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2012.10.30 (Tue)
【SPECIAL】BOJラインvol.12~熊谷尚也選手~
リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.12~日本体育大学・熊谷尚也選手~
選手の指名でリレー形式にインタビューをつなぐ「BOJライン」。第11回の大東文化大・岸本隆一選手からバトンを渡されたのは、日本体育大・熊谷尚也選手です。
恵まれた身体と卓越した跳躍力でダイナミックなプレーを連発。リバウンドなどインサイドでの貢献も然ることながら、3Pまで打てるプレーの幅を持つ選手です。3年時に開花しチームの1部昇格に大きく貢献したことは記憶に新しく、4年目の今年は自身初の1部でキャプテンとしての奮闘も見られます。今や注目選手となった熊谷選手ですが、小中高時代は強豪チームにいた訳ではなく、福岡県内の強豪高校とも全く対戦していないのだそう。そこからどうしてここまで登り詰められたのか、シンデレラストーリーも興味深いものとなっています。BOJライン、第12回もどうぞお楽しみください。
BOJ(以下B):BOJライン、第12回目は日本体育大・熊谷尚也選手です。よろしくお願いします。岸本選手からの紹介ですが、李相伯杯が仲良くなったきっかけということですね。
「そうですね。それまであまり接点がなかったんですけど、李相伯杯の選考会みたいなので初めて喋ったんです。あいつ沖縄出身とあってすごいフランクな感じじゃないですか。誰とでも仲良くなれるというか。それで向こうから話しかけてくれて、そのあと李相伯にも一緒に選ばれたし関東選抜でも一緒のチームで戦って仲良くなりました。最初のきっかけは李相伯の選考会ですね」
B:最初の印象はどのような感じでしたか?
「ほぼ初対面なのにいきなり近寄ってきて話しかけてきたので、最初はなんて返していいのか分からなくて(笑)。すごい人のこといじってくるんですよ。でも本人的には、拓大の長谷川智伸(#94)とかが結構色んな人からいじられるのを羨ましがってて、いじられたいみたいですね(笑)。そういうやつです、あいつは」
B:そうでしたか(笑)。では本題に入りますが、バスケットを始めたのはいつ頃ですか?
「小学校3年生の時からです。最初は兄と姉の影響でサッカーを始めたんですけど、あまり面白くなくて1ヶ月くらいで辞めちゃったんです。でも父親から、何かスポーツはやりなさいと言われたので、じゃあバスケをやってみようかなと。大したきっかけも無くなんとなく始めた感じです」
B:お兄さんとお姉さんはサッカーをやっていたんですね。
「そうですね。2つ上に姉がいて4つ上に兄がいるんですが、二人は全くバスケはやってなかったです。それに両親はずっとバレーをやっていて、高校時代は結構有名な選手だったみたいですね。でも小学生のバレーチームが近所になかったので、バスケになりました」
B:スポーツ一家なんですね。身長はご両親も高いんですか?
「母親が170弱ぐらいあって、父親も確か185、6くらいあります。まぁその中でも自分が群を抜いてデカいですけどね(笑)。兄も父親くらいで姉も母親くらいなんですけど、なぜか自分だけかなり伸びました」
B:ミニバスはどんなチームでしたか?
「ミニバスも全然強くなかったです。博多区では1位とか取れても、市大会とか出たら1回戦で負けるようなチームでしたね」
B:中学はどうでしたか?
「中学も同じですね。博多区では1番になれても、市大会に出たら1回戦やっと勝てるか勝てないかぐらい。練習もそんな厳しくなくて、シューティングしてじゃあ5対5やろうみたいな感じでした。それに毎年顧問が変わっていたんですよ。やる時はやってましたけど、そこまで厳しくやっていなかったです」
B:福岡は子供たちもかなりレベルが高いですよね。
「そうなんですよ…。周りの学校が化け物みたいなやつらばかりだったので、正直どうせ無理だろう、みたいな感じはありました(苦笑)」
B:その頃対戦して覚えている対戦相手はいますか?
「中学校の時に一度だけ、比江島のいる百道中と戦って、本当にボッコボコにやられましたね(苦笑)。点数は覚えてないですけど、とりあえず信じられないくらい点差をつけられたことは覚えてます。それぐらいですかね」
B:そこから九産大高校に進んだ経緯を教えてください。
「高校でもそんな高いレベルでバスケがやりたいというわけでは無くて、普通に公立高校に行こうとしていたんです。でも入試で落ちてしまって、どうしようかなーと考えた時に、父親の知り合いの先生が何人かいたので九産に決めました。高校はその頃まだバスケ部が創部されたばかりで、自分がそのバスケ部の3期生なんですよ。僕らの代が入学してやっと3学年揃ったくらいで。だからそんな伝統あるような部活じゃなかったし、厳しく練習しているまわりの学校に比べれば、全然楽にバスケする感じだったと思います」
B:最高成績はどのくらいだったんですか?
「強さ的には、福岡県内でベスト32にも多分入ってないと思います。福岡のウィンター予選って、1次予選を通過して2次予選みたいなのがあるんですけど、そこの2次予選の初戦で負けたくらいです」
B:では福岡の強豪校とはあまり戦っていないんですね。
「第一(福岡第一高校)や大濠(福岡大附属大濠高校)とは、一度も対戦したことが無いんです。典型的な弱小校だったので。市内でよく県大会の決勝とかやってたのでよく観には行ってたんですけど、対戦するなんて夢のまた夢(笑)。友達と『一回は戦ってみたいね~』とか話してたくらいでしたね」
人生が大きく変わった日体大への進学
B:そこからどうして日本体育大に進むことになったんですか?
「高校の時によく長崎の瓊浦高校に遠征に行ってたんですけど、そこの監督さんが日体出身の方だったんです。それでその監督さんが日体の小谷さんに話してくれて、小谷さん(※1)がわざわざ九産まで練習を見にきてくれて、そこで日体に入らないかという話になったんです。自分的にも大学でバスケやれるなんて思ってもみなくて、驚きでしたね。高校も工業科だったし、卒業して普通に就職するものだと思っていたんです。だからお話を頂けて、バスケでやれるところまでやってみようかなと思って。大学バスケは関東が強いというのは知っていたので、憧れもありましたね」
B:そこが人生の大きな転機となりましたね。
「全然違いますよね。あの時に声がかかってなかったら、今頃普通に働いてましたから(笑)。あの時に大学に行くって決めて良かったです」
B:こっちに上京して来て最初はどうでしたか?
「とりあえず最初、渋谷の人の多さにはびっくりしました(笑)。それに日体に来たら、すごい人だらけじゃないですか。大学自体が伝統ある厳しい学校だし、今までラクに楽しくやってきた環境とは全然違ったので、本当にやっていけるのかなとかーとかすごく不安で。入学してからの1・2ヶ月は、もう辞めたいと思ってましたね、ずっと。でも何やかんやで辞める勇気もなくて(苦笑)。気付いたらもう4年ですもんね」
B:1・2年生の時を振り返っていかがですか?
「1年生の時は、リーグ戦も2・3分ちょろっと出場機会をもらうくらいで、特に何もせずに終わって。で、2年生のリーグ戦で最初スタメンで出させてもらったんです。でもその時は全然走れなくて、チームに迷惑をかけましたね。1往復走るだけでゼイゼイするくらいでした。でも病院に行って検査してもらったら、その原因が貧血だってことが分かって。それが2年生の冬ですね」
B:昨年、貧血を治したという話は少しお伺いしましたね(9/4レポート)。2年の冬の検査で初めて分かったんですか。
「そうなんです。それまで全然そんなことは知らなくて、ただの自分の体力不足だと思っていたんです。でも練習でもランメニューに全然ついていけないし、毎日死ぬほどきつい思いをして、さすがにこれはまずいなと思って病院に行って。そうしたら『貧血ですね』と(苦笑)。で、薬を飲んで貧血を治したらランメニューも全然走れるようになったし、40分試合に出ても体力が持つようになりましたね」
B:原因が分かって良かったですね。3年生の時は春の日筑戦から好調で、プレーに自信が感じられました。
「そうですね。体力がついてペースを落とさず思いっきりプレーしたり、速攻にも参加できるようになったので。試合に出させていただけるようになったのも、それからですよね」
B:昨年はチームの調子も良かったシーズンでしたね。3年生の時を振り返っていかがですか?
「色々あって充実したシーズンでしたね。日筑も自分が入学してから初めて勝つことができたし、リーグ戦も優勝できたし、1部に復帰できたし。自分にとってもチームにとっても良い年だったんじゃないかなと思います。チームの雰囲気も一昨年に比べて全然良かったですし、楽しかったですね」
B:藤田HCに変わって2年目で、チームにHCの教えが浸透してきた様子でしたね。
「そうですね。1年目は自分たちもどんな監督か分からず探り探りな感じだったので上手くいかなかったですけど、1年経って信頼できるようになって、藤田さんの言う通りに頑張れば結果もついてくるんだということも分かりました。2年目から変わりましたね」
B:入替戦も2連勝で強さを十分に発揮しましたよね。第2戦は熊谷選手の連続3Pでチームを盛り上げる場面もありましたが。
「あの時は無我夢中で、何も考えてなかったです。まぁ練習やリーグ戦でも3Pは時々打っていたので、迷いなく打ったら入った感じですね。それに横江さん(11年度主将・現bj滋賀)からのパスだったので、絶対決めなきゃなと(笑)。積極的に打ったらたまたま連続で入ったので良かったです」
写真下:昨年の入れ替え戦。3Pを決めて戻る熊谷選手に応援団も歓呼して迎えた。
ダンクシュートも「チャンスを窺いつつ狙いたい」
B:熊谷選手といえば豪快なダンクシュートのイメージがあります。ダンクをするようになったのはいつからですか?
「いつからだっけな…。確か高1の終わりか高2の始めだと思います。練習終わりに後輩や先輩とシューティングしてて、『ダンクやってみろよ』って言われたんですよ。何回かやってたらできて、『おおーできた!』みたいな。それからですね。でもその時は、今みたいに楽にできる感じではなくて、ギリギリできるくらいだったんですけどね。身長が190くらいあっても全然飛べなかったので。でもそれから練習終わりとかに遊び感覚でやってたら、徐々に飛べるようになって、今に至る感じです」
B:昨年は1試合につきほぼ1回以上はダンクを決めていましたよね。
「そうですね。1試合に1回はしたいなという思いはありました。自分がダンクすることでベンチも応援席も盛り上がってくれるじゃないですか。そういうのがチームの勢いになって貢献できるかなと思ったので。まぁ1部はデカいやつらばかりなので、そうそう簡単にダンクもできませんが…。チャンスを窺いつつ狙っていこうと思います」
B:今年はキャプテンも務めています。春には苦労していると仰っていましたが。
「そうですね。自分はあれこれ上手く人に言えるタイプではなくて…。今までのバスケ人生の中で初めてのキャプテンなので、まだ慣れないです。でもそれでこの前、試合後に林(学生コーチ)に怒られたんですよ。『お前がしっかりしないとチームも乗ってこないんだよ』って。すごい怒られて、泣きそうになりました(苦笑)。でもそうやって言ってくれて、本当にありがたいですね。その時からもっとしっかりしなきゃって思うようになったし、やるべきことも少し分かったような気がします」
B:林 裕輝学生コーチは熊谷選手と同じ代で、昨年3年生の終わりから学生コーチに転身したんですよね。彼の存在は大きいようですね。
「はい。自分が口で言えない部分を、林が色々言ってくれるので…林にはいつも助けてもらってます!(笑)」(近くにいる林学生コーチに聞こえるよう大きい声で)
B:(笑)。すごく元気な方ですよね。
「あいつは元気だけが取り柄って感じですから(笑)。自分らの代って、チームを引っ張るってキャラが少なかったんです。水沼(#22)にしても横山(#16)にしても竹中(#14)にしても、自分みたいに大人しくて。仲はすごく良い代なんですけどね」
写真下:林 裕輝学生コーチ。カメラを向けるとポーズを取って応えてくれた。
『Play Hard』の精神で挑むラストシーズン
B:誰か一人が、というよりもみんなで引っ張るという感じなんですね。熊谷選手自身はどういう性格なんですか?
「よく言われるのは、大人しいとか、クールとか、話しかけづらいとか…。自分すごく人見知りなんです。初対面の人と話すと、返事しかできないですから(苦笑)。自分から喋りかけられないし、顔もいつもムスッとしてるので、怖いイメージは持たれますね。自分的にはそんな意識はないし喋りかけて欲しいんですけど(笑)。他の4年生もそんな感じです。テンション高くガツガツ言えるのは林くらいで、あいつがいてくれるから4年生もチームもまとまれるというか。あいつのお蔭ですね」
B:では最後に、残りのシーズン、どんな風に戦っていきたいですか?
「今年は1部でやらせてもらえるので、自分としてもどこまでやれるか試す場でもあると思います。チャレンジ精神を持って、自分たちのバスケをして、どんな時も最後まで諦めずに戦っていきたいですね。チームにスーパースターがいるわけではないので、藤田さんがいつも言っているように『Play Hard』の精神で、泥臭く戦っていきたいです」

B:期待しています。では次にインタビューを回す人を指名してもらえますか?
「誰にしよう…あんまり仲が良い人いないんですよね(苦笑)。じゃあ、福岡つながりで東海の狩野(#33)にしましょう。キャプテンですし、彼ならきっといい言葉も出ると思います(笑)」
B:狩野選手はどんな印象ですか?
「真面目っぽいイメージがあったんですけど、選抜とかで仲良くなってコート外で話してるとギャグとかも言うし、普通に面白い人ですね」
B:狩野選手に何か聞きたいことはありますか?
「じゃあ今さら聞くことじゃないと思うんですけど、キャプテンってどうすればいいの?ってことを聞きたいです(苦笑)。どこに気をつければいいかとか。あいつのリーダーシップはほんとすごいと思うので。アドバイス下さいって言っておいてください」
B:わかりました。では次回は東海大学・狩野祐介選手にお話をお伺いします。熊谷選手、ありがとうございました。
写真上:リーグ戦では試合の合間に他のチームの選手と話すこともあり、笑顔も。拓殖大の藤井選手は顔が広く誰とでもよく話している光景が見られた。
写真下:Tシャツはスペースが埋まっていたため、表面に突入。好きな言葉は「Play Hard!」。「自分サインないんですよねー」と言いながら「く」と「ま」のつながった可愛いサインを書いてくれた。
◆#21熊谷尚也(くまがえ なおや)
那珂中→九産大九産高→日本体育大
4年・主将・F
194cm/86kg
・2012李相伯杯代表
・2012関東学生選抜代表
(2012.8.30インタビュー)
※1…当時の日体大のコーチ。
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています。
vol.12~日本体育大学・熊谷尚也選手~

恵まれた身体と卓越した跳躍力でダイナミックなプレーを連発。リバウンドなどインサイドでの貢献も然ることながら、3Pまで打てるプレーの幅を持つ選手です。3年時に開花しチームの1部昇格に大きく貢献したことは記憶に新しく、4年目の今年は自身初の1部でキャプテンとしての奮闘も見られます。今や注目選手となった熊谷選手ですが、小中高時代は強豪チームにいた訳ではなく、福岡県内の強豪高校とも全く対戦していないのだそう。そこからどうしてここまで登り詰められたのか、シンデレラストーリーも興味深いものとなっています。BOJライン、第12回もどうぞお楽しみください。
[続きを読む]
強豪チームとは無縁だった小中高
「そうですね。それまであまり接点がなかったんですけど、李相伯杯の選考会みたいなので初めて喋ったんです。あいつ沖縄出身とあってすごいフランクな感じじゃないですか。誰とでも仲良くなれるというか。それで向こうから話しかけてくれて、そのあと李相伯にも一緒に選ばれたし関東選抜でも一緒のチームで戦って仲良くなりました。最初のきっかけは李相伯の選考会ですね」
B:最初の印象はどのような感じでしたか?
「ほぼ初対面なのにいきなり近寄ってきて話しかけてきたので、最初はなんて返していいのか分からなくて(笑)。すごい人のこといじってくるんですよ。でも本人的には、拓大の長谷川智伸(#94)とかが結構色んな人からいじられるのを羨ましがってて、いじられたいみたいですね(笑)。そういうやつです、あいつは」
B:そうでしたか(笑)。では本題に入りますが、バスケットを始めたのはいつ頃ですか?
「小学校3年生の時からです。最初は兄と姉の影響でサッカーを始めたんですけど、あまり面白くなくて1ヶ月くらいで辞めちゃったんです。でも父親から、何かスポーツはやりなさいと言われたので、じゃあバスケをやってみようかなと。大したきっかけも無くなんとなく始めた感じです」
B:お兄さんとお姉さんはサッカーをやっていたんですね。
「そうですね。2つ上に姉がいて4つ上に兄がいるんですが、二人は全くバスケはやってなかったです。それに両親はずっとバレーをやっていて、高校時代は結構有名な選手だったみたいですね。でも小学生のバレーチームが近所になかったので、バスケになりました」
B:スポーツ一家なんですね。身長はご両親も高いんですか?
「母親が170弱ぐらいあって、父親も確か185、6くらいあります。まぁその中でも自分が群を抜いてデカいですけどね(笑)。兄も父親くらいで姉も母親くらいなんですけど、なぜか自分だけかなり伸びました」
B:ミニバスはどんなチームでしたか?
「ミニバスも全然強くなかったです。博多区では1位とか取れても、市大会とか出たら1回戦で負けるようなチームでしたね」
B:中学はどうでしたか?
「中学も同じですね。博多区では1番になれても、市大会に出たら1回戦やっと勝てるか勝てないかぐらい。練習もそんな厳しくなくて、シューティングしてじゃあ5対5やろうみたいな感じでした。それに毎年顧問が変わっていたんですよ。やる時はやってましたけど、そこまで厳しくやっていなかったです」
B:福岡は子供たちもかなりレベルが高いですよね。
「そうなんですよ…。周りの学校が化け物みたいなやつらばかりだったので、正直どうせ無理だろう、みたいな感じはありました(苦笑)」
B:その頃対戦して覚えている対戦相手はいますか?
「中学校の時に一度だけ、比江島のいる百道中と戦って、本当にボッコボコにやられましたね(苦笑)。点数は覚えてないですけど、とりあえず信じられないくらい点差をつけられたことは覚えてます。それぐらいですかね」

「高校でもそんな高いレベルでバスケがやりたいというわけでは無くて、普通に公立高校に行こうとしていたんです。でも入試で落ちてしまって、どうしようかなーと考えた時に、父親の知り合いの先生が何人かいたので九産に決めました。高校はその頃まだバスケ部が創部されたばかりで、自分がそのバスケ部の3期生なんですよ。僕らの代が入学してやっと3学年揃ったくらいで。だからそんな伝統あるような部活じゃなかったし、厳しく練習しているまわりの学校に比べれば、全然楽にバスケする感じだったと思います」
B:最高成績はどのくらいだったんですか?
「強さ的には、福岡県内でベスト32にも多分入ってないと思います。福岡のウィンター予選って、1次予選を通過して2次予選みたいなのがあるんですけど、そこの2次予選の初戦で負けたくらいです」
B:では福岡の強豪校とはあまり戦っていないんですね。
「第一(福岡第一高校)や大濠(福岡大附属大濠高校)とは、一度も対戦したことが無いんです。典型的な弱小校だったので。市内でよく県大会の決勝とかやってたのでよく観には行ってたんですけど、対戦するなんて夢のまた夢(笑)。友達と『一回は戦ってみたいね~』とか話してたくらいでしたね」
人生が大きく変わった日体大への進学

「高校の時によく長崎の瓊浦高校に遠征に行ってたんですけど、そこの監督さんが日体出身の方だったんです。それでその監督さんが日体の小谷さんに話してくれて、小谷さん(※1)がわざわざ九産まで練習を見にきてくれて、そこで日体に入らないかという話になったんです。自分的にも大学でバスケやれるなんて思ってもみなくて、驚きでしたね。高校も工業科だったし、卒業して普通に就職するものだと思っていたんです。だからお話を頂けて、バスケでやれるところまでやってみようかなと思って。大学バスケは関東が強いというのは知っていたので、憧れもありましたね」
B:そこが人生の大きな転機となりましたね。
「全然違いますよね。あの時に声がかかってなかったら、今頃普通に働いてましたから(笑)。あの時に大学に行くって決めて良かったです」
B:こっちに上京して来て最初はどうでしたか?
「とりあえず最初、渋谷の人の多さにはびっくりしました(笑)。それに日体に来たら、すごい人だらけじゃないですか。大学自体が伝統ある厳しい学校だし、今までラクに楽しくやってきた環境とは全然違ったので、本当にやっていけるのかなとかーとかすごく不安で。入学してからの1・2ヶ月は、もう辞めたいと思ってましたね、ずっと。でも何やかんやで辞める勇気もなくて(苦笑)。気付いたらもう4年ですもんね」
B:1・2年生の時を振り返っていかがですか?
「1年生の時は、リーグ戦も2・3分ちょろっと出場機会をもらうくらいで、特に何もせずに終わって。で、2年生のリーグ戦で最初スタメンで出させてもらったんです。でもその時は全然走れなくて、チームに迷惑をかけましたね。1往復走るだけでゼイゼイするくらいでした。でも病院に行って検査してもらったら、その原因が貧血だってことが分かって。それが2年生の冬ですね」
B:昨年、貧血を治したという話は少しお伺いしましたね(9/4レポート)。2年の冬の検査で初めて分かったんですか。
「そうなんです。それまで全然そんなことは知らなくて、ただの自分の体力不足だと思っていたんです。でも練習でもランメニューに全然ついていけないし、毎日死ぬほどきつい思いをして、さすがにこれはまずいなと思って病院に行って。そうしたら『貧血ですね』と(苦笑)。で、薬を飲んで貧血を治したらランメニューも全然走れるようになったし、40分試合に出ても体力が持つようになりましたね」
B:原因が分かって良かったですね。3年生の時は春の日筑戦から好調で、プレーに自信が感じられました。
「そうですね。体力がついてペースを落とさず思いっきりプレーしたり、速攻にも参加できるようになったので。試合に出させていただけるようになったのも、それからですよね」
B:昨年はチームの調子も良かったシーズンでしたね。3年生の時を振り返っていかがですか?
「色々あって充実したシーズンでしたね。日筑も自分が入学してから初めて勝つことができたし、リーグ戦も優勝できたし、1部に復帰できたし。自分にとってもチームにとっても良い年だったんじゃないかなと思います。チームの雰囲気も一昨年に比べて全然良かったですし、楽しかったですね」

「そうですね。1年目は自分たちもどんな監督か分からず探り探りな感じだったので上手くいかなかったですけど、1年経って信頼できるようになって、藤田さんの言う通りに頑張れば結果もついてくるんだということも分かりました。2年目から変わりましたね」
B:入替戦も2連勝で強さを十分に発揮しましたよね。第2戦は熊谷選手の連続3Pでチームを盛り上げる場面もありましたが。
「あの時は無我夢中で、何も考えてなかったです。まぁ練習やリーグ戦でも3Pは時々打っていたので、迷いなく打ったら入った感じですね。それに横江さん(11年度主将・現bj滋賀)からのパスだったので、絶対決めなきゃなと(笑)。積極的に打ったらたまたま連続で入ったので良かったです」
写真下:昨年の入れ替え戦。3Pを決めて戻る熊谷選手に応援団も歓呼して迎えた。
ダンクシュートも「チャンスを窺いつつ狙いたい」

「いつからだっけな…。確か高1の終わりか高2の始めだと思います。練習終わりに後輩や先輩とシューティングしてて、『ダンクやってみろよ』って言われたんですよ。何回かやってたらできて、『おおーできた!』みたいな。それからですね。でもその時は、今みたいに楽にできる感じではなくて、ギリギリできるくらいだったんですけどね。身長が190くらいあっても全然飛べなかったので。でもそれから練習終わりとかに遊び感覚でやってたら、徐々に飛べるようになって、今に至る感じです」
B:昨年は1試合につきほぼ1回以上はダンクを決めていましたよね。
「そうですね。1試合に1回はしたいなという思いはありました。自分がダンクすることでベンチも応援席も盛り上がってくれるじゃないですか。そういうのがチームの勢いになって貢献できるかなと思ったので。まぁ1部はデカいやつらばかりなので、そうそう簡単にダンクもできませんが…。チャンスを窺いつつ狙っていこうと思います」
B:今年はキャプテンも務めています。春には苦労していると仰っていましたが。
「そうですね。自分はあれこれ上手く人に言えるタイプではなくて…。今までのバスケ人生の中で初めてのキャプテンなので、まだ慣れないです。でもそれでこの前、試合後に林(学生コーチ)に怒られたんですよ。『お前がしっかりしないとチームも乗ってこないんだよ』って。すごい怒られて、泣きそうになりました(苦笑)。でもそうやって言ってくれて、本当にありがたいですね。その時からもっとしっかりしなきゃって思うようになったし、やるべきことも少し分かったような気がします」

「はい。自分が口で言えない部分を、林が色々言ってくれるので…林にはいつも助けてもらってます!(笑)」(近くにいる林学生コーチに聞こえるよう大きい声で)
B:(笑)。すごく元気な方ですよね。
「あいつは元気だけが取り柄って感じですから(笑)。自分らの代って、チームを引っ張るってキャラが少なかったんです。水沼(#22)にしても横山(#16)にしても竹中(#14)にしても、自分みたいに大人しくて。仲はすごく良い代なんですけどね」
写真下:林 裕輝学生コーチ。カメラを向けるとポーズを取って応えてくれた。
『Play Hard』の精神で挑むラストシーズン

「よく言われるのは、大人しいとか、クールとか、話しかけづらいとか…。自分すごく人見知りなんです。初対面の人と話すと、返事しかできないですから(苦笑)。自分から喋りかけられないし、顔もいつもムスッとしてるので、怖いイメージは持たれますね。自分的にはそんな意識はないし喋りかけて欲しいんですけど(笑)。他の4年生もそんな感じです。テンション高くガツガツ言えるのは林くらいで、あいつがいてくれるから4年生もチームもまとまれるというか。あいつのお蔭ですね」
B:では最後に、残りのシーズン、どんな風に戦っていきたいですか?
「今年は1部でやらせてもらえるので、自分としてもどこまでやれるか試す場でもあると思います。チャレンジ精神を持って、自分たちのバスケをして、どんな時も最後まで諦めずに戦っていきたいですね。チームにスーパースターがいるわけではないので、藤田さんがいつも言っているように『Play Hard』の精神で、泥臭く戦っていきたいです」

B:期待しています。では次にインタビューを回す人を指名してもらえますか?
「誰にしよう…あんまり仲が良い人いないんですよね(苦笑)。じゃあ、福岡つながりで東海の狩野(#33)にしましょう。キャプテンですし、彼ならきっといい言葉も出ると思います(笑)」
B:狩野選手はどんな印象ですか?
「真面目っぽいイメージがあったんですけど、選抜とかで仲良くなってコート外で話してるとギャグとかも言うし、普通に面白い人ですね」
B:狩野選手に何か聞きたいことはありますか?
「じゃあ今さら聞くことじゃないと思うんですけど、キャプテンってどうすればいいの?ってことを聞きたいです(苦笑)。どこに気をつければいいかとか。あいつのリーダーシップはほんとすごいと思うので。アドバイス下さいって言っておいてください」
B:わかりました。では次回は東海大学・狩野祐介選手にお話をお伺いします。熊谷選手、ありがとうございました。
写真上:リーグ戦では試合の合間に他のチームの選手と話すこともあり、笑顔も。拓殖大の藤井選手は顔が広く誰とでもよく話している光景が見られた。
写真下:Tシャツはスペースが埋まっていたため、表面に突入。好きな言葉は「Play Hard!」。「自分サインないんですよねー」と言いながら「く」と「ま」のつながった可愛いサインを書いてくれた。
◆#21熊谷尚也(くまがえ なおや)
那珂中→九産大九産高→日本体育大
4年・主将・F
194cm/86kg
・2012李相伯杯代表
・2012関東学生選抜代表
(2012.8.30インタビュー)
※1…当時の日体大のコーチ。
※所属チームなどはインタビュー時点のもので掲載しています。
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