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2012.03.26 (Mon)

【SPECIAL】BOJラインvol.8 ~遠藤祐亮選手~

リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.8~大東文化大・遠藤祐亮選手~


120312ENDO.jpg 選手の交流の輪をたどってインタビューをつなげる「BOJライン」。第7回の拓殖大学・長谷川智伸選手からバトンを渡されたのは、大東文化大・遠藤祐亮選手です。

 1年生の頃からスターターに名を連ね、2部降格や1部昇格など4年間で様々な経験をしてきた遠藤選手。高校以前の話はもちろん、大学での4年間のエピソードもたっぷりと伺いました。観る側からは分からない話はとても興味深いものとなっています。また、勝負事から離れた普段の遠藤選手は、終始ゆったりとした受け答えでのんびりとした一面も。そんなコートとのギャップも垣間見える第8回BOJライン、大学バスケラストのインタビューにもなります。どうぞお楽しみください。

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ライバル校を倒し、県大会・関東大会へ

120312ENDO6.jpgB:BOJライン第8回は大東文化大学・遠藤祐亮選手です。よろしくお願いします。長谷川智伸選手からの紹介ですが、遠藤選手から見て長谷川選手の印象は?
「初めて智伸を見たのが、自分が大学2年の時の練習試合でした。自分がマッチアップしたんですけど、お互い負けず嫌いで喧嘩っ早いというか…試合中かなり言い合ったりやり合ったりして(笑)。自分や小原(大東文化大#13)がディフェンスにつくと、いつも喧嘩みたいになっちゃうんですよね。仲良いんですけど、試合になったら嫌な相手です(笑)」

B:そんなにコート上では熱くなっていたんですね。では本題に入りますが、バスケを始めたのはいつ頃ですか?
「小学校4年生ですね。近所の人がみんなミニバスに入っていたので、自分もという感じで。でも入ったら、チームの中で同い年の人が自分とあと一人しかいなかったんですよ。だから5・6年の高学年チームは県大会に出るくらい強かったんですけど、自分たち下級生チームは市で一回戦負けみたいな感じでした。全然強豪じゃなかったので土日しか練習もないし、毎回楽しくやってましたね。ミニバスではガッツリやったイメージはないです」

B:そこから習志野市立第五中に進みましたが、中学の頃を振り返っていかがですか?
「入学して最初の年は、『1年は外走ってろ』みたいな感じで全く試合に絡むことなく終わって(苦笑)。それで1年の時は外部コーチの女の人が見てくれていたんですけど、2年生になって天田先生という、習志野一中が全中優勝した時の監督がうちの学校に来ることになったんですよ。自分たち習志野五中からしたら見るからに怖そうな監督だったし、みんなで『あの人が来るのか~』『練習着も全部決まってんのかな~』って少しびびってて(苦笑)。でも実際は全然そんな風ではなくて、きつかったんですけど、きつい練習の中でもすごく楽しかったですね。自分は2年生になって試合にも絡めるようになって、2年の時は習志野一中が強くてずっと勝てなかったんですが、3年の時にやっと勝てて県大会に出られることになったんです。それは印象に残っていますね」

B:その県大会はどうでしたか?
「初めての舞台だったので、大会の前はどうしようって不安でした。しかも組み合わせ的に2回戦くらいですごく強いチームと当たることになったので、これはやばいなと。でも大会が始まって、なぜか自分たちにめちゃくちゃ流れが来たんですよ。シュートが入りまくって、その流れで何だかんだ2位になれました。それでそのまま関東大会にも出られることになったんです。でも関東大会は、一回戦の相手が早川ジミー(福岡第一→現アリゾナウェスタン大)がいた(追浜)中学で、もうボコボコにやられてあっけなく終わりましたね(苦笑)」

B:他に中学の時に対戦して印象に残っている選手はいますか?
「やっぱり神 佳希ですかね。あいつ中学からバスケを始めたので、当時は全然有名ではなかったんですよ。でもあいつがいた西の原中の先生とうちの中学の先生が仲良くて、結構練習試合をしていたんです。最初見た時、中2で178くらいあって自分より全然大きくて、なのに動きもキレキレで、衝撃的でしたね。とりあえず運動神経がやばいんですよ。中学からバスケ始めたって聞いてたのに、『え、それでこれ?うま!』って思いました。ポジション的に自分がマッチアップしたんですけど、止められないし、止められるし…(苦笑)。その後、神とはジュニアオールスターで一緒のチームにもなりましたし、それは印象に残ってます。市船から声がかかって決めた時に、神もいるしっていう思いもありましたね」


高校最後に味わった悔しい思い出

120312ENDO8.jpgB:中学卒業後は市立船橋高校に進んだわけですが、高1・高2の時はどうでしたか?
「高1の時は、自分らの代では神と小出(立教大#9)の2人がAチームに入って、また『残りの1年は上走ってろ』みたいな感じで(苦笑)。きつかったですね。『このままずっとBチームなのかな』って思ってました。でも2年になって試合に絡むようになって、シックスマンに定着し始めたんです。そこから、ポイントガードとして試合に出るようになったんですよね」

B:ポイントガードは高2からですか。
「そうですね。中学の時もちょっとやってましたけど、基本フォワードみたいな感じでしたから。高2で自分のプレースタイルが少しガードっぽくなったかなと思います。まぁ大学に来てまたフォワードっぽく戻りましたけどね(笑)。その高2の時は、先生に毎日めちゃくちゃ怒られてたんですよ。自分ともう1人が怒られ役で、もう怒られるからバスケしたくないなって思ってました。でも怒られる時期を何とか乗り越えたら、その後はすごく伸び伸びプレーできるようになったんですよね」

B:怒られて成長したんですね。
「そうですね。自分としても、一番伸びたのは高2かなと思います。まぁシュートを決めるとかじゃなく、ひたすらパスを回してるだけだったんですけど(笑)」

B:その高2の時期を乗り越えて、高3の時はのびのびプレーしていたんですね。
「そうですね。高3の時は春の関東大会でも優勝したし、その頃は練習試合でも負けたことなくて『自分たちめっちゃ強いじゃん!』って思っていました。でも夏前に“おきなわカップ”というのがあって、そこで福岡第一にボコボコにされたんです。全国にはこんな強いチームがあるんだって衝撃を受けましたね。とにかく並里(現bj沖縄)がすごくて…もう揺さぶられまくり(苦笑)。でもそういうレベルを知って、そこに向かって頑張ろうみたいな良い雰囲気でインターハイは臨めたんです。でも2回戦で延学と当たったんですけど、自分たちはセネガル人のいるチームと戦うのが初めてで、みんなびびっちゃって全然攻められず…。その時はそこまでそのセネガル人はガツガツ攻めて来なかったんですけど、前田(関東学院大#32)たちにやられて負けちゃいましたね」

B:なるほど。その後、冬のウィンターカップではベスト8まで行きましたね。
「そうですね。ウィンターは2回戦が興南とで、延長戦になったんですよ。自分は5ファウルで退場しちゃったんですけど、とりあえず神がやばくて。『そこ決めるか!?』みたいなのを全部決めてましたね。ベンチから見てて、敵じゃなくて良かったって本気で思いました。次も勝って、で、その次で明成と戦うことになったんです。でも東京体育館のメインコートって初めてで、もう完全に緊張してフワフワしちゃったんですよ。足は動かないし、シュートも訳わからないし…。自分から伝染したのか周りもフワフワし始めて、パスミスとかターンオーバーの嵐でした。それで向こうにすごいリードされて、あの試合は『とりあえず神に回しとけ!』みたいな感じでしたね(笑)」

120312ENDO7.jpgB:それでも結局最後は接戦になったんですよね。
「そうなんです。負けてたんですけど、神が本当にやってくれて。追い上げて最後1点差とか2点差の接戦になったんですよね。それでラストに神の一対一みたいになって、自分は『いけー!頑張れ頑張れ!』ってコートにいながら応援してたんです(笑)。それが、まさかの展開で自分のところにボールが転がって来ちゃって…。『嘘だろー!?』って焦りましたね(笑)。それで自分の所に2人ディフェンスが来て、うわーどうしようって思ってたらゴール下に三富(明治大#15)が見えたんです。で、『頼む三富ー!』ってパスしたら、それが三富じゃなくて相手チームの中川真雄(青山学院大学#13 当時明成高校)で…(苦笑)。いや、全然違いますよね。そもそもユニフォームの色も違うし。もう、とにかくあの時はうわーって思いしかないです。ほんと最後は自分のせいで負けたんですよね」

B:とても鮮明に覚えているんですね。相当悔しかったと思いますが。
「そうですね。でもその場ではみんな、その最後のプレーについては触れないでくれたんですよ。『俺らよくやったよな!』『あんな点差離れてたのによく追いついたよ!』みたいな。それで自分も、“あれ?バレてないのかな?”って思って、みんなに乗っかって『おーお疲れお疲れ!しょうがないよな!』とか言ってたんですよね(笑)」

B:乗っかったんですか(笑)。
「そうなんです。でも、のちのちみんなで試合のビデオを見てる時に、誰か一人が『そういえば最後の遠藤のパスさぁ…』って遂に触れちゃったんです(苦笑)。そしたらみんなから『なんであそこパスしたの?』みたいな感じで口々に言われて。もう、“うわーばれてたか”と内心思いましたね。やっぱり自分のせいで負けたよなってあらためて思って、ショックでした。せめて無理にでもシュートを打てば何か起きてたかもしれない。あそこでパスミスはないですよね」

B:それは苦い思い出ですね。では試合以外の高校時代の思い出はありますか?
「自分は体育科で、クラスもほとんどみんな一緒だしいっつもバカやってふざけてました。印象に残っているのは、市船ってやっぱりサッカーが強いので、昼休みにみんなで体育館に集まってサッカーをやりまくってたことですね。フリースタイルみたいなのをサッカー部の人に教えてもらったりして。あとはお手製のボールを作って、木のバットでよく野球してました。みんな運動神経がいいから体育祭とかやばいですよ。“マジか!”ってくらい足速いんです。とにかくサッカー部はすごかったですね」


高校との違いを痛感したルーキーイヤー

120312ABETAKENO_20120326180940.jpgB:では高校卒業後、大東文化大を選んだ理由は?
「実は高校のとき練習がキツ過ぎて、市船のみんなで『疲れた!もうこれ以上無理!』とか『大学ではバスケはいいっしょ!』とか言ってたんです。大学の試合なんて見たことないから、どんなものかも知らなかったし。でも高2くらいで、大学のトーナメントを初めて観に行ったんです。そこで“え、大学すげー!”と。その時って竹内さん(竹内公輔・譲次兄弟)とかがいて、『試合中ダンクするの!?』みたいに思いましたね。こんなにレベルの高い世界があるのかって興味が沸いたんです。しかも先輩の話を聞いてたら、大学は高校ほど練習がキツくないらしいしとも聞いて(笑)。それで色々声が掛かった中で、大東大を見た時に阿部さん(07年度卒・現JBLレバンガ北海道)・竹野さん(07年度卒・現bjライジング福岡)・エドさん(山本エドワード08年度卒・現bjスサノオマジック)を見てすごく憧れたんです。なんか強い雰囲気があって超カッコいいじゃないですか(笑)。それで大東に決めました」

B:阿部選手、竹野選手とは入れ替わりに入学して、1年生から苦労もあったと思います。いきなりスターターとして出番を得ましたね。
「そうですね。確か入学が決まって初めて練習に行った時に、将道(#11田中)がもう練習のゲームに出てたんですよ。あいつ埼玉だから、もう先に練習に交じっていて。めっちゃ上手い人いるなと思ってよく見たら、入試で一緒だったやつで驚きましたね。それで、本格的に練習が始まってもずっと将道がスタートだったんです。自分は引退してから全く動いてなかったんですけど、練習が始まって動けるようになってきたらなぜか自分がスタメンになって。訳が分からないまま、正直何も考えずに試合に出てましたね」

120312ENDO10.jpgB:1年生ですし、その辺りは難しいですね。
「スタートを任されているという自覚も全然なくて、トーナメントも訳が分からないまま終わりました。それでリーグ戦が始まったんですけど、全然ウェイトしてなくて毎試合吹っ飛ばされてましたね。その頃は1部だったし、対戦する相手が有名人ばかりで高校とは全然レベルも違うなと思いました」

B:体の当たりは高校とは大きく違いますよね。
「そうですね。高校では相手に当たってもちょっと勝てたくらいだったんですよ。それが大学では簡単に吹っ飛ばされまくりで。特に専修の鈴木(正晃)さん(08年度専修大卒・現bj高松)は、手で軽く抑えられただけでもう全然動けなくなった覚えがありますね。『なんだこのパワー!』って衝撃でした」

B:先ほど『スタメンの自覚がなかった』と仰いましたが、自覚が出てきたのはいつ頃ですか?
「トーナメントが終わって、リーグ戦くらいですかね? 4年生の先輩に『お前試合出てるんだから頑張れよ』って言われて、やっとスタートなんだし頑張らなきゃって自覚が出てきたんです。でもリーグもずっと勝てなくて…。日体に初めて一勝した時は、もう本当に嬉しかったですね。嬉しすぎてヤバかったです」

B:久々の勝利ですし、それは嬉しいですね。
「でもそこで喜んだすぐあとに、また苦い思い出があるんですよ。その次の試合が超接戦で、1点差とか2点差で自分たちのオフェンスになったんです。それでとりあえず自分がボール運びをしてこれから攻めるって時に、自分の足にボールをポーンってぶつけてライン出ちゃって…。結果そのせいで負けたんです。もううわーって感じですよ。大東って応援すごいじゃないですか。その応援の人たちにも『なんで遠藤出してんだよ!』『将道出せよ!』とかって言われて…。それがすごくショックで、かなり落ち込みましたね」

B:1年生でそれは厳しいですね。
「まぁでも、1年生だから逆に切り替えられましたね。次々!って。4年生でそれやってたら、かなり精神的にきつかったと思います」

写真上:遠藤選手と入れ替わりに卒業した阿部選手(右)と竹野選手(右)。彼らも2部落ちも経験しながら、最終学年にはトーナメント優勝、インカレ3位という結果を残す原動力になった。
写真下:1年生の時の遠藤選手。

 
飛躍的な成長をもたらした意識の変化

120312ENDO5.jpgB:2年生の時はどうでしたか?
「2年の時は、トーナメントはまた一回戦負けだったんですけど、新人戦で5位に入れたんです。あれは楽しかったですね。でもあの時の新人戦、大会前の練習で自分はスタートを外されたんですよ。それがすごい悔しくてずっとモヤモヤしてて、なんでスタートじゃないんだろうって結構悩みました。西尾さん(監督)は自分にシックスマンとして流れを変える役割を期待していたと思うんですけど、とにかく練習中もひたすらスタートになろうって気持ちしかなくて(笑)。それで必死でやってたら、新人戦の途中からスタートに戻れたんです。それまではスタートで出る事が当たり前みたいになってましたが、外されて初めてその大切さに気付いたというか…とにかく自分、負けず嫌いなんだなって改めて思いましたね。それにあの新人戦はシックスマンとして3番とか4番とか今までにないポジションでも試合に出たので、今思えばいい経験ができたのかなと思います。あんなに勝てたのは久々だったし、新人はすごく楽しかった印象がありますね。それで新人戦が終わって結構練習もきつくなって、夏合宿でも練習試合負けなしで、すごく良い形でリーグ戦に入ったんです。でも初戦で拓大に30点差以上つけられて負けて…そこから何かが狂っちゃったんですよね。連敗が続いて、あれ、あんなにやったのにおかしいなと。それでそのまま2部最下位ですからね。あの時は2部が10チームになるからってことで入れ替え戦がありませんでしたが、本当に運に助けられたと思います(苦笑)」

B:その年は2部最下位でしたが、翌年2部優勝まで駆け上がりましたね。どういう点が成長したと自分自身で思いますか?
「やっぱり3年は、意識が変わってきたんだと思います。大学に入ったら自主練が大事って言われていたんですけど、自分を含めみんな1・2年生の時はあまり自主練していなくて、練習終わったらすぐ帰る感じだったんですよ。でも、小原(#13)や将道(#11田中)は毎日体育館が閉まるまで残って練習してて…ふと『あれ、俺だけ何してるんだろう』って思ったんですよね。それにその頃将来のこととかも自分なりに色々考えて、もっと上を目指そうってちゃんと目標ができたんです。それで自分も少しは自主練するようになって。そこから『お前っていっつもすぐ帰るよな~』とかふざけた感じで後輩に言うようになりました。少し前まで自分もすぐ帰ってたくせに(笑)。そしたらみんなもちょいちょい自主練するようになって、チームも変わってきたんですよね。個人としても、3年くらいからちゃんとウェイトして体も強くなったし、シュートも入るようになって、プレーの幅がちょっと広がったかなと思います。今思うと1・2年の時何してたんだろうって感じですけどね(苦笑)」

120312ENDO9.jpgB:3年生になって自覚が芽生えたんですね。2部優勝、1部昇格と充実したシーズンだったと思いますが。
「そうですね。あの年は、練習がめっちゃきつくなったんです。2部最下位になって危機感もあったし、小山さん(10年度主将)たち当時の4年生も『お前らを1部でやらせてあげたい』ってすごく言ってくれてて、自分たち3年も来年1部でやりたいという気持ちが強くて。練習からみんなすごく一生懸命でした。トーナメントは青学に負けちゃったんですけど、結構すごい準備してリーグ戦に臨んだんです。だから初戦で勝った時はすごく嬉しかったですね。今まで初戦を勝ったリーグなんてなかったですし、そこから流れに乗れたと思います。その時は土日で2日連続同じ相手だったから調整しやすくて、土曜日負けても日曜で勝てて2連敗することがなかったし。もうリーグの最後の方とか負ける気がしないくらい自信もついてました。今考えれば15勝3敗ってすごいですよね。1年の時も2年の時もそれぞれ2勝しかしてないですから。2年間で4勝しかしてない(苦笑)。最初はとりあえず『インカレに出よう!』『2部3位でもいいから入れ替え戦に行こう!』って感じだったので、結果1位になれるなんて最初は思ってなかったですね。その時は4年生がすごくしっかりしてる人達だったので、自分たちは3年でも思い切ってやるだけという感じでした。みんな大きな怪我もなくて、リーグ戦は楽しかったですね。ただ、国士舘戦だけは嫌でした(苦笑)。馬隆さん(国士舘大10年度主将)がどうしても止められないんですよね…」

B:法政大との入れ替え戦も白熱した試合でしたね。
「あの入れ替え戦は、1・2年の時と違って上に挑戦する立場だったので、雰囲気も全然違いましたね。3年になって最後の年がかかるからかも知れませんが、お互いどっちも負けたくないって気持ちが本当にぶつかり合う感じで。会場も狭かったから応援もかなり白熱していたし、とにかくいつもの試合とは全く違う空気でした。でも思い出に残ってるのは、試合の最後の瞬間自分が勝ったと思ってボールを高く投げたら、終了間際に天井に当たってピーって時間が止まっちゃったんですよね(笑)。でもみんな試合が終わったんだと思ってコートになだれ込んできちゃって。『やっぱ大東、締まらんなぁ~』ってみんな言ってました(笑)」

B:そんなこともありましたね(笑)。そうして今年は念願の1部でのプレーとなりましたが。
「どうなるんだろうって最初は結構ビビってました。あまり1部のチームと練習試合もやったことがなかったし、リーグ戦前も練習試合で日体にボコボコにされて(苦笑)。横江(日本体育大#23)に50点くらいとられたんです。『うわ、2部のチームにこんなやられるなんて俺らやばいな』と思いましたね。それで、リーグ戦は初戦が慶應だったので、とりあえずそこで勝って勢いつけようってみんなで言ってたんです。でも、まさかの逆転負けで…。そこから4連敗して一気に単独ビリですからね。やっぱり初戦は大事ですね」

120312ENDO4.jpgB:リーグ戦の序盤は接戦がなかなか勝ち切れませんでしたね。
「そうなんですよ。ここまで来たらなんか憑りつかれてるんじゃないかってみんな言ってましたから。まぁ最後にやらかすのは決まって自分なんですけどね…(苦笑)。拓殖戦も自分がシュートを任されて外して延長で負けるし、日大戦にいたっては思い出したくもないですから。全部逆転負けでしかも完全に最後自分のせいだったので、ほんと顔がまっ白になりました。でも、やっぱり1部ってことで毎試合レベルが高くて、試合自体は超楽しかったですね。やっぱり自分たちはチャレンジャーなので、とりあえず何があっても笑ったり騒いだりしてました。僕ら専修戦だけはなぜかシュンとしちゃって静かなんですけど(苦笑)、それ以外はみんな笑いながら明るく戦ってて、ミスしてもすぐ切り替えろみたいな雰囲気がありましたね。単独最下位になって、『ビリなんだしもう失うもの無いっしょ!』って吹っ切れて、試合を重ねるうちに思いきりやれるようになってきたんです。それで段々4Qでも離せるようになって。隆一(#14岸本)もめっちゃシュート入るし、早稲田戦の大久保(#85)も持ってましたよね。初めて見ましたよ、あんな大久保。たぶんもう二度と見ることはないかな…(笑)」

B:(笑)。これまでは今の4年生が引っ張るという感じでしたが、ああやって3年生が活躍できるようになったのは心強いですよね。
「そうですね。3年生はBチーム上がりが多いので、そういう人たちが活躍するのはすごいですよね。それに3年になってみんな意識が変わって、自主練するキャラじゃなかったやつも素直に自主練するようになったんですよ。今までは藤井(#19)とか和田(#75)とか大久保とか、Bチームの試合では活躍してもAチームではまだまだって感じだったんですが、今シーズンで本当にAでも通用するレベルなんだって自信をつけたと思います。まぁそしたら逆に4年より3年が試合に出るようになって…『あれ?4年どうした?』って感じですけど(苦笑)」

B:リーグ戦は後半巻き返して一気に4位まで登り詰めましたが、この結果はどう受け止めていますか?
「とりあえず目標がベスト4だったので、目標達成って感じですね。でも自分たちは2部から上がったチャレンジャーだったし、最初ボコボコにやられて単独最下位だったのでまさかそうなるとは思ってなかったです。周りの勝敗にも助けられました。個人賞も嬉しかったですね」

B:先ほどどんな時も明るく笑顔で戦ったという話がありましたが、大東文化大の持ち味であるその明るさはどこからくるものなんですか?
「なんなんですかね? とにかくみんな仲が良いんですよ。ほぼ寮生活なので毎日ヒマだったら誰かの部屋にすぐ集まれますし。練習でもうちはA・B同じ時間に集まって、Aが練習してる間Bがウェイト、終わったら交代みたいな感じなので、練習の前とかA・B関係なくみんな仲良く喋ったりしてます。何かギャグやれよ、みたいな(笑)。大東っていつもそんな感じです」

B:だからBチームの応援もあんなに元気があるんですね。話は変わりますが、高校までの周りにパスを供給する立場から、大学に入って逆に大事な場面を任される立場になりましたね。その変化はどう感じていましたか?
「最初は慣れなかったです。とりあえず1年の最初は市船での癖が抜けなくて、最後の大事な場面では何があっても他の人にパスしてたんですよ。困ったらエドさん!って感じで。でも『ああいう場面ではお前が攻めるんだよ』って言われて、『え!?攻めるの!?』みたいな(苦笑)。いきなり攻めろって言われても…って戸惑いましたね。癖がついてるから、攻めろって言われてるのについパスしちゃうんですよ。自分が攻めてフィニッシュするというイメージが全然沸かなくて…。でも2年生になって将道が完全にポイントガードをやることになって、自分はほぼ2番って感じに定着したんです。それで、NBAとか見ると2番ポジションの人って結構点取り屋なイメージじゃないですか。だから、『あ、やっぱり2番が点取らなきゃいけないのかな~』って思ったんです。あとはそれまで点を取ってくれてた小原が怪我して、ますます自分がやらなきゃなと思って。その辺からですね。その辺から、点を取ることが楽しくなってきたんです。…と言ってもそんなには取れないですけど(笑)」

B:スコアラーとして自覚が芽生えたのは2年生の時だったんですね。それで3年、4年とここまで結果を出せているのはすごいと思いますが。
「でも1・2年の時とか、本当にシュートなんて全然入らなかったんですよ。シュートフォームも変で、両手打ちみたいな感じでした。高校までシュートを打つことがあまり無かったから、フォームを直すことなくここまで来ちゃったんですよね。だから大学に入ってちょいちょい直して、なんとか今の形になったんです。3年くらいから自主練もするようになって、それに結果もついて来て。4年の今年は最後だし、持ったら攻めよう、思いっきりやろうと思ってプレーしてますね」

写真中:3年生の入れ替え戦にて。法政大相手に勢いが勝った試合を展開した。通算2勝1敗で1部昇格決定。


穏やかな一面と譲れない負けん気の強さ

120312ENDO2.jpgB:では、自分の性格はどんな性格だと思いますか?
「とりあえず…“なよなよ”してます(苦笑)」

B:(笑)。長谷川智伸選手が、いじられキャラだと言っていました。学生選抜でみんな仲良くなったみたいですね。
「そうですね。でも自分、色んな人から第一印象がすごく悪いみたいなんですよ。すっごい人見知りなので、全然しゃべれなくて。何もしゃべらないし、後輩とかにも最初は超怖がられてたみたいなんです。本当はこっちも絡みたいし仲良くしたいんですけど、言葉が出てこなくて…。ただ無言でチラチラ見てたら、それが逆にガン飛ばしてるみたいに思われて(苦笑)。それを人見知りだって相手に気付いてもらえると、仲良くなれるんですけどね。辻(青山学院大#14)とか智伸(拓殖大#94長谷川)のことも前からこっちは一方的に知ってて、フレッシュマンキャンプとかで少し『どうも~』みたいな感じだったんですけど、いざ練習試合とかで会っても何喋ればいいのか分からないじゃないですか。もうとりあえず目が泳ぎまくりですよね。そのくらい人見知りだから、関東選抜で一緒になっても最初は全然みんなと喋れなかったんですよ。なんか自分の勝手なイメージで、みんな高校からスーパースターだから“俺様”みたいな人たちなのかなと思ってて…(笑)。そしたらみんな全然そんなことなくて、フレンドリーすぎて驚きました。最初はそれに上手く反応できなくてきっと『つまんないやつだな』と思われてたと思うんですけど(苦笑)、打ち上げとかでようやく仲良くなれましたね」

B:先ほど『負けず嫌い』という話がありましたが、こうして話している印象だと意外な気もします。遠藤選手もコートの中と外でギャップがある選手ですね。
「すごく性格が変わるんですよね。高校の時から、勝負ごとになると怖いよねってよくまわりから言われるんです。コートを出れば、後輩からもいじられるし、自分の言いたい事とか説明も下手だし、滑舌も悪いし、こういう風になよなよしてる性格なんですけど…(苦笑)、試合になったら別で。すぐ『オイ!』みたいに強く言っちゃうんですよね。なんでか分からないですけど。勝負事が好きというか、勝負ごとになると絶対負けたくないなって気持ちが沸いて。それは自分の性格というか、小さい頃から負けず嫌いでしたね。小さい頃は負けたらすぐ泣いてました(笑)」

B:では今後こういう選手になりたいという選手像はありますか?
「これから上のレベルでやるためには、ちゃんとしたポイントガードみたいにならなきゃいけないと思います。自分はボール運びでミスが多いので、そこを直さないと…。自分の中で目標なのが、阿部さんなんですよね。阿部さんは点も取れるしボールも取られないじゃないですか。阿部さんってオフになったら練習に来て色々教えてくれるし、憧れなんです。あの人、オフなのに大東で僕らより早く来てウェイトしてますからね(笑)。常にすっごい努力してる人なんです」

120312ENDO3.jpgB:なるほど。では次にインタビューを回す人を指名してもらえますか?
「あ…誰にしよう。自分、トッププレーヤーみたいな人たちと仲良くなったのが本当にこの前の選抜なんですよね。うーん…市船に回してもしょうがないしな(笑)。じゃあ…さっき名前が出た辻にしましょうか。え、でもいいんですかね!? 自分から辻ってすごく畏れ多いですけど…(苦笑)」

B:(笑)。遠藤選手から見て辻選手の印象は?
「有名人だったので前から知ってたんですけど、試合中しか知らなかったので『すごい人』ってイメージだったんですね。でも話してみたら、めっちゃ話すしギャグも言うし…関西の人って感じで面白いです」

B:では次回は青山学院大学・辻直人選手にお話を伺います。遠藤選手、ありがとうございました。

写真下:Tシャツに書いた好きな言葉は「HUSTLE!」。いい笑顔を見せてくれた。

◆#15遠藤祐亮(えんどう ゆうすけ)
大東文化大・4年・G
185cm・78kg


(2011.11.21インタビュー)

※選手の所属チームはインタビュー当時で掲載していきます。
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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ

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