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2011.09.29 (Thu)
【SPECIAL】BOJラインvol.2 ~久保田 遼選手~
リレー形式インタビュー「BOJライン」
vol.2~早稲田大・久保田遼選手~
選手の交友の輪をたどって取材を敢行する「BOJライン」。
第一回の田渡選手からのバトンタッチは早稲田大・久保田選手です。
大濠高校時代のエピソードや、久保田選手の上手さの秘密にも迫ってみました。終始笑いありのインタビューからは、明るいキャラクターが垣間見えます。第二回もお楽しみください。
BOJ(以下B):BOJライン第2回は早稲田大学、久保田選手です。よろしくお願いします。田渡選手からの紹介なんですが、田渡選手と久保田選手は仲が良いみたいですね。
「そうですね。2年生までは全然話したことなかったんですけど、2年の育成キャンプで一緒になって、当時の2年生で部屋に集まった時に初めて喋りました。そのあと3年になって関東選抜や李相伯でずっと一緒だったので自然と仲良くなりましたね」
B:なるほど。では本題ですが、まずバスケを始めてから大濠高校に入るまでを軽く振り返ってもらえますか?
「バスケット自体は、小4くらいからミニバスに入ってやり始めました。うちのチームは弱小だったんですけど、すごく真面目というか熱心に練習してて、それはすごいなと思いましたね。それで6年生の時に、大分県の選抜と韓国のチームが試合するというイベントがあって、当時160cmくらいあった自分がたまたま選ばれたんです。そのチームに織田(青山学院大#6)とかもいて、それは印象に残ってます。そこから中学に進んで中3で織田のいる中学に転校して、そこで九州大会まで出ました。で、全中優勝の北城中にボコボコにされて(苦笑)。中学の時は全く上手くなかったので、中3の時の監督には厳しく指導されましたね」
B:その頃対戦した相手で印象に残っている選手はいますか?
「結構いますよ。県外遠征とかも行ってたので。中3のときに明治の田村(#17)とか、滋賀に遠征に行って青学の中川(#13)とも試合しましたね」
B:田渡選手もジュニアオールスターで滋賀と戦ったと言っていました。
「ジュニアオールスターは僕は2年の時に選ばれて、予選リーグが長野と岩手で、長野には勝てたんですけど岩手に負けたんですよね。岩手には長谷川 技(拓殖大#99)がいました。僕その時は185cmだったんですけど、あいつは188cmくらいあって僕より高くて、ドライブもガンガンしてくるし中も外も出来るし、ボコスコやられた印象がありますね(苦笑)」
B:先ほど“中学の時は全く上手くなかった”という話が出ましたが、上手くなったなと思うのは高校時代ですか?
「そうですね。身長も伸びましたし、一番成長したのは多分高校ですね」
B:では身長が伸びたのは高校時代?
「いや、バスケを中3で引退して、なぜか9月から3月くらいの部活してない間に、185cmから190cmまで一気に伸びたんですよね。だから大濠に入った時は190cmありました。で、高校3年間で6cmくらい伸びて、今196cm(※パンフレットの表記は195cm)って感じですね」
B:ご両親も背が高いんですか?
「そうですね。僕の父さんは昔法政大でバレーしてて190ありますし、母さんも昔バスケしてて170くらいありますね。だから周りからは、この身長になるのも当たり前だって言われます(笑)。でも自分もここまで伸びるとは思ってませんでしたね。180後半で止まるだろうなと思ってたら、190後半まで伸びちゃいましたね」
B:その身長はご両親譲りなんですね。身長が高い選手の中にはハンドリングや細かい技が苦手な選手も多いと思うんですが、久保田選手は大きいのにテクニックもありますよね。それはどこで身につけたものなんですか?
「僕はもともと、高校の時すっごい細かったんですよ。全然幅がなくて、ひどい時は身長196cmで体重が79kgくらい。だからパワーでは全然太刀打ち出来なかったので、そこでテクニックを覚えたのかもしれないですね」
リバウンドの重要性に気付いた全国の舞台
B:大濠高校で印象に残っている思い出は?
「いやー、いっぱいありますね、事件的なものは(笑)。僕らの中で“眉毛事件”って呼んでることとか、今となっては笑い話ですけど、事件はいっぱいありますね(笑)」
B:(笑)。チームメイトは仲が良いんですか?
「そうですね。自分の代の推薦組はみんな寮だったので、みんな仲良いです。当時その推薦組は7人いたんですけど、最初のころは外に遊びに行く時も7人全員で、って感じでしたね」
B:高校の頃の印象に残っている試合は?
「うーん、やっぱり高3の時のインターハイ決勝ですかね。満原(東海大#0)とマッチアップした能代戦。自分的に、試合の最中はそんなに調子悪くないかなと思ったんですよ。得点も20点くらい取ってたし。でも負けて、そのあとインタビューを受けたんですね。そしたら記者の人に、『今日はリバウンドが1本でしたが、それについては?』って聞かれて(苦笑)。自分でも“えー!1本!?”って感じでしたね。試合終わってその時に気付きましたから。で、そのあと月バスに、“リバウンドが1本で悔しがる久保田”ってプレーの写真付きで出たんですよ!その写真の時は気付いてないから、まだ悔しがってないんです(笑)。まぁリバウンドの重要性を気付かされた試合だったと思いますね」
B:そこでは準優勝になりましたが、全国制覇の経験は国体のみですか?
「そうですね、国体1回だけ。それも2年の時で、あの時は3年生にすごいメンツが集まってましたから。(並里)ナリト(現bj琉球ゴールデンキングス)いて、(橋本)竜馬さん(10年度青学大主将・現JBLアイシン)、金丸さん(10年度明治大主将・現JBLパナソニック)、酒井さん(酒井祐典・10年度慶應大卒・現九州電力アーティサンズ)…しかもポジションも上手い具合にバランスとれてたんですよ。決勝で能代(秋田)にすごい点差をつけて(※112-82)勝ったので、強っ!て思いましたね。僕はひたすら走ってるだけでした(笑)」
B:大濠高校と福岡第一高校の豪華なラインナップですね。あの頃の大濠高校と福岡第一高校は、実力がかなり拮抗していましたよね。
「そうですね。僕が高校にいた頃はかなり競ってました。第一とは、春だけでも4試合くらい戦うんですよ。いつもどっちが勝つかみたいな感じで、市大会くらいでも観客はすごい多かったです。やっぱり自分は幅が無かったので、熊吉(日本大#24)とマッチアップするのは嫌でしたね。九州大会はいつも白熱してました」
B:2007年の九州大会決勝は動画で見ました。福岡第一高校の並里選手が大活躍でしたね。
「そうなんですよ。ナリトはすごいですね。大学にはいませんけど、自分の代を代表する選手だと思います。オーラが違うというか、カリスマ性があるんですよ。しかも一緒にいて面白いというか、すごく変わってて(笑)。沖縄っぽいというか、変な言い方しちゃえば常識はずれというか…。集合時間とか『あれ?そうだったっけ?』って普通に遅れてきますからね(苦笑)」
屈強なセンター陣との対戦で学んだディフェンス
B:ここからは大学の話を伺いたいと思います。入学する前とした後で早稲田大の印象は変わりましたか?
「そうですね。早稲田って有名な大学で頭がいい人も多いから、入る前はお堅いイメージがあったんですよ。ブランドっぽいというか。でも入ってみたらそんなことは全然なかったですね。バスケ部以外の友達も全然堅い感じじゃなくて親しみやすいし、そのギャップはすごく感じました」
B:大濠高校と早稲田大ではバスケットスタイルが大きく違うと思いますが、戸惑いはありませんでしたか?
「1年生の時はヘッドコーチが倉石さんではなくて、当時の監督は“好きにやれ”という感じだったんですよね。だから僕全然怒られなかったんです。一度、普通に僕がキャッチミスしたんですけど、監督が『パスが悪い!』って怒って(笑)。それで2年生になって監督が倉石さんに変わって、やっぱり1年目はそのバスケットに慣れるのに苦労しましたね。攻めるのが大好きだったので自分はオフェンスばっかやってたんですけど、ディフェンスをしろって2年生の時に強く言われました。2年の時が一番倉石さんに怒られたかな。早稲田はディフェンスのファンダメンタルというか、本当に基本姿勢の構えから練習するんですよ。そういうのは大濠では全くやったことなかったので、やっぱりディフェンスの意識はついたと思います」
B:3年間2部で戦ってきて、印象に残っていることは?
「なんだろうなぁ…。一番覚えてるのは1年生のリーグ戦ですかね。あの時の2部って結構強かったじゃないですか。慶應とか筑波とか明治もいて、国士舘も強くて。その時もずっと40分くらい出させてもらっていたんですが、毎週毎週試合することなんて初めてだったし、結構キツかったですね。その環境に対応しきれずに、ずっと“あー疲れたなー”って感じでした(苦笑)。あと印象に残っているのは、留学生との対戦。2部の方が留学生多いじゃないですか。そこでディフェンスも上手くなったかなと思います。実際高校のときは、僕はあまりセネガル人につかなかったんですよ。僕より松谷(慶應大#11)の方がタフにディフェンスするので。だから大きい選手を一人でつけるようになったのは、2部の留学生とずっとやってきたからかなと思います」
B:ではバスケ部員との試合以外の思い出はありますか?
「合宿ですかね。1年生の時に合宿で佐渡まで行ったんですよ。で、1年生って洗濯とかご飯の準備とか雑用やらなきゃいけないじゃないですか。でもその佐渡のホテルに、洗濯機が1台しかなかったんです。しかもその洗濯機、入れすぎるとすぐ止まるし。それでその1台で部員全員の洗濯物をしなきゃいけなくて…それはものすごく大変でしたね。僕の代は5人しかいないんですが、ずっと寝ないで洗濯(苦笑)。合宿は5日間だったんですけど、毎日3時間くらいしか寝られませんでした。朝5時からシューティングだったので、もうヘロヘロですよ。その時4年生の先輩が、卒論の研究でPOMS試験(※気分プロフィール検査)をやってて、そしたらうちの代のあるやつは『あぁ、軽い鬱だね』って言われてました(笑)。あと思い出は…友達の話をしていいですか? 一般で入ってきて1年の時までバスケ部だった友達がいるんですよ。そしたら『他にやりたいことがあるので辞めます』ってバスケ部辞めて、一体何かと思ったら、お笑い芸人を目指すらしくて! まぁ普段からめっちゃ面白いやつだったんですけど。本当に今養成所みたいなの通い始めて、来年からワタナベの事務所と契約するらしいです。だから売れてテレビに出るようになるのを楽しみにしてますね」
B:早稲田大は本当に色んな学生がいますね。では、大学に入ってから特に仲良くなった選手は?
「結構多いですね。選抜とかのメンバーは、それまで話したことがなくてもすごい仲良くなりますね。修人(筑波大#34田渡)もそうですし、あとは専修の太田(#91)とかも、2年の時に友達になって。あいつ見た目は怖いかもしれないですけど結構いいやつなんですよ(笑)。あと誰かな…日大の森川(#4)もそうですね。洛南の辻(青学大#14)とか田村(明治大#17)は昔から話したことありました。あ、明成組はみんな大学入ってから仲良くなりましたね。明成って高校生の時は近寄り難いというか、僕の中で話しかけちゃいけないみたいなイメージがあったんですよ(苦笑)。だから伊藤(青学大#7)とかも話したのは大学入ってからですね。まぁ色々全国から関東の大学に選手が集まってるので、そういうのって面白いですよね」
B:ライバルはいますか?
「ライバルですか!?…誰だろう。やっぱり自分自身ですかね。あとは、今1部で自分は5番をやってるので、1部の5番ポジションの人は言ったらみんなライバルですね」
写真:大学1年時の京王電鉄杯にて。あまり外見の印象は変わっていない。
目指すのは「中と外を使い分けるマルチプレーヤー」
B:では、自分はどういう性格だと思いますか?
「うーん…いじりいじられなキャラですかね。早稲田だと結構周りをいじるタイプなんですけど、ユニバとかだとバスの中で先輩から『久保田、1曲頼むわ!』って言われたりして、僕も美空ひばりとか美川憲一とか歌うんですよ(笑)。自分でいうのも何ですけど、お茶目というか(笑)。それで先輩には可愛がられてると思いますね。色々誘ってもらったりするし。上の人と接する時とか、すごいノリは良いですね」
B:悩んだり落ち込んだりはしないタイプですか?
「悩みなさそうに見えると思うんですけど、僕だって一応悩みますよ? でも、切り替えは早いですね。いつも“あ~もう……いいや! 次やれば!”って感じです(笑)」
B:では、こうなりたいという選手像はありますか?
「具体的な選手はいないんですけど、状況に応じてインサイドと外を上手く使い分けるマルチプレーヤーになりたいですね。相手が小さい選手だったらインサイドでガツガツ勝負して、大きくて幅はあるけどスピードがない選手だったら外で勝負、という感じで、相手に応じて融通の利く選手になりたいです」
B:学生バスケも残りあとわずかですが、今後への意気込みをお願いします。
「今のリーグも最後のリーグ戦ですもんね。自分も試合に出ている数少ない4年生として、40分出てても疲れたとかは言えないと思います。それでチームを牽引しつつ、今日(9/17)の東海戦みたいな勝ち方が出来れば自分としてもすごく気持ちいいので、ああいう悔いの無いような試合をしていきたいですね」
B:では最後に、次は誰を指名しますか?
「じゃあ、ユニバとかで一緒だった青学の比江島で。アイツめっちゃ変わってるんで、面白いですよ(笑)。人見知りですけど、意外と喋れますから。大丈夫です」
B:比江島選手に何の話をしたら面白いと思いますか?
「ユニバでの話があるんですけど、ユニバで最後の試合が終わって、ミーティングがあったんですね。で、そこで陸さん(監督)が一人ひとり言葉を言ってこうって提案したんです。それで順番が回ってきて、僕、話しながら感極まって泣いちゃったんですよ。でも、僕ってユニバに途中から呼ばれて入ったので、周りはちょっと“え、なんでお前が泣いてんの? そこまで思い入れあったの?”みたいな変な空気が流れてたらしくて(笑)。しかも、陸さんの下でユニバはずっと世界一を目標に掲げてたんですけど、僕が『来年もユニバに選んでもらって、次こそは世界一になります!』って言う所を、間違えて『次こそは日本一になります!』って言っちゃったんです(笑)。で、まわりも『えー!?』ってなって(笑)。僕は泣きながら真面目に話してたんで全然気付かなかったんですよね。それを比江島は今だにネタにしてきます(笑)。とりあえず僕とか三浦(東海大#34)とか田渡(筑波大#34)とかは、比江島から同学年だと思われてますね、きっと(笑)」
B:(笑)。では次回は青山学院大学・比江島慎選手にお願いしたいと思います。久保田選手、ありがとうございました。
◆#14久保田 遼(くぼた りょう)
早稲田大・4年・C
195cm・90kg
(2011.9.17インタビュー)
vol.2~早稲田大・久保田遼選手~

第一回の田渡選手からのバトンタッチは早稲田大・久保田選手です。
大濠高校時代のエピソードや、久保田選手の上手さの秘密にも迫ってみました。終始笑いありのインタビューからは、明るいキャラクターが垣間見えます。第二回もお楽しみください。
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「中学生の時は全く上手くなかった」
「そうですね。2年生までは全然話したことなかったんですけど、2年の育成キャンプで一緒になって、当時の2年生で部屋に集まった時に初めて喋りました。そのあと3年になって関東選抜や李相伯でずっと一緒だったので自然と仲良くなりましたね」
B:なるほど。では本題ですが、まずバスケを始めてから大濠高校に入るまでを軽く振り返ってもらえますか?
「バスケット自体は、小4くらいからミニバスに入ってやり始めました。うちのチームは弱小だったんですけど、すごく真面目というか熱心に練習してて、それはすごいなと思いましたね。それで6年生の時に、大分県の選抜と韓国のチームが試合するというイベントがあって、当時160cmくらいあった自分がたまたま選ばれたんです。そのチームに織田(青山学院大#6)とかもいて、それは印象に残ってます。そこから中学に進んで中3で織田のいる中学に転校して、そこで九州大会まで出ました。で、全中優勝の北城中にボコボコにされて(苦笑)。中学の時は全く上手くなかったので、中3の時の監督には厳しく指導されましたね」
B:その頃対戦した相手で印象に残っている選手はいますか?
「結構いますよ。県外遠征とかも行ってたので。中3のときに明治の田村(#17)とか、滋賀に遠征に行って青学の中川(#13)とも試合しましたね」
B:田渡選手もジュニアオールスターで滋賀と戦ったと言っていました。
「ジュニアオールスターは僕は2年の時に選ばれて、予選リーグが長野と岩手で、長野には勝てたんですけど岩手に負けたんですよね。岩手には長谷川 技(拓殖大#99)がいました。僕その時は185cmだったんですけど、あいつは188cmくらいあって僕より高くて、ドライブもガンガンしてくるし中も外も出来るし、ボコスコやられた印象がありますね(苦笑)」
B:先ほど“中学の時は全く上手くなかった”という話が出ましたが、上手くなったなと思うのは高校時代ですか?
「そうですね。身長も伸びましたし、一番成長したのは多分高校ですね」
B:では身長が伸びたのは高校時代?
「いや、バスケを中3で引退して、なぜか9月から3月くらいの部活してない間に、185cmから190cmまで一気に伸びたんですよね。だから大濠に入った時は190cmありました。で、高校3年間で6cmくらい伸びて、今196cm(※パンフレットの表記は195cm)って感じですね」
B:ご両親も背が高いんですか?
「そうですね。僕の父さんは昔法政大でバレーしてて190ありますし、母さんも昔バスケしてて170くらいありますね。だから周りからは、この身長になるのも当たり前だって言われます(笑)。でも自分もここまで伸びるとは思ってませんでしたね。180後半で止まるだろうなと思ってたら、190後半まで伸びちゃいましたね」
B:その身長はご両親譲りなんですね。身長が高い選手の中にはハンドリングや細かい技が苦手な選手も多いと思うんですが、久保田選手は大きいのにテクニックもありますよね。それはどこで身につけたものなんですか?
「僕はもともと、高校の時すっごい細かったんですよ。全然幅がなくて、ひどい時は身長196cmで体重が79kgくらい。だからパワーでは全然太刀打ち出来なかったので、そこでテクニックを覚えたのかもしれないですね」
リバウンドの重要性に気付いた全国の舞台

「いやー、いっぱいありますね、事件的なものは(笑)。僕らの中で“眉毛事件”って呼んでることとか、今となっては笑い話ですけど、事件はいっぱいありますね(笑)」
B:(笑)。チームメイトは仲が良いんですか?
「そうですね。自分の代の推薦組はみんな寮だったので、みんな仲良いです。当時その推薦組は7人いたんですけど、最初のころは外に遊びに行く時も7人全員で、って感じでしたね」
B:高校の頃の印象に残っている試合は?
「うーん、やっぱり高3の時のインターハイ決勝ですかね。満原(東海大#0)とマッチアップした能代戦。自分的に、試合の最中はそんなに調子悪くないかなと思ったんですよ。得点も20点くらい取ってたし。でも負けて、そのあとインタビューを受けたんですね。そしたら記者の人に、『今日はリバウンドが1本でしたが、それについては?』って聞かれて(苦笑)。自分でも“えー!1本!?”って感じでしたね。試合終わってその時に気付きましたから。で、そのあと月バスに、“リバウンドが1本で悔しがる久保田”ってプレーの写真付きで出たんですよ!その写真の時は気付いてないから、まだ悔しがってないんです(笑)。まぁリバウンドの重要性を気付かされた試合だったと思いますね」
B:そこでは準優勝になりましたが、全国制覇の経験は国体のみですか?
「そうですね、国体1回だけ。それも2年の時で、あの時は3年生にすごいメンツが集まってましたから。(並里)ナリト(現bj琉球ゴールデンキングス)いて、(橋本)竜馬さん(10年度青学大主将・現JBLアイシン)、金丸さん(10年度明治大主将・現JBLパナソニック)、酒井さん(酒井祐典・10年度慶應大卒・現九州電力アーティサンズ)…しかもポジションも上手い具合にバランスとれてたんですよ。決勝で能代(秋田)にすごい点差をつけて(※112-82)勝ったので、強っ!て思いましたね。僕はひたすら走ってるだけでした(笑)」
B:大濠高校と福岡第一高校の豪華なラインナップですね。あの頃の大濠高校と福岡第一高校は、実力がかなり拮抗していましたよね。
「そうですね。僕が高校にいた頃はかなり競ってました。第一とは、春だけでも4試合くらい戦うんですよ。いつもどっちが勝つかみたいな感じで、市大会くらいでも観客はすごい多かったです。やっぱり自分は幅が無かったので、熊吉(日本大#24)とマッチアップするのは嫌でしたね。九州大会はいつも白熱してました」
B:2007年の九州大会決勝は動画で見ました。福岡第一高校の並里選手が大活躍でしたね。
「そうなんですよ。ナリトはすごいですね。大学にはいませんけど、自分の代を代表する選手だと思います。オーラが違うというか、カリスマ性があるんですよ。しかも一緒にいて面白いというか、すごく変わってて(笑)。沖縄っぽいというか、変な言い方しちゃえば常識はずれというか…。集合時間とか『あれ?そうだったっけ?』って普通に遅れてきますからね(苦笑)」
屈強なセンター陣との対戦で学んだディフェンス

「そうですね。早稲田って有名な大学で頭がいい人も多いから、入る前はお堅いイメージがあったんですよ。ブランドっぽいというか。でも入ってみたらそんなことは全然なかったですね。バスケ部以外の友達も全然堅い感じじゃなくて親しみやすいし、そのギャップはすごく感じました」
B:大濠高校と早稲田大ではバスケットスタイルが大きく違うと思いますが、戸惑いはありませんでしたか?
「1年生の時はヘッドコーチが倉石さんではなくて、当時の監督は“好きにやれ”という感じだったんですよね。だから僕全然怒られなかったんです。一度、普通に僕がキャッチミスしたんですけど、監督が『パスが悪い!』って怒って(笑)。それで2年生になって監督が倉石さんに変わって、やっぱり1年目はそのバスケットに慣れるのに苦労しましたね。攻めるのが大好きだったので自分はオフェンスばっかやってたんですけど、ディフェンスをしろって2年生の時に強く言われました。2年の時が一番倉石さんに怒られたかな。早稲田はディフェンスのファンダメンタルというか、本当に基本姿勢の構えから練習するんですよ。そういうのは大濠では全くやったことなかったので、やっぱりディフェンスの意識はついたと思います」
B:3年間2部で戦ってきて、印象に残っていることは?
「なんだろうなぁ…。一番覚えてるのは1年生のリーグ戦ですかね。あの時の2部って結構強かったじゃないですか。慶應とか筑波とか明治もいて、国士舘も強くて。その時もずっと40分くらい出させてもらっていたんですが、毎週毎週試合することなんて初めてだったし、結構キツかったですね。その環境に対応しきれずに、ずっと“あー疲れたなー”って感じでした(苦笑)。あと印象に残っているのは、留学生との対戦。2部の方が留学生多いじゃないですか。そこでディフェンスも上手くなったかなと思います。実際高校のときは、僕はあまりセネガル人につかなかったんですよ。僕より松谷(慶應大#11)の方がタフにディフェンスするので。だから大きい選手を一人でつけるようになったのは、2部の留学生とずっとやってきたからかなと思います」
B:ではバスケ部員との試合以外の思い出はありますか?
「合宿ですかね。1年生の時に合宿で佐渡まで行ったんですよ。で、1年生って洗濯とかご飯の準備とか雑用やらなきゃいけないじゃないですか。でもその佐渡のホテルに、洗濯機が1台しかなかったんです。しかもその洗濯機、入れすぎるとすぐ止まるし。それでその1台で部員全員の洗濯物をしなきゃいけなくて…それはものすごく大変でしたね。僕の代は5人しかいないんですが、ずっと寝ないで洗濯(苦笑)。合宿は5日間だったんですけど、毎日3時間くらいしか寝られませんでした。朝5時からシューティングだったので、もうヘロヘロですよ。その時4年生の先輩が、卒論の研究でPOMS試験(※気分プロフィール検査)をやってて、そしたらうちの代のあるやつは『あぁ、軽い鬱だね』って言われてました(笑)。あと思い出は…友達の話をしていいですか? 一般で入ってきて1年の時までバスケ部だった友達がいるんですよ。そしたら『他にやりたいことがあるので辞めます』ってバスケ部辞めて、一体何かと思ったら、お笑い芸人を目指すらしくて! まぁ普段からめっちゃ面白いやつだったんですけど。本当に今養成所みたいなの通い始めて、来年からワタナベの事務所と契約するらしいです。だから売れてテレビに出るようになるのを楽しみにしてますね」
B:早稲田大は本当に色んな学生がいますね。では、大学に入ってから特に仲良くなった選手は?
「結構多いですね。選抜とかのメンバーは、それまで話したことがなくてもすごい仲良くなりますね。修人(筑波大#34田渡)もそうですし、あとは専修の太田(#91)とかも、2年の時に友達になって。あいつ見た目は怖いかもしれないですけど結構いいやつなんですよ(笑)。あと誰かな…日大の森川(#4)もそうですね。洛南の辻(青学大#14)とか田村(明治大#17)は昔から話したことありました。あ、明成組はみんな大学入ってから仲良くなりましたね。明成って高校生の時は近寄り難いというか、僕の中で話しかけちゃいけないみたいなイメージがあったんですよ(苦笑)。だから伊藤(青学大#7)とかも話したのは大学入ってからですね。まぁ色々全国から関東の大学に選手が集まってるので、そういうのって面白いですよね」
B:ライバルはいますか?
「ライバルですか!?…誰だろう。やっぱり自分自身ですかね。あとは、今1部で自分は5番をやってるので、1部の5番ポジションの人は言ったらみんなライバルですね」
写真:大学1年時の京王電鉄杯にて。あまり外見の印象は変わっていない。
目指すのは「中と外を使い分けるマルチプレーヤー」

「うーん…いじりいじられなキャラですかね。早稲田だと結構周りをいじるタイプなんですけど、ユニバとかだとバスの中で先輩から『久保田、1曲頼むわ!』って言われたりして、僕も美空ひばりとか美川憲一とか歌うんですよ(笑)。自分でいうのも何ですけど、お茶目というか(笑)。それで先輩には可愛がられてると思いますね。色々誘ってもらったりするし。上の人と接する時とか、すごいノリは良いですね」
B:悩んだり落ち込んだりはしないタイプですか?
「悩みなさそうに見えると思うんですけど、僕だって一応悩みますよ? でも、切り替えは早いですね。いつも“あ~もう……いいや! 次やれば!”って感じです(笑)」
B:では、こうなりたいという選手像はありますか?
「具体的な選手はいないんですけど、状況に応じてインサイドと外を上手く使い分けるマルチプレーヤーになりたいですね。相手が小さい選手だったらインサイドでガツガツ勝負して、大きくて幅はあるけどスピードがない選手だったら外で勝負、という感じで、相手に応じて融通の利く選手になりたいです」
B:学生バスケも残りあとわずかですが、今後への意気込みをお願いします。
「今のリーグも最後のリーグ戦ですもんね。自分も試合に出ている数少ない4年生として、40分出てても疲れたとかは言えないと思います。それでチームを牽引しつつ、今日(9/17)の東海戦みたいな勝ち方が出来れば自分としてもすごく気持ちいいので、ああいう悔いの無いような試合をしていきたいですね」
B:では最後に、次は誰を指名しますか?
「じゃあ、ユニバとかで一緒だった青学の比江島で。アイツめっちゃ変わってるんで、面白いですよ(笑)。人見知りですけど、意外と喋れますから。大丈夫です」
B:比江島選手に何の話をしたら面白いと思いますか?
「ユニバでの話があるんですけど、ユニバで最後の試合が終わって、ミーティングがあったんですね。で、そこで陸さん(監督)が一人ひとり言葉を言ってこうって提案したんです。それで順番が回ってきて、僕、話しながら感極まって泣いちゃったんですよ。でも、僕ってユニバに途中から呼ばれて入ったので、周りはちょっと“え、なんでお前が泣いてんの? そこまで思い入れあったの?”みたいな変な空気が流れてたらしくて(笑)。しかも、陸さんの下でユニバはずっと世界一を目標に掲げてたんですけど、僕が『来年もユニバに選んでもらって、次こそは世界一になります!』って言う所を、間違えて『次こそは日本一になります!』って言っちゃったんです(笑)。で、まわりも『えー!?』ってなって(笑)。僕は泣きながら真面目に話してたんで全然気付かなかったんですよね。それを比江島は今だにネタにしてきます(笑)。とりあえず僕とか三浦(東海大#34)とか田渡(筑波大#34)とかは、比江島から同学年だと思われてますね、きっと(笑)」
B:(笑)。では次回は青山学院大学・比江島慎選手にお願いしたいと思います。久保田選手、ありがとうございました。
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テーマ : バスケットボール(日本) - ジャンル : スポーツ
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