ』って言うとすぐパッと思いついてやってくれるんです。まぁそれも面白かったり面白くなかったりいろいろでしたけど、それはそれで楽しかったですね(笑)」

B:そんな一面も持っているんですね。国体の京都戦の話に戻りますが、追い上げて追いついたところで最後に決められてしまったんですよね。
「そうなんです。同点に追いついて残り時間もなくて、これは延長になるなと思っていました。そうしたら本当に最後の最後で、バシオ(青学大#3小林)が…(苦笑)。変な体勢だったのに、ブザービーターで決めちゃったんです。新潟であいつのホームだったので盛り上がりもやばかったですよ。その時はバシオとも全然知り合いじゃなかったから、『あいつ最悪』と思いました(笑)。その前のウインター予選でも服部のブザービーターで負けていたので、またかと思いましたね」

B:そのあと京都が優勝したことも考えれば、悔しかったでしょうね。
「そうなんですよね。正直びっくりしました。決勝は前半まで見ていたんです。そしたら途中静岡が20点くらいリードしていて、祐眞(拓殖大#40藤井)も余裕な感じで普通にハーフタイムに話しかけてきて。それで後半は見なかったんですけど、試合が終わって速報を見たら『あれ?京都勝ってんじゃん!』って(笑)。で、やっぱり京都が勝つと、あー自分たちもいけたんじゃないかみたいには思いますよね。ちょっと悔しかったです」

B:それが高校の引退試合になったわけですね。
「そうです。でもスッキリ終われた感じではありましたね。逆に京都が優勝して、自分たちにもそれだけの力があったんだなって思えたし」

B:先ほど入学前に市立船橋高校に対して「かっこいいイメージがあった」と言っていましたが、市立船橋は千葉では特別な存在なのでしょうか。
「そうですね。ユニフォームもかっこよかったし髪型も自由だったし、かっこよくて強いみたいな。実際みんな全然そんなことないのに、よく『市船はチャラい』みたいには言われました(笑)。今は違うと思いますけど、僕らのときは髪を伸ばしても何も言われなかったんですよ。むしろ当時ってウインターカップでベスト8に入ったらテレビ放送があったんですけど、廣田先生も『お前ら、テレビに映るんだから見た目もしっかりやってこいよ』みたいな感じで(笑)。それで、なぜかいろんなチームからちょっと一目おかれる感じでしたね。たぶん2個上や1個上の先輩たちのイメージが強くて。やっぱりスター軍団でしたから」

B:まわりのチームから何か言われることもあったんですか?
「覚えているのは、埼玉の正智深谷とよく練習試合をしていたんですが、僕が西村(筑波大#6)に話しかけたら『うわー西村が森山に話しかけられてる!』みたいに正智深谷の人たちがめっちゃ盛り上がってて(笑)。え、どういうこと?って聞いたら、すごく市船に憧れているみたいに言われたことがあります。僕らの代なんて全然顔かっこいいやついなかったのに、『市船って顔セレ(顔のセレクション)とかあんの?』と言われたこともあるし(笑)。星野さんとか遠藤さんとか先輩たちはみんなかっこよかったんですけど、僕らの代なんてほんとスター性のある人いなかったんですよ。自分は精一杯、ちょっとすかした感じとかを真似してたくらいでした(笑)」

 
環境も大きく変わり、苦労も楽しさも重ねてきた大学生活

moriyama13.jpgB:ではここから大学の話に移りますが、どうして明治大に進もうと?
「もともと明治に興味はあったんですけど、市船のみんなと1部や2部の試合を見に行ったんです。そうしたらめちゃくちゃかっこいい軍団で。田村さん(11年度卒)とか晃輔さん(金丸晃輔・10年度卒)とか、カリスマ性ある人ばっかりじゃないですか。みんな能力も高くてやっているバスケットもおもしろいし、この一員になって自分もそう思われたいなと思って決めましたね」

B:入学してみていかがでしたか?
「実は入学する前はやはりポジティブに考える方だから、すぐ試合も出られるだろうとか内心思っていたんです。でも実際入ってやってみたら本当に何もできなかったですね。卓哉さん(佐藤卓哉・11年度主将)がポイントガードだったんですけど、ディフェンスでつかれたらハーフまでボールも運べないし、到底自分なんかが金丸さんや田村さんみたいなスター軍団を動かせるわけないと。落ち込むじゃないですけど、これは難しいなと思わされました」

B:壁にぶつかったんですね。練習もハードかと思いますが。
「そうですね。高校の頃とは比べものにならないくらい…。高校までオフェンス重視のチームでしたが、明治は本当にディフェンスのチームで、そこはかなり大変でした。本当に若さでなんとか乗り切った感じですね。18歳で元気ありましたから(笑)。午前中まるまるディフェンスフットワークやって、午後オフェンスも基礎練習で、あとは走りとウエイトして…。人間、限界まで追い込まれると変な感じになるんですね。一回、キツすぎて耳が呼吸しようとしてました(笑)」

B:それはちょっと分かり得ない感覚です(苦笑)。
「ですよね。それでもう、毎日帰ったらすぐ寝るみたいな生活でした。1年生の仕事もありましたし。でも、人間慣れるもので。そうやってキツい練習をしてきたら、練習試合とかで断然走れるようになったんです。今まで動かなかった足が動くようになるとか、そういう部分で成長は感じましたね。それに高校の頃は目立つことばかり考えていたんですけど、ディフェンスとか地味なところも頑張らなきゃいけないんだなとは、明治に入ってすごく学びました」

B:寮生活はどうでした?
「憧れの田村さんや岸本行央さん(11年度卒・現bj高松ファイブアローズ)と寮で同じ部屋になって、バスケットのことだけじゃなく私服からなにからアドバイスをもらっていました(笑)。本当にふたりともお兄さんみたいで、面倒見がよくて。常に一緒にいたのでいろんな話ができたし、試合には出られなかったですけど先輩たちからいろいろ吸収できたと思います。行央さんとかすごく面白いんですよ。夜帰ってきてカップラーメンを食べようとして、お湯入れて待っている間に寝ちゃって麺が伸びてるとか、かわいい一面もあって(笑)。そうやって1年生の時は環境が新鮮で毎日が新しいことばっかりだったから、なんとか乗り切れた部分はありましたね」

B:それでは2年生になって慣れも出てくると、また苦労もあったでしょうね。
「そうなんです。去年一回経験している分、またあの厳しい練習が待っているのかと(苦笑)。しかも1個下が入ってきたプレッシャーもありましたね。中東(#12)や安藤(#16)、皆川(#51)とかすごいメンツが揃っていたので。上も良い選手が集まっていたし、上と下で挟まれて同期の西川(#22)や目(#2)も苦労したと思います。もともと僕ら3人とも、とにかくディフェンスができない3人だったので。試合に出ても僕らのところがディフェンスの穴になって、ほかの人にカバーしてもらうみたいな感じでした。それは責任を感じながらやっていましたね」

B:2年生のときは入替戦で1部残留できたことが大きかったですね。中央大と2点差の激闘でした。
「そうですね。あれは嬉しかったな…。あの年はリーグ戦で勝てない日々が続いて苦しい思いもしてきたし、4年生が苦労しているのも目の当たりにしてきていたので、本当に勝てたのは嬉しかったです。4年生の本当の力を見せてもらったというか。インカレの東海戦もそうですし。自分は試合に出られなかったんですけど、4年生の意地みたいなものを見せてもらって、すごく印象に残っている試合ですね。あと印象に残っているのが、僕入れ替え戦のあとの打ち上げで、塚さん(HC)に向かって泣きながら『なんで僕じゃなくて安藤誓哉なんですか!』って訴えたんですよ(笑)。それで数日後の練習試合で実際スタメンになるという裏話もありましたね。言うほど活躍できなかったんですけど(苦笑)」

 
3年生の時に芽生えた、上級生としての自覚

moriyama02.jpgB:3年生になって、2年生の安藤選手がキャプテンになりましたね。それでもまだ安藤選手は下級生ですし、森山選手もその頃から引っ張ることを意識していたと言っていましたが。
「そうですね。4年生が抜けて最上級生の責任とかもありましたから。練習の雰囲気もよく最上級生に関わってくると言いますけど、本当にそうで、全然締まらない日もありました。トーナメントも専修にボコボコにされて、シーズンの始まりもひどくて。それであの年は、オフェンスだと駆け引きとか経験の差が出てしまうから、とにかくディフェンスを極めようとずっと取り組んできました。それで不安もある中でリーグに入ったんですけど、いろいろ苦戦した中でも拾える試合はちゃんと拾って、下級生も成長して、なんとか入れ替え戦を回避できました。リーグの最後の方はチームの雰囲気もすごく明るくなって、それがインカレにもうまくつながったんだと思います」

B: インカレは専修大に勝ってベスト4に入ったことが大きかったですね。
「はい。あの試合はチームとして戦えたし、やれと言われたことがちゃんとできた試合でしたね。特に宇都(専修大#11)を抑えられたのが大きかったと思います。僕個人としては、宇都にディフェンスについてソッコー抜かれて交代させられたんですけど…(苦笑)。でもひとつこれだけは言い訳させて欲しいことがあって、あの試合見ていた人はたぶん『あいつディフェンス下手すぎだろ!』と思ったと思うんですけど、あれ、チームディフェンスで抜かせる方向が決まっていたんですよ! それで僕は抜かせる方向に追い込んだんですけど、そしたらいるはずのカバーがいなくて。『うわ、裏切られたー!』と思ってたら、健人(#2目)にあとで『あれごめん』って謝られました(笑)。そんなこともありながらの、そのあと青学戦だったんですけど、青学にはボッコボコにされましたね。やっぱり上位2チームはまだ遠いか、みたいに再確認させられました。でも3位になることができたのは良かったと思います。正直シーズンの最初の頃から考えたら、まさかインカレでファイナル4まで残れるとは思わなかったので」

B:シーズンを通して、ロースコアに抑えて最後に競り勝つという試合展開が多かったですよね。勝ち方をだんだん覚えていったというか。
「それはありましたね。勝ち方とか勝負所とかが分かるようになって、それは特に安藤(#16)がそうだと思います。それに去年は、負けが込んで崩れるということもあまりなかったんです。たぶんそれは、田村さんとかの代で苦しんできた経験があったからで。負けてもみんなで盛り立てて、どんなに怒られても自分たちで声をかけて励ましあっていこう、という感じでチームがまとまれました。でも、自分個人としては、本当にしんどかった時期もあった年でしたね」

moriyama03.jpgB:結構悩んだ時期だったんでしょうか。
「はい。自分、基本すごいポジティブなんですけど、その反動で落ち込む時は誰も手がつけられないくらい落ち込んじゃうんですよ(苦笑)。3年生の時はバスケ辞めるか辞めないかまで落ちたこともありました。でもその時に塚さんが救いの言葉を言ってくれて、なんとかもう一回頑張ろうと思えたんですよね。今では3年の時も貴重な経験をいろいろできて成長できた年だったかなと思います」

B:そして今年はいよいよ4年生となり、キャプテンを務めましたが。
「はい。でも自覚のある選手が多いので、別にキャプテンらしいことはやってないですね。今まで経験を積んで、今年はそれぞれ考えを持っている選手が出てきたので。だから自分が怒ったりプレーで引っ張ったりとかはあまりないです。ただ、それでもキャプテンとして引っ張らなきゃいけない部分もあって、そういう葛藤はありました」

B:キャプテンとしての立場も選手としての立場も両立させる難しさは、リーグ戦の時にも仰っていましたね。
「はい。もともと新チームがスタートしてすぐにケガしてしまって、3カ月くらいチームの練習から離れていたので、シーズンの最初から全然キャプテンとして引っ張れなくて。そこも痛かったですね。トーナメントもみんなが活躍している中ですごく複雑な心境でした。治ってチームに合流してからも、正直この夏は今までで一番くらいに悩みました。普通に試合出られないだけだったらまだいいんですけど、『お前はキャプテンで普通の選手と違うんだから』とも言われているので、ヘコんでいるわけにもいかないし…。難しかったですね」

B:その中で気にかけていたことはありますか?
「自分が試合に出て中心選手になれていればいろいろ言いやすい部分も多いと思うんですけど、そうではない立場でした。どうやったら伝わるかとかどうすればその選手に響くのかとか、やっぱり伝え方はすごく大事にしてきましたね。とりあえず怒ればいいとか盛り上げればいいではなくて、どうしたらその選手に一番伝えられるか考えながらやっていました」

B:今年は昨年とメンバーが変わらず、自分たちでも言うように『2年目のチーム』でしたね。
「そうですね。ただその分まわりから期待もされていると思ったし、ある意味やれて当たり前みたいなプレッシャーもみんなの中であったかなと思います。リーグ戦の時も話しましたが、去年やってきたことをベースにいろいろ手を出していったら、逆に今までやってきた原点を忘れてしまった部分があって…」

B:それは怖い部分ですよね。
「はい、すごく。それで勝てる試合も実際リーグ戦で落としているし、そのたびに原点に戻ろうと軌道修正しながらやってきた感じです。2年目は2年目でまた違う課題がどんどん出てくるので、そう簡単にはいかなかったなというのはありますね」

131201moriyama2.jpgB:それでも最後の舞台となるインカレは、見事決勝進出を果たしました。いかがでしたか?
「負けはしたんですけど、悔いはないです。優勝が当たり前というチームに決勝の舞台でチャレンジできるなんて、僕が入学した頃には考えられなかったことですから。そういうことを考えると、結果よりもなにより成長できたことが嬉しいですね。すっきりというか、充実感はありました」

B:森山選手自身、インカレではいつもより笑顔が見られたりして表情が柔らかかったように思います。
「自分じゃ分からないんですけど、いつもコートで暗い暗いって言われます(笑)。でも確かにこのインカレは、本当にもう最後だし楽しもうという気持ちでした。そういうのが出たのかなと思います」

B:決勝の相手、東海大はいかがでしたか?
「本当に全部きっちりしているなと思いました。準決勝までは効いていたゾーンも『うわ、そこ通されたらキツいわ』みたいなパスを簡単に出されるとか、自分たちの穴を全部知っているような感じで。自分たちのやりたいディフェンスがうまくはまらなかったし、本当に強いなと思いましたね」

B:それでも大会全体を振り返れば、筑波大や青学大を破って決勝まで勝ち抜いたことが大きいですよね。
「そうですね。2回戦の国士舘くらいから接戦で危ないゲームが続いたんですけど、ああいう試合を勝ちきることで一つひとつ自信になりました。筑波戦なんて結構ドラマチックだったじゃないですか。でも途中20点くらい離されていたんですけど、たぶん負けるという気持ちは誰も持っていなかったと思うんですよね。自然とそういう気持ちを持てて、いつかは追いつけると信じていました」

B:それは自分たちのやってきたことに自信があったからでしょうか。
「そうですね。きつい練習もやってきましたし、これだけやって負けるわけがないと。他のチームの練習はよく知りませんが、僕らを超えるような練習をしてきたチームはそんなにないと思いますし、それを信じてやっていました」

B:応援もすごかったですね。
「応援の力でプラス10点くらいありましたね。サッカー部が来てくれた準決勝なんて特に、応援がなかったら負けていました(苦笑)。学校全体でバスケットを応援してくれるのは、ありがたいことだと思いますね。今まであまりなかったことだと思うんですけど、こういうのが普通になればもっともっと大学バスケットも盛り上がるのかなと思います」

131201moriyama3.jpgB:準決勝で青学大に勝った際には、みんな昨年のインカレの話をしていましたね。あのとき青学に負けてから「止まった時間を動かそう」とやってきたそうですが。
「そうですね。去年あんな風に49点差で大敗して、セミファイナルに進むにふさわしくないチームだと思われてしまった部分もあったと思うんですけど、本当にインカレが終わってからすぐ休みなく、1年後のインカレの舞台を目指して練習してきました。春とかも長いキツい練習をしてきて、そんなすぐ結果が出ることじゃないしすごくみんな苦しかったと思うんですけど、リーグ戦あたりから選手それぞれつかむものがあって。自信を持てたというのは大きかったと思います。誰かに頼るのではなくて、自分が切り開くんだって気持ちを持った選手が増えたので。そうやって、ディフェンスだけじゃなくなったというのは今年の強みですね。去年まではディフェンスを頑張ってロースコアに抑えてギリギリ勝つチームだったんですけど、今年はそれに加えて得点力も増したと思うので。そういうところが、ファイナルまで行けた要因かなと思います」

B:チームを決勝まで導いたのは、ひとつの財産となりましたね。
「そうですね。1歩ずつ、自分たちの入った年からどんどん上がってきたので。去年越えられなかった壁を今年越えられたのは後輩たちにとっても良い経験になったと思うし、また今年越えられなかった壁を来年後輩たちに越えてほしい。それが明治の新しい伝統になると思うので、そのちょっと土台ができたかなという部分はありますね」

 
身近な手本だった中国・韓国のバスケットボール

moriyama4.jpgB:ではここからちょっといろんなことをお伺いします。河上選手が『中国や韓国に詳しいのはなぜ?』と言っていましたが、きっかけは何だったんですか?
「きっかけは、高校生のときに日・中・韓ジュニア交流競技会というのが千葉で開催されて、日本・中国・韓国の代表選手と千葉県代表チームを加えて試合をすることになったんです。そのときに中国がめちゃくちゃ強くて! そこから『アジアにもすごい選手がいっぱいいるんだな』と興味を持ちました。みんなNBAは好きじゃないですか。でもあの動きを真似しろって言われても正直『無理でしょ』ってなっちゃうんですよね、僕の中では。だから現実的にというか、手の届きそうなところと考えたら、結構中国とか韓国って参考にできる部分があるんじゃないかと。そういう単純な考えから興味を持ったら、すごく好きになっちゃいました。まぁ自分、顔も韓国人みたいってよく言われるんです。原宿の竹下通りで、キャッチしてる黒人から『アニョハセヨ~』と声かけられたり(笑)。韓国に行ってもそうで、すぐ韓国語でペラペラ話しかけられるんですよね。多少は話せるので対応しますけど」

B:定期戦の時に高麗大の選手とも韓国語で話していましたね。語学は独学で?
「そうですね。興味からくるやる気というか。最初は初心者向けのテキストから始まって、あとは定期戦の時とかにとにかく韓国語で話しかけるんです。ちょっとでも話せると向こうも興味持ってくれるから、そこでいろいろ教えてくれて。向こうで流行っている言葉を教えてくれたり、ここはこう言うんだよとか教えてくれたり。話しかけているうちに少しできるようになりましたね」

B:韓国語だけでなく中国語も話せるんですか?
「そうですね。最近は中国語の方が頑張って勉強していますが、韓国語の方が簡単ですね。でもバスケットも結構中国のファンだったりするので中国語には力を入れています」

B:中国のバスケットのどういうところが魅力ですか?
「いやー、もう本当にレベルは高いですよ。アジア選手権では韓国に負けちゃったんですけど、それもすごく納得いってなくて。最近、韓国の大学生がすごいとか言われてますけど、僕的には『そんなの中国にだっているよ!』とか思ってます(笑)。韓国ももちろんすごいんですけど、中国は本当に世界に行ってもちゃんと結果を出せる選手が多いし、そういう憧れはやっぱりありますね。自分にもし子供ができたら、中国に留学させるかNCAA(アメリカ)に行かせるかでバスケットをやらせたいです。だからその時のためにも今からいろんなことを吸収しておこうかなと(笑)」

B:注目している選手はいるんですか?
「いっぱいいますけど、韓国だと延世大にチェ・ジュニョンって2mあってフォワードのやつがいるんですよ。ほんとNBAのケビン・デュラント(サンダー)を韓国人にしたみたいな感じで、手足が長くてシュートも入ってドライブもすごいんです。だから中東に、東アジア大会でそいつ倒して来いよとは言いましたね。あとは、中国のワン・ジェリン。19歳で2m14cmあるんですけど、僕その選手が大好きで。中東に握手しといてって言ったんですけど、怪我で出てないらしくて、それは残念でした。去年日本でやったアジアカップはだから超楽しかったですね。ワン・ジェリンもいて、田中大貴とか比江島さんが活躍して。『え、どっち応援しよう!』みたいな(笑)」

B:それほど好きなんですね(笑)。
「はい。プライベートでも引退したら見に行こうと思っています。天傑と一緒に卒業旅行とかで(笑)。あいつの実家は寒そうなので行くか分かんないですけどね」

写真:高麗大との試合後、キム・ジフ選手と。

 
前向きで友好的なキャラクター

moriyama9.jpgB:では話は変わりますが、自分はどんな性格だと思いますか?
「うーん、変わり者ですね。AB型だし。みんなが興味を持たないところに興味を持ちます。昔は変わり者とか言われるのすごく嫌だったんですけど、今は逆にそれも自分の良さなのかなと開き直っていますね。あとはさっきも話に出ましたけど、めっちゃポジティブです。僕よくNHKの情熱大陸とか見るんですけど、最近自分に似てるなと思ったのは、サッカー選手の柿谷曜一朗。柿谷もすごいポジティブで、『誰かに負けてるとかはないと思うし、あとは結果出すだけ』みたいなこと言ってたんですけど、普通にそれ見て『え、分かる分かる!』って思って(笑)。で、その時の情熱大陸のキャッチフレーズが『天才は二度輝く』だったんですよ。だから自分も、もう一度輝くものだと信じてます!まぁそういう感じで超ポジティブですね(笑)」

B:なるほど。あとは今までの話からも分かるように、誰とでも仲良くなれる性格なんですね。
「そうですね。結構そこは自信あります。向こうが人見知りでしゃべらなくても、僕が一方的にしゃべりますし(笑)。大貴とかたぶんかなり人見知りだと思うんですけど、僕がずっと一方的にしゃべってたら挨拶するくらいの仲にはなってくれました(笑)。1個下とも仲良くて、野本(青学大#7)とか大垣(拓殖大#14)とか高橋貴大(青学大#5)からは先輩と思われてないくらいかも(苦笑)。最初は僕が高橋貴大と似てるという話がきっかけで、僕の友達が試合見に来て『おい森山!』って話しかけたらそれが高橋だったってエピソードがあるんです(笑)。そこからよく兄弟みたいに言われるようになりました。しかも高橋が僕のことをたまにあだ名の『もりしょう』って呼ぶもんだから、僕が弟みたいになっちゃって(笑)。あの代のU−18は基本みんなそんな感じで人懐っこいです」

moriyama12.jpgB:学年関係なく仲が良いんですね。
「そうですね。自分も人見知りとか全然しないし、結構興味があったらすぐ自分から話しかけにいくので。なんとか共通の話題を見つけてそこから話を広げますね。そういえば河上とも、最初はたまたまハマったテレビ番組があって、そこが共通の話題で盛り上がったんですよ」

B:なんのテレビ番組ですか?
「めっちゃ下らないんですけど、深夜にやってた『私のホストちゃん』って番組があるんです。ホストのドキュメンタリー風な番組なんですけど、かなりふざけてて全部フィクションなんですね。それに河上とふたりでハマって、なんかファンミーティングみたいなのがあったんですよ。行ったら番組に出てるホストたちと握手できるみたいな。それに僕行って、ホストたちと握手して、河上のためにTシャツも買ってプレゼントしました(笑)」

B:(笑)。エピソードが豊富ですね。
「思い出せばいろいろネタは出てくると思いますね。面白いやつはいっぱいいるので。みんなもかっこつけて隠しているだけですよ(笑)。実際かっこいいんですけど。僕、宇都とか祐眞には高校生の頃から憧れてて。初めてふたりにマッチアップした時は、『俺も来るとこまで来た』みたいに思いましたね(笑)」

B:(笑)。どんなところに憧れたんですか?
「プレーもすごかったし、こんな自信持って強気でプレーできたらいいなと思って。とりあえず高校生の時は、祐眞のバッシュと靴下を真似しました(笑)。まずは形から入ろうと。宇都とかも、いかにも専修って感じがまたかっこいいですよね。普通に彼に憧れている高校生もいっぱいいると思います」

B:よく選手の中には「見る」バスケットに興味のない人もいますが、森山選手は見るのも好きなんですね。
「そうですね。中学の時から、洛南と大濠が大好きだったんです。ウインターカップとか、1時間くらいかかるのにほぼ毎日見に行っていましたね。辻さんや比江島さんのことはずっと憧れていました。並里成さんとか。だから要は、1個上のレベルを観るのが好きなんだと思います。中学生の頃は高校バスケが大好きだったし、高校のときは大学バスケも見に行っていたし、今は韓国とか中国のバスケを見てるし。勉強にもなりますからね」

 
ダンクできると思い込むことが大事

moriyama_dunk1.jpgB:では話は変わって、森山選手と言えばダンクシュートですよね。
「あ、そう言ってもらえると本当に嬉しいです。それしか取り柄ないので(笑)」

B:初めて成功したのはいつ頃ですか?
「確か高1の終わり頃です。もともと小学校4年生のバスケを始めたときから、絶対いつかダンクしたいと思っていたんですよ。小学校の時にミニバスのリングでダンクのできる先輩がいて、それを初めて見て『うわーこれやりたい』と。台を使って練習したり、リングジャンプとかも好きでよくやっていました。それに小学校6年生のときにウインターカップを見に行って、そこで竹野さん(竹野明倫・現bjライジング福岡)とか堤さん(堤啓士朗・現NBDL TGI D-RIZE)を見たんです。堤さんが180ちょいの身長でダンクしてたので、あ、あれくらいの身長でもできるんじゃんと。180くらいあればできるんだなというのは基準としてあって、だから自分も背が伸びればいつかできるようになるものと思っていました。結局小学生のときはできずじまいだったんですけど、中学生になってちょっと背が伸びてからは、ミニバスのリングでボコボコやってましたね。小学生に『俺、できんだぞ』みたいに見せびらかしていました(笑)」

B:それで高1の終わりに初めてできたと。
「はい。中学生の頃からリングは掴めるようになって、さらに背も伸びていつの日かできるようになりました。それで、もっといつでもできるようにしたいと思って、練習したり下半身だけトレーニングしたりしましたね。そうしたら試合中も普通にダンクできるようになって、『俺、やばくね?』って調子乗り始めたんです(笑)。それで一回高校生のときに、ダンクしてリングにぶら下がってたらテクニカル取られましたね。マンガみたいなことが起きました(笑)。でもその時に審判の人が『そういう日本人が出てきたことは嬉しいことだから、どんどんやりなさい』みたいなことをこっそり言ってくれたんです。超かっこよかったですね」

B:素敵な審判ですね。いろんな種類のダンクがありますが、それは段々できるようになった形ですか?
「そうですね。高校生のときは両手で普通にやるやつしかあんまりできなかったんですけど、飛躍的にできるようになったのは大学に入ってからなんです。塚さんから3メンとかでも常にダンクに行けと言われていたし、練習中から常に跳んでいることがさらにジャンプ力につながって、気付いたら一回転のダンクもできるようになったし、バックダンクもできるようになったし、ウインドミルっていう腕を回して入れるやつとかもできるようになりましたね」

moriyama_danku2.jpgB:それだけいろいろできれば、ダンクコンテストも得意でしょうね。1年生の頃、京王電鉄杯でも披露していましたが。
「そうですね。ダンクコンテストといえば、台湾遠征に行ったときにダンクコンテストをやったんですよ。それで慶熙(キョンヒ)大のキム・ジョンギュって2m7cmのすごいやつがいるんですけど、そいつを差し置いて自分が1位になったんです。しかも台湾ってすごい日本人のことが大好きな国で、優勝したら僕と写真撮りたいって人が100人くらい並んだんですよ! これほんとですよ?(笑)あれはすごかった。日本じゃこんなスターには絶対なれないから、今のうち楽しんどこうと思って全員と写真撮りました(笑)。そこでダンクには自信持ちましたね。ただ、もっと試合でできればいいんですけど…(苦笑)」

B:やはり試合中は、感覚が違うのでしょうか?
「そうかも知れないですね。大学では試合慣れしてない分、そういう感覚がなくて。行かなきゃとは思っているんですけど『あー! 今の行けた!』ってあとから思うんですよ。ダンク行けるところでレイアップ置きに行っちゃって、しかもそのレイアップを外して怒られるみたいな。僕らしいっちゃ僕らしいんですけど(苦笑)。行けるところは行きたいし、自分の持ち味なので出せたらチームも乗るなとは思うんですけどね」

B:そういえば、手に松ヤニをつけてボールを滑らないようにしてダンクの練習をした、という話もたまに聞きますが。
「いや、僕の場合それはしなかったです。最初から、片手じゃなくて両手のダンクだったんですよ」

B:両手の方が跳びにくそうですが、難しくないですか?
「よく言われるんですけど、両手の方が簡単ですよ。逆に片手の方が、手の大きさとかも関係するだろうし難しくて。今じゃどっちもできますけど、僕は両手から入りましたね。片手は、最初は誰かにリングの近くにボールを上げてもらって、それを片手で押し込むみたいな感じで練習しました。あれ難しそうに見えて、ボールを掴めなくても大丈夫なので結構簡単なんです」

B:それは知らなかったです。ダンクをするコツはありますか?
「うーん…でも絶対みんなトレーニングすれば誰でもできるようになると思うんですよ。というか、絶対できると思い込んでやり続けることが大事です。良い意味で勘違いするというか。アメリカ人ってみんなダンクできますけど、あれはまわりの人もみんなできて、そういう環境が当たり前だからできるようになるって聞いたことがあります。だから思い込むことが大事ですね」

B:できると信じることが大事なんですね。では次にインタビューを回す人を指名していただけますか?
「はい。いろいろ考えたんですけど、日大の坂田央(#1)で! 央とは、プライベートでも本当によく遊ぶ仲なんです。候補としては大垣とかと迷ったんですけど、たぶんあいつはいつか回ってくると思うので。今回は央に回します」

B:坂田選手とは高校生の頃から交流はあったんですか?
「そうですね。仲良くなったのは大学からなんですけど、高校の時に国体の関東予選で東京と当たって対戦しました。アイツめちゃめちゃ走るのが速くて。僕、結構足の速さには自信あったんですけど、試合中普通に速攻で抜かれてレイアップ決められて『はえー!なんだコイツ!』って印象はありましたね。その試合、めちゃくちゃ離して守っていたのに結局アイツに28点くらい取られたので、勝ったから良いもののあやうく戦犯になるところでした(笑)」

moriyama2.jpgB:森山選手から見て坂田選手はどんな印象ですか?
「とりあえず、すごいハンサムです(笑)。けど、すごい気さく。こんな意気投合するとは思ってなかったですね。もともと大学1年生の時だったかに僕、話しかけたんですよ。試合終わってから『お前すげーな』みたいな。そしたら、『お前のがすげーよ』とか言ってすぐサーっと行っちゃったので、ちょっと冷たいやつなのかなと思っていたんです。でも4年生になった時くらいに、たまたま一緒にプライベートでバスケットをする機会があったんですけど、その時に話せば話すほどいろいろ合うところがあって『めっちゃいいやつじゃん!』って。それ以来、忙しくない時なんかは一週間に一回会うくらい会っていましたね。アイツの家が明治と近いので、練習終わってソッコー央に会いにいくみたいな(笑)。こんな仲良くなるとは思わなかったです」

B:坂田選手に何の話をすれば面白いと思いますか?
「あいつ、ベンチプレスがすごいのでそのあたりを聞いてみてください。胸筋がやばいので。一回アイツが明治の練習に来てくれたときがあったんですけど、スクリーンか何かでぶつかった時に死ぬかと思いましたもん。向こうは全く動いてなくて立っていただけなのに、フィジカルが強すぎて。気を失いそうになりました」

B:それはすごいですね。それでは次回は日本大・坂田央選手にお話を伺いします。森山選手、ありがとうございました。

写真上:1年生時の京王電鉄杯のダンクコンテスト。このとき、同級生では青山学院大の張本、中央大の大野が1年生でコンテストに出場し、ルーキー3人が上級生に混じって質の高いダンクを披露した。
写真中:京王電鉄におけるダンクコンテスト。2本目はワンハンドで。
写真下:サインに添えた言葉は中国語で「篮球永不熄(Basketball never stops!)」。

 
◆#7森山翔太(もりやま しょうた)
ちはら台南中→市立船橋高→明治大
4年・G・主将
186cm/76kg
・2006 ジュニアオールスター千葉県代表
・2009 インターハイベスト32(高3)
・2009 国体ベスト8(高3)

 
(2013.10.11&12.01インタビュー)
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています。

関連記事

テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

EDIT  |  00:00  |  その他の記事  |  Top↑
 | BLOGTOP |