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2013.03.21 (Thu)
【SPECIAL】BOJラインvol.14〜野本建吾選手〜
リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.14~青山学院大学・野本建吾選手~
選手の指名でリレー形式にインタビューをつなぐ「BOJライン」。第13回の東海大・狩野祐介選手からバトンを渡されたのは、青山学院大・野本建吾選手です。
北陸高校時代に全国制覇を達成し、鳴り物入りで強豪・青山学院大に入学。2011年には新人王も獲得し、現在も成長著しい注目の選手です。200cmの高さと柔らかいシュート、そして速攻の先陣を切る機動力を兼ね備えたプレースタイルは、味方を勢いづける起爆剤として今や無くてはならない存在となっています。
お話を伺っても分かるように、とにかくバスケットに対して純粋な向上心を持つ選手。謙虚で前向きな姿勢が、彼の大きな成長につながっているようです。インタビューでは、北陸高校時代の全国制覇までの道のりや青学大の日々の練習についても詳しくお話を伺っています。BOJライン、第14回もどうぞお楽しみください。
BOJ(以下B):BOJライン、第14回は青山学院大学・野本選手です。狩野選手からの紹介ですが、このリレーインタビューに出てみたかったとか?
「そうですね、結構(笑)」
B:最初に仲良くなったのは関東選抜だそうですね。
「はい。最初は全然絡みもなかったんですけどね。狩野さんって、キャプテンシーがすごい人というか、はじめは近寄りがたいイメージがあったんです。でも関東選抜をきっかけに仲良くさせてもらって。関東選抜ではすごくお世話になった大先輩ですね」
B:野本選手は狩野選手によく『かっこいいですね』と言っているそうですが。(BOJラインvol.13参照)
「はい(笑)。狩野さん、かっこいいじゃないですか。憧れというか、理想の男性なんです。男らしいし、背中で見せるところもまたかっこいい。なんというか、オーラがあるんですよね。狩野さんは恥ずかしがって照れちゃってますけど(笑)」
B:そうなんですか(笑)。では本題に入りますが、バスケを始めたのはいつですか?
「小学4年生の4月です。お父さんから『バスケットをやってみないか』と言われて、最初は遊び半分で始めたんですけど、それをきっかけにどんどん楽しくなっていった感じです」
B:始めた時の身長はどのくらいだったんですか?
「いや、普通に小さかったです。小4の時は覚えてないですけど、小5で150cmくらい、小6で160cmくらいだったと思います。全然低い方でしたね。でも中1から中2にかけて一気に伸びたんです。中1のときに177cmくらいになって、中2のときに188cmくらい。中3のときには192cmくらいだったと思います」
B:3年間で一気に伸びましたね。お父さんも大きいんですか?
「はい。お父さんも195cmくらいあります。お父さんもバスケをやっていました」
B:中学は福井県の北陸中に進みましたが、もともと地元はどちらなんですか?
「地元は兵庫県の尼崎です。お父さんの勧めで、中1の6月くらいに北陸高校の付属の北陸中に転校して。それから寮生活になりました。中学生のときは、高校生たちに面倒を見てもらいながら一緒にバスケしたりしていました」
B:親元を離れての中学校生活は大変だったのでは?
「そうですね。中学は進学校だったので勉強面がすごく大変でした。バスケは楽しかったんですけど、一番大変だったのは勉強ですね」
B:中学の頃に対戦して覚えている相手はいますか?
「うーん…中学はそんな強くなかったので…。あ、最後の引退試合は、北信越大会だったんですけど、富樫勇樹(モントロスクリスチャン高卒・現bj秋田)とか本間遼太郎(日本体育大#1)のいる、新潟の本丸中が相手だったんです。結構いい勝負はしたんですけど、あの代の本丸中ってやっぱり強くて、そこで引退しちゃいましたね」
B:中学の頃は、そこまで全国区というわけではなかったんですね。
「そうですね。中学も強くなかったし、ジュニアオールスターも、あとで優勝した北海道に予選リーグで負けたので、そんなに全国という思い出はないですね」
全国制覇までの長い道のり
B:では全国を実感したのは、北陸高校に進んでからなんですね。入学して最初はどうでしたか?
「最初は大変でしたね。練習もめっちゃキツイし、1年生で仕事もたくさんあって。環境の変化についていくのに苦労しました。1年の終わりとか2年になってから徐々に慣れてきて、そこから落ち着いてバスケットができるようになった感じです」
B:高1の時には、坂東選手(筑波大#14)と二人でベンチ入りしていたようですね。高校でも結構やれるな、という手応えはありましたか?
「いや、1年の頃は全然!インターハイでもあたふたしちゃって、試合に出てもボールをもらって空いたらシュート、とかそれくらいしかできなかったです。ちょっと手応えをつかんだのは、ウィンターカップになってからですね。ウィンターカップで少し出場機会をもらえるようになって、それからです」
B:手応えを掴んだきっかけのようなものはあったんですか?
「高1のウィンターカップは、準決勝で八王子と当たったんですけど、大きく点差を離されてしまって。それで最後はもう『自由にやってこい』みたいな状況だったので、逆に思いきって自分の良いところを出そうと思ってプレーしたんです。ドライブとかシュートとかいっぱい攻めたら、それが結構うまくいって、少し自信がついて。それがきっかけになりましたね」
B:高校2年の時には、下級生主体のチームになって既に主力でしたね。
「はい。まぁでもやっぱり1個上の占部さん(占部賢人・鹿屋体育大#0)たちがチームを引っ張って、僕らはそれについていくという感じでした。占部さんがすごくキャプテンシーの強い人だったので、下級生主体と言われつつも僕らはついていくだけという感じでしたね」
B:高校2年の時にはインターハイもウィンターカップもベスト4に入りましたね。その分、高3の時には勝負の年と言われてまわりの期待も大きかったと思いますが。
「それはありましたね。でも高3のインターハイでは京北に負けたし、国体も負けたし。勝てない時期が続いて、それはすごく辛かったです。最後の大会でやっとひとつになれて、優勝することができました」
B:どうして最後のウィンターカップでひとつになれたんでしょう?
「インターハイや国体の時は、まだみんな一人ひとりの役割があまり分かっていなかったんです。そういう中途半端な状況で大会に臨んで、やっぱりどこかしっくりこなくて。でも、そういう負けを味わって、どこが悪かったのかをみんなで真剣に話し合っていくうちにどんどん良くなっていきました。ウィンターカップの時は、その前の練習から一人ひとりの役割がハッキリし始めて、直前の練習ゲームもめちゃくちゃみんな調子良かったんですよね。すごく良い雰囲気で大会に入れて、『行けるぞ』みたいな自信もみんな持っていたし、最高のチーム状況でした」
B:大会中一番印象に残っている試合は?
「決勝もですけど、やっぱり僕は京北との準決勝が一番印象に残っています。京北にはインターハイで負けているので。インターハイのときは、3Qでリュウ(刘 孟涛・日本大#24)が皆川(明治大#51)相手にファウルトラブルになってしまって、それで一気にバッと離されてしまったんです。それでウィンターカップの試合も、あの時と全く同じような感じで、リュウが3Qでファウルトラブルになって。でもリュウがベンチに下がったときに、『絶対インターハイと同じことはさせないぞ』と思って、何が何でも負けないという気持ちで戦うことができました。それはたぶん自分だけじゃなくて他の人もみんな同じ気持ちだったと思います」
B:2回戦でインターハイ王者の八王子と当たり、準決勝ではインターハイで敗れた京北と対戦しました。山場の多い組み合わせでしたね。
「そうですね。八王子や京北に当たるとなって、なんかもう『これは運命や』と思いました。でも八王子にも京北にも、頑張れば勝てるだろうって自信があったし、『優勝するぞ!』ってムードも良かったですね。最後のウィンターだけに懸ける思いも強かったし、特別な大会になりました」
B:北陸高校にとっても、創部以来ウィンターカップ初優勝の快挙でした。8度目の決勝進出だったそうですが。
「そうなんです。過去7回決勝に進出しても勝っていなかったので、自分たちでその歴史を塗り替えようと。それはベスト4まで来たときにみんなで言っていましたね」
B:では優勝したときは相当嬉しかったでしょうね。
「もう本当に嬉しかったですね。久井先生とか津田監督に、優勝させてあげたいという思いがあって。勝てなかった時は今までで一番辛かったので、その分嬉しかったです」
B:野本選手の目から見て、その時の北陸高校はどんなチームでしたか?
「見てわかるとおり、みんなキャラが濃いんです(笑)。坂東も藤永(東海大#8)もだし、田野(田野司・同志社大#0)とかリュウも。キャラが濃い分、我が強くて、最初はまとまるのが大変だったのかなと。でも最終的には最高のチームになって良かったですね。北陸のみんなとは今でもめっちゃ仲がいいです。キャラが濃い分、楽しいし、そんな仲間です」
B:熱い選手が多いですよね。話は変わりますが、野本選手は背が大きくても3Pなど外のプレーもできますよね。それは高校時代から変わらず?
「はい。もともと中学生の時からシュートが好きだったんです。それで高校に上がっても、中も外も結構自由にやらせてもらっていました。自分は4番ポジションで、相手チームのセネガル人もみんなリュウについていたので、だからこそ自由にやれた部分はあると思います。リュウが中でやってくれる分、自分は外に出てドライブとかシュートとかをやらせてもらえて。試合中3Pも結構打っていました。チームメイトに恵まれて、環境が良かったんだと思います」
ハイレベルな世界に飛び込み切磋琢磨
B:北陸高校は部員が相当多いらしいですね。
「僕らが1年生のときは、3年生とかもすごく多かったです。でも僕らの代は少なくて10人ちょっとですし、チーム全員でも30人くらいだったと思います。少なくなりましたね」
B:今はそれぐらいなんですね。100人以上いたこともあったと聞きました。
「え、そんなにいたんですか?それは多いですね!」
B:だからまずAチームに入って試合に出ること自体がすごく大変だったとか。
「あーなるほど。試合に出られるのは5人ですもんね…。でもそれは青学もですよ。青学はやばいです(笑)。人数は少ないけど、スタメンに入ること、試合に出ることがまずすごく大変で。本当に毎日毎日が戦いです」
B:チーム内で切磋琢磨しているんですね。北陸高校からどうして青山学院大に進んだんですか?
「練習が一番厳しいと聞いていたし、レベルが高かったからです。将来上でやるためには、そういう厳しいところも経験しないと戦えないじゃないですか。相当覚悟は要りましたけど、頑張ろうと思って決意しました。それに高校1年とか2年の時から、よく青学の試合をDVDで見てすごいなと思っていて、こんなところでバスケできたらいいなとは思っていました」
B:一つ上に#8張本選手や#25永吉選手がいるわけですよね。ポジション争いの苦労も覚悟の上で決めたと。
「そうですね。試合に出られるかも分からなかったんですけど、頑張ってみようかなと思いました。そこでスタメンになるためには、今までの自分よりもっと上を目指さなきゃ駄目だし、何か変わらなきゃいけない。でもそこでスタメンに定着できるようになれば、逆にどこに行ってもある程度はやれるということなので」
B:野本選手が2年生になったばかりの頃に、『天傑さん(#8張本)が2年生の時にそうだったように、自分も成長の年にしたい』と意気込みを語っていたことが印象に残っています。その言葉通り、この1年間で1年生の頃よりだいぶ変わりましたね。
「そうですかね? ありがとうございます。まぁやっぱり先輩方にも負けられないですよね。特に天傑さんって、自分と体格が似ているじゃないですか。そういう天傑さんが2年生の時にすごく活躍しているのを見て、自分もここまでのレベルについていかないと、先は無いなと思って。何かしらの結果を残さないといけないし、そのための努力もしないといけないと思いました」
B:野本選手から見て、先輩方も努力をしているなと感じますか?
「そうですね。でも、みんな能力が高いから、正直そんな練習しなくてもある程度は出来ちゃうんですよね。比江島さんとか特にそんな感じです(笑)。あの人はやばい。でも身近にそういうすごい先輩がいるというのは、自分にとっても頑張れる要素になっていますね」
B:色々先輩方からアドバイスはもらうんですか?
「そうですね。俊樹さん(#32畠山)とか永吉さんとか、アドバイスしてくれることは多いです」
「落ち込んでいたって何も始まらない」
B:2年のリーグ戦終盤やインカレではスタメンからシックスマンに回りましたよね。それは1年生の鵤選手たちの調子が上がったからなのか、自分の調子が落ちたからなのかどちらでしょう。
「両方ですね。でも、インカレであまりプレータイムをもらえなかったことで、また自分自身を見つめ直すことができました。ここを直さなきゃだめだなとか。悔しかったですけど、良い経験にしなきゃいけないと思っていました」
B:前向きに考えたんですね。いつもすぐ切り替えられるタイプなんですか?
「いや、落ち込むときは本当に落ち込みます。インカレの時は、すごく落ち込みました。でもここで落ち込んでいたって何も始まらないし、自分の悪いところを見つけて直そうと。そうやって練習に取り込むことができました」
B:インカレが終わって、オールジャパンではスタメンに戻りました。JBLのレバンガ北海道を倒した試合でも、出だしから積極性が光りましたね。
「すごく緊張していたんですけどね(苦笑)。でもやっぱりここで負けたら4年生が引退というのがあって、それは寂しいし、インカレで勝てなかった分ここで絶対勝ちたいなと。自分にできることがあればコートで表現したいなとずっと思っていたので、ちょっとはできて良かったなと思いました」
B:試合に出られない経験をして、またひとつ成長したんですね。
「そうですね。とにかく、何か変わらなきゃというのは、今も毎日感じています。次は3年生になりますが、またさらに成長しないと、これからもし上の舞台に立てたとしても苦労するだけなので。やっぱり毎日毎日、頑張らないといけないですね。お父さんにも言われたんですけど、3年生になるまでのこの冬はトレーニングを頑張って、身体能力を上げることを第一に考えて、とりあえず1月・2月・3月は体を鍛えようと。また新しい自分になって、ハツラツとしたプレーができるように、地道に頑張りたいです」
トレーニングを積んで自分が成長したところを見せたい
B:青山学院大では春までどんなトレーニングをするんですか?
「いろいろありますね。体に筋肉をつけるトレーニングはもちろん、ジャンプで瞬発的な力をつけるトレーニングとか。とりあえず全体的にキツいです(苦笑)」
B:バスケットするよりもやっぱりトレーニングの方がきついですか?
「いや、どっちもきついです。まぁマルチはなんとか気持ちでクリアしてます。それぞれクリアしなきゃいけないマックスの数値を言われるんですけど、自分なんてあり得ない数値を出されたんですよ! そういうのを吉本さん(青学大トレーナー)は軽くポンと言うんです。でも、なにがなんでも上げてやろうと思って。それに、吉本さんが見ていると自分の実力以上のものが出るんです。それで上げられたし、マルチも苦ではないですね」
B:吉本完明トレーナーはどれくらい来てくれるんですか?
「毎日来て下さっていますね。学校にいますから」
B:では毎日鍛えられているんですね。
「そうですね。吉本さんに、自分の成長したところを見せたいんです。『お前、変わったな』と言われるように。自分、厳しい人に褒められたい人なんですよ(笑)。日常では『お前全然だめだなぁ』ってイジられるようなキャラなんですけど、やっぱり本番みたいなところでバーンといいところを見せて、褒められたら嬉しいし、気持ちいいじゃないですか。それは頑張れるきっかけでもあります」
B:そういう純粋な気持ちが成長につながっているんですね。3年生になる2013年は、比江島選手たちが卒業してチームとして試される年でもあると思います。
「そうですね。東海も強いだろうし。自分もあと2年だし、この1年間は大事ですね」
B:ライバルの東海大には、例えば同じ北陸高出身の#8藤永選手もいますが、東海大の選手から刺激はもらうことはありますか?
「ありますね。藤永もですけど、あとはケビン(#7晴山)とかザック(#10バランスキー)とかとも仲が良いんですよ。ケビンとよくしゃべるんですけど、お互い良い刺激を受けていると思いますね。トレーニングの話とかでも、『お前何キロ上げた?おれ何キロ』『へっ!おれ何キロだし』みたいな(笑)。会えば常にそんな感じです」
B:では、今後どういう選手になりたいですか?
「コートをぶわーっと駆け巡る選手になりたいです。運動量を多くして、リバウンドとかもガッツリ飛び込んで、速攻にも走って、一対一とかも臨機応変に仕掛けて。チームに勢いを与えられるようなハツラツとしたプレーを心がけています」
B:“ハツラツとしたプレー”というのは、前にも仰っていましたね。
「そうなんですよ。やっぱりだらーっとプレーしていたら、外から見ていても面白くないと感じるし、楽しくないと思うし、チームに勢いも与えられないと思うんです。長谷川さん(監督)からもそういう姿勢が求められていると思うし、自分自身もそれがバスケット、それがスポーツだと思うんです。だからやっぱり何事も全力で頑張ること、それが当たり前にできる選手になりたいです」
B:話は変わりますが、自分はどんな性格だと思いますか?
「うーん、基本ぼーっとしていますね。のほほんとしている性格です(笑)」
B:オフの日は何をして過ごしますか?
「買い物ですかね? でも自分結構バスケが好きなので、遊びでも体育館でシュート打ったり、トレーニングしたりしています。まぁ学校があった期間は、休みは全く無かったですね。青学のバスケ部って月・木が一応休みなんですけど、1・2年生は必ず月・木に吉本さんとのトレーニングがあるんです。大変だったのは、自分は淵野辺キャンパスの方に住んでいるんですけど、月・木は1・2限に青山キャンパスで授業だったので、7時とかに起きて満員電車に乗って青山キャンパスで授業受けて、また淵野辺に帰ってきてトレーニングして…。それは慣れるまで大変でした。でもそのおかげで、今の自分があるんだと思いますね」
B:そこで吉本トレーナーに鍛えてもらったわけですね。
「はい。吉本さんは本当に尊敬しています。吉本さんは人にも自分にもストイックだし、走ったり鍛えたりしているだけあって、実年齢よりすごく若いですもんね」
B:では、青山学院大の中で一番面白い人は?
「去年までは辻さん(11年卒・現JBL東芝)でしたけど、今年は誰だろう…。比江島さんとかは、面白くないのに自分で面白いと思っています(笑)。ちょっとポロっとみんなの前でボケみたいなことを言うんですけど、『シーン』みたいな。いじられキャラです(笑)」
B:(笑)。#15山崎将也選手はどんなキャプテンでしたか?
「将也さんは、背中で見せる感じですね。練習中からあんな感じです。それに、めっちゃ優しいです。優しさの固まり。でもおっさんキャラとしていじられてますね(笑)」
B:学年関係なく仲が良いんですね。ところで、野本選手は200cmになったそうですが、そのことをそんなに喜ばなかったと聞いたのですが。
「そうなんですよね…青学に身長を計る機械があるんですけど、そこで『200.0』と表示されちゃって…。みんなから『おー大台に乗ったな(笑)』とか言われました。200はマズいです。地元に帰ったらそんなに大きな人はいないし、目立ってみんなに見られるじゃないですか…。でも、今はもういいやって感じです」
B:バスケットにおいては高さは大事な武器ですからね。では次にインタビューを次に回す人を指名して頂けますか?
「じゃあ、筑波大の星野さんで。関東選抜でお世話になった先輩です。星野さんは、とにかくめっちゃ優しいですね」
B:では次回は筑波大・星野拓海選手にお話を伺います。野本選手、ありがとうございました。
写真上・中:2012年はリーグ戦前にプレシーズンマッチとしてリンク栃木ブレックスと対戦。代表活動で比江島、張本、永吉が不在の中、伊藤、網野といったリーグを代表する選手に対しても物怖じせずにぶつかっていった。
写真下:Tシャツに書いた言葉は「努力」。下級生らしいあどけなさも残る中、「うまくなりたい」という強い気持ちが伝わってくる。
◆#7野本建吾(のもと けんご)
北陸中→北陸高→青山学院大
2年・F
200cm/93kg
・2007ジュニアオールスター福井代表
・2010ウィンターカップ優勝(高3)
・2011新人戦 新人王
・2012新人戦 優秀選手賞
・2012李相伯杯代表
・2012関東学生選抜代表
(2013.1.3インタビュー)
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています。
vol.14~青山学院大学・野本建吾選手~

北陸高校時代に全国制覇を達成し、鳴り物入りで強豪・青山学院大に入学。2011年には新人王も獲得し、現在も成長著しい注目の選手です。200cmの高さと柔らかいシュート、そして速攻の先陣を切る機動力を兼ね備えたプレースタイルは、味方を勢いづける起爆剤として今や無くてはならない存在となっています。
お話を伺っても分かるように、とにかくバスケットに対して純粋な向上心を持つ選手。謙虚で前向きな姿勢が、彼の大きな成長につながっているようです。インタビューでは、北陸高校時代の全国制覇までの道のりや青学大の日々の練習についても詳しくお話を伺っています。BOJライン、第14回もどうぞお楽しみください。
[続きを読む]
親元を離れての北陸中時代
「そうですね、結構(笑)」
B:最初に仲良くなったのは関東選抜だそうですね。
「はい。最初は全然絡みもなかったんですけどね。狩野さんって、キャプテンシーがすごい人というか、はじめは近寄りがたいイメージがあったんです。でも関東選抜をきっかけに仲良くさせてもらって。関東選抜ではすごくお世話になった大先輩ですね」
B:野本選手は狩野選手によく『かっこいいですね』と言っているそうですが。(BOJラインvol.13参照)
「はい(笑)。狩野さん、かっこいいじゃないですか。憧れというか、理想の男性なんです。男らしいし、背中で見せるところもまたかっこいい。なんというか、オーラがあるんですよね。狩野さんは恥ずかしがって照れちゃってますけど(笑)」
B:そうなんですか(笑)。では本題に入りますが、バスケを始めたのはいつですか?
「小学4年生の4月です。お父さんから『バスケットをやってみないか』と言われて、最初は遊び半分で始めたんですけど、それをきっかけにどんどん楽しくなっていった感じです」
B:始めた時の身長はどのくらいだったんですか?
「いや、普通に小さかったです。小4の時は覚えてないですけど、小5で150cmくらい、小6で160cmくらいだったと思います。全然低い方でしたね。でも中1から中2にかけて一気に伸びたんです。中1のときに177cmくらいになって、中2のときに188cmくらい。中3のときには192cmくらいだったと思います」
B:3年間で一気に伸びましたね。お父さんも大きいんですか?
「はい。お父さんも195cmくらいあります。お父さんもバスケをやっていました」
B:中学は福井県の北陸中に進みましたが、もともと地元はどちらなんですか?
「地元は兵庫県の尼崎です。お父さんの勧めで、中1の6月くらいに北陸高校の付属の北陸中に転校して。それから寮生活になりました。中学生のときは、高校生たちに面倒を見てもらいながら一緒にバスケしたりしていました」
B:親元を離れての中学校生活は大変だったのでは?
「そうですね。中学は進学校だったので勉強面がすごく大変でした。バスケは楽しかったんですけど、一番大変だったのは勉強ですね」
B:中学の頃に対戦して覚えている相手はいますか?
「うーん…中学はそんな強くなかったので…。あ、最後の引退試合は、北信越大会だったんですけど、富樫勇樹(モントロスクリスチャン高卒・現bj秋田)とか本間遼太郎(日本体育大#1)のいる、新潟の本丸中が相手だったんです。結構いい勝負はしたんですけど、あの代の本丸中ってやっぱり強くて、そこで引退しちゃいましたね」
B:中学の頃は、そこまで全国区というわけではなかったんですね。
「そうですね。中学も強くなかったし、ジュニアオールスターも、あとで優勝した北海道に予選リーグで負けたので、そんなに全国という思い出はないですね」
全国制覇までの長い道のり

「最初は大変でしたね。練習もめっちゃキツイし、1年生で仕事もたくさんあって。環境の変化についていくのに苦労しました。1年の終わりとか2年になってから徐々に慣れてきて、そこから落ち着いてバスケットができるようになった感じです」
B:高1の時には、坂東選手(筑波大#14)と二人でベンチ入りしていたようですね。高校でも結構やれるな、という手応えはありましたか?
「いや、1年の頃は全然!インターハイでもあたふたしちゃって、試合に出てもボールをもらって空いたらシュート、とかそれくらいしかできなかったです。ちょっと手応えをつかんだのは、ウィンターカップになってからですね。ウィンターカップで少し出場機会をもらえるようになって、それからです」
B:手応えを掴んだきっかけのようなものはあったんですか?
「高1のウィンターカップは、準決勝で八王子と当たったんですけど、大きく点差を離されてしまって。それで最後はもう『自由にやってこい』みたいな状況だったので、逆に思いきって自分の良いところを出そうと思ってプレーしたんです。ドライブとかシュートとかいっぱい攻めたら、それが結構うまくいって、少し自信がついて。それがきっかけになりましたね」
B:高校2年の時には、下級生主体のチームになって既に主力でしたね。
「はい。まぁでもやっぱり1個上の占部さん(占部賢人・鹿屋体育大#0)たちがチームを引っ張って、僕らはそれについていくという感じでした。占部さんがすごくキャプテンシーの強い人だったので、下級生主体と言われつつも僕らはついていくだけという感じでしたね」
B:高校2年の時にはインターハイもウィンターカップもベスト4に入りましたね。その分、高3の時には勝負の年と言われてまわりの期待も大きかったと思いますが。
「それはありましたね。でも高3のインターハイでは京北に負けたし、国体も負けたし。勝てない時期が続いて、それはすごく辛かったです。最後の大会でやっとひとつになれて、優勝することができました」
B:どうして最後のウィンターカップでひとつになれたんでしょう?
「インターハイや国体の時は、まだみんな一人ひとりの役割があまり分かっていなかったんです。そういう中途半端な状況で大会に臨んで、やっぱりどこかしっくりこなくて。でも、そういう負けを味わって、どこが悪かったのかをみんなで真剣に話し合っていくうちにどんどん良くなっていきました。ウィンターカップの時は、その前の練習から一人ひとりの役割がハッキリし始めて、直前の練習ゲームもめちゃくちゃみんな調子良かったんですよね。すごく良い雰囲気で大会に入れて、『行けるぞ』みたいな自信もみんな持っていたし、最高のチーム状況でした」

「決勝もですけど、やっぱり僕は京北との準決勝が一番印象に残っています。京北にはインターハイで負けているので。インターハイのときは、3Qでリュウ(刘 孟涛・日本大#24)が皆川(明治大#51)相手にファウルトラブルになってしまって、それで一気にバッと離されてしまったんです。それでウィンターカップの試合も、あの時と全く同じような感じで、リュウが3Qでファウルトラブルになって。でもリュウがベンチに下がったときに、『絶対インターハイと同じことはさせないぞ』と思って、何が何でも負けないという気持ちで戦うことができました。それはたぶん自分だけじゃなくて他の人もみんな同じ気持ちだったと思います」
B:2回戦でインターハイ王者の八王子と当たり、準決勝ではインターハイで敗れた京北と対戦しました。山場の多い組み合わせでしたね。
「そうですね。八王子や京北に当たるとなって、なんかもう『これは運命や』と思いました。でも八王子にも京北にも、頑張れば勝てるだろうって自信があったし、『優勝するぞ!』ってムードも良かったですね。最後のウィンターだけに懸ける思いも強かったし、特別な大会になりました」
B:北陸高校にとっても、創部以来ウィンターカップ初優勝の快挙でした。8度目の決勝進出だったそうですが。
「そうなんです。過去7回決勝に進出しても勝っていなかったので、自分たちでその歴史を塗り替えようと。それはベスト4まで来たときにみんなで言っていましたね」
B:では優勝したときは相当嬉しかったでしょうね。
「もう本当に嬉しかったですね。久井先生とか津田監督に、優勝させてあげたいという思いがあって。勝てなかった時は今までで一番辛かったので、その分嬉しかったです」
B:野本選手の目から見て、その時の北陸高校はどんなチームでしたか?
「見てわかるとおり、みんなキャラが濃いんです(笑)。坂東も藤永(東海大#8)もだし、田野(田野司・同志社大#0)とかリュウも。キャラが濃い分、我が強くて、最初はまとまるのが大変だったのかなと。でも最終的には最高のチームになって良かったですね。北陸のみんなとは今でもめっちゃ仲がいいです。キャラが濃い分、楽しいし、そんな仲間です」
B:熱い選手が多いですよね。話は変わりますが、野本選手は背が大きくても3Pなど外のプレーもできますよね。それは高校時代から変わらず?
「はい。もともと中学生の時からシュートが好きだったんです。それで高校に上がっても、中も外も結構自由にやらせてもらっていました。自分は4番ポジションで、相手チームのセネガル人もみんなリュウについていたので、だからこそ自由にやれた部分はあると思います。リュウが中でやってくれる分、自分は外に出てドライブとかシュートとかをやらせてもらえて。試合中3Pも結構打っていました。チームメイトに恵まれて、環境が良かったんだと思います」
ハイレベルな世界に飛び込み切磋琢磨

「僕らが1年生のときは、3年生とかもすごく多かったです。でも僕らの代は少なくて10人ちょっとですし、チーム全員でも30人くらいだったと思います。少なくなりましたね」
B:今はそれぐらいなんですね。100人以上いたこともあったと聞きました。
「え、そんなにいたんですか?それは多いですね!」
B:だからまずAチームに入って試合に出ること自体がすごく大変だったとか。
「あーなるほど。試合に出られるのは5人ですもんね…。でもそれは青学もですよ。青学はやばいです(笑)。人数は少ないけど、スタメンに入ること、試合に出ることがまずすごく大変で。本当に毎日毎日が戦いです」
B:チーム内で切磋琢磨しているんですね。北陸高校からどうして青山学院大に進んだんですか?
「練習が一番厳しいと聞いていたし、レベルが高かったからです。将来上でやるためには、そういう厳しいところも経験しないと戦えないじゃないですか。相当覚悟は要りましたけど、頑張ろうと思って決意しました。それに高校1年とか2年の時から、よく青学の試合をDVDで見てすごいなと思っていて、こんなところでバスケできたらいいなとは思っていました」
B:一つ上に#8張本選手や#25永吉選手がいるわけですよね。ポジション争いの苦労も覚悟の上で決めたと。
「そうですね。試合に出られるかも分からなかったんですけど、頑張ってみようかなと思いました。そこでスタメンになるためには、今までの自分よりもっと上を目指さなきゃ駄目だし、何か変わらなきゃいけない。でもそこでスタメンに定着できるようになれば、逆にどこに行ってもある程度はやれるということなので」
B:野本選手が2年生になったばかりの頃に、『天傑さん(#8張本)が2年生の時にそうだったように、自分も成長の年にしたい』と意気込みを語っていたことが印象に残っています。その言葉通り、この1年間で1年生の頃よりだいぶ変わりましたね。
「そうですかね? ありがとうございます。まぁやっぱり先輩方にも負けられないですよね。特に天傑さんって、自分と体格が似ているじゃないですか。そういう天傑さんが2年生の時にすごく活躍しているのを見て、自分もここまでのレベルについていかないと、先は無いなと思って。何かしらの結果を残さないといけないし、そのための努力もしないといけないと思いました」
B:野本選手から見て、先輩方も努力をしているなと感じますか?
「そうですね。でも、みんな能力が高いから、正直そんな練習しなくてもある程度は出来ちゃうんですよね。比江島さんとか特にそんな感じです(笑)。あの人はやばい。でも身近にそういうすごい先輩がいるというのは、自分にとっても頑張れる要素になっていますね」
B:色々先輩方からアドバイスはもらうんですか?
「そうですね。俊樹さん(#32畠山)とか永吉さんとか、アドバイスしてくれることは多いです」
「落ち込んでいたって何も始まらない」

「両方ですね。でも、インカレであまりプレータイムをもらえなかったことで、また自分自身を見つめ直すことができました。ここを直さなきゃだめだなとか。悔しかったですけど、良い経験にしなきゃいけないと思っていました」
B:前向きに考えたんですね。いつもすぐ切り替えられるタイプなんですか?
「いや、落ち込むときは本当に落ち込みます。インカレの時は、すごく落ち込みました。でもここで落ち込んでいたって何も始まらないし、自分の悪いところを見つけて直そうと。そうやって練習に取り込むことができました」
B:インカレが終わって、オールジャパンではスタメンに戻りました。JBLのレバンガ北海道を倒した試合でも、出だしから積極性が光りましたね。
「すごく緊張していたんですけどね(苦笑)。でもやっぱりここで負けたら4年生が引退というのがあって、それは寂しいし、インカレで勝てなかった分ここで絶対勝ちたいなと。自分にできることがあればコートで表現したいなとずっと思っていたので、ちょっとはできて良かったなと思いました」
B:試合に出られない経験をして、またひとつ成長したんですね。
「そうですね。とにかく、何か変わらなきゃというのは、今も毎日感じています。次は3年生になりますが、またさらに成長しないと、これからもし上の舞台に立てたとしても苦労するだけなので。やっぱり毎日毎日、頑張らないといけないですね。お父さんにも言われたんですけど、3年生になるまでのこの冬はトレーニングを頑張って、身体能力を上げることを第一に考えて、とりあえず1月・2月・3月は体を鍛えようと。また新しい自分になって、ハツラツとしたプレーができるように、地道に頑張りたいです」
トレーニングを積んで自分が成長したところを見せたい

「いろいろありますね。体に筋肉をつけるトレーニングはもちろん、ジャンプで瞬発的な力をつけるトレーニングとか。とりあえず全体的にキツいです(苦笑)」
B:バスケットするよりもやっぱりトレーニングの方がきついですか?
「いや、どっちもきついです。まぁマルチはなんとか気持ちでクリアしてます。それぞれクリアしなきゃいけないマックスの数値を言われるんですけど、自分なんてあり得ない数値を出されたんですよ! そういうのを吉本さん(青学大トレーナー)は軽くポンと言うんです。でも、なにがなんでも上げてやろうと思って。それに、吉本さんが見ていると自分の実力以上のものが出るんです。それで上げられたし、マルチも苦ではないですね」
B:吉本完明トレーナーはどれくらい来てくれるんですか?
「毎日来て下さっていますね。学校にいますから」
B:では毎日鍛えられているんですね。
「そうですね。吉本さんに、自分の成長したところを見せたいんです。『お前、変わったな』と言われるように。自分、厳しい人に褒められたい人なんですよ(笑)。日常では『お前全然だめだなぁ』ってイジられるようなキャラなんですけど、やっぱり本番みたいなところでバーンといいところを見せて、褒められたら嬉しいし、気持ちいいじゃないですか。それは頑張れるきっかけでもあります」
B:そういう純粋な気持ちが成長につながっているんですね。3年生になる2013年は、比江島選手たちが卒業してチームとして試される年でもあると思います。
「そうですね。東海も強いだろうし。自分もあと2年だし、この1年間は大事ですね」
B:ライバルの東海大には、例えば同じ北陸高出身の#8藤永選手もいますが、東海大の選手から刺激はもらうことはありますか?
「ありますね。藤永もですけど、あとはケビン(#7晴山)とかザック(#10バランスキー)とかとも仲が良いんですよ。ケビンとよくしゃべるんですけど、お互い良い刺激を受けていると思いますね。トレーニングの話とかでも、『お前何キロ上げた?おれ何キロ』『へっ!おれ何キロだし』みたいな(笑)。会えば常にそんな感じです」
B:では、今後どういう選手になりたいですか?
「コートをぶわーっと駆け巡る選手になりたいです。運動量を多くして、リバウンドとかもガッツリ飛び込んで、速攻にも走って、一対一とかも臨機応変に仕掛けて。チームに勢いを与えられるようなハツラツとしたプレーを心がけています」

「そうなんですよ。やっぱりだらーっとプレーしていたら、外から見ていても面白くないと感じるし、楽しくないと思うし、チームに勢いも与えられないと思うんです。長谷川さん(監督)からもそういう姿勢が求められていると思うし、自分自身もそれがバスケット、それがスポーツだと思うんです。だからやっぱり何事も全力で頑張ること、それが当たり前にできる選手になりたいです」
B:話は変わりますが、自分はどんな性格だと思いますか?
「うーん、基本ぼーっとしていますね。のほほんとしている性格です(笑)」
B:オフの日は何をして過ごしますか?
「買い物ですかね? でも自分結構バスケが好きなので、遊びでも体育館でシュート打ったり、トレーニングしたりしています。まぁ学校があった期間は、休みは全く無かったですね。青学のバスケ部って月・木が一応休みなんですけど、1・2年生は必ず月・木に吉本さんとのトレーニングがあるんです。大変だったのは、自分は淵野辺キャンパスの方に住んでいるんですけど、月・木は1・2限に青山キャンパスで授業だったので、7時とかに起きて満員電車に乗って青山キャンパスで授業受けて、また淵野辺に帰ってきてトレーニングして…。それは慣れるまで大変でした。でもそのおかげで、今の自分があるんだと思いますね」
B:そこで吉本トレーナーに鍛えてもらったわけですね。
「はい。吉本さんは本当に尊敬しています。吉本さんは人にも自分にもストイックだし、走ったり鍛えたりしているだけあって、実年齢よりすごく若いですもんね」
B:では、青山学院大の中で一番面白い人は?
「去年までは辻さん(11年卒・現JBL東芝)でしたけど、今年は誰だろう…。比江島さんとかは、面白くないのに自分で面白いと思っています(笑)。ちょっとポロっとみんなの前でボケみたいなことを言うんですけど、『シーン』みたいな。いじられキャラです(笑)」
B:(笑)。#15山崎将也選手はどんなキャプテンでしたか?
「将也さんは、背中で見せる感じですね。練習中からあんな感じです。それに、めっちゃ優しいです。優しさの固まり。でもおっさんキャラとしていじられてますね(笑)」

「そうなんですよね…青学に身長を計る機械があるんですけど、そこで『200.0』と表示されちゃって…。みんなから『おー大台に乗ったな(笑)』とか言われました。200はマズいです。地元に帰ったらそんなに大きな人はいないし、目立ってみんなに見られるじゃないですか…。でも、今はもういいやって感じです」
B:バスケットにおいては高さは大事な武器ですからね。では次にインタビューを次に回す人を指名して頂けますか?
「じゃあ、筑波大の星野さんで。関東選抜でお世話になった先輩です。星野さんは、とにかくめっちゃ優しいですね」
B:では次回は筑波大・星野拓海選手にお話を伺います。野本選手、ありがとうございました。
写真上・中:2012年はリーグ戦前にプレシーズンマッチとしてリンク栃木ブレックスと対戦。代表活動で比江島、張本、永吉が不在の中、伊藤、網野といったリーグを代表する選手に対しても物怖じせずにぶつかっていった。
写真下:Tシャツに書いた言葉は「努力」。下級生らしいあどけなさも残る中、「うまくなりたい」という強い気持ちが伝わってくる。
◆#7野本建吾(のもと けんご)
北陸中→北陸高→青山学院大
2年・F
200cm/93kg
・2007ジュニアオールスター福井代表
・2010ウィンターカップ優勝(高3)
・2011新人戦 新人王
・2012新人戦 優秀選手賞
・2012李相伯杯代表
・2012関東学生選抜代表
(2013.1.3インタビュー)
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています。
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