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2012.05.12 (Sat)
【SPECIAL】BOJラインvol.10~佐藤将斗選手~
リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.10~中央大学・佐藤将斗選手~
選手の指名でリレー形式にインタビューをつなぐ「BOJライン」。第9回、昨シーズン最後となった青山学院大学・辻 直人選手(2011年度卒・現JBL東芝)からバトンを渡され、今シーズンのトップバッターとなるのは中央大学・佐藤将斗選手です。
大学1年時からスタメン出場し、最終学年となった今年は主将も務める佐藤選手。精度の高いジャンプシュートやスクープショット、そして安定感のあるゲームコントロールでこれまでチームの勝利に大きく貢献してきました。今年の中央大は下級生時からともにチームを支えてきた佐藤選手ら4年生カルテットに加え、期待のルーキーも加入。悲願の1部復帰に向け、盤石の構えで挑みます。激戦必至の2部リーグで、どんな戦いぶりを見せるのか注目です。
高校時代からその名を全国に知られた佐藤選手ですが、お話を伺っていくとあまり知られていない意外な事実も次々と明らかになりました。また、高校時代の面白エピソードや、中央大でのこれまでについてもたっぷり振り返っていただいています。記念すべき2012シーズン最初、第10回BOJライン、どうぞお楽しみください。
BOJ(以下B):BOJライン、第10回は中央大学・佐藤将斗選手です。よろしくお願いします。洛南高校つながりで辻選手からの紹介なのですが、辻選手の印象は?
「ギャップのある人だなというのが第一印象でしたね。辻さんって結構童顔じゃないですか。なのに最初見た時トリッキーなプレーをよくしていて、すごいなと思いました」
B:高校時代、辻選手は佐藤選手のことを可愛いがっていたそうですが。
「いやー、あの人にはよくいじめられましたよ(笑)。朝練とかで僕がシューティングしてると、辻さんがどこからかボールを投げて邪魔してくるんです(笑)。まぁとにかく面白い先輩でした。体を張って色々笑わせてくれましたね」
B:さすがですね(笑)。では本題に入りますが、バスケットを始めたのはいつ頃ですか?
「小学校2年生です。母が以前に共同石油(現JXサンフラワーズ)でプレーしていたのもあるし、兄もバスケをやっていたのでその影響ですね。でもその前に僕、幼稚園の時にラグビーを始めたんですよ。バスケットと並行しながら、ラグビーを7年間続けていました」
B:それは驚きました。幼稚園からラグビーをやるというのは、タッチフットみたいなものでしょうか。
「いや、僕は結構本格的なラグビーでしたね。それで小学生まではバスケットとラグビーをどっちもやっていて、中学からバスケに絞りました。逆に兄は中学からラグビーに絞って、今はラグビーのトップリーグのトヨタでプレーしています。ちなみに慶應の主将だった二ノ宮さん(二ノ宮康平・2010年度卒・現JBLトヨタ)と同期入社らしくて、二ノ宮さんは僕のお兄ちゃんだってことを知らずに知り合ったみたいですね。まぁ自分はお兄ちゃんと全然似てないし、『佐藤』だから気付かないと思うんですけど(笑)」
B:そうだったんですか。お父さんも何かスポーツをされていたんですか?
「父も高校まではバスケをやっていました。僕がミニバスの時は、両親がコーチをやってくれていたんです。僕、4人兄弟で、姉と兄と妹がいるんですけど、姉もバレーボールをやってたし、妹も福岡でバスケをしていましたね」
B:スポーツ一家なんですね。ミニバスはどんなチームでしたか?
「ミニバスって10人いなきゃいけないじゃないですか。それで10人ギリギリしかいないようなチームでした。3年生とかとも一緒に試合に出ていて、チーム的には全然強くなかったですね。でもみんな仲良くて、すごく楽しかった思い出があります」
B:佐藤選手は広島出身ですが、広島出身の選手というと他に誰がいますか?
「あ、専修の長谷川(#9長谷川 凌)も広島出身ですね。長谷川のお母さんも共同石油でプレーされてたみたいで、お母さん同士が知り合いなんです。だから幼馴染みというか、すごく小さい時から長谷川とは遊んでたらしいんですよね。僕は全く記憶にないんですけど(笑)。長谷川とは中学の時から選抜とかで同じチームでした。あと、慶應の大元(大元孝文・1年)も広島から洛南に行った後輩です。あとまた今度広島から洛南に進む選手がいるらしくて。そういうのは同じ広島出身として嬉しいですね」
B:次に、中学はどんなチームでしたか?
「中学も弱くて、県大会も出られないようなチームでしたね。市大会でベスト4に入れば良い方って感じで。部員が7人とかしかいなくて、5対5もまともにできなかったんです。弱かったのであまり勝った良い思い出というのは無いですね…。あと僕、中学の時は生徒会長もやっていたんです。それで大会前なのに練習にあまり行けなかったりして、両立はあまりできなかったですね」
B:生徒会長とはすごいですね!
「先生から立候補してみないかって推薦されて、なぜか当選して…。毎朝、朝礼みたいなので立って挨拶してました(笑)。両立はできませんでしたが、そう考えると充実してたなと思いますね。田舎の山の中で、遊ぶところも全くないような場所だったんですけど、その分バスケとかに打ち込めて。それで、自分は運よく県選抜に選んでもらって、そこで全国を知る機会がありました。そこから全国に出てみたいなという想いが生まれましたね」
B:他県と対戦して印象に残っている選手はいますか?
「同じ地区に島根がいたので、長谷川智伸(拓殖大#94)や佐々木(拓殖大#11佐々木 陽)とは試合していました。あと福岡とも試合をやらせてもらえて、狩野(東海大#33狩野祐介)や比江島(青学大#56比江島 慎)も覚えていますね。まぁ僕が一方的に覚えてるだけで、向こうは全く覚えてないんですけど(苦笑)。あとジュニアオールスターでは予選が秋田・新潟と同じ組だったので、秋田は館山(専修大#33館山健太)も高橋 陽(専修大#4)も小野D(中央大#20小野大貴)もいたし、新潟は今同じチームの藤井則希(#82)とか、バッシー(青学大#3小林遥太)とか和田(東海大#18和田直樹)とかいて…。すごいなぁーって見ていたので、結構よく覚えてます」
「すごい選手たちに囲まれて」過ごした3年間
B:そこから洛南に進んだ経緯を教えてください。
「中3の時に夏のインターハイを見に行かせてもらって、もともと洛南に憧れはあったんですけど、ますます行きたいって想いが強くなりました。でも僕が行きたいと言った時にはもう推薦枠が10人全部埋まってしまってて、本当は行けなかったんですよね。でもたまたま一人が事情により入学できなくなって、そこに運良く滑り込んだ感じです」
B:そうだったんですか。同学年には比江島選手や谷口大智選手のような入学前から全国でも有名な選手がいましたが、最初はどうでしたか?
「いやもう、最初、比江島や大智は先輩って感じがして(笑)。雲の上の存在でしたから。でも中3で受験に行った時に、新入生みんなで大智の家に泊まって、そのまま近畿大会を見に行ったんです。その時にだいぶみんな仲良くなりましたね。あ、でも比江島とは最初の3ヶ月くらいほとんど喋れなかったんですよ(苦笑)。自分も人見知りなんですけど、あいつもかなりの人見知りなので…仲良くなるのに3ヶ月くらいかかりました(笑)」
B:洛南高校はパス&ランのスタイルが徹底されていますが、そのスタイルには違和感なく馴染めたのでしょうか?
「そうですね。ああいう速攻とかパスして動くとかってスタイルがもともと好きだったんです。そういうプレーがしたかったから洛南に入りたかったというのもありますし、もともと自分に合っていたのかなと。1年生の頃からベンチに入らせてもらって色々勉強させてもらいましたし、良い経験ができて洛南に入って良かったなと思いますね」
B:佐藤選手の代は3年連続ウィンターカップで優勝を果たしていますが、ウィンターカップの思い出はありますか?
「1年生の時のウィンターカップは、同期では比江島と大智と僕がメンバーに入れたんですけど、あの2人はその頃から普通に試合に出て点も取ってて、それを僕はベンチからすごいなぁーって見てる感じだったんです。で、優勝の瞬間って大体ベンチも飛び上がって喜ぶんですけど、ちょうどその時に僕タオルとか畳んでて、完全に乗り遅れちゃって(苦笑)。優勝の瞬間をみんなと盛り上がれなかったのが唯一の心残りです(笑)」
B:そんな裏話があったんですね(笑)。佐藤選手は2年時・3年時のウィンターカップではスタメンとして出番を得ていますよね。比江島選手は2年生の時の優勝が一番嬉しかったと言っていましたが、佐藤選手はいかがですか?
「いや、僕は普通に3年生の時が一番嬉しかったです。比江島は変わってますから(笑)。あと、3年生の時は国体も優勝したんですけど、比江島や大智はあまり嬉しくなかったみたいなんです。決勝が宮城とで、福岡と一回も戦わずに優勝したことが嫌だったみたいで。その話をしたら宮城の小野Dとかすごく怒るんですけどね(苦笑)。僕は自分の代で優勝した国体がものすごく嬉しかったです。京都のメンバーに東山高校からも一人入ったんですけど、そいつ(川嶋勇人・現関西学院大#3)もすごく良い奴で上手くて、同じチームで一緒にやれたのは楽しかったですね」
B:洛南高校は、練習試合をするとしたら近場で言うと東山高校などと行うんですか?
「いや、東山と練習試合はしたことないです。京都内では練習試合はほとんどしないですし、そもそも洛南って練習試合自体あまりやらないんです。毎年6月くらいに福岡遠征があって、あと僕らの時は福井の北陸に遠征したのと、茨城の何とかカップみたいな大会に出たくらいで…。試合形式の練習は、大会前にOBの方たちが来てくれて練習相手になってくれる感じですね」
B:ウィンターカップで東京に来た時に、豪華なOBチームと練習試合をすると聞いたことがあります。
「そうです。それは毎年やっていて、本当にオールスター戦みたいな感じですね。僕らの時は公輔さん(竹内公輔・現JBLトヨタ)、譲次さん(竹内讓次・現JBL日立)も来てくれましたし。それはすごく勉強になったし、良い経験ができました」
B:佐藤選手は、高3の時キャプテンも経験しましたね。苦労もあったのでは?
「いや、僕らの代って試合に出てない人たちがみんな真面目で、練習を引っ張ってくれるやつらばかりだったんです。だから自分はそこまでキャプテンとして苦労した覚えはないですね。あ、でも僕のせいでみんなが延々とシャトルランさせられた覚えはあります(苦笑)。確か、キャプテンなのに声出してないとかで先生に怒られて…。そういうので迷惑はかけましたね。でも同期もサポートしてくれたし、後輩もついて来てくれたので、本当に有難かったです。支えてくれた同期には感謝してます。比江島や大智は飄々とやってますけどね(笑)。本当に先輩だったり同期だったり後輩だったり、すごい選手たちに囲まれてて、3年間良い経験ができたのもそういう周りの選手たちのお蔭だと思います」
B:印象に残っている先輩はいますか?
「1年生の時は、3年生の井関さん(井関慎平・2010年度同志社大卒・現三井住友銀行)にすごくお世話になりました。僕、本当に井関さんのこと大好きで、今でもちょっと交流してるんですよね」
B:確かに佐藤選手は井関選手とプレースタイルがよく似ていますね。
「あ、それはたまに言われますね。井関さんとは同じ寮だったので、行き帰りでずっとアドバイスしてもらってたんです。本当に感謝してるし、尊敬してる先輩ですね」
B:面倒見の良い先輩だったんですね。ところで辻選手や比江島選手は、湊谷選手(湊谷 安玲久司朱10年度青学大卒・現JBL三菱)にムチャぶりされると言っていましたが(笑)。
「アレクさんは、偉大な先輩すぎて本当に話しかけられなくて(苦笑)。でもアレクさん、後輩に優しいんですよ。辻さんや比江島はよくいじられていましたが、僕ももっといじって欲しかったなって思いますね(笑)。雲の上の人すぎてなかなか話す機会がなかったのが残念でした」
B:部活以外のことで、部員との思い出はありますか?
「僕の代は僕と加藤寛樹(法政大#21)だけが寮だったんですけど、寮生って毎日学食でご飯を食べるので、お弁当が作れないんです。でもそれじゃご飯が足りなくて。それで、(谷口)大智のお弁当のところに僕がバレない様に、ほふく前進で行って、こっそり半分くらい食べるのが日課でした(笑)」
B:(笑)。それで谷口選手は怒らないんですか?
「いや、あいついじられるのが好きみたいで、いつもめっちゃニコニコしてました(笑)。他にも、朝練が始まる前に大智は1リットルの飲み物を買って持ってくるんですけど、朝練が終わるころにはみんなが飲んで無くなってる…みたいな(笑)。ほんと、いじられキャラでしたね。僕らの代、本当に仲が良かったんです。今でも大智がアメリカから帰ってきた時はみんなで集まりますね。去年も集まったし、今年も今度帰ってくるみたいでまた集まりそうです」
B:仲が良いからこそのイタズラなんですね(笑)。
写真下:印象に残っているという洛南の先輩、井関選手。写真は同志社大2年時のもので、この年の同志社大はインカレで8位入賞。動きのイメージは確かに似通う部分がある。現在は関東実業団の三井住友銀行でプレーしている。
悔しい思いとチームの前進
B:ではここからは大学の話をお伺いします。中央大学に進んだ経緯を教えてください。
「松山さん(中央大監督)が洛南に来てくれて、名指しとかではなかったんですけど洛南から選手が欲しいという話があったんです。それで洛南の作本先生から僕に声が掛かって。僕も関東の大学に行きたい気持ちがあったし、それで中央に決まった感じですね。だから入学が決まるまで全然中央のバスケも見たことなかったんですよ。高校3年生の時に入試でこっちに来て、小野Dと2人でインカレを観たのが最初でしたね。でもその時のインカレは一回戦で負けてしまって…小野Dと『頑張れば1年生から試合に出れそうだし、一緒に頑張ろう』という話をしていました」
B:そうだったんですか。その言葉通り、1年生から試合に出て活躍しましたね。
「1年生から試合に出させてもらって経験を積めたのは、すごく有難かったです。それに僕らの代、試合に出てるやつは勿論、試合に出てないやつらも含めて本当にチームメイトに恵まれました。中央に入って良かったなーってあの頃から変わらず今でも思いますね」
B:1年生の頃は小野龍猛選手(09年度卒・現JBLトヨタ)という大黒柱がいましたが、小野選手との思い出はありますか?
「龍猛選手みたいにあんな大きいのに上手くて合わせやすい選手、今まで見たことが無かったので、毎日の練習が刺激的で楽しかったです。龍猛さん、僕らに本当に自由にやらせてくれたんですよ。やりやすかったし、あの人とプレーするのはすごく楽しかったですね」
B:試合中、特に春のトーナメントでは小野龍猛選手から1年生が怒られるという場面も見られたのを覚えています。大学最初の大会であんな風に怒られて萎縮しませんでしたか?
「いや、僕そこまで気にしないタイプというか、アドバイスしてくれることが有難いなと思っていたので、落ち込むことはあまり無かったです。今でも時々練習にきてアドバイスしてくれますし、本当に龍猛さんは偉大な先輩ですね」
B:確かに強いことも言うけれど、いいプレーをした時は頭を撫でてほめてくれたり、龍猛選手の声掛けでチームみんなで初詣に行った話も聞きました。みんなのお兄ちゃんの様なところがありますよね。
「そうですね。お兄ちゃんというよりお父さんみたいな感じです(笑)。頼りがいのある方ですね。好きにやらせてもらえて、1年間本当に勉強になりました。今僕が同じ立場に立って1年生に好きにやらせてあげられるかといったら、結構難しいなと思うので。心広く僕らのことを見守ってくれていたんだなというのは、本当に感謝ですね」
B:1年生の時は、ひたすら小野龍猛選手についていく、という感じでしょうか?
「そんな感じです。でも『試合に出てる時は学年関係なく俺にも指示してほしい』と言ってもらっていたので、結構生意気にも龍猛さんに指示を出してた気もします(笑)」
B:小野龍猛選手が抜けて、2年生の時はかなり苦労したと思いますが。
「もう本当に2年生の時は辛かったです。あの年がバスケをやってきて今までで一番苦労した年かも知れないですね。やっぱり絶対的エースが抜けてすごく若いチームになって、走らなきゃ勝てないし…。あの年はほとんど勝ってないですからね。あの年があったから、反省を活かせて今があるのかなとは思うんですけど…、正直あの年のことはあまり思い出したくないです(苦笑)」
B:あの年は怪我人も多くて、みんな満身創痍でしたよね。絶対的なインサイドが抜けて、あの頃からよりパッシングやトランジションの色が強まった印象を受けますが。
「そうですね。ああいう方法でしか点が取れないというのは分かっていましたし。それに、小野Dとは1年生の頃からバスケットの感覚がすごく合うんですよ。多分あいつも明成でパッシングをやってたからだと思うんですけど。それに入戸野(#11)も、速攻の時とか自分には真似できないような強さがあります。だから速い展開に持ち込めば勝機もあるかなと思って。でも困った時とか疲れた時に、今まで頼っていた龍猛さんがいないのは辛かったですね。インサイドの重要性をあらためて実感した年でした。点を取ることってこんなに難しかったっけと思うくらい、点を取るまでのイメージができなくて…すごく大変で、悩んだ年でしたね」
B:入替戦で早稲田に負け、3年生は2部でプレーすることになりました。3年生の時を振り返ってどうでしたか?
「やっぱりどこかで舐めていたというか、『まぁ勝てるだろう』って甘い考えがチームにあったのかなと思います。それで2部全勝しなきゃいけなかったのに、結局全勝できずに2位になって…。2部は中国人とかセネガル人とか留学生のセンターが強くて、僕らもそれを分かっていたんですけど、どうしても勝ちきれなかったですね。それは大変でした」
B:明治との入替戦は、第3戦までもつれ込んで最後も2点差の敗戦と、本当に惜しい試合でした。気持ちを切り替えるのは相当大変だったと思いますが。
「正直すぐには切り替えられませんでしたね。でも今思えば、確実に力不足なところがあったし、向こうの4年生の意地もすごく感じました。運というよりは、本当に自分たちの力不足で、練習が足りなかったんだろうなと思えるようにはなりましたね。良い経験だったかなと…まぁ、欲を言えばもちろん4年目を1部でやりたかったですけどね、本当に」
B:入れ替え戦の第3戦は、後半に入って明治大の佐藤卓哉選手(明治大11年度主将・現三井住友海上)の3Pがすごかったですよね。
「あの人シュート入りすぎですよね(苦笑)。あの時は、正直あそこまで入るとは思ってなくて…。(岸本)行央さん(明治大11年度卒)も4Qの終盤に3Pを決めたし、田村さん(明治大11年度卒・現曙ブレーキ工業)も最後にシュート決めてきて。本当に4年生の意地は感じましたね」
B:悔しい結果にはなりましたが、中央大は昨年大きく成長した印象を受けます。
「リーグ戦を通して、段々良いバスケットができるようになったかなという手応えはすごくありましたね。特に、下級生が上手くなっていくのはすごく実感しました。1年生だった流田(#31流田和輝)や谷口(#5谷口光貴)も、最初はあまり試合に出ませんでしたが、最後はすごく活躍してくれて、今も頼れる存在ですし。1年間でチームも大きく成長したんじゃないかと思います」
B:カルテットの4人だけのチームではなくなりましたよね。試合に絡む選手も増えましたし。
「そうですね。今は十何人、誰がコートに出ても変わらないし、インサイドも入ってチーム力も上がったと思います。今自分はキャプテンでスタメンとして試合に出ていますけど、うかうかしてられないというか、変なプレーをすればすぐ替えられるという危機感を持ってやっていますね。練習での競争力も上がったし、チームの底上げに関して言えばすごく良い感じだと思います」
B:良い緊張感の中で練習ができているんですね。
「そうですね。でも楽しく、という雰囲気もあります。きつい練習を楽しくやれていますね。監督やコーチがああいう風に選手と距離が近い人なので、すごくやりやすいんです。例えば監督からダッシュ3本って言われた時も『いや、5本行きましょう!』って僕らが言う感じで(笑)。みんな意識が高いし、楽しいですね。チームとして、最近なんか変わってきたんですよ。中大って今まで2部練とかあまりやらなかったんですけど、今は結構やるようになったし、ウェイトもみんなちゃんとしっかりやるようになりました。僕自身、これからのシーズンが楽しみですね」
B:今年こそ1部昇格、という強い思いからチームも変わってきたんですね。
「そうですね。去年悔しい思いをして、今年絶対に1部に上げるって思いは強くなってるので。去年は2部で何度か負けてしまいましたが、今年は全勝して入替戦も勝って、インカレでも優勝を目指します。あっという間に僕ももう4年ですもんね…。悔いは残したくないです」
B:今年のチームはルーキーに#27宍倉選手という待望の大型インサイドも入りましたね。
「そうなんですよ。すごく頼りになる…わけではないんですけど(笑)、あいつの存在は有難いですね。あいつが出てると、小野Dも3番とか4番ポジションに徹することができてやりやすいと言っていましたし。何よりリバウンドが強くなったのが大きいですね。期待してます」
B:キャプテンとして、今シーズンどんなチームを作りたいですか?
「キャプテンとしてもガードとしても今意識しているのは、40分間通してゲームプランを組み立てることなんです。10分・10分で区切るんじゃなくて、40分間通して勝てるチームにしたいなと。今まで自分たちはいつも3Qで気が抜けちゃったりしていたので、それはもう無くしたいなと思います。それに40分間全力で走り続けるのはちょっと厳しいと思うので、止まった時に大きく崩れないで、タイムアウトを取らなくても自分たちで修正できるようなチームにしたいです」
B:個人的にはどんなプレーをしていきたいですか?
「自分の悪い癖で、調子が良いと攻め過ぎちゃうんですよ。でも最近、自分がそこまで点を取らなくてもいいのかな、と思うんです。自分が20点とか取るよりは、もっと周りにアシストして点を取らせた方が勝てるのかなと。うちは下級生も含めてシュートの上手い人が多いですし、下級生がのびのびプレーできる様にしたいなと思います。だから点をたくさん取るというよりは、困った時に頼られるような、大事なところで1本決められるような選手になりたいですね。まぁ点を取りたい気持ちもありますけど(苦笑)。でも今年はスティールとアシスト、ターンオーバーを減らすことを意識してやっていきたいです。本当にりょーけん(#14渡邉良健)とか小野Dとか谷口とか、1年生の鈴木(#67鈴木夕介)や國政(#18國政拳人)もすごくシュートが上手いので、ガードとしてすごくアシストしやすいですね」
B:なるほど。シュートと言えば、佐藤選手は高校時代あまり点を取るイメージがなかったんですが、大学に入って年々シュートが安定してきたように思います。
「高校の時は本当にまわりがすごい選手ばかりだったし、パスすることに徹してましたね。大学に入ってからは、何なんですかね…、なんか急に入るようになりました(苦笑)。まぁシュート練習もしているので、その成果かなと思います」
B:ところで佐藤選手のシュートはかなりアーチが高いですね。
「そうですかね?自分ではまっすぐ飛ばすイメージしかないですけど…。僕、自分のシュート好きじゃないんですよね(笑)。なんかフォームが堅いじゃないですか。肩に力が入りすぎてるというか…本当はりょーけんみたいに柔らかいシュートが打ちたいんです。でもまぁ今から直すのは多分無理ですね(苦笑)。練習で数打って、シュートは確実に決められるようにしたいです」
B:では、次にインタビューを回す人を指名してもらえますか?
「どうしようかな…じゃあ、大東の岸本(#14)でお願いします」
B:岸本選手とはどんなつながりなんですか?
「辻さんに誘われて飲み会に行った時に、(岸本)行央さんが来ていて、行央さんと沖縄つながりであいつも来てたんです。そこで話したのがきっかけですね。あいつ、本当に“沖縄”って感じで、常にテンション高いんですよ(笑)。で、面白くないことを連発してくるんです(笑)。でもガードとしては、すごいなって思いますね。なんか、入戸野みたいな匂いするじゃないですか。攻撃的で。あんなプレー自分には真似できないと思うし、すごいですよね」
B:岸本選手にどんな話をすれば面白いですか?
「どうなんですかね…?まぁなんでも話を振れば面白いことを返してくれると思うので、何を言っても大丈夫だと思います(笑)」
B:(笑)。では次回は大東文化大・岸本隆一選手にお話を伺います。佐藤選手、ありがとうございました。
写真上:1年生のリーグ戦にて。ドライブからバスケットカウントを獲得し、チームメイトも笑顔に。右側が「お父さんのような」小野龍猛選手。
写真中上:同じく1年生のリーグ戦。下級生の多いチームながら、この時中央大は当時も強さを誇った青山学院大に勝利。試合終了後にはチームメイトも笑顔がはじけた。左から佐藤、浜田、竹原、小野龍猛(敬称略)。
写真中下:真面目な受け答えながら、話の中では笑顔も。
写真下:右下に書いたTシャツの言葉は「挑戦」。今年はどんな挑戦を見せてくれるだろうか。
◆#16佐藤将斗(さとう まさと)
中央大学・4年・主将・PG
182cm/74kg
(2012.5.7インタビュー)
※選手の所属チームはインタビュー当時で掲載していきます。
vol.10~中央大学・佐藤将斗選手~

大学1年時からスタメン出場し、最終学年となった今年は主将も務める佐藤選手。精度の高いジャンプシュートやスクープショット、そして安定感のあるゲームコントロールでこれまでチームの勝利に大きく貢献してきました。今年の中央大は下級生時からともにチームを支えてきた佐藤選手ら4年生カルテットに加え、期待のルーキーも加入。悲願の1部復帰に向け、盤石の構えで挑みます。激戦必至の2部リーグで、どんな戦いぶりを見せるのか注目です。
高校時代からその名を全国に知られた佐藤選手ですが、お話を伺っていくとあまり知られていない意外な事実も次々と明らかになりました。また、高校時代の面白エピソードや、中央大でのこれまでについてもたっぷり振り返っていただいています。記念すべき2012シーズン最初、第10回BOJライン、どうぞお楽しみください。
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原点は“スポーツ一家”にあり
「ギャップのある人だなというのが第一印象でしたね。辻さんって結構童顔じゃないですか。なのに最初見た時トリッキーなプレーをよくしていて、すごいなと思いました」
B:高校時代、辻選手は佐藤選手のことを可愛いがっていたそうですが。
「いやー、あの人にはよくいじめられましたよ(笑)。朝練とかで僕がシューティングしてると、辻さんがどこからかボールを投げて邪魔してくるんです(笑)。まぁとにかく面白い先輩でした。体を張って色々笑わせてくれましたね」
B:さすがですね(笑)。では本題に入りますが、バスケットを始めたのはいつ頃ですか?
「小学校2年生です。母が以前に共同石油(現JXサンフラワーズ)でプレーしていたのもあるし、兄もバスケをやっていたのでその影響ですね。でもその前に僕、幼稚園の時にラグビーを始めたんですよ。バスケットと並行しながら、ラグビーを7年間続けていました」
B:それは驚きました。幼稚園からラグビーをやるというのは、タッチフットみたいなものでしょうか。
「いや、僕は結構本格的なラグビーでしたね。それで小学生まではバスケットとラグビーをどっちもやっていて、中学からバスケに絞りました。逆に兄は中学からラグビーに絞って、今はラグビーのトップリーグのトヨタでプレーしています。ちなみに慶應の主将だった二ノ宮さん(二ノ宮康平・2010年度卒・現JBLトヨタ)と同期入社らしくて、二ノ宮さんは僕のお兄ちゃんだってことを知らずに知り合ったみたいですね。まぁ自分はお兄ちゃんと全然似てないし、『佐藤』だから気付かないと思うんですけど(笑)」
B:そうだったんですか。お父さんも何かスポーツをされていたんですか?
「父も高校まではバスケをやっていました。僕がミニバスの時は、両親がコーチをやってくれていたんです。僕、4人兄弟で、姉と兄と妹がいるんですけど、姉もバレーボールをやってたし、妹も福岡でバスケをしていましたね」
B:スポーツ一家なんですね。ミニバスはどんなチームでしたか?
「ミニバスって10人いなきゃいけないじゃないですか。それで10人ギリギリしかいないようなチームでした。3年生とかとも一緒に試合に出ていて、チーム的には全然強くなかったですね。でもみんな仲良くて、すごく楽しかった思い出があります」
B:佐藤選手は広島出身ですが、広島出身の選手というと他に誰がいますか?
「あ、専修の長谷川(#9長谷川 凌)も広島出身ですね。長谷川のお母さんも共同石油でプレーされてたみたいで、お母さん同士が知り合いなんです。だから幼馴染みというか、すごく小さい時から長谷川とは遊んでたらしいんですよね。僕は全く記憶にないんですけど(笑)。長谷川とは中学の時から選抜とかで同じチームでした。あと、慶應の大元(大元孝文・1年)も広島から洛南に行った後輩です。あとまた今度広島から洛南に進む選手がいるらしくて。そういうのは同じ広島出身として嬉しいですね」
B:次に、中学はどんなチームでしたか?
「中学も弱くて、県大会も出られないようなチームでしたね。市大会でベスト4に入れば良い方って感じで。部員が7人とかしかいなくて、5対5もまともにできなかったんです。弱かったのであまり勝った良い思い出というのは無いですね…。あと僕、中学の時は生徒会長もやっていたんです。それで大会前なのに練習にあまり行けなかったりして、両立はあまりできなかったですね」

「先生から立候補してみないかって推薦されて、なぜか当選して…。毎朝、朝礼みたいなので立って挨拶してました(笑)。両立はできませんでしたが、そう考えると充実してたなと思いますね。田舎の山の中で、遊ぶところも全くないような場所だったんですけど、その分バスケとかに打ち込めて。それで、自分は運よく県選抜に選んでもらって、そこで全国を知る機会がありました。そこから全国に出てみたいなという想いが生まれましたね」
B:他県と対戦して印象に残っている選手はいますか?
「同じ地区に島根がいたので、長谷川智伸(拓殖大#94)や佐々木(拓殖大#11佐々木 陽)とは試合していました。あと福岡とも試合をやらせてもらえて、狩野(東海大#33狩野祐介)や比江島(青学大#56比江島 慎)も覚えていますね。まぁ僕が一方的に覚えてるだけで、向こうは全く覚えてないんですけど(苦笑)。あとジュニアオールスターでは予選が秋田・新潟と同じ組だったので、秋田は館山(専修大#33館山健太)も高橋 陽(専修大#4)も小野D(中央大#20小野大貴)もいたし、新潟は今同じチームの藤井則希(#82)とか、バッシー(青学大#3小林遥太)とか和田(東海大#18和田直樹)とかいて…。すごいなぁーって見ていたので、結構よく覚えてます」
「すごい選手たちに囲まれて」過ごした3年間

「中3の時に夏のインターハイを見に行かせてもらって、もともと洛南に憧れはあったんですけど、ますます行きたいって想いが強くなりました。でも僕が行きたいと言った時にはもう推薦枠が10人全部埋まってしまってて、本当は行けなかったんですよね。でもたまたま一人が事情により入学できなくなって、そこに運良く滑り込んだ感じです」
B:そうだったんですか。同学年には比江島選手や谷口大智選手のような入学前から全国でも有名な選手がいましたが、最初はどうでしたか?
「いやもう、最初、比江島や大智は先輩って感じがして(笑)。雲の上の存在でしたから。でも中3で受験に行った時に、新入生みんなで大智の家に泊まって、そのまま近畿大会を見に行ったんです。その時にだいぶみんな仲良くなりましたね。あ、でも比江島とは最初の3ヶ月くらいほとんど喋れなかったんですよ(苦笑)。自分も人見知りなんですけど、あいつもかなりの人見知りなので…仲良くなるのに3ヶ月くらいかかりました(笑)」
B:洛南高校はパス&ランのスタイルが徹底されていますが、そのスタイルには違和感なく馴染めたのでしょうか?
「そうですね。ああいう速攻とかパスして動くとかってスタイルがもともと好きだったんです。そういうプレーがしたかったから洛南に入りたかったというのもありますし、もともと自分に合っていたのかなと。1年生の頃からベンチに入らせてもらって色々勉強させてもらいましたし、良い経験ができて洛南に入って良かったなと思いますね」
B:佐藤選手の代は3年連続ウィンターカップで優勝を果たしていますが、ウィンターカップの思い出はありますか?
「1年生の時のウィンターカップは、同期では比江島と大智と僕がメンバーに入れたんですけど、あの2人はその頃から普通に試合に出て点も取ってて、それを僕はベンチからすごいなぁーって見てる感じだったんです。で、優勝の瞬間って大体ベンチも飛び上がって喜ぶんですけど、ちょうどその時に僕タオルとか畳んでて、完全に乗り遅れちゃって(苦笑)。優勝の瞬間をみんなと盛り上がれなかったのが唯一の心残りです(笑)」
B:そんな裏話があったんですね(笑)。佐藤選手は2年時・3年時のウィンターカップではスタメンとして出番を得ていますよね。比江島選手は2年生の時の優勝が一番嬉しかったと言っていましたが、佐藤選手はいかがですか?
「いや、僕は普通に3年生の時が一番嬉しかったです。比江島は変わってますから(笑)。あと、3年生の時は国体も優勝したんですけど、比江島や大智はあまり嬉しくなかったみたいなんです。決勝が宮城とで、福岡と一回も戦わずに優勝したことが嫌だったみたいで。その話をしたら宮城の小野Dとかすごく怒るんですけどね(苦笑)。僕は自分の代で優勝した国体がものすごく嬉しかったです。京都のメンバーに東山高校からも一人入ったんですけど、そいつ(川嶋勇人・現関西学院大#3)もすごく良い奴で上手くて、同じチームで一緒にやれたのは楽しかったですね」
B:洛南高校は、練習試合をするとしたら近場で言うと東山高校などと行うんですか?
「いや、東山と練習試合はしたことないです。京都内では練習試合はほとんどしないですし、そもそも洛南って練習試合自体あまりやらないんです。毎年6月くらいに福岡遠征があって、あと僕らの時は福井の北陸に遠征したのと、茨城の何とかカップみたいな大会に出たくらいで…。試合形式の練習は、大会前にOBの方たちが来てくれて練習相手になってくれる感じですね」
B:ウィンターカップで東京に来た時に、豪華なOBチームと練習試合をすると聞いたことがあります。
「そうです。それは毎年やっていて、本当にオールスター戦みたいな感じですね。僕らの時は公輔さん(竹内公輔・現JBLトヨタ)、譲次さん(竹内讓次・現JBL日立)も来てくれましたし。それはすごく勉強になったし、良い経験ができました」
B:佐藤選手は、高3の時キャプテンも経験しましたね。苦労もあったのでは?
「いや、僕らの代って試合に出てない人たちがみんな真面目で、練習を引っ張ってくれるやつらばかりだったんです。だから自分はそこまでキャプテンとして苦労した覚えはないですね。あ、でも僕のせいでみんなが延々とシャトルランさせられた覚えはあります(苦笑)。確か、キャプテンなのに声出してないとかで先生に怒られて…。そういうので迷惑はかけましたね。でも同期もサポートしてくれたし、後輩もついて来てくれたので、本当に有難かったです。支えてくれた同期には感謝してます。比江島や大智は飄々とやってますけどね(笑)。本当に先輩だったり同期だったり後輩だったり、すごい選手たちに囲まれてて、3年間良い経験ができたのもそういう周りの選手たちのお蔭だと思います」

「1年生の時は、3年生の井関さん(井関慎平・2010年度同志社大卒・現三井住友銀行)にすごくお世話になりました。僕、本当に井関さんのこと大好きで、今でもちょっと交流してるんですよね」
B:確かに佐藤選手は井関選手とプレースタイルがよく似ていますね。
「あ、それはたまに言われますね。井関さんとは同じ寮だったので、行き帰りでずっとアドバイスしてもらってたんです。本当に感謝してるし、尊敬してる先輩ですね」
B:面倒見の良い先輩だったんですね。ところで辻選手や比江島選手は、湊谷選手(湊谷 安玲久司朱10年度青学大卒・現JBL三菱)にムチャぶりされると言っていましたが(笑)。
「アレクさんは、偉大な先輩すぎて本当に話しかけられなくて(苦笑)。でもアレクさん、後輩に優しいんですよ。辻さんや比江島はよくいじられていましたが、僕ももっといじって欲しかったなって思いますね(笑)。雲の上の人すぎてなかなか話す機会がなかったのが残念でした」
B:部活以外のことで、部員との思い出はありますか?
「僕の代は僕と加藤寛樹(法政大#21)だけが寮だったんですけど、寮生って毎日学食でご飯を食べるので、お弁当が作れないんです。でもそれじゃご飯が足りなくて。それで、(谷口)大智のお弁当のところに僕がバレない様に、ほふく前進で行って、こっそり半分くらい食べるのが日課でした(笑)」
B:(笑)。それで谷口選手は怒らないんですか?
「いや、あいついじられるのが好きみたいで、いつもめっちゃニコニコしてました(笑)。他にも、朝練が始まる前に大智は1リットルの飲み物を買って持ってくるんですけど、朝練が終わるころにはみんなが飲んで無くなってる…みたいな(笑)。ほんと、いじられキャラでしたね。僕らの代、本当に仲が良かったんです。今でも大智がアメリカから帰ってきた時はみんなで集まりますね。去年も集まったし、今年も今度帰ってくるみたいでまた集まりそうです」
B:仲が良いからこそのイタズラなんですね(笑)。
写真下:印象に残っているという洛南の先輩、井関選手。写真は同志社大2年時のもので、この年の同志社大はインカレで8位入賞。動きのイメージは確かに似通う部分がある。現在は関東実業団の三井住友銀行でプレーしている。
悔しい思いとチームの前進

「松山さん(中央大監督)が洛南に来てくれて、名指しとかではなかったんですけど洛南から選手が欲しいという話があったんです。それで洛南の作本先生から僕に声が掛かって。僕も関東の大学に行きたい気持ちがあったし、それで中央に決まった感じですね。だから入学が決まるまで全然中央のバスケも見たことなかったんですよ。高校3年生の時に入試でこっちに来て、小野Dと2人でインカレを観たのが最初でしたね。でもその時のインカレは一回戦で負けてしまって…小野Dと『頑張れば1年生から試合に出れそうだし、一緒に頑張ろう』という話をしていました」
B:そうだったんですか。その言葉通り、1年生から試合に出て活躍しましたね。
「1年生から試合に出させてもらって経験を積めたのは、すごく有難かったです。それに僕らの代、試合に出てるやつは勿論、試合に出てないやつらも含めて本当にチームメイトに恵まれました。中央に入って良かったなーってあの頃から変わらず今でも思いますね」
B:1年生の頃は小野龍猛選手(09年度卒・現JBLトヨタ)という大黒柱がいましたが、小野選手との思い出はありますか?
「龍猛選手みたいにあんな大きいのに上手くて合わせやすい選手、今まで見たことが無かったので、毎日の練習が刺激的で楽しかったです。龍猛さん、僕らに本当に自由にやらせてくれたんですよ。やりやすかったし、あの人とプレーするのはすごく楽しかったですね」
B:試合中、特に春のトーナメントでは小野龍猛選手から1年生が怒られるという場面も見られたのを覚えています。大学最初の大会であんな風に怒られて萎縮しませんでしたか?
「いや、僕そこまで気にしないタイプというか、アドバイスしてくれることが有難いなと思っていたので、落ち込むことはあまり無かったです。今でも時々練習にきてアドバイスしてくれますし、本当に龍猛さんは偉大な先輩ですね」

「そうですね。お兄ちゃんというよりお父さんみたいな感じです(笑)。頼りがいのある方ですね。好きにやらせてもらえて、1年間本当に勉強になりました。今僕が同じ立場に立って1年生に好きにやらせてあげられるかといったら、結構難しいなと思うので。心広く僕らのことを見守ってくれていたんだなというのは、本当に感謝ですね」
B:1年生の時は、ひたすら小野龍猛選手についていく、という感じでしょうか?
「そんな感じです。でも『試合に出てる時は学年関係なく俺にも指示してほしい』と言ってもらっていたので、結構生意気にも龍猛さんに指示を出してた気もします(笑)」
B:小野龍猛選手が抜けて、2年生の時はかなり苦労したと思いますが。
「もう本当に2年生の時は辛かったです。あの年がバスケをやってきて今までで一番苦労した年かも知れないですね。やっぱり絶対的エースが抜けてすごく若いチームになって、走らなきゃ勝てないし…。あの年はほとんど勝ってないですからね。あの年があったから、反省を活かせて今があるのかなとは思うんですけど…、正直あの年のことはあまり思い出したくないです(苦笑)」
B:あの年は怪我人も多くて、みんな満身創痍でしたよね。絶対的なインサイドが抜けて、あの頃からよりパッシングやトランジションの色が強まった印象を受けますが。
「そうですね。ああいう方法でしか点が取れないというのは分かっていましたし。それに、小野Dとは1年生の頃からバスケットの感覚がすごく合うんですよ。多分あいつも明成でパッシングをやってたからだと思うんですけど。それに入戸野(#11)も、速攻の時とか自分には真似できないような強さがあります。だから速い展開に持ち込めば勝機もあるかなと思って。でも困った時とか疲れた時に、今まで頼っていた龍猛さんがいないのは辛かったですね。インサイドの重要性をあらためて実感した年でした。点を取ることってこんなに難しかったっけと思うくらい、点を取るまでのイメージができなくて…すごく大変で、悩んだ年でしたね」
B:入替戦で早稲田に負け、3年生は2部でプレーすることになりました。3年生の時を振り返ってどうでしたか?
「やっぱりどこかで舐めていたというか、『まぁ勝てるだろう』って甘い考えがチームにあったのかなと思います。それで2部全勝しなきゃいけなかったのに、結局全勝できずに2位になって…。2部は中国人とかセネガル人とか留学生のセンターが強くて、僕らもそれを分かっていたんですけど、どうしても勝ちきれなかったですね。それは大変でした」
B:明治との入替戦は、第3戦までもつれ込んで最後も2点差の敗戦と、本当に惜しい試合でした。気持ちを切り替えるのは相当大変だったと思いますが。
「正直すぐには切り替えられませんでしたね。でも今思えば、確実に力不足なところがあったし、向こうの4年生の意地もすごく感じました。運というよりは、本当に自分たちの力不足で、練習が足りなかったんだろうなと思えるようにはなりましたね。良い経験だったかなと…まぁ、欲を言えばもちろん4年目を1部でやりたかったですけどね、本当に」
B:入れ替え戦の第3戦は、後半に入って明治大の佐藤卓哉選手(明治大11年度主将・現三井住友海上)の3Pがすごかったですよね。
「あの人シュート入りすぎですよね(苦笑)。あの時は、正直あそこまで入るとは思ってなくて…。(岸本)行央さん(明治大11年度卒)も4Qの終盤に3Pを決めたし、田村さん(明治大11年度卒・現曙ブレーキ工業)も最後にシュート決めてきて。本当に4年生の意地は感じましたね」
B:悔しい結果にはなりましたが、中央大は昨年大きく成長した印象を受けます。
「リーグ戦を通して、段々良いバスケットができるようになったかなという手応えはすごくありましたね。特に、下級生が上手くなっていくのはすごく実感しました。1年生だった流田(#31流田和輝)や谷口(#5谷口光貴)も、最初はあまり試合に出ませんでしたが、最後はすごく活躍してくれて、今も頼れる存在ですし。1年間でチームも大きく成長したんじゃないかと思います」

「そうですね。今は十何人、誰がコートに出ても変わらないし、インサイドも入ってチーム力も上がったと思います。今自分はキャプテンでスタメンとして試合に出ていますけど、うかうかしてられないというか、変なプレーをすればすぐ替えられるという危機感を持ってやっていますね。練習での競争力も上がったし、チームの底上げに関して言えばすごく良い感じだと思います」
B:良い緊張感の中で練習ができているんですね。
「そうですね。でも楽しく、という雰囲気もあります。きつい練習を楽しくやれていますね。監督やコーチがああいう風に選手と距離が近い人なので、すごくやりやすいんです。例えば監督からダッシュ3本って言われた時も『いや、5本行きましょう!』って僕らが言う感じで(笑)。みんな意識が高いし、楽しいですね。チームとして、最近なんか変わってきたんですよ。中大って今まで2部練とかあまりやらなかったんですけど、今は結構やるようになったし、ウェイトもみんなちゃんとしっかりやるようになりました。僕自身、これからのシーズンが楽しみですね」
B:今年こそ1部昇格、という強い思いからチームも変わってきたんですね。
「そうですね。去年悔しい思いをして、今年絶対に1部に上げるって思いは強くなってるので。去年は2部で何度か負けてしまいましたが、今年は全勝して入替戦も勝って、インカレでも優勝を目指します。あっという間に僕ももう4年ですもんね…。悔いは残したくないです」
B:今年のチームはルーキーに#27宍倉選手という待望の大型インサイドも入りましたね。
「そうなんですよ。すごく頼りになる…わけではないんですけど(笑)、あいつの存在は有難いですね。あいつが出てると、小野Dも3番とか4番ポジションに徹することができてやりやすいと言っていましたし。何よりリバウンドが強くなったのが大きいですね。期待してます」
B:キャプテンとして、今シーズンどんなチームを作りたいですか?
「キャプテンとしてもガードとしても今意識しているのは、40分間通してゲームプランを組み立てることなんです。10分・10分で区切るんじゃなくて、40分間通して勝てるチームにしたいなと。今まで自分たちはいつも3Qで気が抜けちゃったりしていたので、それはもう無くしたいなと思います。それに40分間全力で走り続けるのはちょっと厳しいと思うので、止まった時に大きく崩れないで、タイムアウトを取らなくても自分たちで修正できるようなチームにしたいです」
B:個人的にはどんなプレーをしていきたいですか?
「自分の悪い癖で、調子が良いと攻め過ぎちゃうんですよ。でも最近、自分がそこまで点を取らなくてもいいのかな、と思うんです。自分が20点とか取るよりは、もっと周りにアシストして点を取らせた方が勝てるのかなと。うちは下級生も含めてシュートの上手い人が多いですし、下級生がのびのびプレーできる様にしたいなと思います。だから点をたくさん取るというよりは、困った時に頼られるような、大事なところで1本決められるような選手になりたいですね。まぁ点を取りたい気持ちもありますけど(苦笑)。でも今年はスティールとアシスト、ターンオーバーを減らすことを意識してやっていきたいです。本当にりょーけん(#14渡邉良健)とか小野Dとか谷口とか、1年生の鈴木(#67鈴木夕介)や國政(#18國政拳人)もすごくシュートが上手いので、ガードとしてすごくアシストしやすいですね」
B:なるほど。シュートと言えば、佐藤選手は高校時代あまり点を取るイメージがなかったんですが、大学に入って年々シュートが安定してきたように思います。
「高校の時は本当にまわりがすごい選手ばかりだったし、パスすることに徹してましたね。大学に入ってからは、何なんですかね…、なんか急に入るようになりました(苦笑)。まぁシュート練習もしているので、その成果かなと思います」
B:ところで佐藤選手のシュートはかなりアーチが高いですね。
「そうですかね?自分ではまっすぐ飛ばすイメージしかないですけど…。僕、自分のシュート好きじゃないんですよね(笑)。なんかフォームが堅いじゃないですか。肩に力が入りすぎてるというか…本当はりょーけんみたいに柔らかいシュートが打ちたいんです。でもまぁ今から直すのは多分無理ですね(苦笑)。練習で数打って、シュートは確実に決められるようにしたいです」

「どうしようかな…じゃあ、大東の岸本(#14)でお願いします」
B:岸本選手とはどんなつながりなんですか?
「辻さんに誘われて飲み会に行った時に、(岸本)行央さんが来ていて、行央さんと沖縄つながりであいつも来てたんです。そこで話したのがきっかけですね。あいつ、本当に“沖縄”って感じで、常にテンション高いんですよ(笑)。で、面白くないことを連発してくるんです(笑)。でもガードとしては、すごいなって思いますね。なんか、入戸野みたいな匂いするじゃないですか。攻撃的で。あんなプレー自分には真似できないと思うし、すごいですよね」
B:岸本選手にどんな話をすれば面白いですか?
「どうなんですかね…?まぁなんでも話を振れば面白いことを返してくれると思うので、何を言っても大丈夫だと思います(笑)」
B:(笑)。では次回は大東文化大・岸本隆一選手にお話を伺います。佐藤選手、ありがとうございました。
写真上:1年生のリーグ戦にて。ドライブからバスケットカウントを獲得し、チームメイトも笑顔に。右側が「お父さんのような」小野龍猛選手。
写真中上:同じく1年生のリーグ戦。下級生の多いチームながら、この時中央大は当時も強さを誇った青山学院大に勝利。試合終了後にはチームメイトも笑顔がはじけた。左から佐藤、浜田、竹原、小野龍猛(敬称略)。
写真中下:真面目な受け答えながら、話の中では笑顔も。
写真下:右下に書いたTシャツの言葉は「挑戦」。今年はどんな挑戦を見せてくれるだろうか。
◆#16佐藤将斗(さとう まさと)
中央大学・4年・主将・PG
182cm/74kg
(2012.5.7インタビュー)
※選手の所属チームはインタビュー当時で掲載していきます。
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